耳をふさいでも目をとじても-6-

まいったな。
アイラは苦しみに顔を歪めながら、もうすでに落ち着いたことを考えられなくなった頭をそんな言葉がかすめた。
想像はしていたけれど、こんなにも出産がつらいものだとは思わなかった。
女は母親になると強くなる、とよく言う。
こんなに痛みや苦しみを伴って子供を産めば、それは愛しいだろうし、何か自分も変わるのかもしれない。
「アイラ様、頑張ってください」
涙が出た。
痛みで涙を流すことなんて、一体どのくらいぶりなんだろう?
そんな思いが湧き上がっても、自分がそのことを考えた、感じた、ということをすぐに消し去ってしまう。
体は初めての感覚に支配され、どうにもならない痛みでアイラを苦しめる。
汗が吹き出る体を押さえつけられながら、ただ苦しく息を吐くしか出来ないアイラに、何度も産婆達が励ましの言葉をかけた。
「もう少しです。もう少しですから、しっかり」
しっかりも何も。
体に力をいれるな、と言われ続けているが、力をいれずに気をしっかり、とはなんと難しいことなんだろう?
そんなくらいしか思考は動かない。
わかっていたけれど、出産というものは時間がかかってなかなか簡単には終わらない。
・・・人は、簡単に死んでしまうのに。
なんだか、その言葉がぽっかりと自分の頭に浮かび上がってくる。
浮かんでは消え、浮かんでは消える言葉達。その中でようやくアイラの思考に繋ぎとめられた言葉は何故かそんなにも残酷で、けれどこの世の真実に他ならないものだ。
苦しい。つらい。早くこの状況から抜け出したい。
今、どうして自分がこんな苦しんでいるのかも時折意識の外にいってしまう。
それを呼び戻すために産婆が声をかけてくれているのかもしれない。
なんとなく冷静にそうも思ったけれど、また、そのことをまるで考えもしなかったように痛みがかき消していく。
苦しみに顔を歪めながら。
「・・・・」
愛しい男の名前やら面影やら、そんなものは正直なところ、この状態では何の役にもたたない。
それでも、この苦しみの最中に何度か彼を思い出してしまった自分のことだけは不思議とアイラは覚えている。
「アイラ様、もう少しです」
耳に届くのは、自分を励ます産婆の声と、そして聞きなれない自分のうめき声だ。
通常であれば、自分のこの苦しみようやら情けない声やらを無様だとアイラは思うのかもしれないけれど。
だけど、どうしてだろうか?
神様、苦しいです。
この苦しさを味わっているうちには、奇麗事なんて何も考えられません。
ただ、そこいらの獣のようにうめき、体の中にいた生き物を外に押し出すことしか考えられないのです。
苦しくて苦しくて苦しくて。一秒でも早くこの時間が終わって、自分の体が自分のものだけに戻って欲しいとすら願ってしまうのに。
それでも。
涙と共に流れ出るような、この感情は、一体何と呼べばいいのでしょうか。

夜半過ぎまでフィノーラ城門付近の見張り兵の詰め所にいたレックスは、ノイッシュと交代をして、あてがわれた部屋に戻ろうとした。
さすがにフィノーラ城にはまだ慣れない。
レックスは「こっちから行った方が近道か?」とうろうろと自分の部屋に戻る道順を試してうろついている。
使用人と女中をなんとか説得したものの、人数が減ってしまった彼らは夜通し誰かしらは起きている、なんてことが出来ないぐらいになっていた。フィノーラ城の中はしん、と静まり返っている。
「あれ、思ったところに出なかったな」
予想に反して遠回りになってしまう階段を上がってしまったようだ。
その静まり返った城の通路に自分以外の足音を聞いて、レックスはひょい、とその音がする方向の通路を覗いた。
「んだ、こんな時間に」
「お前こそ」
「俺は今まで見張り番やってたんだよ」
通路を歩いていたのはベオウルフだ。そのあまりの乱れた格好を上から下まで眺めてから
「・・・もう少しさあ、こう、なんとかいいわけできる格好で歩けよ」
