宿命の鼓動-4-

2日目に雨が降ってうんざりする状況での野営になってしまったけれど、この雨は明日には止むし、あと数日は降ることはないだろうとレヴィンが断言したため、彼らは撤退せずにずっと防衛ラインで息を潜めることになった。
シグルドがティルフィングを携えて戻ってきてくれたことで更に彼らの士気は高まっていたから、わずかな辛い野営でも文句を言う者は一人たりといない。それが本当にありがたいことだとシグルドは思う。
彼が到着するまで指揮をとってくれていたレックスへの評価は高く、それをまたシグルドは嬉しく思えた。
確かにレックスはよくやってくれていたし、何よりもレヴィンやベオウルフまでが「やつはよくやっていたよ」と評価していることが全てを物語っていたように思える。が、当のレックスは「もう二度とご免だな」と弱音を吐いてもいたけれど。
リューベック軍とシグルド軍が交戦状態にはいってから3日目、ついにリューベック城からバイゲリッターが動き出した。
斥候役に出ていた慣れない天馬騎士が迂闊に近づいたために、バイゲリッターに発見されて既に一騎犠牲者が出ていた。
シグルド軍が接近をしていけば、調度日中に激突することになる。逆に、彼らが動かなければ夕方近くの交戦となる。
どちらがいいともいえなかった。前日に雨が降ったとはいえ、別段地面のコンデションは悪くない。
弓騎馬兵相手にするのは、正直これが初めてだ。
オイフェは日中に決着をつけたほうが良いと断言した。
今のシグルド軍にとってバイゲリッター自体は脅威ではないと思われるけれど、その後に続くリューベック城攻略を考えても夜まで戦いが長引き、また早朝に兵が送り込まれるのはかなり彼らの体力を消耗することになる、と。
また、実際にリューベック城に残っている戦力が把握しきれていないわけだから、用心にこしたことはない。
かくして、シグルド軍は聖剣ティルフィングを掲げたシグルドの元、更なる団結を見せてバイゲリッターに向かうのだった。

雨の後に乾いた地面からは、視界を悪くして歩兵の動きを鈍らせるほどの砂煙がもうもうと立ち込める。
けれど、その程度のことで困るような人間はシグルド軍にはいなかった。
乾いた地域が多いイザークで育ったホリンはもとより、視界が悪くとも的確にいつでも弓をはなつジャムカにとっても問題はなかった。
シルヴィア曰く「あたしは睫が長いから、何も困らないわ」ということだったから、唯一困るものといえばティルテュがお気楽に「髪が砂かぶっちゃう。嫌ね」なんて言っていることぐらいだ。
馬のひづめの音と敵兵の悲鳴と味方の叫び声と巻き起こる砂煙の中。
ブリギッドはただひたすら、バイゲリッターを指揮している弟を探した。
「ブリギッド!」
砂煙をまきおこしながらレックスが彼女の側に馬をつける。既に彼は胸元に返り血を浴びていて、それが敵兵を倒した勲章となっていた。彼は無造作にブリギッドの腕を掴む。
「乗れ」
「えっ」
「・・・アンドレイはまだ後方にいる。まがりなりにも聖戦士の血をひく男だ。指揮力が高い。あんたを連れて行って先にアンドレイを倒して欲しいと言われた」
その言葉を聞くやいなや、ブリギッドは躊躇せずに、自分の目的と現在の戦況を瞬時に判断してそれ以上はレックスの手をわずらわすことなく軽い身のこなしで馬に飛び乗った。
礼も言わずに苦笑してただ一言
「アイラに妬かれるかな」
「バカいえ、そんなタマか、あいつが」
「レックスは女心がわからないようだね」
「ああ、いつでも修行中だよ。黙ってないと舌を噛むぞ?」
馬上からの射的をブリギッドは得意としない。ただレックスの邪魔にならないようにおとなしくしているのが関の山だ。
「右!」
