祈りの狭間-8-

彼女の周囲には数え切れない屍が築き上げられていた。
それは彼女の剣の舞がもたらした、抗えない結果だ。
そこまで人を切ってでも生きる価値があるのか、と人から問われれば、「ある」と即答することは無理だろう。
ここで死んでいるグランベルの兵士達の大半は、ただ職務に忠実だっただけなのだ。
とはいえ、戦の愚かさを嫌というほど知っているけれど、謀略に巻き込まれた人間の悲劇もまた知っている。だからここで止まるわけにはいかないのだ。
そしてどちらも自分達はきっと忘れることはないだろう・・・レックスはとても静かにそう思っていた。
この死体達に君臨している緑の王女は、悲劇に巻き込まれたイザークの民のこともグランベルの民のことも知っている。
自分が切り捨てた人々には家族がいて、その人々の幸せを奪っているということも知っている。
自分が守れなかった民にも家族がいて、謀略に生活が踏みにじられたことも知っている。
戦争だから、という理由ではなく、たとえ自分が生きたかったから、という理由だとしても、その罪になんら変わりがないということを既にわかっていて、それでもなお血を浴びつづける。
本当は、そんなことを彼女は望んでいるわけではないのに。
彼は、その剣が描く軌跡を愛しいと思っていた。
こんな時でも彼女の剣はとても美しい。
人の命を奪う手段だというのに、その美しさに時折目を奪われる、とレックスは思っていた。
彼女の剣を見れば、何故彼女が神剣バルムンクを継承出来ないのかと誰もが驚くだろう。
それほどまでに彼女の剣は今では極まっていたし、戦場で舞い踊る踊り子とは異質の、それでも剣の舞を人々の目に焼き付ける。
彼女が求めている剣は、命を奪う剣ではない。命を守る剣だ。
それをそうさせてくれなかったこの謀略を許せない、とレックスは常日頃思っていた。
「アイラ!」
レックスが敵兵をなぎ倒しながらアイラの側に行ったとき、彼女は泣きながら剣を振るっていた。ちらちらとその足元には小さな火がゆらめき、下から彼女の顔を照らす。
何故泣いているのか、レックスにはわからない。それは死への恐怖からの涙なのだろうか?
彼女は向かって来る兵士をただひたすらに切り捨てる。
その集中をレックスの声が破った。
「・・・何故ここにいるんだ・・・レックス!」
両頬を涙で濡らしながらアイラは叫んだ。その途端にまるで憑き物が落ちたように、ぽう、と緑色の光が消えうせた。
辺りの敵兵はかなり数が減っていて、死体が増えた分動きにくそうにのろのろと向かってくる。
けれども、あまりの死体の量に怖気づいてその場にへたり込む兵士もちらほらといた。
死臭が充満しているその場所の中心にアイラはいた。
「お前こそ、どうしてリターンリングを・・・アイラ!?」
レックスが声をかけて馬上から見下ろすと、がくん、とアイラはその場に膝をつく。
「どうした・・・乗れ!」
力なく彼女はレックスに手を差し伸べる。その細い手をがっしとつかんで、一気に引き抜くようにレックスは彼女を馬に担ぎあげた。力ならば軍でも1,2を争う自信が彼にはあったし、アイラはいくら出産後とはいえ、もともと小柄で体重が軽かったものだから、そんな芸当も出来るものだ。
力が抜けている彼女は、馬の上に引き上げられてもレックスの体にもたれかかって瞳を閉じている。
「・・・アイラ!?」
アイラの体から汗が吹き出て、息が荒くなっているのがわかった。
それは突然彼女を襲った体の変化だ。
「・・・力が・・・入らない」
「さっきまで、あれほど・・・」
そこでレックスは思い当たる。
彼女は長時間流星剣を振るい、まるでそこに彼女がいることを誰にでも知らせるように緑色に光り続けていた。
そんな姿はそれまでの彼等の戦いではなかった。
(まるで、赤い靴だな)
舌打ちをしながらレックスは、彼に追いすがってくる槍兵の槍をがつんと弾き飛ばす。
履いたら死ぬまで踊り続ける赤い靴。その踊りを止めるために足を切り落とすしかなかった、という童話をレックスは思い出していた。
彼はこの戦場でシルヴィアが異様なほどの舞を見せていたことなぞまったく知らなかったけれど、ただ、アイラもまた命が尽きるまで剣を振るいつづけてしまいそうなほどのトランス状態になっていたことを知った。
戻ってきて、よかった。
さきほどレックスの声を聞いてアイラが叫んだ瞬間。あの緊張の糸が切れるきっかけを与えることが出来てよかったと心からレックスは思う。でなければあのまま、ただひたすら敵兵がいなくなるまで切り続けるか、それとも彼女が死ぬか。その二択しかなかったのではないかという思いが彼の胸に広がる。
