春雷-8-

「撹乱といったって・・・」
とベオウルフはつぶやく。
確かにフリージ軍は態勢を建て直しはしたが、残兵力が大層少なくなっていた。
シグルドの指揮のもと走り出した騎馬兵達は近づくにつれ、最初に見たフリージ軍とのあまりの兵力の差に愕然とする。
生き残っているのは上級兵であるジェネラルや、魔法防御が高いハイプリーストやマージ達だけではないのか・・その彼らの予想はまったくもって的中しており、ボウアーマー達はみなメティオの洗礼によって既にこの世にはない様子だ。
「レプトールに対してどう出ればいいのか判断が出来ない。アゼル達が戻るまではレプトールの攻撃範囲に入らないようにしてくれ」
それでもレプトールの側に控えているハイプリーストは早めに対処しておきたいな、とシグルドは思う。
彼らにとっての本当に驚異はレプトールがもつトールハンマーと、その側に控えるハイプリーストによる広範囲の回復力だ。さすがにあのメティオの猛攻ではリザーブも追いつかなかっただろうけれど、シグルド軍のように広範囲の魔法を行使する人間がいない軍隊相手ではリザーブはかなり有効だ。
シグルド軍の動きをみて、フリージ軍の左右からサンダーマージ達が飛び出してきた。
また、ジェネラル達が弓を手にして前に進む姿がうっすらと見える。
「こっちが直接攻撃しか出来ないのをご存知のようだ」
ノイッシュがめずらしく呟くと、相方のアレクが声を大きく発する。
「こっちは槍兵がいないからなあ!」
馬のひづめの音が鳴る中自分の呟きがよくも聞き取れたものとノイッシュは感心して、彼にしては珍しい皮肉を口にした。
「御婦人方の囁きだけしか聞こえないかと思っていたが!」
「何年隣で戦ってると思うんだ?」
アレクから返されたそんな言葉に、一瞬ノイッシュは嫌な予感を覚える。
当たり前の回答だったけれど、それがなんだかとても不安をかきたてた。
せめてもう一度だけでもへらず口が返って来ると思っていたから肩透かしだった、というのも事実だけれど、アレクのその言葉は、本当に今の自分達がここに至るまでの年月を彷彿させるものだ。
何か漠然とした不安。
それを打ち破るようにラケシスがレプトール軍に向かって叫んだ。
「どの距離だろうと容赦はしない、かかっていらっしゃい!」
おいおい、撹乱どころかお姫様本気だぜ。
そんなベオウルフの呟きが聞こえ、アレクとノイッシュはお互いに顔を見合わせて苦笑をした。

デューをのせたアゼルの馬とレックスの馬はこれほどの早馬はいない、と思えるほどの勢いで戦場を駆け抜けようとしていた。
幸いにもフリージ兵には騎馬兵がいない。あと気をつけなければいけないのは間接攻撃だ。ヴェルトマー城方面からやってきた彼等の見る限り、どうやらシグルド軍がフリージ兵を引き付けてくれているようで、マージ達は前線へと出ている。
となると一番厄介なレプトールの攻撃範囲さえ気をつければなんとか迂回をしながらシグルド軍と合流が出来る。彼等はそう判断した。
「よしよし、もう少し頑張ってくれよ!」
よしよし、なんていう言葉とは裏腹にレックスは馬を更に走らせようとする。
限界にはまだ遠かったけれど、敵軍をまきながら迂回するには馬の体力が多少心配になってきた。
自分の馬はまだいいけれど、アゼルの馬は今まで乗せていた主人だけではなくデューも乗せているのだから、いくらデューが身軽といっても疲労は否めないだろう。その証拠にわずかにアゼルの馬の速度は遅くなっているように思える。
しまったな、と後ろからアゼルの様子をみてレックスは顔を歪めた。
ヴェルトマーから出るときにデューを俺の馬に乗せればよかった。
残念ながらレックスが乗っている馬はベオウルフの馬と並んでこの軍の中ではかなり大きめで力強い馬だ。それは彼の重装備に耐えうるだけの力が必要だからなのだが。が、それゆえに扱いが普通の馬よりもいくらか難しい。アゼルはヒットアンドアウェイを重視するため、そして乗馬経験がシレジアからだから小ぶりで小回りが利く馬しか扱ったことがないのだ。
体力はもともとアゼルの馬とて劣ってはいない。けれどもともと小ぶりな馬であるから、本当ならばレックスの馬にデューを乗せて帰って来たほうがよかったのだ。迂闊だった。
とはいってもレックスが一人で馬を操っていつもどおりの動きが出来るからこそ、アゼルとデューは何も考えずにただ走り抜ければいいだけで楽だということもわかっている。
