祈りの狭間-7-

ベオウルフがラケシスの元に駆けつけたとき、彼女は大地の剣で自らを回復していた。
おびただしい敵兵の死体に囲まれ、彼女は杖を、弓を、剣を使い分けて猛威を振るっていた。
「ラケシス、早く城門へ!」
「ベオウルフ!」
「レックス達が城門に向かっている!」
血にまみれているベオウルフの姿を認め、ラケシスは杖を振りかざした。彼の左肩は槍でえぐられており、目を凝らすと切り裂かれた肉が剥き出しになっているのがわかった。彼女の杖から放たれた癒しの波動は彼のその肩を癒し、消耗した体力をわずかではあったが取り戻してくれたように思える。
敵兵を横になぎ払い、躊躇なく馬で踏みつけてベオウルフは彼女の側に近寄る。
「俺のこたあどうでもいい!」
「・・・どうでもよくないわ」
きっとラケシスはベオウルフを睨みつけてから、ぽい、と杖を投げ捨てる。
ベオウルフに与えたそれは、最後の癒しの力だったのだろう。
「ベオウルフ、シグルド公子が・・・っ」
ラケシスは銀の剣に持ち替えて、群がる敵兵を一撃で仕留めながら叫んだ。
「ああ?」
こちらも敵兵を切り捨てているため、ベオウルフはラケシスの顔を見ることが出来ずに曖昧な返答をした。
彼の頬に、槍兵の返り血が飛んでくる。
敵兵の呻き声、人の肉を断つ音、それらに紛れてラケシスの声が切れ切れに聞こえてきた。
「アルヴィス卿の、ファラフレイムに包まれて・・・」
「・・・」
「消えたわ」
「・・・そうか・・・」
メティオが降り注いだ後から、シグルドの声を聞いていない、とベオウルフは確かに思っていた。しかし、あの男がメティオだけで命を落とすとは思えない。
・・・アルヴィスと対峙したのか。
ベオウルフは血が混じった唾を地面に吐き捨てた。
城門に向かえ、と皆に指示をしておいて、自分は敵将のもとに、とはあの大将の考えそうなことだ。
そして、そういうあの男が自分は嫌いではなかった、とベオウルフは思う。
ラケシスは泣いてはいなかった。
彼女は敵兵の返り血を浴びながら、迫り来る死への恐怖も表に出さずに淡々と戦い続けていた。
(あんたは、イカす女だよ)
恐くないはずがない。
生きる見込みが少ないこの状況で、それでもラケシスは取り乱さずに剣を振るう。
時折その手に持ち変える大地の剣を振るうたび、彼女の体は癒しの光で包まれる。
それがまた、敵兵が彼女に向かってくる目印にもなってしまうのだが、その光に包まれるたびに彼女は強くなっていくようにベオウルフには思えた。
(やっぱり、あんたには勝てなかったな、エルトシャン)
こんな生きる死ぬの瀬戸際で、ラケシスはあまりにも立派に亡き兄エルトシャンからの願いを実現しているではないか。
生きろ、と。
他の誰を犠牲にしても、その体を大地の剣で修復してでも、生きろ、と。
騎士として、ノディオンの王女として、誇り高く生き抜けと。
彼女は、こんな場でそれを具現化しようと自らを奮い起こして、エルトシャンの願うように、彼に愛されるように、剣を振るいつづける。それは、エルトシャンを失った直後の彼女からは考えられないほどの強さだ。
(だって、しやーないわな)
そうであるラケシスだから、多分、抱いた。
「・・・クロード神父達が!」
そのとき、ラケシスが叫ぶ。
城門に向かう途中で発見したクロード神父とエーディン、そしてノイッシュとシルヴィア・・・それから、倒れているのは誰だろうか?