砂煙に紛れてバイゲリッターが弓をひく姿を確認してブリギッドは声をあげた。レックスはそれに反応して敵兵の右側に瞬時に回り込み、右手を水平に横になぎはらった。叫び声が聞こえる。そのまま手首を返して勇者の斧を逆側から斜めにふり戻す。そんな芸当を片手でやりながら左手だけで手綱を制御する彼の腕前をブリギッドは惚れ惚れと見ていた。
「やるね。そんなにたやすく斧を扱うなんて。さすがネールの血をひくだけはある」
「ふん、スワンチカも使えないできそこないだけどな、俺は」
声を振り絞って叫ばないと聞こえないほどの混戦の中にレックスは飛び込んでいた。彼がブリギッドを乗せていることに気付いたアゼルが、エルファイアを撒き散らしてバイゲリッター達を蹴散らした。ひるんだバイゲリッター達を押しのけて更にレックスの両脇にアレクとノイッシュがサポートについて遮る敵兵を倒してゆく。後方からはシグルドの怒声にも聞こえる厳しい統率の声が聞こえたけれど、既に彼らにはそれは意味をなさない。
「いいんだよ神器なんてもんは」
もうレックスは聞いてはいないかもしれない。それでもブリギッドは言った。
「戦え、と選ばれてしまった人間のものだ。神器を継承しなかった人間の方が、幸福の近くにいるのさ」
馬は速度を増して、そしてレックスは狙いを定めるバイゲリッター達をその速度のままなぎ払う。
「邪魔だては、容赦しないぞ!?」
血飛沫の中、ブリギッドはレックスの腰にしがみついた。
馬が走れば走るほど。
斧をふるうレックスの心臓の音が聞こえてくるような、そんな錯覚をブリギッドはうけて何度か背後から彼の表情を見ようとする。
けれど、その激しい戦いぶりにはブリギッドが動く事を許す余裕は感じられないほどだった。

バイゲリッターは数部隊にわけてシグルド軍を激突した。その数からすると、バイゲリッターは全部隊シグルド軍討伐に派遣されていたらしい。さすがにそうなるとすぐに決着はつかなかったけれど、数回目のバイゲリッター襲撃で明らかな戦局の変化が見えた。
わあっと自軍の前線部隊がどよめいて色めき立つのが遠目でもわかった。
その様子を見聞きして、エーディンはそっと瞳を伏せる。神の名を口走り、そしてその名を発した事を恐れたように。
ああ、ついに来るべき時が来たのだ。
その彼女の傍らには後方部隊を守るために前線から下がってきた愛しい夫の姿があった。
「エーディン」
ジャムカはそっと彼女の肩を抱き寄せる。
「・・・アンドレイが誤った道をたどったのは、一番近くにいた姉である私の責任です」
そんなことはない、とジャムカは慰めなど口には出さない。彼もまた、自分の国の過ちと自分の罪を背負いながらここにいる人間だから、生半可な言葉を口にするわけにはいかないのだ。
けれど本音は、自分の妻だけにはこんな気持ちを味合わせたくなかったし、出来るのであれば彼女の弟が犯した罪を消し去りたいとすらジャムカは思っていた。たとえそれがかなわぬことと知っていても。
そのときジャムカの後ろで伝令役をまとめていた少年がすばしっこい動作で近寄ってきた。
「・・・おいら、行って来る。勝手な行動だけど、許して欲しいんだ」
金髪を後ろに束ねて、大きい瞳をエーディンとジャムカに向ける。それは、エーディンの姉が唯一心を開いている少年の姿だった。
「デュー」
「あの人は、きっと泣かないし何もなかった顔をすると思うけど。みんな、きっとあの人によくやった、って誉めるんだと思う」
まだまだ少年だけれども、出会った頃からかなり背が伸びて幾分精悍な顔つきになった彼はそっと呟く。
「そうね・・・戦とはそういうものだわ」
「でも、そんな言葉は、きっと欲しくないんだ、あの人は」
「デュー、お姉さまを・・・お願い」
それへは小さなうなずきだけを返して、少年はその場を駆け出した。
前線のざわめきは、バイゲリッターを率いていた敵将アンドレイをブリギッドが討ち取ったことを、彼らに知らせるのに十分だったのだ。

