渇いた花-2-

ラケシスはどうにもこうにもエルトシャンの死に浸りたいようだ。
それは、わからなくもない心理だったし、だからこそみんな心配をしているのだろう。
自分が説得にいったせいで兄はシャガールへの進言を選んだ。それはそのまま死への選択肢になってしまったのだ。
そのことは彼女の心に抜けない棘となってささり、そして蝕んでいくのだろう。
・・・そういう思いを誰もが多少もっていて、だからこそラケシスに同情的だ。
でも、別段俺はそれが意味のあることだとは思っていない。
あの女は、エルトシャンが死んだことで、やっと人間になれる。そんな酷いことすら思っている。
このことを口に出せば多分、シグルド公子も俺にラケシスを任せようなんて馬鹿なことを言わなかっただろう。
俺がエルトシャンの知り合いだといった瞬間から俺を見る眼が変わったあの女。
その変わり方は、普通の人間が「あなたのご家族の知人なんですよ」と言われて「そうなんですか」と多少緊張を緩和させる(中にはさらに緊張する人間もいるはずだ)程度のものではなかった。それは目の当たりにした俺が一番よく知っている。
ああ、このお姫様は。
世界の中心は、エルトシャンなんだ。
それは、ものすごいことだ。いや、エルトシャン中心に世界が回っていることがすごいことなのではない。
そうであることを、初対面の人間にまで気づかせてしまう、行き過ぎた信仰心。
そして、それをエルトシャンが放置しておいたこと。このふたつが俺には信じられなくて理解し難かった。
エルトシャンがそれに気づかない人間だとは俺には思えなかったからだ。そう、あの日まではそうだった。
俺は、馬屋にいくために歩きながら、あのときのことを思い出していた。

