世界樹の花-1-

手折っても枯れることのない驚くべき生命力を持ったその花は、何度見ても艶やかで、まるで今まさに朝の光を浴びながら花開いたように見える。
その花を見た瞬間に感じた気持ちは、まるで、生まれて初めて虹を見た時のようだとアレクは思った。
いつもはおどけているマーニャも、さすがに冗談でもその花を髪に挿す、なんてことが出来ない様子で、何度も溜息をついては「ほんっと、綺麗ね〜!なんていうの?オーラが出てるって感じ?」と感心をするばかりだ。
自然の理を歪める力すらもつこの花は、百年に一度、世界樹に咲くという。
彼らは、デスピサロをどうにか改心させ、本当の黒幕――デスピサロをも欺いていたエビルプリースト――を倒そうと考えていた。そして、そのためにはもはや、地上にある何もかもが既に何の役にも立たないことを知っていた。
唯一彼らが望みを託したそれは、デスピサロの恋人、ロザリーの復活だ。
成功するかどうかはわからない。世界樹の花の効力は、どんな死者にでも効くわけではないと聞いていた。
寿命をまっとうせずに命を奪われた者で、かつ、死体の腐敗があまり進行していないこと。
それは復活のための最低限の条件だという話だった。
マーニャもミネアも口には出さなかったが、父親の復活を心の中では望んでいるに違いない。しかし、彼女達の父親が死んだのは、もう何年も昔のことだ。きっと、誰の心の中にも、生きていてくれれば、と思える愛しい人がいて・・・たとえば、ブライであれば、若くして不慮の事故で亡くした妻や、トルネコであれば、自分の成功を待たずに病気によって死んでしまった母親など・・・その人々を蘇らせられるならば、と繰り返し思っていたに違いない。
リーダーであるアレクは嫌そうに仲間達に告げた。
「俺は、神様みたいなことを、本当はしたくないんだ」
気球の中で、皆はアレクに視線を集中させる。
「命を選ぶなんて。本当は、そんなこと、したくない。わかってんのに、あのマスタードラゴンは、俺達がそれをすることを望んでいるんだろ?・・・俺は、したくねーよ」
「それでも」
ミネアが諭すように穏やかに口を挟む。
「残念ながら、今の私達には・・・エビルプリーストを倒すほどの力はないのですから」
「わかってるよ」
アレクはそう言って肩をすくめる。
ミネアの水晶に映し出された、もうひとつの「導かれし者」。それがデスピサロであると納得出来るまで、彼らにはとても時間が必要だった。とりわけ、アレクは最後の最後まで否定をし続けていたのだけれど、残念だがミネアの占いの的中率は半端ではない。それは彼もまた身をもって知っていることだ。
占いというものをすべて信じるつもりは彼にはなかったが、この件に関してはもはや誰も否定を出来ないことであるし。
心配そうに彼を見る一同の視線に気付いて、アレクは慌てて無理矢理能天気に叫んだ。
「はいはい、大丈夫、もー弱音はかないからさ!とりあえず今日はもう遅いから、どっかで一泊して、明日ロザリーヒルに行こうぜ!どこがいいか、手ぇあげてー」
「はっあーい。あたしエンドール希望〜」
「姉さん駄目よ!」
「じゃあ、わしはモンバーバラ希望で・・・」
「ブライ様、いけませんよ!」
「もおー、ブライったら、すっかり夜の町が好きになっちゃったんだから」
アリーナがにやにや笑うと、ブライは慌てて何かいいわけをしていたが、それにはまったく耳を貸さないアレク。
「どーせ、駄目っつってもマーニャさんはルーラで遊びにいっちまうんだろーから、エンドールでいっか。もう、すぐそこだし。トルネコ、エンドールで降ろしてくれる?」
「はいはい、わかりましたよ」
本日操縦係のトルネコは、気持ちよくそれへ返事をした。彼だって妻子がいるエンドール行きは賛成に決まっているのだ。

「はーあっ、と、よっく寝たー!」
早朝にアリーナは気持ちの良い目覚めを迎えてベッドの上でのびをした。