あまりに多くの兵士をアイラが切り伏せたおかげか、この混乱の中でも少しの余裕が彼らには与えられた。
ほんの少しだけ、もうちょっとだけ様子を見てから城門に戻ろう、とレックスはそのまま馬を走らせる。
「なんで、逃げなかったんだ、お前・・・」
そのレックスの呟きはアイラの耳になんとか届いたようだった。
彼女ははあはあ、と荒い息をつきながらもその問いに答えた。
「・・・もう、わたしだけ逃げるのは・・・こりごりだった」
「馬鹿!生きるか死ぬかってときにそんなこと・・・」
「お前も、何故逃げなかった・・・門を開けたのだろう?」
それに対してレックスは話をそらす。それをいわれてはおあいこになってしまうからだ。
「・・・なんで、泣いてた」
アイラは目を細めてレックスを見る。もう一度だけ、つう、と涙が頬を伝った。
「ただわたしは生きたいだけなのに」
「うん」
「何故、あんなたくさんの人間の命を奪わなければいけないのかと思った・・・思ったら」
「うん」
「余計に、死ねなくなった・・・人間は都合がいいことを考えるものだ・・・」
そういいながらアイラは苦しそうに「はーっ」と息を吸い込んで、そしてまた大きく吐いた。
両腕で力いっぱい抱きしめたい、という気持ちに駆られたけれど、今はそのときではない、とレックスはアイラの様子を伺った。彼女は体に力が入らないようで、呼吸をする以外はもうぴくりとも動かない。
「レックス・・・腕と足が痙攣している・・・」
「・・・大丈夫か!?それに、お前あちこち傷だらけで・・・」
「お前も・・・」
確かに二人は傷だらけだった。
レックスは相変わらず脇腹に矢が刺さったままだったし、ももの傷もふさがりきっていない。
それ以外にもあちこち攻撃をうけ、お互いに今までの戦でうけた傷すべてをくっつけてもまだ足りない、というほどの状態になっていた。レックスの髪は、あまりの激しい攻防のためにかなり乱れて落ちてきていたし、胸当て部分は何度も槍の切っ先によって切り裂かれていてもうあまりその効果はなさそうに思えた。
途中までクロードのリザーブの恩恵を感じることが出来たけれど、もうそれもない。
クロードが死んだか、杖の力を使い尽くしたか、のどちらかだと彼らはわかっていた。
レックスはアイラを起こして、自分の上半身に体重をかけさせた。
体を起こした方が息をしやすそうだったからだ。もちろん、その分攻撃は受けやすくなってしまうけれど。
「レックス・・・」
「うん?」
「来てくれて、ありがとう」
「ああ・・・。いいから静かにしてろ・・・」
レックスは体の痛みよりも、胸の奥が痛む感触に顔を歪めた。それはつらさを伴う痛みではない。
生きるか死ぬかの戦場で、しかも自分の体の自由が聞かないというこんなときにさらりと礼を言えるアイラが好きだと何のためらいもなく思った。
そして、こんなときにまで腕の中の恋人への愛しさをつのらせるこの恋愛に胸が痛んだ。
あり得るわけがなかったのだ。自分を置いてアイラがリターンリングで離脱することも、アイラの離脱を確信出来ない状態で自分が城門から離脱することだって。
彼等は戦に身を置く人間だから個人の感情はいざというときは押し殺さなければいけない。
だから一度足りと、生死を共にしようとなんてことを口に出すことはお互いになかった。
自分が戦場で命を落とすときは一人で死ぬだろうし、相手が命を落とすときだって一人なのだろうと決まっている。
そうだと思っていた。けれど、自分はここにいてアイラはここにいる。
子供を産むために彼女をリューベック城に残して来てしまったけれど、もう二度と離れたくない、とレックスはアイラを支える腕に力を込めた。
と、そのとき、敵兵の勢いをまだ感じさせる音と声が彼らの前方から聞こえた。砂煙にまぎれて、そちらの様子はよくわからない。レックスは警戒をして、斧を握る手に力をいれた。
彼の前方は砂煙といまだ消えぬ赤い炎に包まれている。城門近くはメティオの洗礼を受けていなかったけれど、バーハラ城側はちらちらと不吉な炎が揺らめいている。何もない地面からいつまでも炎が燃え続けるわけがない。それは死体を包んでいるのだということをレックスはわかっていた。バーハラ兵が放ったメティオは、もしかしたら自分達シグルド軍のことよりも、同じバーハラ兵の体を焼き尽くしているのではないだろうか?それはなんとどうにも出来ない、救いのない戦の構図なのだろう?
