祈りの狭間-2-

その頃、クロードはフリージ軍の遺体を前に祈りを捧げていた。
アイーダの命令でヴェルトマー軍の兵士はみなフリージ軍の遺体を回収をした。
それは、完全に今回の戦でレプトールの側近として控えていた兵士が全員死亡したのか、生き残って投降した兵士を含めて頭数を確認する必要がアイーダにはあったからだ。もちろん、そんな思惑はシグルド達にはわからないことだったけれど。
ヴェルトマー城の領地の一角に、教会があった。アゼルは幼い頃には毎日その教会で朝のお祈りを捧げるように言われていたという。その教会の地下には遺体の安置所がある。
ひんやりとした空気。
そして並ぶ棺桶。
まるでこれだけの数の遺体がこうやって並ぶことをわかっていたように、一人の漏れもなく彼らは棺桶の中で眠りについている。
クロードは、今までの人生で繰り返してきたように、死者の魂を救済するための祈りをその空間で行っていた。
いつでも彼の中ではその時に静かな感情が湧き上がり、そして渦巻いて終わりのない問いを繰り返す。
生ということ。そして死ということ。
人間という生物はあまりに多くの欲をもち、それゆえに他者を傷つけ、他者の犠牲になり、天寿をまっとうすることなく戦で命を落としてゆく。
なんと浅ましい生き物なのだろう。そして、その浅ましさが人である証なのだろう。
人間は、特別に賢い生き物でもなんでもない、とクロードは思う。
そして、彼は悲しいことに、その浅ましい生き物を愛している。もちろん、自分がその一員であることを恥ずべきこととは思わない。
けれど、その浅ましさに時折眩暈を覚えることは抗いようのない事実だった。
「・・・?」
そのとき、かつん、かつん、と地下に降りてくる足音が響いた。
生きている人間は、生きていく上でなんらかの音を立てていく。
この空間で、自分以外に生きている人間が現れたのだ、という実感が耳から生まれた。
「クロード様」
姿を現したのはアゼルだった。
先日トールハンマーをしこたま体に叩き付けられて消耗が激しかったけれど、ようやく動けるようになったらしい。
「ああ」
「探しました」
「何かわたしに用事があるのですか。もう、大丈夫ですか」
「ええ、少しお話をしたいと思いまして」
「いいですよ。少しだけお待ちいただけますか」
クロードが穏やかにそう言うと、アゼルは小さく頷いた。
あまり顔色がよくないな、と赤毛の魔導士の表情を伺ってから、クロードは祈りの続きを始めた。
階段の最後の段に腰をおろして、アゼルはじっとその様子を伺って、時折小さく息をついた。それは疲れによるものではない。心が溜息をつかせているのだろう。
やがて、クロードは静かに目礼をしてアゼルを振り返った。
「お待たせいたしました。ここでお話を聞いたほうがよろしいでしょうか?あまり話をするのに向いた場所とは思えないのですけれど」
それは、死者の眠りを妨げるから、という理由ももとより、人に聞かれてはいけない話なのか、という確認の意図を含んだ問いかけだ。アゼルは小さく笑みを口端に浮かべながら
「あまりヴェルトマーの人間の目に触れたくないのですが」
それは、ここでもいい、という意味だったけれど、やはり安置所では、とクロードは苦笑を見せる。
「わたしがお借りしている部屋に行きますか?」
「・・・そうですね・・・」
アゼルは立ち上がった。クロードはその横をすり抜けて、先に階段を昇り始める。
振り返らずにクロードはアゼルに問い掛けた。
「何故わたしに話が?」
「あなたが、どこまでのことが見えていらっしゃるか、気になって」