「行きはいーんだ、行きは。問題は」
これからのフリージ軍迂回が上手く行くのか。
一刻も早くシグルド達にアイーダの言葉を伝えようと彼等は懸命に走った。
と、突然前方でアゼルが馬を止める。
「どうした!?・・・デューを、こっちに乗せるか?」
自分が考えていたことがアゼルに伝わったのかな、なんてことを思いながらレックスは慌ててアゼルにならって馬を止める。
レプトール軍がもう視界の中にはいっている今、馬の足をとめて悠長なことはやっていられない。迅速にことを行わなければいけない。アゼルの後ろからデューが飛び降りてレックスのもとへ走り寄ってきた。アゼルは馬から降りない。
「アゼルが、レックスに乗っけてもらえって。馬が疲れているから、これ以上は無理なんだってさ」
そう言ってデューはレックスの馬に乗り込もうとした。アゼルの馬よりも高さがあるその馬に乗るには、さすがにレックスの手を借りなければデューには無理のようだ。
「ああ、わかった。アゼル、じゃあ悪いがお前が後ろから援護してくれ、飛ばすぞ!」
レックスはデューがしっかりと座ったことを確認して、アゼルを見た。
と、アゼルは瞬きひとつせずにレックスを見つめている。
「アゼル?」
「ごめん、レックス。僕は」
突然のアゼルの様子にレックスはとまどいの表情を隠せない。けれど彼は既に長い付き合いのアゼルのその表情を見てわかっていた。ああ、これは。アゼルのやつは何かを決心したのだろう。そう思うことは一気にレックスの胸騒ぎを呼び起こし、そしてうっすらと彼の額に汗を滲ませた。
ランゴバルトを倒した前後から、どうも自分はそういった緊張が体に現れやすくなった気がする・・・レックスはそんなことを一瞬思ったが、それを口にはしない。多分自分のその体の変化は弱さとかそういうものではない。ただ、大人になっただけなのだ。大人になりたい、なんて意識もしたことがなかった子供の頃は怖いことがたくさんあった。そして自分を取り巻く世界がそう怖いことばかりではないと知って怖いもの知らずになるのは大人になろうとしている子供の時期だ。レックスはもう背伸びをする子供ではない。大人になった彼には、怖いと思えるものが何なのかを理解出来る能力が正しく備わった。それだけのことだ。レックス本人はそんなことを気付いてはいないから(まったく、一体俺はどうしたんだ)なんてことしか考えてはいなかったけれど。
「なんだよ」
わずかに語尾がかすれる。そのことで、ああ、レックスはもうわかっているのだな、とアゼルはついつい小さな笑みを見せた。が、それはすうっとすぐに彼が次に発する言葉で蓋を閉められたように消えていってしまう。
「・・・シグルド公子には、レックスが伝えに言ってくれ」
「アゼル!?」
「僕は、レプトール卿を、説得してくる」
「馬鹿、何いってんだ、そんなこたあ無理だ!どうしてもそうしたかったらシグルド公子と合流してからにしろよ!」
「アイーダは、レプトールを倒せといった。神器をもつ人間相手に下手な情けをかけることが危険だとも言った。それはよくわかる。だから、みんなに余計な迷惑をかけないように僕が一人で行ってくる。」
「駄目だよ、アゼル!」
デューも叫ぶ。
「ここまで一緒に来たんだ、一人でそんなことさせたくないよ!早く公子と合流して、それからにした方がいいってば!」
「ありがとう。でも、そうすると僕を守ろうとみんなに余計な負担をかけてしまうだろう?」
「そんなの負担じゃないだろうが、しっかりしろよ、アゼル!」
自分の親友が一体どうしてしまったのか、とレックスは声を荒げる。
何も問題はない。
シグルド達と合流してからだって、アゼルがいうほどの迷惑、というものがどの程度のものを想定しているのかはレックスには正確には把握できないけれど、それにしたって。
アゼルはそんなレックス達の懸念を知っていたように、半ば諦めたような表情を見せて白状した。
「なんか腑に落ちないんだ」
「え?」
「アイーダは「レプトール軍」でも「フリージ軍」でも「レプトール達」という言い方もしていなかった。「レプトール」を倒して、って」
「・・・そうだったか?」
「うん・・・それが、とても気にかかる。僕には・・・レプトール卿を確実に殺したい、という意志が見えるような気がして・・・。気のせいだといいのだけれど。でも、もし気のせいじゃなかったら」
