耳をふさいでも目をとじても-3-

トラキアの竜騎士達をなんとか倒して、シグルド達は砂漠入りをした。
砂漠は1日や2日で渡りきれるものではない。しかも渡り終えた後で更にフィノーラ城で敵が待ち受けているに違いないのだ。彼らはいつになく多くの荷物を持ち、慣れない砂漠を渡ることになる。
さすがにこんな旅に今のアイラやティルテュをつれてくるわけにはいかない。
唯一フュリーだけは、足場に左右されない天馬を乗りこなしていつもと別に変わらない動きをみせているが、それゆえに必要以上の仕事を任されてしまうのも事実だ。
途中までは、シレジアの天馬騎士の新兵が3騎ついてきてくれて、リューベック城と往復をして物資補給を手助けしてくれる。けれど、彼らを戦いに巻き込むわけにはいかないから、あくまでも砂漠の途中までの援助を頼んである。
砂漠では馬の疲労が激しいから、いつもにも増した緊張が全軍に走っていた。
シルヴィアの「水あびしたい!」なんていうわがままなんていうものはまだ可愛いものだ。
「エーディン、疲れてないか」
「ええ、うふふ、シグルド様、わたしは騎士になるのが嫌で僧侶になった人間ですよ」
エーディンは笑顔を見せた。それへシグルドは苦笑をせざるを得ない。
「体力はないわけじゃあありませんもの」
「ははは、頼もしいな・・・ブリギッドは?」
「余計な心配はしなくてもいいよ、公子。水を吸った砂浜を走ることも多かったから、足腰は強いつもりだし」
「そうか」
女性兵士に気遣いながらもシグルドは全軍の様子をいっときも緊張の糸を切らずに伺っている。
それに気付いてベオウルフはぶしつけにもとんとん、と剣の鞘でシグルドの肩を叩く。
「あんまり、気い張っても仕方ないぜ、大将。あんたがまいっちまう。いざってときは女は馬にのせちまえばいいんだし」
馬の消耗を減らすため、彼ら騎馬隊はみな降りて馬を引きながら歩いていた。荷物をそもそもくくりつけての移動なのだから、馬の負担はかなりのものだ。
「そうだな、気遣い感謝するよ」
「ったく、バイゲリッターもご苦労なこった。シレジアに攻め込むのにここを渡ってきて、更に俺たちを倒すのにもう一度ここを渡ってきたっていう話じゃねえか」
「そこまでの無茶をしてもいいほどの、権力や見返りを提示されたということだろうな」
「まったくな。・・・そういや、キュアン王子もここを渡ってレンスターに戻ったんだろう?大変だったな」
「申し訳ないことをしたな。初めにキュアンが来てくれたときはグランベルにいたから砂漠を通過しないで来てもらえたのだが。
シレジアに逃げ延びたことによって、彼らにひどく迷惑をかけたことになる」
「だあな。(そうだな、の意味らしい)まったく、砂漠はうっとうしいな」
「まったくだ」
「なあ、レックスとアゼル、一度リューベックに戻してやった方がよくねえか?」
「・・・ベオウルフ」
それはさっきとまったく口調が変わらず、世間話を続けるような、そんな口調だった。
砂に足はとられて非常に腹立たしいくらいしか一歩一歩が進めないけれど、そのけだるい行軍にも多少は慣れて、それくらいの会話を足元を気にせずにすることくらいは出来るようにはなった。
「レックスはリターンリングもってんだろ。一度戻してやって・・・誰かが馬くらいひけるだろ。それで、天馬に荷物と一緒にのせてもらって戻ってくりゃあいい」
「・・・私もそれは思ったのだけれど」
小さくシグルドはベオウルフに笑顔を見せる。。
「レックスは、戻らないと言っていた」
「そうなのか」
「だから、次にアイラに会うときは、子供達とも対面できるのだろうと」
「へえ。あいつも案外強情だな」
いや、案外ってもんでもないか、とベオウルフはくく、と笑い声を漏らす。
「レックスがそうなら、アゼルが戻れるわけがないだろう?彼らは親友なんだしね」