呆れかえってレックスはそう言った。うん?とにやにやベオウルフは笑って、半分しかとめていなかったシャツのボタンを申し訳程度にもうひとつばかり止める。手と顔程度は水をかぶってきたのか前髪が濡れている。
「誰もこんな時間、歩いてねえだろ」
「俺が歩いてたじゃないか」
「ははは、確かにな。・・・さすがに水で体拭こうと思えるほどの室温じゃないな。ち、後先考えずに面倒なことをしちまったぜ」
とベオウルフは言ってだるそうに首を回した。そのデリカシーのなさにレックスはさすがの彼もうんざりしたらしく
「さっさと井戸水でもかぶってこい。・・・ラケシスは」
「お前が言ったように、井戸水かぶりに行った。俺はそんなもんはご免だから、厨房で湯でも沸かそうかと」
「本気か。もう井戸水は冷たい季節だぞ」
砂漠近く、とはいえ夜になれば日中の気温差はかなりのものだ。レックスは自分が洒落のつもりで言った言葉どおりにラケシスがしているなんて冗談でも思わなかったものだからあせった。
「いいんだ。あの女の好きにさせてやれば。・・・どこかで、まだ残ってるんだろうさ。色々と、な」
そのベオウルフの言葉が何を言わんとしているか、レックスは追求しなかった。
ただ、この砂漠の町にたたずむ小さな城で、ノディオンの姫が井戸水を自分でかぶっている姿を想像するのはなんだか胸が痛む。
「もうひとり子供が欲しいのか?」
そんな言葉がさらりとレックスの口から出た。ベオウルフはきょとんとした表情をみせて
「・・・そうきたか」
「違うのか」
「ま、そう思われても仕方ねえやな。・・・抱きたいと思ったから抱いただけだ。お前はいつもガキのことを考えてアイラのことを抱いていたのか?」
「・・・いや、違うけど・・・いや、違わないかな、ううん」
軽く聞いた問いだったのに考え込むレックスの姿が可笑しかったらしく、ベオウルフは声をたてて笑った。
「それに、もう子供が出来る体に戻ったかどうかも実は聞いちゃいねえんだよ」
「へえ?」
ベオウルフの言う意味がわからずに頓狂な声をあげてレックスは不敵に笑う自由騎士を見た。
「戻ったかどうか・・・って?」
「なんだ、やっぱ、身分が高い方々はよくわかっちゃいねえんだな。子供産んだら、はい、翌日からもう子供を作れますよ、なんてふうにはなっちゃいねえんだよ。ま、俺も詳しい期間は聞いてないけどな。・・・ちょっとだけは、反省してるんだぜ?それとは別に、まだあのお姫さんの体は本調子じゃねえのに、やっちまったってのは、さ」
「・・・そういうものなのか」
正直な話、ベオウルフの話はレックスにはぴんとこない話だった。
父親になろうとしているものの、それまで女性の体の仕組みについてはそういう行為をすれば子供が出来る、程度しか認識がなかった。アイラが身ごもってから色々と出産については聞いたりもしたが、今度は出産後のことについて詳しく自分が知らないことにレックスは気付く。その点で言えば、ジャムカはきっと事細かに聞いているだろうし、ベオウルフのその知識は多分、ラケシスの出産とはまったく違うところから得ているような気がする。
「あと半月もすれば子供が生まれるんだろ」
「ああ。一気に二人もな」
「名前は決めてきたのか?」
「なんだ、シルヴィアと同じこと聞くんだな」
そんなことより、さっさと体を拭いて来いよ、とレックスが言うとベオウルフはにやにやしたままもう一度聞く。
「話をそらすのが下手な男だな。レックスは」
「あんたらしくない。俺の子供の名前を気にするなんて。どうでもいい、とか思ってるんじゃないかと」
「死人の話ばかりじゃ、うんざりするだろ」
そういってベオウルフは顔を歪めた。それは、多分彼の本音だろう。
いくらなんでもその言い草はないだろう、とレックスは僅かにかちんと来たけれど、ベオウルフの表情が緩まないことに気付いた。
「・・・ちょっとは、まいってるのか?」
