愛してはいない 2

外は雪景色だ。どこまでも白く、早朝見渡せば獣の足跡しか見えない。
シレジアの冬は雪景色に始まり雪景色に終わる。一度雪が降る季節になってしまっては、春が来るまで広く地表を見ることはそうそうない。白く、どこまでも白く。それがこの国の民が愛したこの国の風景であることは間違いがない。
シレジアに滞在しているシグルド軍の多くは、そんな雪景色に囲まれたまま過ごしたことがなく、みな初めての事でとまどうばかりだった。けれど、シレジアの長い冬のほんのひとつきでも過ごしてしまえば、冬はとても厳しく恐ろしいけれどそこに息づく生物達の美しさに目を奪われることも多い。それは、人間も、また。
きらきらと冬の弱い太陽の光をはじいて輝く雪に飛ぶ天馬達の美しさといったら、それだけでもシレジアに来てよかったと彼等に思わせたし、樹氷を飛ぶ冬の鳥や何の苦もなく跳ね回る小動物を見ることも楽しみのひとつになっていた。

ノックの音。それだけでやってきたのがラケシスだとベオウルフはいつだってわかる。
はいはい、と二度返事をしてドアを開けるとそこには外に出かける準備が出来ているラケシスが予想を裏切らずに立っていた。
ラケシスは毛皮で縁取られたフードつきのケープを肩にかけ、足元は雪の上でも滑らない、底に鋲が打ち込まれたブーツを履いている。
「ベオウルフ、雪の花を見に行くの。お前もどう?」
ラケシスはベオウルフが兄エルトシャンの知人だと知っても、彼を「お前」と呼ぶ事を改めなかった。たとえ愛する兄の知人といえど、金で雇われてはどんな人間にも牙をむく傭兵そのものを見下していたのは事実だ。今ではそういう思いは微塵も残っていないけれど、そうそう相手への呼びかけを改められるわけはない。
唐突な誘いの言葉にベオウルフは気だるそうに答えた。
「何?待雪草のことか?あれは時期が早いだろう。まだ、咲かないんじゃないか?」
「・・・お前がそんなことを知っているなんて意外だわ。そうね、普通の待雪草は雪解け近くに咲くから、まだ時期は早いわ。でも、早く咲くものがあるんですってレヴィンが教えてくれたわ」
「へえ、めずらしいな」
その話に多少ベオウルフは興味を引かれたようだ。が、苦笑してラケシスに言う。
「・・・オレが、花を見に行くような人間だと思ってるのか?」
「そう思って、たまたま出くわしたアイラを誘ったのだけど、レックスとデートするんだと断られた」
その言葉を聞いてなぜかベオウルフは噴出した。
「何、失礼な男ね」
「いやいや、あのお姫さんが花を見に行くような人間だと思ってたのかと思って」
いつものことだけれど、彼ははそんな風にちょっとだけラケシスを馬鹿にしているようにも聞こえるように笑った。
「見たい、と言ってたわよ?お前は知らないのね、どんな女でも花は好きなものよ。いいわ、一人でいってくる」
つまらないことを言うのね、という顔つきでラケシスはフードを被ってドアを閉めようとした。それへまたベオウルフは笑って
「相変わらず短気な女だ。行かないとは、言ってないだろ」
「・・・」
ドアを閉める手を止めてラケシスはじっとベオウルフを無言で見る。特に何の用意をするわけでもなくベオウルフは軽装のままで、衣類掛けにかかっていたコートを乱暴に取ると取りたてて表情も変えずにラケシスに言った。
「さ、行くか。あんたが、普通の女でよかったぜ」
「・・・普通の女?」
ぴくりとその言葉に反応してラケシスの眉間に一瞬皺がよる。
「花を見に行く、なんて、普通の女っぽいじゃねえか。・・・なんで、そんな顔する」
「・・・」
「自分は普通の女じゃない、っていいたいのか?」
「違うわ」
「んん?」
彼女が何を言うか、とベオウルフは少し興味深げな表情をしてラケシスの顔を覗き込んだ。それはなんとも思わないようにきっぱりと、静かにラケシスは答えた。
「普通の女、だなんて。そんなこと、生まれて初めて言われた。お前は変わり者ね」
「・・・違いない」
予想外の回答だったのか、一瞬ベオウルフは間を置いてからそう返した。それから軽くラケシスの肩を抱くようにドアから彼女の体を通路側へ押しやりながら部屋を出た。
ぱし、とその男の手をラケシスは叩いて、先に歩き出す。
「手厳しいな、どれもこれも」
そういってにやにやと彼女の後ろからのんびりついて行くベオウルフは笑うのだった。

