片言の祈り-1-

キュアン達が春の前にはレンスターに戻る、という話がシグルド軍では正式にみなに伝達された。
その時点では雪があまりにも深く、実際はいつになったら帰ることが出来るやら、とキュアンを苦笑させていたけれど、そういったタイミングは土地の者であるレヴィンにアドバイスを貰うことになっている。
ベオウルフはキュアンのたっての頼みで、残り少ない(というほどシレジアの冬は早くは終わらないのだが)日数で、フィンに馬術を教えてやることになっており、どうやらこのシレジアに来てからというもの彼は人に「教えづいて」いるようだった。
シグルド軍における初めに彼の「教え子」になったラケシスは、先日マスターナイトに昇格して、既に彼の手から離れた。それでもラケシス自身は鍛練を怠らず、シレジアの寒風の中、雪中での戦闘に慣れるために日々精進をしている様子だ。彼女のその態度を見ては、伊達や酔狂でマスターナイトになったわけではなく、明らかに先に見える戦いに本気で備えているのだ、とわかる。そうであればシグルド軍のほかの面々も怠けてはいられない。
そういうわけで、今までラケシスに稽古をつけていたベオウルフの時間は、フィンを教える時間になった。
そして、ベオウルフに稽古をつけてもらっていたラケシスの時間は、一人での鍛練の時間に。
もともとベオウルフがラケシスに馬術やら剣技などを教えるようになったのは、そもそもシグルドがベオウルフにラケシスを「任せた」ことから始まっている。
兄エルトシャンの死後、シレジアに到着してからというもの与えられた自室で塞ぎこんで、いつ自害してしまうかと周囲をはらはらさせていた彼女がここまで立ち直ったのは、誰がなんと言おうとベオウルフの尽力によるものであったし、彼女自身もそれを否定はしないだろう。
シグルドの人選は間違ってはいなかったようで、自室に閉じこもりきりだったラケシスに対して朝晩の「ご挨拶」を続けていたベオウルフは、彼女を部屋から自ら出させることに成功し、終いには、これは彼の意志ではなくラケシスの意志であるが、彼女をマスターナイトの称号を得るところまで精神的にも肉体的にもありとあらゆる面で以前の彼女からは想像できないほどの成長を遂げた。
彼女の気持ちが開けていくに従い、ベオウルフはやがて少しずつ彼女との距離を離していき、朝晩の挨拶を控え、出来るだけ自分以外の面々と彼女のコミュニケーションを取るように、と周囲が気付かないような調整すらもなんなくこなしていった。
シグルドは、君がそこまで細かいことが出来る人間だとは思っていなかった、と本人に漏らしたけれど、ベオウルフはそれを「面倒になったからちょっとずつ会わなくなっただけで、計画的でもなんでもない」と一笑に伏した。
そんなわけで、シレジアで年明けを迎えてからベオウルフはフィンに稽古をつけ始めたのだが、それからひとつき以上もたった頃は一日にラケシスと会話をしないことすら不自然ではなくなっていた。
そして、ラケシスも。

その日、ラケシスは昼前にシグルドに呼ばれてめずらしく彼の部屋に向かっていた。
春にかなり近づいてはいたものの、それは暦の上でのことだ。
年が明ければ春が近い、という感覚はあくまでも冬が厳しくない地域の人間のものらしく、このシレジアでは何の意味ももたらさない。それほどに未だ雪深く、朝晩の冷え込みは厳しい。
雪をかきわけて、人々が通るための道を作ったと思っても、それは夜中にひっそりと降り積もる雪に再び覆われて、何もかもなかったことにされてしまう。シレジアの人々はそれを無駄な徒労とは思わないらしいけれど、なかなかシグルド軍の面々はその感覚に慣れることは出来なかった。
ラケシスは最近お気に入りの茶色いショールを肩からかけ、息が白い通路を歩く。
毛糸で織られたそのショールはあまり重くない割に温かく、部屋にいるときはひざかけ代わりに、セイレーン城内を歩くときは肩にかけ、と随分大活躍してくれていた。あまりに毎日使っているため、毛玉が既に出来てしまい、なんだかみすぼらしくも見えるけれど、その機能性のために彼女はそれをなかなか手放せなかった。
その「温かい」という感覚は、シレジアに来てからしみじみわかるようになったものだ。
