春雷-6-

フィノーラ城を出たシグルド軍は、そこに到達するまでの道中で得た、砂漠越えのちょっとしたコツを生かして予定より多少早い進軍を見せていた。西のヴェルトマー城あたりを通過するときには、もしかするとメティオの使い手がいるかもしれないから、あまりそちら側へ寄って進軍をするのは避けたほうがよい・・・そういうアゼルの進言が功を奏していることを彼ら自身は確認する手段はなかったけれど、ともかく彼等は順調な進軍を行っていた。
アルヴィスのロートリッターがレプトール率いるフリージ軍と合流してしまえば、シグルド達に勝算はないといってもよい。それを防ぐために出来るだけ早く早く。その一方でシグルドは、もしもフリージ軍と剣を交える前にロートリッター合流の情報がはいったならば、そのときの進軍の状態によってはそのまま南下してマンスターへ向かうことも考えていた。
トラキア側はどう考えているかはわからないけれど、キュアン王子を失ってしまったレンスター王国はトラキアから攻め入られてもグランベル側からの圧力をうけても、その地位を保っていられるのにはもう限界がある。けれど、そこまで追いつめてしまったのは自分達の責任だとシグルドは知っている。それに今の彼らの境遇をしっているレンスター王からすれば、例えグランベルから圧力をかけられたとしてもシグルド達を受け入れてくれるだろう。いや、逆に例えグランベルで反逆罪に問われているとしても、レンスターを守るために力になるというのであれば、エスリンの兄であるシグルドの力を借りることを拒むとは思えない。
正直なところレンスター王国はキュアン亡き今となっては相当に政治上では逼迫した立場になっている。
多くのランスリッターを砂漠で失い、国の守りを他国からの侵略によって打ち崩されるのも時間の問題だ。
レンスター王がどういった決断を下すのかシグルドはわからないけれど、彼が知っているレンスター王、つまりエスリンの義父は、グランベル側の不当なこの処置に対して疑惑を胸中に抱いているはずだ。
シグルドとしては、これ以上第三者に迷惑をかけるわけにはいかないけれど、イザークとレンスター、この両国についてはできる限りの力をもってしてグランベルの人間として償わなければいけないと信じている。自分達反逆者を受け入れることでレンスターが首を絞めることになるとわかっているけれど、逆に自分達が力になれるならば、居場所をなくしてしまったこの仲間達の一部でもいい、レンスター王国に身をかくすことは出来ないか、とそう思っていた。
それにヴェルトマーより南側にあるグランベルの城といえば、クロード神父が住まいとしていたエッダ城だけだ。
砂漠をもう一度北にあがってフィノーラ経由でシレジア、ないしは既にグランベルの手が回っているイザークに逃げるよりも危険が少ない。少なくとも自分やアイラはイザークにいかなければいけないし、アゼルやレヴィンもシレジアにいかなければいけないことはわかっている。わかっているけれど、それ以外の人間にとっては逃亡先がどこであろうと、前線からの離脱が出来るだけ容易であればあるほどいいということはシグルドも承知をしていることだ。また、反逆者として名を挙げられていない人間であれば尚更行方をくらますには南下をした方が楽だろう。
どこまで詳細にグランベル側が自分の仲間を反逆者としてあげつらっているのかは実のところはっきりとはしていない。
シグルドは一人一人について考えていた。
わかっているのは自分の父バイロン、そしてシアルフィの騎士達、そしてクロード神父。これが、完全に反逆者として名を挙げられている確実な人間だ。
例えシグルド一味といわれなくともジャムカはグランベル侵略を行ったヴェルダンの王子であるから、国を捨てて逃亡していた、として捕らえられてヴェルダンに引き渡されるのかどうかは別として、グランベル側でその処分を決定されるに違いない。
エーディンとアゼル、そして今は行動を共にしていないがティルテュについては多少微妙で、シグルドがなんらかの方法を用いて彼等を無理矢理同行をさせていた、といわれても反論は出来ない。その評価によってはエーディンの護衛であるミデェールへの見方が変わってくることも当然だ。
さらにもっと立場が微妙なのはレックスだ。
彼はアゼルと共に合流した経緯をもつわけだが、リューベック城攻めのときに彼が父親であるランゴバルトを殺したことが、残兵やグランベルの斥候役によって上へ情報としてあがっている場合には、彼も反逆者として名を挙げられているに違いない。
