耳をふさいでも目をとじても-4-

砂漠を渡りきったら戻る、と約束をしていたフュリーだが、せめて腰を落ち着ける姿を見なければ安心できない、とフィノーラ城進攻までを手伝わせて欲しいと申し出た。
それも確かに一理あって、フュリーとしてもこのままリューベックのアイラ達のもとへ戻って色々聞かれるのだろうし、とシグルドは許可をした。恋人であるレヴィンは渋い顔をしていたけれど。
砂漠のちっぽけな村のはずれでの夜を過ごしながら、シグルドとレックス、それからクロードとアゼルは火を囲んで話をしていた。
不思議な取り合わせといえばそうだけれどグランベルの中枢に詳しい人間に集まってもらった、というだけだ。
村はずれは静かで、ほぼ全員が砂地用の簡易天幕を使って休んでいた。起きているのはシグルド達と、見張りをかってでたデューとホリンだけだろう。
まだ砂地が残る場所だが、この地方特有の木々も茂っている。ここではもう水に困ることがないのがありがたい。
シグルドはふと空を見上げて、今日は星がない日だな、と気付いてから明日からの問題について切り出した。
「フィノーラ城は守りが薄い」
それへはさらっとレックスが答える。
「ああ、俺たちにとってはあまり大変な相手ではないな」
それは確かだった。
既にシグルド軍は、大陸一と言っても過言ではないほどの数の戦をこなし、さらにはもともと国などで組織された構成員ではないというのに居住を移しながらでも確実に勝ち星をあげてきている。
正直なところ、同じ規模の軍隊がやってきたとしても、シグルド軍達にかなうものはそうそういないと思える。
「・・・しかし、皮肉なものだ。本来グランベルを守るべき我らが、グランベルの兵を倒して国の兵力を減らしているというのも」
それは、シグルドの僅かな弱音だ。
「そうだな。しかし、そこまでしてでも俺たちを始末したいんだろうな。だけど、こんなへんぴな村の人間だって、グランベルがなんだかおかしい、ってことに気付いてるんだ。やつらの悪事がばれるのだって時間の問題なのにな」
そうだろ?とレックスがクロードをちらりと見る。
「・・・そうだといいのですが」
芳しくない返事をした神父は顔色も思わしくないように見える。
「疲れましたか?もしそうでしたら、先にお休みになってください」
気を使うシグルドにクロードは首を軽く振って
「いえ、違うのです。その・・・レプトールの後ろに潜んでいる・・・大きな、何か黒い・・・邪悪なもののことを考えてしまって。シグルド公子がおっしゃるように私たちはグランベルの兵力を減らしながらここまで来ましたが・・・。仮に我らの無実をしらしめたとしても、その邪悪な力に対抗出来るほどの力が残るのかと。それがとても・・・不安なのです」
「とか言われても、仕方ないよな」
レックスは肩をすくめた。クロードが言うことはとてもよくわかるけれど、この期に及んで言われるのは、士気を下げることにもなり兼ねない。もちろん神父には悪気はなく、彼ほどの人間だからこそ、先の先のそのまた先のことについて口に出してしまうのだということもレックスは知っているけれど。
「神父様、それは終わってから考えましょう。ここまでみんなでなんとかしてきたんですから、これからだってなんとかなるんじゃないかと思います」
精一杯アゼルはそう言った。
別に彼は、そう言う風に何の確信もないことを口にすることが好きなわけではなく、むしろ嫌う人間だったけれど。
シグルドとクロードが語っていることは、今自分達がここまで来たことに対しての後悔までもを含んでいるようにすら聞こえる。
それでは、更に遠く遠く自分達は反逆者として、この大陸を離れるほどにグランベルから遠ざかればよかったのか?
