愛してはいない

部屋から一歩も外に出ないわたしを心配して、エーディン、デュー、シグルド公子、それからエスリン様がかわるがわるに声をかける。それがとてもうざったくて、いちいち返事をしたくない。
きっとみな、わたしが自害でもしているのではないかと思って気が気じゃないのだわ。
自害なんか、するものですか。
あの人がわたしに託したものは大地の剣。
人の命を吸い取ってでも生きろと。
それがどんなにみじめでどんなに残酷なことなのかあの人はきっとわかっていたに違いない。
あの人がいないこの世界で、わたしに生きろと。
あの人がいない世界なぞ、わたしには何の意味もないのに。
大地の剣は敵を切り伏せ、相手のエネルギーを吸い取って自分の体に還元する魔剣。
身体はいくらでも治る。傷が残ろうがなんだろうが、機能は損なうことはない。
あの人が残した剣は、傷ついたわたしを「元に戻す」ことは出来ないけれど、「殺さない」ことは出来る。
身体はいい。
でも心は?
心も殺さないことが出来るというの?
ああ、いっそのこと。
どうしてわたしはあの人の命が失われた時に、共に心だけでも壊れなかったのだろう。
エルト兄様。
どうしてあなたはここにいないの?
どうしてわたしを一人にするの?
どうしてわたしに生きろというの?
あなたがいなければあなたがいなければあなたがいなければあなたがいなければあなたがいなければあなたがいなければ
あなただけがあなただけがあなただけがあなただけがあなただけがあなただけがあなただけがあなただけがあなただけが
ぐるぐると脳裏にめぐるのは同じ言葉ばかり。
夜がきて朝がきてまた夜がきて朝がきて。
一体一日何を考えて何をしているのかわからないというのに、いつだって同じ言葉しか脳は繰り返さない。
誰も来ないで、一人にして、放っておいて、これ以上近寄らないで
エルト兄様以外の人と話しなんかしたくない
わたしはヒステリックに叫んでいる自分をとても静かにどこかで見ていた。
醜くて愚かなわたし。
食事を運んで来てくれたフュリーにも当たり散らし、誰とも会いたくない、と扉に花瓶をなげつけた。
シレジアに来て落ち着けば落ち着くほど毎晩のようにわたしはあの人のことを思い出す。
どんどんおかしくなっていくようで。
それでも夜になれば眠くなり、泣きながら眠れば朝には喉が乾いて。

あの人の訃報を聞いた直後に、呆然としていたわたしの耳に指揮官であるシグルド公子の声が飛び込んだ。
感情の高ぶりの瞬間、まだ生きている自分達の保身をしなければいけない事態になって。
オーガヒルの海賊まで暴れ出して、わたしはあの人を思って泣くことが出来ないまま戦の中でただただ心が無くなった人形のように杖をふってみんなを回復していた。
やっと何もかも終わって身体から力が抜けた時に、馬から落ちそうになったわたしを支えたのはベオウルフだった。
半分落ちかけた身体をあの男は左腕一本で馬をとなりにつけて支えてくれた。体重を預けてしまったままのわたしを馬の上にようやく押し戻してもしばらくあの男はわたしの体から腕をはなさなかった。
この男の腕の中でわたしは泣いてしまうのだろうか。
そんなことを思った瞬間、まだ生きているこの男は、あの人のように残酷なことをまたわたしに言うのだ。
「まだあんたがやることは残っているだろ、お姫様。騎士なら、最後まで手綱を持てよ。シレジアまで気を抜くな。誰もあんたのお守りはしない」
呆然とみつめるわたしに更にあの男はとどめをさした。
「あんたが獅子王エルトシャンの妹なら。泣き喚くことは奴隷でも出来る。違うか」
違う、とはいえなかった。
それでもわたしは青ざめてあの男をみていたのだろう。
「死人は生き返らない。だからあんたは生きている人間を治してやってくれ。・・・ひとまず、俺にライヴかけてくれよ」
そういってわたしの体から左腕を離してベオウルフは見せた。
あの男の左腕は血まみれで、指先が動かなくなっていた。わたしのマントにはあの男の血があちこちに染みを作っていて。
それでも、残酷な男は笑っていた。

