祈りの狭間-5-

監視をされているような気がする。
アルヴィス卿に送り出されてきた騎馬兵達は、態度に威圧的なものはなかったし、シグルドに対しても完全に位が上のものに接する態度をとっている。
ヴェルトマー城近くまでお迎えにあがるべきだったのでしょうが、と申し訳なさそうに言うその表情に演技くささはない。
そこまでは悪くはなかった。
が、一旦彼らを交えて再びバーハラに向かい始め、共に動き始めるとわかる。
(・・・ま、護衛っちゃあ護衛だがな・・・)
ベオウルフはどうもおもしろくない。
同乗者であるホリンに声をかけようと思うが、すぐ近くに一騎若い兵士がついていて、あまりそういった会話が出来ないのが現状だ。
「・・・っとお、悪ぃ、ちょっと小用」
ベオウルフは突然馬を止めた。ホリンが怪訝そうに聞く。
「なんだ、さっき休憩所でしてこなかったのかい」
「すまんね。大将、先いっててくれ、すぐ追いつくから」
ラケシスが鋭い視線をベオウルフに向ける。それへ軽く片手をあげると、ぷい、とラケシスは顔をそむけた。
(信用がねえなあ、俺も)
彼女の視線は、「まさか逃げるつもりじゃないでしょうね?」という意味だ。
そこまで彼女の感情が読めるくせに、自分達はどうしていつまでたってもこうなんだろうな?とベオウルフは一人苦笑をする。
「気をつけて。すぐ戻って来てくれよ」
「あいよ、どうせ大きい方じゃねえからよ」
「んもーっ!ベオウルフ下品!」
と叫ぶのはシルヴィアだ。ラケシスははあーっと溜息をついてなんとも情けない表情を見せている。
こんな男の子供を産んだのか、とでも思っているのかもな、と勝手な想像をして、ベオウルフは左側の口端を歪めて笑った。
街道の隅っこに向けて馬を歩かせる。
ありがたいことに手入れも何もしていない野原が街道の西側に広がっていた。
「早く済ませろよ」
「はいはい」
馬から降りるベオウルフ。
その視線の隅に、一人の騎馬兵が少し遠くで彼らの様子を伺っているのが見えた。
大方、何があるかわかりませんから、わたしが待ちましょう、とでも言って残ったのだろう。
余計な世話だ。そう、余計すぎるほど。
けれど、それは世話、なんていうものではないのだろう。完全にそれは彼らの任務なのだ。
もちろん任務とは護衛ではなく・・・。
ベオウルフは左頬を軽くあげて顔を歪め、鼻の頭に軽く皺を寄せた。
どうにもならないほどに彼の勘に触ることがあったとき、そして、表情を変えるいくばくかの余裕を許されたときに、彼は時折こんな風に嫌悪をはっきりと表す。
(ふ・・・ん)
「ホリン、振り向くな・・・一騎、残って俺たちの様子を見ている」
「何?そこまでする必要もなかろうものを」
「どういうことだと思う?」
「・・・とりあえず用を足すか、足すフリでもしてくれ」
「話が早い」
ベオウルフは草むらにがしがしと入っていった。
一人になってようやくゆっくり考える時間が取れる・・・というほどゆっくりはさせてもらえないだろうが。
(まあ、バーハラまでお付き合いするしかねえだろうが・・・どうもな。あれは、胡散臭いな)
嫌な予感がする。
もしかしたら、あいつらは、とにかく俺たちを「確実に全員バーハラに」連れて行くことが目的なんじゃないか?
たとえばここで俺がイチ抜けた、ってことになったら。
そうしたら、何が起こるだろうか。
説得をするか?追いかけてくるか?新手の兵でも出してくるか?
ダメだ。冗談でもそれは今は出来ない。ホリンを乗せているし、何よりラケシスがきっとヒステリックになる。
それじゃあ、どうすればいい?俺は何を確認すればいい?