「ああ、ちっとばかりな。それに、もともとラケシスだってキュアン王子は知らない仲ではなかったし」
その表情は、ベオウルフにしてはめずらしく疲れが見えるものだ。
「ま、俺の職業は自由騎士だ。聞こえは悪くはねえが、世の中の人間が平和が一番だ、なんて呑気に生活している間にもどこかで
剣をふるうのが生業だ。ただ振るえばいいってもんじゃねえ。当たり前だが、振るう相手がいるから剣を抜くんだしな」
飄々と自分の生業についてベオウルフが語るのをレックスは初めて聞いた気がする。
「だから、人の生き死になんざ、なれっこでどうでもよくなった。麻痺してる、というより、無意識に麻痺させてる、っていう方が俺としては仕事に徹底いてる感じがして、ま、好きなんだけどな」
しかし現実に「麻痺させている」なんていうことが出来る人間はきっといないのだろう。
レックスは次のベオウルフの言葉を待って、彼の表情をじっと見つめた。
「だから、キュアン王子が死のうが、あの若奥さんが死のうが、どうってことねえと思ってたし、その方が俺らしいと思ってたな。自分でもまさか、こんなときにあの女の部屋にいっちまうとは思わなかった。多分、ちっとはまいったんだろうな」
それはあまりにベオウルフの口から聞くのにはそぐわない言葉だった。
「なんてんだ?たまには、女に抱かれに行くのも、悪くはねえな」
「・・・は・・・?」
レックスはびっくりして言葉を完全に失った。抱かれに?ベオウルフが?ラケシスに?
一体それがどういう意味なのか、すぐには想像も出来なかった。いや、すぐには、どころかこの先もわからないかもしれない。
けれど当の本人は呑気に言葉を続ける。
「こんなときに女と交わることが不謹慎だ、とか人は言うんだろうけどなあ」
それについてとりたてて返事が欲しい、という口調ではないことをレックスはわかっていた。
レックスは、ベオウルフとラケシスの間柄が、本当のところはどういう形のものなのかよくわからない。
正直言えばどんな恋人達の愛の形も、他人がわかるわけはないと思う。いや、本人達すらわからないのではないか。
「?なんだよ、変な顔で見て」
ただレックスがなんとなくわかるのは、ベオウルフが今晩またラケシスと交わった、ということは、ラケシスが自分の子供を産んだことに関して肯定的なのだ、ということだけだ。
そうでなければ、またその可能性が起きる行為をするわけがない。
たったそのことを思いついたはずみで、レックスは心の中でずっとひっかかっていた、これから先の近い将来のことをついに口に出して聞いてみた。
「あんたは、ラケシス姫と一緒にノディオンに行くつもりがあるのか」
「バカな質問だな。俺は自由騎士だ」
「じゃあ」
「あの女が、俺と一緒にガキをつれてノディオンに戻りたいなんて言うと思ってるのか、お前らじゃあるまいし」
レックスの質問の裏にはレックスの覚悟が垣間見える、とベオウルフは敏感に察知した。
もう、彼はアイラと共にイザークに行く覚悟があるのだろう。
例えこの先自分達の汚名が晴れたとしてもドズル家は兄ブリアンが後を継ぐだろうし・・・。
だが、ベオウルフとラケシスはどういうつもりなのだろう?それはレックスのみならず、この軍にいる全員からのとても素直な質問に思えた。
ジャムカとエーディンのことは考えなくてもわかる。
正統な後継ぎであるブリギッドがユングヴィに戻ることが一番望ましい。もちろん彼女がすぐにそれを行えるわけはない。
けれど、少なくともブリギッドが弟アンドレイを自らの手でうちとることでユングヴィの公女としての役目を担おうとしたのは事実だ。それを思えばあながちブリギッドが完全にユングヴィ家の後継ぎになることも難しくはない。
彼女がユングヴィにいてくれるならば、エーディンはジャムカと共にヴェルダンに行って、ジャムカが犯した罪の償いをすることも出来るだろうし。
でも、ラケシスはどうするのだろうか?