ぱしん、と俺はラケシスに頬を叩かれた。
「無礼なことを口にしないで頂戴!」
そういってラケシスは唇をわななかせた。
・・・図星だったのか、とそれを見て俺は肩をすくめた。
それは、アグストリアの人間が多く噂にしていたことだ。ラケシス姫は兄のエルトシャンに過剰にまで憧れを抱いているから、嫁に行くのも難しいだろう、と。噂には尾ひれや背びれがついて伝わるもので、末端になればなるほどその噂は歪み、ラケシスがエルトシャンに懸想しているなんて話にもなっていたことを俺は知っている。
が、エルトシャンはとうの昔に奥方を娶って後継ぎもいた。だからこそ、噂のほとんどはラケシスの一方的なブラコン、なんていう話題になってしまっていたわけで。
「案外、いい平手してるな」
「それ以上へらず口を叩くともう片方もぶつわよ」
「いい男が台無しだ」
口の中を切った。鉄の味がする。そんなことは別にどうってことでもない。実は俺は血の味は嫌いではない。いや、聞こえは悪いが結構好きだ。自分の体の一部だったものを自分で味わうってのも気持ちが悪い話だが、血が甘かったり酸っぱかったりしたらそんな風にも思わなかっただろうが。あの、独特の鉄の味は嫌いじゃあ、ない。
「あなたみたいな男が、どうしてエルト兄様と知り合いになれたのか不思議だわ!」
「あいつは人を見る目があるからな」
ラケシスもきっと噂は耳にしたことがあるのだろう。
今まで、心無い貴族からその噂のことを言われた度にこんなことをしていたのだろうか?
いや、違う。
この女はきっと、それはエルトシャンのためにはならないから、そんな無謀なことをしなかったに違いない。
「大体、何を根拠にそんな汚らわしいことを言うの・・・っ」
「根拠も何も。だって、あんたはエルトシャンが好きなんだろ。あいつもあんたが好きだったんじゃないか」
「・・・それは兄妹として」
俺はそんな形ばかりの反論には耳を貸さないで続けた。
「だから、寝たのかなあ、と。簡単な質問だったのに、手厳しいな」
「ふざけるのも大概にっ・・・」
ラケシスは真っ赤になって声を荒げた。体を怒りに震わせている。
「火のないところに煙は出ないから、確認しただけなのに。それはそんなにいけないことか?」
「無礼だと言っている!」
「あー、まあ、そりゃ」
「なんて失礼な男。許せないわ」
「別にいいけど。・・・身に覚えがないことなら、違う、と簡単に否定すればいい。・・・違うんだろ?」
その瞬間一瞬ラケシスの表情がこわばった。
きっと、相手が俺ではなければ「やっぱりやってたに違いない」なんて思い込まれてもおかしくない間だった。だからあの女は頭が悪いというんだ。
「・・・違うわ」
「あ、そ。ならそう言えばいいだろう」
「それでもお前の言い草が失礼極まりない、私とエルト兄様を侮辱するような言葉だったことには変わりがない。謝罪しなさい」
「それは謝る。悪かった」
「謝り方にも品がない男ね」
俺は知っている。
エルトシャンは多分、この馬鹿な妹が可愛くて可愛くて仕方がなかったってことを。かといって、そういう感情が近親相姦にまでなっちまうような、馬鹿な男ではない。あいつは。
でも、この女はそうなってもおかしくない。そう思うのは俺の勝手な勘だ。
ラケシスの言葉の間は、きっと。
多少そういう思いがないといえば完全には嘘になる、という間だったのだろう。まあ、平たく言えば、エルトシャンはともかくラケシス側はエルト兄様に過剰に思いは寄せていて、下世話な言い方をすりゃあ、抱かれてもいいくらい好きだったんじゃないかと俺は思った。
もちろん、また口にすればもう片方の頬だって打たれるだろうし、それを止めればこの女の癇癪は収まるわけがない。だからそいつは敢えて口には出さなかった。
「二度と、エルト兄様を愚弄するようなことを言わないで頂戴」
「・・・お前を愚弄するのは構わないのか」
「私に対して私への暴言を吐くことは別にいい。その場でお前をひっぱたくことでもなんでも出来る。でも、エルト兄様のことはっ・・・」
そういってラケシスは困ったように黙り込んでしまった。
「・・・同じだろ。エルトシャンのこといったってお前がその場でひっぱたいてくれるんだから」
俺はおどけて言った。
「お前とは口を利きたくない」
そういってラケシスは背を向けた。その瞬間の表情を俺は見逃さなかった。唇を噛み締めて傷ついた顔をしている。
「お前が、エルト兄様のことを、言わないで頂戴。聞きたくない」
それは、きっと本音だったのだろう。
「第一、私達は正真正銘の兄妹だし、エルト兄様はもう妻子のある身。一体何をどうしたらお前が言っているような・・・噂になるような関係に私たちがなるというの?・・・ありえないわ」
一体何をどうしたら、お前が言っているような関係に私たちがなるというのか。
それは、俺には本気の質問にすら、聞こえた。
ラケシスは、エルトシャンのことを本当に愛しているのだ。そう俺に思い込ませてもおかしくない声音で、あのお姫様は言う。
「兄様だって、そう言うわ」
・・・そして、その言葉は。
本当にエルトシャンがそう口にした言葉なのだろう、と俺には容易に想像できたのだ。
このお姫様は、既に、エルトシャンに恋をして、破れているのだろう。
エルトシャンが本当はこの女をどう思っていたかなんてことはわからないけれど。
(ああ、だからか)
エルトシャンはラケシスを放置しておいたのではない。
これ以上の我慢は、この誇り高い姫君には、無理なのだ。それを、誰よりもエルトシャンはわかっていたからそれ以上の無理強いはしなかったのだろう。