当たり前のようにラケシスは馬屋に向かい、当たり前のように自分の馬を引いて出した。そして、後からついてきたベオウルフも何も言わずに同じように馬の用意をする。
エルトシャンの死で深く傷ついていたラケシスが立ち直れた多くの理由は、ベオウルフの力添えによることだった。
ラケシスはベオウルフだけに本音を吐き出し、ぶつかり、泣きながら、迷いながら立ち直りを見せていた。
正直なところ今だって、これはエルトシャンだったらどうだったのだろう、彼ならなんと思うだろう、と亡き兄にすがりたい気持ちが時折首をもたげてくるし、それをすべてなくせというのは無理な話だった。それでも少なくとも今のラケシスには、この世から消滅してしまった兄エルトシャン以外のものを慈しむことが出来るようになってきたし、そうなりつつある自分を許せるようにもなってきたところだ。
ベオウルフは明らかにラケシスにとっては特別な、ある意味では正しく命を救ってくれた恩人でもあった。が、それと余計な馴れ合いは別問題だ。ラケシスはベオウルフのものではないし、ベオウルフはラケシスのものでもない。
傍を離れないと誓え、とラケシスが言えばベオウルフは出来ないと答える。
けれど、今、傍にいることを許してくれないかと勝手な男はラケシスに言うのだ。
何度か重ねた口付けには何の意味があるのか彼ら自身言葉にはしなかったし、それ以上深く身体をお互いに委ねる事もしない。
そんな彼らは、まるで当たり前のように別々の馬に乗る。
「いくわよ」
「あいよ」
決して、一緒に行こう、とか、俺の馬に乗れ、なんてことをベオウルフは言わないし、ラケシスもそれはご免だと思っていた。ラケシスは、エルトシャン以外の男の腕の中で馬を相乗りするようなことは考えたこともなかったし、ベオウルフはベオウルフで、誰かと相乗りすることで自分が思う通りに馬を操れないことはストレスだと思っていたから、相手に何を言うわけでもなく2騎はセイレーン城から雪景色の中に飛び出した。