来いよ、とあごをしゃくってベオウルフは歩き出した。言ったとおりに厨房に向かうつもりなのだろう。
湯をわかして、布で体を拭こうと思っているに違いない。
レックスは、話の途中なのにむかつくな、なんて思いながらも仕方なくベオウルフについていった。なんで俺がついていかないといけないんだ、と思いながらも、ついついベオウルフのめずらしい本音を聞きたいと思ってしまう。
まったく目の前のベオウルフときたら、「女のところにいってきました」という風情を隠すこともしない。人に会ったらレックスの方がなんだかいたたまれなくなりそうだ。
・・・とはいえ、真夜中にシャツをはだけた男と一緒に通路を歩くってのも変な感じだな、と苦笑をせざるを得ない。
ベオウルフはぼそっと、別におもしろくもなさそうに
「あの女はとりあえず、自分の子供の父親が俺で構わないと思ったんだろうし、俺も、別に俺のガキをあの女が産んだって別に困りもしないからな」
「・・・子供を産まれて、困る女がほかにいるのかよ」
「?いいや?そもそも、どっかにはほかにガキがもういるんじゃねえのかな」
「冗談にならない話だ」
「当たり前だ。本気の話だ」
「大した男だな、あんたは」
「キュアン王子が目をつけるのもわかるだろ?」
そのベオウルフの言葉にレックスははっとなった。
そうだ。
ベオウルフをシグルド軍に勧誘して、戦の最中に気前よく1万ゴールド渡したのは、キュアン王子だった。
「ベオ・・・」
「俺がもらった1万ゴールド分は、ほとんどラケシスのお守り代になっちまった。この軍ではそれ相応の働きをしていると俺は思っているが、あの戦で俺を選んだキュアン王子に対して、俺はあんまり力にゃあ、なってなかったな」
知らなかったけれど、案外ベオウルフはキュアンのことが好きだったのだろうか。
それでもそんなことを聞けば、この男はまたさらりと受け流して本音を言ってくれない気がする。
「誰が死のうが生きていようが、俺にはなんの意味もねえよ。お前らよりももっともっと多くの死体を見て来たし、仲間、なんて呼べるやつらがぼろぼろと目の前でおっちんでいく姿は慣れっこだ」
「・・・」
「それでも、たまに、本当にまれに、ふとしたはずみで・・・助けられなかったのか、と後悔することもあらあな。どう考えたって無理だとわかっても」
そういってベオウルフは肩をすくめる。
「俺は、この戦が終わったらレンスターに行くつもりだ。時間が足りなくてフィンに教え損ねてた馬術だってあるしな。ラケシスが出来るんだ、あの筋がいい見習い兵が出来ないわけはない。まだ、俺はキュアン王子に雇われているのさ」
本当はそれも本音ではないのだろう、とレックスは思う。
キュアンが死んでしまった今、レンスターは大変な状態になってしまうことは誰もが想像できうることだ。
それを、ベオウルフはこの男なりに気遣って、わずかなことかもしれないが、自由騎士としての力を貸しにいくのに違いない。
もちろん、そんな大層な表現は絶対に使わないけれど。
「それで、レックス」
「うん」
「子供の名前、なんてつけるんだ?」
レックスはベオウルフに苦笑してみせた。
「そんなこと聞いてないで、さっさと体拭けよ。気分わりいよ」

「力をいれても、大丈夫ですよ、アイラ様」
やっと許された。苦しい間中、まだかまだかと待っていたその言葉はとてもアイラを安堵させた。
もうすぐなのだな、とちらりと思って言われたとおりに力を入れた。
長い時間、苦しいのに力をいれてはいけないと自分に言い聞かせ続けていたせいか、下半身に力をいれる、というその行為がなんだか産まれて初めての行為にも思える。
まだ苦しい。あまりに続いた苦痛で体力も限界ではないかとアイラは自分でもちらりと思ったけれど、それでも力をいれられることが予想以上に自分の体を楽にすることだと気付いた。何度か力をいれて、産婆の励ましの声を聞いて。
それから。
不思議な感覚だった。
それまでの痛みや苦しみが、突然、薄らいで、体の中の何かが外へと向かって降りていく感覚。
けれど、まだ出産が続いていることをアイラはわかっている。
まだ、自分の体の中にあった命は、外には出ていない。
それでも、その感覚は終わりが近いことは、体からの信号で伝わっている。
「二人分だから、少しここからかかるわよ」
産婆が傍らにいる女中数人に声をかける。
ああ、そうだ、二人いたんだ。
もちろん完全に楽になったわけでもない。それでも終わりが近づいたことを知らせる体からの信号をうけてアイラは僅かに気持ちが楽になってきた。
もう、自分の口から意識しないのに漏れてしまっていたうめき声は出てこない。
産婆に言われたとおりの呼吸を繰り返して、アイラは彼女にしか出来ない役目を果たそうと努力をする。
時間の感覚がおかしくなってきた。
もう少しだ、とか出て来ている、なんていう言葉を聞いてから、一体どれくらいたったのかアイラはもうよくわからない。
苦しいわけではないが、目を閉じたまま産婆の指示に従うことが精一杯だ。
一体いつまで、これが続く?もう少し、というのはどれくらいなんだ?