「どこまで、とは?」
「・・・あなたは、この戦いがここで終わることをご存知だったのですか?」
アゼルのその問いにクロードは足を止める。
そして手すりに掴まりながらゆっくりと、後から上ってくるアゼルを振り返って数回瞬いた。
「アゼル公子。わたし達が戦わなければいけない、グランベルを蝕んでいる相手は、ゆるやかにゆるやかにこの大陸を覆い尽くそうとしています。レプトール卿が、ランゴバルト卿がお亡くなりになっても、その、何かはまだ潜んでいて、機会を伺っているのでしょうね」
「え・・・」
アゼルもその場で足を止めた。クロードは穏やかに、いつもと変わらぬ声音で語りかける。
「けれども、ブラギの神がわたしに見せたのは、それに立ち向かう人間が、わたし達ではない、ということです」
「神父さま」
「だから、わたしはバーハラに行かねばならない。その相手が誰なのか。そしてそれに立ち向かうことが出来る、この大陸を救うのが一体誰なのか。それを、見届けなければいけないのです」
アゼルは眉根を寄せた。
見届けなければいけない。
それは何故、最後を予感させるような言葉なんだろう。
アゼルの心にぽっと現れたそんな懸念は、彼の頭に具体的な言葉としては残らなかった。ただ残るのは、何故かよくわからない、クロードの言葉に対する不安、胸騒ぎ。
聞かなければよかった、という後悔がアゼルに押し寄せてくる。
もしかして、自分はとてつもなく大変なことを聞いてしまったのではないか、という恐れを急激に感じて、階段の手すりにアゼルはもたれかかった。
「大丈夫ですか」
「あ、はい。すみません」
「わたし達の戦いは、終わったのでしょう。けれど、この大陸の戦いは、終わっていない・・・それを確認するために、バーハラに行かねばならない、そんな気がするのです」
「・・・っ・・・あなたは・・・」
ぐらり、と眩暈がした。クロードははっと手をのばしてアゼルの体を支えようとする。
少し考えれば、わかったはずだ、とアゼルは己の未熟さを痛感した。
今、自分の体を支えようとしてくれているこの神父は、神の声を聞く、選ばれた人間だ。
単純に考えていた。神の声を聞けるなんて、すごいことだ。この神父は素晴らしい才覚をもつ人間だ、と。
そんな、子供でも言えるようなことを、馬鹿馬鹿しいくらいにアゼルはそのまま思っていた。
クロードがアゼルに向かって放った言葉は、とても曖昧で、曖昧だけれどもそれゆえに嫌な、恐ろしいものにアゼルには感じられる。
あなたが、どこまでのことが見えていらっしゃるか、だって?
その自分の愚問に対してアゼルは自嘲気味に笑った。けれど、頭はぐらり、と揺れて前のめりに倒れそうになる。
「アゼル公子!」
「す、すみま、せん」
そんなこと、決まっている。
選ばれた人間でなければ、耐える事が出来ないような、神からの声を聞く。
人には決して伝えることが出来ない数々の真実を伝えられても、それを己の中に封じなければいけない、その残酷な行為を課すことが出来る強靭な精神力。
もしかするとこの神父は、本人ですら意識していない記憶の底に、決して思い出してはいけない神の声すら封印してあるのではないかとアゼルは気付いてしまった。
「神父さま、教えてっ、くださいっ!」
「アゼル公子、静かに。落ち着いて」
「兄はっ・・・アルヴィスはっ・・・無罪なのですかっ・・・!?」
まるでその言葉をねじ伏せるように、階段の途中でクロードはがっし、とアゼルの両肩を掴んだ。