「待てよ、言ってることがおかしいぞ。アイーダ将軍が言ってたみたいに、神器を扱う人間に生半可な情けをかけるのは危険だってことはお前だってわかるだろう?だから仕方がないことじゃあないか」
「わかるよ。でも、それにしても気になる。そう・・・多分、レックスにはわからないだろう」
ああ、もう悠長なことをいっていられない。そんな焦りがアゼルの表情から伺える。アゼルは彼にしてはめずらしく吐き捨てるようにレックスに言い放った。
「なんだか、そうだね、アイーダの物言いはヴェルトマーらしい・・・。幼い頃にはわからなかった。でも、なんだか大人になった今ならわかるような気がする。気のせいなら、構わない。でも、気のせいじゃなかったら・・・アイーダ達は僕たちがレプトール卿を捕獲する姿を見たら、きっと・・・もろともでもレプトール卿にメティオを浴びせるってこともあるかもしれない」
よくわからない、とレックスとデューはアゼルの表情をじっと見た。二人の視線を強く感じて、険しく眉間に皺を寄せていた彼は少しはにかんだように表情を緩め、教え諭すように穏やかに言う。
「本当に、こればかりは僕の気のせいだといい、そう本当に思う。でも、可能性なんてもんはなんだってゼロじゃない。それにね・・・」
アゼルはぐい、と馬の手綱に力を込めた。アゼルの馬はそれを合図にしてかっ、とひづめの音をたてて走り出した。
「ティルテュの父親に、子供のことを伝えないと、いけないから!」
「馬鹿!お前、いってること、全然筋が通らないぞ!やめろ!」

いやな予感がなんだか消えない。
アイーダの顔を見てもなんだか、アゼルは気持ちが晴れなかった。何もかも不明瞭だからそれは仕方がない。
そしてそれを明快にするのはレプトールを倒してからだという。
はっきり言えば良い。レプトールの罪を知っていてシグルド達は無罪だとも知っているから手を組もう、と。
アイーダの物言いは確かに端的だったし、戦の場であるから「そんな暇はない」という言い草も間違ってはいなかった。
けれど、あのはぐらかし方は。
何故か自分の義兄のことを思い出したことがやたらとアゼルの気に触った。
少なくともこのままいけば、自分とレプトールが言葉を交わすことがないままこの戦は終わってしまう。そんな予感がした。
例えシグルドに頼んで当初の予定とおりレプトールをなんとかして捕獲しようとしても、それをヴェルトマー兵が許さない、そんな気がするのだ。
理由はわからない。
アイーダが、ヴェルトマーが、あるいはアルヴィスが、あるいはアズムール王が。
誰かにとってレプトールは生きていては困るのだろう。
そして、それはアイーダに聞いても教えてくれない。それをアゼルは敏感に感じ取った。
ならばそれはレプトールに聞くのが一番早いではないか。
そして、自分ならばまだ。アルヴィスの義弟である自分であれば、アイーダも簡単にレプトールもろともメティオの標的にしよう、とは命令し難いのではないだろうか?
それをレックス達にひとつずつ説明をすることはとても難しい。
そして、時間もない。
こうしている間にもレプトール軍はシグルド軍に向かって近づいているわけだし、そうすればレプトールのトールハンマーが猛威を振るうことになってしまう。
「どうにかしないと」
アゼルはそう呟いて馬を走らせた。そう言ってはみたものの、どうやってフリージ兵をかき分けてレプトールのもとに自分がいけるというのだろう。・・・けれど、それをするのは今しかないのだ。
いやな汗が噴き出して来た。
サンダーマージがアゼルの接近に気付いて詠唱に入る姿が見える。
アゼルは馬上からそのサンダーマージに向かって叫んだ。
「レプトール卿に話がある!」
そのまままっすぐ馬を突っ込ませようとするけれど、サンダーマージは詠唱を続けた。
「聞き分けのない!」
アゼルは馬上からエルファイアーの詠唱を行う。
彼の指にはマジックリングがはめられており、そこいらの一介の魔導士からの魔法では、今のアゼルはびくともしないし、そして彼の魔法をまともにくらって耐えられる魔導士もそうそういるはずもない。
だから、いざとなったらメティオをくらっても。
その思いがあったことは確かだ。
サンダーマージの詠唱が先に終わってアゼルに対してエルサンダーが放たれた!