「ふうん、ご苦労なこった。・・・正直な話、俺も見たいね」
「何をだい?」
「あのお姫さんの子供をさ。どっちに似るやら」
「・・・君は、デルムッドがイザークに旅立ったとき・・・すぐに城に戻ったな」
「・・・見てたのか」
嫌なことをいうな、とベオウルフは顔をしかめてシグルドを見た。そのことについて「ラケシスが可哀相だと思わないのか」とか言われるのではないかとわずかにベオウルフが警戒しているようにもシグルドには思える。
シグルドは別段彼を責め立てるような口調ではない。
「見ていたよ。私は、あれ以上彼らの姿を見ているのがつらくて城内にすぐ戻ったのだけれど。君も一緒だったからね。君も自分の息子と別れるのが辛かったんじゃあないのかい」
「うっわ、そう来たか。大将、あんたはほんとうに俺のことを色々見損なってるなあ」
そういってベオウルフは肩をすくめた。そのとき彼がひいていた馬が、歩きづらさにぶるぶる、と顔を動かして不愉快であることをアピールした。それをとんとん、と手で胴を叩いて「もうちっとしたら休むからな」とベオウルフは優しく声をかける。
「で、本当のところはどうなんだい?」
「俺は、ラケシスが子供を身ごもったと教えてくれたときに、俺の子かと聞いたほどのろくでなしだぜ?」
「君らしいよ。連れられていくデルムッドを見て何か思わなかったのかい?」
ベオウルフはまったくもって苦々しそうに「別に」ともう一度肩をすくめる。わずかにうんざりした表情をみせたが、思いついたように「そうだな、俺が剣を教えれば強くなるだろうにと思って、残念だと思ったくらいだな」
「・・・・」
「そんな程度だ」
「・・・ははは、なんだ、君は案外親馬鹿だったんだな」
「はあ!?」
「そういうことだろう?」
「・・・」
シグルドは心底嬉しそうな笑顔をベオウルフに見せる。
彼にとって見れば、エルトシャンの死に打ちひしがれていたラケシスの面倒を見てくれ、とベオウルフに頼んだのは自分だったし、そしてそれがきっかけで彼らが結ばれてデルムッドが生まれたというわけで。
一向に自分達が愛し合っているということを認めないベオウルフとラケシスのことは、正直なところ気がかりだった。
けれど、問い詰めたところで彼らはお互いに甘えをみせない回答しか返してくれない。
ベオウルフは君の恋人だろう?とラケシスに聞いたときに、彼女は、ベオウルフは自分の息子の父親だ、という表現をした。
こんなときでなければ、こんな話も出来ない、というのもおかしな話だが・・・
「じゃあ、いいや。別にどう思われても構いやしない」
さじを投げたように言い放つベオウルフ。その様子がおかしくて、シグルドはまた笑ってしまう。
そのとき、フュリーが天馬に乗って下降して彼らの側にやってきた。
「シグルド様、南西の崖の上に、もう一人魔導士を発見しました。これから、倒しにいってきましょうか?」
「ああ、それならばもう少し待て。メテオが届かないぎりぎりのところまで皆が進んだ方が、君に万が一のときがあったときでも対処が出来るからね」
「わかりました。では、先に行って様子を伺っています」
「気をつけるんだぞ。あまり前に出すぎるな。どこかにトラキアの竜騎士が待ち伏せしていたら、君一人を狙われる可能性もある」
「はい」
本当にこんなところで竜騎士に襲われたら。
考えただけでもシグルドはぞっとする。
リューベック城を出る前に、セリスやオイフェをイザークに逃がすためみなで見送りをして、そのため出陣が遅れた。
もしもそれをしていなければ、あのタイミングではシグルド達は砂漠に入って身動きがとれないところで竜騎士達に襲われていたに違いない。
騎馬兵ほど砂漠を苦にしない歩兵も多いし飛ぶ生物を正確に射落とす弓兵もいるから、自分達は簡単にはやられない自信がある。
それでも、リューベック城をあの状態で守りきる自信はここではない。