そうではない。
既に彼らが戦っているのは彼らだけの問題ではなくなっているのだ。多くの国を巻き込んで多くの人間を犠牲にして。
レプトールとランゴバルトの謀略のために散っていったイザークの民やグランベルの民や。
アグストリアに対しての対処を放置しておいたがために動き出したシャガール王に率いられていた騎士達や、それを諌めるために犠牲になったエルトシャンや、そしてシレジアの天馬騎士団。
その犠牲を、最も目の当たりにしてきた自分達だけが、散っていった彼らのために、そしてこれから産まれる子供達のために戦うことが出来るのだ。
ここで逃げる選択肢をとるならば、きっと彼らは既にシレジアに渡った後にでもちりぢりになってしまっていたことだろう。
引き返せない道だ。けれど、引き返そうとは、思ってはいけないのだ。シグルドは表情を引き締める。
「すまない。弱音をめずらしく」
「いいって。たまには、な」
レックスは笑って、軽くシグルドの肩を叩いた。
「・・・我々が砂漠を渡ったことはすでにフィノーラ城には伝わっているだろう。バイゲリッターを北上させたくらいだ、かなりの戦力はリューベック城に行っていたと思う。レプトール卿は自分の保身に対して貪欲な人間だから、
フィノーラ城へは増援を送らないでヴェルトマー城で迎え討つつもりではないかな・・・地形を考えてもフィノーラより身を守りやすく、こちらの進軍を阻みやすい場所だ。本来レプトール卿がいるべき場所とは思えないが、我々をバーハラにあげないようにするには、あそこで食い止めるしかないと思う」
レプトール卿が動いていることはリューベック城を出る前からわかっていた。
理由は簡単で、ランゴバルトとスコルピオ亡き今、レプトールはこの謀略で最も近しく荷担させていた味方が既にほとんど残っていない状況だ。もはや彼が自分で出陣するしかない。逆にいえばレプトール本人がそこまで出てきて自分の手でシグルド達を倒さなければ、彼らをバーハラのアズムール王のもとへ近づけてしまうわけだから、最後の手段に出ると思って間違いはない。
シグルドはそう言ってみなの表情を伺う。それへはアゼルがいち早く反応した。
「うん。僕もそう思う。レプトール卿は今までのやり方を見ていると、自分は一番後ろで、最も安全な場所を好んでいる。
ここに来て、自分の周辺からこれ以上兵を減らしてまでも、フィノーラで進軍を止めたいとは思うタイプじゃない。
むしろ、運がよければフィノーラ軍に勝ってもらって、そうでなければ僕達を消耗させるための捨て駒にするくらいは考えていそうだ」
「けれど、保身のためには逆にフィノーラに兵を送って、砂漠から渡って消耗している私たちを叩き潰すということもありますよ」
クロードの口から「叩き潰す」などという穏やかではない言葉が出たことに3人は驚いて、ブラギ神の申し子である神父をあんぐりと見つめた。
「神父さま、めずらしいこと言うなあ」
「あ、その、え、ええ、今のは失言でしたね」
すぐに自分の言葉に気付いてクロードはわずかに頬を染めた。
「ふふ、物騒な言葉を使うようになってしまいましたね、自分でも驚きました。けれど、その・・・この表現が一番それらしいような気がします」
「俺もそう思うよ」
レックスがそういうとクロードはまだ恥ずかしそうに笑って
「シルヴィアに以前怒られてしまいました。丁寧なことは悪いことじゃないけれど、言葉にはそれぞれ相手に伝えるために同じ内容でも単語が色々違うのだと。あの子はあまり、品が良いことは言えないようですが、彼女なりに自分の感じたことを伝えようと、つたない表現ながら懸命に話してくれます。私の言葉は、時折とても遠いのだそうです。それは、乱暴な言葉を使えということではないのだと私にも理解出来るのですが」
「言葉が、遠いか」
レックスはその言葉を繰り返して小さく微笑んだ。
時々あの踊り子はいいことを言う、と思う。本人は意識していないのだと思えるが。
あの奔放な踊り子は何かに導かれたようにレヴィンと共にシグルド軍と同行して、そして幾多の戦いで彼らを助けてくれている。今、この軍にいる人間の中で、最もこの戦いと関係がない人間のうちの一人だ。(もう一人はデューなのだが)
その踊り子がこの神父を射止めたことは、どのどんな恋人同士ですら驚かなかったシグルドもびっくりして、「シルヴィアさんはクロード神父に大切にしてもらっているようですねえ」なんて言って教えてくれたオイフェに「いつどこで!?」と馬鹿な返事をしてしまったものだ。
