雨の恩恵

エッジが来ない。
エブラーナを出てくる時間自体が遅くなったに違いない。
リディアは人がたくさんいる場所に一人でいることはあまり得意ではない。
それを知っているエッジは、いつも待ち合わせの場所にトロイアの町外れの森を指定する。
ひょっこりとチョコボが現れることもあるその森は、少し入ったところに古い小屋の跡地がある。
とっくの昔に壊されたらしいそこには小屋を作った時に使った余りらしい木材までも散らばっている。中途半端に崩された小屋はところどころ形を残しているけれども屋根も壁もなく、しかし、誰かが残していったらしい欠けたカップがころりと足元に落ちていて、人が生きていた様子を伺わせる。
以前トロイアに寄った時にエッジがみつけた、二人のお気に入りの場所だ。
こうして待ち合わせに使っているが、時々子供達が遊んでいる姿を見ることも出来る。
リディアは小屋の土台の上に座って、この間エッジに会った時のことを思い出していた。
久しぶりに会ったエッジ。
その日も彼は少しばかり時間に遅れた。一国を背負って立つ人間ともなると、仕事に関することは時間厳守を強いられるのに、プライベートとなると時間を厳守出来るためしがないのだという。
やってきた彼は、待ちくたびれたリディアの顔を見るなり一瞬驚きに似た表情を見せた。それから「元気だったか」といつも通りの挨拶をした。
ゼロムスを倒した後リディアは幻界に戻り、こうやって時々恋人であるエッジに会いに来る。時間の流れが違うものだから、リディアからすれば「そろそろ会いに行こう」と思う頃にはエッジは「お、もう会いたいのか、よしよし」と思うほど前回の逢瀬が最近のこと、けれども自由がきかない身の上であればなかなか頭が痛いところだ。
人間界と幻界に別れてから、これで逢瀬は4回目。
リディアは自分とエッジの関係について深く考えることもなく「会いたい」と感じればやってくる。
シルフに頼んでドワーフの王ジオットに手紙を渡せば、そこから地上に手紙を送ってくれる。
4回目ともなれば手紙をいつ頃出せばいつ頃会えるのかもわかる。
リディアはエッジと待ち合わせる時だけ「手紙がエッジに届いてから人間界はどれくらい日数がたったのか」をアスラと共に数えていた。だから、リディアは間違うことなく自分が指定した日時にやってくることが出来る。
しかし、エッジの方はといえば、リディアから「お願い」された日時にあわせるためには、リディアが知らないほどの苦労を必要とされていた。
じゃあ、エッジの予定にあわせればいい?
いいや、幻界と人間界を往復して手紙のやりとりを何度もするなんていうまどろっこしいことは御免だ。
よってエッジはいつでも無理をして、じいに怒られつつ予定にねじこみ、そしてその結果遅れて来る。
もちろん、彼はそんなことをリディアには言わない。
言えばきっとリディアは気を使って、「エッジの予定に合わせるから、会える日を教えて」なんて言うにきまっている。
会える日。
本当は、そんな日はないのだ。
エッジにとって時間が余っている日なんていうのはそうそうなく、もし仮にあったとしても、それは偶然が重なって急遽得ることが出来た休息時間になる程度だ。
それでも、リディアが会いたいと言ってくれた時に、そこに自分がいってやりたい。
エッジはひたすらにそう思う。
リディアの方から自分に会いたいと思ってくれるなら、それ以上に一人の男としてのエッジにとって嬉しいことなんてあるわけがなくて。
それに、その嬉しさを味わうには、いつだってリディアが遠慮せずに「会いたいから10日後に森でね」なんて言ってくれることが彼にとって必要なのだ。
彼女からのその一言の手紙は、彼に無理をさせる。それは、とても愛しくて、心が満たされる、不思議な「無理」だ。
本当は存在しないはずの「会える日」の代わりに、これまた存在しがたい「会う日」に変える作業をエッジは昼夜おしまず繰り返す。
そして、最終的に「時間は守れないけど何がなんでも会う日」になるのだ。
