祈りの狭間-6-

ブリギッド達がフィンと合流をして馬を走らせている頃、シグルド達は彼らを迎えに出た騎馬兵のペースに合わせて、グランベル首都に聳え立つ荘厳な美しいその城の門前にたどり着いた。
今、到着の報告を行うので、ここで待つように、と言われて彼らは大人しくここまで共に来た護衛兵と城門前に待機をしていた。
バーハラ城は城門から実際城の入口までの距離は長く、通常王族や貴族はその間を馬なり馬車なりで行き来をするものだった。城下町の人間でも時折城に赴く用件がある。が、そのときは用事を足すための兵士詰め所、官僚詰め所がその間にも設けてあって簡単な用事であれば問題なくそこで行える。逆にあまりかしこまって城に出向く必要がないため、城下町の人々は気楽で評判はそう悪くはなかった。
それだけでは王族と民衆との間に隔たりが出来るのではないかということを配慮して、時折護衛兵に守られながら官僚やら王族やらが城下町に現れる、という慣習もわずかに残っていた。
城門から城までの距離が、そのまま王族と民衆との距離にしてしまわないような政治を若き日のアズムール王は理想として掲げていた。そして、それは息子クルト王子にも引き継がれると思われていたものだが。
バーハラ城下町、バーハラ城門、そしてバーハラ城。これがこの都市を作り上げている要素だった。
バーハラ城周りの石壁は高く、そして城門を入ってもさらに続く広い空間ともう一重ぐるりとはられた壁。
外の石壁に比べればかなり装飾をほどこした円柱を支えにしてあり、要塞としての機能よりも建築美としての機能を発揮するその壁は、手入れが行き届いていて破損もほとんど見られない。
それはこの大国グランベルが外敵からの侵略に怯えずにこれまで済んでいたことの証だ。
バーハラ城は小高く人工的に盛った土台の上に建っており、建設当初より戦を想定したつくりになっていたことが伺える。
あまりの懐かしい光景にシグルドはしばし門を見つめていた。ああ、そうだ、バーハラはこんな場所だった・・・。
以前は父と共にこの門をしばしばくぐったものだと思い出すだけで胸が熱くなる。
エスリンの結婚が決まったときには、アズムール王が直々に声をかけてきて、親子共々この城に出頭したものだった。
レンスターとグランベルの橋渡しとして心して嫁ぐように、と堅いことを言いながらも、王からエスリンが嫁入り道具に是非とグランベル風のドレスを頂いたことは今でも覚えている。当のエスリンよりも父バイロンの方が恐縮していて、まるで父上が嫁に行くようですわね、と王の御前ですら彼女は笑ってみせていた。
今は、もはやその父も妹もこの世にはいない。
それを再び思い出して、シグルドは深い溜息をもらした。
「公子?」
「あ、いや、すまない」
アイラに声をかけられてシグルドははっとなる。
「中に入ったら馬から降りた方がいいのだろうか?」
その問いは、城門をくぐった後に距離がどれほどあるかわかっていない人間からすれば最もな言葉だった。
通常の城であれば、城門をくぐればそんなに建物までの距離はない。よって、馬から降りるのが普通だろう。
「いや、そのままで構わないと思うが。城門を抜けても城までの距離があるんだよ・・・ああ、でも一応降りた方がいいのかな?城門を入った広場で凱旋式が行われるのだろうか・・・?」
それには護衛兵が答えた。
「はい、城に行く手前で凱旋式が行われることになっております。ですので、相乗りをしているのはあまりよろしくないかと」
「じゃあ、俺たちだけ降りるとしよう」
そういいながらジャムカはレックスの馬からよいしょ、と降りる。シグルドは先に下りてアイラに手を貸してやった。他の歩兵達も朝からの同乗者に礼をいいながら降りる。
そのとき、まるでそれとタイミングをはかったように城門がぎぎい、と音をたてて彼らの目の前で開いた。
城門から城の入口までの長い距離には、凱旋式ということでグランベル兵が立ち並んでいる。
騎士団の正装−美しい白銀色の甲冑にグランベルの紋章がはいった赤いマントがそれだったのだが−に身を包んだ兵士の姿は圧巻だ。整列したその姿は美しい、と素直に思える。
「む?」
ふと気付くとところどころに魔道士が紛れて立っており、3、4割はいるように見えた。魔道士達は甲冑を身につけていないけれどマントと同じ色のローブを身に纏っている。
それに気付いてシグルドは怪訝そうな表情を浮かべた。
こんなに魔道士を多くバーハラに置いていたっけ?