翌日のことで興奮をすると寝付けない、というより、興奮をして早く眼が覚めてしまう、というのがアリーナの習性だ。
「さって、こういう時は外のいーい空気を吸うのが一番ね。お外の天気は・・・」
窓を開けると、今まさに明けきろうとしている夜の名残が空にうっすらと広がっていた。
まばらに雲が流れているが、決して天気は悪くない。
それに満足して彼女はさっさと着替えて顔を洗うと、朝一番の散歩にいこうと宿屋を出た。
「おはよーございまーす」
何度も泊まったことがあるためにもう顔なじみになっているアリーナは、宿屋の前で水を運んでいる宿屋の主人に挨拶をした。
「ああ、おはよう。今日は何かあるのかい?」
「は?なんでですかぁ?」
「あの、口が悪いあんちゃんも、早く出かけたもんだからさ」
「えっ?」
「ここを出たと思ったら、なにやら呪文を唱えて消えちまったよ。朝飯までには帰ってくるのかねぇ?」
「・・・」
口が悪いあんちゃん、とはアレクのことだ。
まったく、彼と来たら勇者様と呼ばれるに相応しくない口の悪さで、ライアンなぞ出会い頭に「おっさん、何?」なんて聞かれて驚いていたほどだ。
アリーナはアレクが一人でどこかに―それもルーラの呪文で行くほどの場所だ―行ったのだと瞬時に理解をした。それは、散歩なんていうものではない。立派な「お出かけ」だ。
普段であれば「別にいっか」と気にしないところだが、ほんの少し。そう、ほんの少し気になることが彼女にはあった。
世界樹の花を手に入れてからのアレクの物思い。
多かれ少なかれそれは仲間達がみんな気付いてはいることだった。
きっと、アレクも生き返らせたい人がいるんだろうなと思いつつ、誰も深くは追求しなかったけれど。
しかし、アリーナだけは唯一、アレクが誰を生き返らせたいと思っているのかを知っていた。
(きっと、アレクは、シンシアさんを)
わかっていたけれど、それを自分の口からアレクに確認をすることなんて出来なかった。それは、とても残酷なことだ。
アレクにとって?
いいや、アリーナにとっても。
「あれ?お嬢ちゃん?」
宿屋の主人の話を聞くやいなや、アリーナは慌てて部屋に逆戻りした。行かなくちゃ。どうしてそう思うのかは彼女自身よくわからなかったけれど、気持ちが急いて動かずにはいられなかった。
自分が好きになってしまった勇者の心の中には、決して年をとらない、綺麗な思い出の中の女性がいる。
それでも、好きになった以上はしかたがない。生きている自分は、生きている彼のために能動的に何かをしてあげたいと思ってしまうのだから。


朝食の席にアリーナはいなかった。
エンドールの宿の一階は、夜は酒場、朝から昼は食堂、と大きな空間をもてあますことなく使っている。
ライアンとトルネコが顔を洗っている間に、マーニャとミネアはさっさと席について朝食の用意をしている。
宿屋のおかみさんが大皿にパンケーキとサラダを大雑把に盛って置いていく。
マーニャはピッチャーからグラスにオレンジジュースを注いだ。
「アリーナ?寝ているんじゃないの〜?あっ、ミネア、パンケーキ二枚よそって頂戴」
「いえ、部屋にいらっしゃらないんです」
姫様を知りませんか、とクリフトが皆に聞くけれど、誰も知るはずもない。
「じゃ、散歩じゃない?・・・ちょっとミネア!あたしのパンケーキに蜜かけないでよ!」
「昨日、朝はだるい、頭回らない、とか文句いってたでしょ。糖分ちゃんととらないからよ。姉さんはわたしと違って、これっくらい食べたって大して太らないんだからいいでしょう。あんな風にだらけられちゃ、迷惑よ」
「今日は木イチゴのジャムかけたかったのよっ。ネネさんが昨晩持ってきてくれたんだからぁっ」
とりあえずこの姉妹には聞くだけ無駄だったようだ。クリフトは深い溜息をついた。
トルネコもライアンも知らないというし、宿屋の近くをブライが探しているが・・・