寒さを心底感じることが出来て、初めてその温かさを実感出来るのではないか、とラケシスは思う。
雪がひどく降る夜、時折彼女は部屋の窓を開け放つ。
風が吹き荒れる日は、強風と共に降りしきる雪が彼女の室内を濡らす。
ほんの一瞬でその風と雪は彼女の体を冷し、室内を冷し、大自然の抗いようのない脅威的な力で小さな自分と小さな自分が生きることを許された空間を支配する。
何故か理由はわからなかったけれど、彼女はその瞬間、泣きたくなるほどの今まであまり知らなかった感情を感じて、体の冷たさとは別に、きゅう、と何かに胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
そして、ほんの一瞬自然洗礼を受けただけですっかり凍えきってしまった自分の体を温めるために、暖炉に向かう。
彼女には、勇気がなかった。
暖炉の火を消してから、窓を開ける、という愚行を未だに出来ない。
それはする必要がないことだ、とわかってもいたけれど、暖炉の炎のおかげでじわじわと体の外側から温められている感触を感じつつ、「もし、この炎がなかったら、わたしはどうなってしまうのだろうか」なんてことを時折考えてしまうのだ。
答えは簡単だ。
寒さに耐えられなくなって、「早く火を・・・」なんて呟きながら暖炉に火種を入れる、あるいはベッドの中に飛び込む。そんな程度だ。
それでも何故か、彼女はそう思わずにはいられないのだ。
一体その気持ちが、どこから来て、どういう意味をもつのかを知ることは、今はまだ出来ない。
しん、と静まり返ったセイレーン城の通路。
まだ昼間だというのに、ごくまれに女中の姿が見えるだけだ。
誰も彼も寒さのせいで自室にいるか、それとも皆で集ることが出来る、少し大き目の広間にいるに違いない。
シグルドの部屋はその広間からあえて少し遠い場所にあったから、そちらに近づくたびに、どんどん人の声、人の音がなくなる。
冬は、ひとつひとつの音がとてもよく聞こえる。
ラケシスはそんなことを思った。
そう思った時の「冬」が一体、ノディオンにいた時に知っていた冬をさすのか、ここシレジアの冬をさすのかは意識していない。
ただ、何もかも。
動物や植物は当然ながら、人間もまた活動を緩やかにして、春を待つ。
生命があるものの活動が緩やかになるということが、あまり音を産み出さなくなるのだ、ということを実感したことはなかった。
逆を言えば音がある世界、というものは何かが生きている世界なのだろうし、音がない世界があれば、そこは何者も存在しない場所なのだろう。
兄エルトシャンのことを考えながら部屋に閉じこもっていたとき、部屋の外の物音、窓の外の物音すら苛立ち、そのうち暖炉の火が燃える音、そして最後には自分の呼吸の音すら苛立った夜があった。
それは「お前は生きている」ということを知らせてくれる、残酷な音だった。
今はその音を冷静に聞くことが出来る、とラケシスは思う。
そして、こんなことをわざわざ考えたことがある人間が、この城の中に何人いるのだろう、なんていうあてのないことまで考えながら、彼女はシグルドの部屋に辿り着いた。

ラケシスがノックをして名乗ると、開いているよ、と柔らかい声が室内から聞こえる。
シグルドの声は男らしいけれど優しい、とラケシスはいつも思う。
戦の時は当然ながら凛とした声も出すけれど普段の彼はとても柔和な男性をイメージさせる声、おおらかな男性をイメージさせる笑い声を出す人間だ。
彼女はいわれた通りに室内にはいって扉を閉める。そのままラケシスが立ち尽くしていると、その様子にシグルドはすぐに気付いて、
そこにどうぞ、と客用のカウチを指し示してラケシスに勧めた。
シグルドは暖炉に近い一人用の、あまり腰が沈みすぎないソファに座っているけれど、それは暖炉に近い特等席なのではなく、薪くべ係にふさわしい場所だ。
飲み物は、とのシグルドの問いかけに、ラケシスは、茶を飲んできたばかりなので結構ですわ、とよどみなく答える。
その受け答えからは、一時期のかたくなさが多少抜けたようにシグルドには思える。