扉の前に食事を置いておきますね、と言ったフュリーを追いやってから半刻すぎたくらいにベオウルフの声が聞こえた。
「ラケシス、起きてるか」
どうせ、みんなが心配している、とか、大丈夫か、とか、食事をしろ、とかそんなことを言うに違いない。
いつまでわたしが、あの人のことを思って苦しまなければいけないのか、とみなは思っているに違いない。
だって、仕方ない。
「一応ね」
今までわたしはあの人のためだけに生きて来て、何をするにもあの人ならどうするだろう、あの人ならどうしたら喜んでくれるだろう、それだけがわたしの判断基準だった。
けれどあの人はもうこの世にいなくて、これから先わたしの前を歩いて灯かりを照らしてくれることはないのだろう。
そんなことを考えていたのに、扉越しに聞こえたベオウルフの言葉は思いもよらないものだった。
「もう、勝手に好きなだけ浸ってろ。誰もあんたの邪魔はしない。死ぬも生きるも、泣くも泣かないも、好きにすればいい」
「・・・!」
わたしは体の血が逆流したのではないかと思ったほど、かあっと熱くなった。
怒りにも似た恥辱を感じる。
好きなだけ、浸ってろ、ですって!?
言い返そう、と思ったけれど、すぐにベオウルフが去っていく音が聞こえた。
わたしの様子を見よう、とかわたしの反応を見よう、とかそういう素振りは何もなくて、ただ、言いたいことをいってあの男はさっさと自分の部屋にでも帰って眠ってしまったのだろう。

翌日から毎朝ベオウルフはわたしの部屋に朝のご挨拶とやらに来るようになった。
朝、目覚めて少し朦朧としている瞬間は、あの人がもうこの世界にいないという事実なんて間違いなくわたしの頭から消えている。
人間はとても愚かなんだわ。
でも、どこかで、ほんの一瞬でも忘れ去ることが出来るのは、ありがたい、と誰かがわたしの中で叫んでいる。
着替えないといけないわ。
そんな当たり前のことを思い、当たり前のように寝間着を脱いで。
鏡に自分の体が映る。
なんて貧相な体。
変にやせて綺麗じゃない腰や胸、骨張った鎖骨。
きっとエルト兄様がみたら、お怒りになるわ。あの方は不必要にやせすぎているご婦人達は好きではないようだったから。
病弱だったお義姉さまだって、もともとはちょっとふくよか気味で女性らしい体つきだった。
ああ、それに最近泣くことが多くて目がはれぼったいわ。
そんなことを思いながら、苦笑する。
あの人がいないこの世界で、あの人が好ましいと思ってくれるように自分を維持させることなんて、出来やしないわ。
いつ狂ってくれるのか自分に期待することしかもうわたしに残されている道はないのに。
しばらくそうやって自分の体をみつめていたら、ノックの音がした。
「ラケシス」
ベオウルフだわ。
「何か用事?」
「ああ?朝の挨拶に来たぜ、お姫様」
「挨拶なら扉越しで十分だわ」
もう、うんざり。
みんなの同情や心配や余計な干渉も。そしてこの男の、何故そんなことをしてるのか全然わからないご挨拶とやらも。
「挨拶ってのは顔をみてするものだ」
「着替え中なのよ」
「そうか」
「待つつもり?女の着替えは長いものよ」
「違いない」
そういっても彼は扉から離れて待っているに違いない。一体何をしたいのか全然わからない。
ベオウルフは別に慰めもいってやくれないし、お説教もしやしない。きっと、本当にわたしが生きようが死のうが関係なくて、一応エルト兄様の友人だから、という理由で仕方なくわたしをかまってくれているだけなのだろう。
そうね。
朝、わたしが生きているか死んでいるかを確かめに来るだけなのに違いないわ。
仕方なく適当に服を着て扉をあけると、反対側の壁にもたれかかってベオウルフはまっすぐ扉をみていた。
「おはよう、お姫様、今日はいい天気だ」
とはいっても、別段どこかに連れ出そうという気もないらしく、そんな会話をひとつふたつだけしていつだってベオウルフは去っていく。今日で朝の挨拶をかわすのは5日めだ。
この男の真意はわからない。
わからないけれど、どうせわからなくたって何の不自由もしやしないのだ。
「ふん、折角の顔がだいなしだ。余程泣いたんだな」
「・・・そうかもしれないわ」
たったこれだけの会話で、じゃ、なんていってベオウルフは自分の部屋に戻っていってしまう。
彼の真意は、わたしにはわからない。