激しい稲妻が乾いた空気を切り裂くようにアゼルに向かって空から降ってくる。
アゼルは馬が必要以上に怯えない様に注意を払いながら、自分でも感心するほどうまい手綱さばきでその雷をよけてそのまま突っ走った。
「邪魔をするな!エルファイアー!」
聖戦士ファラの血を引くアゼルは炎の魔法を得意とする。ファラの血をひくものだけが使える炎の魔法ファラフレイムを使いこなすほどの素質はもたなかったけれど、彼の能力は十分すぎるほどこの長い戦の中で高められており、そして馬上からの詠唱も正確で早く、なおかつ命中率がぐんぐんと上がっている。彼が放ったエルファイアーの魔法は、そのサンダーマージの周りで赤い炎を高く燃上がらせ、容赦をすることがなかった。予想以上に高まってしまった自分の力に、時折アゼルは疑問を覚えるけれど、今はそんなことを言っている時間はない。
妻であるティルテュはやはり戦とはいえ、人をあやめることに抵抗があるせいか、出来る限り雷の魔法を制御して抑え、相手の命を奪わない程度の威力で放つことが多い。けれど、アゼル達ファラの血を引くものが得意とする炎の魔法は、たとえ抑えたとしても火という性質から、抑え過ぎれば敵はどうとも思わずに痛くもかゆくもない程度、抑えなければ業火に苦しみ悶え死ぬことになる、両極端な威力を持ってしまうものだ。それゆえにアゼルはファラフレイムを使いたい、なんて思ったことはなかったけれど。
サンダーマージとのやり取りに気付いて、フリージ軍の動きが変わる。
アゼルはもう一度叫んだ。
「レプトール卿に話がある!僕はヴェルトマー公子、アゼルだ!」

狂ったように。
その表現が一番しっくりくるな、とシグルドは思っていた。
彼は一旦自分の馬をひき、戦況を冷静に眺めていた。その傍らにはレヴィンとシルヴィアがいる。レプトールがこの小競り合いにあせりを見せて、万が一自分から攻撃範囲に進んでくることがあったらいつでもレヴィンが出る準備をしているのだ。どう考えてもトールハンマーをもつレプトールに対してシグルド軍の中で立ち向かえるのはレヴィン一人だ。そして、いつでもシグルドもその補佐に出られるように、とフリージ軍との小競り合いをしかけて、様子をうかがってからベオウルフ達に任せて戻ってきたのだ。
フリージ軍はヴェルトマーからの裏切りによって、なんとか体勢を立て直したものの兵士達がそれぞれ動揺を隠せない。
中にはレプトールからの指示と明らかに違うだろうと見てわかるような動きをして、シグルド軍に突っ込んでくるものさえいた。
そういう兵士はまったくもって無駄だらけの意味がない叫び声と隙だらけの動きを見せて勝手に迫ってくる。
信じていた援軍や仲間から裏切られたことの恐怖。
それでも投降する兵士や離脱をしようとする兵士がいない。それがまた、そういう精神状態に兵士達を追いつめているのだろうとシグルドは思う。自分達だけが完全に孤立して前後に挟み撃ちにされて。背後をにあったはずの安心していた根城は既に(というか初めから)敵の本拠地に摩り替わってしまっている。後退することすらもうままならないのだ。こんな状況では恐怖のあまりに逃げ出す者がいてもおかしくない。だというのに誰一人フリージ軍から離脱するものはいなかった。狂ったように向かってくる兵士はいたけれど。
それはレプトールの将軍としての高い信頼度を現すもの・・・ではないことはシグルドにもわかっていた。どちらかといえばそれはレプトールがもつトールハンマーに対する畏怖だ。それはなんと兵士達にとっても可哀相なことだったのだろう、とシグルドは思う。今やフリージ軍の兵士はかなり減っており、少しずつシグルド軍に攻め入っては来ているけれど、もはや時間の問題、というところまで来ていた。それでもシグルドがごり押しをせずにいるのは再三いっているようにレプトールに対してどういったスタンスでいればいいのかがわからないからだ。早くことをすませて、出来ればフリージ兵達も助けられるものは助けたい・・・シグルドはそう思っていた。
「・・・来た!」
そのときアイラが叫ぶ声が聞こえた。
「え?」
「レックスが戻って来たぞ」
「どこだ・・・」
「今、くる」
シグルドはきょろきょろとあたりを見渡した。そしてレックスの姿を発見するよりも早くアイラに
「アイラ、前に出過ぎだぞ!?」
「仕方ないだろう?公子。なんやかやでみな軽くはけがをしている。ラケシスがはりきって撹乱をしているものだから、エーディンがみなの手当てをしているのだし。だから、彼女を守るために前に出て来た」
そういうことか、とシグルドは馬上で困った表情を見せた。
ラケシスがはりきりすぎて、側にいる騎馬兵達を回復しないことへの表情ではなく、アイラが涼しい顔、いや、というよりも嬉しそうにそんなことを言うものだから、苦笑せざるを得ない。前線に出ることが嬉しい、といった風情を彼女から感じるからだ。
「えーっ!?レックスどこお?見えないよう」
シルヴィアがぴょんぴょんと跳ねる。
「そっちの方向から近寄って来ている」
「援護してくるよ」
そう言ってジャムカは飛び出して行った。
「こら、抜け駆けだ」
