耳をふさいでも目をとじても-1-

リューベック城をおとしてから、完全に彼らがザクソン城からリューベックに居住地を変更するのに半月かかってしまった。
多分、もともとはリューベック城に援軍、という形で来るはずだったと思われるグランベルの部隊が砂漠を越えてきたものだから、何度か軽く交戦を行ったこともあって進軍ははかどらない。
どちらにしたってこれから砂漠を渡るということになっては少しでも砂漠に近い場所に足場を確保しておきたい。そのためにはリューベックに完全に彼らの物資を移すことが必要だったのは確かだ。
バーハラへの道のりはまだ長い。かといって、ここで悠長にしているわけにいはいかなかった。
デルムッドを産んだラケシスとレスターを産んだエーディンはもう元気に以前と同じように動けるようになっていたけれど、時期が悪いことにアイラが出産を控えていた。そして、挙句にティルテュとフュリーが懐妊したということがわかって、誰もが苦笑を隠せない。
が、実のところフュリー懐妊についてはレヴィンなりの事情があったようで、彼はそっとシグルドにだけはそれを話してくれた。
シレジアという国は、今、過去最大の危機に陥っている。
そんなときに王子であるレヴィンが、シレジアの象徴ともいえる風の魔法フォルセティを持って国を出ることはあまりにも国をないがしろにしているように思われる。せめてレヴィンの妻として(挙式は行っていないが)フュリーがラーナ王妃の側に残っていてくれるならば。それも、後継ぎを身ごもって。正直なところ、打算的な懐妊といえばそう思われても仕方がないことだ。
「フュリーは知っているのかい、君のそういう気持ちを」
「・・・知っている。もちろん、そのために子供を作った、とまでは言ってないけれど」
とレヴィンは苦笑してみせる。リューベック城の一室でシグルドとレヴィンとオイフェは二人で明後日の出陣の計画を立てているところだった。オイフェは静かにそっと二人のやり取りを聞いているだけだ。
「そのためだけに、作ったのかい?」
「人聞きが悪い」
とてもめずらしくレヴィンはちょっと照れた風に首をかるくかしげた。シグルドは笑顔を見せて
「君の気持ちはわかる。それに、本当は君が一緒についてきてくれる、ということだって私にはありがたいくらいだ。君には本来関係がないことなのに」
「乗りかかった船だ。それに、シレジアを守るためにもなるような気がするしな」
「そうであって欲しい。・・・フュリーは何と言っている?」
「シグルド公子が許してくれるならば、砂漠を越えるまでお伴をして、それからシレジアに戻る、と。それがあいつのぎりぎりの譲歩だ。本当はバーハラまで一緒に行きたいんだけどな。それはわかっている」
「当然だ。・・・やっと、君を手にいれたのだからね」
「よせよ」
そういってレヴィンは苦笑して、ひょいと自分から話をそらした。
「まあ、アゼル達は、前からずっと子供が欲しいと言ってたからな。遅かれ早かれこうなることはわかっていたし」
「逆にいいだろうさ。レックスには自分の父親は殺せるが、ティルテュには出来ないだろう。あの子はそういう子ではない」
レプトール卿と対峙するとき、ティルテュをその場にいさせたくない、とアゼルはシグルドに語ったことがある。
「ティルテュはザクソン城まで戻すとアゼルが言っていたが」
「妥当な線だ。彼女はイザークで生きてはいけないだろう。例えとしては妙になるが・・・レックスならまだマシだ。いくらドズルの人間とはいえ、ランゴバルトを殺したわけだし、妻はアイラだし、ドズルの血が混じったとはいえイザーク王家の繁殖を手伝ってくれたわけだしな」
「繁殖っていうなよ」
シグルドはレヴィンをたしなめた。が、みるみるその表情がひきしまる。
「・・・が、確かにそうだ。ティルテュは・・・ランゴバルトと共にイザークを陥れた張本人の娘だしな。しかもレプトールの方がランゴバルドを操っていたらしいじゃないか。挙句、旦那はヴェルトマーの男だ。今のところアルヴィス卿がどこまで今回の件に関与しているかはわからないが、もしも彼らの悪事に荷担していらっしゃるようだったら、イザークに逃げたところでティルテュは針のむしろだ」
「で、イザークへセリスを逃がすための隠れ家は確保できたのか」