彼はぐるぐると思いつく限りの可能性と、それに対して思いつく限りに出来ることを考えた。
頭の中に描くイメージは、残念ながら悪いことばかりだ。
命を守って生きるためには、他者を疑うことが重要だと、彼のこれまでの人生は伝えてくれる。
もちろん、他者を信じることも、同じくらい重要なのだけれど。
うまい回答が見つからないまま馬の元に戻ろうと振り返ると、ベオウルフの馬の近くまで、待っていた騎馬兵が近寄って来ているのが見えた。
「おう、待たせたな」
「長いぞ。そんなに水でもがぶ飲みしてきたか」
「いんや、酒」
「あっはっは」
その受け答えにホリンは素直に笑った。
と、彼らのやり取りを聞いていた、若い騎馬兵が口を挟む。
「国の名誉のために、あまりお伝えしたくなかったのですが」
「ん?なんだ?」
「最近、この街道には盗賊が出るのです。首都近くでそういった不祥事が起きているのは非常に一国としては恥ずべき事態。出来るだけ伏せておきたかったのですが、正直に申し上げておいた方が良いと思いまして」
おやおや、先手を打たれたか、それとも本当なのか。
ベオウルフは軽く肩をすくめた。
「盗賊なんぞにやられるタマでもねえよ」
「そうとお見受けしましたが、申し訳ないことにこれがわたしの職務なのです。ご小用の際でもこうやって見える範囲で護衛に当たる無礼、お許しくださいませ」
「・・・あーあー、俺は堅苦しいことは嫌いなんだ。無礼だとかお許しだとか、どーでもいい」
降参だ、とベオウルフは両腕をあげてみせた。
そのポーズが何を表すものか、何に対する皮肉なのかをまったく気付かないようで、若い兵士は頬を紅潮させて頭を下げた。
「ご気分を害したこと、お詫び申し上げます」
「いいっていいって。別に誰に見られたって恥ずかしくねえよ」
「羞恥心が足りない男だな」
そういいながらホリンは笑った。
ちぇ、とベオウルフはわざと口を尖らせ、馬に乗り込む。
「さ、行くか」
「ああ、頼む」
ベオウルフはホリンに囁いた。
「・・・上手い言い訳まで持っていやがったな」
「どうだろうな。ただ、警戒は必要だな・・・彼らだろうが、その盗賊だろうが」
「違いない」
彼らだろうが、盗賊だろうが。
そして、彼らを派遣したアルヴィス卿だろうが。
まったく、兵士の躾と演技指導が行き渡っていることだ。だからグランベルの人間は嫌いなんだ。
ベオウルフは舌打ちをして、馬を走らせた。
バーハラまで、あとニ刻を切る頃だった。

ブリギッドは体を折り曲げて、苦しそうに吐いた。
まいった。これでは後を追ってきてください、と目印をつけているようなものではないか・・・。
それでも少し前に馬を手にいれた彼らは、思っていたよりはうまく逃げることが出来ていると思っていた。
またも時は遡るが、彼らはヴェルトマー城の見取り図を確認して、どうも不必要に壁が厚いと思われる場所をデューは丹念に調べた。
抜け道はよく地下道になっているから床を叩いて調べるのが定石だけれど、彼の天性の勘は見取り図上での不審箇所を簡単に指摘してくれた。
変わった細工がしてある隠し扉は、多分デューのようにそれ専用で調べる人間でなければ見つけられなかっただろう。彼はそう自負していたし、自分でもよくもまあ見つけられたと思う。
怪しい場所を見つけるだけでなく、その扉が開く仕組みを短時間で人通りがない間に理解出来たのは、運が良かった、としかいいようがない。誰の目にも止まらず武器をもってその場に行くことの方が彼らにとっては難しかったとすら思える。
それをクリア出来たことも、クロードに言わせれば神の加護なのだろうか?
隠し扉の内側から壁を閉めたときに腹をくくった。
内側からは開かない、一方通行の抜け道だとわかったからだ。
急がなければいけなかった。
アイーダにことが知れて、出口で待ち伏せされては為す術がなくなる。
その懸念が彼らを駆り立て、急ぎ足にさせた。
暗くてじめじめとした抜け道には灯りひとつなかったけれど、彼らは二人供夜目が効いたから問題はない。
それを考えると正直なところ、お互いが選んだ相手がお互いでよかった、と思える。
半刻歩いて、ようやく外に抜けられた。
デューには、覚えがある。
以前にフリージ軍に追われたことがある、ヴェルトマー城南東の森だ。
ここから南下して、砂漠方面に出るしかない。
最初は案外と彼らの足取りは軽かった。
が、さらに半刻過ぎた頃にブリギッドの容態が悪くなり、そして、その頃追っ手らしき兵士の姿をデューは確認をした。
森の中ならばまだしも、森を抜けてからでは身を隠す場所がない。
追っ手を見つけて、確信した。
自分達は、命を狙われていたのだ。
であればバーハラに向かったシグルド達は・・・!?