ノイッシュが一人で敵兵からの攻撃を引き受けている。
「やばい、止めないと・・・あれじゃあ一種の地獄だ」
ベオウルフは舌打ちをした。
最後まで彼らを守るためにノイッシュは戦っているけれど、もはや彼の動きは常軌を逸していた。
戦い、傷つき、回復をされ、シルヴィアの舞の力によって増幅される回復力と俊敏さをもってしてまた戦う。
その行為はもはや、人の体が耐久出来る限界を超えていた。
ベオウルフとラケシスが敵兵を蹴散らしてそこに駆けつけたとき、ノイッシュは体全身から気味が悪いほどの汗を噴出していた。ラケシスはそれを見て眉根を歪める。
「いい、ノイッシュ、私達が守る!」
「・・・ラケシス様・・・」
その瞬間、ノイッシュは気を失い、馬から崩れ落ちる。慌ててベオウルフはノイッシュの馬の手綱を抑え、暴れないように制御した。その間にもラケシスは槍兵を切り伏せている。
「・・・レヴィン!?」
ベオウルフは足元に倒れている人物が誰なのかをようやく気付いて叫んだ。
「レヴィンが・・・レヴィンが、回復をしないの・・・」
エーディンは何度も何度もリライブをかけたようで、息を荒くついて消耗した表情を向けた。
その傍らに立つクロードはリザーブの杖をただ振り続ける。相当神経を集中しなければ行使出来ないそれをこんな戦場で振り続けるには、完全に彼らを守る者がいなければ不可能だっただろう。
ベオウルフもラケシスも、戦いながらも時折癒しの波動が自分達に降りかかっていたことは気付いていた。
遠くで、この戦場で散り散りになった仲間達へクロードがこうやって杖を掲げてくれていたからだ。
そしてその傍らで踊りつづけるシルヴィアの力でノイッシュやエーディンは終わりのない体の中から溢れ出てくる何かに突き動かされて、戦わずには、そして杖を振らずにはいられなくなっていた。
「・・・やべえよ・・・」
ベオウルフは青ざめて踊り続けるシルヴィアを見る。
シルヴィアの舞もまた異様な昂ぶりを見せていた。
まるで、舞を止めたらそこで全てが終わってしまうように、彼女はただただ動き続ける。
相変わらずその周囲に兵士達は寄ってこない。その不思議な光景を見てベオウルフは鳥肌を立てた。
なんだよ・・・あれだけ無防備な人間を、なんで誰も襲わないんだよ・・・?
「神父さん、あんたシルヴィアを止めてくれ!止めないとあいつっ・・・」
「彼女が踊りつづけてくれるから、我々は未だに疲れをあまり感じずに動くことが出来るのです。そして、彼女自身も生きていられる。彼女が踊り終えれば、彼女を守るものはなくなるんです!」
その言葉はもっともだ。
そもそも、この混戦の中彼らが未だに生きていられることがおかしいのだ。
シルヴィアから発せられる舞による加護は、いつものそれと比べ物にならない威力を発揮している。
しかし、先ほど気を失ったノイッシュのように、そしてここで消耗して息を切らすエーディンのように、ひたすら動き続けることが出来る、ということはどれほどの負担を人間の体にかけるのだろうか?
「わかってる、わかってるけど、あれじゃああいつは死んじまう!」
「もう、限界ですね・・・ベオウルフ、ラケシス様、もう少しだけ時間を稼げますか!」
「あんたがやれっつーんならな」
「エーディン、あなたの最後の仕事です」
最後、という言葉をクロードが使ったことに気付いて、エーディンはびくりと肩を振るわせた。
彼女はずっと杖を振りつづけていて、もはや集中をすることが難しいほどの疲労を見せていた。
「レヴィン王子に、ワープを」
「・・・でもっ、こんな瀕死の状態でワープで飛ばしても!」
ワープの杖がまだ残っていたのか、とベオウルフとラケシスは驚いた表情を作る。が、その間にも近寄ってきた敵の魔道士をラケシスが銀の弓で迎撃をして、ベオウルフは銀の剣を横に薙いで切り捨てる。
彼らがたどり着くまでエーディンがワープの杖を使わなかった理由はなんとなくはわかった。
ノイッシュとレヴィンの回復をすることだけにもうエーディンは手一杯で、それ以上の余裕はなかったのだろう。クロードが行使するリザーブの杖は、遠い仲間にもその癒しの力の波動を送ることが出来るけれど、その恩恵には限りがある。
だからさきほどまでベオウルフの大きい傷は塞がらないままだったわけだし。
そして、それだけで補えないほど、敵兵に囲まれた場所でノイッシュは一人で彼らを守っていたのだ。
人間が動けるその限界を超えて、シルヴィアに動かされ、エーディンに生かされ、一体彼の体の細胞は今どうなっているのだろう?