「ああ、ありがとう。シレジアの騎士団数名が力を貸してくれて、イザーク辺境の小さな村に逃げるまでの道のりを確認してくれた。途中まで護衛役にもなってくれるという。・・・オイフェ、準備は整ったかい?」
「・・・はい」
わずかに沈痛な面持ちでオイフェはうなづく。
数日前に、シグルドは息子のセリスをイザークに逃すことをオイフェに依頼した。これからバーハラまで行くのに物資はこの城においておくが、兵力を残しておくつもりはない。
更に言えばシレジアは今後グランベルからの侵略の標的になると思われるから、既に侵略をされてしまったイザークの辺境の村に身を隠した方が逆に良いのではないかという考えからだ。セリスの身の安全だけならともかく、何かがあったときラーナ王妃にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。それならば迷惑をかける相手がいないイザークへと逃げる方が適当に思えた。
ティルテュはまだしも、セリスは完全に反逆者シグルドの子供、という扱いで追われることになるだろう。もちろん、そうならないように彼らはバーハラへと向かうのだが・・・。
「シャナンとアイラ様がついてくれれば、ありがたいです」
セリスを守るのは僕だ、とシャナンは最後まで意地を張りつづけた。
それは、今は生き別れになってしまったシグルドの妻ディアドラを守れなかった深い自責の念がシャナンにあるからだ。
もういいんだ、シャナン、と何度かシグルドはシャナンに告げたが、逆にオイフェがそれへ進言をした。
シャナンはそもそもイザークの正統な王位継承者であるし、近隣の村人の話を聞けば、イザークの民はシャナンを待っているという。ならば、彼がついてきてくれたほうが見知らぬ国ではオイフェも心強い、と。
シャナンがイザークに戻るというならば、アイラも、というわけであったが、なにぶん今彼女は出産間近だ。
かといえ、彼女の出産が終わるのを待っていては時期が悪い。
だから、シレジア騎士団に頼み込んで、今のアイラが出産を行える、ここから出来るだけ道のりが厳しくない村を探してもらうことにしたのだ。途中までは目立たないように低空飛行で天馬に乗っていくしかないだろう。
「アイラは承知したのか?」
とはレヴィンだ。
「承知するもしないも、彼女はシャナンを守る人間だからな。これから話そうと思っているのだが」

「悪いが公子、私はこの城で子供を産みたい」
「アイラ」
「駄目か?」
アイラは座っているのもけだるい、という表情でカウチに体を預けて言った。さすがに子供二人が腹の中にいる、というものがどれだけとんでもないことなのかがアイラを見ればわかる。
彼女はかなり最近まで、身ごもっているとは思えないほどばたばたと以前と同じように動いて剣の鍛練もしていたから、腹部は大きいけれどそれ以外はそこまで肉が多くはついていない。更に言えば、体が重い、ということ以外は、懐妊がわかってからずうっとけろっとしている様子だったのがあまりにも彼女らしくて、ついついシグルドは笑いそうになってしまう。
「出来るだけ早く、戦火が降りかからない場所にセリス達を遠ざけたいのだ」
「それはわかっている」
アイラはめずらしく不機嫌そうな表情をシグルドに見せた。
「これから、砂漠を渡る。レプトールのことだ、何をしかけてくるかわからない。多分一度に渡りきることは出来ないだろう。そこここにグランベル兵が駐屯しているかもしれない。・・・何度かこの城を行き来することになるに違いない」
「だったら」
「その度に、レックスが君とその子供の出産のことで気が散るのは、困る」
「・・・公子」
「私とて、子供の親だよ。たまたま戻ってきたときに、君がまさに出産途中でした、なんていうときだったら・・・レックスはこの城から出陣できなくなるだろう」
それへはアイラは少し表情を緩めた。シグルドが言いたいことはわからなくもない。確かに以前のレックスだったらそうだったんだろうな、と心の中でつぶやいてから、穏やかにアイラは口を開いた。
「正直な話、今からイザークへすぐ発て、と言われても、みなに迷惑をかけずにいける自信はない」
「いい。迷惑をかけても。そのために護衛兵も依頼しているのだし、きみのためにあまり遠くない村までの道のりを確保してもらった。
