宿命の鼓動-1-

ラケシスの出産が終わった。
とりあえず気持ちよく休めるように新しいリネンで心地よく整えたベッドと、そしてラケシスの懇願により、出産で疲れた体をエーディンが優しく温かい湯で拭いてやると、彼女は疲れていながらも小さく微笑んで礼を言った。
「お前が、名前を付けて頂戴」
すぐにでも眠りにつかなければいけないほどに疲れきっていたラケシスは、けだるそうにベオウルフにそう言った。
ベッドの上で脱力している彼女は弱弱しく、言葉じりほどの強さは声にない。
「そういうわけにはいかねえよ。一応アグストリア王家の血ぃひいてるんだから」
「一応、は余計だわ」
「悪かった」
ベッドの側にしゃがみこんでラケシスと見ていたベオウルフはそういって彼女の白い手を握る。
この男の優しいところを見たのは初めてだったから、側でラケシスが眠りやすいように、と枕の高さを調節してやっていたエーディンは無言で睫を何度かしばたかせた。
「俺が、そんな光栄に授かっていいのかよ」
「ええ。・・・あなたは、エルト兄様の友人なのでしょう。あなたがつけて頂戴。わたしの子供の名前を」
わたし達、ではないのか、とベオウルフは苦笑しながら、そっとラケシスの手に口付けた。
「そうか。じゃあ、俺が、つける。俺はあんたに何もあげられないけれど、あんたの子供に名前を授けることくらいは出来そうだ」
「ありがとう」
素直にラケシスはそう答えた。頃合かな、とエーディンがベオウルフに「そろそろよ」という視線を送った。
出産を終えたばかりのラケシスは、これからゆっくりと休んで体力を取り戻さなければいけない。
そのときの大変さを知っているエーディンは、たとえベオウルフがどんなにラケシスといたい、と言ってもそろそろ彼を退出させなければ、と思っていたのだ。それは、シレジア城からやってきてくれた王宮医師からも固く言われていたことだった。
「じゃあ、ゆっくり休めや。ご苦労さんだったな」
立ち上がってエーディンをちらりとベオウルフは見る。それへ力強くうなづくエーディン。後は頼んだぜ、と声にならない言葉がエーディンには伝わっている。
「待って」
「あん?」
ラケシスがそっと手を伸ばした。背をむけていたベオウルフは振り返って、さほど驚きをみせずに戻ってくる。
「なんだ、なんだ。疲れているだろうに、何の用事だ?」
「ベオウルフ、もし、嫌でなければ」
「・・・おう」
「口付けて」
「・・・あんたが嫌がるときにしたことはあっても、俺の方から嫌だなんて、言った覚えは今までにないけどな?」
「私がこんなお願いをするのも、今までにないことだったと思うわ」
「ああ、そうだな」
エーディンは目をそらさずに二人を見ていた。それは、別に見たいから、という好奇心ではない。
その二人の会話が彼らの不思議な愛情をわずかにエーディンに伝えた。
何故だかその二人が口付けを交わすところを自分は見ていなければいけないような気すらした。
多分、エーディンは忘れることはないだろう。どれだけベオウルフが大事そうにラケシスに口付けていたのか、そしてどれだけラケシスがそれを嬉しそうに受け入れていたのか。
わたしは、あのときの二人を忘れないわ・・・
後に、彼らの長男デルムッドにたった一度だけエーディンはそう語ったのだった。

「まいったな。床に落としたものが拾えないのなんのって」
そう呑気なことを言っているのはアイラだ。とっくに腹部が大きくなっていてシャナンが時折彼女のおなかに耳をあてて子供達の音を聞く。今日もシャナンは朝からアイラの側にいる。シャナンはセリスのお守りをしているかアイラの側にいるか、そうでなければホリンに剣を習っているかのどれかだ。イザークを追われて辛い旅が続いたけれど、シャナンはとても真面目でまっすぐで、心優しい少年のまま育ってくれている。そのことにアイラはとても感謝していて、特にシグルドに対する感謝の念はいつだって忘れたことはない。
「いいよ!僕が拾うから」
アイラが取り落としてしまったレッグリングをシャナンは拾ってアイラに渡した。
「ああ、ありがとう、シャナン」
そういってアイラはソファに座りながら、目の前で嬉しそうにアイラを見ているシャナンの頭をなでた。
「ねえ、レックスは?」
「シグルド殿に呼ばれて、行っている。グランベルの動きが見えたようだから、もうすぐ戦が始まるのだろう」
「・・・そっか。でも、よかったね、ラケシス姫の出産が終わって」
「ああ」
「でも、アイラは・・・」
「そうだな、戦の最中に子供を産むことになるだろう。皆に迷惑をかけずにいられればよいのだが。それだけが私は心配だ」
「僕が守るから」
シャナンはアイラの横に座ってアイラを覗き込んだ。
「僕が、セリスと、アイラを守るから。今まで、アイラが僕を守ってくれたように、僕が今度はアイラを守るんだ!」