何度もそんな思いが頭の中をぐるぐる回ってしまう。が、ほどなくして体から信号がアイラに送られて来た。
「・・・!!」
また、それまでと違う感覚。
そのとき、アイラの耳には高らかな命の音が聞こえた。鼓膜を震わせる、力強い命の音。
・・・なんという幸せの声なのだろうか、これは。
そして、アイラが幸せの中で愕然としたのは。
ああ、わたしの五感はおかしくなっているのかもしれない。
産婆が、もう一人いますから続けますよ、と声をかけて指示を出す。
その産婆の声と、小さな命がこの世界に現れたことを主張する幸せの声がまざって鼓膜を震わせているのに、一瞬。
まぶたの裏には、情けないことにやっぱりこの世界で一番好きな、自分の恋人の姿が見える気がして。
まったく、わたしは本当にレックスが好きなのだな。
こんな状況なのに、アイラは再確認した。きっとそれは、一人目が無事に産まれたことと、苦しい時間がすうっと消えていくのを体が感じ取ったからだろう。
・・・わたしもだ、レックス。わたしも、こんなときでもお前を思っている。
フュリーから伝えられたレックスの言葉をアイラは突然思い出した。こんなときに愛しい恋人のことを思い出すなんて、自分はどこまでも愚かで、そしてこんなにも正しく彼を選んでしまったのだとアイラはぼんやりと思った。
そして、病気よりも性質が悪い病気にかかってしまったかのように、アイラは彼のことだけで頭がいっぱいになっていくのをじんわりと感じていた。

うとうとと眠っていたティルテュは、びっくりしたようにベッドで体をおこした。
真夜中のリューベック城に響き渡るかのような、赤子の声。
「産まれたの・・・?」
「一人目ですよ」
同じ部屋のソファにフュリーが座って、静かにティルテュを見て微笑んだ。
「花は、どれが一番可愛らしく編めたでしょうか」
ティルテュが眠っていた間にもフュリーはどこから調達してきたのか、そっと花を編み続けていた。
もちろんティルテュが知らないだけで、フュリーもティルテュが眠っている間に軽く一眠りをしていたのだが。
ティルテュはごしごしと眠そうに目をこすって、すとん、とベッドから降りた。それから無言でフュリーを見つめる。
「ティルテュ様?」
「夢みてた」
「どんな夢ですか」
「んーー、覚えてない。覚えてないけど、あったかい夢だった。まだ、そんな夢を見ることを神様は許してくれるのね」
その言葉にフュリーは眉根をひそめる。
「ティルテュ様・・・」
「えへへ、そんな深刻になる話じゃないってば。・・・現実に戻ってきても、あったかくて、幸せじゃない?お腹の中にアゼルとの赤ちゃんがいて、アイラ様の赤ちゃんが産まれたんだもん。なんて、なんて嬉しいことなんだろうね、フュリー」
とても穏やかにティルテュは言った。
彼女のこんな表情を、きっと他の人々は見たことがないのだろう。もちろんアゼルを除いては。そんなことをフュリーは思う。
そのとき、もう一度赤子の声が響いた。
二人目。
二人はぱあっと明るい表情でお互いを見た。
フュリーは立ち上がってティルテュの肩に毛糸で編んだショールをかけてやった。砂漠の近くとはいえ、夜は肌寒い。ありがとう、と笑顔でティルテュは言って、扉を開けた。
「声だけじゃ、男の子か女の子か、わからないね」
「そうですね」
二人は寄り添うように通路を歩き、アイラの出産のために用意をされた部屋へと歩いていった。
彼女達がアイラの苦しむ声を聞かずにすむようにと、離れた部屋で出産は行われていたのだ。
もちろん、すぐにアイラに会えるわけではない。それでも、二人は行かずにはいられない。
本当は、ラケシスだってアイラだって一国の王族なのだから、誰からも祝福を受け、恵まれた環境で、自分の家族に囲まれて出産を行えるはずだった。
こんな寂しいところで、愛しい恋人もいないところで。
その恋人が父親を倒した、そして自分の国の仇が死んだ、そんな因縁の城で。
そう思うと、一刻も早くアイラの傍にいって自分達の顔を見せてやりたい、と思うのは女の感傷だろうか?