確かにその体では辛いと思うが、気候は悪くない。無理を承知でお願いしているんだ」
それはアイラもわかっていた。
出産間近の人間に、城から出て他の村に移れ、というのは大層酷な話だともわかってシグルドはあえて言っている。
それは彼なりに、今後のこと・・・アイラのこと、レックスのこと、シャナンのこと、これから産まれる子供達のこと。
更にはグランベルのことイザークのこと。すべてを考慮した結果だとアイラも理解しているのだ。
けれどアイラは少し困ったように苦笑した。
「公子、私がいうことを、女の感傷だ、とかなんとか言って決して笑わないで聞いて欲しい」
「うん」
「まずひとつ。レックスは、もう、そんなに心が揺るぐ男ではない」
「・・・」
「あいつは一言も、父親を殺さなければいけないことに対して泣き言も言わなかったし、殺して来てからだって一言も泣き言を言わなかった。あいつは、自分が何をなすべきなのか、わかっている」
その口調は、決して自分の恋人を褒め称える、とかのろける、とかそういうものではなく、ただの真実を告げているだけのものだった。
それにしても今までアイラがレックスを誉めたことを聞いたことはないな、と思い当たってシグルドはわずかに嬉しそうな表情に顔を緩めた。そして自分が笑っていることに気付いて慌てて顔面を引き締める。
「そしてもうひとつ。出来れば、この子達は」
「うん」
「この城で産んでやりたいのだ。今、この城はシグルド軍のものだ。イザークのものでもグランベルのものでもない」
その二国の名前を出されるのはシグルドとしても胸が痛むことだった。
「ああ、そうだな」
当り障りがない相槌をうつのが、彼には精一杯だ。
アイラは淡々とした口調で続ける。
「どちらでもない場所で、イザークにとって憎むべき男が死んだ城であり、そして、この子達の祖父がこの子達の父に殺された場所であり・・・何もかも悲しく思えるけれど、それでも、なんだか私は、ここでこの子達を産みたいと、そう思うんだ、公子。やがてこの地がグランベルの物に戻ろうと、どうなろうと、少なくとも今はそうではない。二国のどちらでもない時期がこの城にあって、それは、レックスがあいつが選んだことに心揺らがなかったことを示している。・・・ははは、私らしくないとは思う。理由としてはまったく説得力に欠けているのは重々承知だ。なのに・・・不思議だな。私は、ここで、子供達を産みたいと、心から思っている」
「アイラ」
「イザークで生きるならば。いつの日かこの子達は自分の父親がドズルのものだと知って、葛藤することもあるだろう。それでも、自分の父親がドズルの人間とはいえ、この戦乱であなたの軍に生きて、そして真実のために戦ったということを理解出来る大人になって欲しいと今から願っている。・・・すまない、公子」
そこで言葉を区切ってアイラは少し苦しそうに声を絞り出した。
「・・・まだ見ないこの子供達に、あいつの気持ちが伝わって欲しいなんて、今から思ってしまうほどに・・・わたしは・・・」
「うん」
アイラは、照れとか恥じらいとか、そういうものを感じさせない、穏やかだけれど凛とした声音で言った。
「・・・レックスを、愛しているのだ。あいつが私を選んでくれたことに、何をすれば報いることが出来るのかわからないほど」
そして。
唇をそっと閉じ合わせて、静かにアイラの告白は終わった。すうっとふせたその睫は長く、ときおり瞬いて震える。
シグルドはじっとうつむいているアイラの表情を読み取ろうとみつめたけれど、彼女は動かない。
私もアイラにはどうやら弱いようだな、なんてことを思って軽くシグルドは肩をすくめて言った。
「私は、ずっとラケシスを、ちょっとばかりわがままなお姫様だと思っていたのだけれど」
ふ、と顔をあげてくれたアイラに苦笑をしてみせるシグルド。
「君も、相当なものだ。自分では気付いていないかもしれないが」
「知っているぞ。私は我侭だ。どうやら自分の信念に基づいたことをするときに、そういうことになるらしい。最近気付いた」
「自覚があるのか。・・・アイラ、わかった。が、そうなるとあと半月ここに留まって子供を産んで・・・すぐにイザークにいくことは出来ないぞ。まさか生まれたばかりの子供を二人抱えて移動しようなんて思っていないだろうな?」