同じようにブリギッドもそうだ。彼女の存在自体をグランベル側が知っているかどうかも定かではないが、アンドレイを討ち取ったのは彼女だし、あの戦の中で聖弓イチイバルを引くその姿を報告されていないとはいい切れない。
レヴィンについてはこれはもう反逆者云々の問題ではなく、既に反逆者であるシグルド達をかくまった、ということでシレジアを敵対国とグランベル側が判断を下しているのは誰の目にもわかることだった。その国の王子であれば命を狙われてもおかしくはないだろう。
そしてラケシス。
彼女がシグルド軍に自分から同行していることは既にグランベル側はわかっていることだろう。
シグルド側が彼女を例え人質としてとっていたとしても、先の戦いでシャガール王はそんなことはお構いなしでシグルド軍に決戦を挑んできた。つまり、アグストリア王家からすれば別にラケシスが人質であっても何も困らない、という態度を取られていた、ということだ。それにも関わらずシグルドがラケシスに執着して彼女をつれ回す必要性なぞ何もない。
エルトシャンの妹だから、ノディオンに彼女一人を残すわけにいかなかったから・・・それはグランベル側からすればどうでもいいことだ。問題なのは反逆者であるシグルドに、自らの意志で同行していたかどうか、ということだろう。
下手にシレジアで剣の修行をしてマスターナイトになってしまった今のラケシスを見れば、誰もが無理矢理同行させられたお姫様だとは思うわけもない。が、彼女に対する処分がどうなるのかは正直なところシグルドには想像が出来なかった。
ただ、どうもグランベル王国は大陸の統一を図ろうとしているのではないか・・・ヴェルダン鎮圧に関してもアグストリア鎮圧の関しても、その意図は見え隠れをしていた。であればラケシスは今となってはグランベル側としてはいて欲しくない存在なのだろう。
アイラに対しても同じことが言える。
本当はアイラをかくまっていたことがシグルドを反逆者と決定づける一因にもなっていたのだけれど、それはもうこの際何を言っても仕方がないことだ。それに真実はそうではなく、アイラをかくまっていたシグルドは逆に天晴れと言われるはずなのだ。
アイラについては、グランベル側はどう思うだろうか。
シャナンがイザークに戻ったことによって、イザーク国民はイザーク王家復興のためのキーパーソンを手にいれることが出来た。
アイラが生きていても生きていなくとも、イザークが今後グランベルに牙をむく種は既に蒔かれてあるわけだ・・・もちろん、そういう考え方はシグルドがしているわけではなく、レプトールを中心とした、今のグランベル中枢の視点で言えば、だ。
そうであればアイラを生かしておく必要が、あるいは殺す必要があるのか、実はそれもシグルドには測れない。
(あとは・・・ホリンとベオウルフ。それからデューとシルヴィアか・・・)
その4名については、きっとグランベル側も詳細なデータがないに違いないと思っていた。
それは裏を返せば何かあったときに尤も行方をくらませやすい、ということだ。
特にベオウルフは傭兵だから、さっさと行方をくらましてしまえば本当は問題がないはずだ。
今は亡きキュアンに1万Gで雇われたから、と彼は言うけれど、そこまでの恩義があるわけでも本当はない。
だから、もしも。何かが起きたら彼には生き延びて欲しいとシグルドは思っていた。
ホリンについては、何故彼がそこまでして自分と行動を共にするのか・・・それをそっと問い詰めたときに、どうもイザーク関係の人間らしいことをほんの少し。シグルドにそう想像させる程度にだけ漏らしてくれた。であれば、彼の出生などが知れればもしかすると反逆罪ではなく彼もまた敵国の人間だから、という理由で殺される可能性もある。
まったくもって読めないのはデューとシルヴィアで、けれど残念なことにそうである彼等に限って、何かあったときに彼等だけで逃亡をする、という能力が御粗末なものであることをシグルドは知っている。
そう考えれば。
もう、自分達は本当は退くわけにはいかない。
「シグルド様」
シグルドははっとなって顔をあげた。
砂地でもそう足を取られずに歩くデューとブリギッド(砂といっても海岸の砂と勝手が違うのに、どうも彼女は砂地も得意らしい)が先行して様子を見にいってもらっていた。そしてその先でシグルド達が追いつくのを待ってくれている。
その二人の姿が視界にはいったのでそれを知らせるためにノイッシュがシグルドに声をかけたのだ。