アンドレイを失ったバイゲリッター達は他に統率をとる副官もいない状態で、混乱の中で意味のない特攻を繰り返し、何騎かの離脱もあってそのまま牙城がもろく崩れ去った。そもそもこの弓騎士団代々ユングヴィ家当主でイチイバル継承者が本来は率いるべき部隊だ。そこまでの効果は狙っていたわけではないけれど、イチイバルを引くブリギッドを見たことで彼らのためらいがそこここで生じたのも事実だ。
が、離脱をした騎士をシレジア天馬騎士団が許せるはずもない。
降伏をする騎士以外でばらばらに撤退をしようとしたバイゲリッターを天馬騎士団はぴたりと囲んで逃がさなかった。
弓兵が手出しを出来ない近距離で追い詰め、降伏してシレジアの内乱にまで関与して天馬騎士団に騙し討ちをしかけた罪を認めるか、それともこのまま退却してランゴバルトの怒りを買うか、それともそのどちらもせずに天馬騎士団に葬られるか。
それは残酷な選択肢ではあったけれど、放置しておくことは彼らには出来なかったのだ。
シレジアの大地を天馬騎士団の血で紅く染めさせたバイゲリッター達は、まるでその償いを己の血でするかのようにばたばたと天馬騎士団の生き残り達に囲まれて倒れていった。罪の償いを、と叫ぶ騎士は厳重に捕らえられて即シグルドの前に連れて行かれてリューベック城の状態についてすべての情報を吐き出すのだった。
アンドレイの戦死と共にシグルド軍の勝利は確定した。かといって浮かれることなく、冷静にシグルドはリューベック城付近に派遣した斥候役の報告を待ち、離脱したバイゲリッター達からの情報との照合をしなければいけないと考えていた。
とはいえ、どんな状況だろうと遅かれ早かれ彼らがリューベック城に攻め込むことは間違いはなかったから、誰もがその覚悟はあったし続く戦への準備には余念がなかった。
バイゲリッターを蹴散らした残処理にばたばたと慌しく新米騎士達がおわれている。それと逆流して、最前線にいたレックスはようやくブリギッドをシグルドの元に送り届けて、彼女の報告も聞かずにその場を離れた。
その面持ちが彼にしては何か思い煩っているらしいものだと、ちらりと見たアゼルはすぐに気付く。
「レックス」
「熱、あるんじゃない?顔少し赤いよ」
「いや、そんなことない」
「・・・どうしたの。お父上のことを考えているの?」
「まあな」
小さく笑うレックスの表情はあまり芳しくない。そのとき、彼らの前をデューが横切ろうとした。
「おっ、デュー」
「ああ、レックスの兄貴」
「ブリギッドは今、シグルド公子んとこにいってるぜ。ご報告ってやつだ」
「そっか」
「涙ひとつ見せなかったが、アンドレイを討ち取ったあとは一言も口を開いていない。泣きそうな顔だってしてやしないけど、お前の前なら泣いちまうのかな、彼女は」
「レックス、下世話だよ」
あまりにずけずけと恋人達のことについてレックスが赤裸々なことを口走るのでアゼルはちょっとだけ呆れた顔でレックスをたしなめた。が、レックスは真面目な表情でデューを見ている。どうやら茶化すつもりは毛頭なかったようだ。
「あの人は泣かないよ」
それに対して、どうということはない、という顔でけろっとしてデューは言う。まだ幼さが残ったその顔でちょっとだけ拗ねた表情を見せてデューは彼にしてはおとなしく答えた。
「あの人は絶対、泣かない。だって、泣くことじゃあないじゃん。あの人は、自分が罪を犯したことに対して泣くほど弱くないよ」
「じゃ、なんでお前、ここに来たんだよ」
「バカじゃないの、レックス」
デューは小さくふくれてみせた。
「泣かなくたって心がつらいからに決まってるじゃん。・・・おいらじゃいつだって役不足だけど、側にいることくらいしか出来ないけど、側にいることであの人が楽になるなら、おいら、どこにいたってあの人のところに行くよ」
少しだけ、わかる気がした。
海賊として育ったブリギッドは、盗賊であるデューとそれまでの生活が案外似通っていたし、なんとはなく話題もあうことが多い様子だった。