「ああ、そうだな。・・・公子達が生きていてくれれば、別段この城にいたって危機が訪れるとは思えないが。イザーク平定に手を焼いているダナンが、わざわざリューベック城を取り戻しにくるとは思えぬ」
その言葉にシグルドは完敗した気分になった。
心のどこかで、この戦は危険だ、という匂いがする。
言葉にはしないけれど、何故かシグルドの心からそれは消えない。だからこそ尚更セリスやシャナンの身の安全の確保を考えざるを得なかった。
それをアイラはぴたりと言い当てて、そして自分と自分の子供がここにいるのだから、死ぬな、と脅しているのだ。
「困ったお姫様だな、きみは」
「そうか?」
「レックスが君に惚れたのもわかる」
「ははは。公子がそんなことを言うのは初めてだな」
終始穏やかな物言いを続けるシグルドは、少し力をこめて、まるで誓いをたてるようにアイラに言った。
「いい子が生まれることを、戦場から祈っている。きっとイザークの民は祝福をしてくれる。そして、グランベルの民も祝福してくれるように・・・そのために私はバーハラへと赴こう」
「ありがとう、公子」
シグルドはアイラに手を差し出した。嬉しそうにアイラはそれを掴んで、ぎゅっと握る。
「公子の手は、大きいな」
「うん?」
「いや、あなたらしい手だと思っただけだ」
「ありがとう」
軽く握手を交わしてから、そっと手を離す。アイラはどっこいしょ、と重い体を持ち上げるようにして動き、失礼する、といいながら扉を開けた。それから晴れ晴れとした表情でこともあろうにこんなことをけろっと言ってのけるのだ。
「さ、次はレックスの説得だ」
「・・・そっちが先じゃあなかったのか!?」
ぱたん。
呆然とするシグルドの前で、アイラは扉を閉めた。
「・・・まったく・・・」
そういいながらも、なんだかシグルドは気持ちが暖かくなるのを感じる。
どんな状況でも、自分の仲間の子供が生まれるのは、嬉しい。そして、その子のために自分がしてあげられることがあると思うことも嬉しい。・・・みんなのために、真実を解き明かすために戦わなければ。その思いがますます強まるのをシグルドは実感していた。

さて、アイラは相変わらず淡々とレックスに事を報告した。レックスは椅子に座ってアイラの報告を聞いていたが、話が進むにつれて眉間に皺が寄ってきて、最後には円卓に突っ伏してしまった。
何か色々と画策するよりは包み隠さない方がいいような気がして、シグルドとの会話を覚えている範囲で忠実にレックスに伝えた。
熱いレックスへの告白をシグルドにしたことすら。どうしてそれを本人には言わないんだ!とまたレックスは悲しんでいるのだろう。
「まーたーおまえはー」
「というわけだ。私と子供を守るために頑張ってくれ」
守られたい、なんて思っているわけがないのに。それでもアイラはあえてそういう言い方をする。
頑張ってくれ、というのはすなわち、生きていてくれ、という言葉の代わりだ。きっとシグルドがこの言葉を聞いていれば、アイラはアイラでこの先の戦いに対してどこか怯えていたりしているのではないかと感じたに違いない。
それは剣士としての勘なのだろうか?それとも、母親というものになったからだろうか?それは答えをみつけられないことだ。
「はいはい、頑張りますよ!言われなくとも!」
「・・・怒らないのか」
「・・・怒っても、お前の気持ちは変わらないんだろうが」
呆れたようにレックスはそういった。
「ああ、変わらない」
「じゃあ、怒るだけ損するだろ。・・・いいさ、お前が好きなようにして。産むのは、お前の役目なんだから」
そう言って自分を見るレックスの目が優しいな、とアイラは感じる。
「うん。わがままだが、ここで産むぞ」
レックスは立ち上がって、ソファに座ってひざ掛けをしているアイラの隣に動いた。アイラの体に振動を与えないようにそっと隣に座る。そっと彼女の手をとって、レックスは両手で包んだ。
「・・・明後日、俺たちは出陣する。いつ戻るかわからない」
「ああ」
「大人しくしていられるか?」
「・・・おとなしくしているしかない。もう、ずっともどかしくて、本当はつらいけれど」
「そうか」
「お前だって、そうなのだろうから」
「・・・」
「戦場で、私の姿が見えないことに・・・・慣れたか?」