アゼルの表情は、まるで怯えた子供のようにも見える。クロードはアゼルをみつめる。アゼルも目をそらさない。
「・・・わかりません、アゼル、わたしには、わからないのですよ」
「だって、クロード様は見えていらっしゃるはずでしょう!?ブラギの塔で神託をうけて、レプトール卿とランゴバルト卿が災いの元だって・・・」
「そうですね。アゼル公子、良く聞いてください。けれど、わたしは、全てを知るわけではないのですよ。そんな人間はこの世にはいないのですから」
「神父様っ・・・」
「わたしには、わたしの役目があるのです。ねえ、アゼル公子、なぜわざわざブラギの塔に行かねば、神託を得られないのだと思いますか?それならば、何故エッダの者達はブラギの塔の近くで生きることなく、グランベルで生活をしていると思いますか?」
「・・・それは・・・」
ようやく落ち着いたアゼルは、やはり顔色が悪い。クロードは言い聞かせるようにゆっくりと、穏やかにアゼルに告げた。
「神託を受けるということは、人である領域を飛び出すということ。神の声を聞くということは、自らが一個人として生きていくことを捨てるということ。時に真実はあまりにも愛しく、時には残酷なものです。それらを全て受け止めるには、人間であることは足枷になるのですよ」
「一個人として生きていくことを・・・」
「あなたは、自分がいつどこで死ぬかを知りながら、生きていけますか?」
「・・・そんなこと・・・」
アゼルは言葉を止めて、目を伏せて考えた。クロードは変わらず、彼にしては強い力でアゼルの肩を掴んだままだ。
その腕にそっと手をかけてアゼルは呟く。
「僕には、無理、です。僕は、臆病者ですから」
「人であれば、それは当然のことです。アゼル、神託を受けると言うことは」
「はい」
「それを、垣間見てしまう、ということなのですよ」
クロードは、穏やかな笑みを湛えたままそう告げた。
それを見て、人というものは、こんなにも悲しい笑顔を見せられるのか、とアゼルは自分の体が震えたことに気付いた。

シグルドと話し合いをした結果、ブリギッドとデューはヴェルトマー城に残ることに決定した。
それについてはシグルドが直々にアイーダに申し出をし、受け入れてもらえることになった。
ラケシスとアイラが考えていたとおり、エーディン達がまたヴェルトマー城方面を通過してレスターを迎えに行くことを考慮しての結論だったらしい。
ブリギッドをデューはシグルドと共にアイーダの執務室に出向いて、世話になる旨を伝えた。
それについてはアイーダは言葉少なながらも、気兼ねなく、と答えるしかなかったに違いない。
彼ら3人が執務室から出て行く姿を見送ってから、アイーダは自分の椅子に腰掛けて、ふう、と溜息をついた。
「それへは、わたしが」
ぼそっと音になって出た、頭の中に留めておくだけにするはずだった言葉。
いけない、こうやって口に出てしまうのは疲れているときだ。
アイーダは彼女にしては珍しく、机に突っ伏して瞳を閉じた。
その行為は彼女にとってあまり美しいと思えないものだ。彼女はとりたてて美意識が高く自意識が強い、というタイプではなかったけれど、ただ、美しくない、そんな風に思っている。
それでもほんの少し疲れたという自覚はある。
自分は自分の信念を貫くために、ここでこうして働いている。そうであるからには、いつだって何が起きたって、最良の方法を考えて為すしかない。
心のどこかで声がする。
彼女のもとに、アゼルのブローチと共に親書を届けたあの金髪の少年。
一体自分は何度彼を騙せばいいのだろう?