それはアルヴィスの力がそれほどバーハラで大きくなっている、ということを物語るものだったけれど・・・。
騎士の列は、次にバーハラ城を囲む壁まで続いていた。その壁の手前に兵士が横一列に並んでいるのが見える。
その人波のさらに奥にバーハラ城がある。こうやってみるとしみじみ城門から建物までが遠いのだな、と実感させられた。
「さあ、前にお進み下さい。アルヴィス様がお待ちかねでございます」
門を開けた兵士がうやうやしくシグルドに頭を下げた。
「・・・ああ」
「なんだ、ものものしいな」
ち、とベオウルフが舌打ちをする音が聞こえる。それへ困ったようにエーディンが苦笑を浮かべて見上げながら答えた。
「凱旋式とは、大抵こういうものですもの」
「勘に触る」
そのベオウルフの言い分ももっともだな、とレックスは思った。勘に触る、気に入らない、言葉はいくつかあるだろうけれど、総じて言えばとにかく胡散臭さを感じずにはいられない。ベオウルフはそう言いたいのだろう。
(人の「気」ってもんだな・・・)
何にケチをつけてベオウルフがそういうのか、と思えば、多分それだ、とレックスは思う。
人がこれだけ集まっていれば、たとえどんなに行き届いた指導が行われている軍でも感情を相手にいくらかは伝えるに違いない。甲冑の下で表情を強張らせて無言で立っていれば、人が人でなくなるというわけではない。
前線に長いこと身をおいていた彼らは、人一倍そういった「人がそこにいる」という感覚に対して敏感だ。
ここに立ち並ぶ兵士達は、誰もシグルド達に関心をもっておらず、彼らに対して「よくぞ戻って来てくれた」だとか「グランベルの病巣を倒してくれてありがとう」だとか、そういう大きな感情の揺れをこれっぽっちも秘めていないように思える。本当のところはわからなかったけれど、要するに「拒絶をされているかはわからないが、歓迎されているとは感じ取れない」空気をベオウルフは確実に察知していたに違いない。
(まあ、確かにグランベル側からすりゃあ非がありまくりだったからなあ・・・簡単に手のひら変えられるわけもないっていうことなのかな)
きっとその雰囲気を感じ取っているのは自分とベオウルフだけではない、と思う。
シグルドを先頭として一同は進みだした。お互いの顔色を伺っている暇は与えられない。
彼らが向かっている城前には兵士達に囲まれて一人の男−アルヴィス卿−が立っていた。
精悍な顔つきに、特徴がある波打つ豊かな赤毛。一目でヴェルトマーの者だとわかる風貌だ。
「義兄上・・・」
アゼルが控えめにその名を呼ぶのと、アルヴィスが口を開くのはほとんど同時だった。
「シグルド殿、ご苦労であったな。晴れての凱旋、めでたいことだ」
アルヴィスはシグルドしか目もくれず話し出す。
シグルドは馬から降りて一礼をした。
「これはアルヴィス卿、わざわざお迎えいただきおそれいります・・・ところで、陛下はどちらにいらっしゃるのでしょうか?陛下にお会いできるよう、話を聞いていたのですが」
「陛下のご病気は非常に重くてな・・・もはや身を起こすこともかなわぬのだよ。よって、今では私が政務のすべてを代行している」
「・・・そうだったのですか。私のことでも、陛下にはずいぶんご心痛をおかけしたと思っております・・・ところで、陛下との謁見の場を設けていただけるという話だったのですが・・・我らの軍にいる、各国の・・・」
それは代わりにアルヴィス卿が行ってくれるのでしょうか?とシグルドは問いかけようとした。
が、それに対してアルヴィスはシグルドの言葉を途中で遮る。
「・・・それにはおよばぬよ」
「・・・アルヴィス卿?」
シグルドは怪訝そうな瞳をアルヴィスに向けた。
彼のみならず、シグルド軍全員がその言葉に一瞬ぴくりと反応をする。