「バカ・・・」
まいったな、という表情でレックスは仕方なく溜息をついた。
「慣れない。一瞬、おまえが一体どこにいっちまったのかと、探す。この前の戦いでいやというほどわかった。・・・俺は、戦場でお前をかなり見ていたんだな」
「まったく、色ボケだな」
「お前がいうか!?」
「ははは」
笑いながらアイラの声はいつしか力なくなっていく。レックスは慌てた風もなく、愛しい彼女の手をぎゅっと握ってやった。
「アイラ。大丈夫だ。大丈夫だから」
「・・・はは・・・すまない、レックス」
「すまなくないだろ」
「もう少しだとわかっている。わかっていても気が急く。私は私のために剣をもって戦いたいし、お前の側からこれ以上離れたくもない。
けれど、この子達も大切で仕方がない。もし神というものがいるのなら、何故わたしから多くのものを一度に奪ったというのに、多くのものを一度に自分のものにすることが出来ないのだろう?」
「わかってるから。お前のあせりは、俺がよく知ってるから」
レックスはアイラを見た。アイラは情けない表情で、レックスを見て、そしてふう、と溜息をついて言った。
「まったく、子供を産むというのは大変なことなんだな。わかっていたけれど。好きな男との子供を産むのに、好きな男と共にいけないなんて」
レックスはわずかに嬉しそうにアイラにねだる。
「・・・もう一度いってくれよ、今の。好きな・・・なんだって?」
「もう忘れた」
「ちぇ」
拗ねたふりをして、それからレックスはアイラに口付けた。今まで心が通ってから幾度となく繰り返したこの行為が、ここ最近は何故か泣けそうなくらい心に染み渡るのはどういうことだろう?
キスなんてものは、一体いつ飽きるんだろう?そんなことを考えていたけれど、なんだかいつまでたっても飽きず、挙句にどんどんと変化していっている。
嬉しい、という気持ちとか、柔らかいな、と感じてアイラの体を抱きたいと思う気持ちや、なんだか穏やかな気持ちになったり。
たまに彼女が舌を絡めてくれるときにこみ上げる愛しさとか。口付けたときだけでも毎回違う気がする。
面倒だと思った事だってないし(それはまあ、大体レックスがしたいときにしていることの方が多いからだけれど)嫌だと思うこともない。
いつも自然にしたくてしている行為なのだ。
それが、なんだか泣けそうに思えるのは何故なんだろう?
まだ生まれていない、このお腹の中の子供達に、俺の気持ちが伝わるように、か。
その言葉は、レックスにとっては眩暈がするほどの、アイラからの愛情だ。

シャナンは、泣かなかった。
カウチに座っていたアイラの腹部にそっと手をあて、床に膝をついて彼女の腹部にこつりと耳をあてて。
しばらく、彼女と彼女の子供達の音を聞く。それは何度も今までに繰り返された行為だ。アイラはそっとそのシャナンの頭をなでて彼が飽きるまでそうしてやる。最近アイラが「私らしくないな」と思うことのひとつがそれだった。
それからシャナンは立ち上がり、少し大人びた笑顔を彼女にむける。
「約束して、アイラ。この子達と僕が会えるって」
「ああ、約束しよう」
そう言ってアイラはシャナンに手を差し伸べた。彼はそれを握る。以前よりもいくらか広くなった手を感じてアイラは微笑んだ。
「シャナンは強くなった。お前はイザークの誇りだ」
「僕にとっては、アイラこそイザークの誇りだよ。・・・僕が、見届けられなかったことを、見届けてきて」
「ああ。この子達を産んで体が動くようになったら・・・例え一人だろうが、シグルド公子達のあとを追うつもりだ。父上の亡骸なぞとっくに処分されてしまったと思うが・・・それでも、私はバーハラまで行かねばならない。そして、それからシグルド公子とイザークへ行こう。・・・オイフェとセリスを迎えにいかねばならないからな」
「うん」
シャナンはそっとアイラに抱きついた。アイラは腹部をかばいながらシャナンの背に手を回す。
とてもとても愛しい。心からそう思った。
この子だけは守らないと、とイザークを離れてからそれだけを思って今まで生きてきたと言っても過言ではない。
それはもちろん、兄の子供だから、とかイザークの正式な王位継承権をもつから、とかそれだけのことではない。
純粋に自分はシャナンを愛しているのだな、と抱きしめながらアイラは目を閉じた。