手に入らない欲しいものが永遠に目の前にあるというのは、一体どういう気分なのだろう。
ラケシスは手に入らないエルトシャンから逃げるでもなく、そのまま共存の道を選んで兄の側で妹として生きることにしたのだろう。
何もかも俺の推測に過ぎないけれど、それならば色々と納得がいくことがわかった。
だから、エルトシャンが生きている限りはラケシスは欲しい物は一生手にはいらないけれど、そうであるが故に一生求め続けることが出来るのだ。血のつながりは消すことが出来ない。それは、なんと不幸せでなんと幸せなことなのだろう。
妹が兄を好きになる、なんてことは若い頃のちょっとした勘違いで、ちょっとした思い込みで始まる熱病だ。
いづれ、誰もが覚める。
例えエルトシャン本人が実はラケシスを好きだった、なんてことがあったとしても、あの男はそれを熱病のようなものだと自分自身に大して一笑に臥すだろう。(もちそん、今となってはエルトシャンの気持ちなんてもんは誰もわからないだ)
それが、このお姫様はきっと、そうではなかった。
エルトシャンという病にかかったまま成長したラケシスは、エルトシャンが死んだことで、やっと自由になれるのだろう。
少なくとも、誰が知らなくとも俺はそう思ったし、自分が間違っていない自信はあった。
それは戦場で生き残る自信よりひとまわりもふたまわりも大きい自信だった。
例え他の女の物になったからって、エルトシャンとラケシスの血のつながりは消えやしない。
その一生続いていくはずだった、自分とエルトシャンを繋ぐ唯一の糸を切ったのは、生死という名の、生きているすべてのものが免れることの出来ない理だった。
世界の中心を失った彼女が失意のうちに死ぬのではないかと、誰もが心配しているけれど。
今のあの女が知らなければいけないことは、世界の中心は自分自身であり、大地を自分で踏みしめなければいけない、という「当たり前に生きる」ということだ。
自分以外の誰かが世界の中心ならば、いい。
自分はその周りにいるその他大勢のうちの一人で、それでもその他大勢よりも出来るだけ中心に近いところにいたい、と望んでいる。
それが今までのラケシスの人生だったのだろう。けれど。
エルトシャンを失ってしまったこれからはそうではない。
今のラケシスはきっと、どうやって生きていけばいいのかわからない子供と同じなのだ。
兄が死んだショックで心が壊れてしまったのではないか、なんていう懸念をしている人間もいる。そうではない。
あの女は、多分、そんなには弱くない。
ただ、どうやって生きていけばいいのか、自分が自分の足で立つということはどうなのか、がわからないのだろう。

朝になって。コンコン、とノックをするとけだるそうな返事が返ってくる。
本当に嫌ならば返事も返さないはずだから、こいつは少なくとも誰かに自分の存在がここにいることを知っていて欲しい、話し掛けられるのは嫌だけれど、無視はしないで欲しい、と思っているのだろう。
昨晩俺は、ラケシスに手痛い言葉を投げつけておいた。

もう、勝手に好きなだけ浸ってろ。誰もあんたの邪魔はしない。死ぬも生きるも、泣くも泣かないも、好きにすればいい

それをあのお姫様はどううけとっただろうか?

「ラケシス、起きてるか」
「何の用よ」
ドアも開けずに中から不機嫌そうな声が聞こえた。
「朝だぞ」
「それが何」
「挨拶に来た」
ギイ、と乱暴にドアが開いた。中から姿を見せたラケシスはまぶたが腫れていて、お世辞にも美しいとはいえない。
「おはよう、ラケシス」
「放っといて頂戴。あなたとする話なんかないわ」
「それが朝の挨拶か」
放っといて、という言葉は、かまってくれ、と同義語だ。
本当に放っておいて欲しい人間は、わざわざ相手の顔を見ることすら苦痛だということを俺は経験上で知っている。
「毎晩泣いてるのか」
「関係ないでしょ」
「泣くのは体力がいるだろう。食べなきゃ、泣けないぞ。しっかり食えよ」
「!」
かあっとラケシスは頬を紅潮させて俺を睨みつけた。
ずっと閉じこもっているラケシスに、フュリー達が交代で食事を運んでやっている。それすら全て食べるわけではなくて本当に喉通りがよいものだけを少量食べているという話だった。
「あなたに指図されるようなことじゃないわ」
「じゃあ、誰にだったらいいんだ。エルトシャンか。それはあの世で聞いてくれ」
「!!」
その言葉に対してはすぐに反論が出てこなかったらしく、悔しそうにラケシスは俺を睨む。
「可愛らしい顔が台無しだ。じゃあな。また来る」
「余計な世話を焼かないで頂戴!」
「世話?何もしてねえだろ」
その言葉を最後に、ラケシスは乱暴に扉を閉じた。