「エッジ来ないなぁ〜。やっぱり今日も遅れてくるのね」
当然、そんな男のいじらしさなんてものはリディアにわかるわけもなく。
「いつも遅れてくるから、今日も遅れてくるだろう」とだけ納得して、怒らずに待ってくれることをエッジがものすごく感謝していることだってリディアにはわからない。
リディアは足を地面から少しあげて前に伸ばした。
新しい服。
丈が短い黄色いワンピース。
丸い襟ぐりとパフスリーブの袖口に緑色のパイピングが施されて、胸元に小さくリボン。
新しい靴。
爪先がころんとまん丸い形になっている薄い黄緑のサンダル。
エッジが以前買ってくれた、お気に入りの髪飾り。
大好きな人と会うときに新しい服で行くという、この気持ちをなんと表現したらいいのだろう。
ぱたぱた、と足を交互に上げ下げをする。まあるい靴が、上へ下へと動く。ひょこひょことしたその動きを見ていたら、リディアは一人で笑いたくなってしまう。
「うふふ」
(生き物みたい。動いているのは自分の足だけど、なんだか可愛いんだもの)
そういう発想は女の子特有のものだ。
エッジに言えば「はぁ?」と顔をしかめるに違いない。
「早くエッジに見せたいけど、きっと見たってなーんにも言わないだろうなぁ〜」
声に出してしまうのは、寂しい気持がむくむくと湧きあがってくる自分を、ちょっとだけ元気づけるためだ。
誰の返事もないそんな場所で女の子を一人で待たせるなんて、まったくエッジは紳士ではない。
「あ」
茶色っぽい小さな塊がリディアの視界を掠めた。鳥が木から木へ飛んだのだろう。
森の中だというのに、大層低い位置を飛ぶものだ、とリディアは見慣れないその動きに気付いてきょろきょろとあたりを見回した。
と、その時もっともっと大きい塊、人影ががさがさと音を立てて現れる。
「わりー、わりー。待たせたな」
「エッジ!」
一体どこから来たんだ、と問いただしたくなるような獣道から、待ち人エッジは姿を現した。
茂みの中から出てきたため、髪や服に小さな木の葉がついている。
エッジはそれをぱんぱんと手で軽く払いながらリディアに笑いかけた。
「いい子にしてたみてーだな」
「もお、また子供扱いして!」
「ははは」
不満そうな顔を見せつつも、リディアの頬が少しばかり緩んでいることをエッジは見逃さない。
声を出して小さく笑いかけると、リディアも「うふふ」と小さく笑い返す。
「わりかったな、待たせて」
「いつものことじゃない」
「そーだけどさ」
「来てくれたんだもん、いいわよ。でもっ、あと半刻遅かったら帰っちゃったかも〜」
「おいおい、マジかよ」
とはいえ、その程度しか遅刻に対する嫌味を言わないのはリディアの長所でもある。エッジはそれに心から感謝しつつ、早速今日の行き先を決めようと話をふった。
「どーするよ。トロイアはこの前、嫌ってほど回ったしなぁ」
「うん。そーなんだよね」
「近くの湖で水遊びすっか?」
「ええ〜?服、濡れちゃう」
「そんなん・・・」
別にいーだろ。
そう続けようとしてエッジは黙って、それから「しゃーないか」と肩をすくめた。
以前ならば、そんな風に服を気にすることなんてそうそうなかったのに。
その言葉もまた飲み込んで、次の提案をした。
「だったらよ、散歩、しよーか」
「お散歩ならいいわよ」
「ん、決まりだな」
エッジはリディアに手を差し伸べた。何の疑問ももたずにリディアはそれへと自分の手を重ねた。
いつからそれが当たり前になったのか彼らはよく覚えてはいない。
無防備に重ねられた小さな手をエッジは握りしめた。
「・・・!」
慣れていたはずのその感触。握った瞬間に、ぴくりとエッジの指が震える。それに気付いて彼を見上げるリディア。
「どうしたの、エッジ」
「あ、んー、なんでもねーよ」
「変なの」
慣れていたはずなのに。
エッジはリディアを軽くひっぱるように歩き出した。
とっとっと、と前のめりになってリディアは慌てて早足で歩調をあわせる。
「エッジ、ちょっと早い、待ってよぅ!」
「あ、悪ぃ。そうだった」