今だって、もしもレックスがシャナンに敵対する者になったならば、きっとアイラはレックスすら切ることが出来る。
シャナンが生きてイザークに戻ることと、自分がこの戦の全容を全て見届けること。
それが、あのとき自分達が守れなかったイザークの民への償いになるとアイラは思う。
例え明日から生活の場が異なったとしても、自分達は同じ物を慈しんで同じ物を守りたいと思うのだろう。
そう思うことは、ここでシャナンと別れるアイラにとっての勇気になることだった。
そして、シャナンにとってもそうであって欲しいと思う。
ああ、どうか。あなたが幸せになりますように。
そんな言葉が口をついて出そうになって、アイラは意識的に唇を引き結んだ。
違う。一緒に、イザークで幸せになるのだ。共にこの先も生きる人間に、そんな祈りを捧げたくなんかない。
いつか自分が帰る場所で、シャナンが待っていてくれるのだから。

「じゃあ、わたし、砂漠越えをしてフュリーが戻ってくるまで、ここにいるわ」
「ああ、そうしてくれると嬉しいかもしれないな」
シグルドの部屋に呼ばれたティルテュは自分の意見を申し出た。
本当は1日でも早く安全なところに言って欲しい、とアゼルはシレジアに戻ることを願っていたけれど、ティルテュの申し出はとても理にかなっている。
「それからフュリーと一緒にラーナ様のもとへ行けばいいと思うの。だって、アイラさまがここに残るんでしょう?それにわたし、懐妊したっていったってそんなにたってないのよ?」
「そうだね」
「本当はお父様に・・・ううん、なんでもない」
「ティルテュ」
「・・・」
シグルドはずばりと自分が思っていることをティルテュに言っていいのかどうか悩んだ。
この少女のことを以前から知ってはいるけれど、以前はいつも明るくて感情の波が激しい女の子だと思っていた。
が、クロード神父と共にシグルド軍に来てからのティルテュは、それだけではないとても繊細な面を見せていたように
思える。第一仲間になったときというのは、すなわち、彼女の父親がこの策略を仕掛けた張本人だとわかったときだったのだから手におえない状況だった。
シグルドは言おうか言うまいか考えあぐねていたことがあった。
ここにティルテュを置いていくとなったら。
このまま進軍するとなったら、そう遠くないうちにレプトール卿と自分達は・・・
「ねえ、シグルド様」
「なんだい」
ティルテュはあまり深刻そうな表情を見せずに、いつものように女の子らしい笑顔でシグルドに聞いた。
「わたしのお父様は、わたしの子供を見ることは出来ないのかなあ?」
「・・・」
まるで世間話をするように彼女の口から発されたその言葉の重みに、シグルドは言葉を失う。
自分が言いあぐねていたことを、彼女の口に出させてしまった、ということにシグルドはしまった、と思うが、それはもう遅い。
「たとえ、牢にはいっていても、翌日裁かれるにしても、それは、無理なのかなあ?」
「・・・」
「そう思うと、本当は、ついていきたいけど・・・」
小さくティルテュは笑った。
「きっと本当はそんなことウソなんだ、って思いたい。お父様が何もかも・・・こんなひどいことしたなんて。でもね、でもわたし、初めはショックだったけど・・・少しづつそうかもしれないって妙に納得出来るようになっちゃったの。そしたらね、次には・・・その人の娘である自分は、どうなっちゃうんだろうって。自分勝手かなあ」
「そんなことはない」
「せめて、せめてアゼルのお兄さんだけは無実なままでいて欲しいって・・・そうでなかったら、わたし達、とっても生きていくことが難しいの」
生きていくことが難しい。そんな言葉は聞いたことがない。
ティルテュの言葉の正確な意味を捉えることはシグルドには出来なかったけれど、なんだか胸がずきんと痛む。
「ティルテュ」
「それでも、わたし、アゼルの赤ちゃんが欲しかったの。だって、大好きな人の子供が産めたら、どんなに幸せなのかと思うでしょ」
「そうなんだろうね」
「わたし、馬鹿だから」
そんなことを言うもんじゃない、とシグルドがたしなめようとしたとき。
ティルテュの両目に涙が見えた。