「特に何の問題もないようすですね」
「ああ、そうだな・・・」
本当は先の理由から、まだ完全に身元が割れているわけではない(少なくともアイーダはそういう扱いをしてくれていた)デューをあまり目立たせたくない。けれど、砂漠の中で、いや、この世界で今孤立している自分達にとってはデューの斥候能力は必要だったし、他の情報がいっさい入らないこの環境で情報収集を怠ることほど彼等の寿命を縮めることはない、とわかっていて再度彼に頭を下げることになった。デューは笑顔で了承してくれるけれど、それがどれだけ危険なことなのか、ヴェルトマー城での一件であの聡明な明るい少年はいやというほどわかったに違いがない。
ヴェルトマー城付近の様子をそっと見るように、砂漠の中に切り立っている不思議な形状の丘に先ほどそうっとデューが登って様子を見てくれた。そしてレプトール軍の陣営はかすかに「あれがそうかもしれない」と思う程度の黒い点でしか見えなかった、とデューは言う。完全にレプトール達はヴェルトマー城の南側に配置を行い、そこから砂漠側を攻撃しようとは考えていないだろう。
もしそうやるならば、ヴェルトマーのファイアマージ達を砂漠側に配置をしてメティオを、あるいはそれはもう無理な話だけれどバイゲリッターを配置して弓で一斉攻撃を、とやり方はあるはずだ。
が、少なくともバイゲリッターは今はもうシグルド達に破れてしまっていたし、ファイアマージを並べているわけではない、ということで未だにロートリッターが到着はしていないのだ、ということまでが判明した。
「御疲れですか」
ノイッシュは馬を引いて、足にまとわりつく砂に顔をしかめてからシグルドに聞いた。
「いや、そうでもない。すまないな、気をつかわせて。わたしは疲れた顔をしているかい?」
「そういうわけではないのですが・・・誰もが、どことなく」
ノイッシュは小さく困ったように笑う。この非常に純朴で優しい騎士はシアルフィ出発のときから今に至るまで、アレク、アーダンと共に信頼を置いているシグルドの腹心だ。
彼とアレクが時折自分に内緒でオイフェに剣や乗馬を教えてやっていることをシグルドは知っていたし、彼等に対する信頼も大きかったからそれについて追求をすることはなかった。シグルドも多少なりとオイフェに剣を教えてやることはあったけれど、圧倒的にオイフェの頭脳を高く評価していたから、そうそう馬術や剣術を磨かせよう、と強くは思っていなかった。
けれど、ノイッシュ達のおかげでああやってセリスをオイフェにまかせることが出来た。それはまだ彼等に伝えていなかったな、とシグルドは思い立った。今それを伝えてもいいけれど、すべてが終わってから。そうしたら彼等に労いの言葉と共にこの気持ちを伝えたい・・・そう、すべてが終われば。シグルドはそんなことを思いながらノイッシュを見た。
「どことなく、なんだい?」
「表情が、陰っているように思えます。ええ、わかっていますけれど・・・」
「ノイッシュ、お前もだぜ?」
「アレク」
「そんなしけた面してんなよ、俺の相棒のくせに。公子、不謹慎だと怒らないでくださいよ。俺はみんながこんな風にかたーくなってるこんなときでも、シアルフィに戻ったらどの女に会いにいこうかな、なんてことを思ってるぐらいですよ?」
そういってアレクが茶化すのは、当然彼なりの配慮だ。
それがわからないシグルドではない。
「ははは、アレクは貴婦人方に人気があったからな」
「みんなお友達、っていうやつですけどね。それくらいのこと考える余裕がなきゃあな、ノイッシュ」
「俺はお前のように能天気になれないよ」
そんなお堅いことを言うのもノイッシュの魅力だけれど、なんてことを言ってアレクはシグルドに笑いかけた。
つられてシグルドも笑顔を向ける。
「ああ、そうだな」
そう言ってから、少し自分の考えに没頭しすぎていたな、とシグルドは口篭もる。
誰もがこの戦の困難さと賭けの大きさを知っていて、だからノイッシュが言っているように進軍に滞りはないけれどどことなく空気が重い。この砂漠がまた一層それに拍車をかけているのだろうけれど。
ああ、もう少しでいい。もう少しだけしっかりしないと。そして士気をあげられるように。
今まで自分をそう保っていられたのが、エスリンの、ディアドラの、セリスの、オイフェのおかげだったことを今更ながらに痛感する。自分一人では、満足にみなが思っている自分の役割を果たせない。シグルドはいたたまれない苦しい気持ちを必死で抑えながらひたすらに砂漠を南下してゆくのだった。