そうだった、なんて言える間柄。それがどんなに嬉しいことなのかリディアはわかっているのだろうか。
エッジは歩調を緩めて、これもまた慣れていたはずの「いつものリディアの歩幅」に合わせ始めた。
ぽてぽてと歩くリディアの足取りは「いつも」と違う。
エッジは職業柄というかお国柄と言えばよいのか、人の歩き方やそのときたてる足音やらに敏感だ。
(ああ、新しい靴、はいてんのか)
薄い黄緑のサンダル。
新しい靴に慣れていない足取り。
そのおぼつかなさに、苛立ちといとおしさが混ざった感情がエッジの心の中に広がっていく。
相変わらずふうわりとした、前に会った時よりも伸びた髪。
他の女達のように紅を塗ることを未だに覚えない、それでも血色が良い桜色の唇。
変わっていないようで変わっている、「相変わらずだな」なんてエッジに言わせなかったその変化。
ゼロムスを倒して別れたときには、既に「女性」への変化に足を踏み入れていたけれど。
彼の手にすっぽり収まっている手の中のぬくもりが、それは彼が知っている手と同じであって違うものだと告げている。
(気付かないわけが、ねぇ)
幾度となく握り締めて、こうやって引いて歩いた手。
子供らしい柔らかさを失わずに、けれども明らか過ぎるほどに大人になろうとしているリディアは、そんな体の末端まで変化をしようとしているのだ。
その危うい手前の、一歩一歩の変化を見せ付けられることは、嬉しいようで、辛い。
幻界と人間界の時間の流れの差異を、エッジはひしひしと感じていた。
会うたび会うたびに変化を見せるリディアを、なんとはなしに「ずるい」とすら思ってしまう。
(とんだ誤算だ)
ざくざくと草を踏みしめるつつも、時折ごろりと落ちている木の枝を自分が丁度良くまたいでいることを、エッジは気付かずに歩き続けた。後をついていくおぼつかない足取りのリディアが、その度に少しだけ「よいしょっ」と小さな声をあげることも。
それくらい彼の物思いは深いものだったのだろう。
「ねぇ、エッジ、空がちょっと暗いよ」
木々の間から先ほどまでわずかに見えていた青空が、なんだか薄暗く感じる。
いつものエッジならばリディアよりも先にそれに気付いているはずだった。
「んん?」
ようやく勝手な物思いから解放されたようにエッジは立ち止まった。
上へ上へと向かって伸びやかに緑を彩る枝が重なり合った隙間から覗く空。
雲が白く霞ませながらも穏やかな空気が似合う、暖かな陽射しと広がる爽やかな青。
それが、少しずつ色味を変えてきていた。
「・・・ああ〜、こりゃまた」
まいったな。
トロイアで雨なんて今まで見たことがない。
エッジは空を見て、小さく舌打ちをした。
「散歩は中止かもなぁ〜」
「雨降っちゃう?」
「みたいだな」
「どうしよう」
「町まで」
走るか、とエッジが言おうとした途端、ぽつりぽつりと空から水滴が落ちてきた。
「冷たい!」
リディアはちょうど鼻の頭に攻撃をくらい、首を振りながら手で拭う。
「ありゃりゃ・・・思ったより雨脚が早かったな。しょーがねーな、こっち、ついて来い」
「どこいくの」
「いいとこ」
きっとローザがその場にいたら「エッジが言うといやらしいのよねぇ〜」なんて笑うだろうが、リディアは素直に「いいとこって、どこだろ」と思うだけだった。

数十秒後、二人は雨から身を守る場所になんとか辿り着いた。
生まれて初めてリディアが見るほどの大きな木の洞(ほら)に飛び込んでようやく息をつく。安心したところで、もう一回溜め息まじりの息を吐き出してからリディアは、少しだけ濡れてしまった髪をかきあげた。服にはぽつぽつとだけ雨が落ちて来て、文字通り水玉模様になっている。
「はぁ〜!あんまり濡れなくてよかったね」
「だな」
外は、しとやかではあるがすぐには止まなさそうな雨の音で満ちていた。
洞の中で聞くその音は、室内で聞く音とも外で聞く音とも少し違う。
こもっているのに耳の奥で響く。その初めての音をしばらくの間黙って二人は聞いていた。