樹氷の林を駆け抜けて彼らが目指しているのは山のふもとだ。
シレジアの冬の大地でも走れる強靭な馬は、ラーナ王妃が用意してくれたものだった。本来シレジアはあまり馬はいない。
雪に覆われることが多いからおのずと天馬の産地となり、雪をかきわけて走るような異様な馬だって数少ないことは当たり前だ。だからこそ、その少ない馬をシグルド達のために調達してくれたラーナ王妃には頭があがらない。
レヴィンに教えてもらったの、とラケシスがベオウルフに説明した場所は、いつもベオウルフが気分転換に遠乗りをするときによく行く場所にとても近かったから、彼らは迷うことなく馬を走らせた。
「ここいらで降りよう」
ベオウルフは馬から降りて、手早く林を抜けるあたりの近くの木に繋いだ。
馬が逃げないように、だけど、降り積もった雪が落ちてこないような木を選ぶのはちょっと難しい。
シレジアの馬とはいえ、元来馬は臆病だから降り積もった雪が上から落ちてくるとびっくりしてしまうに違いない。
「お前はよく走ってくれるな。ちっとここでいい子にしてろよ」
ベオウルフは馬にそういって軽く胴をなでてやった。
この男が優しい言葉をかける様子をあまり見慣れていないラケシスは、そうやって時折ベオウルフが馬に語りかけている姿を見るのが好きだった。もちろん、絶対そうとは言わないけれど。ラケシスは彼に習って同じように近くの木に自分が乗ってきた馬をつなぎながらそんな彼の様子を伺っていた。と、ベオウルフは彼にしては稀なことに馬に小さく口端を歪めて笑って見せた。
「お前は雪踏だからな。雪を走るのが似合っている」
「ゆきふみ・・・?」
ラケシスの声にベオウルフは気付いて、彼女を見ると軽く首をひねってにやつきながら言う。
「なんだ、あんたは知らないのか」
「・・・ええ」
知らないのか、といわれると以前は「悪かったわね」と思ったりもしたが今は違う。別にベオウルフのその言い方は、物をあまり知らないラケシスを非難しているわけではない。ただ、こういう言い方をするだけなのだとわかったのはここ最近だ。
「足。この馬、ひづめのあたりだけ毛が白いだろ。こういうのは雪踏っつんだよ」
「そうなの?知らなかったわ。ゆきふみって、いうんだ」
それには素直に驚いてベオウルフの馬の足元を見た。確かに、彼がいうようにそこだけ毛が白い。そういう馬がいること自体は知っていたけれど、雪踏という名称があると彼女はまったく知らなかった。
二人は林を抜けて、山のふもとの岩場が多少見え隠れする場所へとゆっくり歩みを進めた。
「ついでだけど」
とベオウルフはそこから遠くに見える連なっている山々を指差してラケシスに言った。
「あの山でシレジアの人々が雪占をするのも知らないだろう」
「ゆきうら、って?」
「春になれば、雪が溶ける。でも、全部は溶けきらない」
「そうね」
「あの山に残った雪の形で、農作物が今年は良く出来るかどうかを占うんだ」
「初めて聞いたわ。」
「アグストリアは雪がそんなに積もらないからな」
「そうね・・・でも、占ってどうするの?何をするものでもないでしょうし」
「ああ?豊作になる、と出れば喜んでいっそう仕事に精が出るし、凶作になる、と言われればまたいっそうどうにかしようと仕事に精が出るか、それ以外に収入になる副業に力を入れるんだろうさ。何をするものでもないってわけじゃあない。ろくな占いでもないけど、自然に何かを聞くっていう信仰心は悪いことだとは思わないな、俺は」
「自然に何かを聞く」
「あんたには難しかったかな」
そういうとベオウルフは辺りをきょろきょろ見渡した。ラケシスはいつも無作法で遠慮がないこのフリーナイトをみつめる。
(きっと、この男はシレジアは初めてではないのだろう)
それは職業柄のことに違いない。傭兵稼業は昨日の味方が今日の敵だったり、今日の敵が明日の味方だったりする。
生きるためにどんどん条件がいいところへ流れていくから、中には仁義のない人間も多くいる。
そんな世界だから、一国に留まることなくどこにでも金さえ積まれれば雇われるし、逆に同じ傭兵稼業内で問題をおこして一国にいづらくなる人間もいるという。
ベオウルフがどういう生活を送ってきたのかはわからなかったけれど、少なくともアグストリアしか知らない人間が雪のある地域に詳しくなるとは思えないし、雪の花、と聞いただけで簡単に待雪草の咲く時期まで口に出せる男とは思えなかった。
ああ、私はこの男のことは全然知らないものね、とラケシスはふと思う。
エルトシャンの死からラケシスが立ち直るために、ベオウルフは膨大な時間と労力を惜しまずに使ってくれた。
それは、今ならわかるし、今なら、感謝できる。・・・言葉にすることが難しくても。
それでも彼らの関係はただそれだけで、ラケシスはベオウルフの何も知ることはなかったし、それで構うことはなかった気もする。
「さてと、その花を探すか。で、待雪草みたいなもんなんだろう?」
「ええ。でも、八重咲きだとレヴィンは言っていたわ。数が少なくて貴重なんですって。だから、シレジアの人々は誰も手折らないと・・・そっと見ることが出来れば、それでいいわ」
「なんで、花を見たくなったんだ?」
「おかしい?」
「そうでもないさ。そうでもないけど、ちょっとは意外だった」
「私から言わせて貰えば」
「うん?」
「待雪草のことを知っているお前の方が、らしくないわ」
「・・・そうかもしれないな」
ラケシスはそういうとベオウルフを見ないで、辺りを探し始めた。こんな風に言い返す自分が恥ずかしい、と彼女はなんだかいたたまれない気持ちになる。聞きたくないことを言われてかっとなって言い返した子供のようだ、とすら思う。
「ま、昔のことだ」
軽くそういって肩をすくめてベオウルフもラケシスと反対方向に歩き出した。その言葉を聞いてラケシスはそっと彼の背中に視線を移したけれど、もう彼はラケシスを見ないで花を探すことに専念しているようだ。
昔のこと。ベオウルフはそう言った。
それがなんとなくラケシスの心にひっかかって、消えない。
このシレジアでの出来事なのだろうか?
多分そうだろう。待雪草のことはともかく、ゆきうら、といったっけ?残った雪で占いをやるなんて。それはどう考えても雪が深い
地域で発祥する自然信仰の一種に違いないから。
ラケシスは歩きながら、彼とこうやって雪の中を一緒に歩く女は自分が初めてではないのだろう、とぼんやりと思っていた。
それは別にどうでもいいことだった。どうでもいいことだったけれど、ベオウルフの過去に触れている気がするのはなんだか嬉しいとラケシスは感じていた。