「馬鹿だから、レックスがレックスのお父様を殺すまで、ずっと考えないようにしてた。考えたら、とっても生きていくのが難しくなっちゃうから。でも、もう現実に戻ってきたわ。わたし、知ってるの。お父様はきっとわたしの子供を抱くことは出来ないし、見せることも出来ない。もし、生きて捕らえられたってそう長くは生かしてもらえないでしょう」
「それは、わからない。ティルテュ、わからないことだよ」
「意気地なしだけど、わたし、ここに残って、それからシレジアに戻って、全部の怖いことや悲しいことが過ぎてくのを待ってる」それは、意気地のないとかあるとかそういうことではない。
この軍にはいってからティルテュはずっと、レプトールの娘として皆からの視線に耐えて来た。
表立って言葉にする者はいなかったけれど、生来魔法を行使する能力に長けている人間は、そういったものを肌で感じ取ることが他の人間より出来てしまう。言葉にならない視線、というものが彼女を傷つけていたことはシグルドだって知っていた。
レックスのように、彼自身が今までこの軍に長く参戦していて、誰からも「仲間」と認められたあとだったらまだいい。
彼女は仲間になって以来、ずっと「レプトールの娘」だったといっても過言ではないのだ。だからきっと口には出さないけれど、ずっと彼女は戦い続けてきたのだ。この軍の中で。みな優しくしてくれてはいたが、一度「彼女はレプトールの娘だ」と思ったことはゼロには戻らない。
どんなに明るくふるまっていたって彼女はとても神経をすり減らし、ランゴバルトが死した今、自分と自分の子供、そしてレプトールの運命に直面して「生きていくのが難しい」と感じて怯えている。
ほろほろと涙をこぼして、それでもティルテュはシグルドを見ていた。
「・・・大丈夫だ。誰も君を意気地なしなんて思わない。君はとてもいい子だし、いつも頑張って笑っていてくれていた。それは、アゼルだけが知っていることじゃあないと思うよ」
「・・・そうかしら」
「ああ」
シグルドは立ち上がってティルテュの近くに寄った。そして彼女の前でかがんで、顔を覗き込む。
「ティルテュ、アゼルのところに行くといい。泣いている君を慰めるのは、わたしには難しそうだからね」
「うん・・・」
シグルドは子供の手をひくようにティルテュの手を握って立たせた。初めて彼女の手を握ったな、とシグルドは少し照れくさそうに苦笑する。すると、ぎゅ、とティルテュはシグルドの指を握り返した。
「シグルドさま」
「うん」
「わたし、でも、神父さまと一緒にここに来てよかった」
「そうか」
「もしお父様のもとで何も知らなかったら、きっとアゼルやシグルド様達にわたし、トローンを唱えることになっていたんだと思う。そんなこと、今考えたって、耐えられない」
「わたしもティルテュが来てくれてよかったと思っている」
「本当?」
「ああ。・・・好きな人との子供を授かることが出来た君を見ると、どんなに辛い想いをしても、幸せになれるんだと思えるから」
「・・・ありがとう」
扉を開けて、手をひいて一緒に通路に出てやってから、シグルドは小さくティルテュに笑いかけた。
「さあ、アゼルがきっと君を待っているよ」

その頃、砂漠の南側にレンスターの王子キュアン率いるランスリッター達が集結していた。
騎馬隊で砂漠を渡るのは大層困難を極めるが、シレジアから戻るときも辿ったルートだ。馬が少し歩きづらい、というだけでそれ以外の問題はないように思えた。
残りのランスリッターはすべてレンスターに置いてきて、トラキアとの防衛線をみっちりと守ってもらっている。フィンに生まれたばかりのリーフを託してエスリンまでもが同行していた。
長女アルテナはまだ幼い。言葉は話すし走るようにもなったけれど当然子連れでは長旅には向かない。
砂漠に入るまでならば馬は軽快に走ったものだし、他の手近な城の寄りながらの快適な旅だったから共に連れてくることを許しはした。が、砂漠に一度はいれば話は別だ。
目を離すとどこにいくかわからないアルテナを連れて行くのは無謀に近い。それに、気候が変化して生まれて初めて体験する場所になるからきっと健康状態も崩す。
それを、あともうほんの少しだけ、とエスリンが珍しい我侭を言ったが故にキュアンは「じゃあほんとにあと少しだぞ」と許してしまった。
砂漠に入って半日したら戻そう。それくらいなら、納得してくれるだろう。