リスなど木を住処にする小動物達はいつもこんな音を聞いているのだろうか、とリディアはふと思ったけれど、すぐに興味はその「場所」に移ってしまった。
「すっごい大きな木ね」
「とっくに寿命が来てるけどな」
リディアが両手を必死に広げても外周の半分にもならないほどの太い幹を持つ大樹は、すっかり朽ち果ててからからに乾いていた。今はこうやって雨宿りも出来るが、あまり雨を含めばそのうち腐るかもしれないな、とエッジは言う。
「子供達が遊んでいるんじゃねーか?こんな綺麗に外側はげて中に入れるなんてさ」
「エッジはどうやってここみつけたの?」
「あ、お前、気をつけろよ。乾いてるから木っ端で足とか切らないよーにな」
「はぁ〜い」
リディアは言われたとおり、注意深く足元、壁(とはいえ木の空洞であるからどれもこれも木なのだが)に触れ、ゆっくりと腰をおろした。結局エッジからはリディアの問い掛けの返事がなかったけれど、そんなことはもう、どうでもよいことだった。

それからしばらく二人は雨の音を聞きながら、ぽつぽつと近況の報告をしていた。
とはいえ幻界と人間界では時間の進み方が異なる。リディアにとっては前回エッジと会ったのがかなり前だと思えても、エッジの方はそういうわけでもない。
本当のところエッジは毎回、あまりリディアに報告をすることなぞない。けれど、時間差をわざわざ感じさせることを口に出したくない。間違いなくリディアは悲しい顔を彼に見せることだろう。
だから、こうやって二人きりでしみじみ話をする以外にやることがないデートなんてものは、今迄避けていたのだ。
リディアが一通り「幻界での最近の出来事」をエッジに話している間には、未だ雨は止まず、わずかに強さを増すほどだ。
「エッジは、なんかないのお?変わったこととか」
「ん〜、そっだなぁ、エブラーナはなぁ〜・・・」
どうにか話題を絞り出そうとしてうまくいかず、少し語尾を伸ばし気味に時間稼ぎをしたその時。
「・・・ん?」
人の気配に勘付いてエッジは体を強張らせた。
そっとリディアの体を洞の奥に押しやると、外の様子を覗きにゆく。
ぱしゃぱしゃと雨が草木や地面、水溜りに打ち付ける音に混じって、人の足音。
(一人だな)
雨の中だというのに慌てた足音ではない。けれども、決して一定ではない、奇妙な足取りがその音から伺える。
エッジが目を凝らして遠くの茂みを見ると、人影がちらちらと動いた。そのシルエットで女性であることはわかる。
「エッジ?どうしたの?」
もどかしそうにリディアはエッジの服の裾を後ろからひっぱった。そちらへ視線は動かさないままエッジは答える。
「誰かいる」
「声かけて雨宿りさせてあげたら?」
「いや、ちと、様子が」
無防備にもひょいとリディアが顔を出す。
その好奇心旺盛さには時折エッジも予想がつかない場合があって困り者だ。
「おいこら!」
リディアが顔を出すとほぼ同時に、人影は茂みをかきわけてこちらに姿を現した。どうやら30代後半くらいの女性らしい。
「雨の中、どうしたんですか?こっち来るといいですよぉ〜!」
まったく、もう少し警戒心を持ったらどうなんだ、とエッジは思う。何かがあったら、とそっとエッジはいつでも武器を取り出せるように手を腰のあたりに動かした。それはリディアにはまったく気付けないほどのわずかな動きだ。
ぱしゃん、とまったく普通の足音をたてて現れた女性は、まったく止む気配がなく降り続ける雨に打たれながら手に小さな籠を持っていた。後ろで束ねた髪は雨で細くなり、顔の両脇に流れてくる半端な毛は雨で張り付いている。
雨で視界が悪くなっていたのだろう。数歩前に出てリディアとエッジの姿をようやく確認したらしく、ぐい、と目に入る雨をぬぐって小さな笑顔を返してきた。
「ありがとう。でも、大丈夫ですから」
そう答える息は少しあがっている。雨具を着ていないことから、リディア達と同じように雨が降る前からこの森にいたのだろうと推測できた。
「・・・それ、熱冷ましの」
エッジがぼそっと呟いた。彼女は「はい」と頷く。