「ブリギッドさん、あれは、追っ手だ、よね?」
「・・・そうだね」
最初に見えたのは馬に乗った魔法戦士だ。アゼルの姿に見慣れていたけれど、アゼル以外のマージナイトは初めて見る。
「馬があると、逃げやすいかな」
「・・・頭いいことを言う。デューは乗れる?」
「ごめん、おいらは掴まるのが精一杯」
「じゃあ、あたしの後ろに乗ればいい。幼い頃に仕込まれたらしく、覚えている」
「へへ、そりゃ頼もしいや」
草原を走っていたブリギッドは足を止めた。
背後からは4騎が迫ってきていた。
ありがたい、と二人は多分同時に思ったことだろう。
アイーダの姿はない。
彼女が戦場に立って魔法を振るう姿こそは見ていないが、多分あの女性は強い魔力を持つ。彼女が来たらそれはかなりヤバイ、と二人の見解は一致していた。
ブリギッドは草原に立ちイチイバルを構える。そして、走ってくるマージナイトに狙いを定めた。
「遅い!」
しゅぱん、と音を立ててイチイバルが先頭の兵士を射抜く。
その兵士は丁度炎系の魔法を詠唱していた途中だったらしく、手から放たれた炎が赤く揺らめいたかと思うと周囲に散っていく姿が見えた。
ブリギッドはすぐさまもう一騎に狙いを定める。
美しい軌跡を描いて、彼女が放った矢はもう一騎に向かう。それが当たった当たらないの確認をする前に、他のマージナイトがエルファイアの詠唱を終え、ブリギッドに向けて放った。
「馬鹿だね」
アゼルが唱えるエルファイアほどの威力も、命中率もない。
走ってくる兵士を簡単に射ることが出来るブリギッドに、かわせないわけがない。
足元の草を黒く焦がす程度でエルファイアの炎は消滅をしてしまう。
「てい!」
デューが飛び出して、マージナイトに向かって走る。
詠唱を終えて無防備になったマージナイトに彼は切りかかった。
力はさほど強くないものの、馬からマージナイトを振り落とす程度の打撃は与えられる。
どさっと馬から落とされて草原にマージナイトは倒れた。そこに駆け寄ってブリギッドは拳でみぞおちに一発深いパンチを与えた。うう、と唸ってその場でマージナイトは気絶をする。
「デュー!左!」
そのとき、もう一騎が回り込んでデューにエルファイアを放った。
「うわ!」
「デュー!」
デューは炎に巻かれて、叫び声をあげた。高熱に包まれて、皮膚が赤く腫れる。
ブリギッドはイチイバルに矢を番える。
と、炎に巻かれたデューはそのまま馬に向かっていき、彼ご自慢の身軽さで飛び上がった。
「!」
人の体が切れる嫌な音がブリギッドの耳に飛び込んできた。
マージナイトも剣を扱う。その嫌な予感に彼女は蒼白になった。
「・・・ああっ・・・」
が、彼女の目に映ったのは。
マージナイトに切りかかったデューの体が、淡い光に−それはまるでエーディンがライブの杖を行使したときに見える癒しの光に似ていた−包まれる姿と、マージナイトが脇腹から血を流しながら倒れる姿だ。
「デュー!」
「へへ、ブリギッドさん」
着地してデューはすぐさまブリギッドを振り向いた。
「今は、おいらたちに神様は味方していてくれるみたいだよ」
彼の体の表面には先ほどのエルファイアによって与えられた傷はどこにも残ってはいなかった。
普段はおどけて、出来るだけ前線から離れたところで活躍をしているけれど、彼は秘技と呼ばれる太陽剣の使い手なのだ。
ブリギッドはほっと笑顔を見せた。それからデューはうろうろしている馬を一体捕まえてブリギッドの元へ戻ってくる。
「・・・うっ・・・」
が、最後にデューが切り伏せたマージナイトの脇腹から流れる血を見て、鉄分が混じったその匂いに気付いた瞬間、ブリギッドは口元を抑えてうずくまった。
「ブリギッドさん、大丈夫!?」
「・・・ごめん・・・」
「収まったら、急ごう。マージナイト以外の歩兵が後を追ってくるかもしんない」
「ああ・・・すまないね、デュー・・・」
吐き終えて体を起こそうとしたブリギッドに覆い被さるようにデューは笑顔を見せた。
「もうそれは言いっこなしだよ・・・おいら達の子供が、お腹の中にいるんだもん。申し訳ないなんて思わないで。おいらは、本当に嬉しいんだから・・・ブリギッドさん、一緒に、行こう」
「ああ。ありがとう、デュー」
つわりの苦しさからではなく、心苦しさと愛しさに、ブリギッドは目の端に涙を浮かべた。
愛されていると思うことは、なんて人を強くするのだろう?