竜騎士が来たことで警戒して、リューベック城にもっと兵士を置いていこうかと考え直しもした。けれど、何人かシレジアの天馬騎士もいてくれるし、アイラとティルテュには危なくなったら戦わずにシレジア方面に逃げるようにと何度も言い聞かせていた。
そして、彼女達の判断を信じて、そのまま全軍で砂漠にシグルド達は入ったのだ。
「公子、みながそろそろ疲れてきているようだぞ」
レヴィンが後ろから声をかけてきた。
「ああ、でも、もう少し歩いて欲しい。フュリーが先行して、魔導士を倒すために様子を見に行っているから」
「そうだな。それをみんなに伝えた方がいいな」
「悪かった。確かにそうだ」
シグルドは自分の迂闊さに僅かに恥じ入ったような表情をする。それを見てレヴィンは噴出した。
「そんなかしこまることじゃあないぜ。俺がみんなに伝えてやるよ」
「ありがとう」
レヴィンはそういって後続部隊に伝えるために背を向けた。
誰もが意見を口に出し、そして自分をサポートしてくれる。
自分達の境遇を忘れてしまうほど、夢のように素晴らしい軍だとシグルドは思った。
戦いなど、ないに越したことがない。けれど、もしも戦うならば、今ここにいる、気持ちが通じ合っている彼らと共に戦いたいと思う。
不思議と、自分が帰るべき場所は、シアルフィではなくてこの軍のような気がした。
そんな風に思えるものを手に入れることが出来るなんて、考えたこともない。
なんて辛い運命だけれど。これはなんという幸福なのだろうか。

シグルド軍が砂漠にはいって、もう5日目になった。
そろそろ渡りきる頃だろうか?
ティルテュは暇を持て余して、リューベック城にあった、昔住んでいた人間が着ていたと思われるクローゼットにしまいこんであったドレスを引っ張り出して一人で着せ替えを楽しんでいた。
恋人が砂漠を渡っているのに、不謹慎な。
そんな声が聞こえてきそうだけれど、それは半分正しくて半分間違っている。
いてもたってもいられない。
その気持ちを抑えるためには、何かをせずにはいられないのだ。
さすがにシレジアとイザークに近い城だけに、シレジアの気候に合わせたような服もあればイザークの気候に合わせた服もある。
ティルテュは毛糸で編まれたものがたくさん並んでいるクローゼットをあけて物色をした。
中のいくつかのものは虫にくわれていたりもしているが、保存状態が比較的いいものが多い。
「わあ、この羽織、可愛い」
毛糸で編んだ、真っ白い可愛らしいケープのようなものを見つけてティルテュは喜んだ。
それはとても柔らかい素材で編まれていて、手で触れても嫌な刺激もない。毛足も短く抜けることもないし、頬ずりしても気持ちがよく肩に羽織って同じ毛糸であんだ紐を首元で結ぶようになっていた。
花のモチーフがいくつも立体で編みこまれてある。そして、なんだか背中側が長く編んであって、結ぶ紐も不必要に長いような気がする。
「これ、赤ちゃんおぶったときのおくるみだわ」
背中に赤子をおぶって、寒いときに赤子ごと自分を包むものだ。
ティルテュはそれが気に入ったようにぎゅっと胸元で抱きしめる。
アイラは子供二人だっていうから、これでは駄目だわ。
わたしは、もう少ししてフュリーが戻ってきたらシレジアにいくし、もう冬になるからこれを貰っていっちゃおうかな。
だってこのままつけても可愛いし。
そんなことを思いながらティルテュははっと気付いた。
「・・・そうだ!アイラ様の子供のために、あたしが何か編んであげようっと。簡単なものなら、1日で出来ちゃうものね。それに、毛糸だったらこんなにいっぱいあるもの」
それは、目の前に並んでいるもののことを言っていた。
「毛糸っていいよね〜。気に入らなくなったらほどいて、また編めるもの。出来るだけ肌触りがいいものを選んで、二人お揃いのあったかいケープ作ってあげようっと」