「大丈夫ですよ。アリーナだって子供じゃないんだし」
ミネアも特に慌てた風もなくパンケーキを食べ始めている。
「でも、何をしでかすかはわからないじゃあないですか・・・そうだ、ミネアさん、姫様の居場所を占ってもらえませんか?」
「えっ・・・あのぅ、出来ればお腹が減っている時とお腹がいっぱいの時はしたくないんですけど・・・」
困ったようにミネアがそう言った時、アレクがのっそりと姿を現した。
「おはよーっす。お、今朝はパンケーキか。ここの宿のパンケーキうめーんだよね」
「おはよ、アレク。ネネさんからもらったジャムがあるわよう。ところで、アリーナ見なかった?」
マーニャはさらっと聞いた。なんだかんだいいつつも彼女だってクリフトの気持ちを無視しているわけではないのだ。
「え?アリーナ?見てないぜ。いないの?」
「はい、姫様もこちらのパンケーキはお好きですから、いらっしゃらないわけはないんですけど」
「ちょっと待ってな。宿から出たならおやじさんが知ってるかもしんないだろ」
「あっ、そ、そうですね!」
これだから神官は頭かてーっての。そう茶化しながらアレクは宿帳をチェックしている宿屋の主人のもとへと行った。
「おっちゃん、あのさ、三角の帽子かぶった、俺たちの連れの女の子見なかった?」
「うん?あのお嬢ちゃんなら、朝早く出かけていったよ。まだ戻らないのかな?」
「どこに?」
「さあてねえ。やたらと早い時間に会って、お前さんが出かけた話をしたら、なんだか偉く慌てたように準備して出ていっちまったけど」
「はあ?俺が出かけた話?」
「そうそう。口の悪いあんちゃんが出かけたよ、ってな」
「確かに俺は口が悪いけどさー・・・どこに行ったかは、わかんねーんだよな?」
「ああ。ほら、お前さん口が悪いねぇ」
「生まれつきだよ。ありがとよ!」
アレクはそう言って少し考え込んだ。宿屋の主人は「生まれつきのわけがあるかい」と笑っていたけれど、その声はもう彼の耳には届いていない。
(まいたな。あいつ、案外勘がいいからなぁ・・・)
ちょっと、嫌な予感がする。
アレクは食卓につかずに、大股でずかずかと出口に向かって歩きながら叫んだ。
「おーい!クリフト、俺ちょっと出かけてくるからな!」
「は?アレクさん、ど、どこへ・・・」
席に座っていたクリフトは、がたんと椅子の音を大きくたてながら立ち上がる。思ったよりも大きい音が鳴ったため、しまった、と周囲を見るが、誰一人気にもとめていないようだ。もちろん、そんなクリフトの様子をアレクだって見てはいない。
「んじゃ!すぐ戻る!」
そういってアレクは宿屋の外に駆け出した。ちょっと待ってくださいよう、とクリフトがその後を追いかけてくるけれど、アレクは振り向きもしないでさっさとルーラを唱えてしまった。
目の前で逃げられてしまって、クリフトは軽く口を尖らせる。
「あー、もお、アレクさんってば!」
「放っとけば?きっとアリーナの居場所わかったのよ」
「だったら別に一緒に・・・」
「一緒に行かなくてもいいでしょ?いちいちさ」
「そーですけど・・・」
「そんなことより、オムレツ切ってよそってよ。気が利かないわね」
マーニャはそういって、蜜と木いちごのジャムをのっけたパンケーキをぱくついた。
「まったく、もう、アリーナの保護者はあんた達じゃないってのにね」
「は?マーニャさん、何か言いました?」
「あー、こっちのことこっちのこと」
「もぅ、姉さんったら・・・」
「だってそうじゃない」
ミネアはマーニャの言葉に反論せずに、サラダを皿によそってマーニャに渡した。


アレクはブランカの城下町にルーラの呪文で移動をして、それから仕方なく魔物達を朝からねじ伏せつつ北東にと向かった。ええい、面倒だ、とトヘロスを唱えるけれど、むやみに朝から魔法力を消耗したくない、というのも本音で、悩むところだ。