そして、あの少年の子供を身ごもっているというあの女性。
「考えるな。それを考えれば、やらねばならない大儀を、見失うのだから・・」
自分を叱咤しながら、それでも疲れのためかアイーダはそのまま瞳を閉じた。
せめて、ほんの少しだけ、弱った気持ちが回復する程度の仮眠を許して欲しい・・・。誰にともなく、そう思いながら。

レックスとホリンはたまたま通りがかりに出会ったシルヴィアから、ブリギッド達の話を聞いた。
「デューのやつ、いつの間に」
といいながらもレックスは嬉しそうに笑う。それへホリンも笑顔で頷き、話をシルヴィアにふった。
「めでたいことだ。次はシルヴィアじゃないか?」
「ふふふ、みーんな同じこと言うのね」
「クロード神父とエッダ城に行くつもりなのだろう?」
「んー・・・わっかんない」
その曖昧な答えにレックスとホリンは顔を見合わせる。シルヴィアは決して表情を曇らせることなく早口でまくしたてた。
「神父様がエッダに戻るなら、ついていくけど。まだそんな話一度もしてないんだ。バーハラに行くことしか、神父様は今考えられないみたいでさっ」
「あの方らしいといえばらしいが、それは無責任じゃあないか」
口をあんぐりとあけてレックスは呆れたように聞く。うふふ、とシルヴィアは屈託なく笑ってから
「そーね。でもわたしもさあ、わたしの踊りを見てくれる人がいて、神父様がいてくれれば、ま、それでどこだっていっかーって思ってるしぃ」
「シルヴィアらしい」
そういってホリンは笑った。
「そんなこと言ってるホリンは、どーするつもりなのよ」
「俺はバーハラの凱旋式とやらに興味はないけど。ここまで来たからな、とりあえずことの終わりをきちんと見て、それから一足先にお別れだ」
「お別れしてどこにいくつもり?」
「さあな」
とホリンははぐらかしたけれど、多分イザークに向かうのだろうな、ということをレックスは知っていた。それをそうと言わないのは、「だったらみんなと一緒にいけばいいのに」なんてことを言われることを防ぐためだ。
多分ホリンは多くは語らないが、バーハラでアイラがイザーク王家の者として会談を行っている間にもイザークに一足先に戻り、シャナン達と合流してくれるのに違いない。
この軍のほとんどの人間は、ホリンがどこの誰なのかを知らない。それに、ホリンもそれでいいと思っている。だからこそ彼は今後の身のふりについてあまり多くを周囲に語らないのだろう。レックスはいちいちそんなことを言葉にして確認することが面倒に思えたから、自分の心の中だけで納得していたのだが。
シルヴィアはそれ以上のことを聞きたそうだったけれど、ホリンがあまり詮索されることを好まないことを知っているから追求はしなかった。ベオウルフなんかだと追求されるとはぐらかすばかりだが、ホリンはそれよりも固いところがある男で、聞かれても答えないから、とはっきり言われてしまったことがシルヴィアはある。多分、これもそういったことなのだろう、と彼女は理解した。
「なんかさー、ちょっとだけ寂しいよね。みんなばらばらになっちゃうもんね〜。シレジアでみんなで暮らしていたのが嘘みたい」
「そうだなあ」
「みんなは大変だったかもしれないけどさ、わたしは今までの人生の中で一番楽しかったよ」
「シルヴィア」
くすっと笑い声をもらしてシルヴィアは言った。この踊り子から「人生」なんて言葉が出るのはとても意外だ、とレックスは思ったけれど、逆に、あれほどの舞を見せる人間であれば、その重苦しい言葉もさらりと口に出来るのではないか、とそんな風にも感じた。
「だから、ちょーっと残念だなあー・・・。シレジアにいたときは、このまま旅が終わるといいなあって思ってたけど、なんか今は・・・そっか、旅が終わっちゃうんだ・・・って残念な気持ち」
そういってシルヴィアは二人の前をするりと横切って歩いていってしまった。
彼女が言っていることもわからないではない。
誰がそう口にだしたことがある、というわけではないが、とうの昔に彼らは「一緒に生活をする同志」という気持ちを心のどこかでお互いにもつようになっていた。