だから、なんとなくあの二人は一緒にいるのだな、なんてことを思っていたのだがそれは多分間違いだ。
自分達だったら、多分「側にいることくらいしか出来ない」なんてことは言えないし、言いたくない。
どんなにアイラが暴れん坊だってレックスは彼女を守ってやりたいし、彼女の背負っているイザークのしがらみを少しでも軽くしてやりたいとも思うし、彼女に何かをしてやりたい、男である自分が彼女に何を出来るだろうか?と幾度となく思う。
が、ブリギッドにはそんなものはいらないのだ。
彼女にとって必要なものは、多分レックス達はもっていないものなのだろう。
側にいることだけしか出来ない男なんて、とレックスは思ってしまうけれど本当はそうではないのだ。だって、自分はいつでも側にいてやる、なんてことは逆に出来ないではないか。
「デューは大人になったね」
「お前もな」
「ええっ?僕が?」
「ああ」
「ははは、そうかな。まあ、親になる人間だからね・・・大人にならないと」
アゼルはさらっと気負いもなくそう言った。
シグルド軍はみなシグルドからの命令がいつ出るかとそわそわしている様子が彼らにも伝わって来ている。誰もレックスとアゼルの会話なぞ聞いてはいない。こういうときに他人に聞かれたくない会話は、逆に普段と変わらぬ調子で話す方がいいとアゼルは知っていたからそのままさらりとレックスに聞く。
「レックスは、泣きそうだよね」
「・・・バカいえ」
「ブルギッドは泣かないかもしれないけれど、レックスは、泣きそうだ」
「ふざけんなよ」
「そうやってムキになるのも久しぶりだね。余裕がないってことじゃないのかな。最近のレックスはさ、結構素直になってるから「そうかもな」なんて答えるかと思っていたのに」
くすくすとアゼルは笑う。物静かなレックスの親友は、時にはこうやってレックスの痛いところを的確につついてくれる。それがとてもレックスにはありがたかった。まあ、時には叫びだして逃げ出したくもなるのだが。
「余裕なんか、ないよ。あるわけない。もういっぱいいっぱいだ」
「レックス」
「いいよ、アゼル。俺のことに構ってる暇があったらティルテュのところにいってやれよ」
「・・・うん、そうするよ。どうやら、あとは自分の問題みたいだね」
「くっそ、知った風に」
「知ってるもん」
アゼルを蹴飛ばす真似をするレックス。
それをアゼルは小さく笑ってかわして、レックスの言葉通りティルテュのもとへと歩いていった。
その背中を見送って、大きな木の根っこのあたりによいしょと腰をかけながらレックスは苦笑する。
「バカだな、心配かけるなよ、俺。不甲斐ないことこの上ねえなあ」
いっそのことすぐさまリューベック城へと向かって欲しいのに。レックスは苛立っていた。
正直なところ、シグルドの代わりを務めることを立候補したのは正しかった。それは、軍として見てもそうだったし、何より自分自身で今は何かに没頭している方が楽だったからだ。
こうやって空白の時間があくと、やはり考えずにはいられないのは父親が犯した罪や、これから自分が犯す親殺しの罪だった。そのとき
「アイラ」
愛しい恋人の名が自分の口から出たことにレックスは愕然とした。意識しないでの発音だったのだから、相当にたちが悪い。
「・・・まいったな、こりゃ」
いつものくせでレックスは乱暴にかきあげた。彼の前髪は戦が終わるといつも多少はおちてくるけれど、簡単にそれはもとにもどすことが出来て、大層楽なことこの上ない。
レックスは、自分が名前を口走ってしまった愛しい恋人のことに思いを馳せた。
アイラが側にいないことで、正直なところ指揮をとるのに気負いはなくて楽だった。けれど、それ以外のことでは彼女がいない、ということでいいことはあまりないような気がする。
シレジアに残る、残らないと話をして言い争いになったのはいつのことだっただろう?