早朝にも来た道をまた行くのか、と思えばうんざりしたが仕方がない。
何故自分は自分の生まれ故郷にルーラで行けないのだろう、と幾度となく考えた。
その答えはひとつしかなくて。
今のあの村を、アレクは未だに故郷の村だと認識することが苦しいのだ。
姿形が変わっていても、自分がそこで生きてきた思い出はきちんと体の中にあるのに。
そう思えば歯がゆい気持ちにもなったし、自分の弱さを突きつけられているような気がしてアレクの表情は自然と険しくなった。
やがて、アレクは自分の生まれ故郷の村に足を踏み入れた。
今朝もやってきたこの場所は、彼が出て行ったあの運命の日からかなり変貌していた。
村をぐるりと囲んでいた木々もあの日にあれほど焼かれてしまったのに、既にぼうぼうと繁っていて、建物があった場所にまでその枝を伸ばしている。あの当時自分の家があったはずの瓦礫の下からも雑草たちがにょきにょきと生えている。
草木の生命力にはいつも驚かされるが、こんな風にみせつけられることになるとは思ってもみなかった。
今朝はここに来て、ぼんやりと考えていた。
村のこと、シンシアのこと、デスピサロのこと、ロザリーのこと。そして、自分の生い立ちのこと。
「あっれ、いねーな」
勘が良いアリーナが、アレクがここに来たことを知って後を追いかけたのではないかと思い、再度ここに来たわけだが、どうやらそれはアレクの勘違いだったらしい。
廃墟をぐるりと歩き回って、食糧などを昔保存していた地下室を覗いたけれど人っ子一人どころか山の生き物だっていない。
「じゃ、どこだ?サントハイムにでも行ってるのか?」
よし、サランにルーラするか・・・と、そう思ったけれど、それは違う、とアレクの勘が彼自身に告げていた。
村にアリーナは来ていない。が、第一、アリーナはここの場所を知っていたのだろうか?
アレクは眉根をよせて瞳を閉じた。
今までの旅でアリーナと話した様様な場面を思い出す。
その中で、自分が彼女に故郷のこと、シンシアのこと、何を話したのかを必死に彼は手繰り寄せようとしていた。


「俺の村はさ、山奥にあって・・・村の人たち以外と出会うこともないよーな、山奥だったんだ」
アレクってどこから来たの?という素直なアリーナの問いに、アレクは負けた。
あまり人には話したくないと思っていた。思っていたけれど、そう伝えることは、この、根が素直でお人よしのお姫様を悲しくさせるような気がしたからだ。
「そうなの」
「だから、正直、お姫様とか言われてもぴんとこねーし、王様が国を治めるとかそーゆー政治っぽいこともよくわかんないんだよね。だって村のみんなは、全員でなんでも話し合って決めてたしさ」
ってわけで、アリーナとかにも普通に接してるけど、別に構わないだろ?そう聞くと、アリーナは頷いて笑った。
「そっか、だからアレクって勇者なのにいっつもみんなと話し合うんだね。なんかさぁ、勇者って、自分一人でなんでもやっちゃうような気がしてたんだけど、そーじゃないもん」
「俺、おかしいかな?」
少しばかりひるんだように、アレクはそう言った。
あまりにそれが、普段の彼に似つかわしくなく思えて、アリーナは笑う。
「おかしくないよ!あたしはアレクのそういうとこ、好き。だって、勝手になんでも決められちゃったら、あたし絶対怒っちゃうもんね」
「はは、アリーナらしいな」
「山奥の村か。でも、どこかの国の領地なんじゃないのかな」
「うーん、ブランカなのかな、あそこって。でも、別にどっかから税の取り立てがあったりはしなかったし」
「違うのかな。でも、どの国でもない場所って絶対あるよね。海なんか多分そうだし。サントハイムはあの大陸全体が自分達の国だと思っていたし、ボンモールとかエンドールみたいにわかりやすい境界線があればいいけど、ブランカみたいなところだとどこまでが国なのかわかんないよね。砂漠とかあるじゃない?」