多分、これは家族という絆とは違う。それでも、とてもそれに近いものだ。
不思議と口にするのが照れくさい気分になるのは、それゆえなのだろう。
ホリンは彼にしてはめずらしく人の悪い表情をレックスに向けた。
「さすがにレックスには聞かないな、これからどうするんだ、なんてな」
「・・・はは。なんかもう、みなさま公認でイザークに行かせていただきますってえとこだな」
それへレックスは少しふざけた様子で答える。別に誰に話して聞かせたわけでもないけれど、レックスがアイラと共にイザークに行くと言うことは既に周知の事実になっていた。どう考えてもシグルドとベオウルフくらいにしか話していない気がレックスはしていたけれど・・・。
「頼りにしてるぞ、ホリン」
「思ってもいないことを」
「なんでそう勘繰るんだ・・・本当だよ。俺だって、知らない土地で生活をすることが恐くないわけじゃあない。しかも、ランゴバルドの息子で、ダナンの弟だ」
「安心しろ。そして、アイラが選んだ男で、アイラの子供の父親で、シャナンもなついている男で、ランゴバルドを倒した英雄だ。問題ない」
「ないわけないだろ」
「アイラはとてもイザーク人気質が強い」
突然何をホリンが言い出したか、とレックスは口を曲げて黙った。
「アイラのものの考え方をわかっていれば、簡単なことだ。アイラはきっと、ティルテュのことも、お前のことも、憎いとは思わないだろう。たとえ知り合いではなくとも」
「・・・」
「お前がアイラを良く知ることが、イザークを知ることになるだろう」
「・・・ちぇー、なんだよ、お前の方がアイラのことを良く知っているような言い草だ。ま、もしかしたらそうなのかもしれないけどさ」
「妬いたか?」
「妬くね」
「ざまあみろ」
ホリンは彼にしては珍しい物言いでレックスに言った。
一時期はあまりに強力な恋敵としてお互いを意識していた二人ではあったが、もはやそのわだかまりはない。
あるのは、戦いを通しての信頼関係と、お互いがアイラを思う気持ちの深さを嫌というほど知ったがゆえの、友情、というには少し違うようなお互いへの好意だ。それらは、ホリンがイザークに先に行くということで、アイラを任せた、という気持ちをレックスに伝えていたし、それについて多くは聞かないレックスからは、アイラのサポートは自分がするから、シャナン達を頼む、という気持ちが伝わる。
同じ女を好きになった男は、今までの人生でも何人かいたけれど、こんな間柄に収まったのは初めてだな、とレックスは時々笑い出したくなってしまう。
「・・・イザーク人、気質、か」
レックスは首をかしげてそう呟いた。ホリンはその様子を何か言いたそうに見ている。
「レックス?」
「あ、いや・・・なんでもない」
ホリンはこの戦いの終わり方をどう思っているのだろう。レックスはそれを聞こうとして、やめた。
誰に何を聞いたところで、自分とアイラはどうもグランベル側の対応がすっきりしないと思っているし、とはいえ、この城にいる限りには非難する相手もいないし、本当のところ多くの真実が見えない。アイーダはあくまでも命令された職務に忠実なだけで、事の何もかもを把握しているというわけではない様子だし。
誰に聞いても自分達の気持ちが晴れることは多分ないだろうし、誰に何をレックスが言ったとしてもすべての人々を納得させることだって出来ないに決まっている。
真実は、バーハラにだけあるのだろう。

バーハラに行くことしか、神父様は今考えられないみたいでさっ

シルヴィアのその言葉がやたらとレックスの脳裏に響いた。
きっと、真実がバーハラにあるということをクロードも重々承知しているに違いない。
旅の終わりは、ここではない。終わるためにバーハラに行くのだな・・・そんなことをレックスは考えていた。


「アゼル、どうしたの、顔色が悪いわ。まだ体の調子、悪いの?」
部屋に入ろうとしたアゼルに声をかける人物がいた。エーディンだ。その後ろにはジャムカがいる。
「あ、ううん、大丈夫。そんなに顔色悪い?」