俺はそれから毎日、ラケシスの元に通った。
俺の勘違いではなければとりあえず自害なんてことはしないと思っていたが、それでもあの女の全てを知っているわけではないから、朝一番にすることはラケシスの生存の確認だ。
正直なところ、死にたければそれで構わない。
エルトシャンがいない世界で生きていくことが出来ない生物だったのだ、と思うしかないからだ。
けれど俺はそうではないと思っていたし、それだけは期待していた。
三日目の夜、エーディンがそっと、ラケシスが湯浴みをしたと教えてくれた。当たり前といえば当たり前だが、まだ自分の体が綺麗だとか汚いだとか、汗をかいているとか、そういうことに気づいて不快に思う感覚がなくなるところまではいっていないようだ。
それに、女中が部屋の外においておいたリネン類も自分で取り替えて快適な状態にしている様子だ。
そんな女が死ぬわけがない。
それでも食事をもっていったフュリーが、もう少し食べた方がいいですよ、と助言をしたところちょっとヒステリックになって手痛い目にあってきたということもあり、安心は出来ない。
湯浴みをしたからなのか、翌日の朝のラケシスはとてもよく眠れた顔をしていた。
「・・・その方がいい。お姫様らしく戻ってきたじゃないか」
「別にそんなことはどうだっていいわ」
それでも、露骨に嫌な顔をしない。
馬鹿で愚かな女だ。
放っておいて欲しい。かまって欲しい。誰とも話をしたくない。無視されたくない。
子供のような意地を張りながら、エルトシャンがいなくったって世界は回っていて、自分以外の誰かが自分にかまってくれることを認めたくないのだ。
「あんたはうらやましいよ」
俺は嫌な男だ。
「グラーニェはエルトシャンの後継ぎと今ごろどうなってるんだろうな?エルトシャンがシャガールへの反逆罪で殺されて。あんたはアグストリアを離れて、そういうしがらみがないところで自己陶酔してるだけだもんな」
「私にあの二人をどうにかしろというの!?」
「そんなことは言ってない。あんたは、こうやって我侭通してもらえて幸せもんだよ」
俺は肩をすくめた。
ラケシスはそれへは何も言わずに黙ってドアを閉めた。
少なくとも、これだけの会話が出来るようになったなんて、偉い進歩だ。
毎日、ほんの少しづつ会話をふやしている。それにラケシスは気づいているだろうか?

さすがに何日もそんな生活をしていたら、ラケシスは痩せてきたようだった。
けれど、不思議とあの女は美しくて、ドアをあけたときに俺はいつも目を疑う。
エルトシャンと同じ色の金髪は、今まで気にもとめていなかったけれど日にあたればさぞかし美しく輝くのだろう。そしてエルトシャンと同じ色の瞳は、やつより幾分大きくてまつげが長くて、目つきはとても険しいけれど美しいと俺は思う。
食事をきちんととっていないせいで貧血気味なのか、顔色は更に青白くて病的だけれど、唇の色だけが妙に赤くて、それが無闇にラケシスの女を強調しているようにも思えた。肌が多少荒れてきたのは完全に栄養が不足しているからだ。
だが、それを差し引いたって、いまのラケシスの美しさは異常だった。どんどん体から不必要なものをそぎおとされていっているような、そんな風貌になってきている。この女は自分で気づいているのだろうか?
これまでずっと、馬鹿で仕方がない女だ、と思っていたこの少女が美しい少女だということに、間抜けなことに俺は初めて気がついたのだ。こればっかりは自分を呪うしかない。
笑った方が、可愛いに決まっている。
不覚にも、そんなありきたりでつまらないことを俺は思った。
だからといって、そんなことを口に出して笑顔を作ってもらおうとするほど俺はラケシスのことが好きなわけじゃあない。
ただ、この奇妙な動物を観察するのが少しだけ楽しくなってきたのは事実だった。
「なんだ、結構あの馬鹿な女、気に入ってるんじゃねえか」
ついに俺は観念した。
お前、ラケシスの側にいてやってるくせに
アイラの言葉を思い出した。まったくそのとおりだ。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
嫌よ嫌よも、なんとやら、という言葉が頭を掠めた。情けないことに、ちょっとだけ俺はあの意地っ張りでどうにもならないブラコンの女を気に入ってきている。
多分、自害するような女だったら、気にもならなかったのだろうが。