7日めの朝目覚めて。
ああ、今日はシグルド公子がラーナ王妃に呼ばれているんだったっけ、と、もう自分とは関係もなさそうなことをぼんやりと思った。昨日の朝、ベオウルフがさらっと数日間の主な予定を、気がないわたしに教えてくれた。案外とそれを覚えていた自分にちょっとだけ感心してしまう。
今のわたしはほとんど一日部屋の中にいて、外に出るのはほんのわずかなときだけ。
それでも何も困らない。
わたしは寝間着をちらかして、服に着替えた。これだけは不思議とあまり何も考えなくても自然にやってしまうことだ。
それから鏡にむかって、泣きはらした目を確認するのだ。
「・・・」
いつもなら、ベオウルフがやってくる頃だ。
けれど、その日の朝ベオウルフがわたしの部屋の扉をノックすることはなかった。
そっと扉を開けて通路を見る。けれど、あの男がいるはずもない。
扉をそっと後ろ手で閉めて、そしてわたしは愕然とした。
このセイレーン城のどの部屋にベオウルフは今いるのだろう?誰かと相部屋なのだろうか?
それすらわたしは知らない。
ここに来てからすぐに自分の部屋をあてがわれ、誰とも詳しい話をしないまま閉じこもってしまっていたからだ。
「バカバカしい、どうしてわたしが」
そんなことを思いながらきょろきょろとあたりを見回すと、丁度アイラが通りがかってくれた。どうやら朝っぱらから剣の稽古をするらしく、稽古用の木刀を手にしている。
このイザークの姫は一度だってわたしのことを心配して声をかけになんてきてくれなかった。逆に、それが都合がいい。
「アイラ」
「ああ、ラケシス、どうした。部屋の外に出るなぞめずらしい」
どこまで本気なのかわからない口調でアイラは答えてくれた。
「ベオウルフの部屋はどこ?」