エッジの言う「それ」が指しているものが、彼女の籠から覗いている、雨に濡れた草だということをリディアが気付くのにはかなりの間があった。
「えっ、何。その草、薬草か何か?」
「熱冷ます草だ。絞り汁飲むんだよ。本当は煎じて茶にするんだけどよ、熱が出てっときは大抵そんな暇はねぇからな。トロイアにも生えているんだなぁ」
「えっ、えっ、そしたら、あの、誰か熱出してるの?それでここに?」
「ええ、うちの息子が。今、お医者様が月に一度のとなり村への訪問にいっていらっしゃるものですから、うちでどうにかしないと。それで、まだこれじゃ足りないから、だから、雨宿りはいいんです。誘ってくれてありがとう」
そう言って律義に頭を下げると、女性はまた茂みにがさがさと入っていった。
あ、やばい。これは、弱いパターンだ。
エッジがそう思った瞬間、予想通りリディアが
「ねえ、エッジ!あの草、わたしでも見分けついて摘めるかしら?」
「・・・ほらきた」
「ねえったら」
「そりゃ摘めるけどよ。結構骨が折れるんだぜ?木の根元一本一本見て歩かないとみつかんねーんだ。大変だ」
「大変なら尚更助けてあげなきゃ!」
「つっても・・・」
「もーいい。エッジったら薄情者〜。エッジは雨宿りしていて。わたし、行くから」
そう言ってリディアは木の洞から飛び出していった。
「おいおい、まて、リディア!」
ほれ、みたことか。
まったく、薄情者とはリディアも言うようになったものである。
エッジはただ、服が濡れてはリディアが嫌なのだろうと思って躊躇していただけだというのに、その言い草はずるいだろう。
(ま、こういうところが変わらないってのは、あいつらしくていいもんだ。ちと面倒だけどな)
エッジは軽い舌打ちをしてリディアの後を追いかけた。

ようやく絞り汁がどうにか取れるほどの量に薬草がなった頃、リディアもエッジも、これ以上はないというほどずぶ濡れだった。
女性は同じくびしょびしょのまま頭を何度も何度も下げて、帰路を急ぐ。トロイアの町外れに住んでいるから、いつでも寄ってくれれば礼はする、との一言を忘れない。
二人は彼女の後姿を見送ってから顔を見合わせた。
あまり粒が大きくない静かな雨でも、リディアの新しい服全体を濡らして色を変えてしまっている。
こうなったらどうしようもない。洞に戻ったところで、冷えて風邪をひくのがおちだ。
「俺たちの方が薬草の世話になっちゃかなわねーかんな」
全身濡れねずみ状態で二人はトロイアの宿屋に行って部屋をひとつ借りた。
湯を沸かしてもらい、ひとまずリディアに湯浴みをさせる。
エッジは腕にじゃらじゃらつけていた装飾具をひとつ宿屋の主に渡して、服が乾くまで着られるものを調達するように頼んだ。
金を持っていないわけではない。しかし、なんだかんだでエッジも疲れている。
何をしたら何ギル、なんていうかけひきをするのも面倒だ。明確な金額で取引をするよりも、こういうやり方が面倒ではなくてこんなときはてっとり早い。
(俺も、なんだか偉い人間っぷりするようになっちまったなぁ〜)
決してエブラーナの財政は良いものとはいえない。それでも、身分に見合うようなそういった「やり方」を覚えてしまった自分のことを考えて、エッジは自嘲気味に笑った。
こんな自分をリディアに見せたくない。
痛烈にその思いを噛み締める。
リディアにはいつだって「エッジ相変わらずだね」と言って欲しいし、そういう自分でいたい。
二人をとりまく環境や、そこで経た月日によって変わっていく自分とか。
(これ以上、俺がいないところ、あいつがいないところで、変わりたくねぇもんだ)
それが、どうしようもない抗えない願いだとエッジは知っている。
部屋の窓から外を見ると、しとしとと雨は降りつづけていた。
柔らかな雨。
まったく、忌々しいもんだ、と小さく舌打ちひとつ。
会った日はいつでも楽しくいようと、手を繋いで、どこかに行って、リディアが見たことがないものを見せて。
とにかく笑い合って夢のような一日があっという間に過ぎてしまい、じゃあまたな、と別れて、各々の場所に戻って。