「ありがとう、シャナン」
そのとき、ノックもなしに不躾にドアがあいた。
噂をすればなんとやら、でレックスがシグルドからのお呼び出しから帰ってきたというわけだ。
「案外時間がかかったな」
「ああ、ちょっとな」
レックスの表情は明るくない。それを察したけれどなんとも思ってないふりをしてアイラはいつもと同じ口調で聞いた。
「で、いつ出陣するって?」
さらりと言った言葉の意味を、彼女は自分でわかっているのだろうか?レックスは苦笑して、ちらりとシャナンを見る。
「あ・・・僕、いない方がいい?」
「いや、別に構わない。そうじゃない、ちょっとだけ嫌な話だから、あまりシャナンに聞かせたくなかったんだ・・・けど、お前ももう昔と同じガキじゃないんだもんな」
「そうだよ!僕、もう、レックスがいない間だってアイラを守れるほど強くなったと自分では思っているもん」
それは子供の虚勢に聞こえなくもないけれど、それでもシャナンの気持ちは痛いほどわかる。シャナンに聞かせたくないこと、というのは、多分グランベルとイザーク絡みの話に違いない。
アイラは「で?」とレックスの顔を見た。レックスはアイラとシャナンに向かい合わせになるように椅子をひっぱってきて座った。
例え腹部が大きくなって、体全体に丸みを帯びていてもアイラの強い瞳は変わることなくレックスを射抜く。
その強い瞳を見るたびにレックスは、自分の大事なこのイザークの王女が本当に美しい女だということを何度だって思うのだ。
「イザークに近いリューベック城には、俺のオヤジがいる。多分、王都バーハラまで行くにはオヤジと一戦交えないといけないだろう」
「・・・そのようだ」
「イザークは、俺の兄貴が今行ってるらしい。しかも」
「うん」
「イザーク制圧が上手くいけば、俺のオヤジやら兄貴が、イザークの王として権力を握ることになっている、という噂が入ってきた。確かな情報じゃあ、ないけれど、それはあまり間違っていないような気がする。もちろん、それがアズムール王の意向かどうかってのはまた別だけどな」
案の定、アイラとシャナンの顔色が変わる。
「そうか・・・お前の父親と兄上が・・・」
「あいつらは、俺がいうのもなんだが欲望に忠実な腹黒い人間だ。・・・それを思うと・・・」
それから先はレックスは言葉に出来なかった。アイラもシャナンも別にレックスの肉親について知っているわけではない。が、あまり言葉を濁すのが得意ではない彼がこういう言い方をする、ということは、余程彼の肉親はアイラやシャナンにとっては許すことが出来ないことをやってしまうような人間なのだろう。
「でも、イザークの辺境の方はまだ手が伸びていないらしい。グランベルはどっか頭がおかしくなっちまって、あんまりにもあちこちの国に侵略を続けているから、どこでも兵力が十分になっているわけではないようだ・・・といっても、何の気休めにもならないけどな」
アイラは何かを言おうとしたけれど、それこそあまりシャナンのいる前で話したくないことだな、と押し黙った。
シャナンはシャナンで、レックスの立場を考えると、感情の爆発するまま言葉を出すことに躊躇して、難しい表情になっている。
ああ、話題を変えようか、とアイラは無理矢理言葉を出した。
「ラケシスはどうだ?もう戦に出られそうか?」
「ああ、つい今しがたベオウルフに聞いたら、順調だと言っていた。ま、もう7日間たったんだっけかな?体力は回復したようだけど、さすがに戦に今は連れて行くわけにはいかないだろうよ・・・子育てもあるしなあ」
ベオウルフとラケシスの長男はデルムッドと命名された。どちらに似たのかはまだよくわからないが、少なくとも髪の色は実のところベオウルフに似ている様子だ。二人とも金髪だったが、二人の金髪の色が違うことは知っている。
ラケシスは先に出産を終えたエーディンの力を借りながら子育てをするに違いない。
「そうだろうな。・・・私も今の状態では足手まといになってしまうな。もっと早くグランベルが侵攻してくると思っていたから、多少は力になれると思ったのだが」
「さっきもいったけど、各国の侵略を手広くやりすぎて兵が足りないんだろうさ。が、そろそろこちらも動かないといけないしな。砂漠を越えるのに真夏は勘弁だ。砂漠の熱さはさほど変わらないけど、それでも砂漠の入り口と出たあたりの気候はかなり違う。リューベック城付近まで行って、砂漠越えの準備をして・・・まだまだバーハラまでの道は遠いようだな」
シレジアの内乱が終わったのは、まだ雪が残る3月の頃だった。すぐにでもそこから戦が始まっておかしくない一触即発の状況だったけれども、どうやら思っていた以上にグランベル側の兵力増強が遅れていたらしい。