「ええ・・・無理しないでね、アゼル。それに、ここはあなたが住んでいた城なのだから、無理にバーハラに行かないで休んでいてもいいのよ?」
「そういうわけにはいかないよ。ティルテュと約束したんだ。ちゃんと全て見届けてくるって・・・それに義兄上にもお会いしたいしね」
そういって笑顔を無理矢理作ろうとしてアゼルは失敗をした。
エーディンのみならず、ジャムカが見てもわかるほどの、中途半端な表情。それは泣き笑いの表情に近いまま固まっている。
「どうしたんだ。本当に具合が悪いんじゃないのか」
「大丈夫。ちょっと慣れないことを考えていたら、気分が重くなってしまって」
「お義兄様のこと?」
ずばりと聞いてくるエーディンにアゼルは首を横にふった。
「それもあるけれど、色々と。自分がとんでもない間抜けで、臆病者だってことに気付いて、ちょっとがっくりきただけだよ。気にしてくれてありがとう。でも、大丈夫だから」
「そう・・・でも、アゼルは間抜けでも臆病者でもないわ。ティルテュのために、レプトール卿を説得に単身乗り込んだんですもの。何を煩っているかはわからないけれど、それだけは間違いないと思うの」
「ありがとう、エーディン。うん、大丈夫だよ」
アゼルは無理な笑顔を作ることをやめて、素直に疲れた表情のままでそう言った。
それから2,3言話してから部屋にと入る。
疲れた、と思った。これは、体の調子ではない、とアゼルは溜息をつく。これは、心の調子だ。
ぼすん、と靴を履いたままベッドの上に仰向けになる。
昨日から長い間ベッドの上にいることにアゼルは気付いた。
トールハンマーの驚異に晒された体の傷は癒えている。
時々、自分の体が自分の体ではないような感触を受けるが、それは一種の後遺症のようなものだと思う。
どちらかといえばトールハンマーを受ける前に負った、左肩の傷がぎりぎりと痛む。
クロードの言葉を聞くのはとても覚悟が必要だった。
あの穏やかな、物腰が柔らかい神父は、とても強い男性だった。それを見損なっていたと思える。
あの神父の脳には、ブラギ神からの神託が焼き付けられ、いつそれを思い出すのかという恐怖と共に生活を送っているのだろう。
自分の死期を知った瞬間に、神託を受けながらにして狂ってしまう人間もいるということをクロードはアゼルに告げた。
それすら耐えられる精神力をもった選ばれた人間が、神託を最後まで受けることが出来る。
そして、それを脳のどこかに片付けておくのだ、とわかりやすく説明をしてくれた。
神託を受けた後に覚えていることは限られたこと。
もっとも、彼が知りたいと思った、その願いに近いことだけを、その記憶巣から神託の言葉を引きずり出せる。
そうでなければ彼らエッダの子達は神託を受けても尚生きていることなぞ出来ない。
「神託を受けるってことは、人である領域を飛び出すということ」
アゼルは天井を見つめながら、クロードの言葉を繰り返した。
神の声を聞くということは、自らが一個人として生きていくことを捨てるということ。
時に真実はあまりにも愛しく、時には残酷なもの。
それらを全て受け止めるには、人間であることは足枷になる。
凄惨な言葉だと思う。
きっとクロードの頭の一部には、アゼルが知りたいことも何もかもがしまいこまれているのだろう。
大それた事を、聞く勇気はないのです。なぜならば、わたしこそが臆病な人間ですから。
クロードは儚げな笑顔をアゼルに向けて言った。
人は、大きな力を望むものだ、と神父は穏やかに告げる。
けれど、その力は、人であっては掌中に出来ないものなのだと。
ティルテュが一緒にいてくれて、助かったのだとクロードはアゼルに打ち明けてくれた。
彼女がブラギの塔の外でクロードを待っていてくれる。それがどれだけ心強かったことか。彼女のためにも自分が戻ってこなければいけない、というその気持ちが、自分を現世に繋ぎとめてくれたのだと。
そうでなければ、どうなっていたのかわたしにも自信がなかったのですよ・・・。
「真実を知るということは、狂いすらもたらすのか」