あまりにも話が違う、と思えた。アズムール王との謁見を設けるという話で、そして王の容態を慮ってこの夕刻近い時間に合わせて無理矢理駆けつけたというのに、王はいない、謁見には及ばない・・・その話の噛み合わなさに、誰もが不信感を抱いたその瞬間、アルヴィスの口から信じられない言葉が発せられた。
「貴公には反逆者としてここで死んでもらうことになるからな」
「・・・アルヴィス卿・・・一体それは・・・」
「今頃気付くとは本当に貴公も甘いな。貴公が父親のバイロン卿と共謀して王家の簒奪を謀ったことは周知の事実だ。そう、貴公が反逆者であることにいまさら覆らないのだよ。そして、私は王女ディアドラの夫として、貴公を討伐せねばならぬ」
「どういうことだ!」
「アルヴィス卿!」
がやがやと一同の声があがる中、シグルドは叫んだ。
「王女ディアドラ!?それはっ・・・」
「ふふ、貴公はまだ知らなかったな。冥土の土産だ、わが妻を紹介しておこう。ディアドラ、来なさい」
アルヴィスがそう言いやると、アルヴィスの後ろに控えていた兵士の壁の裏から、二人の兵士に付き添われて一人の女性が現れた。
薄紫の豊かな髪、長い睫に縁取られた美しい瞳。
それは、まぎれもなく、シグルドが一生守り通そうと心の中で誓った愛しい女性の姿だった。
アルヴィスは彼女に近寄って少し屈むと、彼女の耳元に囁いた。
「ディアドラ、この男が君の父上を殺したバイロン卿の息子シグルドだ」
「この方が・・・シグルド・・・さま・・・」
「ディアドラ!?・・・まさか・・・」
「・・・なぜそのように・・・わたしを」
彼女の声は切れ切れだったけれど、それはシグルドの鼓膜が、脳が覚えている愛しい声に他ならなかった。くるおしい激情がシグルドの体に走る。彼女は、何故、アルヴィスの妻に?王女?
ディアドラは眉間に皺を軽くよせて、苦しそうにシグルドを見るばかりで、それ以上の言葉も、再会の喜びを表す表情すらそこには生まれない。
何故わたしを赤の他人のように見る?わたしのことがわからないのだろうか?シグルドは声を荒げた。
「ディアドラ、そうだね!君なんだね!」
「あなたは・・・わたしをご存知なのですか・・・?」
「君は私のっ・・・」
その時、アルヴィスの非情な言葉が、再会を果たした二人を簡単に引き離した。
「もういい、ディアドラ、下がっていなさい。この男は危険だ・・・反逆者として処罰しなければならないのだよ」
「でも・・・この方は・・・。お願い、アルヴィス様、もう少しお話を・・・」
「駄目だ。姫を安全な場所へ連れて行け!」
「待って!・・・もう少しだけ・・・」
ディアドラは無理矢理腕を引かれてアルヴィスの後ろに隠されてしまう。彼女のか細い声が僅かにまだ聞こえていたけれど、姿は兵士達にまぎれてすぐに見えなくなってしまった。
その一幕を見ていたアイラは、腰にした剣に手をかけ、今にも走り出してアルヴィスに飛び掛らん勢いで、全身から怒気を発している様子だった。
なんとかそれを抑えたのは、隣に立っていたホリンが制止したからだ。
「アイラ、それどころじゃない、わかっているだろう・・・」
「・・・ああ。わかっている」
彼等は完全にことを把握していた。罠。謀。言葉はなんだっていい。確かなことは、ここは彼等を葬り去るためにに用意されていた場所だということだ。城門内で、かつ、城ではない場所。何が起こっているのか、人々がわかることがないその場所をアルヴィスは選んだのだろう。
「戦力が違いすぎるな・・・」
「それでも、やらねばならぬのだろう」
アイラは舌打ちをした。
「・・・これが、グランベルのやり方か」
正直なところ、ディアドラのことに関して心が乱れているのはもはやシグルドのみだった。