七日目に俺は寝過ごした。
前日にアレクと軽く飲み交わしながら遅くまでなんてことはない話をしていたのがいけなかったのだろう。
遅れてラケシスのところにいくのは簡単だ。
けれど、俺の中の何かが、「そろそろだ」と告げている。
カーテンを開けて窓を開けて。朝の日差しが入ってくる。目を細めてそれを体にうけると、きちんと自分の体の細胞が1日の始まりを知って動き出してくれるように思えた。
傭兵なんていう朝も夜も関係ない仕事をしていても、正しい生活に戻ると体はきちんとそれに馴染んで、正しい生活が楽だと告げてくれる。
寝間着を脱ぎ捨てて、面倒だ、とシャツを一枚はおる。
ボタンを留めるのも面倒で、ほんの二つだけを止めて放っておいた。
髭をそるのも面倒だ、と鏡をちょっと覗く。便利なことに俺はあまり髭が濃くない性質だから、1日くらい放っておいても気になるものでもないだろう。
そのとき、ノックの音がした。
俺はドアを開けて予想していた人間だと確認すると、何も言わずに腕をひっぱって部屋の中にひき入れた。
バタン、と乱暴に扉を閉める。思ったよりも音が大きくなったのに、俺は顔をしかめた。
「何をするの!?」
驚いて声を荒げるラケシスがそこにいた。
きちんと髪を梳いて、服も着替えている。ふわ、と鼻をくすぐる香りは、部屋においてあるシレジアに咲く花の香油だ。多分、昨晩あたり湯浴みをして、髪にそっと擦り込んで寝たのだろう。
そんなことを出来る余裕がラケシスにおきたことを知って、俺は、もうこの女は大丈夫だ、と思った。例え本人が否定しても。
「・・・悪かったな、いくのが遅くなって」
「・・・別に」
ラケシスは視線をそらして無理矢理ふてくされたように言った。
「挨拶に来てくれたんだろう?ラケシス」
「勝手な思い込みをしないで頂戴。そんなどこかの誰かみたいなことするもんですか」
カンに触ったのか、睨みつけて噛み付くようにラケシスは叫ぶ。そんな挑発には、俺は乗らない。
「じゃあ、何の用事だ」
「・・・」
「ラケシス、朝の挨拶をしにきてくれたんだろ?」
「・・・わたしは・・・」
その瞬間ラケシスは両目に涙を浮かべた。
それを見ていると、ぽろぽろと大粒になって雫が足元に落ちてゆく。
・・・多分、ラケシスはやっと気づいたに違いない。エルトシャンがいなくなって、すべてを失ったと信じたこの世界で。
ラケシスが、まだ、他の誰かの(もちろんそれは俺のことだが)行動が気になって、自分からここにやってきてしまったことに。
エルトシャンが生きていることが全てだと信じていたし、それでよかったはずだったのに。
「今日はお休みのご挨拶にも伺っていいかな?お姫様」
「馬鹿な男。馬鹿で不躾で、本当に気が利かない図々しい男だわ!わたしが、お前なんかに挨拶になぞくるものですか!」
「そうだな。エルトシャンがいない世界で、また一日が始まる時やら終わる時やらに挨拶をするような、そんな気分じゃないんだろう?」
その噛み付き方は相変わらずで、あまりの相変わらずさが逆に嬉しくすら思える。
「そうよ!」
「でも、あんたはここに来たじゃないか」
ラケシスはまた、俺から視線をそらした。本当のことをこれ以上言われて、追求されるのが嫌なのだろう。
俺は、いつもと変わらない調子で言う。
「朝がくればおはよう、眠る時はおやすみ、だ」
「そんな言葉はいらない、あの人がいない世界でっ・・・」
それは、ここ数日何度か聞いたフレーズだ。
エルトシャンがいない世界。
けれど、それは、この先死ぬまでラケシスが生き続ける世界のことだ。
「何度もあんたがあんたの兄貴と交わした言葉は、いつか誰かとその回数を越えるだろうさ。それは確かに今じゃあないけどな」
「そんなこと、わからないじゃない!」
「わかる」
「本当にお前は嫌な男だわ!」
「ああ。それでかまわない。別に好かれようと思ってはいない。俺は好きだけどな」
それは、嘘ではなかったし、別段その言葉でこの女の気を引こうとしているわけでもなかった。俺はこの女の腕を掴んで引き寄せた。