それがいいと思っていた。幻界に行ってしまったリディアを人間界に少しでも、自分の元に少しでも繋ぎ止めておくために。
こんな風に雨で閉じ込められた二人の空間は、初めてだ。
ぐるぐると考えるのはリディアのことばかりで、まったくもって今日はエブラーナ王子の休日に相応しいと言うべきか。
「エッジ〜、お湯はっといたわよ!」
そんなエッジの物思いを打ち破るように、明るいのびやかな声と共に部屋の扉が開かれた。
それまでの時間、エッジにはあまりに短いものに感じられたが、実際は相当経っていたのだということにすぐに気付き、慌てて明るい表情を作ろうと努力をした。
「おう、ありがとさん」
ちょっとだけくたびれた、頭からかぶるだけの茶色の寝間着を着て、リディアはタオルを首に、頭に無造作に二枚かけて入ってきた。
「じゃ、ちと行ってくるな」
なんだか一緒に暮らしているみたいだ、とエッジは苦笑を見せた。
リディアの方は全然そんなことを思いもしないかもしれないが。

エッジが戻ってくるとリディアは窓の傍に丸椅子を引っ張っていって、濡れた髪もそのままで外を見ていた。
リディアは振り向いてエッジを見ると「おかえり」と小さく言って笑顔を見せた。
「雨、止まない」
「ああ・・・。悪い日にあたっちまったな」
「ついてないなぁ〜・・・でも、幻界は雨降らないから、たまにはいいかもね」
そう言ってリディアはまた窓の外の景色を眺めた。
リディアの髪の先から水滴がしたたって、ぽたりと床に落ちる。
よく見ると木の床のあちらこちらにリディアが振りまいたらしい水滴跡があり、色を濃く変えていた。
「お前、まだ髪濡れっぱなしじゃねえの。よく拭けって」
「うん。でもね〜髪の量が多くて、なかなか乾かないの」
「ちげーよ、ちゃんと拭かないからだ。よこせ」
「何?」
エッジは少し乱暴に、リディアが肩にかけていたタオルをひっぱった。リディアの抗議の声には耳も貸さず、それを緑の髪にかぶせる。
「やだ、タオル濡れてるよう」
「お前の髪よっか濡れてねぇよ、おとなしくしてろ」
「エッジだってまだ髪濡れてるじゃない」
「俺のはすぐ乾く」
そう言ってエッジはリディアの髪を拭き始めた。
人の髪なんて拭いたことがない。こすっていいのか、叩けばいいのか、なでればいいのか。
まったく要領を得なかったけれどエッジはリディアの髪をタオルで包んで揉むように指を動かした。
ふと見れば外套掛けに、濡れたリディアの服が掛けられている。
「・・・結局濡れちまったな」
「え?何?」
「新品だったんだろ、服。すげー可愛かったのに、濡らしちまったな」
エッジがそういうやいなや、リディアはぐい、と頭を背中側にそらして、後ろに立っているエッジをさかさまに見上げた。
「・・・エッジ、もう一回言って!」
「はぁ?」
「もう一回」
「な、何が」
呆気に取られてエッジはどもる。どもりながらも、リディアの髪を拭く。
背もたれがない丸椅子のため、随分リディアは不安定な姿勢だ。それを見て「こいつってば、思ったより背筋あるなぁ」なんて意味がないことをエッジはちらりと考える。
「服」
「濡らしちまったな」
「そこじゃないの」
「えーと」
可愛いのに。
そんな恥ずかしいこと、もう一度言えるか。
そう思いつつ、エッジはさかさまで真剣な表情のリディアを見下ろした。
(・・・こいつ、デコ全開)
見慣れないリディアの表情。
これは、彼女が成長したからではなくて、間違いなく今まで見たことがなかっただけの顔だ。
そう思うと突然エッジの胸のあたりにリディアに対する愛しさが押し寄せてくる。
まだ、自分が見たことがない表情がたくさんあるのだろう。
一緒に旅をした時間は思っていたよりもとても短くて、けれども、その短さを感じたのは別れた後だった。
これから先の自分の人生とか、今までの自分の人生とか、それらのものを考える余裕が出来てから気付いたことだった。
リディアはどうなのだろう?自分と同じように感じたことはないのだろうか?