とアイラはいって、自分もいきたい、という素振りを少し見せたけれど、おとなしくお伺いを立てるようにちらりとシグルドを見上げる。その様子を見てシグルドはさすがに苦笑を隠さずに言った。
「アイラ、もう少しいい子にしていたほうが良い。迎えにいったって、レックス達は慌ててこっちに戻ってくるだろうし、出ていった場所で取り残されてしまうよ」
「そうだな。公子は正しい」
「それにしてもよくレックスがもどってくるってわかったな」
「そうだな」
アイラはそんなどうでもよさそうな返事をシグルドに返す。
それじゃあ全然答えになっていないだろう?とレヴィンがアイラをちらりと見るけれど、アイラはそれ以上の答えは本当にないらしい。たまりかねてレヴィンは笑った。
「とりあえず、それは愚問だったらしいな、公子」
「そのようだね」
「?愚問?」
当の本人だけ彼等が何を言っているのかわからない、というようにきょとんとした表情を見せる。
そのとき、ジャムカが走っていった方向から砂煙をたてながらレックスの馬が飛び出してくるのがようやく彼等の視界にもはっきりとらえることが出来た。フリージ軍と剣を交えているところからかなり離れて迂回をしていた様子だが、レックスの鎧と馬は返り血をいくつも浴びていた。手には交戦の後である、血がこびりついた勇者の斧がある。シグルドはとりあえずレックスが無事だったことでほっと胸をなでおろした。
「・・・ああ、本当だ。レックスが戻って来たな・・・おや?アゼルはどこにいるんだろう?」
ジャムカがその後ろで弓を引いている。かなり迂回していたにも関わらずレックスを襲うフリージ兵が案外といたことがわかる。
「公子!」
「レックス、アゼルはどうした!?」
「アゼルっ、アゼルがっ!」
叫びながらレックスは近づいてくる。彼にしてはめずらしく大粒の汗をかき、ぜえぜえと苦しそうに荒い息をつきながらようやくシグルドの側に馬をとめて、そのまま話を続けた。
「レプトール卿に、話をしてくる、つって一人でいっちまったんだ!あのままじゃあヤバイ!」
「どういうことだ!?」

その頃、アゼルは既に手傷を負っていた。
ジェネラルが手にしていた槍に気をとられていて、弓を背に持っていることを見落としてしまったのだ。ジェネラルが放った矢はアゼルの左肩を射抜いた。出血はそうひどくはなかったけれど、痛みが激しい。まったく動かないわけではないけれど、左手で手綱を握っていつも通りの動きをするのは難しい。つまり、多少の剣を使えるアゼルでも、右手に剣をもって左手で馬に正確な指示を出すことが出来ないということだ。剣はそんなに彼は得意とはしていないけれど、ときと場合に応じてそれが必要なこともある。そう思うと少し手痛い傷だとアゼルは舌打ちをした。傷薬は残りひとつ。今ここで使うのは得策ではない、とアゼルは思う。
シグルド軍に対して前進をしながら小競り合いをしているフリージ軍は、しんがりにジェネラルとサンダーマージを少し残しただけだった。それさえ突破すれば、すぐにでもレプトールに近づける・・・それほどまでにフリージ軍の兵力はおちていた。が、それだけではなく最初に倒す標的をシグルド軍に絞ったということだろう。
「見つけた!」
しんがり部隊をエルファイアーで焼き尽くして、アゼルは馬を走らせた。
あまり自分の馬がいつもほどの動きを見せていないことは既にわかっている。何かがあっても、逃げ切れる保証がない・・・乗り手である彼がそれに気付かないわけもなく、自分自身に対する嫌な予感もアゼルは感じていた。
と、そのとき。
すっかりしんがり部隊からの連絡が途絶え、けれどしんがり部隊への連絡もとりたててとらなかったレプトールの姿が兵士達の間で見えた。

「レプトール卿!」
その声と背後から迫る馬の音に、レプトールの側に控えていた兵士がアゼルの接近に気付いた。
「レプトール様!赤い髪の魔導士が!」
「ぬっ!?」
レプトールは振り返ってアゼルの姿を認めた。
「あれは・・・ははは!自分からこのわたしに殺されに来たというのか!アルヴィスの弟め!」
「話があります!戦いに来たのではないんです、聞いてください!」
「何かほざいておるようだな」
けれどレプトールにとってアゼルの言葉は何の意味もなさない。
自分をおとしいれた憎いアルヴィスの義弟。
その思いだけでレプトールの心は満たされ、鼓膜がアゼルの言葉によって震わされても、それは彼にとって意味をなさないことだった。レプトールの両側に控えていたジェネラルの一人が弓に矢を番える。
それに気付いてアゼルは再びエルファイアーの詠唱を始めた。
「馬鹿め。たった一人で来るとは。望みどおりあの世に送ってやろう!」
ジェネラルにアゼルの意識がいっている間に、とレプトールはトールハンマーをアゼルに向かって行使するため詠唱を始めようとした。が、その時、前線にいた兵士がぼろぼろの鎧に身を包んでレプトールの足元に転がり込むように報告に来てその行為は一旦中断させられてしまう。
「レプトール様、シグルド軍が突然兵の手を強めました!」
「なんだと」
「先ほどまでは手を緩めていた様子です!あちらは今、全力を出してきています!このままでは、このままでは・・・」
「ええい、忌々しい!」