「おい、ラケシス!」
背後からのベオウルフの声ではっとラケシスは我に返って振り向いた。ベオウルフは遠くで手をあげて軽く振っている。
「何!?」
「みつけたぞ!」
ラケシスはベオウルフがいるところまで、さくさくと雪を踏みしめて慌てて走っていった。気がついたら自分も案外ぼんやりと歩いていったらしく、随分とベオウルフがいるところと離れてしまっていた。
まだ慣れない雪の上の歩行は案外と体力と根性を使う。それでも、足裏全体で踏みしめた方がいい、とか、おそるおそる歩かない方がいい、とかその場その場での経験で最近はようやくちょっと走ったり出来るようになった。
「おいおい、転ぶなよ」
「わかってるわ」
ラケシスは少しむきになってそう応えると、意地、とばかりに絶対転ばないように、と細心の注意を払ってベオウルフの近くに走ってきた。馬に乗っているより、雪の上を走るほうが体力を使う。じっとりとフードの下で汗が滲んでくる。
ラケシスはちょっとだけ息を切らせ、フードをばさっと後ろにおろして、美しい金髪を太陽の下に露にした。彼女の美しい金髪が、太陽の光を浴びて反射している雪が見せるきらきらとした空間に広がった。
それをベオウルフが少し目を細めてみつめていることなぞ、彼女は気付きもしない。
「これだろ。確かに待雪草の八重咲きだ」
雪の中、岩場の隅にそっと咲いている、しっかりとした待雪草。ベオウルフは特別近づいて覗き込んだりはしないで、立ったままでその花達を指差していた。
「本当だわ・・・」
ラケシスはまだ息を軽く切らせながら、ベオウルフの側にそっと近づいて花の前にしゃがみこんだ。
純白の花がそっとうつむいて咲く姿がいくつも見られる。花が下向きだから、そっと手にとって覗き込まないと恥ずかしがっている花の表情は見えない。白い花弁は普通の待雪草は6枚と決まっているのに、八重咲きになっている。ぐるりとたくさんの花弁が作り出している花はとても可憐で、ラケシスは自分でも気付かないで微笑した。
「綺麗ね」
白と緑のコントラスが見事な花だ。中心にある花芯と、内側の花弁ははうっすらと葉や茎と同じ緑色で縁取られていて、外側の花弁は真っ白だ。それ以外の色がみつからない。
ラケシスはそうっと葉の裏側を指でたどった。20cmほどの葉が2、3枚細く伸びている。それを指でそうっと挟んで、それから茎にもそうっとふれて。
ベオウルフはそんなラケシスをじっと見ていた。
「綺麗な緑ね」
「すごい生命力だな。案外と花弁に厚みがある」
「見て、ベオウルフ」
「うん?」
ラケシスはその中の一本にそっと手を触れてベオウルフに言う。
「これ、茎に二つ一緒に花がついているわ。他のはみんな一つなのに」
「ああ、稀にそういうやつもあるらしいな」
あっさりというだけで覗き込みもしない。どうやらそんな彼の方には何も悪気はないようだ。が、その淡白な言葉は少しだけラケシスの気に障った。
「やけにお前は詳しいのね」
「・・・何が気に入らないのか知らないが」
肩を竦めて、それでもベオウルフは小さく笑いながら言う。
「よかったな、案外簡単にみつかって。好きなだけ見ていくといい」
そして、岩場の側に彼はどっかりと腰をおろして、ぼんやりと空を見上げるだけだ。ラケシスはそんな彼をちらりと見ると、ベオウルフは本当に花を見るような人間ではなかったのだな、なんてことを考えて、ほんの僅かに息をふう、ともらした。だって、もう花はどうでもいいとやばかりに空をぼんやり眺めているではないか・・・彼女のため息は白くなり、そしてすぐに消えてしまう。
一体何のため息なのかわからない以前に、彼女は自分の口からため息が出ていることすら気付きもしなかったけれど。