彼らが何の意味ももたらすことがない会話をしている間、シグルド軍を囲む兵士達はいつでも命令を、という状態で彼らの獲物に集中をしていたし、シグルド軍の面々も事の次第を少しずつ理解して、自分達の保身について精一杯の知恵を頭の中でめぐらせていた。
「・・・これが、現実かよ・・・」
そのレックスのうめき声でしばしの間呆然としていたアゼルが我に返る。
「・・・義兄上・・・っ!あなたはっ・・・」
これが、現実なのか。
ヴェルトマー城でクロードに問い掛けた、義兄は無罪なのか、というアゼルの言葉に対する答えがこれなのか。
もう一度アゼルが叫ぶ。そして、シグルドも。
「・・・義兄上!!」
「待て!ディアドラ!!アルヴィス、頼む!あの人は私の・・・」
「もういい、何も言うな!」
アルヴィスはそう叫ぶと、後ろに立ち並んでいた兵士に合図をした。
それと共にそれまで彼の背後を守っていた兵士達が前進をして、アルヴィスとシグルドの間に壁を作る。
シグルドは慌てて馬に乗り込み、手綱を軽く引いて数歩後退をした。兵士達から発せられる威圧感は本物だ。殺気すら感じる。
アルヴィスは立ち並ぶ兵士達に命令を出した。
「よし、全軍に告ぐ。反逆者シグルドとその一党を捕らえよ・・・いや、生かしておく必要はない。その場で処刑するのだ!」

シグルドは一瞬ディアドラのことで頭がいっぱいになっていた。
ただひたすらに生存だけを信じていた愛しい妻がすぐそこにいるのに。
視線があった瞬間に思い出すのは、初めて会ったときに感じた運命に似た何かだった。
長い時を経て、また自分達は出会ったのに・・・。
アルヴィス卿の妻だって?そして、あの男はなんといった?王女?ディアドラが?
まるで答えのない問いが頭の中を永遠に支配するように、シグルドはえもいわれぬ理不尽さに衝撃を受けてしばし呼吸すら止めて制止してしまう。
「公子!」
そんな彼を現実に引き戻したのは、レヴィンの尖った叫び声だった。
まだ何人かは呆然と−とりわけグランベル縁のものがそうなるのも無理はない−事を飲み込めていない様子で、シグルドのように動きを止め、ある者は辺りを呑気に見回していたりしていた。が、レヴィンのその声でみな、何が起こっているのかを無理矢理飲み込まされた様子だ。
両脇に立ち並んでいた兵士達が武器を構える音がする。多くの兵は槍や弓をもった歩兵だった。
魔道士達が数歩後ろに下がり、同時に詠唱を始める。それを守るように歩兵が囲む。
それがメティオの詠唱だということは、炎の魔道に長けたアゼルだけが気付き、瞬間、彼らしくもないヒステリックな声で叫んだ。
「メティオが来る!固まったらダメだ!」
槍兵がすぐに襲ってこないのは、メティオに巻き込まれないようにということだろう。が、弓兵達は一斉にシグルド達に射掛けてきた。シグルドはようやくいつもの彼らしさを僅かに取り戻して指示を出す。
「メティオを受けた後に一斉攻撃に来るぞ!散らばってやりすごした後はすぐに固まって耐えながら城門まで撤退する!騎馬は弓兵を散らせ!歩兵はクロード神父とエーディンを守るんだ!」
その声を聞く前に、ベオウルフとレックスは既に誰よりも早く、両側から射掛けてきた弓兵をなぎ倒しに踊り出た。
多勢に無勢の状態で孤立をするのは危ないが、いっそ敵兵の側にいってしまった方がメティオを食らう確率が下がると彼らは知っている。逆側にはアレクとノイッシュが同じように仕掛けに出ていた。
「く、そ!」
最初に負傷をしたのは、アーダンだった。
最も頑丈な甲冑を身に纏っているがゆえ、彼はクロード達を庇うために、射掛けられた矢をその体で受けた。
一度に5,6方向からの矢によって衝撃を与えられた彼は、一瞬体をふらつかせた。
それぞれの矢によるダメージは対したことはなかった。が、そのふらついた瞬間、それまでになく至近距離から放たれた矢が、不安定な態勢になっていた彼の甲冑に鈍い音をたてて突き刺さった。