初めはこちらからうって出る構えをシグルドも見せていたし、1日も早くシレジアから出て行く方がいいと思っていた。
が、いかんせん、初春から戦を開始したとしてうまくリューベック城を攻略しても、戦を続けてそれから城を制圧して砂漠越えの準備をしたら一ヶ月や二ヶ月は簡単にかかってしまう。それからの季節をこの軍で砂漠を越えるのは容易とは言えない。
戦とは、そんなに簡単なものではない。
シレジアの内乱だって、シレジア城を取り戻してザクソンに攻め込むのにまる二ヶ月かかったのだ。雪が深い時期に始まった内乱は、皮肉にもわずかに雪が溶け始めて吹雪が少なくなった頃にもっとも熾烈を極め、天馬騎士達を全滅させるバイゲリッターの馬の足を助けてしまった。グランベルの中でも比較的穏やかな場所に生活していたシグルドやアゼル、レックスなどはグランベルを立った当時には自然のことをあまりよく理解していなかったけれど、今ならばわかる。
お互いに炎天下の砂漠は動きたくない。
シグルド軍としては夏がすぎるまでには最悪でもリューベック城まで進んで足場を確保したいし、秋の風が吹き始めたらすぐにでも動きたいと思っているし、それはグランベル側でもわかりきっていることだろう。
けれど、だからといって彼らはそこで計画を変えてごり押しで動けるほどの戦力はもっていない。
挙句、ザクソン城を根城にして戦いを始めるとなっては、シレジアに戦火がかからないとは言い切れない。
内乱が終わったばかりのシレジアの片隅でそのまま戦を再開するのは、シレジア国民をひどくおびやかす、あまり誉められた行為ではなかっただろう。
結果、シグルド達は危険だとわかりつつも、グランベル側の予想とおりに砂漠を越えるのは夏が終わってから、あるいは無理をしたとしても夏が終わる直前くらいで砂漠越えをしたいのだ。
どれだけの罠をはられているかはわからない。ただ、グランベル側だって砂漠が得意なわけではないから、罠をはるといっても同じように真夏にそれを行う、というのは厳しい話だろうと予想できる。
そのおかげかラケシスの出産はこの城で出来た。すぐに戦には出られないけれど、少なくとも子供をラーナ王妃のもとに預けることは出来るだろうし、アイラの出産がもしもこの土地で行われば、バーハラよりは比較的イザークに近い位置での出産になるということをシグルドも気にはしていた。
「そうだろうな。二ヶ月や三ヶ月なんかでそう簡単にバーハラまでいけたら、どの国だって簡単にグランベルを滅ぼせてしまうだろうし」
そういってアイラは肩を竦める。
「そうだな」
そのとき思い出したようにシャナンが「あっ」と叫んだ。ソファから立ち上がって二人を交互に見る。
「僕、そろそろ行くね。今日もホリンに剣を教えてもらうんだ」
「そうか。頑張るのだぞ」
「うん!・・・アイラを守れるように、もっともっと強くなるから」
そういったシャナンの表情は、初めてレックスが会ったときの、何もしらない子供の表情ではなかった。
アイラはシャナンを愛しそうに見る。そんなアイラをまたレックスは愛しげに見てしまうのだから始末に終えない。
「じゃあね、レックス!」
「おう」
軽く手をあげて声を返すレックス。少年はにこ、と小さく笑ってからそっとドアを開けてそっと閉じた。それは、もうすぐ二歳になるセリスのお守りをやっているときについた癖で、ドアの開け閉めはとても静かに彼は行うのだ。
シャナンは最近はもっぱらホリンから剣を教わっているけれど、アイラはそれでもちっとも構わなかった。
さすがに今のアイラには、シャナンに付き合って色々教えてやる余裕はない。ホリンは信頼できる剣士だ。アイラはホリンにシャナンの剣の稽古を任せていたし、それで間違いないと思っていた。
「・・・もう、私の役目は終わるのだな」
「アイラ?」
「シャナンは、強くなった。ああ、剣技のことだけではない」
「うん、わかっている。・・・ディアドラのことが、やつを大人にしたんだろう」
「・・・そうだな」
シグルドの妻であるディアドラは、何者かに誘拐されてしまった。
あのとき、シグルドはシャナンにセリスとディアドラを頼む、と託していたのに。
彼らが信じてついてきているシグルド公子はとてもよく出来た人物で、現在グランベルと敵対関係にあるイザークの王位継承者であるシャナンをずっとかくまってくれていた。
そして、自らの妻と息子をシャナンに守ってくれ、と任せた。
それは、大人が子供をまるめこむための口八丁ではない。
グランベルやイザークや。国同士の諍いとは関係がないところで人と人は正しくお互いを思いやり、愛情を育めるのだとシグルドは考えていた。だからシャナンを信じたし、信じていることを伝えたかった。
けれど。
セリスを守ることは出来たけれど、ディアドラは。