と、その砂煙の向こうから、馬のひづめの音が大きく聞こえてきた。一体誰だろう・・・レックスは苛立ちながらも慎重に様子をうかがった。ちらり、と馬の影が見えた気がする。
目をこらそうとした瞬間、レックスは自分の背後からも大きな声があがったことに気付いた。、
わあああ、という敵兵の声。馬を一旦その場に止めてレックスが振り向くと、城門側からも幾分か新手の敵兵が現れたのが見える。ち、と舌打ちをして前進しようか後退しようか一瞬レックスは惑う。
ホリンは、大丈夫だろうか・・・彼の脳裏にその不安がよぎったけれど、少なくとも城門が開いているということは、ホリンはまだ死守してくれているのだということだろう。
「・・・もう、お前と話をしてる暇もなさそうだな・・・。アイラ、一緒に・・・」
「うん」
「一緒に、子供達のもとに戻ろうな」
「・・・ああ。お前と・・・」
力なく、それでもアイラはレックスに笑顔を見せた。それを確認してレックスも微笑む。
たったそれだけで十分だ、と思った。アイラは、死ぬ気はない。もちろん自分も。
ならばやるべきことは一つだ。新手が出てきた以上、これ以上の深入りは出来ない、とレックスの勘は彼に告げていた。
誰が生き残っているのかはわからないが、ここが潮時だ。引き返すしかない。
近づいてくるひづめの音。
レックスはその馬を操るのが一体誰なのかを確認するため、改めて砂煙の向こうに目を向けた。いまだよく見えない。が、少なくとも敵ではないことは確かだ。
「さあて、と。もうひと踏ん張りするか・・・おい、アイラ」
「・・・?」
アイラはうっすらと瞳を開けることだけで精一杯の様子だった。まだ体から汗は流れ出てとまらないし、息は荒い。完全に全身の力は抜けていた。痙攣の様子は見た目でわからないからレックスには感じられないけれど、その脱力状態を見れば、とにかく彼女は今自分の意志で五体を動かせないのだろうということだけはわかる。
「一緒に城門に行く仲間が出来たみたいだぞ」
レックスはベオウルフの馬がこちらにむかって突っ切ってくる姿を遠目で確認した。
(ありゃあ・・・もう、走るだけで限界ってことだな・・・)
ベオウルフの後ろにもう一騎いるようだ。
が、どちらも馬上の人間は体を上げていない。あの男があんな態勢になっている、ということは、もはや敵と戦うことを諦め、ただひたすらに走っているだけなのだろう、ということが読み取れた。その程度のことが予想出来ないほどのぼんくらではもうない。
「仕方ないな・・・楽させてくれないらしい・・・」
アイラが一蹴してくれたこの辺りはまだいい。
けれど、今、城門側からも新手が現れているのだ。そのまま突っ切ろうにもきっと無理があるに違いない。
ベオウルフ達が実際のところどれだけ消耗しているのはわからないが、とりあえずここで血路を切り開くのは自分なのだろうな、とレックスは覚悟を決めた。
レックスは、近づいてくるベオウルフ達の先頭を切るように、勇者の斧を握りしめて馬を城門方向に転回させる。
これが、最後の戦いかもしれない。
ほんの一度だけレックスは腕の中のアイラの血にまみれた髪に軽く顔をうずめ、それから顔をあげて走り出した。

ラケシスは、ぬるり、とした感触に気付いて、瞳をうっすらと開けた。
馬上だ。誰かが自分に覆い被さっている。
目が覚めた瞬間、血の匂いだけが彼女の世界を支配する。
「・・・えっ・・・」
誰かが、自分を馬に乗せて、そして前かがみで馬の体に密着して走っているのだ。敵の攻撃を避け、ただひたすら走ることを目的とした姿勢だ。ラケシスはその誰かの胸元付近に顔があり、同じように前かがみで馬にしがみつくような態勢になっていた。上に被さっている人間の左腕が彼女を支えて、落馬しないように押さえつけていてくれているようだった。