「アーダン!」
「なあに、これぐらい、どうってことない・・・」
エーディンは慌ててライブの杖を振りかざそうとした。と、そのとき、クロードがそれを止めた。
「まだです。杖を無駄に使ってはいけない!」
「えっ」
「もっと深手を負ったら、使いなさい」
「神父様っ・・・」
「アーダン、まだ我慢出来ますね」
「へっ、もちろんですよ」
そんな会話をしている間に、クロード達を囲んでいたジャムカが、ホリンが、アイラが次々に弓兵の猛攻によって負傷をする。ミデェールとラケシス、そしてアゼルはベオウルフ達騎馬兵の後ろから援護をしている。
「・・っ!」
レヴィンは空を見上げた。彼らの頭上には黒い雲が密集して、まるでそこだけ空を切り取って遠い宇宙を見るための、夜の穴を開けたように思える。
来る。
「囲まれてちゃあ・・・まともにくらっちまう・・・」
肉を切り骨を断つ音。そして自分の右手に伝わるその感触。
正義のためでもなんでもなく、もはや自分の命を守る以外の意味をなさない戦だ。
勇者の斧で弓兵を切り伏せて、手綱を引いた瞬間レックスは自分達を覆う暗い空にようやく気がついた。
そして、この瞬間までそれすら気にならなかったほど自分の神経が追い詰められていたと思い当たり、愕然とする。こんな戦いは今まで知らない。逃げ場を失い、囲まれ、そして身を潜める場すらない戦場は、今まで彼が体験をしたことがない状態だ。レックスは、クロード達を守るために下手に動くことも出来ずに弓による攻撃に耐え凌いでいる自軍の歩兵達の姿が視界に入った瞬間、顔を歪めた。
ここは、処刑場だ。
そして、今自分達が射かけられている矢は、命を奪うためのものではない。
彼も既に1、2本の矢を受けていたけれど、ありがたいことにそれはさほどの傷にもならない程度だ。
ただこの処刑場から逃がさないために、自分達を動けなくさせるためのものだ。
そう思った瞬間、鳥肌がたった。
ここで、自分達全員を屠ろうというのか?アルヴィスの言葉を思い返す。と、そのとき
「散れ!」
シグルドの怒声が響いた。
矢でその場に固められた彼らは、メティオを回避するための身動きがうまくとれなかった。
シルヴィアを抱きかかえてホリンは走った。エーディンを庇うようにジャムカが動いた。レヴィンもアイラも腹をくくって、周囲を固める弓兵に向かって突進をしていく。アーダンはクロードを庇った。
囲まれた状態では、どこに動いたって身を守れる場所がない。
ただ、アーダンはわかっていた。クロードはメティオの猛攻を回避できる魔力の持ち主だ。彼を矢から守れば、その後の展開が幾分か違う。もともと俊敏な動きが不得意な自分は、この状態では他にとる手段がないと。
騎馬兵が必死に弓兵達をなぎ払っている。それでも多勢に無勢、歩兵達へ射掛けられる弓の手はそうそう緩まない。
「神父様、動いちゃいかんですよ」
「アーダン、逃げなさい!メティオが来ます!」
「運にかけてみますよ」
そのとき、クロードの背後からの矢をうけるようにノイッシュが戻ってきた。
空はますます暗くなる。
「・・・来ますよ」
クロードは腹をくくった。彼はリザーブの杖を持って高く掲げる。
と、次の瞬間、空から彼らに向かって魔道によって呼ばれた高熱の隕石が降り注ぐ!

暗い空を切り裂くように女性の叫び声がひときわ高くあがった。
エーディンの声だ。
アイラは何が起こったのか、そちらへ確認をする余裕もなく、襲い掛かってくる槍兵相手に善戦していた。
メティオは彼らが思う以上に広範囲に降り注ぎ、彼らに射掛けていた弓兵達までもがそれに巻き込まれた。
しかし、アルヴィスはもともと魔道を使う人間だ。
どれだけの魔道士がメティオを唱えれば、いかほどの被害が出るのかは知っていたのではないか?