生き別れになってしまった妻をシグルドが忘れる日はない。
そして、彼女を守れなかったことを幼いシャナンが忘れる日もないのだ。
「人を一人守ることがどれだけ大変なことか、幼いシャナンは、あの日に知った」
アイラは淡々とレックスに言う。
レックスはシャナンが座っていたところに体を移してきた。
「あの晩、シャナンは泣きながらシグルド殿に何度も何度も謝っていた。公子は、もういい、と何度も何度もそれに答えていた。本当は公子の方が泣きたかっただろうに。それでも、彼は一度たりとシャナンを責めずに、ずっと、シャナンがくたびれるまで付き合ってくれていた」
「そうだったのか」
その頃はまだアイラとレックスは心が繋がっていなかったから詳しいことは知らない。
レックスは初めて聞かされるその話を興味深そうに聞いていた。が、次のアイラの言葉を聞いて彼はひっくり返りそうなショックを受けてしまう。
「その姿を見て・・・私は、恋に落ちたかもしれないと思った」
「・・・・はあ!?」
「でも、どうやら違ったようだ。まあ、冷静に考えればシグルド殿にはそもそも奥方がいたのだし、何故そんなことを思ったのか自分でもわからないけれど」
「待て!待て待て待て!!」
「ん?」
「恋にって・・・」
「ああ、お前には意外だろうな」
アイラはふふ、と口はしをあげて笑った。その表情は少し生意気さが見られていて、生来のアイラらしいものだ。
「私がそんな言葉を口に出すことは」
「ちがーーーう!!それも確かに意外だったけど、お、お前、シグルドをっ」
「いや、多分わたしの勘違いだろう。だって、シグルド殿にあの日感じた気持ちと、お前に感じている気持ちは、違うと思えるから」
「・・・」
そんなの、相手が変われば違うもんだろうが!とレックスは叫びだしたい気持ちになったけれど、すんでのところで落ち着いた。
自分の視界にはいっている彼をいつでも悩ませる恋人は、いまや彼の子供を身ごもって母親になっているのだ。
それを見せられては、もういつだってレックスはお手上げになってしまう。
「あー、その、なんだな」
「うん」
「俺もお前に一度くらいは言われたいもんだな」
「何を」
恋に落ちた、と。
そういおうとして、改めてその言葉を口に出す恥ずかしさを知って、レックスは赤面してしまう。
そんな言葉はとても陳腐な気がしたから、面と向かって他人に言えるようなことではないはずだ。それをさらっとアイラは今言った。
どこかで「畜生、うらやましいぜ」と思う気持ちもあり、レックスは心の中で歯軋りをする。
「はっきりといわないやつだな」
「男は繊細なんだよ」
「?わからないな」
が、ちょっとだけレックスが思うのは。
多分アイラにとってのシグルドは本当に救いの神と言っても過言ではない人間で。
シャナンをキンボイスに人質にとられながら、アイラは剣を振るっていた。それがどれだけ自分の恋人にとっては屈辱的なことなのか、出会った頃はわからなかったけれど今ならばわかる。
それを救ってくれたシグルドは、憎いグランベルの人間だ。
でも、だからこそアイラにとっては衝撃的で、尊敬に値する命の恩人なのだろう。それは時折レックスにもわかった。
アイラは出会ったときのレックスとシグルドでは、シグルドの方が随分大人に見えたといっていたし、出会った頃のレックスは子供だったとも以前言っていた。そしてそれについてレックスは悔しいけれど反論は出来ない。
「もしも俺がみんなを裏切ってオヤジ側についても、お前はきっと最後までシグルド公子と戦うんだろうな、きっと」
「レックス」
その言葉をアイラが厳しい声音で遮った。
「冗談でもそういうことを言うな」
「怒るな」
「この子達が聞いている」
アイラは自分の腹部をそっと触って、厳しい視線をレックスに送った。けれど、レックスはそれには笑顔で
「ばーか。そうじゃないよ。・・・確かに嫌な話だけど・・・俺にきっとついてこないだろうと思うと・・・そういうお前だから好きなんだなあ、と思って」
「?」
「誇らしいと思う」
「よくわからないけれど、それは誉めてくれているのか?」
「ああ。だから、確かにいやな例えだけど、その子・・・たち?」
突如レックスは、アイラの言葉を思い返して眉をひそめた。
「たち、って」
「二人はいっているそうだ。さすがレックスの子供だからでかいのかと思っていたら、どうも二人はいってるらしい」
「はあ!?」
「双子、ってことだろう。心の臓の音が二つ聞こえる」
「なんだって!?」
「知らなかったのか?シャナンもエーディンも知っているぞ?」
レックスはぽかん、と口を開けた。それは初耳だ。
普段、そういうことがあればアイラはすぐにレックスにさらっと言うというのに、何故それについては言ってくれなかったのだろう?