ベオウルフとラケシスが来たことで、包囲されていた彼らのバランスが良い方向に崩れた、とクロードは知った。
「いいのです。エーディン、レヴィンを飛ばしなさい」
「でもっ・・・」
「いいから!もう時間がない!一人でも多く助けたければ、今はわたしの言うことを聞くのです!」
クロードは今まで聞いたことがない強い声音でエーディンを叱り付けた。
足元に倒れるレヴィンは、もはや死ぬのも時間の問題、という状態に見える。そんな状態の彼をワープの技で逃がして、一体どうなるというのだろう?何度もリライブをかけても彼の細胞たちはもはや回復を行うことを拒むかのように反応をしてくれないというのに。
それでも、エーディンはワープの杖を握り締めた。
彼女の背後から襲いかかってきた槍兵をベオウルフが迎えうつ。
手が震える。声も震える。
それでも彼女は、最後の力を振り絞って、レヴィンに向かってワープの杖を振りかざした。
レヴィンはぴくりとも動かないまま、水色の光で体を包まれる。
「・・・あっ!」
そのとき、ラケシスが叫んだ。
「城門が開いたわ!退路が、出来たっ・・・」

ホリンとレックスはおびただしい数の兵士を切り捨てながら城門にたどり着いた。
途中まではクロードからのリザーブの恩恵に預かれていたが、もはやそれも届かない。
レックスは左脇腹に矢が刺さった状態で、城門を守る兵士に向かってゆく。
もちろん、退路がそこにしかないだけあって、かなりの数の敵兵が群がっている。
(槍兵なのが、ありがたいな)
馬上で斧を振るうレックスにとって、槍を持った歩兵は比較的相手にしやすい兵種だ。
魔道士はメティオをうつために城側に人数を集めていたようで、城門付近にはいない様子だ。それらの事柄は彼にとって何もかも好都合だった。
後から援護をしてくれるホリンは、いいタイミングで彼の秘技である月光剣を発動させ、敵を一撃で葬り去ってくれる。
仲間を見殺しにした、と思われるほどの早い決断で城門に向かったレックスは、せめてアイラが一人ででもリターンリングで逃げてくれることを願っていた。
(アイラに渡しておいて、よかった・・・)
それは、彼の本音だ。
彼女は既にレッグリングも装備していたから、この混戦でも敵兵に追いつかれないほどの速さで走ることが可能だ。
敵兵を振り切って、そしてリターンリングを使えば・・・。
どこに行くのだろうか?彼女はどこに飛ばされるのだろうか?
それはわからなかったけれど、命だけでも助かればあとはどうとでもなるとレックスには思えた。
「ぐ、う!」
その時、レックスは背後からの槍兵の攻撃を避け損ね、右足の太ももに深く傷を負った。
振り向くこともせず、彼は見た目ぞんざいに斧を振り回した。が、彼の斧は確実に、その敵兵の右肩をざっくりと切り捨て、そして手首を返したもう一撃で彼の右側に迫ってきた槍兵の槍を弾く。
「レックス、あそこだ!」
「おう!」
ホリンが彼を追い抜き、素早い動きで城門の開閉をしているねじ巻き式の大きな装置に向かう。もちろんそこは6人の敵兵が囲んで守りを固めていた。
「頼むぜ!」
今度は俺が援護をする番だ、とばかりに、レックスはホリンの後ろから手斧を投げつけて一人の敵兵に傷を負わせた。
混戦時のホリンの集中力の高さはレックスも高く評価している。
剣をもつホリンは槍兵を相手にするときは分が悪い。それを知っていてもあの人数相手ならなんとかなるだろう、とレックスは知っていた。
城門にたどり着くまでの激戦を駆け抜けてきたホリンなら、そうそうここで傷を負うとも思えない。
レックスはメティオによる攻撃をほとんど受けなかったホリンの運の良さを信じることにして、後から追いすがる兵士達を切り捨てることに集中した。
城門を開ける時間が遅くなればなるほど逃げにくくもなる。今、まだ混戦から抜けきれない仲間達がみな城門付近に移動してくれば、敵兵もおのずとみなこちらに向かってくるわけだし。
そうなる前にせめて城門を開ける作業だけは終えなければ、と思う。
城門を開けさえすれば。
そうすれば自軍には騎馬兵もいるし、城下町に出てしまえば逃げようもあると思える。
ホリンには先に離脱してもらって、自分は引き返して歩兵を拾ってこよう、とレックスは考えていた。