そっとまだあまり大きくなっていない腹部に手をあててから、彼女は馬に乗った。

二手に分かれて探索をしていたアイーダのもとに報告が入った。
もう片方の探索部隊が例の二人を見つけたという。
マージナイト達が先行して追っているという話にアイーダは顔をしかめた。
「分散させたというのか。全力で、と言っただろうに」
あの女性は、イチイバルを持っている。
急いで捕獲しようと下手に兵力を分散させては良くない結果になるとアイーダはわかっていた。
「それが、あの二人は非常に素早くて、普通の歩兵では追いつけなくて・・・」
「実戦で鍛えつづけた人間は違うか・・・」
たとえ身ごもっていても。
当然アイーダはブリギッドがどういう境遇で生きてきたのか、なぞ詳しい情報は知らない。
グランベル側にブリギッドの情報が入ってきたのは、アンドレイ死亡の報告と共だった。それは、エーディンそっくりな女がイチバルを操っている、という情報だ。とりあえずわかったことは、多分生き別れになっていたらしい双子の姉にどこぞで巡り合ったのだということだけだった。
せめて、自分が率いていた探索隊が発見していれば、とアイーダは舌打ちをする。
もしもその様子をデューが見ていたら言うだろう。
神様のご加護やらがついてるらしいからね、と。

首都バーハラの城下町が見えたのは、もうすぐ夕方になるのでは、という時間だった。
城下町の姿を確認出来たと思ったら、またもそちらから一騎の馬が走ってくる姿が見える。
シグルド達のもとに派遣された護衛兵と同じ恰好をしているところからして、伝令の馬か何かだろう。
城下町近くの街道は、さすがに人が行き交う。みなシグルド達をみてひそひそと何か話していたけれど、誰一人と声をかけてくる者はなかった。まあ、もちろんシグルド達だって、声をかける必要はなかったから、特に気にした風もなかったけれど。
「しばし、ここでお待ちを」
一人の騎士がシグルドにそう告げて走って行く。
シグルドは仲間達をその場に停止させ、またも交通の邪魔にならないように街道の隅に行くように指示をする。
護衛兵としてついてきた残り3名はその前に出て、一般の街道を行き交う人々と彼らの間を妨げるようにして馬を並べた。
バーハラ側からやってきた兵士と二言三言言葉を交わしてから護衛兵の代表は戻ってきた。
「既に凱旋式の準備は整って、アルヴィス卿が首を長くしてお待ちとのことです。このまま城下町を突っ切って城までお急ぎください」
「おいおい、一休みくらいさせてくれないのかい」
と不平を漏らすのはレヴィンだ。
「申し訳ございません。病床のアズムール王がみなさまをお待ちかねで、我々としては一刻も早く謁見を終えて休んでいただきたいのです」
「陛下のことを考えれば仕方がない。それが終われば、我らも休ませてもらえるのだろうね?」
「はい。ヴェルトマー城はすべて用意が整っているとのことです」
「みんな、もう一息だ。頑張ってくれ」
シグルドがみなに声をかける。
さすがに朝からぶっ通しで走っているため、みなの疲れはピークに達していたし、馬の体力もさすがに持たない。
通常ならば馬を乗り換えてもいい強行軍だ。
なんとかまだあまり衰えを見せずに走れるのは、シレジアで毎日遠乗りを欠かさなかったベオウルフの馬くらいだろう。
「みな疲れている。申し訳ないが、城内ぎりぎりまでは全員馬に乗ったままで良いかな」
そのシグルドの申し出に、一瞬護衛兵の代表はどう返事をしてよいか、という表情になる。
が、しばらくして
「はい。良いかと。陛下の御前で降りていただければ・・・」
「ありがとう。そうだと助かるよ・・・みんな、疲れていると思うが、もう一息、頑張ってくれ」
「はい」
「あいよ」
「おう」
「はーい」
それぞれの声が聞こえる。シグルドはそれへは微笑を見せて答えた。
「急がないと本当に夕方になって、空が暗くなるな」
アイラは空を見上げてそう言った。
「そうだね。なに、ここまで来ればすぐだよ」
「そうか・・・少し緊張してきた」