エッジは見下ろしたままでリディアを見つめた。
「ねえ、も一回言ってよぉ」
そういってだだをこねるところは、女性なのか少女なのか区別がつかない。
つかないけれど「リディア」だと思う。
「・・・ん〜」
曖昧に返事をするエッジ。
さかさまになっているせいか、リディアのふっくらとした下唇がやたらと彼の視線を引く。
やばい。
今まで何度だって我慢していた口付けを、今日もまた我慢出来る自信なんてない。
好きで好きでしょうがなくて、一国の主−まだ戴冠式前ではあるが−が執務の予定をどうにかこうにかやりくりしてまで会いに来てしまうほど惚れ込んでいる女が目の前に無防備にいる。
それは、どれほど重大なことなんだろうか。
もし、口付けを咎められて、そんなことを説明したってリディアにはわかるはずもないだろう、とエッジは思う。
エッジはゆっくりとリディアの顔を覗き込み、覆い被さるように顔を近づけた。

ぽたり。

リディアの眉間に狙いすましたようにエッジの髪から水滴が落ちた。
「キャッ!冷たい!!」
「うわ!」
がつん。
突然そんな体勢からでリディアが飛び起きたため、エッジとリディアはお互いの額を打ち付けてしまう。
ぶつけた方もぶつけられた方も相当のダメージなのか、いつもならすぐ笑い声になるところなのに、お互いがお互いから離れた。
「いで・・・ででで・・・」
「ううーーーー。エッジぃ〜痛いよおーーー」
エッジは椅子の後ろで前かがみになったまま額を抑え、リディアは椅子からするりと落ちるように床にしゃがんで額を抑えている。
「おま、なんで急に飛び起きるんだよ!」
「エッジこそちゃんと髪乾かしてよ!」
リディアはぐい、とエッジの髪から自分の頬に落ちてきた水滴をぬぐってしゃがんだまま後ろを振り向いた。
「・・・わりー・・・」
そういいつつ絡んだ視線。
唇を小さく尖らせて咎める目つきでエッジを見上げる顔。
それは、今更何をびっくりするんだ、と思うほど、エッジにとっては見慣れたリディアの顔。
「・・・・ぶはっ」
最初に我慢出来なくなって笑ったのはエッジの方だ。
「なーんて顔してんだ、お前!わかったわかった、悪かった!」
そう言って降参のポーズとばかりに両手をあげる。その右手にはリディアの髪を拭いていたタオルが指先にひっかかっており、ぶらぶらと揺れていた。
「でも、ちっとだけお互い様、だっただろ?」
「エッジ」
「なんだよ」
「もー一回、言って」
「・・・あー、降参降参」
前からそんなにいつまでもうじうじと同じこと根に持ってたっけか?