もちろんそんな余裕があるかどうかは正直なところ自信はないけれど。
槍に刺された右足から血が流れる。
どくん、どくん、と脈うつ感触が彼の全身を支配していた。
(どこまで、粘れるか、な)
ここにたどり着くまでに、かなりの時間を要していた。残りの仲間がどういう状況になっているのか彼には想像もつかない。
今は自分とホリンだけが孤立しているようにも思え、レックスは自分の選択肢が間違っていたのではないのか、と胸騒ぎすら覚える。
「ホリン!急げ!」
「わかってる!」
レックスが敵兵を防いでいる間に、ホリンは見事に仕事をこなしてくれた。
彼の足元には、一撃で命を絶たれた敵兵が血を流しながら倒れている。出来ることならば命を奪いたくない、なんていう生っちょろいことはもはや誰も考えていなかった。
これは、戦争なのだ・・・。
レックスは時折ぐしゃ、と敵兵の死体を自分の馬が踏みつけるのがわかる。
この馬はあまり神経質ではないから、何を踏んでしまっても気にしない。それは戦に用いる馬であればかなりありがたいことなのだが、それはあまりにも生々しい瞬間だ。
「・・・開いた!!」
ぎぎぎ、と来た時と同じように城門がゆっくりと開く音がした。
「ホリン、先に逃げろ!俺はみなを拾ってくる!」
「無茶だ、レックス・・・お前こそ、先に行け!一人でも多く逃げることが先決だ!」
「一人でも多く助けたいからだ!」
「・・・じゃあ、行け。俺は、ここで城門を閉められないように死守していよう・・・ここが開いていることで、皆の道標になるだろう」
閉じ込められている、と思うことは、戦で精神を追い詰める。
それを緩和すること、出口を示してあげること、それがこの状況でどれだけ大事なことなのか、ホリンもレックスもわかっていた。
ホリンは手早く城門を開けた状態で装置をセットして、それから自分の腰につけていた、剣を体に装備するための太い皮の紐を慣れた手つきで装置に巻きつけて固定をした。ホリンの意図がわかり、その作業が終わるまでは、とレックスはその場で敵兵との攻防を続ける。
何かあっても簡単に門を閉められないように、という保険をかけているのだろう。
「レックス・・・アイラは」
「あいつはリターンリングを持っている。いざというときは一人で脱出するさ」
「そうか、それを聞いて安心した」
「馬鹿。安心しついでに気を緩めるなよ!」

クロードはエーディンの手からワープの杖をもぎ取った。
彼もまた、過度の杖の行使で息を切らせている。
「神父様・・・」
「あなたに、神のご加護がありますように」
「神父様、まだ、わたしっ・・・!」
エーディンは悲痛な声をあげた。
わたし、まだ、みんなを助けないと。それが多分続けようと彼女が思った言葉だったに違いない。
そんな彼女の叫びを無視して、クロードはワープの杖を振りかざした。疲労によってその場に膝をついていたエーディンの体は先ほどのレヴィンと同じように水色の光に包まれる。もはやこうなっては抗うことが出来ないことを彼女は知っていた。
エーディンはクロードに手を伸ばす。
そして、彼女は。
「いやあっ・・・ジャムカっ・・・」
その場に居合わせた人間の耳に、その言葉を残したまま、クロードに何かを訴えかけようとするその姿勢のままでエーディンの姿は消えた。
この地獄に思える殺戮の場から離れられることの喜びよりも、彼等をおいていくことの痛みを彼女の瞳は物語っていた。
クロードはその悲しい余韻を断ち切るようにすぐ様叫ぶ。
「ノイッシュ!起きなさい!」
ベオウルフとラケシスに守られたままで未だぐったりしているノイッシュを呼びながら、クロードはリライブの杖を行使した。汗と血にまみれて荒い息をついていたノイッシュはゆっくりと瞳を開ける。
彼の意識は朦朧としているようだったが、それへクロードは軽く平手を与えた。
「馬に、乗りなさい。まだあなたの馬は生きています」
それも運が良かったといわざるを得ない。
戦場で主を失った馬はその場で殺されるか暴れだすかが関の山だが、ベオウルフが押さえつけてクロードとシルヴィアの間に誘導してやると、馬は大人しく、まるでこの喧騒が何も聞こえないかのようにそこにひっそり控えていたのだ。