「わたしもだ・・・レックスの馬に、乗るかい?」
そのシグルドの申し出に、驚いたようにアイラは振りかえって彼を見た。
「何故?」
「いや、安心するかと思って」
ああ、そういうことか、とようやくアイラは理解したらしく、彼女にしてはめずらしい優しい笑顔をシグルドに向けた。
女性らしい、というと、じゃあいつもはどうなんだ、と怒られそうだけれど、言葉にするならばとてもそれがしっくりくるようなたおやかな笑顔をアイラは見せている。
「公子、余計な気を使わなくても良い。そこまで近くにいなくても、こんなに側にレックスはいるのだから」
多分その笑顔は、幸せな女性だけがふとした時に見せるものなのではないだろうか。
シグルドはそんな風に思いながら、しばしの間アイラをじっと見ていた。
彼女は「一体どうした?」とすぐに怪訝そうな顔になり、それと共にシグルドも我に返る。
「・・・失言だったよ」
「?・・・そうか?」
確かにそうだ、とシグルドは思った。今もしもディアドラがいたら。
自分の前に彼女が乗っていなくとも、視界の中に彼女がいれば、それはなんという幸せだろうか。
離れ離れになって一人で出産をしてきたアイラにすれば、それと同じような気持ちになってもおかしくはない。
ただ、そこに愛しい人がいてくれれば、と。
それが人をとても強くするのだということを、セリスとオイフェを共にイザークに向かわせてから、なんだか弱気になっている自分が一番よくわかっているはずなのに。
シグルドはまいったな、と小さく溜息をついた。

その頃、フィンはレンスターを離れ、イード砂漠南付近を走っていた。
キュアンがランスリッターを率いてシグルド達と合流するために国を出て行ったのは良いが、戻ってくるはずのエスリンとアルテナは待てど暮らせど帰ってこない。
挙句に、レンスターの空を横切ってトラキアの竜騎士がほんの2、3騎国へと戻っていく姿を数日前に見ている。
留守を任せた、とキュアンに言われたものの、フィンは実質的にはまだ見習い騎士で、国に残る兵士の指揮をするわけではない。
あまり多くの兵が動いてはトラキアを刺激する、ということで、フィンは単身イード砂漠方面に向かった。シグルド軍と面識があるから、というのも彼が選ばれたひとつの理由だ。
先行してレンスターから出ているはずの伝令兵からは、砂漠の南で騎馬兵が竜騎士に襲われたらしい、という噂だけが報告されていた。事の真偽は誰も知らないらしい。が、その伝令兵は、それがランスリッターではないのか、と懸念している。そしてそれを聞いたフィンも確かにそう感じた。
いくらなんだってアルテナを連れたままエスリンが戻ってこないというのはあり得ない。
アルテナを連れての行軍は余計に負担をかけるだけだということは誰もが理解出来ることだ。
それを踏まえてか、フィンが国を出るときにキュアンの父王はフィンに覚悟を漏らした。
もしかすると。
「・・・キュアン様・・・っ」
父王は、キュアンもエスリンももしかすると既にこの世にはないのではないかと。
もし万が一そういう事態になったとしたらゲイボルグだけは回収をしなければいけない。
たとえアルテナまでが巻き込まれてしまったとしても。
そして、たとえゲイボルグを扱えないとしても、彼らにはキュアンの息子リーフがいて、リーフがいる限り槍騎士ノヴァの血は途絶えないのだから、と。
フィンは、砂漠とヴェルトマー城の間の検問付近で、ヴェルトマー城側から出てきたキャラバンに声をかけた。
話を聞くと、1,2日前にフリージ軍とシグルド軍が激突してフリージ軍が敗北。そののち、何がどうなったのかはわからないがシグルド軍はヴェルトマー城に迎えられたとのことだった。
そこから先はわからない、と商人達はみな首をふる。
エスリンと思える女騎士がいないかと問いただしたが、戦の間はずっと城下町で隠れていたためにわからない、と曖昧な答えが返ってきただけだ。
金を握らせてもその程度の情報しか手にはいらずにフィンは途方にくれていた。