ティルテュは戦利品、とばかりにみっつほど少しくたびれた毛糸で編んだものを持ってアイラの部屋に訪れた。
アイラに手伝わせて、毛糸を全部ほどいていく。
ほどいたものを、編みやすいようにくるくると玉にまるめていくのをみて、アイラは驚いた。
「ティルテュはそういうことも出来るのか」
「ほらあ、あたし、女の子らしいでしょ」
「・・・・そうだな」
なんと答えていいかわからない返事をもらってアイラは困ったようにそう言った。
「なんちゃってね。セイレーン城にいたとき、寒かったからフュリーに編物教えてもらったの」
「・・・もしかして、気に入って着ていたような、毛糸の上着は、自分で編んでいたのか」
「そうよ。知らなかったの?」
「はあ、すごいな」
「アイラ様とラケシス様って、やっぱりお姫様なのねえ。もっと高級なものじゃないと違いがわからないのかなあ?」
それは別に皮肉を言っているわけでもなかったし、アイラもそうとはとらなかった。
「いや、イザークでは毛糸で編んだ服なぞないから、どれも同じに見えるんだ」
「あははっ、そうかもね。グランベルもそうそうないけど、シレジア来たら、女の人が案外毛糸で編んだショールにくるまったりしてたでしょ?動物の皮は高いし。なんか可愛いなあって思って。わたし、可愛いもの好き」
屈託なくそう言うティルテュは本当に女の子らしくて、アイラは小さく微笑んだ。
年はわずかにティルテュが下だけれど、そのストレートな物言いは年齢のせいではない。彼女の生来の気質だとアイラは知っている。それまであまり多くを話したことはないけれど、ティルテュのことはとても可愛らしい少女だとアイラは思っていた。
「それに、何かしてないと落ち着かないしね」
ティルテュはアイラが座っているカウチの側に、小さな一人用のソファをひっぱってきていて、靴を脱いでその上にぺたりと座っていた。その様子は可愛らしいけれど、なんだかやはり寂しそうにも見える。
「・・・そうか」
「アイラ様は?」
「ちょっと前はそうだったんだが、今は逆に・・・なんだか落ち着いている気がする」
「ふうん。ずっと城で待っているばっかりだったものね」
「本当は早く剣を振るいたいのだけれど」
今の気持ちをどう伝えていいのかアイラはわからない。
慣れたから、とかそういうことではない。リューベック城攻略が終わった頃から、何かつき物が落ちたようにアイラの心は穏やかだった。
また更にレックスを愛しいと思うようになって。
そうであればあるほど、体の中にいる二つの新しい魂が愛しくて仕方がない。
もう少しで出産という今の状況で、アイラは自分自身もまた愛しいと大切に出来るようになった気がする。
その気持ちの充足が、彼女を穏やかにしているのだろうか?
「でも、よかったね」
「何がだ?」
「イザークに、戻れそうだし。早く、みんながバーハラに行って、アイラのお父さんとかお兄さんが戦争を始めたんじゃないって伝わるといいわね」
「ティルテュ」
くるくると丸めた毛糸の最後をうまく糸に挟み込んでほどけていってしまわないようにティルテュはまとめた。
ああ、編むための坊を探さなきゃ、と独り言のように呟く。
アイラはしばらくその様子を見ていたが、やがて言葉を少し選びながら声をかける。
「ありがとう。ティルテュ。でも、強がらなくてもいいぞ」
「えっ」
「ティルテュは、本当に心からよかった、と思ってくれている。それはわかるけれど。それを無理矢理口に出さなくていい。ティルテュにとってつらいことまで、言う必要はないぞ」
「む、無理矢理なんて、そんなことない」
「でも、つらいことじゃあないのか?」
まいった。
自分で言いながら、アイラは今更ながらに自分の言葉の不器用さや不躾さに気付いて呆れてしまう。
レックスならばきっとわかってくれるけれど、この少女はどうだろう?