ブラギ神の声をブラギの塔で唯一神託として受けることができるクロード。
人の体へ踊りを媒体として力の源を与えることが出来るシルヴィア。
神の声を聞く男と、生命の力を与える女。
それほど、彼らは特殊だった。そして特殊ゆえに特殊な自分達が本当はどこも特殊ではない、とお互いが一番よく感じられるのだろう。
「1日でも早く腰を一度落ち着けたい。フィノーラ城を早めに落として城下町で情報を集めよう。バーハラに近づけば近づいただけ、もしかしたら陛下やアルヴィス様のところまでこちらの言い分が届くかもしれない。・・・レプトール卿を倒す前に、出来るだけのことは最後にしておきたい」
無傷は無理としても、レプトールひきいるフリージ軍に負ける気はあまりしなかった。
もちろん、犠牲は承知の上だ。
が、ティルテュのためにもグランベルのためにも、これ以上この謀略によっての犠牲を出すのは避けたかった。シグルドはここにきてまでもあくまでも和平を望んでいるのだ。
もし、うまくいけばアルヴィス卿やアズムール国王からの誤解がとけ、レプトールを牢にいれることで解決するかもしれない。
今までラーナ王妃からの親書に対する返信すらろくすっぽきていなかったということだから、アズムール王のもとまで届かずにどこかで捨てられてしまっていたのに違いない。ここまでくればもしかしたら、という気持ちがシグルドには最後の望みとして残っていたし、残しておきたかった。グランベルのシアルフィ公子として、騎士として。
「星があまりない日だな」
「そうですね」
クロードは穏やかに答える。
「そこに、あるのに、見ることが出来ないというのも不思議なものです」
「逆に、こうやって見えるというのも不思議なものですね」
シグルドもまた、とても穏やかに言葉を返した。

砂漠を渡った疲れがなんとかとれて、2日後にシグルド達はフィノーラ城制圧のために動き出した。
フィノーラ城を守るのは遠距離魔法のメテオを操る魔法剣士ヴァハだった。
が、シグルド達の予想を裏切らずにフィノーラの兵力はあまりにも低く、彼らにとってはとりたてた障害もなく容易に城を陥落させることが出来た。
そのあまりの脆さはシグルド達がいぶかしむほどだったけれど、それを考えるとヴェルトマー城に集められている兵力がいかほどのものかとぞっとした。
フィノーラ城はあまり戦闘態勢になることを徹底していなかったようで、何人もの使用人が残っていた。
レックスとエーディンが中心になって残っていた使用人を城の一室に集め、何日か滞在するので、引き続きこの城の雑務をお願いできないだろうかと説得にあたっている。
もちろん中には彼らを反逆者として罵声を浴びせ掛ける人間もいたし、呪いの言葉を投げつける者だっていた。
ただ正直な話、この城はもともとヴァハがずっと管理をしていた場所というわけではないので、ヴァハの軍を破ったことについてのののしりを述べる人間はない。
「あまり長い滞在はいたしません。私たちが出て行けば、また新たな領主がこの城に派遣されると思います。私たちは略奪者ではありませんから、その領主派遣までの間、ほんのわずかの滞在を許していただきたいと思うだけなのです」
エーディンは静かに丁寧に説得をした。
レックスの方はそういった面倒なことはもっぱら不得意分野だったから、とりあえず彼女にまかせるか、と床に座ってのんびりとその様子を見ている。
「じゃあ、あんた達は俺たちに危害は加えないんだな?」
「お約束いたします」
「私たちの給金はどうなるの?」
「お支払いいたします」
「えっ?」
「私たちが自分の力だけで作った資金で、あなた方へのお給金はお支払いいたします。そうでなければ、このようにお願いはいたしません。危害を加えない、というだけでは生活の保証になりませんものね。わかっているつもりです」
その言葉に使用人たちは驚いて顔を見合わせた。
「それは、本当なんですか」
女中頭の老婦人が毅然とした表情でエーディンに問いただす。声音は厳しいけれど、表情は既に回答を決心している風に見えるものだ。それへエーディンは表情をひきしめ