とはいえ、事の真相を確かめるためにグランベル側の検問を越えてヴェルトマー方面に行くのはあまりいいことだとは思えない。
検問は手薄で、ほんの数人の兵士だけが人の流れをチェックするぐらいの杜撰なものだった。これといった設備があるわけではなく、ただ門があり、不審人物がいればそれを閉じる。それだけのどうということがないものだ。
フィンは知らなかったが、ヴェルトマー城の限られた兵力でアイーダが全てのことを為すのは大変な労力が必要であり、南の検問については手薄にせざるを得なかったのだ。
レンスターの騎士である身分を隠して通れるだろうか?とフィンが悩んでいたそのとき。
ヴェルトマー側から叫び声が聞こえた。
「こらあっ!止まれ!止まらないと・・・」
人々の叫び声。
それから馬のひづめの音。それは、たった一騎の音だというのに、どどどど、と物凄い勢いで馬が走っていることを人々に告げた。
慌てふためいて人々は道の端っこに寄って、その轟音を立てていた馬が通っていくのを待つばかりだ。
「デュー!手綱を!」
「おっ、おいらどうしていいかわかんないよ!」
「いい、すぐ終わる!」
それは、デューとブリギッドがファイアマージから奪った馬だった。荒れ狂ったように検問に突入していく様は、誰もが遠巻きにするしかなく、とてもでないが手を出せるような状態ではない。
フィンは未だに何の騒ぎがヴェルトマー側で起こっているのか、と砂漠側で様子を伺うだけだ。
それから、検問に立ちふさがって門を閉めようとしていた兵士に向けて、ブリギッドはイチイバルではなく鉄の弓から矢を放った。
「うわあああーーー!!」
情けない声をあげて二人の兵士はその場で尻餅をつく。
彼らの頬をかすめて矢は通り抜けていった。それは、外れた矢ではない。かすめるように狙われた矢だ。
「次はぶちぬくよ!」
ブリギッドの声に彼らは怯え、おたおたと尻餅をつきながら左右に逃げ惑った。命を奪うつもりはないが、それ以上立ちふさがるならば、という彼女の牽制は思いのほかよく効いた。あんな勢いの馬に突っ込まれては、一流の剣士ですら戸惑うに違いない。
デューから手綱を受け取ったブリギッドは、そのまま砂漠側まで馬で突っ切った。
後ろに追っ手がいないことはわかっている。
途中まで追いすがってきた魔道士からメティオを一発もらったけれど、そんなものはたかだか知れている傷だ。
「・・・デュー!ブリギッド様!」
「・・・っ!!」
そのままの勢いで走っている二人に声をかける人間がいた。−青い髪の若い騎士−もちろんフィンだ。
聡い彼は、なんだか大事になっていると気付いた瞬間、下手な呼び止めはせずに彼らと同じ方向に馬を走らせて歩調を合わせながら声をかけることを選んだ。
きっと、並々ならぬ事情があってこんなむちゃくちゃなことをしているのだ・・・それくらいは見ればわかる。
突然騎馬兵が現れたか、とぎょっとデューは目を凝らして相手を見た。ブリギッドも一瞬視線をやったけれど、相手のおおよその形しか認識が出来ない。それほどまでに彼女は馬を走らせることにもはや夢中だった。
「フィンじゃないかーっ!」
ブリギッドより先にフィンの姿を認めてデューは叫ぶ。
「一体、どうしたんだっ!」
二人乗りの馬だというのに、ブリギッドの無理な制御のせいか、フィンの馬ですら追いつくのがやっとというほどの荒れた走りを見せていた。
なんとか横につけて声をかけると、やはり視線をフィンに送ることなく前方を見据えたままでブリギッドが叫ぶ。
追っ手はいない。それでも安心は出来ない。
少しでも遠くに逃げて安全なところにいかなければ・・・それがブリギッド達の願いだった。
「話は後だ!あたし達はグランベル兵に追われている!フィンはどうした!」
「わたしはキュアン様達の消息をたどって・・・」
フィンの言葉はそれ以上は続かなかった。
心のどこかで期待をしていたのかもしれない。ああ、キュアン達はバーハラに向かったよ、とか、キュアン達はフィノーラ城にいるよ、とか、内容はどうだってよかった。彼らが生きて、何かをしていることだけがわかれば。