「まあ、どうということもないけれど」
ああ、それか。
レックスは妙に納得した。アイラにとって、腹の中にいる子供が一人だろうが二人だろうが関係がないのだ。
ただ、レックスとの間に身ごもった愛しい子供が一人なのか二人なのかというだけで、それ以外の意味はないのだろう。だから、とりたてて言うことでもないと思っていたに違いない。
「じゃあ、名前考えておかないといけないじゃないか」
「お互いに男と女、一人づつ考えればいいことだろう。そうすれば男二人でも女二人でも問題ない」
「一人づつでもな」
参ったな、とレックスは苦笑いをした。そっとアイラの肩を抱いて、その頬に口付ける。
「なんだ、おかしなヤツだな」
「おかしくて結構だ」
「ははは・・・」
笑いながら、それでもアイラはすうっと真面目な表情に戻る。彼女はレックスをみないで、部屋のどこかに視線をさまよわせた。
彼を見ながら口にするのが躊躇われる。そんな仕草だったのだろう。
「お前は、お前の父親を討つのか」
それこそ、腹の中の子供に聞かせたくない話だな、とレックスは思う。が、だからといって答えないわけにはいかない質問だと彼はわかっていた。
レックスの父親ランゴバルト卿はティルテュの父親であるレプトール卿と共にシグルド公子の父親バイロン卿を陥れ、イザーク遠征の際にグランベルのクルト王子を殺害し、彼らを反逆者にしたてあげた。そこまでのことはわかっている。
が、狡猾な手段を使ってかシグルド達の嘆願はアズムール王に届いていないのか、シグルド達に対するグランベルの見方は、どんどん彼らを謀反者として仕立て上げていた。そして、もう、戻れない道にまで来ている。シグルド達のもとにはブラギの塔で神託の声を聞く事が出来るクロード神父がいる。彼と共にバーハラへ上がってすべての誤解を解かなければいけない。
そして、そのための一戦を交える最初の相手はリューベック城にいるランゴバルトであることは周知の事実だった。
レックスは抱いたアイラの体を離して、彼もまた彼女に視線を合わせずに壁を見ながら答えた。
「・・・ああ、そうしたい・・・が、親父はスワンチカを使うことが出来る。ドズルの直系だ。俺は出来そこないだから使えなかったけれど」
「・・・スワンチカ、か」
あれは厄介だ、とレックスは肩を竦める。
「正直なところ、同じ斧戦士同士で戦って、例え俺の方が若くともスワンチカを持った親父に勝てるとは思えない。あの強欲親父は、あんな年になってもあちこちに女を作るくらい元気で強欲だしな」
「それは関係ないだろ」
「体力があるってことだ」
レックスは嫌そうに「けっ」という表情をしてみせた。アイラはよくわからんな、という顔つきでレックスの言葉を待つ。
「スワンチカの威力はすごい。それは、ブリギッドのイチイバルを見ればわかることだ」
「キュアン殿のゲイボルグも凄まじい威力だったし、エルトシャン殿のミストルティンも、すさまじい妖気を放っていた。神器は、人に人ならぬ力を与えるものだ。レヴィンが継承したフォルセティも恐ろしく極まった力を感じられる」
「ああ。・・・俺の親父はスワンチカを持たなくたって、戦場を駆け回ることは不得意だけど城の守りだったらグランベルではあまりに信頼されている人間だ。どっちかというと俺は駆け回るほうが得意なんだが。向き不向きでいったら残念ながら城攻めは俺の得意分野じゃあない。でも」
「うん」
「少なくとも、親父の最後は、俺は見なければいけない」
それはレックスの決意だ。父親の首を取る人間は、正直なところ誰でも構わない。
さきほどまでシグルドに呼ばれていたのは、多分一番最初に落とさなければいけないリューベック城はランゴバルトが守っているだろうということからだった。嫌というほど自分の父親の力について冷静に情報を提供しなければいけないことは、レックスを苦々しい思いにさせたけれど、それは避けて通れない道なのだ。
アイラはじいっとレックスの顔を見た。
一体それが何を意味しているのかわからなくて、困ってレックスはすぐに音を上げる。
「なんだなんだ」
「本当にレックスは大人になったな」
「はあ?」
「出会った頃のお前なら、力量は関係なく、自分に父親を討たせてくれときっと言ってたと思う」