「例え反逆者と汚名を着せられようと、私はユングヴィの公女です。この言葉に嘘偽りはありません。どんな汚名を着ていようと私たちはあなた方を守る義務があっても、あなた方の生活を脅かす必要は何一つありません。そのことだけ・・・もし、私たちの要望を聞き届けていただかなくとも、そのことだけは忘れないでいただきたいのです」
その言葉を聞いて力強く女中頭はうなずいた。
「わかりました。わたくしはこの城に留まって、今まで通り業務を行いましょう。ただ、帰るあてがある若い人々はこの城から出て行っていただいてもよろしいでしょうか。少しでも戦争の火種が近いのでしたら、それがよろしいかと」
女中達はおどろいて、その女中頭の近くに寄って何事か言葉をかけている。私は残ります、だとか私は城下町に戻ります、とかみな自分の都合を口走っているように見える。
レックスはそれを聞いて苦笑しながら言葉を挟んだ。
「そもそも、戦争があるってわかっていながら使用人を避難させなかったことがおかしいんだ。あんた達がそうしたいと思うなら、それでいい。こっちはこの城で戦争を起こすつもりはないけれどな。当面この城から出て行って生活が困る人間が残ってくれれば給金を出すし、危害も加えないことも約束する。なに、半月もしないうちにここをたつ事になるんだ。絶対」
それは、アズムール王への親書を届けて、そして返事が戻ってくると思われる日数に余裕を見た数字だ。
彼らの最後の期待として、後一度だけアズムール王へ親書を届けたい。
それが届いて、帰ってきても可笑しくない期間フィノーラで様子を見る。
これがクロード達と決定した事項だった。
そうでなければ、あまりにも。
あまりにもシレジアからリューベック、そしてここまで攻めあがることでグランベルに損害を出している。
そのことを彼らは忘れることが出来ないのだ。なぜならば彼らもまた、グランベルの騎士なのだから。
そういうわけで、そのためにはフィノーラ城付近の町に協力を得なければいけないし、もちろん城内の人間の協力も得たいわけだ。
「俺たちは一般市民に、何ひとつ危害を加えていないし、これからもそのつもりなんだ。ほんの半月、ここでの生活に不自由がないくらい手を貸してもらえれば、それだけでいい。どうだろう?」
女中以外の使用人の男達はみなひそひそと相談をしている。
しばらく仲間うちで話合って決めてもいいぜ、とレックスが言って一息エーディンがついた途端に
「レーックスう、エーディン、こっちはどーお?」
「シルヴィア」
ひょっこりとシルヴィアとミデェールが顔を覗かせた。シルヴィアはまだざわざわと使用人たちが話をしている姿をぐるりと見回して
「なあに、まだてこずってるの?ねーねー、ちょっとの間だけ協力してよお」
と能天気に使用人たちに言う。
「そしたら、あたしの踊り、見せてあげるからさ。あたし、砂漠の近くって来たことないから、ここの人たちはあたしの踊りって見たことないと思うのよね」
くるくるとステップを踏んで踊るシルヴィア。呆れたようにレックスはそれを止める。
「こらこら、話をややこしくすんなよな」
「なあによ〜。だってあたしの踊りは!シレジアのラーナ王妃だって感動するほどの踊りなんだからあっ」
「わかったわかった。で、何しに来たんだ」
「あ、そうそう」
軽くステップを踏んでいた足をぴたりとシルヴィアは止めた。
「フュリーが、リューベック城に戻るって。・・・だから、レックス、何かアイラに伝言があるかって・・・みんなの前で言うのは恥ずかしいでしょう〜?」
レックスはその言葉で固まってしまった。
確かにフィノーラ城を制圧したら彼女はリューベックに戻るとは言っていた。が、それをうっかり失念していたのだ。
「町からシグルド様が戻り次第、ここを出るって言ってたわ」
「そうか」
「それで、エーディン様をお一人にするのは危険ですから、わたしがレックス様の代わりにと来たのです」
ミデェールはそういって小さく微笑んだ。
「レックス、行って来ていいわよ」
さらっとエーディンも笑顔でレックスに言う。
「うまい言葉でも考えた方がいいわ。・・・アイラと、あなたの子供のために」
「バカ」
「もう子供の名前は、決めてきたの?」
「ああ」
「ええーっ、教えて教えて」
シルヴィアがにやにやとレックスを覗き込む。レックスは赤くなって慌てふためいた。
「教えるか!そんな恥ずかしいことっ」
「何何、レックスが決めたの?」
「二人で決めた」