(確信犯か)
メティオにより降り注いだ隕石は、アイラの左腕をしたたかうちつけ、高熱で彼女の二の腕を赤く腫れあがらせた。
烙印を押されてしまったように、体を覆っていた服は何の意味をもなさなかった。まるで服の繊維すら、メティオの高温で彼女の腕に焼き付けられ、埋め込まれたようなそんな錯覚すら陥る。
普段ならばメティオなぞ、アイラに命中をすることなぞなかった。
遠くから降って来るものを避けることは得意だ。
しかし、あまりにおびただしい数の炎を纏ったその石達は、無条件に彼女が無事でいる空間を奪った。右の髪の先が焼けこげて、独特な匂いがアイラの鼻をつく。
痛みと熱さに叫びだしそうになったその瞬間、クロードがリザーブの杖を使ってくれた。
足元には、自分達は大丈夫だろうと高をくくっていたためにメティオの直撃をうけた弓兵の死体が何体か倒れている。
直撃を受けてしまうと、その高温とその打撃力によって地上に叩きつけられ、そして体が焼ける。
そして、その死体の上に、今またアイラは敵の槍兵の死体を築きあげていくしかないのだ。生きるために。
「・・・くそ!」
向かってきた槍兵の槍が、ひゅん、とアイラの頬を掠めた。それを下から剣を振り上げ、腕の筋を切る。
「俺が、門を突破する!」
そのとき、どこかでレックスの声が聞こえた。そしてホリンの声が続く。
「援護する!」
けれどもアイラは目の前の敵を相手にすることが精一杯で、全体の様子をみることが出来ない。
と、そのとき視界の隅にベオウルフの馬が姿を見せた。
「アイラ!下がれ!お前だけ囲まれちまう!」
「ああ!」
なるほど、深入りをしてしまっていた。メティオによって焼かれた死体のせいで、足元に炎がちらちらと揺れる。それを避けながら攻撃を繰り返すうちに、彼女は皆からかなり離れてしまったようだった。
アイラは焦って、一人の槍兵を切り伏せてから後退をした。返り血を髪に浴びたけれど、それを気にする様子もない。
ベオウルフは既に数本矢を受けている様子だったが、血に濡れた剣を振りかざしていた。
「少しずつ城門に近づけ!」
「ベオウルフ、どこに行く!」
「ラケシスが孤立している・・・早く、城門へ。待ち伏せに気をつけろ!」
アイラはその言葉に頷くと、背後から襲い掛かってきた兵士の攻撃を横にいなして上から叩き切った。
「レックスは城門を破りに突っ込んでった!援護してやれ!」
「わかった!」
それがアイラがベオウルフの声を聞いた最期だった。

自軍の誰がメティオによって、また、その後の槍兵の猛攻で命を失ったのかは定かではなかった。
エーディンとクロードはアレクとアーダンに守られながら杖を振るっていた。
彼女の足元には、メティオ来襲の時に彼女を庇った愛しい夫の体が横たわっている。
今際の言葉なぞを与えてもらう暇もなかった。
あんな混戦で囲まれては弓兵であるジャムカには何も有利に働かなかった。それでも彼は同じ弓兵からの攻撃を受けても何一つ叫ぶことなくエーディンを庇いつづけていた。
メティオが降り注ぐ中、足が竦んだエーディンを抱きしめて、彼は敵兵からの攻撃を避けつつ走った。
それでも、かわしきることは不可能だった。
メティオの衝撃によって地面にジャムカの体と共に叩きつけられたエーディンは、自分を覆うように抱きしめる彼の体からものすごい血が流れ出ていることにようやく気付いた。
彼の命を奪ったのはメティオの魔法ではなく、敵兵の矢と槍だった。
そして、それに彼女が気付いた頃は既に遅かったのだ。
今、エーディンは止まらない涙を拭うことなく、仲間達に守られながら回復の杖を振るっていた。けれど、彼女が本当にしたいことはそれではない。
「次はアレクよ!」
アレクもまたメティオを受けてしまい、左足全体を負傷していた。
エーディンがリライブをかけても、高熱であぶられ肉が焼けた匂いを放つその足は、杖で治癒しきれるものではないように思える。片足の機能を失いながら、よくも彼は馬に乗りつづけられるものだと思えた。
「いや、俺は遠慮しときますよ・・・」
「アレク!?だって、もうあなたは無理よ、離脱してもらうわ!」
エーディンがもつワープの杖で、最初にその場から離脱をしたのはジャムカが息を引き取った直後に駆けつけてエーディンを助け起こしたアゼルだった。彼の馬はメティオを避けきれずに業火にまかれてしまった。エーディンはそうとは知らなかったが、彼が馬に乗っていないことから、きっと彼の馬は死んだのだろう、とぼんやりとその時思った。
本当ならば女性兵−シルヴィアやアイラ、ラケシスのことだが−を優先したかった。けれど、この混戦ではたまたま近くにいる人間だけを救うことしか出来ない。