ノイッシュはまだ何が起きているのか理解できていないようだったが、馬の手綱をクロードに握らされると、はっと正気に戻った。
「ベオウルフ、二人を頼みます!」
「はあ?」
「ワープの杖は、残り1回しかありません。わたしのリザーブと、シルヴィアからの加護を受けたあと、あなた達は我々を置いて行きなさい!シルヴィアはわたしがこの杖で脱出させます!」
「何!?」
「残酷な男だと思われるでしょうが・・・あなた方は、ここから城門まで、一気に駆け抜けてください!」
「あんたは・・・」
「わたしのことは構わないで。犠牲になったとも思わないで結構です。行きなさい!!」

レックスは混戦の中で敵兵の数がかなり減ったことに気付いた。
けれど、その反面、どこを見回しても仲間の姿が見当たらない。
見たことがないほどの死体の山が血の池をあちこちに作り、赤いマントは更に血の色に染められてゆく。そして、ところどころメティオによって焼かれた死体から引火したのか、炎が揺れ動く。
砂埃が彼の視界を遮り、時折馬が嫌そうな素振りを見せる。
周囲には、生きているけれど思うように動けない、という敵兵があちらこちらでぎこちない動きで戦況を見ている。
その人数が多いせいで、実際にまだどれだけの兵が戦っているのかを量ることが難しいと思えた。
おかしい。
みな城門に向かっているならば、そろそろ誰かと出会ってもいいはずだ。
レックスの頭の中には、エーディンがもっているワープの杖という選択肢がきちんとあったけれど、それならばそれを使うエーディンはどうなるのだろう、という疑問にもぶち当たっていた。
(エーディンにリターンリングをもたせておけば・・・)
それは結果論だ。そうと知りながらこんなときに、最も合理的な離脱方法を頭がついつい考えてしまう。
人々をワープさせ、残った自分がリターンリングで離脱をする・・・しかし、どれもこれも戦場では許されない手間隙だとも思う。
ワープを行使するときには術者も対象者も無防備になる。この混戦状態でそれを行えば、たちまち術者だって攻撃を受けるだろう。
それを回避するにはそれを守る人間が必要だ。
そして、そうであるが故に、もしもワープの杖での離脱を行っても誰かは絶対城門を退路にする必要がある、とレックスは頭に思い浮かべていた。
「ちい・・・」
太ももの傷の痛みがどんどん激しくなっていく。
馬に揺られることで傷口はいつまでも塞がろうとはしないし、未だに血も止まらない。
このままでは出血量の多さで体が参ってしまうことがわかり、自分のタイムリミットが近づいていることをレックスも気付いていた。
(誰か・・・誰か、いないのか?もっと奥でまだ戦っているのか)
これ以上城側に戻るのは無謀だと思えた。
これでは誰かを助けるどころか、自分も助からない。
敵兵が多く群がっているところに仲間がいることはわかっているのだが、何分にも前述の理由で、実際に今戦っている兵士なのか、それとも傷をおっておたおた動いている兵士なのかも、斧を振るいながらではなかなか見分けがつかない。
仲間を助けるには、仲間がいる場所に行く必要があるのに・・・。
と、そのとき、レックスの視界を見慣れた光が一瞬横切った。
「・・・っ!」
見間違うわけがない。
あれは。あの色は。
「馬鹿・・・なんでまだここにいるんだ、お前は!」
ぽう、と時折美しい緑の光が敵兵の合間に見える。
生きていたのか。
それだけでレックスは涙腺が緩んできそうになり、歯を食いしばりながら向かってくる兵士の甲冑を横に切り裂いた。
なんとなれば、その光は。
彼にとってこの世界で何よりも大切な女が、彼女が王族である証としてその体に覚えこませた剣技を発揮しているときに見せる、剣聖オードの加護を受けた光だったのだ。
あれは、流星剣だ。アイラの、光だ。
何故だ。リターンリングで逃げれば良いものを。
そう思う反面、今ここで彼女が生きているということが、どれだけ自分に勇気を与えてくれることか。
「!」
続いて、レックスは太ももの痛みがふうっと軽くなったことに気付く。
全ての傷が塞がったわけではないけれど、出血は止まったように思える。先ほどまで体が抵抗をして発していた熱が、すうっと引いていくようだ。それはレックスに確信をもたらした。