どうして、私はベオウルフを誘ったのだろう。
ラケシスはそんなことを思いながら、白い花を見ていた。
彼女がアイラを誘ったのは、たまたまのことだった。レヴィンから話を聞いたラケシスは、じゃあ探しにいってみようか、なんて思いながら自分の部屋に戻ろうとしていた。その道すがらアイラと出会ったから。それだけだ。
シレジアに来てから、今までも一人で何度も遠出をしていた。だから、別段何をするにも誰かと共に、なんていうことはなかったし、これからだってない。
アグストリアで幸せな日々を送っていたときは、一人で何かをするなんてことは逆になかったのだけれど、今ではそれは考えられないし、もっと極端なことを言えばあまり思い出せないような感じすらうける。
(あの頃は、共に行動する人間を、自分から選ぶことはなかった)
エルトシャンは特別だ。けれど、それ以外に彼女を囲む人々は、当番制で決められた護衛騎士達とこれまた当番制で決められた女中達と女中頭。何をするときは誰と一緒がいい、とか考えることはなかったし、それで不自由もしなかった。
アイラと出会ったのは確かに偶然だった。
だから、それは、今は考えなくてもいいような気がする。(とはいえ、ラケシスがアイラをどうとも思っていない、という意味ではないのだが)彼女は自分がどうしてベオウルフの部屋にいったのか、自分でも意識していなかったことに気付いた。
明らかに、自分は彼を「選んで」彼の部屋にいったのだろう。
この、勝手で、不躾で、いつだってラケシスを少し見下すように・・・ラケシスが以前傭兵である彼にそうしていたように・・・それでも、彼女を支配しようなんてこれっぽっちも思っていない男を、自分は何故選んだのだろう?