何故自分が、という表情を見せながらアゼルはその場から姿を消した。
正直なところ、集中するのが難しいこんな状態では、馬に乗っていない人間の方がワープで送りやすい。
もちろん、そんな基準で助ける人間を選ぶわけではないけれど。
ワープの杖は残り3回。今自分の周囲にいるアレクとアーダン、そしてノイッシュに守られているクロードがやっと彼女の視界に入る仲間達だ。そのとき、目の前でアレクがぐらり、と体を揺らして、どう、と落馬した。
突然主を失い、馬がとまどうように動く。
「アレク!?」
「エーディン様、離れて!」
アーダンがぐい、とエーディンの腕を掴んで引っ張ってアレクの側から無理矢理離れた。
駄目。アレク、傷がひどいんですもの、そのままじゃあ歩けないわ・・・エーディンは叫ぶ。
「アレク!アレク!!」
落馬したアレクに群がる槍兵達。
何が起きたのかエーディンには理解が出来なかった。アーダンはエーディンの後ろに回って、無理矢理彼女を走らせようと押す。エーディンは足をもつれさせながらも、よたよたと走った。
少しずつわかってきたのは、アレクはもはや助からないであろうこと、そして騎士として最後まで自分を守ってくれたのだということ、たったそれだけだった。
それから、既に息絶えてしまっていた愛しい夫の体を敵兵の中に置き去りにしてしまった悔しさにエーディンは彼の名を叫んだ。
「ジャムカっ・・・ジャムカがっ・・・」
(ああ、あなた・・・あなた・・・あなたの側にいてあげられないわたしを、許して頂戴・・・)
エーディンの視界が歪む。
どうせ死ぬならば、彼の側で。
そう思う反面、自らの死を選ぶにはまだ早く、そして何よりも自分はほかの仲間の脱出を手伝わなければいけないという義務感が、エーディンの神経を危ういバランスで現実に繋ぎとめていた。
「早くこちらへ!」
ノイッシュがクロードを守りながら叫ぶ声が聞こえた。血まみれになったミデェールが脇腹に槍の一撃を受けながらも、アーダンとエーディンにかけよりざまに、エーディンを狙っていた槍兵に向けて銀の弓から矢を放つ。
もともと軽装だった鎧は破損し、今にも馬の手綱は切れそうな状態だ。彼もまたメティオを受け、その傷が癒えぬまま槍兵の攻撃にさらされて満身創痍の状態に見える。
ミデェールの弓の前に倒れた敵兵の甲冑の隙間から血が流れ出る。
大地はメティオによる炎の赤、そして血の赤で彩られていた。炎が弱まれば弱まるほど、兵士達は動きやすくなり、いっそう血みどろの戦いが続けられる。
エーディンが身につけていた白いローブは味方の物か敵の物かわからぬ血で染まっていった。
「ぐおっ!」
エーディンを逃がすために背後を守っていたアーダンの声。その声と同時にエーディンの耳に聞こえた音は、敵兵の攻撃によって彼の甲冑が破られて彼の生身の体に刃が突き刺さった音なのだろう。
「・・・アーダン!」
けれど、エーディンとアーダンの間にミデェールがわけいり、彼女を立ち止まらせまいとする。
血にまみれた、彼女に今までずっと忠実に仕えていた物静かな青年は、エーディンに背をむけて敵兵を防ごうとしていた。
聞こえてくる声は既にいつもの彼の声とは違う、がさがさした、空気が漏れている音だった。
「ノイッシュの、ところへ・・・シルヴィアが・・・踊っています・・・」
「ミデェール、あなた・・・」
「走って、ください・・・エーディン様・・・そして・・・」
また一人、また一人失うのか。
エーディンは彼らに襲いかかる、避けようもない死の影を確信した。
うまく、歩けない・・・走れない・・・わたしは、一人でも、前に進まなければいけないの・・・?
杖を握り締めたままエーディンは彼等に背を向け、決して振り返らずによたよたと走り出した。
女が逃げたぞ、という敵兵の声が聞こえる。
右足、左足、みぎあし、ひだりあし、みぎ、ひだり・・・エーディンはやがて全身の力を振り絞って走ることが出来るようになった。走らずにはいられなくなった。彼女の背後には、彼女の死を望む敵兵達がいるのだと、敵兵の声で改めて気付かされた気がする。
アーダンが槍兵の猛攻を防ぎきれなくなりそうになったとき、それを見透かしたように後ろにさがっていた魔導士達が走り寄ってきて無慈悲な炎の魔法を彼に浴びせ掛ける。
その炎に照らされながらミデェールはその魔導士達にむけて、最後の矢を放った。
矢筒がからっぽになるほど戦うことになるなんて。
いや、そこまで耐え切れた自分は、ユングヴィを出てからかなり強くなったものだ、とミデェールは薄れゆく意識の中で思った。
彼の最後の言葉は、彼女に届いたのだろうか?