通路でしばらく二人は待たされて、それから、すぐに呼ぶから隣の部屋で待っていてくれと女中達に用意をしてもらった。
なんとなく言葉を交わすのがためらわれて二人は隣の部屋で無言のまま椅子に座って待っていた。
それから思ったよりも待たされて、ようやく女中が二人を呼びに来た。
「かなり体力を消耗なさっていますから、顔を見るぐらいと思ってください。これから部屋をうつしてすぐおやすみいただくことになりますから」
と注意をうけて二人はうなづいた。
その部屋にはいると、ようやく赤ん坊の処置もアイラの処置も終わったらしく、両者の対面が済んでいない様子で女中が赤子を抱いてアイラに近寄っているところだった。
疲れた顔をしている、と一目でわかる。
どんなに戦場を走っても、こんなに疲れた表情のアイラを見たことはない。
「男の子と、女の子ですよ。まったく問題ない健やかな赤子です」
産婆が笑いかけると、アイラは力なく、それでも笑顔を見せた。
「そうか・・・、ありがとう・・・嬉しい、とはこういうときに使う言葉なのだな」
とても率直な言葉が彼女の口からゆっくりと出てくる。
「これからゆっくりお休みになってください。赤ん坊はこの女中達が面倒を見ますから」
「いや・・・わたしの役目なんだろう・・・?」
「王家の方々というものは、育児をなさらないものです」
「イザークでは、そんなことはないぞ・・・」
力なくそう言うけれど、まさか目覚めてすぐに双子相手の育児が出来るわけもない。ティルテュとフュリーはそっとアイラに近寄った。
「アイラ様、おめでとう」
「おめでとうございます」
「・・・ありがとう・・・ありがとう、ティルテュ、フュリー」
そっと弱々しくアイラは手をのばした。それは、彼女達にアイラがは初めて見せた女性らしい甘えにすら思える。それをそっと二人は優しく包み込むように握り締めた。
そのとき、つ、とアイラの瞳からほんの一筋だけ涙が流れた。それに自分でもびっくりしたようにアイラはぴくりと眉を動かす。
「アイラ様?」
「・・・ははは・・・もう、力が出ないと思ったが、涙は出るのか」
弱々しくそう言って、アイラは微笑む。それからアイラの口から、今まで一度だって彼女たちが聞いたことがない本音がこぼれた。
「レックスに、会いたい」
そして目を閉じる。
二人はその様子をじっと見ていたけれど、やがて彼女の唇の間から規則正しい呼吸の音が聞こえる。
安心したのか、ティルテュとフュリーに手を握ってもらいながらアイラはすぐに寝息をたてはじめてしまったのだ。
長い時間苦しんでいたから喉も唇も渇いてしまったようで、わずかに枯れたような呼吸にも聞こえるが、問題ないと産婆が教えてくれる。ティルテュ達はそっとアイラから手を放した。
「・・・アイラ様、おやすみなさい」
そう呟いたティルテュは涙を両目にためていた。たまらずにあふれ出てしまった涙だ。
それから二人は産まれたばかりの子供の顔をちらりとだけ覗いた。アイラより先にじっくり見るのは失礼だという気持ちからだ。
「では、アイラ様を別室に移します」
女中と使用人が深い眠りにはいっているアイラの体を動かす。もうティルテュ達はここにいない方が迷惑にならなくていいはずだ。
ティルテュはぐい、とようやく自分の瞳の端からこぼれそうになった涙をぬぐった。
当たり前でまったく普通の言葉なのにどうしてこんなに自分の心が揺さ振られてしまったのかティルテュは不思議に思う。
レックスに会いたい。
ぼろりと出たその言葉は、なんと愛情に満ちているのだろう?