「だな」
「へー。そこら辺からアレクって来たんだ、じゃ、物知らずでもしょうがないね」
「お前に言われたくねーよ!」
そう言い合ってから、顔を見合わせて二人は笑った。
俺も、アリーナのこういうところは好きだな、と思いながらアレクは彼女の帽子をぽんぽんと叩いた。


―――そうだ。俺は村の話をアリーナにはしていた。
アリーナに聞かれれば素直に答えたし、シンシアの話もした。
村に、幼馴染の女の子がいたんだ、って。でも、デスピサロに村を襲われて、死んだんだ、って。
アリーナだけには、話していたんだ。


考えてみれば、アレクをひっそりと育てるためにあの村は人里離れ、旅人すら寄せ付けないような場所にあったのだし。
そこにアリーナが一度で辿り着けるはずもないのだ。
アレクはそれから村から南下しつつ、人が歩いた後がないかどうかを探していた。
やがて、山奥にひっそりと住んでいる木こりの家にアレクは辿り着いた。
そこは1、2回来たことがあるだけの家だったが、とりあえず寄ってみようと思ったくらいであったのに・・・。
「・・・あー・・・」
「おう、こまっしゃくれた坊主」
「アレク!」
「お邪魔するぜ。アリーナ、どーしたんだよ」
犬に吠えられながらドアを開けると、そこにはお茶を飲んでいるアリーナの姿があった。
「どーしてこんなところに」
いつからそこに住んでいるのかは誰も知らない、髭を生やした仏頂面の木こりは苦々しげにアレクに言った。
「まったく、この嬢ちゃんときたら、知らない場所を歩くにも山は気をつけないといけないってことを知らないらしい」
「アリーナ」
「えへへ、ごめんね、アレク。道がわからなくなって、木はものすごっく繁ってるし、朝陽が入ってくる方角もわからなくなっちゃって困っていたらこのおじさんが助けてくれたの」
「キメラの翼は」
アレクの声は、少しぶっきらぼうだ。
「来る分しかなかったから、ブランカで買おうと思ったんだけど、朝早いからまだ閉まってて」
そう言って照れ笑いをしてみせるが、アリーナはアレクがちょっとだけ怒っていることに気付いた。
アレクは口は悪いけれど、仲間を本気で怒ることはあまりない。基本的に彼は人を非難することが嫌いな人間だ。
しかし、やはり共同生活で旅をしていれば色々問題もあって、アレクが怒ることもアレクが怒られることも今までに何度も経験してきたものだ。だからアリーナにはわかる。
「・・・ま、無事でよかった。なんで呑気に茶を飲んでるんだよ」
「一杯飲んだら、ブランカまでこのおじさんが送ってくれるって言うから」
かたん、とふちが少しだけ欠けたカップを木のテーブルに置いた。
「朝飯も食わないでうろちょろしていたらしいから、茶の一杯くらい飲ませてやってもいいと思っただけだ。こいつが来たならブランカにいくこともないだろ。ほら、さっさと帰りな」
「うん、おじさん、ありがとう」
アリーナはそう言って椅子から立ち上がり、テーブルに置いていた帽子をかぶり直した。自分が使ったカップをどうすればいいか、なんて彼女は聞くわけもない。
お姫様だってのは、本当らしいな、と木こりは苦笑をして呟いたけれど、アリーナには聞こえなかったらしい。
「おら、坊主も帰りな。こっちは朝から仕事が中断してるから、やることが溜まってるんだ」
「ああ、悪かったな。おっさん。アリーナ行くぞ」
アレクはそう言って、アリーナに手を差し出した。
突然のその手に少し驚いたように、アリーナはしばらくアレクの大きな手の平を見ていた。
「なんだよ」
「う、ううん」
ちょっとだけ躊躇いがちにアリーナは自分の手をアレクの手に乗せる。ぐい、と強引なくらいの力で引っ張られながらよたよたと木こりの家を出てゆくのだった。


「ねー!アレクー!どこいくの、ルーラで、エンドールに戻らないと・・・」
「・・・」
「アレク!」
「・・・」