そんなことをレックスはぼんやりと考えていた。
シレジアに残って欲しいと思っていたレックスに、アイラはがんとしてそれを譲らなかった。シレジア滞在が伸びてしまった今となってはそんな彼らのやりとりは無駄になってしまったけれど、はからずもそのときにアイラが言っていたとおりになっているな、とレックスは苦笑した。
(事と次第によっては、お前はお前の父親と戦うことになる。
そんなときに、私が傍にいられないのは耐えられないし、お前も耐えられないに違いない)
そのとおりだよ、とレックスはため息をついた。
だけど、お前は今ここにいないじゃねえか。
それはアイラ一人の責任ではないし、どうにも出来ないことだった。
その、どうにもならないことを考えてしまう自分の女々しさにレックスは苦笑した。
アイラがレッグリングを手にいれてから、見渡せば視界のどこかに彼女の姿がいつでもあった。それがない、今の心許なさ。
レックスは腰につけている薬袋をもぞもぞと探ると、その中にはさらに小さな皮袋がはいっていた。
開けて見るようなものではないから、彼はそれをそっと握り締める。
「女々しいな、俺は。ブリギッドの方が余程男らしい。お守り、なんて柄じゃあないのにな」
苦笑して、またそれを薬袋に戻す。
わかっている、いつものような戦闘だったら別にこんな気持ちにはならない。それは自分でいやというほど承知していることだ。
一人敵兵を叩き斬るたびに、父親の首に近づく。
それに気付いたときから、レックスは少し興奮しているのかわずかに自分の体温が上がっている気がしていた。
落ち着け、落ち着け、と何度言い聞かせてもいつもよりも自分の心臓の音が大きく聞こえるような気すらする。
こんな状態じゃあ、体力を消耗しちまうな、とレックスは自分を落ち着かせることに集中した。
そのとき、シグルドから集合の声がかかったのが聞こえた。

「ふん、大した戦力が残らなかったな」
リューベック城でランゴバルトはシグルド軍を迎え撃つために完全武装に入っていた。
城内を守る兵士達の人数を自分で確認して、それぞれの配置を自ら指示をする。
面倒なことはいつも下っぱ兵士に任せておく彼だったが、ここまでの状況になっては、頼れるものは他にいない、とばかりに彼が何もかもを仕切りはじめていた。
城内のことばかりではなく、外を守る兵士の人数も少ない。
やはり、イザーク平定のためにダナンに幾分多めに兵を出したのが痛手だった。
それがわかっていたからこそ、アンドレイの協力を得てバイゲリッター全部隊をぶつけたというのに。
「だが、やすやすと突破はさせぬぞ」
「敵軍にはレックス様がいらっしゃるようですが」
長年ランゴバルトに付き従ってきた兵士が声をかける。
「それがどうした」
「説得なさってはいかがでしょうか」
「あんなバカ息子を説得して何になるというのだ。それに、あやつ一人がいてもいなくとも、この戦況は何も変わるわけがない」
「しかし・・・」
「わしに口答えをする気か!?」
「はっ、申し訳ございません・・・」
強い口調でランゴバルトは部下を黙らせた。
どうせ、レックスがいようがいまいが。ふん、と顔をゆがめて粗く鼻息を彼は吐いた。
「あの出来そこないが。アルヴィス卿の義弟なんぞと一緒に、どうせエーディン公女の美貌にでもたぶらかされてついていったのだろうが・・・あのバカ息子はいつだって役立たずだ」
それでも、ダナンより本当は見込みがあったのだがな、とわずかに苦笑せざるを得ないのがまた憎らしい。
確かに生まれたときに、神器を継承できるものは定めを決められる。残念ながらレックスは継承を出来る人間ではなかった。それでもランゴバルトがバカ息子と呼びながらも期待をかけていたのは事実だ。
何より、レックスはダナンの何倍よりかランゴバルトの若い頃に似ていたし、それに斧を教えても飲み込みが早かった。例えスワンチカを継承できなくとも、ドズル家の一員としてレックスは密かに期待されてはいたのだ。
それを裏切ったのはアクスナイトになったことだった。初めから継承出来ないことへの失望はあったけれど、ランゴバルドの失望は更に加速を増した。何故なら、他の斧ならいざ知らず、聖斧スワンチカを馬上から扱うことなぞ、到底無理な話だったからだ。
「バイロンの老いぼれがティルフィングをシグルドに渡したというが・・・確かに剣と斧では相性は悪い。それでも、あの若造に負けるわしではないわ!」
ダン、とランゴバルトは突然足を踏み鳴らした。
びくりと兵士達の間に緊張が走る。