「・・悔しいけれど、それは当たりだな」
それは、勇気ではない。ただの無謀な行為だ。まったく意味がないことだし、更に言えばなんらかの害を引き起こすような行為にもなりえるだろう。
「シグルド公子は、レヴィン王子を親父に差し向けるつもりだ。同じ神器をもつものでも、親父は魔法にはそう強くはない。しかも、スワンチカとはいえ必ずしも命中するとはいえない。いいたかないけど、斧だからな」
「しかし、もしも命中したらすさまじい威力だぞ」
「それは、誰がいっても同じことだ。そして、きっと親父を倒しても神器は・・・他に、二つ残っている。レプトール卿のトールハンマーと、アルヴィス卿のファラフレイム。誰かが、命をかけなければいけない」
「そう・・・そうだな」
「それに、命を賭けるのは、今に始まったことじゃないだろう?」
「わかっている。別に何を憂えているわけでもない。ただ、言葉には出来ないだけだ」
「何を」
「お前たちの汚名を晴らしたいという気持ちと、お前の父親を殺したくないという気持ちが私の中にある」
「・・・アイラ」
その言葉があまりにも意外で、レックスはアイラの言葉を静かに待った。
アイラはとても言いにくそうに、それでも多分伝えたいのだろう、切れ切れに言葉をつむぎだす。
「わたしの両親は、多分お前の父親の指揮のもと、殺された」
「・・・ああ」
「だから、この子達にとっての祖父となる人間は、お前の父親しかこの世に残っていない」
アイラはそういってそっとうつむいた。
どうにもならない彼らの血統が、これから生まれてくる子供達への思いとあいまって彼等を苦しめる。
「・・・わかってる。わかってるよ、アイラ。だからこそ」
レックスは諭すようにアイラに言った。
「お前が言っているのは間違ってない。でも、逆に、親父が生きていてはいけないんだ。いつの日か、俺たちの子供が・・・」
いや、それ以上はいうまい。レックスは苦笑した。
「忘れてくれ。もう、内緒話は出来ないんだったな。こいつらが聞いているんだし」
「レックス」
「俺は親バカになりそうだ」
そういうとレックスは立ち上がる。本当はもっと色々話をしたかった。けれど、これだけの話で今日の彼にはもう手一杯で、始まる戦について考える時間も必要だった。自分が優先しなければいけないことはアイラと会話することではない。少なくとも今は。
短い時間で何もかもを処理するには彼には考えなければいけないことが多すぎる。
そして、彼が今考えたいと思っていることは自分だけで思い煩いたいことばかりなのだ。これについてはどんなに彼らが愛し合っていたとしてもアイラの手を借りる気はない。
そういった彼の様子をアイラは薄々気付いているのだろう。彼女は何も言わずに出て行こうとするレックスを目で追っていた。
ガチャリ、とシャナンのそれよりはかなり大きい音でレックスは扉を開く。そこでようやくアイラはもう一度愛しい男の名を呼んだ。
「レックス」
「・・・悪い、ちょっとふらついてくる」
「ああ、わかった」
そっとアイラは立ち上がる。
「気をつけろよ。考え事をしているときは、注意力が鈍る」
「そうだな」
その言葉はとてもアイラらしくて、レックスは笑みを漏らす。これが彼女からのとても優しい言葉なのだということを知らない男ではない。ぱたり、と閉まった扉を見て、そっとアイラは腹部に手をあてた。
体重の変化はアイラの膝を痛めるかと心配だったけれど、それもなく順調に自分達の子供は育っている。
愛しいと思う反面、その愛しさゆえにレックスが苦しんでいるのだと思うと、わずかにアイラは眉根を寄せてしまう。
よっこいしょ、とソファに座りなおすと、うつむいた瞬間にさらりと自分の髪がおちてくる。
子供達に栄養を取られた髪は、わずかに毛先が細くなっているのがわかった。

そうだ、レックスに髪を切ってもらおう。

何故そんなことを思いついたのかアイラは自分でもわからなかったけれど。
それはとても嬉しい思いつきに彼女は思えた。自分が大好きな男に髪を切ってもらう。
なんだか新しい遊びを考えた子供のようにアイラは一人で小さく微笑んだ。