その報告を受けている間にアゼルの魔法はジェネラルに対して放たれた。レプトールの側にいるジェネラル達は、フリージ軍きっての兵(つわもの)で、そんじょそこいらの魔導士の魔法なぞで音を上げるような兵士ではない。けれど。
「ぐあああっ!」
ジェネラルが矢を放つ前に彼を襲う業火。
鎧を着けたままでもがき苦しみ、ジェネラルはくるくると見たことのないダンスを踊りながら、魔法の炎に焼かれたままフリージ軍から離れてあさっての方向にころがっていった。それを哀れみの目で見ながら、それでも決してレプトール達に隙を見せずにアゼルは言い放つ。
「ごめんなさい。今、僕、けがをしているからあまりセーブ出来ないです。歯向かう人々はみんな、焼いてしまう。レプトール卿、話を、僕の話を、聞いてください!」
予想外のその炎の魔法の勢いに、レプトールは驚愕の表情を浮かべてうめいた。けれど、だからどうだというのだ、といつもの威厳を取り戻して嘲るように叫び返す。
「ふふ・・・ファラの血筋は間違いではなさそうだな!だが、ファラフレイムも使いこなせない出来損ないが、トールハンマーをもつわたしにたてつこうなぞ、許さん、許さんぞ!」
「レプトール卿、お願いです、話を!」
しかし、アゼルの懇願はむなしく、レプトールは更に声を荒げた。
「話なぞ、ない!お前を倒して、あやつらの前にお前の死体を放り出してやる!そして次はバイロンの息子、それからあの腹が立つ女だ!あの女、ただでは殺さんぞ!そして、最後にお前の兄を殺してやる!」
「レプトール卿、それは!」
そうだ。まさしく自分が聞きたかったのはそのことだ。
アゼルはレプトールに対して、一体何故彼がアイーダ達から攻撃を受けることになったのか、誰にとってレプトールが死ぬほうが都合が良いのか。それが彼が知りたいことだ。アゼルはいまだ、とばかりに
「レプトール卿、何故あなたがアイーダ将軍達に・・・」
その叫びにフリージ兵の叫びが重なった。前線から飛び込んで来た兵士は、敵であるアゼルがそこにいても向かっていこうとはしない。そんなことよりも大切なことが今の彼らにはあるのだ。
「ご命令を!レプトール様!このままでは前線の兵は全滅してしまいます!一度撤退してっ・・・」
「ええい!どこに撤退するというのだ!」
アゼルは叫んだ。
「レプトール卿!投降してください!そうすれば我々はあなたの命を奪おうとは思っていません!罪を償ってくだされば、それが一番誰にとってもいい方法だ!」
「罪を償うだと!?あの男の弟がそれを言うか!」
その言葉。
やはり、何かがあるのだ。
そのとき、もう一人前線から兵士がレプトールのもとに転がり込んで「指示を!」と声をあげた。彼等ももはや頼みの綱はレプトールのみ、と思っているらしく、側にアゼルがいるというのにまったく向かってこない。その場の空気は異様で、アゼルは瞬きをすること、息をすることすら意識的に行わなければままならないような、そんな感覚に襲われていた。
「ふざけるな!どいつもこいつもわたしを舐めおって・・・。お前の言葉なぞ、もう聞く耳もたぬわ!おとなしく我がトールハンマーの餌食になるがいい!」
「待って、話をもう少し聞いてくださいっ」
「レプトール様、ご命令を!」
「レプトール様!」
が、そんな彼らの叫びなぞ気にもせず、レプトールは動きを止めて突然静かになり、アゼルにも兵士達にも何も声を発しなくなった。時折唇が動く。アゼルはレプトールが続けていう言葉を聞こうと耳を澄ませる。
が、次にアゼルの耳に入って来た言葉は・・・
「くうっ!?」
トールハンマーの詠唱が始まっている。アゼルの体にぞわり、と鳥肌がたった。
邪魔をするか逃げるしかない。
けれど、逃げようとすれば、今ここでレプトールのもとに集って来た兵士達がそれに反応して一斉にアゼルに向かってくるだろう。
今、敵兵の中にいるのに攻撃をされない、というこの状況が非常に特殊で危ういバランスの上に成り立っていることをアゼルはわかっていた。邪魔をしようとしても、兵士達は反応するだろう。今、アゼルはレプトールに手を出さないことで、精神的に追いつめられている彼等フリージ兵と妙なバランスで同席しているのだ。アゼルは叫んだ。
「レプトール卿!投降してください!・・・あなたの娘、ティルテュは、あなたの孫を今身ごもっているんだ!レプトール卿、僕と、ティルテュの子供が、今、彼女のお腹の中にいるんです!」
その言葉に反応をしたのはレプトールではなく周りにいた兵士達だ。
「えっ・・・」
「あのおてんば公女が・・・?」
「そうです。ティルテュは、あなたに子供を、あなたの孫を見せたいと思っている!たとえあなたがどんな罪を持っていようが、構わない。今、彼女はあなたが犯した罪のせいでとても辛い思いをしている!それでも、あなたに、子供をっ・・・」
そのアゼルの言葉を遮るようにレプトールは叫んだ。
「そのような娘なぞおらぬわ!」
「!」
「お前の、お前の、お前のような薄汚い、愛人に産ませたような男の子供を孕んだ娘なぞ、おらぬわ!」
「なっ・・・」
かあっとアゼルの頬が紅潮した。