「怒ってるの?ね、なんとか言ってよ!」
手を引っ張りながら歩いていくアレクの歩幅についていくのには、少しだけ早歩きで追いつかなければいけなかった。
彼はなんの躊躇もなく山道を歩いて、がさがさと木々をかきわけていく。
「きゃっ!」
「どうした」
「か、髪・・・」
アリーナの声でようやくアレクは立ち止まった。見れば、アリーナの栗色の髪の毛が、細い小枝にひっかかっている。それでなくともアリーナはちょっとばかり背の高い帽子をかぶっているから、こういった山歩きには邪魔になりがちなのに。
それまで握っていた手を離してアレクはアリーナの脇に回る。
「あーあ、ちょっと、待ってろ」
「うん」
「絡まってるぞ」
「朝慌てていたから、髪なんて何にもしなかったの」
「アリーナって、そういうの苦手だよな」
「うん。ほんとは短く切った方が楽なんだけど、お父様が・・・」
「・・・」
「亡くなったお母様が、わたしの髪を梳かすのが好きだったから、短くするなって」
「そうか・・・取れたぞ」
「ありがと」
そういえば、アリーナのお袋さんはいないんだった。
アレクは今更にそのことを思い出して、それは、聞いてもいいことなのか少しばかり悩んだ。
聞いたからといって何が変わるわけでもない。人は、人に聞かれたくない過去だってある。
それを思うと、アレクは誰にも何も聞けなくなる。聞いてしまえば、矛先が自分に帰ってくることも知っているし。
人からの問い掛けに答えたくないとずっと思っていた。村のことは話したくない、シンシアのことも話したくない。
話せば、泣いてしまいそうだったから。
やがて、アリーナにそれを聞くタイミングを綺麗さっぱりと逃してしまって、アレクは小さく溜息をついた。
「行くぞ」
「だ、だからどこに・・・」
またアリーナは聞くけれど、アレクは手を再び差し出すだけだった。
いつもならそこでアリーナもまた癇癪を起こしてしまったかもしれない。
けれど、今のアレクはとても静かに、悲しそうに怒っているような気がして、アリーナは差し出された手を握り返すことしか出来なかった。
がさがさと茂みや横に伸びてくる木々を掻き分けると、細くて強い枝はしなってもう一度はね返ってくる。
いてて、と呟きながらも、それがアリーナにぶつからないように注意をしながらアレクは歩いた。
昔、村から抜け出る秘密の抜け道を茂みの中に作った。そして、その中をこうしてシンシアの手を引いて、かばいながら歩いた記憶がある。
シンシアの細くて白い手の甲に枝がつけた赤い跡が見えた時、自分の配慮が足りなかった、と悔やんだ思い出。
それが突然思い出されて、アレクの歩調は少し緩んだ。その途端にアリーナは歩きやすくなったらしく、ほっとした空気が背後から伝わってきた。
(かっとなっちまってたな・・・)
まだ子供な自分を悔やみつつも、アレクはアリーナの顔を見ることが出来ない。アリーナもまた、アレクが怒っていることを感じているために、何も言わずについてくるだけだ。
「なんで、ブランカに来たんだ」
どれだけ歩いてからだろう。
ようやく、アレクは後ろからついてくるアリーナに質問を始めた。
やっぱり聞かれるのね、とばかりにアリーナは嫌そうな顔をしたけれど、それは当然彼には見えない。
とはいえ、嫌な質問でも、このまま無言で歩かれるよりは余程ましだ。
「アレクが出かけたって聞いて・・・。なんだか、不安になったの」
「不安?」
「世界樹の花を・・・使うんじゃないかって」
「なんで」
「シンシアさんっていう、幼馴染がいたって話してくれた」
「ああ」
茂みをかき分け、アレクはまた歩調を速めた。
さっきゆっくりになったのに、と不平を漏らしそうになりながら、アリーナはそれについていく。
「その人のこと、アレクは好きだったんだろうって思ったから」
「・・・」
ぴたりとアレクの足が止まる。突然のことで、アリーナは前のめりになりながらアレクの背中に軽くぶつかった。