それから数日たち、日に日にグランベルの動きに対して警戒が強まってきた。
お互いにいつ打って出るのか伺っていることはぴりぴりとした空気でわかる。きっと、何かが引き金になるのだ。
どちらもすぐに動かない理由はわかっていた。
シグルドは前述のとおり、今すぐシレジア近くで戦を始めるのは内乱がやっと収まってラーナ王妃があちらこちらの町の復興を進めているシレジアにとってはあまりいいことではない。やるならばシレジアがもう少し落ち着き、例え多少の影響があったとしても防衛ラインをシレジア側で引けるほどに兵力が回復してからの方がいいに決まっている、と考えていた。
残念ながら自分達が守る、とはシグルドはラーナ王妃には言うことは出来なかったし、シグルド軍だけをグランベル側が狙っているから我々が動けばシレジアは安心だ、とも断言できなかった。
それは王子であるレヴィンも同じ考えだったし、どんなにラーナ王妃が自分達は大丈夫だ、といったところで誰の目にもシレジアが今弱っていることは明らかだった。
ただ、これ以上シレジアがグランベル側から直接痛手をうけないように、何かあればすぐにザクソン城を出る準備は事欠かない。
もちろん、これらはあくまでもシグルド軍の思惑だ。

グランベル側(というよりもランゴバルト側というのが正しいだろう)は、長男ダナンをイザークに派遣したものの、未だイザークの辺境はダナンの手に負えず、反乱が勃発していた。
それはアイラやシャナンを見てわかるとおり、イザークの民の気質によるものだ。
彼らは決して剣の誇り、自国の誇りをいつどんなときでも忘れることはない。
そして、彼らの剣技は実際にダナンの手を焼かせて、ダナンは何度か父親であるランゴバルトに増援の要求をしてきた。
そんなことに構っていられるか、とランゴバルトはすぐにでもシグルド軍に兵力をぶつけん勢いではあったが、実際にシグルド達を葬り去ってからイザークの王になるのは自分なのだから、今のうちにダナンがある程度平定しておいてくれなければ自分に火の粉がふりかかる。
それに、もう一つ落ち度があった。
ユングヴィのバイゲリッターは思いのほかに砂漠越えをしてランゴバルトのもとに駆けつけるのが遅れている。
(本来はシレジアの内乱のあと、アンドレイ殿にはここに残ってもらう手はずだったのだが、仕方がない)
それを思うと口惜しくて仕方がない、とばかりにランゴバルトは直りようのないしかめっ面で部屋の中で眺め飽きた地図を繰り返し見ていた。左手には昼間からワイングラスが握られている。正直な話、動けない間は彼とて暇を持て余してもいた。焦りは禁物だと長年の経験が彼にいう。例え腹黒くても彼は歴戦の勇者で、斧戦士ネールの血統を持つ聖斧スワンチカの後継者だ。こういうときは例え急激な状況変化が来ようとも余裕をもって構えている人間が最後には勝つ。それは、彼の信条だった。
彼の野望はもう目の前で達成されようとしている。なのに、最後の最後で彼の思うとおりにならない。
グランベルは今、各国へ侵略を行っている。だからこそシレジアの内乱にバイゲリッターを差し向けても何の問題もないようにランゴバルトは思っていたし、アンドレイもそうだった。
それを、他国からの糾弾が大きい、として形ばかり体裁を整えるために一度アンドレイ達バイゲリッターはアルヴィスにバーハラに引き戻された。
とはいえ、アルヴィス本人がそんなことを思っていたわけではもちろんない。
実質現在政権を握っているアルヴィス卿は、ランゴバルトやティルテュの父であるレプトールと共にシグルドとその父バイロン卿を落としいれようとしている。
が、それでもまだグランベル王はアズムール王であったし、彼はシグルド達の謀反に対しては未だに納得がいかない様子もあった。
そこはうまくアルヴィス卿がやってくれているはずだったし、実際にそうだった。
けれども、アズムール王は建国以来中立を保ってきたシレジアに対してバイゲリッターが牙を向いたことをどこから情報入手をしてきたのか知ってしまい、その事の真偽を確かめるためにアンドレイをバーハラに呼んだのだ。