「あの若造のように付け焼刃でティルフィングをもつのではない。わしは長年、このスワンチカと共に戦ってきたのだ!」
そして。
スワンチカによって導かれた勝者としての美酒にランゴバルトは酔いしれていた。
それが、彼の野望の引き金になっていたことを、レックスは薄々感じていたのかも知れない。
ばたばたと騒々しい伝令の足音。
来たか、とランゴバルトは一度目を閉じた。
こんな状況で、慌てて走ってくる伝令の内容なぞ、聞かなくとも彼には一から十までわかる。それは長年の勘というのも馬鹿馬鹿しいほど容易に想像できる内容だったからだ。
「レックスめ!わしが引導を渡してやるわ!」
次にランゴバルトが目を開けたとき。
その鬼気迫る闘気に、誰もが圧倒されるばかりであった。

ザクソン城へは細かい戦況の伝令までは来ない。
そんなところに無駄に兵士を動かすくらいならば前線で動かしている方がいい、とアイラとラケシスが口をそろえたからだ。
それに、彼女達には共に城を守ってくれるアーダンと残されたシレジア兵がいたし、ラケシス一人いれば回復役もいるわけだから、多少危ない橋を渡ることになっても問題はないと思われた。
前線には少なくとも5日分の食糧は運ばれていたから、最悪の状態では5日間なんの連絡なしということもある。特に城攻めが始まれば、圧倒的に守っている方が体力を消耗せず攻め込むほうが消耗することは事実だから、更なる食糧運搬も必要になってくるだろうから、5日越えた時点で一度は情報が入ってくるのだということは彼女達もわかっていることだった。
「アーダン、疲れただろう。少し休むといい」
「なあに言ってるんだ、慣れっこさ。アイラこそ、そんな体で俺のことを心配するなんて」
アイラはこの数日間仮眠しかとっていないアーダンの元に訪れた。彼は城の外に出て正門近くにどっかりと座り込んでいた。
アーダンはいつもシグルドから信頼をうけて城の警備についている。
時には城からわずかに出たところで、前線部隊が討ち漏らした敵兵を全て引き受けることもあるくらいで、今やシグルド軍にはなくてはならない鉄壁のジェネラルだ。大柄な体にごつごつした輪郭の顔つきが印象的なこの男は、シグルドにずっと付き従ってきたシアルフィの騎士の一人で、筋金入りの体力バカとアレクから言われている。
それでも彼一人で居残り組を統率しながら城の守備を続けるのは不可能だ。
戻ってきてくれたオイフェと、ある程度動けるようになったラケシスがいてくれることがどれだけ彼にとってありがたいだろうか。
「お腹の子供ももうすぐだよなあ」
呑気にアーダンはアイラに笑いかける。この気のいい男とはあまり多く話すことはなかったけれど、アイラにとってはアレクやノイッシュに比べて話しやすい相手ではあった。
「ああ、あと一月半というところだ。ラケシスと大体それくらい時期がずれていたらしいし」
「ちょうど冬に差し掛かるくらいだな」
確かにそうだった。
早春の頃にアイラとレックスは結ばれたのだし、指を折って数えればわかりそうなものだった。
前述のとおり、炎天下の砂漠を横断することを躊躇ったシグルド達は真夏を回避するためとシレジア国内が落ち着くのを待って秋にはいってから動きを見せた。リューベック城までいってしまえば冬とはいっても雪がほとんど降らない地域になるし、逆に砂漠も南下しやすくなる。朝晩の温度変化は多少厳しいけれど、夏に比べれば楽勝ともいえよう。
「・・・心配しないで、部屋に戻ってろよ、アイラ。この城は俺が守るし、第一妊婦に剣は似合わないぞ」
「そうだな。それはきっとお前が正しい。それでも、不安なんだ」
「俺を信用しろって」
「ああ、アーダンのことは信用している。それは本当だ」
じゃあ、一体。
そういおうとしてアーダンは、アイラが前線方向の空を見つめていることに気付いた。
そうだよな、と一人でアーダンはうなづいて視線をそらす。
彼女は今、自分の体ではなくてレックスのことが心配で仕方がないのだろう。いくらなんでもそれがわからないほど、人間の心の動きに気付かない男ではない。
「こらこら」
「んっ?」
アイラが突然ちょっと呑気に何かに声をかけている。驚いてそちらを見ると、腹部をアイラはなでていた。
「なんだ?」
「子供達が、騒いでいる。いたたた、こら、蹴ると痛いだろう?」
そういいながらもその表情は愛しそうで、アーダンはアイラをまじまじと見つめる。
彼らが知っているアイラは、こんな女性的な表情を見せる人間だっただろうか?