「・・・クロード神父も、生きている!」

アイラは一人で戦っていた。
もうどれくらいの時間がたったのだろうか。
体が自然に動く。
そうだ。わたしは、こうやって剣をふるうために生きていると思っていた。
わたしの手に吸い付くように馴染んだこの勇者の剣は、いつでもわたしを助けてくれる。
いつでもわたしを助けてくれるレックスのように。
アイラの周囲に群れた敵兵達は、彼女の俊敏な動きに翻弄されて、攻撃を当てることが出来ない。それどころか中には同士討ち状態で槍をお互いの甲冑に刺してしまうものまでいた。
彼女にとっては、こういった多勢に無勢の戦は初めてだ。けれども。
グランベルの軍がイザーク王宮を落としたあの日。
彼女はシャナンと共に離脱をしたけれど、きっと残っていたイザークの剣士達は、このような血みどろの戦いの中で、民を、王族を、誇りを守るために戦っていたのだろう。
自分は、イザークから逃げた。
常日頃からアイラの胸中にはその思いがくすぶっていた。
人々が最後まで命懸けで戦っていたあの日、自分は国を見捨てて、民を見捨てて逃げたも同然だ。
その思いが、彼女を未だにこの戦場に足止めをしている。
彼女の左手には、レックスから貰ったリターンリングが装備されていた。
デューは、うまく使いこなせなかったと言っていた。けれどもリターンリングを使うことを彼女に躊躇させているのはそんな理由ではなかった。
最後まで戦いたい、なんて馬鹿げたことを思っているわけではない。
けれど、離脱の手段をもつ自分が、少しでも長くここで戦っていることで、仲間の助けになるならば。
わたしは、わたしがここで剣を振るうことが出来る間は、戦い続けなければいけない。
アイラはそういった思いを理知的に筋道だてて考えることが得意な方ではなかったから、彼女に尋ねればきっと「まだ戦うべきだと思ったからだ」としか言いようはなかっただろう。
けれど、彼女は彼女なりの考えがあって、この戦場に留まっているのだった。
少し前に城門が開いたということにアイラは気付いた。
レックスとホリンが城門に向かっている、とベオウルフが教えてくれたから、きっと二人はこの場から離脱をしたに違いない。城門が開いたのが何よりの証拠だと思う。
けれど、レックスが無事ならば、と自分が続いて離脱をする気にアイラはなれなかった。
もう、自分だけ逃げるのは、嫌だ。
彼女はまだ兵士が分散していることに気付いていた。それは、まだ生き残って戦っている仲間がいるということだ。
たとえ助けにいくことが困難でも、少しでもみなが楽になるならば。わずかでも離脱の手助けになるのならば。
それに。
ここで足止めをすれば、レックスの離脱を助けることが出来る・・・。
圧倒的な数の敵兵の前で自分が生き残る自信があるわけではなかったし、リターンリングの力を過信しているわけでもなかった。
下手をうてば自分の命が危ういことは承知の上だ。
(それでも、わたしは、もう、後悔はしたくないんだ)
ああ、この感触は以前も感じた。
全身が粟立つような、何かが体に憑いたような。
いつも生死の境で剣を振るっていると思えたけれど、その一線を越えてしまう、この感触。
アイラは知ることはなかったかもしれないが、傭兵であったベオウルフならいざ知らず、生きる死ぬの瀬戸際に一人で立たされた回数は、シグルド軍の中でも彼女は群を抜いていた。
イザークを追われてシャナンを守りながら砂漠を渡り、そして敵地に身を潜めていた彼女は、その道中に何度も死神の手を振り払ってきた。
自分の命が絶たれる時は、シャナンの命、そしてイザークという国の命が絶たれる時だという覚悟があった。
夜眠るときに明日の朝まで生きているのか不安に襲われ、瞳を閉じることが苦痛だった。
あの、異様に張り詰めた、この世界で孤立している自分達を感じながら剣を振るう瞬間。
彼女の体は思うが侭動き、自分の自由を勝ち取るためにその前に立ちふさがるもの達を切り捨てる。
その時は、まるで自分の心臓が絶え間なく血を送ったりする当然の行為の一環のように、アイラは自分の体を生かすために何一つ考えることなく動くようだった。