いっそのこと口にしなければよかった、と思ったけれどそれはもう遅い。
ティルテュはとても心外なことを聞いたかのように、わずかにアイラを睨むような目線で彼女を見ている。
「ひどいよ、アイラ様」
「・・・・すまない」
「そんなこと言われたら、泣けちゃうじゃあない」
「・・・」
「でも、本当に本当によかったと思っているの。だって、アイラ様はお父様もお兄様も、家族みんな失って、国から離れてたった一人でシャナンのこと守ってきたんでしょう?味方なんて誰もいなかったんでしょう?」
「・・・そうだ」
ティルテュの声はわずかに震えていた。彼女はアイラの顔を見ることは出来ないで、床に目線を落とした。
そういえば、こういう話を自分達はしたことがなかったな、とアイラはそこで初めて気付く。
それは仲が良い、悪い、ということではなく。
多分、レックスが以前にアイラに対してもっていたのと同じうしろめたさがティルテュにあったのは間違いがない。
「そしたら、本当によかったと思うの。シャナンは国に帰ることが出来たし、神父様がブラギの塔で神託をうけて・・・イザークが悪くないってわかったんだし。死んでしまった人は戻らないけれど、それでも、よかったじゃない。本当にわたし、そう思ってる」
「だから、それは、知っている・・・知っている、ティルテュ・・・すまない」
「どうしてアイラ様が謝るの」
「ティルテュが悲しい思いをすることで、私は今までの自分が報われてしまう」
ティルテュの父親であるレプトール卿がすべての罪を認めて、この大きな謀略の首謀者として罰されることで。
そして犯罪者の子供の烙印をティルテュが押されることで、アイラの国は無罪であることが証明されてしまうのだ。
「アイラ様はなーんにも悪くないもの。悪いのは、わたしの、お父様。でも、でも今だって、それは何かの間違いだって思いたいし、神父様は、もっとなにか・・・邪悪なものが、背後にいるっておっしゃってた。だから、悪いのはお父様だけじゃないと思いたい。
お父様も誰かに操られていたのかもしれないでしょう?だから、まだ、そんなことはわからない」
「・・・そうだな。少しでも、ティルテュのお父上が・・・今我々が思っているよりも罪が軽ければよいと思う」
「眠っていても」
ティルテュは顔をあげてアイラを見た。
「おかしいの、目を閉じて、毛布をかぶっても、どこかで誰かがわたしやお父様のせいで苦しんでいて、それが見えたり聞こえたりするの。夜が恐くて恐くて、アゼルと一緒じゃなきゃあ眠れない。そんなこと言ったら、アゼルはわたしを置いていけないから黙ってるけど。眠るまですごく時間がかかって、時々目が覚めて」
「ティルテュ、わかる」
アイラはティルテュの方に手をのばして、おいでおいで、と手招きをした。
「わたしも、見えるし聞こえるから」
「アイラ様が?何を?」
ティルテュはもぞもぞと靴を履きなおしてソファから立ち上がった。
「わたしが救うことが出来なかったイザークの民の姿を。例えイザークの無罪が証明されても、わたしは国の大事のときに民衆を捨ててシャナンを守るために一人逃亡をした人間だ。・・・わたしの脳の中にあるイメージが、わたしの彼らの姿を無理矢理思い出させる。
グランベルの侵攻を防げずに、死んでいった多くの兵士。一部では、まるでターラの人々と同じ苦しみを味わえ、と虐殺されてしまった村もあったという。それを指揮していたのはレックスの父親だと思われる」
「・・・」
「目で見なくとも耳で聞かなくとも、想像したイメージや過去に味わった出来事は、嫌というほど自分の脳に刷り込まれるようだ。
以前、シルヴィアの踊りを見たときに、とめどなく今までの自分のことが思い出されて、それも耳をふさいで目を閉じたってレックスにしがみついても消えなかった。自分が忘れない限りきっとそれは続くんだろう」
アイラの目の前にティルテュは立つ。それへ少しアイラは体を動かして手をのばした。一瞬びくり、とティルテュは体を引こうとしたけれど、無表情のままでアイラはティルテュの頭にぱふん、と手を乗せた。驚いてティルテュはおずおずと膝をかがめてアイラを見る。