アイラとアーダンは最後尾を守りながら進軍を続けていた。
アーダンはもともとの重装備のおかげでいつも最後尾を守る役割をになっているけれど、アイラはそういったことはほとんど初めてだ。クロードとエーディンがあまり砂地をうまく歩けないので、それをサポートしながらしんがりを務めているわけだ。
が、それだけではなく。
なんとそこにはレックスも混じっていた。
けれどそれに対して失笑をもらすような人間はシグルド軍にはいないし、アイラがやってきたことに対して「足手まといだ」と口に出す者も心の中ですら思う者はいない。彼女には彼女の覚悟があることをわかっているし、何よりティルテュもフュリーも抜けてしまったこの軍は明らかな戦力の低下を強いられている。以前と同じように、とはいかないだろうけれど、砂漠を渡るほどの気力があるのならば出産後とはいえ多少の期待をかけてもいいのだろう、と逆にみながほっとするほどだ。それほどまでにアイラの力はシグルド軍では重宝されていたし、そして彼女がイザークへいかずにリューベックで出産をする、という話を聞いたときから多少なりともアイラが再度参戦するのではないかという期待があったというわけだ。
そういったわけで驚きも少なく(ジャムカとレヴィンはかなり驚いた様子ではあったけれど)アイラを迎えた彼等は、出陣に際してシグルドが「クロード神父とエーディンの疲労が強ければ馬に乗せてやってくれ」とレックスに声をかけていた、そのことの真意を理解していた。もちろんレックスもアイラも。
アイラとアーダンはあくまでもしんがり部隊でありクロードとエーディンの護衛役であり、レックスはその一群の疲労の様子を測り、必要であればシグルドに報告をする、いわば管理役だ。もちろんそれはレックスである必要はなく、どちらかといえば経験が豊富なベオウルフや細やかな気配りが出来るアゼルこそ適任であったかもしれない。それでも。
「休憩をとるってさ」
わずかに先行して歩いていたレックスは、ホリンから伝令をうけてクロード達を振り返ってそう言った。
見るともう少し先に進んでいたシグルド達はわずかに緑がしげる場所足をとめてこちらの様子を見ている。
「ああ、そろそろかと思っていたところだ」
アイラはレックスにそう言葉を返す。
「神父様、御疲れではありませんか?」
「ええ、大丈夫ですよ、エーディン」
「無理はしないで疲れたらそう言ってください」
そんな不躾なことぐらいしかレックスには言えない。一応様子は見ているけれど、レックスから見ればクロードはいつだってすぐに馬に乗せたいくらいの様子だからなのだが。
やがてシグルド達が待つ緑地に辿り着くとクロードとエーディンはほっとしたようにすぐさま腰をおろした。
「・・・レックス、エーディンの方が多分疲れていると思う」
アイラはその様子を見てレックスに耳打ちした。
確かにクロードはもともと体を鍛えているわけではないけれど彼だって男だ。一方エーディンは女性だし、彼女だって体を鍛えているというわけでもない。それにラケシスやアイラほど最近ではないけれど出産をして、彼女がそうしたかったわけではないけれどそれからも子育てのため案外と周囲に甘やかされていたのも事実だ。
「うん、様子見てつらそうなら俺の馬に乗せる・・・けど、お前がいるから、遠慮しそうだな。出産直後のお前が頑張ってるのに、ってさ」
「それは問題ない。わたしとエーディンでは役割が違うし鍛え方も違う。彼女は頭がいい女性だ、ここまで来てそういったことでいらぬ我を通すとは思わない。いざとなったらジャムカに怒りに来てもらえばいい」
けろりとそんなことをアイラは言い、それから「ふうー」と息をはきながらレックスの足元に座り込んだ。
砂漠の中に時折あるこういった緑地にレプトールが前もって罠を仕掛けておかないとも限らないから、シグルド達が辿り着く前にデューとブリギッドが確認を入念にしておいてくれる。こうやって彼等が無防備に休めるのはそれに対して信頼が厚いということだ。
風があまりない日だけれど、なんだか視界がどんよりと曇る。東の方角では砂が舞いあがる様子が見えて遠くが赤茶けて見える。空は快晴というほどの青さはなく、白っぽい水色がまだらに流れる雲の後ろに一面に広がっているように見える。その薄い雲の陰から太陽が顔を出したり引っ込めたりしている。
「お前は?思ったより調子はよさそうだけれど」