そしてこんなに疲れている顔をしていたのに、なんてアイラは美しかったのだろうか?
多分ちょっと自分は感傷的になっているのだろう、とティルテュは思ってしまう。
更にはアイラの思いを遂げさせようと、双子達が急いでアイラの体から出て来たのでは、なんていう妙な想像すらしてしまう。それほどまでにアイラの言葉が胸に突き刺さった。
ああ、アゼルに会いたい。
フュリーから伝えてもらったアゼルからの言葉を何度も何度も繰り返しティルテュは思い出す。
自分がそうであるように、アイラもレックスのことを繰り返し思い出しているのだろうか。
「さあ、ケープにつけるお花を選ばないと」
産まれて来た子供達のための祝福の花を。そして散っていった命のために弔いの花を。
二人は別室に移されていくアイラの姿を見送って、部屋を後にした。

子供の名前は、とレックスは厨房の椅子に座って、温めた酒をカップに注ぎながらベオウルフに言った。
「男二人ならばステファンとスカサハ。女二人なら、ラクチェとルクレイア。どんなもんだ?」
「どんなもん、っていわれてもなあ。そんなもんだろ」
厨房で体を拭きながらベオウルフは小さく笑う。
めずらしくこの男が自分を誘ってきたのは、湯をわかすついでに酒を温めて飲もうか、という意味だったのだと厨房に来てようやくレックスは知った。自分はベオウルフと仲が悪いわけではないが、やっぱり彼がいうことをすぐに理解出来ない。つたないな、なんてことを思いながらベオウルフの分の酒も温めてやる。温めることでアルコール分が多少飛んでしまうが、その方が翌日に問題がないからいいし肌寒い夜にはそれがうってつけだ。
「んだよ、お前が教えろっていうから」
ベオウルフの体をじろじろ見ながらレックスは言った。それに気付いてベオウルフは変なやつだな、という表情で言う。
「なんだよ、そんなに人の体見るなよ」
「傷、結構あるのな、背中」
「ああ。大抵切られちまうヘマをしたときはどうにもよけられねえときだからな。背中まで覆う鎧はつけねえから。お前もあのおっそろしい親父さんからつけられた傷があるんだろ?」(宿命の鼓動参照)
「・・・なんで傷が残っているって思うんだ?」
「ラケシスに聞いた」
そして今後はレックスの方がベオウルフの予想を裏切る言葉を返す。
「へえ、ちゃんと人の噂くらいは話すのか、あんたたちも」
「・・・一体なんだと思ってんだ?俺とラケシスを」
苦笑いを浮かべて体を拭き終えると、ぽい、とその布を捨てて、桶に溜めた湯をもってベオウルフは外に出る小さな扉から出ていった。外にぬるくなった湯を捨ててくるのだろう。
「そういや」
「ん?」
戻って来てレックスの前に座って、自分の分の酒にベオウルフは手を伸ばす。
「男と女の双子だったらどうすんだ」
「そしたらスカサハとラクチェだ。決めてある」
「用意がいいことだ」
「男と女、なんて丁度いいことが出来るのかな」
「さあな。どう産まれるのか賭けるか?」
「男と女だろ」
さらっとレックスはそう答える。あまりに躊躇のない言葉にベオウルフは驚いた表情をした。
「なんで」
「うん?どっちも欲しいから、どっちも産まれるに違いない」
「ははは、説得力あるな」
そう言うとベオウルフはわずかにぬるくなってしまったカップを掴んで少しだけ顔の前に持ち上げた。
「子供が産まれるにはまだ早いんだろうけどな、お前と酒を飲むなんてきっとそうそうないだろうから。父親になるお前を祝ってやる」
「祝ってやる、ってのはカンに触るな。まあ、いいか。いつ産まれるかわからないし、もしかしたら俺が戦場にいるときかもしれないしな。祝ってもらえるときに祝ってもらうさ」
レックスは小さく笑ってカップをあげる。
「死んだ人間のために酒を飲むのは趣味じゃない。酒は、祝い酒がいいに決まってる」
「案外、明るいことを考えているんだな」
「俺みたいな稼業をやってるとな。自分が死んだときだって弔い酒を飲まれるのは御免だ。どうせ死んだら何も残りやしない。残った人間が自分達の満足のために弔いをするんだろ。そういうのは俺には合わない」