「いやーん、聞きたい〜!!」
「で、フュリーはどこだ!?」
「あっ、話そらそうとしてるでしょ。えっへっへ、フュリーのところに連れて行ってあげるわ。道すがらじっくり聞こうじゃない?」
「言うか!」
そう言ってレックスは殊更に大股で部屋を出て行った。それをぱたぱたとおいかけるシルヴィア。
二人が出て行った後、まだ使用人たちはどうするか話合っているようだ。エーディンはミデェールにそっと語りかける。
「レックスも、アイラ様と離れて不安でしょうに。全然それを口に出さないのね。・・・アゼルには言っているのかしら」
「・・・アゼル様もティルテュ様と離れていらっしゃいますから・・・お互いに言わないかもしれませんね」
「そうね。・・・もうすぐアイラ様もお産のはずだわ。元気な赤ちゃんが産まれるといいわね・・・。早く、アズムール王に誤解を解いて、すべての真実を暴いて・・・私もレスターを迎えに行かなければ」
「そうですね。それに、アイラ様のお子さんもティルテュ様のお子さんも、早く見たいです」
ミデェールはそっと微笑んだ。この弓騎士はエーディンにずっと付き従ってここまできてくれたユングヴィの人間だ。
彼が自分に想いを寄せていた時期があったことをエーディンは知っていた。
ジャムカと結ばれて子供まで産んだ自分に、それでも以前と変わりなく仕えてくれる、この穏やかでそうっとした誠実な弓騎士は相変わらず柔らかい笑顔をエーディンに見せてくれるのだ。
「ありがとう、ミデェール。ここまで来てくれて」
何故だかエーディンはここで彼に感謝の言葉を口にした。
そしてミデェールも不思議と、「何を突然」とも言わずに、礼には及びません、と静かに答えるのだった。

シグルドはフィノーラを制圧した後、その城下町(とはいえ、この砂漠付近の町だからそう大きくもないのだが)を取り仕切っている長老の下へとアゼルとノイッシュを連れて訪れた。アゼルを連れて行ったのは、ヴェルトマーに近いこの地域の人間ならば、多少ヴェルトマーのアゼルを知っているはずだからだ。そうであれば警戒心も薄れることだろう。
自分達がフィノーラ城に攻め込んだことで、周辺の街に被害が出ていないか、そして近くで戦争を行ったことを謝罪しなければいけない。それは常にどんな城をどういう経緯で攻め落としたとしてもシグルドが決して忘れないけじめだ。
指揮官である自分が行くことに意味があるのだと彼は思っていたし、それは正しかった。
町の人間に案内されて、あまり立派ではない家屋に入っていく。ノイッシュは家の外でお待ちしています、とその場で別れた。
質素な木の椅子と木の机だけがある、贅沢を一切していないように見える部屋に二人は通された。室内には老人が一人、これまた質素な身なりで椅子に座っていたのを、彼らが入室してくると立ち上がって深く礼をした。
「これはシグルドさま、よくおいで下さいました・・・おお、これはヴェルトマーのアゼル様も」
シグルドも頭を下げる。それから改めて正式に名乗り、そしてアゼルの紹介をした。
「僕をご存知なのですか」
「もちろん。一番近い城はヴェルトマー城でございますからな。とはいえ、アゼル公子が幼い頃のお姿を拝見しただけですがいや、ご立派になられたご様子ですのう」
アゼルは照れくさそうにシグルドをちらりと見て笑った。
さあどうぞ、と椅子を勧められて、二人はそれぞれちょっと座りごこちが悪い椅子に腰をおろす。
長老の話では、この城下町の人間も一体何がどうなって戦争が起きているのかもわからず、実のところ不安に怯えていたという。
どうやら、シグルド達がグランベルに対しての反逆罪に問われていることは、この地域ではあまり浸透していない話のようだ。
(もちろん城にあがっている使用人たちは知っていることだろうが)
多くは語らないけれど、シグルドは自分達が置かれている状況と何故軍を進めているのかをかいつまんで長老に説明をする。
これから彼らは何日かフィノーラ城に腰を落ち着けることになる。その生活に不自由がないようにするために、この街の協力が必要だ。
協力を得るためには、隠し事をするのはあまりいいこととはシグルドには思えなかった。
長老はシグルドの話を静かに聞き、それからあまり悩んだ風もなく答えた。
「あなた方が滞在することで、我らの身に何か不都合が起こった場合、あなた方はどう対処なさいますか」