「・・・アイラ様」
「わたしはうまいことは言えないが」
ティルテュの頭をぶっきらぼうになでながらアイラは言葉を続けた。
「人はそうやって、自分が納得出来るまで、忘れることが出来るまで、体の中に自分を戒めるための罪を持ちつづけているのだと思う。たとえイザークの無罪が証明されても、死んでいったものやその遺族は国を見捨てた私を許せないだろうし、許されたとしてもそれを私は知りようがない。でも、少なくとも私は、ティルテュを恨みはしないし、逆に気の毒だと思う。少なくとも、ティルテュの父上が陥れたイザーク国の姫である私は、ティルテュが罪をあがなうべき人間だとは思っていない。それだけは、忘れないでくれ。もしもティルテュが自分の中に流れている、お父上の血を許せなくても」
「アイラ様」
「そして、正しく罪を悔いている自分を最後に許してやることが出来るのは、自分自身なのだと思う。誰が忘れても、自分の脳が忘れることが出来ないほどに、ティルテュは辛い思いをしているだろうから。そして、誰が覚えていても、自分が自分を許せたら、それが正しいかどうかは別として、楽になれるんだろう」
ティルテュはそこに立ち尽くしたままでほろほろと涙をこぼした。
出発前のシグルドに涙を見せてから、もう、泣くまいと決心していたのだけれど。
謝ろうが何をしょうが許されない罪を前にして人は、どうやったら強くなれるのだろう。
そう思うたびに自分は自分を責めたてるような、そんな錯覚さえした。

イザーク国の姫である私は、ティルテュが罪をあがなうべき人間だとは思っていない。それだけは、忘れないでくれ。
もしもティルテュが自分の中に流れている、お父上の血を許せなくても

人は、自分を許してもらう言葉を聞いたときに、どうしてこんなに安心して、そして弱くなるのだろうか?
淡々とこのイザークの姫は、労わるような声音ではないけれど、確実に自分を許そうと楽にしてくれようとしてくれている。
ティルテュはしゃくりあげた。
「でも、償いのひとつだと思われるのは嫌。わたし、アイラ様の子供達のために編物をするのは、そんな、ちっぽけなことが償いになると思ってるわけじゃないから。本当に本当に、編んであげたかっただけなの」
「ありがとう」
アイラはそっと手をティルテュの頭から離して泣いている彼女を見つめた。
「ティルテュ、今晩は一緒に眠ろうか」
そして、柄でもないことを口走る自分に苦笑をする。
ああ、これはレックスのせいだ。
レックスと出会う前の自分だったら絶対にこんな言葉を口にだすわけがない。
「目が覚めたときに、誰かがいるのは、嬉しいものだ」
「アイラ様も?」
「そうだな。もっとも、わたしはもう腹が重くて仰向けになってるのも辛いぐらいであまり深くは眠れないんだが。ちょっとうなるかもしれないけれど」
「そんなの。アゼルなんかあんな顔して、いびきかくのよ。結構うるさいんだから」
それはレックスと反対だな、とアイラはくすりと笑う。
「ベッドを、持ってきてもらおう」
もう、城の守備をしてくれていたアーダンもいなければ、いつも一緒に残っていたセリスもシャナンもオイフェも誰もかれもいない。
ここにいる人間はシレジアの女中数名と天馬騎士団数名だけだ。
女は恐がりだ、とかこれだから女は、とかそんな風に言われるのは心外だけれど。
アイラはわかる、と思った。
自分の父親の罪に怯えて苦しんでいるティルテュは、レックスと同じだから。
そう思うと、今まで出来なかったほどに優しくこの少女に接することが出来る。
本当に私はレックスによって変わってしまったのだ、とアイラは思った。
もちろんレックスからすれば、出来なかったことが出来るようになったってだけで、お前はやっぱりお前だろ、と笑いながら言うに決まっている。
その声は耳をふさいても聞こえるし、その姿は目をとじても見える。
ああ、それはなんという幸福なのだろうか。
そして、同じように耳をふさごうが目をとじようが、自分自身に罪をみせつけられることは、なんという責苦なのだろう?