すさまじい速度で馬は走っていた。これが、ヴェトマーからバーハラまで今日一日で走りつづけた馬の体力か、と思えるほどだった。彼らは、自分達の馬すらもシルヴィアの舞の加護を受けているということを忘れがちだ。
敵兵はその勢いに蹴散らされ、そして幸運なことには未だ馬に致命傷を与えることが出来ていない。
何が起きているの。
もぞ、とラケシスが体を動かすと。
「動くな」
耳慣れた声が聞こえた。誰の声なのか、すぐさまラケシスにはわかる。
「ベオウルフ・・・?」
「このまま、城門まで突っ切る。動くな」
彼の声は重く、生気を感じさせない。
「・・・怪我を・・・」
自分の体はどこも痛くない、とラケシスは思い、はっと気付いた。
この、自分の顔や手、服に染み渡っているぬめりは、すべてベオウルフの血ではないのか?
ほんの僅か動くことでラケシスは彼の体の下から、進行方向の景色を確認することが出来た。
「城門が・・・っ」
もう、城門までほんのあと少しのところだと彼女は確信する。
と、そのとき、自分に覆い被さって体を支えてくれていたベオウルフの左手が、彼女の体からふっと離れた。
いや、違う。
離れたのではない。
だらん、と力が抜けてそのまま垂れ下がったのだ。
「・・・!?」
体を起こさずにラケシスは彼の左手の行方を目で追った。
だらり、と馬の脇腹に垂れ下がったその腕は、肩から流れているらしい血に彩られている。
だから、彼が自分を支えていた場所の衣類が血を吸っていたのだ・・・ラケシスは動くなといわれたことを忘れ、ベオウルフの顔を見るために頭をあげようとした。が、突然ラケシスに彼の体重はのしかかってきて、それがままならない。
彼が自分を抑えつけるためではなく、もはや体に力をいれていられなくなってしまったのだろうということに気付いて、ラケシスは狂おしく叫んだ。
「ベオウルフ!しっかりして・・・しっかりしなさい!」
「・・・ここでお別れだ」
それは、今までラケシスがベオウルフから与えられた数々の痛い言葉の中で、もしかしたら最も残酷な言葉だったかもしれない。ラケシスは更に声を高く、彼の名を繰り返し叫んだ。
「ベオウルフ!」
それへのいらえは苛立つほどに冷静で、そして耳を澄まさなければ聞こえないほどの声だ。
こんな彼のか細い声は聞いたことがない。ラケシスは嫌な予感に体をこわばらせる。
「・・・剣をもって行け」
気がつけば、ラケシスの体の下に、たった一本剣が無造作に挟まれていた。影になっていてその姿は見えず、体の下敷きになっている感触しか彼女には確認できなかったけれど、ラケシスにはわかる。
それは長い間彼が振るっていた剣だ。
いつも彼は部屋の隅でその剣を磨いていた。たとえ一緒にいるときでもラケシスは彼が剣の手入れをしているときには話し掛けることはなかった。彼は自分の命をそれで守って来たという自負があったし、決して口には出さなかったけれどそれへの感謝の念が強い男だった。傭兵であるからには、定まった武器に必要以上にこだわることは意味がないが、ラケシスは彼のそういった部分は「好き」と素直に思えた。
多分、ベオウルフの好きなところを聞かれたら、敢えて言うならば剣の手入れが丁寧なことだ、とラケシスは答えただろう。
そんなことは当たり前だ、と人に言われることはわかっていたけれど。
それでも、「好き」とラケシスがなんの気恥ずかしさも感じずにそう断言出来る唯一の部分がそれだった。
残念ながら、というか幸運にも、というか、誰からもそんなことを聞かれたことはなかったけれど、それはラケシス自身もわかっていることだ。
だから、わかる。これは彼が一番愛用して、そしていつも丁寧に手入れをしていたあの剣だ。
鞘も柄も血が固まりかけているそれを、ラケシスは震える手で握り締めた。
そのとき、ぎぎぎぎ、と大きな音が前方から聞こえる。不吉な音にラケシスは眉根をひそめた。