「あなたは、生きて・・・」

彼女は、その殺伐とした空間で舞っていた。
最も無防備で、そして最も誰からも侵略を許さない、彼女だけの空間。
ただでさえ人々には信じられない力を持っている彼女の踊りは、今、究極の舞に変化をしていた。
彼女の周りには血飛沫が飛び、仲間達が倒れてゆく。
城門を突破する、と飛び出したレックスとホリンを援護するために踊り始めたシルヴィアの目の前で、レヴィンが槍兵の猛攻を交わしきれずに倒れた。
それでも彼が放ったフォルセティは、先ほど多くの魔道士が詠唱したメティオの数倍は敵兵を屠り、いっときシルヴィアの周囲を一蹴し、敵兵が消滅したかのような状態になった。
誰か、レヴィンを回復させてあげて・・・。
気付けばクロードとエーディンは遠くにいて、クロードのリザーブはレヴィンに届かなかった。
シルヴィアに出来ることは、舞うことだけ。
ほんのわずかでも自分の力が、離れた彼らにも届きますように。
足元をレヴィンの血が流れる。足と手首を結ぶシルヴィアのショールが、その血を吸った。
しゃらん。
片方の鈴をクロードに渡したせいで、いつもと勝手が違う気がする。違う気がしたけれど。
(神様。わたしは、踊るしか、こんなときでも、踊ることしか、出来ません)
しゃらん。
それでも、シルヴィアの耳には、もう片方の鈴の音すら聞こえる気がする。
痛い。
クロードに鈴を渡して、何もなくなった方の足首は、メティオの洗礼を受けて赤くただれていた。
痛い。
でも、痛いということは、生きていることだ。
生きているということは・・・わたしは、踊れるということなのね?
エーディンの悲鳴が聞こえた。
シルヴィアはつま先を蹴り上げ、両手を空にかざした。
もう、メティオのために暗くなった不吉な空はそこにはなく、夕焼けに彩られる前兆を感じさせる、いつもと変わりがない空がそこにあった。
シルヴィアは、舞った。
何か強い力に突き動かされるように、彼女は空を飛ぶように地を蹴った。
逃げて。助けて。生きて。許して。憎んで。誰か、この思いを止めて。
自分でも何の舞なのか、意識をすることが出来なかった。
「・・・うう・・・」
レヴィンが、呻き声をあげる。
彼の傍らにいるシルヴィアは、既にそれに気付かないようだ。
不思議と、誰一人敵兵はシルヴィアに向かってこなかった。
あまりにもそこで踊っているシルヴィアはその場で異質だった。
それがゆえに、人々は彼女がそこで踊っていて、そしてシグルド軍の一員なのだという認識すら出来ずに、まるで視界からわざとはずしているかのように向かってくることがない。
血の海で朦朧とした意識の中、レヴィンはシルヴィアを見る。
シルヴィアは、恍惚とした表情で踊っていた。
敵兵の中、生死が背中合わせになっている状態とは思えないその表情。
ああ・・・お前は、ただの踊り子じゃ、ないんだな・・・
レヴィンはすうっと遠のく意識でそう思った。
生死と背中合わせになっているこの状態だからこそ、舞える。
まるで命の燃焼を促すかのような躍動的な踊り。
けれどそこから溢れてくるものはとても静かなものだ。

ああ、わたしたちはとてもちっぽけで。
こんなに声を振り絞っても、きっと、わたしたちの声は届かない。
わずかでも、あなたの鼓膜を震わせることが、わたしの舞で出来るのでしょうか?

それはまるで、ブラギの塔まで神の声を聞くために赴いたクロードのように。
彼女は何一つ意識をしていなかったけれど、舞いながら、今までの人生で何度も何度も呪った神様というものに訴えかけていたのかもしれない。
彼女は生涯、自分が、神の声を聞くブラギの血をひいていると知ることはなかった。


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モドル