「ふざけないで!」
ラケシスはそれに抵抗するけれど、彼女の力は何の意味もなさない。それに、最近きちんと食事をしていないから筋力だっておちて
いるのは当たり前だ。運動をやめたから、なんていう以前の問題だ。
「おはよう、ラケシス。・・・あんたから、挨拶してくれないのか。わざわざ来てくれたのに」
俺は、ラケシスの白い手を無理矢理口元にもっていった。もっと、俺に噛み付いて来い。そんなことすら思ってしまう。
もう、何も残されていないと嘆いていた世界には他人がいて、今こうやってお前に話し掛けているのだという当たり前の真実を、嫌というほどわかるがいい。俺の唇が手の甲にふれる寸前で、更にラケシスは体をこわばらせて懸命に腕を引こうとする。
恥辱に頬を染めて抵抗するこの女が、可愛いとちょっとだけ感じた。
「やめて!お前なんかにっ・・・わたしの手に口付けていいのは、エルト兄様だけよっ!シャガールにすら許したことがないのにっ・・・」
「そうか、そいつは悪かった」
「お前になんかっ・・・」
涙をほとばしらせながら、ふるふるっとラケシスは頭を横にふった。やりすぎたかな、と俺はそっとラケシスの手を離す。
「ひどい男。ひどい男だわ。お前は全然わたしに優しくないっ・・・」
「そうだな」
「なのに、どうしてわたしはここにいるのっ!?」
ラケシスは俺の胸をどん、と押した。
これが、今のラケシスの精一杯の力なのか、と驚くほど弱弱しい。
何度も何度もこの女は俺の体に向かって拳で叩きつけたり、体ごとぶつかったりしていた。
気づきたくなかったことに気づいた、この哀れな愚かな女は、自分の感情の行き先をみつけることがまだ出来ないのだろう。
自分が、エルトシャン以外の人間のことを気にして、自分からエルトシャンという名の檻からのこのこ出てきてしまったなんてこと。
自らその檻に入っていたというのに。
やがてラケシスは拳ふたつをそっとそろえて俺の胸元でとめて、うっうっ、とすすり泣きを始めた。激しさは影を潜めて、それはきっと悔し涙だったのだと思う。
俺はそんなラケシスに、上からそっと穏やかに伝えた。
「あんたが、来てくれて俺は嬉しいよ」
はっと俺を見上げて、ラケシスは口元をゆがめた。きっと、憎らしいとすら思ったに違いない。この男の手にひっかかったのか、ときっと気づいて許せない、とすら思ったかもしれない。
そして、拳を振り上げた。
「ラケシス」
その振り上げた拳は少しづつ下がって。それから。
この愚かな、エルトシャンがいなくなって、すべてを失ったはずの世界で生きていく覚悟がいつまでも出来なかった馬鹿な女は。
体ごと俺にぶつかってきて、泣き続けた。
なんとなく、わかる。
多分この女は、自分自身を憎み、恨み、そして憐れんでいるのだ。
どうして、エルトシャンを失っても自分は生きていて、生きようとして、ここにいて。
そして、こんな男のことを気にしてここに来てしまったのか。
俺の鼻先を、ラケシスの匂いが、そっとくすぐった。

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モドル

どーにもこうにもあたくしのラケシスは、世のみなさんのラケシスと違うと(涙・・・ナンナもなんじゃが・・・)ご指摘をうけたので、今回これを書くにあたって色んなサイトさんでラケシスリサーチをしてみました。(笑)そしたら!
いやん!ベオラケって案外少なかったのね!?そっちの方に驚いて(やっぱりベオウルフがユニットとして情けない働きしかしないヤツだったからに違いない!&大沢美月さんがフィンラケだったからでしょうかね)気を失ってしまいました。(うそ)
ラケシスの恋人って、みんな優しいのね!!(驚愕)
お姫様である彼女に本当にみんな優しくて、包むように愛してあげてるのですね・・・。
ヤバイ!あたくしのこの小説、闇に葬らないと・・・・と、思いっきり動揺してしまいました。ひどいベオラケですまん!!