多分、以前のエッジならばそれをリディアに言っていたに違いない。けれど、別れて、離れて、違う時を暮らしてエッジも少しだけまた大人になったのだろう。
そんな風に、何度でもエッジからの言葉を待ち続けて拗ねているリディアを、今は彼も素直に可愛いと思える。
「あの服。似合ってたっつーの。新しいんだろ?」
「なんか、さっきとちょっと違う」
「あのな」
可愛い、なんて何度も言えるか。
口に出しそうになったその言葉を、寸でのところでエッジが止めると、その様子に気付いていないようにリディアはエッジを見上げて明るい口調で言う。
「でも、いい。嬉しい。ありがとう」
「どーいたしまして」
嬉しいなんて言われたら、ついついもう一度、恥かしいことをいいたくなる。
それが柄でもないことにエッジは自分で気付いているため、そこでもう一度喉元で寸止め。
リディアはよいしょ、と立ち上がって、それでもまだ相当の身長差があるためエッジを見上げながら笑った。
「おでこ、痛くない?」
「ああ、大丈夫大丈夫、これしきで泣くおめーとは違うぜ」
「泣いてないもん」
ちょっとだけむきになってそういうと、リディアはすとん、と椅子に座り直して、窓の外を見た。
雨はわずかに弱まっているようで、遠くの空が先ほどよりも大分色が薄くなって明るさを増しているように思える。
「もうすぐ、雨があがるかもしんねぇな」
喜ばせようと思ってエッジが言ったことにリディアは返事をせずに、むしろエッジの語尾に重ねて言葉を遮るように言葉を発した。リディアがそんな風に強引に言葉を割り込ませるのはめずらしいことだ。余程自分の中で浮かんだ気持ちが強かったか、余程エッジに「今伝えたい」と思ったかのどちらかに違いない。
「あのねえ、エッジ」
「なんだよ」
「びっくりしたけど、さっきね」
「うん」
「お部屋の中なのに、雨が降ってきたかと思ったの」
そう言いながらもリディアは窓の外を見ている。いや、正確には窓についた水滴を見ているのだ。それらがつぅっと窓枠の下部に落ちて行く姿を目で追っていることを、斜め後ろから見ているエッジは把握していた。
予想外の言葉にエッジは一瞬呆気にとられて、それから、まるで拗ねた子供のような表情を見せて眉間にしわを寄せる。
「・・・お前さ」
「なあに?」
「ずりー。いっつも、不意打ちでそーゆーこと言って」
「え?」
「なんでそういう可愛いこというんだよ」
そういうとエッジは背を丸め、両腕を伸ばして、座っているリディアを後ろから抱きしめた。
リディアの体を包んで、彼女の胸元辺りでエッジの腕が重なる。そっとリディアの肩にあごを乗せて、まだ少しだけ濡れているお互いの頭をこつりとぶつけた。
腕や上半身に感じるリディアのぬくもり。それは湯浴みの後だから、だとは思いたくない。好きな女の体温に、男はいつだって弱い。もちろんエッジだって例に漏れず、だ。そっと瞳を伏せると、触れ合う場所からじんわりと幸せな感触が広がって、何も考えられなくなりそうだ。
何も言わないリディアに、目を閉じながらエッジは問い掛けた。
「嫌じゃないのか」
「嫌じゃないよ」
「そうか」
「だって、エッジのこと好きだもの」
だから、お前はずるいんだ。
エッジはそう言いたくて仕方がなかったが、リディアを抱きしめる腕に力をわずかに込めた。
その腕にリディアがそっと手を添える。
「あのね、エッジ。嬉しかったの」
「何が」
「エッジに、褒めてもらって」
「・・・やっぱおめーずりーよ」
さらりと「好き」と告げるそのリディアの声音は、少しだけ彼が知らないリディアのものだ。
そっと腕に手を添えてくるそのぬくもりも、少しだけ彼が知らないリディアのものだ。
しかし、嬉しかったことをエッジにわざわざ伝えるそのぎこちなさは、何の変わりもないリディアの言葉だと、心からそう思える。
自分が抱く妙な確信を、エッジは心底信用していた。自分がきっと一番、リディアのことを知っているのだと思うし、そうでありたいと思う。
もどかしい距離と時間に焦りつつ、それでも、知らないところで少しずつ変化を見せて女性になりつつあるリディアが愛しくてたまらなくて、二人きりのこんな状態で何をしてあげればいいのか考えることも出来ないほどだ。
「ね、雨あがったらさっきの人のおうちに、何かお見舞い持っていってあげようよ」
「・・・迷惑じゃねーのかな」
「じゃ、この次のデートの時に」
「それならいいな」
「次は晴れているといいね」
エッジの腕に、甘えるようにリディアは頬を寄せる。むき出しの固い彼の腕に、当然のようにむき出しの柔らかくて温かい頬。
何から何までずるい奴。
そう思いつつもエッジは更に抱きしめる腕に力をこめて。
次のデートで言おう、と心の中でたった今、決めた。
一緒にエブラーナに行こう、と。


Fin

モドル