シレジアに来て以来、シグルドは必要以上にラケシスを刺激しないように、と細心の注意を払っていた。ベオウルフに彼女のことを任せてからというもの、ラケシスはどのような心の動きがあったのか、突然武芸に励み、気付けばマスターナイトの照合を与えられるほどになっていた。それは決して悪いことだとはシグルドは思っていない。
ラケシスはこのままシグルド軍で、必要であれば戦い抜くつもりなのだと、あえて確認こそとらなかったが確信していた。それゆえ、彼女を呼び出した今日の用件を口に出すのは、彼には多少の躊躇があったのも仕方がない。
「最近、またいっそう稽古に励んでいるそうだね」
「雪の上での戦いは不利ですから、慣れておこうと思いまして」
身分のことでいえば、明らかにシグルドはラケシスよりも下の地位だ。
それでもこの軍の将であるシグルドをラケシスはたてていたし、何よりも彼は兄エルトシャンの親友だ。無礼な口を利けるはずもない。
なかなか切り出されない用件にわずかな苛立ちを見せながら、暖炉に薪を追加するシグルドの動き、言葉に神経を尖らせる。
とはいえ彼女は決してシグルドのことが嫌いだというわけではない。
「ラケシス、今日、君を呼んだのは」
「はい」
薪をくべ終えて、ようやくシグルドは落ち着いてラケシスに切り出した。
「今、エルトシャンの奥さんと、その子供の、行方が知れないらしい」
「えっ・・・」
「一時的にどこかに隠れているのか、それとも、完全に誰かの保護下にいるのか、情報が交錯していることなのかはよくわからないけれど」
ラケシスは驚きの声をあげた。
それは、シグルドが伝えるその内容に驚いたのではない。
シレジアに来て、初めてアグストリアの、ノディオンの情勢を耳にした気がする。
そして、その情報はわざわざそれを知ろうとしなければ耳に入らないだろうものだとラケシスでさえ知っている。
「生きては、いるのでしょうか」
「多分ね。いくらエルトシャンがああいうことになったとはいえ、一国の王家を滅ぼすようなことを、グランベルだってしやしないと思うけれど」
そういいつつ、シグルドは渋い表情を作った。
それはかなりの期待だ。というか、推測ではなく期待以外の何者でもない。
実際にイザークはアイラとシャナンが逃亡をはかったことで王族の血は途絶えていないし、ヴェルダンだってそう変わりはない。ここに到るまでのグランベルのやり口を見ても、それでもまだシグルドは、母国を信じたいと思っているのだということをラケシスは感じた。
今はそれを非難するべきときではない。
彼がノディオンのことを気にしてわざわざ探りをいれてくれたのは明らかだ。
ラケシスは自分の立場からすればそれに感謝をしなければいけないことだと知っている。
「それで、これはわたしからの提案なんだが・・・」

ベオウルフがフィンとの稽古を終えて愛馬を馬屋に戻しているとたまたまなのかラケシスが姿を現した。
今日は雪が止んでいて、シレジアの冬には珍しく陽射しが降り注いでいる。
肩にお気に入りのショールをかけ、足元までの長い室内着にふかふかの毛皮が内張りになっているブーツを履いている彼女のその様子を見て、稽古に来たわけではないのだろう、と彼にはすぐにわかった。
フィンはベオウルフとの稽古が終わった後でも、自分一人で今日教えてもらったことの復習をしているため、まだ馬屋に戻って来ていない。
「よう、お姫さん、久しぶり」
「・・・そう、ね。久しぶりといえばそうかもしれないわ」
「なんだなんだ、つれない返事だな」
そう言いながらベオウルフは目を軽く細めてラケシスを見た。
少し前に彼女に誘われて雪中のデートをしたときに、彼女が雪の平原に立ったその姿があまりにも美しく、ついついもっと見ていたい、と柄でもないことを思ったことを彼は忘れていない。
ほら、実際に見慣れた馬屋の側でだって、やはり美しいな、なんて思ってしまう。
今までたくさんの女を見て来たし触れて来たしそして、別れて来た。
そして、多分それは今後も続くことだろう。
きっとこの先もたくさんの女を見るし、触れるだろうし、そしてその誰とも別れるのだろう、とベオウルフは自分の生きざまをそうだと信じている。