そう声をかけてアイラのとなりにレックスは座った。レックスの言葉にこっくりと頷くと
「ああ。あまり日差しが強くないからありがたいな。わたしはお前よりは砂地を歩くのが得意だから、これぐらいの速度での進軍ならばまあ大丈夫だと思う」
「放っとけ!」
というのは「お前より得意」発言に対する言葉だ。ふふ、とそれへアイラは少し少女めいた笑顔を見せた。
「昨日フィノーラまで歩いたよりも速度が遅いからな。あのときは天馬に無理をさせないように結構早いスピードで歩いていたし、からからに乾いて日差しが強かったから正直まいった」
天馬とて一定以下のスピードでは飛べない。それをアイラは知っていて出来るだけ天馬のストレスにならないように必死で歩いていたのだろう。デューをのせていつもよりも重いものを運ぶうえ、速度もおとして、などといっては天馬の方がまいってしまう。とはいえ砂地を歩くのにそのスピードに合わせることは大分体力がいることだったに違いない。それでも、天馬騎士は天馬騎士でアイラを放っておいて先にいく、ということはあまりにも無責任で出来ない相談だった。結果アイラが「大丈夫」と意地をはって、ひいひい言いながら歩いてフィノーラ目前で休憩をとっていた、というわけだったのだが・・・。
アイラは首を少しかしげてレックスを覗き込みながら言った。
「・・・みながどこかぴりぴりしているな」
「ああ。そうだな」
答えるレックスの声は、それをそんなに重大なことだと思っていない様子を伝える。中間達の神経が張り詰めているのは当然だと思うし、それをどうすれば緩和できるかなんて考えてもいなかったし、とかそもそも緩和する必要があると彼は思ってはいなかった。
レックスからそういう雰囲気を感じ取ってアイラは少しだけ安堵の表情を見せた。そういったことを彼女が表面に出すのは大概レックスの前であることがほとんどで、このときもその例に漏れなかった。
「お前はそうでもないようだけれど」
「俺は・・・みんなより、先に覚悟が出来ていたからな」
それはきっと、自分の父親を討ち取ったときのことをいっているのだろう。アイラはそれについては簡単に「そうか」と呟く程度でレックスから目線をはずして周囲で思い思いに休んでいる仲間達を見た。
「それに」
意外にもレックスはそんなアイラの様子にはお構いなしに言葉を続けていた。そんなに大層な話の続きではないだろう、とアイラは彼を見ずに周囲をぐるりと眺めながら曖昧に声を返す。
「ああ?」
「子供達には悪いけど・・・お前が来てくれたことで・・・かなり、気持ちが」
「気持ちが?」
驚いてアイラはレックスを振り向く。
彼はそう照れくさそうでもなく、わずかに微笑んではっきりと言った。
「上向きになった。だから俺は大丈夫なんだ」
さらりとそんなことを言うレックスをしばしの間アイラはじっと見つめて
「・・・私がお前の役に立っているのか?」
「ああ、そうだな」
「そうか・・・それは」
今度は逆にアイラの方が恥かしそうにわずかに瞳を伏せ、足元に生えている緑の草を落ち着かずに困ったようにいじりだした。
「嬉しい、ことだな」
「そうか」
お前は、どうなんだ?俺はお前の役に立っているか?と以前のレックスなら聞いたかもしれないけれど、今アイラの隣にいる彼はそんな問いかけはしない。レックスは斧を持つのにふさわしい、ちょっとごつごつした大きな手をのばしてアイラの頭をぽんぽん、と軽く叩く。そしてアイラの頭に手をのっけて少し動きを止めたあとで、すっくとレックスは立ち上がった。頭から彼の手が離れたことに少し寂しさすら覚えてアイラが見上げると、彼は以前よりもずっと精悍になった顔に男くさい微笑みを浮かべる。
「シグルド公子のとこに、ちょっといってくる」
「ああ」
なんだか不思議だ・・・歩いていくレックスの後ろ姿をみながらアイラはそう思っていた。
離れていた分だけ時間と距離を感じて、再会したらその間の時間と距離を埋めようとするんじゃないか・・・そんなことを自分はおぼろげながら考えていたことに気付く。
ずっと一緒にいられなかったから、再会してからはレックスの側から離れたくない、ずっと彼の側にいたい・・・馬鹿馬鹿しいと思いながらも自分はフィノーラに向かうときにそんなことを頭の片隅で感じていた。それらの考えはまったく自分らしくないとアイラは自覚していた。けれど、そんな風に思ってしまう相手だからこそ、自分は彼を選んで愛して、そして子供をもうけるほどの関係になったのではないか、とあまり得意分野ではないそんなことを思ってみたりもした。