あとわずかで城門だ。だというのに、それがゆっくりと閉まっていく様子をラケシスは瞬きをせずに確認した。
ベオウルフがうめく。
「閉まる音がするな・・・」
「・・・お前は・・・っ」
その言葉で彼がもはや視力を失っていることをラケシスは察した。
けれど、聴力と声帯は彼に残されているのだろう。彼はぼそぼそと続けた。耳をこらさなければもはや聞き取ることも出来ないその力弱い声を、ラケシスはすがるように全身で耳を傾ける。
「止まるな。後ろにノイッシュがいる・・・お前が止まれば、やつの命も救えないだろう・・・城門まで・・・このまま突っ走れ」
こんなときでもなんてこの男は正しいことを言うのだろう。
ラケシスの両眼にぶわ、と涙が溢れた。彼の顔を見たい。なのにそれすらかなわない。
身動きが出来ないもどかしさと迫り来る何かの予感に苛まされてラケシスは声を荒くする。
「止まらないわ。脱出するの。そして、お前も生きるのよ!」
「・・・悪い」
「・・・悪いと思うなら、生きなさい!生きて!」
「・・・」
ベオウルフからの返答はない。
お願い、あなたの、声を、聞かせて。
「ベオウルフ!」
それでも、彼からの言葉は返ってこない。
顔が見られない、彼の様子がわからないもどかしさと焦りの中、ラケシスは涙声で、しゃくりあげ出しそうになるのをこらえて叫んだ。
「わたし、あなたとっ・・・!」
その瞬間。
ラケシスにはしゅぱん、と音が聞こえた。彼女からは見えるはずもなかったが、右横からベオウルフの体に矢が刺さった。
力を失っていた彼の体はその衝撃に耐え切れずに左に吹っ飛び、その手は手綱から離れて、彼は宙に投げ出された。
「・・・っ・・・」
ラケシスには何が起こったのかを把握することが出来なかった。
突然今まで自分を覆っていた彼のぬくもり、彼の重さを失い、新たに彼女に与えられたのは、槍兵が投げつけてくる手槍と弓兵からの矢の猛攻だ。
体を起こせば多分そのまま攻撃を受けて生きてはいられない。
耳を澄ませば、馬のひづめの音は確かに後ろからも聞こえていた。
ノイッシュの馬なのだろうか。
あり得ないとは思いつつも、もしかしたら。
そう、もしかしたらノイッシュがベオウルフを助けてくれるかもしれない・・・。
いいや。
ラケシスはほとばしる涙を止めようともせずに、ただひたすら身を低くして馬にしがみついた。
彼は、お別れだと言った。
ならば、きっとそうなのだろう・・・。
そして、鈍い音を立てながら閉まる城門にラケシス達は必死に向かって行った。

ベオウルフ達のために途中までの道のりをこじ開けてから、レックスは彼らが向かう城門からほんの僅かに離れた角度に馬を走らせた。
城門の開閉装置を守っているホリンのもとへ行くためだった。
いざとなればアイラのリターンリングをホリンに渡して、自分達はこのまま馬で走れるところまで走って脱出をすればいい。
それが彼の思惑だ。
ベオウルフ達は馬を走らせることだけに必死で、あまり意志の疎通はとれていなかったけれど、あの満身創痍の状態を見ればもはやこれ以上仲間を救いに行くことは無理だとレックスは判断した。
ならば、せめて、あとはホリンだけでも。
あとはベオウルフ達の運に任せる、という程度まで敵兵を蹴散らしてからレックスは開閉装置に向かった。
新手の兵士は、馬の足止めをすることを重視した重装備の兵士が多かった。
俊敏さはないけれど、簡単に蹴散らすことが出来ずに、結果レックスはかなりの手傷を負うことになってしまった。
もはや彼も全身血まみれで、どの傷からどの血が流れているのかも判断がつかない。
それでもかなり頑丈な鎧を着込んでいたことで敵兵の攻撃を受けても耐えられていた。逆に、その鎧のせいで彼の体力は消耗してきていたけれど。