けれど、このお姫さんのような女は、二人も三人もいるわきゃあ、ない。
人間とは不思議なもので、どんな知り合いでも「この人は、だれだれに似ている」と思う以上に、相手のことを深く考えれば考えるほど「この人に似ている人はあまりいない」と思う節がある。
例えばシグルド軍にいる面々一人ずつを見ていっても、自分の知り合いのほかの人間と比べたとしても、それらは似て非なるものであって、「あいつと似ている」と頭ごなしに言える方が希に決まっている。
そうだと思っているベオウルフでも、これだけは断言できると思う。
この女は二度とは会わないタイプの女だ。
そう思うことに何の意味があるとも彼は特に思ったりはしないし、もちろん彼女にそれを告げる必要性だって何一つありやしないのだ。
当然、そんなことは今初めて思ったわけでもないのだが・・・。

「なんだい、俺に用事じゃねえのか」
「別に。ただ散歩していたら馬屋に通りがかっただけよ」
「そうかい」
それが本当かどうかを確かめる術はベオウルフにはない。
ただ、不思議なことにベオウルフとラケシスはお互いに「なんとなく偶然会った」ということが過去にそうそうない。
もちろんベオウルフはその経験測だけで「偶然ではないだろう」なんて簡単に思い込むような男ではなかったけれど。
「そうかい。今日はもう稽古はしたのか」
「ええ。朝早くにしてしまったわ」
「熱心なこった」
それ以上とりたててお互いに話題がない。
というのにその場からすぐに離れないラケシスを見れば、やはり彼女は自分に会いに来たのだ、あるいは、偶然にせよ自分に言いたいことがある、または会いたかったのではないか、とベオウルフは思わざるを得ない。
「どうした、そんなに俺の顔を見て。久しぶりに見たから、惚れ直したか」
「誰がお前を!」
そんな茶化し言葉には相も変わらず過敏に反応する。その様がおかしくてベオウルフはくっくっく、とわずかに笑いを堪えるように声を押し殺した。
「そうかい、俺は久しぶりに見たからか、惚れ直したけどな」
そうあっさりとベオウルフが言うと、ラケシスはわずかに頬を紅潮させて、とても彼女らしくきっぱりといいきった。
「思ってもいないことをよくも言うわね」
「おやおや、信じていただけないとはな。俺がいつあんたを騙したりしたってんだ?」
「騙す、なんてほど人聞きが悪いことは言ってないわ」
「同じことだ・・・あんたは、やっぱりそういう、なんていうんだ。ドレスっぽい服が似合うな」
「え」
ベオウルフはにやにやしながらラケシスにそう言った。
彼女が着ている服は室内着だったけれど、とても形が美しいドレス仕立てになっていた。気軽に着られるように、そう高価でもない布地を使っているけれど、さすがにラーナ王妃の命令で用意されたもの、作りがしっかりしているものだ。
ラケシスは好んで上下つなぎになっているドレス型のものを自分が選ぶことを知っていた。
戦となればそんな機能的でない服はまっぴらごめんだが、彼女は基本的には女性らしいドレスが嫌いではない、いや、むしろ好きだった。
エルトシャンも、彼女がそういった服を着ていることを好んでいた、ということもあるけれど・・・。
「ありがとう。褒めてくれているのね」
「それは素直に受け入れてくれるんだな。わからねえお姫さんだ」
そういってベオウルフはわざとらしく肩をすくめてみせた。
彼は、ラケシスがその言葉でまた軽く苛立ったりするのではないか、とも思っていたけれど、どうもそういうわけでもないらしい。
彼女は何かを言いたそうな表情を彼に見せて、それからくるりと背をむけた。
「なんだなんだ」
「なんでもないわ。邪魔したわね」
「・・・用事があったわけじゃあ、ないらしいな」
そしてまた、わざとらしくそんなことを言う。
ラケシスは振り向かずに「ええ」と言い、
「言ったでしょう。通りすがりだって」
ベオウルフの側から離れ、元来た方向へと歩いていった。
その背中をじっと見送り、ベオウルフは前髪をかきあげながら
「なーにが、通りすがり、やら」
と小さくぼやいた。

わたしは。
ラケシスは自室に戻って、ショールを椅子の背にかけると溜め息を深くついた。
ベオウルフに何を聞こうとしたの?