ブラギ神の声を聞くという、選ばれた者が行えるその儀式すら、更に選ばれた人間でなければ耐えられないのだろう。
少しだけそれはわかる気がした。
アゼル達魔導士は、分相応な魔法を唱えたとき、未熟であれば術者にその魔法が返ってくることがままある。
魔道士達が一番初めに出来るようにならなければいけないのは、自分の技量にあった魔法を選ぶこと、そしてそれ以上のものを無理矢理求めないための自制心を養うこと。
今でこそアゼルは炎の魔法はひととおり習得しているけれど、以前はエルファイアすらおぼつかなかった。
そんな彼がファラフレイムを無理矢理行使したら。
神器は聖痕を持つ人間にしか扱えない。それを無理矢理詠唱しようとすればどうなるのか。
魔道を少しでもかじったことがある人間ならば、その恐怖はすぐにわかる。恐ろしくて、冗談でもその魔道書に触れることは禁じられていた。
ことが魔法書ならばとてもわかりやすい。
炎の魔法を唱えて自らが未熟であれば、自らが炎に巻かれる。
では、杖を行使するプリースト達はどうなのだ、と聞いたことが過去にあった。
プリースト達は更なる戒めをもち、魔道士の何倍何十倍という見極めを必要とするという。
癒しの杖も、クロードが行使するリザーブのように高位のものになれば使用は難しい。未だその域に達しない者が振るえば、無差別な癒しの波動の発散が行われてしまい意味がないものとなる。
癒しの杖ならばまだ良い。
例えばサイレスの杖、例えばワープの杖。
それらの力が制御できなかったとき、術の対象になった人間はどうなるのか、想像したくない、とアゼルは思う。
それを思うと、クロードがもつバルキリーの杖を、もしも誰かが行使しようとしたら。
人の生き死にをつかさどることが出来る、それこそ彼が言っていた、人の領域を飛び出ることなのだ。
一体どうなってしまうのだろう・・・考えたくもない惨事が起こるのではないかと思える。
そして、それを使用することを許された人間として、神の声を聞くことが出来るあの男は。
想像を絶する精神力と集中力をもつ、類稀な人間だったに違いない。
選ばれてもなお、狂いの道を辿る人間がいるという。エッダの子達はきっと、誰もブラギの塔になぞ行きたくないのではないかとすらアゼルには思える。
それを乗り越えたクロードに、神の姿を垣間見てはいけないのだと思う。
神であれば人々はもっともっとと手を伸ばし、ねだってしまう。アルヴィスが無罪であると言ってくれ、とアゼルが求めたことは、そういうことだ。
クロードは人なのだ。
彼の頭の中に仕舞われた、全てを知るには忌まわしい現実・未来・ありとあらゆるブラギ神から受け止めた事柄を無理矢理引き出そうとすることは、彼に、人でなくなってくれと願うことと同じなのだとアゼルは彼なりに理解をした。
クロードからは、彼らに今まで提示された以上のことは、もう教えてもらえないのだ。
それ以上を求めることはもはや出来ない。
「僕達の戦いは終わったけれど、大陸の戦いは終わっていない、か」
アゼルは、なんだかこの終わり方がおかしい、不自然な気がする、とクロードに言おうとして黙ってしまった。
クロードが見据えている「終わり」は自分達が思っていた旅の終わりとは違うのだろう。
そうであれば彼にアゼルが今抱えている焦燥感を伝えてもきっとわかってはもらえないのではないだろうか。
「アイーダと話をした方がいいんだろうか・・・」
アイーダを、アルヴィスを知っているがゆえにアゼルは躊躇する。
アイーダはちょっとやそっとではへまをしないし、何よりも自分に比べて数段も弁が立つ女性だ。
どうしてレプトールをあんな形で葬ろうと無理強いをしていたのか、をアゼルは問いただしたかった。
レプトールもなんだかアイーダにもアルヴィスにも良くない激しい感情を抱いていた。それが一体何から来るものなのかアゼルは知りたいと思っていた。
とはいえ。
ここで下手にアイーダにそれを問いただし、アゼルが不審がっていることを気付かせていいのだろうか?
職務に忠実な彼女の牙城を崩すよりも、バーハラに行って直接アルヴィスに問いただした方が良いのではないか?