それにアイラを乗せていることが彼の動きを制限する。流星剣を長時間ふるっていたことが余程の消耗だったのか、ぷっつりとアイラの意識は途絶えてしまった。
もしかしたら、このままアイラは死んでしまうのではないか。
その思いがレックスに焦りを産んだ。
「ぐうっ!!」
レックスは、左腕に矢を受けた。
奇しくもそこは、父親ランゴバルドによって傷つけられた箇所と同じだ。
が、弓兵はもう相手にはしていられない。
きん、きん、と馬具に当たって矢が跳ね返る音が聞こえる。
彼の馬は幾分か矢からも槍からも傷を受けていたけれど、鈍いのかなんなのかありがたいことに普通に働いてくれる。
それがかなり彼らには救いになっていた。
(俺の方がやばいな・・・)
避け損ねた槍が右腕の二の腕をえぐっていた。そのせいで彼が振るう斧の威力は落ちている。
なのに相手は重装備なのだから、たちが悪い。
彼はもう、自分が乗っているこの馬に命運をかけるしかないことを承知していた。
(あそこだ)
戦いながらも、ホリンが守っているはずの開閉装置の場所をレックスは確認をした。
そちらに向かおう、と斧を横になぎ払ったそのとき。
無情な音が、彼らの耳に飛び込んできた。
ぎぎぎぎ、と鈍い音。
「・・・ホリン!」
レックスは引きつった声で叫んだ。
その叫びと鈍い音に気付いて、アイラはふ、と意識を取り戻す。
城門が閉まる。
それは、ホリンの死を意味する音だ。
(それとも、これまで、と見て離脱をしてくれたのか・・・?)
本当のところはわからない。
どちらもありえるとレックスには思えた。
最後まで城門を死守するために犠牲になったのかもしれないし、このままでは誰も助からない、とふんでホリンは自力で離脱をしたのか。そしてそのどちらの判断も間違ってはいないように思える。
が、レックスは、多分ホリンは死んだのだろう・・・と、その選択肢を簡単に許容した。
何の根拠もなかったけれど、何故かそれが正しいと思えた。
なんてことだ。
「・・・レックス!!」
突然のアイラの声に、レックスははっと我に返った。
自分の馬が立てる砂煙のせいでレックスの左側に槍兵が5,6人一列に立ち並んでいることを気付くのが一足遅かった。
彼らは少し遠い間合いから、一斉に手槍をレックス目掛けて投げつけた!
「・・・ぐはあっ!」
レックスの叫び声と馬のいななきが重なった。
アイラを守ろうと少し体を丸めていたレックスの斜め後ろから放たれた手槍の一本は、彼の背中側、左腰の少し上あたりに痛烈にヒットし、彼を仰け反らせた。
それと同時に彼らが乗っていた馬は3本の手槍を受け、痛みに大きく跳ね上がると主たちを振り落として暴れだす。
その首筋に矢が2本射掛けられ、断末魔をあげながらぐるぐるとその場を意味もなく狂ったように回り、やがてその大きな体を横たえた。
「うあああっ!」
支えてくれていたレックスの体ごとアイラも馬から投げ出され、敵兵の前に無残に叩きつけられる。傷ついている体はその衝撃に痛みを倍増させ、アイラは叫んだ。
視界に血の色が広がった。
槍に刺され、体を地面に打ちつけられたレックスから流れ出る血だ。
そして、打ち付けられたときにレックスの腰につけた薬袋がもげて、その中身が地面にぶちまけられる。
回復するための薬は何一つなく、その中に唯一入っていたのは。
レックスがランゴバルド卿と対峙するときに、アイラが彼に渡したお守りだけだった。
そのことに胸が熱くなり、アイラの両眼に熱い涙が溢れてきた。
ああ、こんなときなのに。
自分が渡したお守りを後生大事に身につけてくれている、この男が愛しくてしかたがない。
けれど、今彼を守るもののはそんなちっぽけなものではなく、ここにいるわたしであって欲しい。
視界が歪む。アイラは、祈った。
(・・・動け!動いてくれ、わたしの・・・わたしの体!)