自分の出生をこんなときに馬鹿にされるとは思ってもいなかった。いや、レプトールのような人間があまりそれを好ましいと思っていないことなど初めからわかっていた。
アゼルは彼の父であったヴェルトマー公爵が第二夫人に産ませた子供だ。愛人、という言い方をレプトールはしたけれど、アゼルの母親は認められ第二夫人という地位を手にいれているのだから、誰にも恥じることはない、と思う。どこの馬の骨に産ませたかわからない、というわけではないし、少なくとも「妻」と呼ばれるものにはなってはいた。それでもグランベルの貴族の目は冷たく、それゆえに幼い頃から多くの痛い言葉も受けて来た。それを意識させずに愛してくれたのは、義兄アルヴィスだけだ、と幼い頃は思っていた。
いつしか口さがない冷たい言葉や噂話にも彼自身は慣れてしまったし、今更そのことについていわれようと痛くもかゆくもない。けれど。
「あなたは・・・僕を認めないことは、構わない。けれど!」
「あのクロード神父の尻にくっついて勝手に出ていきおって・・・わたしが、わたしがどんな思いをしてあれを連れ戻そうとしたかなぞ・・・」
その言葉は、レプトールの、娘に対する愛情を表したものだったのだろうか?アゼルはとまどいながらも激した自分をすうっとクールダウンさせた。
「・・・レプトール卿」
「いいや、許さぬぞ!わたしを裏切るなぞ、許さぬ!」
もう一度ティルテュを責める言葉。
「レプトール卿!」
「よくもわたしの可愛い娘を、お前のような!」
そしてアゼルを責めながら、ティルテュへの愛情を表す言葉。
「・・・っ!」
全てが、終わってしまう。
アゼルは自分に向けて、本当は誰を罵倒したいのかももはやわからなくなっているレプトールを見つめた。
自分の世界が、思い描いていた世界が崩れ落ちる瞬間、人は脆いものだとアゼルは知っている。
もちろんアゼルだけではなく、シグルド軍にいるもの、誰もがそれを既に経験済みだ。
けれど自分達には信じる仲間がいて、手を差し伸べてくれる人がいて。
だからこうやって生きてこられたし、生きていこうと今だって必死だ。そのために戦ってここまで来た。
一度なくなってしまった、自分が生きるべき場所。それを取り戻すため。
けれど、レプトールはもはや孤立した、たった一人で自分が生きる場所を死守しようとしている怯えたただの人間だ。
ヴェルトマー軍から裏切られ、援軍であるロートリッターが来ないとわかった時点で、もはや、彼の世界は幕を下ろしたのだ。
最後のあがきでここにいるのは、魔法騎士トードの血統を持つ、トールハンマーを手にした人間としてのプライドだったのだろうか?それはアゼルにはわからない。けれど。
今目の前にいる哀れな男の人生は、もう、終わっているのだろう。
「レプトール卿っ・・・」
それでも、自分は聞かなければいけない、とアゼルは思う。
「教えてください、あなたを・・・」
その瞬間。
「その魔導士を捕まえろ!我らを惑わすためにヴェルトマーからやってきた兵士だ!アルヴィスの弟でシグルド軍の一人だ!我らが生き延びるための人質にするのだ!」
狂いながらもレプトールは近くにいた兵士に叫んだ。
「ちいっ!」
こんな状態なのに、なんて的を得ているいやな男だ!アゼルはレプトールに対する悪態を吐きたい気分に駆られたけれど、それどころではない。レプトールの言葉は巧かった。確かにそのような物言いをすれば兵士達は生き残るための一縷の望みをかけるために必死にアゼルを捕獲しようとするだろう。
自分もレプトールにわずかでも同情して深入りし過ぎた。気がついたときにはさきほど報告にきた兵士以外にも何人かレプトールを守るようにアーマーが戻って来ていたのだ。
それほどまで、もうシグルド軍はフリージ軍をねじ伏せて、今やレプトールのもとに来る、という勢いなのだろう。命令がなくとも主を守るために戻って来たそのアーマーの忠義心は立派だけれど、とんだありがた迷惑だ。アゼルは舌打ちをする。
命をかけてもいい、とは思ってここまできたけれど、人質なんぞになってみなに迷惑をかけるのはまっぴらごめんだ。
慌てて手綱を引いて、馬を動かした。が、レプトールの側にいたフリージ兵はアゼルの馬を囲むように動く。しまった、と思ったときにはもう遅く、ひとりのアーマーが手槍を投げて来た。
「ぐわっ!?」
その叫びは、攻撃を受けた痛みの叫びではない。
アーマーの手槍はアゼルが乗っている馬に向かって放たれたものだ。
迂闊な攻撃を馬に仕掛けてしまうと、馬は驚いていつもより早いスピードで走って暴れるものだから、戦場で馬を狙うことはそうない。けれど、そのアーマーの手槍は大層正確にアゼルの馬の足の筋を切るように飛んで来た。
馬はいななき、無事な足で地を蹴った飛び上がった直後、着地でがくん、と傷を負った足を折り、そのまま横倒しになった。
「うわあっ!」
アゼルは落馬して、したたか地面に体を打ちつけた。
「!」
一瞬心臓が止まったかと思う痛みに全身が教われる。先ほど負った傷をそのまま自分の体重をかけるようにぶつけてしまったのだ。
「ぐ・・・」
痛みのため、ひゅー、ひゅー、と苦しい呼吸が口から漏れた。肩が燃えるように熱く感じる。自分の炎の魔法に覆われた兵士達もこんな熱さを感じていたのだろうか?