「ラケシス」
「何?」
ベオウルフは飽きる事なく花を見ていたラケシス・・・といっても本当は物思いにふけっていたのだが・・・の傍に近づいてきた。
「フードを被った方がいい。雪の照り返しは案外焼けるもんだ」
「え」
「肌が、焼ける。戦場では仕方ないけどな。あんたは、折角綺麗な肌をしてるんだから」
そういって彼はラケシスのフードに手を伸ばした。その何の気もない動きにラケシスはびくりと反応して身体を引いた。
「なんだなんだ。別にとって食おうと思ってるわけじゃあ、ないのに。今更」
「・・・今更って、何・・・?」
「知らない仲でもないのに」
ベオウルフはとても軽くそう言って笑うけれど、ラケシスはうまく笑う事は出来ない。
「・・・そんなこと、認める気がしないわ」
「別にいいが。否定はしないんだな」
「また屁理屈を。お前はいつも私の揚げ足をとるのが好きね」
「ああ、好きだ」
そう言ってベオウルフはまた手を伸ばして強引にさっさとラケシスにフードをかぶせてやった。あまりに粗雑なかぶせ方にラケシスは嫌がって顔をしかめるけれどベオウルフはあまり気にもしてないようで呑気に言う。
「お姫さまは、身支度も御伴にさせるんじゃないのか?」
「人の神経を逆なでるのも、好きなようね」
「いってるだろ」
肩をすくめてさらっと答えるこの男が何を考えているのか、いつだってラケシスには量ることが出来ない。それが悔しいと思うことも多いけれど、わかりたくもない、と思う激しい気持ちが時折やってくることだってある。
「好きだって、さ。・・・そろそろ帰るか?見てるだけじゃ何もおもしろくねえだろ。花なんてもんは」
「やっぱり、お前と来たのは間違いだったかもしれない」
少しうんざりとした顔を声。それをなんとも思わないようにベオウルフは覗き込んで馬鹿にした口調で笑った。
「だから、言っただろ、オレが花を見に行くような人間だと思ってるのかって」
ラケシスは今かぶせてもらったばかりのフードをまた乱暴にとった。ベオウルフが適当にかぶせたものだから金髪の収まりがわるくて両側の髪が色んな方向を向いていた。それをそっと手で抑えて整えながら言う。
「じゃあ、なんでお前は一緒に来たの」
「うん?・・・見るのも悪くないかと思ったからだ」
「でも、その言い方じゃあ、つまらなかったみたいね。見てるだけじゃ何もおもしろくない、なんて」
「いや、よかったぜ?来てよかった、と思っている」
どうもベオウルフが言っていることが今一歩釈然としない。その気持ちが表情に出たのだろう。ベオウルフは口元を歪めて彼らしい笑みを見せて言った。
「花を見て、綺麗だといってるあんたを見るのも、悪くないと思ったからな」
「・・・」
ラケシスはその言葉に唖然と言葉を失ってベオウルフを見た。彼はにやにやと笑いながらラケシスが何を言うのか待っているようだ。それでもなんと答えてよいかラケシスは思い付かなかったらしく黙ってベオウルフを見るだけだ。
「嘘じゃねえよ。あんたがあの花を見て、茎や葉にも触れて花弁以外の命も感じているのが見れて、よかったよ。綺麗ね、なんてえこと言ってぶっちり花をもぎ取るような女でもないってことも安心したし」
「まあ」
呆れたようにラケシスは少し目を大きく見開いた。
「あんたは、期待に応えてくれた。きっと、めずらしいから誰も手折らないと聞いていなくたって、あんたはあの花を摘まなかっただろうし、花の命が花弁だけじゃないってことも気付いているようだったし。それに、花を見ているあんたが綺麗だと、俺は思ったよ」
「・・・そんなこと言っても、何も、ないわよ」
「本当にバカな女だな、あんたは」
ベオウルフの手がのびた。
彼女の髪にそっとふれて一束指先で掴む。それに対してはラケシスは無言でベオウルフの表情をみつめるだけだ。
だだっぴろく広がる雪景色の中で、まるで二人しかこの世にいないような気持ちにすらなってしまう。
それでも、私はこの男のことを知らないままでいるのだろうか?
「あんたがオレを満足させてくれるなんて、めずらしいことだってのに。どれだけ嬉しいのかあんたにはわからないんだろうな」
「わからないわ。だって、お前は私を満足させてくれないじゃない」
「うん?なんだ、お伴しただけじゃあ満足しなかったのか」
「私は、見たかったのよ」
「花を?見たじゃないか」
「花と」
言いたくないのだけれど、という表情をしているということがベオウルフにはわかっていた。それでも何も言わずに彼はラケシスの言葉を待っている。
「その花を見たとき、お前がどんな顔をするのか。それが見たかったのに、お前はいつもと変わらないし、やっぱり花に興味はなさそうだったんだもの」
「そうか」
ベオウルフは表情を変えないで言った。まだラケシスの金髪を彼は触れていたけれど、それをぱしり、と彼女の手が振り払った。
気分を害した風もないベオウルフを静かに彼女は見ている。
それは、告白をした幼い少女のように見えてベオウルフは苦笑いを浮かべた。・・・その表情をラケシスはどのように感じただろうか?
「俺の事を、少し、知りたくなったのか」
「うぬぼれないで」
「でも、そういうことだろ」
多分それは本当だった。けれど、相変わらずこの男に色々と見透かされていると思うのは今のラケシスにとっては屈辱以外の何者でもなく感じられる。それでも、ラケシスは彼の言葉を否定出来なかった。それだけでベオウルフには何もかも伝わっているような気すらしてしまってなんだかいたたまれない気持ちになり、そっと唇を噛み締める。
「だからといって、わたしは、別に、お前を」
そこで言葉をとめてラケシスはフードに両手をかけた。それをベオウルフが咄嗟に抑える。
「何をするの」
「空の雪の花が降りてきた」
「え」
ちらちらと空から雪の子供達が降って来る。彼の言葉でラケシスは空を見て雪を確認した。それから、不躾な目の前の男に視線を戻して睨みつける。それでも彼はラケシスの手を解放しなかった。
これは、前にあった光景に似ている。この男はこうやって私を抑えつけた・・・。ラケシスはにらみながらもそれを思い出していた。
それは、そんなに遠くない記憶だ。
「翳ってないからな、すぐに止むだろうさ」
「ちょっと、離して。雪が降ってきたんだったらフードをしないと・・・」
「うん?ちょっとだけ、このままでいろよ」
「お前に指図はうけたくないわ」
「雪の花が髪についたあんたが見たい。わがままかな」
「・・・っ・・・」
そのベオウルフの言葉にラケシスはついに返す言葉もなくなってしまった。ちらちらと雪がラケシスの金髪に舞い降りた。ベオウルフの言葉通り、空は翳っていないから彼女の髪に降りた雪の花は、日の光を浴びて輝いている。
何故この男はそんな私を見たいというのだろう?彼女にはわからないことだらけだった。
そう、自分はベオウルフのことなぞ何一つわからなかったし、わかる必要もないし、わかりたいとも思っていなかった。でも。
そっとベオウルフが彼女の腕を離してやると、ラケシスはそのまま手をおろし、フードをかぶらないままでベオウルフを見た。
「・・・これで満足?」
白い大地に毅然としてラケシスは立っていた。
白く冷たい小さな光り輝く花びらたちの中で、彼女は他に何を見ることもなくベオウルフを強い視線で見据える。
雪の中のラケシスは美しかったし、彼に見られることに恥じらいを感じることも、勘違いした優越感に浸ることもなく、ただ彼女は立っている。・・・この姿をエルトシャンは一生涯見ることがなかったのだろうな。ベオウルフはそんなことを彼は思いながら、抱きしめても口付けても何も関係が動き出さない唯一の女の姿を見ていた。
やがて、彼は小さく笑顔をつくった。
「来てよかった。誘ってくれて感謝する。俺が見たかった花は、あの花じゃない」
その言葉の意味はラケシスには伝わっただろうか?それすら、どうでもいいとベオウルフは思いながら「行くか」と彼女を促した。
「ベオウルフ」
「はいよ?」
「フードをかぶせて頂戴」
「ああ」
ベオウルフはまだ歩き出さないラケシスに近づいて、今度は丁寧に髪が邪魔にならないように優しくフードをかぶせてやり、最後に口付けをした。舌を絡めるほどの口付けを嫌がることを知っていて、彼は無理強いはしない。軽く口付けて、ラケシスの下唇だけを最後にそっと唇の先でついばんで彼は体を離す。それを抵抗せずにラケシスは受け入れて、静かに言葉で返す。
「お前がどんな顔をするか見たかったのに」
「悪かったな、期待にそえなくて」
「私がわかったことといえば」
「うん」
「お前が、私を見る目が・・・思ったよりも優しいということだけだわ」
「・・・恥ずかしいことを言うな、お姫さんは」
「お前の方が恥ずかしいことをいうくせに」
そういえば。
ベオウルフと雪の中を歩くのは、自分が初めてではないのだろうと思ったとき、自分は別にこの男の過去の女のことはどうでもよかったし、この男は自分の男ではないから嫉妬を覚えることすらなかった。
ただ、この男のことを少し知った気がして。それが嬉しかった。
自分が口付けを拒まないこの男は、一体自分の何なのだろうか。その答えをあえてラケシスは求めない。
けれど、きっとこの男が口付けてくれなくなったら。私は泣くのかも知れない。