彼女は今ここで体感している妙な高揚感と集中力を「知っている感触だ」と思った。
子供達を身ごもって前線から離れて久しい体への不安を退けるように剣が軽い。
そういった状態になるときに、自分の体の中から緑色の光が溢れてきて外に漏れているかのような輝きを放つことを、彼女はかなり後になるまで知らなかった。レックスに言われるまでは。
が、それはあまり長く持続をしないとも言われていたし、そう持続するものであれば自分でも気付くに違いなかった。
けれど。
(わたしは、今、レックスが言うように発光している・・・)
そういった思いが頭に浮かんでも、彼女が剣を振るうことに微塵の邪魔にもそれはならない。
光っていると目立つから、敵の標的になってしまう、とレックスは教えてくれた。
それでも別に構わないとその時は思ったけれど、それはレックスが彼なりにアイラを気遣っての言葉だった。
申し訳ないけれど、今はそれを逆手にとる時なのだろう、とアイラは思う。
その時、少しだけ位が上と思われる兵士の叫び声がかすかに彼女の耳に飛び込んできた。
「何をしている!女一人に手間取るな!」
ならば、お前がわたしを討ちにくれば良い。
アイラは彼女にしては珍しく顔全体で不快の表情を浮かべた。
彼女に襲い掛かる槍兵達の一部は、もはや彼女の剣技に恐れをなして戦意を喪失しているものまでいる。
とはいえ、その兵士達がアイラ以外の仲間を探して攻撃を仕掛けないとは限らない。
かわいそうだがと思いつつもアイラは叫んだ。
「大国の兵士でありながら、イザークの女一人殺せぬとは、笑わせる!来い!」
それは煽りの言葉だ。もっと、わたしに向かって来い。その間に誰か一人でも離脱できれば、と。
すまない、レックス。
わたしには、こういう生き方しか出来ないのだ。

馬の筋を打ち抜かれて落馬したラケシスを救えたのは幸運だった。
ベオウルフは力を振り絞ってラケシスを自分の馬に引き上げる。その間はふらふらになりながらもノイッシュがフォローをしてくれていた。
落馬をしたときにラケシスは頭を打ったのか、ベオウルフが馬上に引き上げても彼女は意識を取り戻さない。
(どっちにしたって起きても、もうリライブはもってねえしな)
ラケシスの馬はしばし暴れてから敵兵をなぎ倒しながら横倒しになった。そのおかげでわずかな間だけれど敵兵達は混乱に追い込まれてくれる。ありがたいこった、と心の中で呟きながら、ベオウルフは城門に向かった。
(んだよ・・・全然、城門に近づけねえよ・・・)
腕の中にラケシスがいるおかげで、ベオウルフの剣は精彩を欠いていた。
ノイッシュがそれに気付いて
「ベオウルフ、無理だ!いっそのこと、わたしが囮になるから、ラケシス様を連れて逃げろ!」
「お前が今一人で残ったらそうそう耐えられねえよ。二人でいるからまだマシなんだろうよ!」
それは事実だ。
(まったく、どいつもこいつも、俺にラケシスを頼むとか二人を頼むとか言いやがって・・・)
ベオウルフには、それを守る義理なぞなかった。
けれどもその願いを無下にしようとは何故か今は思えない。
少なくとも、今自分の腕の中でぐったりとしているラケシスのことは、どうにか離脱させてやりたい、と思う。
「・・・くっ!」
「ノイッシュ!」
そのとき、ノイッシュの手から剣が弾かれた。
代わりの剣はまだあるけれど、それを抜く動作の途中で彼の左肩を槍が貫通するのがベオウルフにも見えた。
「こらえろ!」
ベオウルフはそう叫ぶと、ノイッシュの肩を貫通して、未だに抜かれていないその槍の柄を脇からすっぱりと切り落とした。
「ぐああああっ!」
一瞬その衝撃が伝わってノイッシュは叫ぶ。
けれど、槍がそのままの長さで刺さった状態では馬から引きずり下ろされるか、槍を敵兵の手から離させても戦いの邪魔になるばかりだ。そして、悲しいことにこの状況では、肩に突き刺さった槍を引き抜くいとまもない。そのために片手すら使うことは許されないのだ。
痛みのあまりにノイッシュは意識が朦朧として、緊張の糸が切れたように一瞬無防備になる。
「馬鹿!ノイッシュ!」
ベオウルフが叱責の声をあげるけれど、どうしてそれ以上ノイッシュを責められよう?