「そのようなことがないようにする、ということが前提ですが。もしも我らがフィノーラ城にいることを助けた、と罪に問われることがあれば、どうかいくらでも我々を悪者にしたてあげて、身の保全を図ってください。無理矢理協力させられたのだと。我々はそれを裏切りと思うほど馬鹿ではありません。それから、決してフィノーラ城に攻め込まれて、またみなさんの町を戦争に巻き込むことはないことを誓いましょう。うろんな動きが報告された場合、我々はいついかなる時でもこのフィノーラ城を出て、この街から遠ざかったところで戦をするように務めます」
「そのお言葉を信用しましょうぞ」
シグルドは礼をいって、深く頭を下げた。そしてアゼルもまた。
「こんな、砂漠のオアシスまでを戦争に巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません」
それはシグルドの本音だ。
例え民衆に危害を加えなくとも、自分達の居住区を管轄している領主の城が制圧された、とすれば誰もが不安を抱くに違いない。
その気持ちをもたせること自体、戦争に巻き込んだ、と彼は表現しているのだ。
長老はわずかに渋い表情を見せた。
「うむ、しかたのないことじゃ・・・。つい先日砂漠の南でも戦争があったと聞く。物騒な世の中になったものじゃ」
「南でも戦争が・・・それはいったい?」
「聞くところによると、かなりの人数の騎馬隊が砂漠を北上する途中トラキアの竜騎士団におそわれて全滅したそうじゃ」
その言葉に、シグルドとアゼルの表情は一瞬で強張った。
シグルドは長老から目をそらせない。
砂漠を北上しようとしていた騎馬隊。
それも、トラキアの竜騎士団に襲われるような。
・・・キュアン達以外に考えられない。
それは、嫌な予感、などというものではなかった。
トラキアの竜騎士団はグランベルから依頼されてシグルド達を討伐にきたのだろう。であれば、この状況下で砂漠を渡ろうとしている人間でトラキアの竜騎士団が攻撃する対象になるのは、どう考えても自分達の力になる人間か、それとも。
長きに渡って攻防を繰り広げているレンスターの人間か。
そして、そのどちらにも当てはまるのは、キュアンだった。
「・・・公子」
アゼルはシグルドに声をかけた。答えはない。答えがないことが、アゼルが考えた嫌な可能性をシグルドも考えているということを伝える。
リューベック城を出たときに襲ってきた竜騎士団は、砂漠を北上する途中でキュアン達を発見したのか、それとも初めからキュアン達を狙っていたのかはわかるはずもない。
シグルドは震える声を振り絞った。
「それは、誰かが見たのですか」
「あなたたちと同じように砂漠を渡ってきた行商人がおりましての。たまたま遠目でトラキアの竜騎士らしいものを見て、更に南下したところに砂に埋もれた死体がごろごろ転がっていたという・・・。ひどいやつじゃ。グランベルが戦争しているようだから武器を売りさばこうと思ってやってきたらしい。それで、死体の側に残っていためぼしいものを拾ってきたと言っていた。それすら売りさばこうと思っておったらしいのじゃよ・・・」
「なんてことを・・・」
「槍ばかりが落ちていたから、多分レンスターのランスリッターだと言っていた・・・全滅だったそうじゃ。女性もいたという話でむごいことじゃとみなで話しておったところだった」
「やはり・・・」
しかし、ランスリッターに女性はいない。それをシグルドは知っている。
その砂に埋もれた死体の中に、キュアンとエスリンが混じっていることはもはや疑いようがなかった。シグルドは沈痛な面持ちで瞳を閉じる。
あまりに衝撃が大きいとき、人はこんな風に呆然とするのか。
自分が知らないところで自分の親友と愛しい妹がこの世からいなくなった。
自分を形作る世界の一部だった彼らが消えて、ぽっかりとそこに穴があくような。けれど、あいた穴の痛みをまだ痛感出来ないような、そんな感覚。
「が、安心してくだされ。槍は貧弱なものばかりだったのでそのまま行商人に持っていかせたが、形見になりそうなものは我らがお願いをして買い取らせていただいた。もし、あなた方のお知り合いであれば、見ていくと良いと思う。我々はレンスターにいくほどの力をもたぬが、あの行商人にそれらのものを売りさばかれるのは心があまりにも痛んでの」
安心しろ?