暖炉に火をくべながらラケシスは口唇を噛み締める。
それを聞くのは一体何故?
それを聞くのは一体誰なの?
冷たくなってしまった自分の手を、ようやく少しずつ広がり出した火にかざす。
赤い光に照らされたその白い手を、ラケシスはまばたきもせずに見つめていた。
わたしは、一体何なの?
わたしは、一体誰なの?
ノディオンの姫。
エルトシャンの妹。l
それが、わたし。
そんなことはわかっている。わかっているけれど。
だったら何故、わたしはベオウルフにあんなことを聞こうと思ったの・・・?
明日、シグルド公子にお返事をしなければ。
ラケシスははあ、と息をついた。
それはまだ白くその姿を彼女の目の前に現したけれど、ラケシスの瞳はそれを映してはいなかった。

ラーナ王妃からの贈り物だ、と言ってエスリンは手編みのひざ掛けをみなに配っていた。
それは単色の花柄モチーフを組み合わせた、いかにも女性が好きそうなもので、当然ながらシグルド軍の女性の数ぴったりだけセイレーン城に届けられた。
ラーナ王妃から届けられるそう言ったもの達は、決して王族からの贈り物といっても高価なものではなく、むしろとても温かみのある、シレジアの女性なら誰もが一度は手にとるような、非常にありきたりの物だった。けれども、この極寒の地を体験することが初めての彼らにとってはそういった諸々の寒さをしのぐための道具が珍しく、かつとてもありがたく思える。更に言えば、それらのものはひとつひとつラーナ王妃が選んでくれたもので、彼女の突出したセンスの良さや、贈り物を選ぶときの気づかいなどを彼らに伝えるには十分過ぎるものだった。それは、レヴィンしか子供がいない、娘を持たないラーナが、まるで自分の娘に物を贈るかのような、そういった温かみを感じさせる。
本当は女性全員を集めて、どの色がいい、とか嫌、とかをお互い話し合って分け合うのが一番良いことだとエスリンは思っていた。しかしながら、シグルド軍にも身分格差というものが多少なりとあって、一斉に女性達を集めては、シルヴィア以外はみな、ラケシスやアイラ、それから自分に遠慮して譲り合ってしまう。
以前、紅と香油をいただいたとき、フュリーとティルテュに任せたところ、その場に居合わせたシルヴィアがさっさと「これ貰ってもいーい?」なんて無遠慮に物を選び、持って行ってしまった。そこからなし崩しに出会った順番に配っていってもらったけれど、結局最後にはフュリーが残ったものを使う、という結果になったことをエスリンは知っている。
それゆえ、手を煩わすのも申し訳ない、と思いつつも、以前そのことをラーナに伝えたところ、では、次からはどれを誰に、と決めましょう、とラーナは快く申し出てくれた。とても話が早く、そして配慮が行き届く女帝にエスリンは憧れる。
暖かなオレンジ色はエーディンに。彼女のブロンドと、もともとの穏やかな気性によく似合うと思えた。
可愛らしいピンク色はシルヴィアに。女の子らしいことが好きな彼女はとても喜んでいたし、事実彼女が好きな色なのだ。
神秘的にも思える薄紫はアイラに。彼女が気に入っている服と似合う色合いだと誰もが思うだろう。
深い紅色はブリギッドに。どことなくエーディンより年上にすら見える彼女がとても映える色だと、初めてエスリンも気付いた。
穏やかな薄クリーム色はフュリーに。女性らしさと少女らしさがどちらも混じったその色は、シレジア人特有の緑の髪にとても馴染むように思える。
躍動感溢れるレモンイエローはティルテュに。ぱあっとそこだけ春が来たようにすら見えるのは、彼女がもつ気性のおかげだけだろうか?