彼は十分すぎるほどに身を呈して戦っていたし、とっくに限界は越えていたのだから。
敵兵の容赦ない攻撃がノイッシュに注がれる。それをベオウルフは庇うように咄嗟に剣を振るった。
「・・・っ!」
(慣れないことはするもんじゃねえな・・・)
紙一重で避けきれなかった敵兵の槍先がベオウルフの眉間を斜めに傷つける。
もっと浅い切り口だとベオウルフは信じていたが、それは思いのほか彼の額を切り裂いて、血飛沫を飛び散らせた。
致命傷になるほどではない。ないけれど。
先ほどノイッシュの槍を引き抜くことが出来なかったように、今彼らが許されている動作は、剣を振るうことと馬を制御すること、たったそれだけなのだ。
やばい、とベオウルフのそれまでの経験が彼に警告信号を放つ。
目の上の傷は、その後の戦いを継続するには厄介なものになる。
ノイッシュはなんとか態勢を立て直して、今度は逆に彼がベオウルフの横腹を狙った兵士の槍を弾いた。
けれど、その力は随分と衰えているし、時折瞳は焦点があっていないことをベオウルフは少し前から気付いていた。
クロードとシルヴィアからの恩恵は既に彼らには届かず−シルヴィアはワープで離脱したのだろうが−彼らが持っている唯一のものは自分達の体だけだ。
「ぐ・・・案の定だ・・・」
ベオウルフは顔を横に荒々しく振った。
眉間の傷から流れた血は、彼の視界を奪う。
ぽたり、と腕の中のラケシスの頬、髪、そして鎧に彼の血は落ちたけれど、今はそれをぬぐってやることも出来ない。
空は暗くなってきていた。視界がかすむ。目をうまく開けられない。
なんとか首を斜めにすることで、左眼の視界だけは確保できたけれど、それもいつまでもつのかは保証がない。動けば血は思いもよらないように流れる。いくら自分の体の中にあったものだとしてもこればかりは彼の思うようには動いてはくれないものだ。
(これ以上暗くなって、夕方の薄暗い見通しが悪い状態になると)
そうなれば片目で城門の場所を確認することすら危うくなる、とベオウルフは思った。今ですら、遠くを見ることが難しいというのに。ノイッシュは既に目の前の敵兵を相手にすることで精一杯で、どちらに馬を走らせていいのか判断がつかなくなっているのではないかと思う。
(普通は夕方になりゃあ、城門上に松明でも焚いてくれるとこだが、ま、無理な話だな・・・)
そのとき、つ、と彼の左目の睫毛に血が滴り落ちて来た。それが目に入らない様にすることで精一杯だ。
ここまでか。
ここ数年、彼は戦で死を覚悟したことはなかった。
それは傭兵として彼の腕前が格段に上達したこともあったけれど、何よりも彼はいつだって自分一人の身を守ることに重きをおいていたからだ。
それがなんてざまだ、とベオウルフは心の中で悪態をついた。
自分の子供を産んだ女を抱え、仲間と呼ぶ男を庇い、挙句に肝心かなめの視界を失ってしまうなんて。
(大将、どれもこれもあんたのせいだからな)
意味のない責任転嫁をして、彼は腹をくくった。
すまないな。デルムッド。
お前の母親をお前のもとに返してやれそうもない。
そんなことを思ったその時。
「・・・!」
まだなんとか左目を開けられる状態で、彼は、彼の道標を見つけた。
「ノイッシュ!」
ノイッシュからのいらえはない。ベオウルフは吠える。
「もう、無理だ!走れ!あとは運に任せろ!」
「・・・走る・・・?」
「これ以上ここにいたら間違いなく死ぬ。いくら槍を浴びてもいい、走るんだ!俺に、ついてこい!」
ベオウルフはあまり遠くが見えない状態で、しかし間違いなく馬を城門の方角に向けた。
ノイッシュも敵兵の攻撃をいくらか受けながらも、最後の力を振り絞ってそれに習う。
そして、ベオウルフが向かおうとしているその方角を向いた途端、彼の朦朧とした意識は瞬時に覚醒した。
「・・・!」
そこまでは、思いのほかわずかな距離だと思えた。
まるで、彼らを城門に導くように、夕方の暗くなりかけたどんよりとした空の下、神々しいばかりに緑色の光が輝いていた。
それは。
間違いなく、イザークの王女が生きているという証。
今までそんなに光が持続している様を見たことは彼らにはなかった。けれどもいくら目がかすんでも、彼らがそれを見誤るわけがない。
二人は馬の腹を乱暴に蹴って、姿勢を低くした。
人生最後の賭けかもしれない。ベオウルフは苦笑をする。
それでも、あのお姫さんに賭けるなら、悪い選択じゃない。ああ、悪くないね・・・。
彼らの馬は、衝撃に驚き激しくいななくと、狂ったように走り出した。槍兵の波の向こう側から、矢が射掛けられる。
戦う手段を失いつつあった彼らはアイラに全てを賭けた。
ああ、彼女がいる方角に本当に城門がありますように。
神様には祈りたくない。祈るのは。
この謀略によって奪われたたくさんの命達に。
ベオウルフは、荒れ狂う馬の上で、自分の血を浴びるラケシスを抱きしめた。


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モドル