何を安心しろというのだろう。
ぼんやりとシグルドは長老の言葉を聞いていた。
それから長老は、部屋の隅っこの床においてあった、体の幅よりも大きい箱を持ちあげた。
よっこらしょ、と声をかけながら卓上において、そっとその蓋を開けて二人に見せてくれた。
たくさんのガラクタにも思えるものが入っている。アゼルはそっとシグルドのとなりからそれを覗きこんだ。
死んでしまった兵士が身に付けていたらしい階級章、砂漠にはいるときに使ったと思われる砂煙よけの布、皮で作った腰にくくりつける薬袋、槍を磨くときに使う道具(そんなものがある時点で、経済的に裕福な人間だと思われる)を旅用に小さくまとめた道具箱。そういったさまざまな小間物達。そして。
シグルドは眩暈がした。
砂漠で生き絶えた彼らの姿をみて、さらにはその遺品を売り払おうとした心無い人間がこの世にはいるのだ。
そんな人間にキュアンやエスリンの遺体を触れられたと思うと、悲しみよりも怒りが先立って、いてもたってもいられない気持ちになってしまう。
「公子、気を、確かに」
アゼルはそういってシグルドの腕を掴んだ。シグルドは小さくうなづいてアゼルをちらりと見る。
その表情は、今までアゼルが見たことがない、途方にくれたただの一人の男の表情だ。
それから瞳を伏せ、そっと息をついてから改めてシグルドは長老に申し出る。
「今は、冷静に見ることが出来ません・・・・もし、よろしければこれを預からせていただいてもよろしいでしょうか・・・」
「もちろんじゃ」
「ありがとうございます」
けれど、これが現実なのだ。
長老は、飲み物をもってきますから、しばらく待ってくれ、と言って出て行った。それは、気をきかせてくれたのだということぐらいシグルドにはわかる。
ぱたり、と扉が閉まる。
「・・・ふっ・・・」
自分の体に、こんなに液体が残っていたのか、と思う勢いで、ぶわっとシグルドの瞳から涙があふれ出た。
なんとなれば。
その箱の中には、彼 の愛しい妹が自分のものだとすぐわかるように剣の柄の先にぶらさげていた、嫁入り時にシグルドが贈った剣飾りがあるのをみつけてしまったからだ。シグルドはもう一度自分に言い聞かせる。
これが、現実だ。
泣いても祈っても何かにすがろうとしても。
長老の言葉を遮ろうと、この箱の蓋を閉じても。
これから何度夢を見るのだろう。それは永遠のことになるような気すらシグルドにはした。
眠りにつく前に、何度まぶたの裏に、砂に覆われた自分の妹と親友の姿を描いてしまうのだろうか。
「う・・・」
シグルドは前髪をぐしゃりと手でつぶし、手のひらで顔半分を覆って号泣した。アゼルが傍らにいることは、何の意味もなさない。
ディアドラと生き別れてしまったときにもここまでは泣かなかった、というほどにシグルドは泣いた。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
まるで子供のようにその言葉を頭が繰り返す。
「公子」
アゼルはそれ以外にかける言葉もなく、沈痛な面持ちでシグルドを見つめている。
目をそらしてあげたかったけれど、シグルドのあまりの痛みを感じて、今は体を動かすことすらままならないほどアゼルもまたその場で固まってしまっていた。どうにも出来ずにただただシグルドをみつめるだけだ。
一体自分は何を守るためにこうしてここにいるのか。それすらを見失いそうなほど、今シグルドは揺れていた。
今すぐ駆け出て行って、砂漠でキュアン達を探したい。その衝動を抑えるためにシグルドは自分で自分の胸を抑えて「駄目だ」と言葉に出して繰り返してつぶやいた。
そんなことはただの感傷だ。何の役にも立たない。
絶えず砂漠で巻き起こっている砂煙。風に流されてさらさらと生き物のように地表を走る、人の足を絡め取る呪いにも似た砂たちがこうしている間にもキュアン達を覆い隠して、そしてまた姿をあらわして、そしてまた隠して。
けれど、何も関係がないように砂たちは吹かれてただただ流れていくだけなのだ。
神よ。
あまり口にしない言葉がシグルドの唇からかすかに漏れた。
アゼルはその言葉を耳にした瞬間、自分の表情が歪んで涙が滲んでくるのを感じて、ようやくシグルドを見ないように、そして見られないように顔をそらした。
ラケシスがその場にいれば、きっと彼女は同情の表情は出来るだけ見せないように彼に言うだろう。
祈りなんか、届かないのよ、と。
そして、彼らが言うところの神は、彼女がその言葉を発することを責めないはずだ。
何故ならば、彼女の祈りは届かなかったのだから。



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モドル