言葉を途中で切ることによって、デュー達からの言葉をフィンは求めていたのだ。
「・・・フィン、キュアンは・・・キュアン様たちは・・・っ・・・」
それについてはブリギッドは無言だ。デューが代わりに答えようとする。そして、失敗をした。
言葉にならなくなり、ブリギッドに掴まったままでデューは涙をこぼした。
「・・・」
フィンはまばたきを忘れたようにその様を見て、それ以上の言葉はなくただただブリギッドが操る馬の速度に合わせることに集中をするふりをした。
砂煙。馬のひづめの音。
先ほどまでかすかに聞こえていた人の声はとっくの昔に消え、彼らはただひたすらに馬を走らせるだけだ。
キュアン様たちは。
言葉にならないから、尚のことわかる。
フィンの両眼に、熱い涙が込み上げてきた。覚悟はしていた。レンスターを出るときには既に。それでも。
そうか・・・。
もう、キュアン様も、エスリン様も、この世にはいないのだ。
その絶望を突きつけられて、若い見習騎士は泣きながらただただ馬を走らせる。
聞きたいことはたくさんあった。一体何が起きたのか。誰が彼らの命を奪ったのか。どういう最期を遂げたのか。
けれども今はそれを聞く暇はなかったし、そして、何より聞いたとしてもキュアン達は戻ってはこないのだ。
その事実がフィンの胸をわしづかみにし、心を揺さぶって離さない。
ぐるぐると記憶に残るキュアンの姿、エスリンの姿が彼の脳裏に浮かんでくる。
どれだけ涙を流してもフィンにはそれが止まるようには思えなかった。
何故神は無慈悲なのだ?自分が何故ここに生き残っているのだ?
彼らのためならば命すら惜しくないと、そう思っていたのに!
「フィン・・」
馬のひづめの音にかき消されながらも、デューが不安そうにフィンの名を呟くのをブリギッドは聞きつけた。
「いいんだよ、デュー」
「ブリギッドさん・・・」
「主のために泣くのは、恥ずかしいことじゃない。だから、いいんだ。あの涙をこらえたって、誰も誉めてはくれないよ」

ようやく彼らが落ち着いて話が出来るようになったのは、レンスター領の手前だった。
フィンが途中で合流した伝令係が身を潜めていた小さな炭焼き小屋に彼らは身を寄せた。
伝令係は仕事で出ているらしく誰もいいなかった。が、別段小屋を使ってはいけない、というわけでもないから、とフィンはデュー達を招きいれた。
小さな小屋は窓がたった一つだけあってベッドもひとつ、あとは暖炉の前に敷布があるだけで椅子やテーブルすらない。完全に人一人が休むためだけのどうということがない小屋だ。
空はもう夕方近くになっており、雲が心持薄暗くなっている。
ブリギッドは頭痛を訴えて少しの間固いベッドの上で横になることにした。
心配して薬を差し出すフィンに彼女の頭痛の理由を告げると、とても疲れた顔ではあるが、フィンはおめでとう、と祝いの言葉をデューに述べた。
フィンが彼らに提供を出来る情報は何ひとつなかったけれど、デューが彼に提供する情報は山ほどあった。
これまでのシグルド軍のことと、砂漠で散ったランスリッターの情報。そして、何故自分達が逃げてきたのか。
どれもかいつまんだ話ではあったが、横になったブリギッドが仮眠をとれるほどの長い話になった。なんといってもフィンはシレジアで別れたきりで、風の便りでしかシレジア内乱のことを聞いてはいないくらいだったのだから。
デューの話を聞いて、フィンは見る見る青ざめていた。
想像していた以上に異常な展開だ。
これは自分一人の力でどうにかなるものじゃあない。
「・・・では・・・あの竜騎士達がキュアン様達を」
「多分ね・・・数人はおいら達に向かってきたんだけど、別れて戻ったやつらがいたっておかしくないもんね。でもまあ、おいら達も人づてで聞いたからはっきりとは・・・」
「・・・くそっ・・・」
「グランベルとトラキアが手を組んでいた様子なんだ。それについても問いただしてくるってシグルド様は言ってたけど・・・」