だというのに。
こうやってまた出会って、一緒にいることが出来るようになったのに。
離れていた時間も距離も、そんなものはどこにもない。
ちょっとだけ相手への話し方を忘れていたり、ちょっとだけ妊娠前はどんな風に抱かれていたのか忘れていたり、そういったぎこちなさは多少なりとお互いにはあったけれど、大概のそれはどうということがない事柄ばかりだ。
なんだか逆にとても自分達は心も体も時間も距離も何もかも以前よりも近くなったように感じる。
ぽんぽん、と頭を優しく叩いたレックスの気持ち。
「俺もお前の役にたってるだろう?」
なんてことがその仕草だけでアイラに伝わったなんて。
どこまで自分は彼のことを好きになっていくのだろう。そして彼はどこまで自分のことを好きになっていくのだろう。
「まいったな。どうも私は感傷的になっているようだ・・・らしくない、と笑われてしまう」
そんな言葉を呟くけれど、それすら自分の照れ隠しではないかと思える。
当たり前のことのように、決して行き止まりになるはずがないその感情を感じて、アイラはそっと自分の頭に手をあて、瞳を閉じた。

一晩砂漠で野宿をして翌朝。
朝早くブリギッドがシグルドのもとに走って来た。ブリギッドは早朝からジャムカをつれて砂漠を先に南下をして、一度緑地に出て安全確認をしてきたのだ。往復3刻の時間がかかるその作業を女性でありながらこなす彼女は、海賊として嵐の中不眠不休で生命の危機におびやかされた経験などを嫌というほどもっている。フィノーラ城で前日たっぷりの睡眠をとってきた彼女は、二日近くは不眠で動き回ることが出来ると言う。
ただ、ある程度の時間がたてばさすがに眠らないと視力の低下という弓兵には致命的なことになるので、そのあたりはデューやジャムカに都合をつけてもらって彼女なりの管理をしているようだ。
「どうした、ブリギッド」
「斥候役のフリージ兵を崖の上に見たのだけれど」
ブリギッドは忌々しそうに口端を歪めて言い放った。
「弓を持っていた。さすがにこちらは崖の下にいるわけだから仕掛けるわけにはいかなかったけれど・・・お互い視界で確認できる場所まで近づいているということだ。私自身は発見されなかったと思うけれど、あの分ではこちらの位置はおぼろげに相手も把握できていると思う。でも、南の検問まではまったく砂漠側に兵士の姿はみえない。検問越えから勝負をしかけるつもりなのかな?」
その報告を聞いてシグルドはううん、と唸りながら言葉を絞り出した。
「弓兵か。しかしお互いの位置を確認できる距離だったら・・・ロートリッターが来ていれば、一斉にメティオでも放たれるだろうな」
二人の話を聞いていたレヴィンは口を挟んだ。
「でも、ヴェルトマー城にいるアイーダ将軍の部下だってヴェルトマーの人間だろう?アゼル公子の話を聞くと、その多くがメティオを使えるほどの炎魔法の修得率だっていうじゃないか」
「ロートリッターが来る、ということは逆に」
「うん?」
「アイーダ将軍は積極的に軍を出さずにヴェルトマー城を守れ、ということなのだと私は思うんだ」
「それはこっちの勝手な解釈だな」
「うん。そういう意見も間違ってはいない」
「なんといったってメティオは不確実すぎる。そんなものでこちらを牽制するならば、ロートリッターとフリージ軍で待ち伏せしているほうが余程マシってもんだろう」
レヴィンが言っていることは確かに一理はある。が、シグルドは冷静に
「そうだな。レヴィンほどの才能がある人間ならそう言うだろうね」
「俺の才能?」
「レヴィンは魔法を使って戦う人間だけれど、フォルセティをもっていることをさしひいたって身体能力が優れているから接近戦をいとわないだろう?」
フォルセティをラーナ王妃から受け取ってから、尚更のことレヴィンは前線で戦うことに躊躇がなくなっていた。
でなければ聖斧スワンチカを持っているランゴバルトの目の前に飛び出ていく勇気がある魔導士などいやしない。