二人は来た道を戻って、いい子に待っていてくれた愛馬に感謝しながら手綱を握る。
多分、ベオウルフの馬に自分が乗ることはないのだろう。例えベオウルフの過去にいる誰かがベオウルフに抱きしめられながら乗っていようが、この先の自分がベオウルフを愛するようになろうが、憎むようになろうが、何かが変わろうとも。
ラケシスはそんなことを思いながら、ベオウルフよりも先に雪の中、馬を走らせるのだった。


Fin



モドル

ラブラブでしょう?←どこがやーっ!!これはレクアイの「重症」と同じ日の出来事です。
ちなみにスノードロップの八重咲きは、別に早く咲いたりはしませんので、この話にあるお花はきっとシレジア産でしょう

ベオラケについていつも気をつけていることは、オチをつけない、ということなのです(笑)「どうしてここで彼は○○だと思ったのでしょう?」と現国のテストに出そうな、そして正解はなさそうな話を書こうと気をつけております。(どんな気のつけ方だ?)
彼らの相手へのウェイトは、読んでくださるみなさん次第でまったく違うと思います。ラケシスがベオにもうイカれてると思う人は思うでしょうし、ベオの方がとっくにラケにイカれてるじゃん、と思う人はそう思うでしょうし、こいつら絶対「気になっておる」どまりなのにどうやってデルムッドを産むんだ!?と思う人はそう思うことでしょう。っていうか、そう思って欲しい・・・(笑)

本当はもちっとコンパクトな話を書きたいのですが、「彼女は彼をこう思っている」「彼は彼女をこう思っている」「そしてお互い愛し合っている」的な愛が通じ合っているラブラブ話を書くのは苦手なので、いつまでも会話中心でだらだら駄文ばかりを書くことに・・・。ストーリーも何もない話ばかり。
うーん、いつになれば人は成長して、もちっとまともなお話が書けるのでしょうか。最近の悩み。