けれど、バーハラでは何が起きているのだろうか?多分今ごろ彼らはバーハラに到着しているはずだ。
デュー達はクロードの真意はわからないし、実際に何故ヴェルトマー兵に追われているのかもよくわからない。
なんとなく想像出来るのは、クロードは彼らを生き延びさせるきっかけをくれたということと、バーハラにいったシグルド達にも危険が迫っているということだ。けれど、今の彼らにはそれをどうにかする力はない。
そのとき、仮眠をとっていたブリギッドがぴくりと体を動かした。うっすら、ではなく何かに弾かれたように彼女は瞳をくわっと開け、体を起こす。
「ブリギッドさん?まだ寝てていいよ」
「・・・デュー」
「なんだい?」
「空が」
「空?」
ブリギッドの言葉を聞いてフィンとデューは窓から外を見た。
「・・・」
フィンは慌てて小屋から出て、西の空を見つめる。
遠い遠い空で異変が起きていた。
ぽっかりと空の一部に、黒い空間が出来ている。
「あそこだけ、夜になっている」
続いて二人も小屋から出て、フィンが見つめている方角へ視線を走らせた。
「あ・・・あ・・・あれはっ・・・」
それが、バーハラの方角だということは、3人はお互いに口に出さなかったけれどわかっていた。
こんなにくっきりと夕方の遠い地の空からでもその違いがわかるなんて。
あれは、魔法の力で引き寄せられた炎をまとった隕石が空から降ってくる前触れだ。
ほんの二日前に見たばかりの空の様子にデューとブリギッドは青ざめる。
「まさか・・・あれは・・・」
いくらなんだって本当ならばこんなに遠くからはっきりと目に見えるはずはないのだ。それがわかるということは。
ブリギッドは歯軋りをした。
今まで彼らが見たことがない数の隕石が、空から降り注ぐ様がはっきりと見えた。
あれは、メティオの魔法だ。それも一人や二人の詠唱ではない。複数人が一気に詠唱を行ったとしか思えないほどぽっかりと黒い蓋が空に現れ、その蓋を閉める代わりに隕石を落としているように見える。
こんなにも遠い場所からそれが肉眼で見えるなんて。
「・・・いやあああーーーーっ!」
「ブリギッドさん!」
突然ブリギッドが耐えかねたように叫んだ。それまで気丈に主導権を握ってここまで来た彼女の緊張は、もはや持続はしなかったのだろう。
「エーディンっ・・・・エーディンがっ!みんながっ・・・」
「ブリギッドさん!まだ・・・まだ、そうと決まってないよ、大丈夫だよ!」
フィンは呆然と立ち尽くしてその恐ろしい空の光景を見つめる。
泣きながら叫びだしたブリギッドをデューは抑えようと必死だ。
「何故だ・・・」
あまりにもそれは凄惨な、恐怖を伴う空の有様だった。
メティオを知らない人間だろうが知っている人間だろうが、誰がその様子を見ても怯え、もしかして自分が次はあの恐ろしい隕石の犠牲になるのでは、と夢にまで見てしまうのではないかと思える。
まるでその様子は地上にいる者が空からの裁きを受けているようにフィンには見えた。
何故、彼らが裁かれるのだ・・・一体何が起こっているのだ・・・フィンは怒りで体が震える。まだ取り乱しているブリギッドはデューにしがみついて嗚咽を漏らしている。気がつくと、先ほどもう出し尽くしたと思っていた涙がフィンの両頬を伝って流れ落ちていた。
こんな深い憤りを人は感じることが出来るのだと初めて知った。
言葉でも叫びでもない何かが喉の奥までせりあがってきて、そして呼吸が苦しい。
感情の揺れ動きのせいで胸が苦しく、歪んだ顔はそのまま硬直してしまっていた。
「くうっ・・・」
なんという非力なわたしたち。
ブリギッドを抑えて抱きしめているデューも、もはや自分をこれ以上騙すことは出来ずに涙を溢れさせていた。
きっと誰に違うといわれたって信じられないだろう。
あのメティオが降り注ぐ地上には・・・。
その日、バーハラは運命の時を迎えた。



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モドル