「・・・!」
そのとき。
遠い遠い東の空に稲光が走った。
「何だ?雷か?」
「いいや、違うぜ。ああ、アイラは遠くからみたことがないからわからねえのかな」
「え?」
「あれは、ティルテュのトローンだ。・・・あの位置からいくとかなりの遠距離だから・・・多分、リューベック城に向かって動きだしたんだろう」
「・・・便利だな、のろし代わりになって」
驚いた顔でアイラはアーダンを見た。アーダンは言葉を続ける。
「更に優れているのは」
「うん」
「トローンのときとサンダーのときは違うってことだ。つまり・・・」
そこでアーダンの表情は引き締まる。
「今、相手にしている敵は、ザコじゃないってことだな」
「・・・そういうことになるか」
それは二人の表情を曇らせた。当たり前だ。わかってはいたけれど、リューベック城攻略も一筋縄ではいかないのだろう。
「う」
アイラは腹部を抑えて、わずかに眉根を寄せた。
「何を騒いでいるんだ?お前たちは」
「お腹の子もいってるんだろうよ」
「何が」
「あまり出歩かないで、おとなしくしていろって、さ」
「・・・まいったな、誰も彼も私を部屋に閉じ込めようとしているようだ」
「俺のお袋がいってたよ」
「何が?」
「男だから、女だから、と何でも決められるわけではないけれど、女は、明らかに女にしか出来ない戦いがあるんだってよ」
「?」
「出産っていうものが、さ。嬉しくてとても幸せなものだけれど、あの苦しみに立ち向かうときは、戦いなんだと言ってたぜ。逆に男は、男にしか出来ない戦いなんてもんは、本当はないんだ。だから、逆に女に対して女は黙ってろ、とかおとなしくしろ、とか口に出したがるんだと俺のお袋は笑っていた。さも、男の方が強くて大事な戦いを控えているように見せかけたいんだとよ」
そういってアーダンは小さく笑った。アイラは苦笑して
「いや、女は女の体の限界がある。それを超えられるとは思ってはいない。だから、アーダンの母上がおっしゃることは半分当たっていて半分は外れていると思う。まあ、男でも女より力もなければ体力もない人間がいるけれどな。・・・そうだな。とりあえず私は私の戦のために、この子達とおとなしくしていよう」
「ああ、アイラにはとても剣が似合うけれど」
アーダンは柄にもなく、わずかに頬を染めて言う。
「今は、静かにしていた方がいい。その方が、レックス公子も喜ぶだろうさ」
「・・・ああ。ありがとう、アーダン。頼りにしている」
アイラは小さく笑顔を見せてじゃあ、と軽く手をあげた。ザクソン城にアイラが入ろうとしたその瞬間。
遠い東の空に、もう一度稲光が見えた。
ああ、あれがトローンの光なのか・・・なんて美しかったのだろう。
剣をふるって血みどろになっているときに後ろの方でティルテュが唱えている姿は何度かみたけれど、こうしてゆっくりとその魔法の力が放つ光を見ることは初めてだった。
その光は、アイラ達にとってはリューベックへの進軍を教えてくれる幕開けの光で。
そして、レックスにとって、戻れない道の上でもう一度背中を押してくれた、戦いの火蓋を切る始まりの光でもあった。
「レックス」
アイラはそっと自分の愛しい恋人の名をつぶやいて、城に入る前にもう一度だけ東の空を見つめた。
その名を呼んでも、返事は返ってこない。
それでも、アイラはその名を繰り返すのだ。
「レックス・・・」
彼が苦しむ姿を見たくはない。けれど、その姿を見られないことは、どんなに不安なのだろう?


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