「きゃ!ちょっと、アレク」
「・・・」
「アレク、怒ったの?ねえってば」
振り向いてもくれないアレクに痺れを切らして、アリーナは後ろから背伸びをしてアレクの肩越しに彼の顔を覗こうとした。すると、アレクは突然、それまでとまったく関係のない単語を呟いた。
「ここ」
「え?」
「ここが、俺の生まれ故郷だよ」
「・・・!」
目の前に突然村が・・・という姿を想像していたアリーナは、アレクが彼女に指し示した「ここ」の姿を見て驚く。
そこにあるものは、村ではない。
遠い昔に村だったのかもしれない、廃墟だ。
建物はひとつも、その役割を果たす形を残していないし、生き物がいる気配もない。
この場所にいた人々が、山奥を抜け出して村をそのまま放置していって。
長い時間、それこそ何百年もの時をかけて雨風が浸食していったとしても、こうはならないだろう。
「これは、デスピサロがやったことだぜ」
「デスピサロが・・・」
「こんなさ、固いモンが、こんな有様だ」
がつん、とアレクは近くに残っている建物の土台を蹴った。
アリーナはあたりをきょろきょろを見渡していた。瓦礫の様子を見れば、いくつ家があったのかは数えられる。けれど、そのどれも人が生きていた時の姿を彼女に想像させることが出来ないほどに形を保ってはいなかった。
「そしたら、こいつらよりモロい、人間の体なんて、さ。だーれの死体も、みつけることが出来ねーんだもん」
アレクのその言葉にアリーナは眉をひそめ、唇を噛み締めた。
寿命をまっとうせずに命を奪われた者で、かつ、死体の腐敗があまり進行していないこと。
ここで行われた殺戮の後では、後者を満たすことなんて、出来やしないのだ。
アレクは暗にそれを言っている。それはアリーナにも伝わった。
「アレク・・・」
「俺が世界樹の花を使うかもしれないって、心配してたんだろ?安心しろよ。無理なんだ」
「・・・」
「百年に一回しか咲かない花をさ、こんなとこで使っちまって、ロザリーを復活させられなかったらどうしようって、思ったんだろ?心配かけて悪かったな。そんな心配しなくたって、いいぜ。どーせ、俺の村の人たちは選ばれなくて、ロザリーは選ばれたんだ」
「アレク」
「そーゆーことだよなぁ・・・」
そう言ってアレクは肩をすくめて見せた。その表情は、あまり今までアリーナが見たことがないものだ。
とてもアレクは傷ついているのだろう。わかっていた。わかっていたのに、ここに来て自分の目でもう一度確かめて。
誰の遺体だって残ってやしない。それでは、無理なのだ。
が、アリーナは少しだけ拗ねたような表情で、上目使いでアレクをみつつ反論した。
「・・・アレク、でも、わたしが心配して来たのは、そーゆーことじゃないよ」
「え?」
「ロザリーさんを復活させられなかったらどうしよう、なんて思ってなかったもの。だって、その時はその時じゃない。今までだってどーにかなったんだし。わたしが心配してたのは・・・」
「・・・」
「アレクが、シンシアさんを生き返らせようとして、そして・・・世界樹の花を使っても生き返らなかったら、どれだけアレクが悲しい気持ちになるのかって思ったからだよ」
アレクはアリーナを見つめた。
「アリーナ」
「わかっていたって、みんな期待しちゃうもん。わたしだって、もしかしてお母様を生き返らせることが出来るかもって思う。お母様は若くて、何も悪いことしないのに死んじゃったんですもん。でも、本当に世界樹の花を使って生き返らせようとして・・・やっぱり生き返らなかったら、すっごい悲しいと思う。わかってても、悲しい。もう二度と帰ってこないんだ、ってちゃんと心の中でわかっていたはずなのに、もう一度その気持ちが、なんか、ひっくり返されるような気もするし」
今まで、アリーナがこんな風に自分の心の中を細やかに口に出したことがあっただろうか?