そんなことを思いながら、愛しい妻と娘をキュアンは見つめる。
「シグルド達はもう少ししたら動き出すはずだな」
馬を休めて兵達に軽くねぎらいの言葉をかけながらエスリンは眠っているアルテナをそうっと毛布にくるんでいた。
これから砂漠にはいることになる。砂漠では馬が思うように動けないから苛々することになるだろう。だから、その前に一度休憩をして気持ちを落ち着けようというわけだ。
「砂漠を北上して、すぐまたこっちに戻ってくるのは大層手間になるわね」
「半分はシレジアに行ってもらうつもりだからな」
「そうね、ラーナ様にはとてもお世話になったし、レンスターに戻るときも途中まで天馬騎士団が護衛についてくれたし・・・それが、全滅だなんて、信じられない」
「さぞかし不安に思っておいでだろう。我らレンスターのランスリッターを僅かでもお貸し出来れば多少安心なさるのではないかな。まあ、これから冬だからシレジアで雪に強い馬を調達しなおすことになるけれど」
シグルド達とシレジアにいったキュアンとエスリンは、その国の豊かさとラーナ王妃の懐の広さに感動をした。
自分達のレンスターも、あのような美しい国にしたい・・・そう思いながら国に戻ってきて、ほどなく内乱が起こったという報告をうけ、心を痛めていた。
この大陸で、豊かで平和なところはないのだろうか。
その思いにキュアンは唇をかみしめる。
「なあに、数日もすれば砂漠を渡りきって近くの村にいけるだろう。シレジアから戻るときだって、3人で案外あっさり渡りきったし、グランベルだってここをバイゲリッターが行き来をしている。手間にはなるが、少しでも早く君の兄上の力になりたいからね。それに、砂漠の途中でグランベル側が罠をはっているかもしれない。それを少しでも俺たちが排除していければいいと思うし」
「ありがとう、あなた。ごめんなさいね、兄上が・・・」
「いいさ。シグルドは俺にとっては義理の兄という以前に親友なんだから。ふふ、何を今更そんな心配そうな顔を見せるんだい?エスリン」
そういってキュアンはエスリンの頬に手を添えて優しく口付ける。あまり口付けがうまくない、不器用な自分のそれに愛する妻は文句ひとつも言わない。それがまた愛しいと思える。
わずかに頬を染めて二児の母とは思えない表情を浮かべてエスリンは笑った。
「ありがとう」
ああ、本当に。
いつになっても彼女は可愛らしいな。
そんな言葉をキュアンは心の中にしまいこんだ。



Next→



モドル

まずは砂漠を渡りきるあたりまでを。ので、このタイトルで5ページほど、そのあとバーハラ入りまでをもう一本、ですね。
年内は無理だけど今年度中に完結しそうです。レクアイは少ないですが、これはもう、レクアイの幸せと彼らの生き様のために書いているのであえてレクアイだと言い切らせていただきます。(すまん!)
ゲーム中の5章会話からはずれてしまいますが・・・。(あのレクアイ会話くらいは入れたいです!!!!萌え〜!!)
だってアゼルったら「子供達」とかティルテュに言ってるんですよ?ゲーム中。
シレジア行く前にティルテュと合流したばっかりなのに、それから愛はぐくんで、さらにもうアーサーもティニーも産んでるんかい!?とツッコミ隊のあたくしは思いましたので、まあ、シレジアに残る、という設定だけそのままでまだ子供は産んでないことに。
そんでもってシグルド&アイラのゲーム中会話では、アイラが勝手に残ったようですが、ほら、うちのレクアイ進行度が遅すぎて子供作るのが遅かったんで(汗)こんな感じになりました。著しくゲームから外れないように出来るだけ(汗)頑張ります。
それにつけても・・・このままだとファバルが一番年下に・・・(汗)もうファバル身ごもってるんですが、ブリギッド気付かず。そういうことにしといてください。せめてもの・・・(笑)んで、シルヴィアはまだです。砂漠渡りきったあたりでえっちしてもらいましょう(笑)←的中率よすぎ・・・?(汗)とか書くとバーハラ後ネタバレになっちゃうんですけど・・・。さっさと子供産んで、みんな早く二人目つくって!!(爆)ゲーム中の年表どおりに進めると、全キャラ子供二人は絶対ムリだよーー!!とりあえずレスター&デルムーがお兄さん達vって感じで愛しいですね。