レックスに、相談しよう。
アゼルはそう思いついた。そのとき。
「おーい、アゼル、いるか?」
「・・・わあ!」
ノックと共にアゼルに呼びかけてきたその声は。
彼の親友のものだった。
そのあまりのタイミングのよさにアゼルは笑い出しながら起き上がるのだった。

ブリギッドはイチイバルをテーブルの上にかたん、と丁寧に置いた。
「これを、持って行って頂戴。この聖弓をもつ、ユングヴィの長女がアンドレイを討ったことと、ユングヴィ家を継ぐ覚悟があることを伝えて欲しい」
テーブルを挟んで反対側にはエーディンとジャムカが座っていた。先ほどアゼルに会ったのは、ブリギッドの部屋に行く途中でのことだった。
「長い間ユングヴィから離れていたあたしが直接アズムール王にお会いするのが筋なのだろうけど、そういうわけにもいかないからね。エーディン、あなたには面倒をかけて申し訳ないと思っている」
なんとか調子をとり戻したブリギッドはまっすぐ二人を見つめ、それから頭を下げた。
「いいえ、お姉さま。わたしの方こそ、わがままを言ってごめんなさい」
エーディンが言う「わがまま」は、ジャムカと共にヴェルダンに行く、ということだ。
わがままといいながらも、その覚悟が深いことをブリギッドは知っている。ジャムカは父王を、兄をも裏切った業を持つヴェルダンの王子だ。国民がどのような目で彼を見ているのか、ここにいる彼らは未だによくわからない。その地にあえてついていこうという気持ちは並々ならない決死の覚悟が必要だったに違いない。
もちろんエーディンにそれを聞けば、だって、わたしはこの人を愛していますから、と静かな答えが帰ってくる。
そういう女性だったし、だからこそジャムカも深く彼女を愛しているのだとブリギッドはわかっていた。
「でも、お姉さま。これはお姉さまがお持ちになってください」
「そういうわけにはいかないよ。あたしはまだここにいるし、エーディンは一度レスターを迎えに行くんだろう?それなら、アズムール王と謁見したあと、イチイバルはミデェールに預けて、先にユングヴィに戻ってもらった方がいい。あるべき場所にあることが望ましいんじゃないのかい」
「ユングヴィのもの、と考えればそうかもしれませんが・・・神器は、選ばれた人が持つべきものですもの。レヴィン王子がフォルセティを持ってここにいらっしゃるように・・・イチイバルも、お姉さまがもつことが、正しいのではないでしょうか。先にユングヴィに持って行ってしまっては、イチイバルも寂しがるに違いないですわ」
「・・・はは、イチイバルが寂しがる、か」
小さくブリギッドは笑った。
「俺も、それに賛成だな。それに、ブリギッドにはイチイバルが似合う。なあ?」
ジャムカは、ベッドの縁に腰掛けてその様子を見ていたデューに声をかけた。デューは少し照れたように
「おいらもそう思ったんだけど、けじめをつけたい、って言うから」
「けじめ、か・・・案外、固い人間だったんだなあ?ブリギッドは」
「そういうわけじゃあないよ。その方が、いいのかな、って思っただけさ。あたしはどうせまだ認識されていない人間だから、そんな人間がどうもイチイバルを持っているようだ、って曖昧にしているより、エーディンがこれを持って行って、これを使う人間が、エーディンの生き別れの姉がきちんといるって報告した方が安心するんじゃあないかって思って」
「それでも、ブリギッドがもっていたほうがいいよ」
とジャムカはイチイバルを見ながら言う。
「たとえこの先、弓を引くことがなくても、ブリギッドにしかこの弓は引けないわけだし。唯一引いてあげられる人間の側にいないなんて、エーディンが言うように、寂しいに決まっているさ」
たとえこの先弓を引くことがなくても。
それは、戦がこの先なくても、という意味なのだと誰もが思っていた。
もちろんその言葉を発したジャムカも、そういう意味で言葉にしたのだけれど。
まさかこの時点で、すぐにイチイバルを引くことになるとは予想も出来ないことだったし、そしていつの日か彼女が弓を手放すことになることなぞ、誰一人知ることはなかった。


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