奇しくも、時と場所とさらには内容すら違えて、アイラはシグルドと同じようなことを思っていた。

数日後、シグルド軍は砂漠を無事に渡りきることが出来た。
シグルド達はほとほと疲労が重なっており、近くの本当に小さな村で1日2日休むことに決定していた。
どうやらグランベル側は迂闊に砂漠に攻め入らないで、城で防衛するつもりらしい。
そうなると、本拠地をリューベック城において、満足な補給が出来ないシグルド軍には分が悪い。とにかく今は砂漠を抜けた疲れを1日でも早く癒して、そして短気決戦で攻め込むことが得策だろう。
その村人達はシグルド達を快く迎えてくれた。シグルドは思い切って真実を告げる。
「グランベルでは私は反逆者と呼ばれています。けれど、真実はそうではないし、もちろんみなさんにご迷惑をかけるつもりは毛頭ありません」
その証拠に、とシグルドは腰につけた剣をとり、村の代表はに預けようとした。
村の代表はそれへはゆっくりと首をふって、それには及ばないと微笑した。
村のはずれで野営をする許可を得て他の人間たちは仕度を頼んでおく。寝泊りするところは提供できるほど大きな村ではないが、気候は既に砂漠のものではない、穏やかな場所にあるから食糧にはことかかない、と村の代表者は彼らに対して食糧の補給を進んで引き受けてくれて、シグルド達は感謝するばかりだ。
どうも聞くところによると、以前この村に立ち寄ったバイゲリッターのあまりの不躾さに村人達は辟易して一体グランベルはどうなってのだと憂えていた様子だ。
また、イザーク討伐のためにクルト王子の兵がここに立ち寄った際も、バイロン卿は大層出来た人だと見受けたと村の代表がシグルドに語ってくれた。
それだけで、シグルドの胸はいっぱいになり、自分の父のひととなりを見た人間に助けられる、というめぐり合わせに深く感銘を受けた。自分の父は、今更ながらなんと素晴らしい人物だったのだろう?そう、妬まれてしまうほどに。
父の無罪は自分が知っている。けれどそれだけだった。同じように自分の無罪を人々が知らないまま、セリスが大人になることはとてもつらいと思える。
シグルドは、父であるバイロン卿が死んだことを村の代表に伝えた。
代表者の男はそっと目を伏せて、小さく溜息をつく。その表情が、本当に悲しんでいるものだということがわかる。
「そうですか。なんという惜しい人を。わたしたちは今のグランベルの状況がよくわかってはおりません。我々のような辺境の村人達は中央で何が起こっているかはわからないし、わかりたいとも正直思えません。普通の村ならばあなたたちに味方しては、何かと不都合なのだと思いますが、この村は砂漠を渡るものにとってはなくてはならない場所、ある意味、砂漠によって守られた村です。だからこそこのような無茶を出来るのですよ」
「ありがとうございます。感謝しております」
こんなところで、自分の父の話を聞けるなんて。
ふとシグルドは自分の妹のことを思い出した。
シレジアで別れたきりのエスリンに、父の数奇な運命を伝えなければいけない。
彼女は泣くだろうけれど、それでもきっと無理矢理笑顔を作って、自分達の父が誇らしいと、きっと言ってくれるに違いない。


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