投げ出されてしたたか体を打ち付けて出血が続く中でも、彼はアイラを放しはしなかった。
軽くレックスの左手が自分の左腰に添えられているそのぬくもりが愛しくて、アイラはぎゅ、と唇を噛み締める。
まるで鉛をつけたように自分の体が言うことを効かず、足も腕もうまく動かない。
このまま二人で命を奪われる瞬間を待つしかないのだろうか。
それは許せない、とアイラは瞳を閉じた。出来る限りの五感への刺激を遮断して、自分の体への命令だけに意識をむけた。
緩やかな変化だったけれど、ぴくり、と指先が動いた。
アイラは最後の力を振り絞って、自分に触れるレックスの左手にそっと自分の左手を重ね、入らない力を無理矢理入れるようにその場所に集中をした。
敵兵達が彼らを囲む音がする。
(出来るのだろうか・・・効力は、それをつけている人間一人分のはずだ)
レックスは呻き声ひとつすらあげていない。
死の足音がもうすぐそこに聞こえていることに、アイラの全身は鳥肌を立てる。
どくん、どくん、と心臓の音が高鳴る。
まるで自分の体すべてが心臓になり、生きるための機能をただひたすらに果たしているようだとアイラは感じた。
動こうとしても動けない。
ただ、自分が出来る自分の役割をこなすことだけに忠実な、愛しい自分の心臓を彼女はイメージしていた。
(もし、わたしだけが生き残れば、そのときは)
もはや、躊躇する必要はないと思えた。アイラは自分の薬指につけているリターンリングと、その左手に重なっているレックスの手に神経を集中させる。ぴくり、と僅かに指が動き、おぼつかない動きでレックスの指と自分の指を絡めた。それが彼女の最後の力だった。もはや動くことは叶わないと思える。
体は流星剣を発動させ続けたことによって、もはや使い物にならない。
けれど、心は。
こんな終わりではない、と自分の中でくすぶっている強い光はまだ消えない。
たとえ、戦に慣れたその全身が敵兵の気配を感じ、突きつけられる複数の武器の気配を感じてでも自分はまだ屈しないとアイラは強く思う。
「とどめをさせ!」
ああ、残酷な声が聞こえる。
もしも。
もしも神様というものがいるのであれば。
きっと神様はわたしたちのような虫けらのようなこの命には興味がないのだろう。
そうでなければこの理不尽な死を受け入れることがどうして出来ようか?
どれだけ泣いても叫んでも、声を枯らしても。
わたしたちの声は神様に届かないし、届いても神様の心を振るわせることが出来ないのだ。
わたしはもう一生神様になぞ祈らないと思っていた。
けれど。
アイラは瞳をぎゅっと閉じて強く強く祈った。
その瞬間、彼らに無数の槍が突き立てられる!

すべてが終わった。
生きている者達は、同僚を失った悲しみよりも、もはや自分の命を犠牲にしなくてもすむのだ、という安堵感に心が支配されているのではなかろうか。
空は暗く、夜のとばりがバーハラを覆い尽くそうとする時刻だった。
もはや城門付近にバーハラ市民が来ることもなければ、城から出てくる者もない。城側はアルヴィスの手配によって夜の外出は今夜は一切許可されていない。忠実な兵士達がただただ戦の残処理に奔走しているだけだ。
その光景は凄惨極まりないものだった。アルヴィスは淡々と兵士に指示を出し、死体の回収と焼けて煤けた地面に新しい土を運ぶ準備を整えていった。そんな彼に、一人の男が悲痛さを秘めた声をかけた。
「なんという有様でしょうね、アルヴィス卿・・・」
「どうということはない」
アルヴィスはその問い掛けに「ふん」と軽く顔を歪める。
「あなたは、これで満足しているのですか・・・」
「満足?これはおかしなことを申される。わたしはただ反逆者達を裁いただけだ」
「わたしにまで、そのようなたわ言をこれ以上言うのですか」
淡々とそれを告げたのは、アルヴィスの目の前で兵士達に両腕を捕まえられ、ひざを地面についているクロードだった。
彼はとても静かにアルヴィスを見ていた。
炎に一時的に巻かれて服を焦がし、靴は人々の血や土に彩られていたけれど、彼は唯一大きな傷もなくバーハラ兵に捕獲されたのだ。
自ら死を選ぶことは彼には出来なかった。