いつも彼女は単純で明朗快活、あまり小さなことにはこだわらない、大雑把なおてんば姫に見えていた。
そんなことを思って、アレクは自分の浅はかさに気付いた。
そうじゃない。
本当にそれだけの少女ならば、ここにいることなんてなかったに決まっている。
彼が出かけたよ、と聞いても、不審に思いこそすれ、追いかけるほどはなかったはずだ。
そうじゃないんだよな。
そうじゃないって知っているから、俺はアリーナのことを好ましく思って。
「アリーナ、お前」
「だから、アレクがそんな気持ちになったら、嫌だし、もしそうだったら、わたし」
「おい」
「傍にいてあげようと思ったんだもん。わたしの元気を、わけてあげようって思って」
「お前、何、元気をわけてあげよう、なんてこと言ってるんだよ。うん?」
アレクは小さく溜息をついてから、呆れたようにそう言ってアリーナの顔を覗き込んだ。
「お前の方が、泣いてるくせに」
「・・・だって・・・」
見る見るうちにアリーナは両眼から涙を溢れさせて、肩を上下させた。
そんなアリーナの姿は初めて見る。アレクはとまどいながらも視線を外すことが出来なかった。
「それで、それで」
「うん」
「もし、アレクが本当に世界樹の花を使っちゃって・・・もし、シンシアさんが生き返ったらっ・・・」
「ああ」
「一番最初に、おめでとう、って言おうと思ったの。思ってたの」
切れ切れになるアリーナの声は、わずかに震えているようだった。それでも彼女のいつもの勢いは消えない。
「そっか」
「悔しいけど。悔しいけど、そうしようって思ったの」
「悔しいのか」
「そうよっ・・・」
「帽子邪魔」
「えっ」
アレクはアリーナがかぶっている帽子をとって、ぽい、と無造作に草の上へ投げた。
ふわりと栗毛が帽子にひっぱられるように持ち上がったのを、アレクは彼にしては丁寧に彼女の髪をなでつけて整えてやる。
「お前の帽子、武器になるんだよ」
「武器?」
「そ。こーすると、俺の鼻にぶつかんの」
アレクは軽くアリーナの肩を掴んで、とん、と軽く彼の胸元にアリーナがぶつかるように引き寄せた。
「ごめん、アリーナ。心配かけちまって」
「そうよ。心配したのよっ」
「お前ってさ」
「何」
「・・・なんでもない」
「何よぅ・・・わたし、泣くのって嫌い・・・嫌いなんだけど」
呟きながらアリーナは静かになって、うつむきがちに涙を堪えていた。
案外静かに泣くんだな。
そう言おうとしてアレクは言葉を止めた。
静かな涙は、心の奥底から湧き上がって来る感情の結晶のようなものだ。
そんな風に悲しませてしまったのは、自分がまだまだ未熟者だからなのだろう。
アリーナにはやっぱり笑顔が似合うというのに。
なのに、本当は豊かな彼女の感受性をこんな風に刺激してしまっているのは、俺がまだ子供だから。
アレクは、アリーナの栗毛を何度も何度もなでながら、ごめん、と囁いた。

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モドル

これだけPS版のお話です。勇×アリでもなんだか暗い話になってしまうのは、あたくしのせいですね。幸せな人間ほど暗い話を書くものです(汗)