とうにイザーク討伐は終わり、ランゴバルトからダナンがイザークでの権限を引き継いでいるはずなのだからバイゲンリッター達はユングヴィに戻っているのが自然ではないかとアズムール王は思った様子だ。その懸念は当たり、実際に呼び出しにアンドレイはすぐに応じることが出来なかった。ユングヴィにいれば差ほどでもない距離だったが、現に彼等バイゲリッターがリューベック城に駐屯していたし、騎馬で砂漠を南下しなければいけなかったからだ。
なんとかアルヴィスに食い止めてもらいたいところだったが、いくら病床の人間とはいえ、不穏に思うことが複数あれば、そのすべてが「気のせい」や「間違い」であるわけがない。老いてクルト王子を亡くして気が弱っていても、彼がこの大国の王であることは代わりがない。
アルヴィスでも防げないことは防げない。例え魔導を使ったとしても。
シレジアの内乱に荷担したことについてはアズムール王は頑なに真実を求めた。たとえ謀反を起こしたシグルド達をかくまっていたから、という理由であれ
それはシレジアのダッカー公の味方をする言い訳にはならない。
かくして、ランゴバルトやレプトールの思惑の通りにほぼシナリオは進んでいたが、そこここで落ち度は発生していた。
(そのおかげでシグルド軍はラケシス、アイラ両名の戦力を、のちのちまた得ることが出来る幸運に見舞われる反面、ティルテュという貴重な魔法戦力と、よりによって唯一どこにでもいける天馬騎士フュリーを戦線離脱させなければいけなくなるのだが・・・)
ばたばたと通路を走る音がする。伝令の足音だろうか。
やがて、ランゴバルトの部屋の扉がノックされる。
「入れ!」
ランゴバルトは重々しい声で入室を許可した。
「何事だ」
入ってきた兵士は伝令の若い使い走りの兵士ではなく、以前から見慣れた兵士だった。それへ一瞥してランゴバルトは背もたれに体を委ねた。兵士の表情を見れば、それが火急の用なのかどうかくらい、彼にはわかる。
「はっ、ただいま伝令がはいりました」
「何だ」
「はっ、アンドレイ様のバイゲリッターは砂漠をあと僅かで越える模様です。早ければ夕方、どんなに遅くても明日早朝にはこちらにたどり着くとのことです」
「そうか。部屋を準備して、替わりになる馬を確保してあるな?」
「はい。万全です」
砂漠を越えた馬には休息が必要だ。けれど、それをわざわざ与えるよりも、新しい馬を用意した方が効率がいいとランゴバルトは知っている。後は人間が元気になればいい。
とはいえ、短い期間で往復を繰り返したバイゲリッターを多少哀れと思わないわけもない。少なくとも同じことをしろ、といわれたらランゴバルトはご免こうむる、というのが正直な感想だ。それを思うと丁重にもてなしてやるだけの気持ちはランゴバルトにもないわけではない。
「それから」
「なんだ、まだあるのか」
「ザクソン城方面に斥候に出していた兵士が二人、戻ってきません」
「ふん、大方やられたんだろう。無能め」
「どういたしましょうか」
「捨て置け」
「はっ・・・代わりを派遣いたしますか?」
「何人やっても、無駄ということだ。やつらも阿呆ではないということだな・・・もういい、下がれ」
「はっ」
兵士は敬礼をしてからランゴバルトの部屋をで出ていった。
下がれ、といった時点から既にランゴバルトはその兵士がいようがいまいが関係なくなり、物思いにふける。そういうときに立派な顎鬚をなであげるのは彼の長年の癖だった。考えるのはもちろん、シグルド軍のことだ。
やつらは阿呆ではない。
阿呆だったらとっくの昔に処刑出来ているに決まっている。
こんなに大掛かりな戦争を用意しなければいけないとはよもや思ってもみなかった。
そして。
自分の息子が、自分に対してここまで頑なに逆らうとも思ってもみなかった。
「馬鹿息子め。あいつがおれば、ダナンのサポートをさせたものを」
そういってランゴバルトは残っていたワインを飲み干し、忌々しそうに実の息子の名を読んだ。
「レックスめ・・・許さぬぞ」

Next→



モドル

ついに、バーハラ前が始まりました。こういう話は本当に書いていて楽しいです(おいおい)
いつ書きあがるかわかりませんが、各城攻略単位ぐらいでやっていきたいかなあ、と・・・。
まずは、運命の親子対決からどうぞvv