彼は、自分の運命をただ受け入れようとその場で瞳を閉じ、敵兵から与えられるであろう命の終焉をただ待っていただけなのに。
「あなたはご自分が何をしているのか、わかっておられるのですか?」
「・・・では貴様は何をしたというのだ」
アルヴィスからの言葉は冷たい。
クロードは眉根を寄せてアルヴィスを見つめる。
彼がしたいのはそういう問答ではない。わかっていながらこの男は知らぬ顔を決めている・・・クロードは疲れたように息を深く吐いた。
「・・・わたしをどうする気ですか。わたしは反逆者とあなたが決めつけたシグルド軍の人間ですよ」
「そして、ブラギ神の声を聞く唯一の人間だ」
「わたしは何の役にも立たないちっぽけな人間です」
「それを決めるのは貴様ではない・・・持ち物を調べて、怪しいものは没収しろ。それから東の塔の最上階に案内してさしあげろ」
アルヴィスはクロードを捕らえている兵士に命令をして、バーハラ城にある塔に目をやった。
東の塔の最上階。
そこが重罪人の牢獄だということをクロードは知っていた。自分は、当分生かされるのだろう。そこから先の展望は今の彼には想像もつかず、ただ兵士にひっぱられるに身を任せるだけだ。
「・・・ふん」
アルヴィスはおもしろくもなさそうに兵士達が動く様を眺める。
思ったよりも手間取った。だが、シグルドは自分がこの手にかけて葬りさったわけだし、形が残って判別がつく死体はいくらか確認はとれている。何人か逃したようだが、バーハラ側からもヴェルトマー側からも追っ手が出ている。
アゼルの死体は確認を取れていない。それは少しだけ彼の心を波立たせたが、理性でその気持ちを心の隅っこに追いやる。
(アイーダからの報告が来る時間だな)
アルヴィスは焼け野原になったその光景に背をむけた。
そのとき
「これは、なんだ」
兵士の声が聞こえる。それと共に鈴の音が鳴り響いた。
「・・・それは・・・」
クロードの懐から、あまり綺麗とはいえないいくつかの小さな鈴が束ねられたものを兵士が取り出し、地面に放り投げる。
しゃらん、という普段聞きなれないその音にアルヴィスは振り返り、つかつかと近寄ってきた。
「それは、なんだ?」
クロードはその問いに静かに答える。
「みてのとおり、鈴です」
「何か魔道の力でも吹き込まれているのか」
「いいえ、ただの、鈴です」
「・・・バルキリーの杖すらもたずに、こんなものを懐にいれているとは笑わせる」
「どうぞ、笑いたければ笑ってくださって結構ですよ」
クロードは彼らしくもなく、そんな皮肉めいた言葉を反抗的に口に出した。アルヴィスの頬がぴくりと動き、忌々しそうにその足で鈴を踏みつけた。
ぎちぎちと嫌な音をたて、鈴はアルヴィスの靴の裏で形をかえ、分解され、原型をとどめなくなるまで踏みつけられた。
クロードは顔色ひとつ変えずにそれを見つめている。
もはや彼にはそれを必要とする理由がなかった。
冷たい牢の中で、あの踊り子との繋がりを形に残しておく必要はない、むしろないほうが自分のため、いや、彼女のために良い、とクロードは虚ろに思う。多分自分は塔の上でいつ終わるかはわからないこの先の人生を送るのだろうし、よしんば牢から出られることになったとしても、それは自由の身として釈放されるということではないのだろう。
免れることが出来ないそれについて憂えることは意味がなかったし、彼の心はもはや穏やかだった。
ただ。
ただ、あなたは、幸せに生きて。
この思いだけが、彼女に僅かにでも届けばよい。
死んでいった仲間達やバーハラ兵に、安らかに眠れ、と祈るつもりは彼にはもはやなかった。
それでも、生き延びた誰かにだけは最後に祈り続けたい、と思う。
せめて、憎しみに囚われずに生きてゆくことを。
この運命の日を忘れろとは決して思わないけれど、ただひたすらに。
あなたが、幸せでありますように・・・。
クロードは目を伏せる。

すみません、シルヴィア。
あなたに、何も返してあげるものがなくて。
かなうことがない約束をしてしまったわたしを許してくださるでしょうか?

美しい鈴の音だけが、この焼け野原を前にして、彼の耳の奥で鳴り響いていた。


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モドル