それはベオウルフの言い訳なのだろうとレックスは思う。
死者を思って酒を飲むなんてことは、日常生活に死の影がつきまとわない人間だけが出来る感傷のものだ。
けれど、ベオウルフはそういう生活をしているわけではない。
彼からすれば、いちいち死んだ人間のことを思ったり弔ったりすることは面倒で、そしてあまりにも知人の死が多すぎるのだろう。それでも、きっと今日はキュアンとエスリンのことを考えてしまう。そういう自分を消すための言い訳のようにレックスには聞こえた。
もちろん、先ほど思ったようにレックスはあまりベオウルフのことに関しては明るくないから、一体どこまでが自分の勝手な想像なのかはわからないけれど。まあ、言い訳代わりでもいいか、と思う。
「・・・あんたらしいよ」
「俺は父親になったことを祝われても嬉しかなかったけどな、お前は嬉しい方だろ」
「・・・すっげ、嬉しい。困る。恥かしいくらい俺は嬉しいね」
照れたようにレックスは笑ってみせた。
「んじゃ。お前のガキに乾杯だ」
「ありがとう」
二人はそれから無言で酒に口をつけた。
じんわりと喉の奥を落ちていく温かな液体を感じてレックスは瞳を閉じた。
自分の体の中を通っていくその感触を味わいながら、アイラのことを思い出す。
そうだ、フュリーはアイラにきちんと伝えてくれただろうか?

いつでもお前のことを思っている。

それは図らずも、アゼルがティルテュに伝えようとしたこととどちらかというと逆で、それでも、レックスにとっては精一杯の言葉だ。
何を伝えればアイラの心が揺らがないのか、レックスにはわからなかった。だから、ただ自分の思いだけを伝えてもらった。
アイラが出陣するレックスに多くを言わなかったように、レックスもアイラに頑張れ、なんていう言葉は言えない。
とても不器用でうまい言葉が言えない自分がなんだか心苦しくて仕方がないけれど、他に言葉は思いつかなかったのだ。
こんなにも体の距離は離れているけれど、せめて心だけは傍にありますように。
アイラと、産まれてくるであろう子供達の傍に。
その思いが伝わるかどうかは以前なら甚だ疑問だったけれど、今のアイラにならどんな風に受け取られても間違うことはないような気がした。
レックスはぐい、と酒を飲んで、液体が体にしみわたる感触を味わう。愛しい女を思い出しながら。
そしてこれまたもう一度瞳を閉じる。そのとき
「あ」
これは、前に聞いた音だ。
突然空耳が聞こえたような気がした。
不意に目を見開いて、レックスはもう一度それを聞こうと耳を澄ますけれど、もうそれは聞こえない。空耳なのだ。耳を澄ましても聞こえるはずはない。わかっていてもレックスはもう一度だけ、と願う。
「どうした」
「・・・なんだよ、おい」
「レックス?」
以前シレジアでジャムカとエーディンの子供レスターが産まれて、シルヴィアがみんなの前で祝福の舞を踊ったとき。
それを見て泣きながら自分の腕の中でアイラが体を摺り寄せて来た、二人が初めて身体を重ねた翌日のことだった。
レックスは空耳で産声を聞いた。
そして不思議と、それはそのときに産まれたレスターの声には思えなかった。
ああ、あれはやっぱり、産まれてくるすべての命への祝福だったのだ。今更ながらに痛感してレックスは目を細める。
そしてもう一度。
遠くで、産声が聞こえた気がした。それは、今度は紛れもなく自分の子供の声なのだとレックスに確信させる響きだ。
明日、シルヴィアに舞をみせてもらおう。
そんなことを思いながらレックスは酒を飲み干した。
体が遠く離れてしまっているもどかしさを感じながらも。


Fin

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モドル

御疲れ様でした。アイラ。(笑)
ようやくこれでアイラがレックスのもとに驀進できる環境が整いました。
もしよろしければ、こちらの言い訳、というか補足を読んでいただけるとありがたいですね。→補足