教えてもらったベオウルフの部屋は思っていたより遠い部屋だった。
そこに辿り着くまで誰とも会わなかったんなんて、奇跡に近いことだろう。
なんだか勇気がいるような気がしたけれど、わたしは閉ざされた扉をノックした。
誰だ?という声が勝手にわたしの頭の中の想像では聞こえていた。けれど、実際はそうではない。
何の答えもないまま、わたしの目の前で扉がひらいた。
ベオウルフだった。
彼は何も言わずにわたしの腕を突然ひっぱって部屋の中にひき入れた。乱暴に扉が閉められて、何が起きたのかわからないわたしは声を荒げた。
「何をするの!?」
「・・・悪かったな、いくのが遅くなって」
「・・・別に」
わたしは精一杯の虚勢を張る。
もう、わかっているのに。
「挨拶に来てくれたんだろう?ラケシス」
「勝手な思い込みをしないで頂戴。そんなどこかの誰かみたいなことするもんですか」
「じゃあ、何の用事だ」
「・・・」
「ラケシス、朝の挨拶をしにきてくれたんだろ?」
「・・・わたしは・・・」
その瞬間わたしはぼろぼろと涙をこぼした。一体これはなんだろう?どうしてわたしは、この男なんかの前で泣いているの?
「今日はお休みのご挨拶にも伺っていいかな?お姫様」
「馬鹿な男。馬鹿で不躾で、本当に気が利かない図々しい男だわ!わたしが、お前なんかに挨拶になぞくるものですか!」
「そうだな。エルトシャンがいない世界で、また一日が始まる時やら終わる時やらに挨拶をするような、そんな気分じゃないんだろう?」
「そうよ!」
「でも、あんたはここに来たじゃないか」
わたしはまともにこの男の顔がみられない。ベオウルフはいつもとかわらない声音で続ける。
「朝がくればおはよう、眠る時はおやすみ、だ」
「そんな言葉はいらない、あの人がいない世界でっ・・・」
「何度もあんたがあんたの兄貴と交わした言葉は、いつか誰かとその回数を越えるだろうさ。それは確かに今じゃあないけどな」
「そんなこと、わからないじゃない!」
「わかる」
「本当にお前は嫌な男だわ!」
「ああ。それでかまわない。別に好かれようと思ってはいない。俺は好きだけどな」
そういってこのふてぶてしい男はわたしの腕を掴んで引き寄せようとする。
「ふざけないで!」
わたしはそれを突き飛ばそうとするけれど、この男の腕力にはかないっこない。
「おはよう、ラケシス。・・・あんたから、挨拶してくれないのか。わざわざ来てくれたのに」
そういってにやりと笑ったこの男の顔は、涙で滲んではっきりとは見えない。ベオウルフは無理矢理わたしの手を口元にもっていって甲に口付けた。馬鹿にされているような気がして手をひこうとしたけれど、強い力で引っ張られてしまう。
「やめて!お前なんかにっ・・・わたしの手に口付けていいのは、エルト兄様だけよっ!シャガールにすら許したことがないのにっ・・・」
「そうか、そいつは悪かった」
「お前になんかっ・・・」
いいながら、涙が止まらないのは何故だろう、とぼんやりとわたしは思っていた。
そうっとベオウルフがわたしの手を放して、わたしを見る。
あの人がいない世界でまたわたしにとって意味がないはずの一日が始まるときに誰かと挨拶を交わすなんて。
そんなことあり得なかった。
だけど。
「ひどい男。ひどい男だわ。お前は全然わたしに優しくないっ・・・」
「そうだな」
「なのに、どうしてわたしはここにいるのっ!?」
そういって激してわたしはベオウルフの胸をどん、と押した。
びくともしない傭兵の体。
そしてとても貧弱なわたしの体。
何度も何度もわたしは泣きながらベオウルフの体に八つ当たりして押したり叩いたりした。
この男は何も言わない。
それから、一通り気が済んで、逆にどうしていいのかわからなくなって鳴咽までもらしながらわたしは手を止めた。
そのとき、この残酷な男はわたしに言うのだ。
「あんたが、来てくれて俺は嬉しいよ」
その言葉にわたしは目を見開いて、ベオウルフを睨み付けた・・・かったのだけれど、それは失敗してしまったようだった。
わたしは拳を振り上げた。
「ラケシス」
その振り上げた拳は少しづつ下がって来て、それからわたしは。
この傭兵に体ごとぶつかっていった。
涙が止まらなかった。
この残酷な傭兵は、わたしの体を抱きしめることもしないで、ただ軽くあのときのように左腕で体を支えてくれて、泣きじゃくるわたしをただただ静かに見ていた。
涙が、止まらなかった。


Fin



モドル

この読後感の悪さ!(笑)ひとまずベオラケ一作目です。一応3部くらいの予定ですが、どれもこれくらいの長さで。
しかし、このHPの中で一番険悪な恋人達になりそうです(笑)
いつも何もかも心理描写を文章にしてしまうのですが今回はそれを抜いて、もう、読んでくださる方まかせのおちかたにしてみました。
個人的に、結構大人な話になったような気がして好きですね、こういうの。