「でも、通常の魔導士の戦いはそうではない。いくらロートリッターといえど、至近距離の戦いになってしまえばあちらは分が悪い。フィノーラに南下するときに崖の上からメティオを放たれたことを覚えているだろう?あれがヴェルトマーらしいやり方だ。メティオは弓より余程攻撃範囲が広いし、この砂漠では我々は密集して少しずつ動くことで精一杯だ。メティオは攻撃範囲が広いから、こういう地形で使うのが有効だろう?南の検問を越えれば、こちらの騎馬兵がここよりずっと好きなように動ける地形に出る。シアルフィの騎士達がもともと馬に乗っていることもミデェールがいることもあちらはお見通しだし、いくら私が阿呆でもグランベルの地形は把握しているからそのことを知っていることぐらいむこうもわかってるだろう。ブリギッドがいうように肉眼で確認できる位置にいたのがメティオの使い手でなくて弓兵なのであれば、それは完全にフリージ兵だと思う。であればまだロートリッターは到着していないだろうし、そしてヴェルトマー城を守るアイーダ将軍も積極的に動いているわけではないということだ・・・ああ、もちろんこれは私の勝手な読みだから、反論もあるだろうしこの意見を押し付けるつもりはないよ。裏をかいて、本当に南の検問あたりでロートリッター共々の待ち伏せをしているかもしれないし。でも」
シグルドはブリギッドとレヴィンをみて、一度言葉を切った。
「南の検問あたりでそんなことをやっては、大概あちらとの混戦が見込まれる。そうなったときに一番不利なのは魔導士達だ。みんながレヴィン、君のようだったらそうでもないのだろうけれど」
「嫌味だな」
「そんなつもりはないよ」
レヴィンとシグルドはお互いに苦笑をしあった。レヴィンとても別に本気で嫌味だと思っているわけではない。
ただ、確かにレヴィンの能力は頭ひとつどころか二つ以上も秀でていて、もはや彼を基準に普通の魔導士達の能力を測ることは永遠に無理なことに思える。
「それに多分・・・レプトール卿は宰相という立場だからね、ロートリッターがやってきた、となれば自分は出来るだけ危険な目に合いたくないと保身に走ってアルヴィス卿をこちらに無理矢理にでもけしかけると思うよ。アルヴィス卿はアズムール王を助けているという話だけれど、レプトール卿は年上で、しかも宰相の地位を肩書きとしている。レプトール卿がごり押しをして保身をはかろうとしていればきっと先に攻撃を仕掛けてくるのはロートリッターだと思うんだけど・・・」
それへはレヴィンもブリギッドも何も言わなかった。何もかも情報がない彼等にとって出来る限りの想像をして最善の策を出す、というだけだ。シグルドが言っていることはかなり極端だけれど、グランベルのやり方は彼等にはわからない。
そしてどこまで敵が、シグルドがグランベルのやり方を知っているから、と裏をかいてくるのか予測をすることすら難しい。
「アゼル、レックス!ちょっと来てくれ!それからクロード神父も来ていただけませんか」
同じようにグランベルのやり方を知っている人間、それもアゼルはヴェルトマーのやり方を知っている貴重な人間だ。彼等を集めてシグルドは自分の推測についての意見を聞きたい、と声をかけた。
「正解がわかるころには手遅れ、なんてことになるから、なかなかしんどいな」
そうレヴィンは肩をすくめてブリギッドに言った。それへブリギッドは厳しい目線を返すだけだ。レヴィンにとってはあまり他意のない言葉だったけれど、明らかにそれにブリギッドは好ましくない反応をしている。海に出る人間であるブリギッドは言霊を信じているからあまり不吉なことを口に出すことを避けている。美しい彼女が眉根を寄せたその凄味のある視線は、手遅れなんていう言葉は聞きたくない、という意味なのだろうが当のレヴィンは気にしない様子だ。こんなときに呑気に彼は言う。
「とりあえずちょっとでも正解に近い答えをみつけないとな。それは俺には無理だけど」
「あたしにも無理みたいだ。ここは任せよう。シグルド公子の力をあたしは信じている」
ブリギッドはそう言い放つと少し休憩をもらう、と言って朝食として保存食を配っているエーディン達の方へと歩いていってしまった。
答え、か。
レヴィンはおもしろくなさそうに唇を軽く尖らせた。答えを導くための方程式を彼は知らないし、きっと答えを出されたってそれが正しくなるべくしてなった答えなのかだって自分にはわかりっこない。ブリギッドが言うようにシグルドを信じるしかないのだ・・・それは彼にとって歯がゆいことではあった。
ありがたいことにこのシグルドの推測がほぼ的を得ていることを、かなり後から彼等は知ることになるのだけれど。
一部、アルヴィスの現在の地位について、以外は・・・。

「ええい、ロートリッターはまだか・・・」
レプトールはあと半刻以内でシグルド軍がヴェルトマー城南の検問に辿り着くという報告をうけてうめき声と共にその言葉を発した。