「うわっ・・・」
がつん、とフリージ兵の足がアゼルの頭を踏みつけ、地面にそのまま押さえつけた。
それをみてレプトールの口元は、すうっとアルカイックな不気味な笑みを形にする。
「レプトール様、捕らえました!」
「ご苦労。そのままおさえておけ」
「どのようにシグルド軍と交渉を・・・」
「レプトール様・・・?」
突然レプトールは目を伏せて静かになる。
アゼルはまたも全身に鳥肌がたつのを感じた。
「っ・・・馬鹿なっ・・・こんな至近距離で、部下の近くでっ・・・・」
広範囲を攻撃する魔法ではないことは知っている。けれど。
時折レヴィンのフォルセティが近くで行使されると、こちらの皮膚までびりびりと空気の波動を感じていたむことがある。それはやはり究極の魔法の威力なのだろう。
確かに至近距離ならばはずすことはない。けれど、トールハンマーの威力を知らないアゼルにとっては、もしかしてこの距離は自分を抑えているフリージ兵まで巻き込むのではないか、との懸念を隠せないものだった。
「わたしに逆らうもの、目障りなものは消えてもらおう!」
「レプトール卿!駄目だ!・・・僕を人質にするのではなかったのか!?」

「待て」
メティオの詠唱にはいっていた傍らにいる魔導士にアイーダは制止をかけた。
「しかし、アイーダ様」
「いい。多分あの分ではシグルド軍はフリージ軍を食い潰してくれそうだ。アゼル公子が単独行動をしたことで、余計にシグルド軍は熱が入った様子だな・・・アゼル公子を助けろ、とか大方そういうことだろうさ」
ヴェルトマー城のバルコニーでアイーダは呟いた。
細かい戦況はわからない。ただわかることは、走っていた二騎のうち一騎が迂回をして、もう一騎はフリージ軍と交戦を始めたこと。その一騎が迂回して姿が見えなくなってほどなくしてから、フリージ軍が全体的に後退していること。
「もう少し、様子を見るがいいだろう・・・」
そのとき。
空が暗くなる。
これはメティオ詠唱のときの暗さではない。
メティオのときはただたんに、そこが夜になったかと思うような、空の上に蓋が現れて空全体を暗くしているような、そんな感じだが、これはそうではない。
雨雲が一気に風もないのに集ってくる。
いや、集ってくる、という言葉は適切ではない。
空に生まれた。
そしてその暗い雲が包みこむ場所はどんよりと暗く、黒く。
アイーダは空をみあげ、自分の後方の、北側の天候を確認し、そして集った雲の中心がどこいらへんなのかを見て呟いた。
「これは」
そのとき。
まるで世界を二分するかのように空から激しい一筋の閃光がおちて来た。
ぴしゃああん、と大きな音をたてて、まるでそれは自然の怒りのように。
ずずず・・・とわずかな地鳴りをヴェルトマー城まで響かせる、その威力はなんというものだろう?
「トールハンマーか!」
そして、それは一度では終わらなかった。
閃光が放たれた直後に一斉に集った雲は消え、流れ、途切れたかに見えたが、ほどなくしてすぐさままた雲が同じように集り、空は暗く黒く。空を見上げたまま、それでも取りたてて動揺も見せずにアイーダは呟いた。
「神など、聖戦士の血なぞ、信じたくないものだ・・・」
「アイーダ様?」
「だってそうだろう?レプトールやランゴバルトが、そんな器だなんて、信じがたい。平和を守るためではなく、争うためにあるようにすら思えるよ・・・」
「争うために」
どう考えたって交わらない人間同士が神器を持つ。それがこの世の不思議なところだ・・・アイーダはそれは口に出さなかった。
集った雲は所在なげに空を暗く覆っていたけれど、やがてすうっと消えていき、それまで晴れていた明るい春の空に戻っていった。
「まるで、春を告げるようでしたね」
「風流なことをいう・・・冬の終わりを告げる、というほうが正しいのかな」
アイーダはそういって、ふ、と笑みをもらした。
二度目の、トールハンマーの詠唱はなかったのだ。


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