天幕の中で腰をおろし、疲労回復の効果がある茶を口に運びながら顔を歪める。ただ待機をしているだけでもつかれるものだ、と彼は昨晩から何度か兵士達に愚痴を投げつけて苛立っていた。
「はっ、ヴェルトマー城からの報告によりますと」
レプトールの側にいた兵士が慌てて声をあげる。が、レプトールは厳しく
「わかっている、そんなことは」
と低い声で叱り付けてわずかな苛立ちを見せていた。決して叫ばない、けれど有無を言わせない声音だ。
アイーダ経由でレプトールに伝わって来た報告は、ロートリッター率いてアルヴィスがバーハラを出ようとしたときに、アズムール王の容態が急変し、それゆえアルヴィスが足止めをくらった、という内容のものだった。
残念ながらロートリッターでは指揮が出来る人間は他にはいなかったし、そして宰相であるレプトール不在のバーハラはアズムール王、アルヴィス両名を同時に欠くわけにはいかない。それがわかっているからレプトールは大っぴらにアルヴィスを批判したりロートリッターを批判することが出来ない。
当初の目論見では自分はここでシグルド軍とぶつかるつもりはなかった。それがレプトールの本音だ。
そのために無理強いをしてランゴバルトやアンドレイ率いるバイッゲリッターをリューベック城に派遣をしたし、アルヴィスにも話をもちかけてトラキアとの密約も結んでレンスター勢力を砂漠で葬ることも出来た。
けれど、真実を知っているシグルド軍がランゴバルトを倒し、そしてどんどんバーハラに近づいてくる。
アルヴィスが自分達の味方で、そしてそれがゆえにアズムール王がシグルド達を信じようとする気持ちにうまく疑念を持たせてくれていることを彼は知っていたけれど、今後の災いの種になるシグルド討伐についてはアルヴィスだけに任せるわけにはいかなかった。
危険な目には合いたくはないが、確実に自分の手でシグルド達を葬って、この謀略の真実をこの世から消し去らなければ。
レプトールにはそのあせりがあった。もちろんそのあせりだけで自分の首を絞めるような人間では宰相などやっていられないし、うまくランゴバルトを操ることなど出来なかっただろう。
彼は自分でシグルド軍を消すことと自分の保身の両立をはかるために、ロートリッターが援軍としてバーハラから来るということを条件にして先に出陣をしたのだ。
それが蓋を開けたらこれだ。ロートリッターは予定よりも出発が遅れ、しかも今どの付近にいるのか正確な位置が把握できていない。
それでもこうやって報告がくるぐらいだから信用はしてもいいだろうし、ヴェルトマー城からもファイアマージがアイーダの命令で出陣していて、フリージ軍のサポートとして崖の上などに待機をしてくれている。
「まあいい、シグルド達なぞ、わたしのトールハンマーのえじきにしてくれるわ」
「レプトール様」
北側に配置を受けていたボウナイトがレプトールのもとにかけつけた。なんだ、と声にもせずにレプトールは乱暴に顎をしゃくって報告を促す。それは苛立ちを隠せないときの彼のめずらしい習性だった。苛立っているときほど「なんだ!」と叫び返すかと思いきや、むっつりと言葉少なくなり、やがて傲慢な仕草で周囲にアピールをするようになるのが常だった。
「ヴェルトマー城からもう少し援軍を出すという伝令がきました」
「・・・当然だな。あの女は何をやっとるんだ。ロートリッターの到着が遅いならば、同じヴェルトマーの人間として責任をとるのが当然のことだろうに」
それは勝手な言い草だったけれど、レプトールにとっては正しい理論だった。
が、とりあえずはアイーダが援軍を出すということに満足したらしく、それ以上うるさいことは彼も言わない。
そのとき、今度は南側にいたスナイパーが彼の天幕に駆け込んで来て息を切らしながら叫んだ。
「レプトール様!シグルド軍の先頭の兵士が検問付近の到達した様子です!」
レプトールはその言葉を聞き、重々しくj立ち上がった。
今、正しき名誉と偽りの名誉ををかけた戦いが始まろうとしている。
まだこの時点で彼は、ヴェルトマー城から出陣する援軍が、一体誰のための、誰を討つための援軍なのかを知ることはなかった。


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モドル

佳境に入ってきました。我ながらもう、よくここまできたものだ、とドキドキしております。
ちらちらとレクアイの様子を間、間に挟んで書くだけで嬉しくてたまらないあたくしは既に末期かもしれません(汗)