エスリンには明るめの赤色。確かに自分は赤やピンク、白や黄緑、といった女性ならではの色を好む傾向がある、と思う。
それから。
ラケシスには真っ白な、ショール。
エスリンはそれに戸惑いながらもラケシスの部屋に足を運んだ。
どうも、彼女が思い描くラケシスに白いショールの贈り物、というのは不思議にすら思える。
それは別段、似合う、似合わない、ではない。
こんなことを考えてはいけない、と思っていたが、ラケシスはあれだけの美貌を誇りながらも暗い色の服を好み、ずっとエルトシャンのことを悔やみつづけ、まるで喪に服し続けているように思えた。マスターナイトの称号を与えられ、最近以前よりもみなと話すようにはなったけれど、どことなく一線を引かれていることを感じないわけもない。
どちらかといえば、この白いショールは、ティルテュ、あるいはフュリーに似合うのではないだろうか。
自分なら、きっとそうする。
では、ラケシスには何色のショールを贈ろうと思えるだろうか。
エスリンは自分のその物思いに軽く溜息をついた。
いけない。
何故なんだろう。
未だに、彼女には、黒が似合うと思ってしまうなんて。それは、必死になって立ち直りかけているあの方にとても失礼ではないのかしら・・・。
ラケシスの部屋の扉をノックする。
彼女は、剣の稽古、馬の稽古、遠乗り以外はほとんど自分の部屋で過ごしている。
先ほど馬や前を通りがかったエスリンは、ラケシスが今日は遠乗りに出ていないことも、今は稽古をしていないこともわかっていた。第一、昨晩からずっと雪が降り続いているのだ。
それに、昼間でもこの薄暗さで室内はランプをひとつでも点していることだろう。
部屋の扉の足元から漏れる光が、彼女の在室をエスリンに伝える。
「どなた?」
以前ならば返事がない、あるいは、誰とも会いたくない、と即座に拒絶の声が聞こえたが、もはやそれは遠い過去のことだ。
室内から穏やかなラケシスの声が聞こえた。
「ラケシス様、エスリンです。ラーナ様からのお預かりものをお届けに来たのですけれど、開けていただけます?」
「お待ちになって」
ラケシスの声は穏やかだ。
耳をすますと、室内で彼女が動く音が聞こえる。
エスリンは、ラケシスのことを嫌いではなかった。
同じく兄を持つ妹として、エルトシャンを失ったことによって彼女が打ちひしがれる気持ちがわからなくもなかったし、そして、ラケシスのその様を見るにつけ、兄シグルドの今後を憂えてしまう。そして父バイロンのことを思い出す。
そのときに感じる暗い心持になる自分のことを、エスリンは嫌っていた。
かちゃ、と小さな音をたててラケシスは扉を開ける。
彼女が開けるその隙間はいつもあまり広くなく、通路にいる相手の存在を確かめられるぎりぎりの、わずかな隙間だけだ。
「お待たせしました」
ラケシスはエスリンに対して、上の者に対する口調で話し掛ける。
確かにラケシスはノディオンの姫であったけれど、実際のところアグストリアのトップになって、初めて諸国の王族と同じ地位を認められるのだということを彼女は知っていた。エスリンはグランベルの公女であったけれど、今はレンスターに嫁いでキュアン王子の妃だ。そしてそのキュアンは次期国王になる人物と言われている。そうであればラケシスがそのような口利きをするのもあながちおかしくはなかった。が、エスリンは元来そういったことに無頓着な女性だったから、逆にそれがとても重くも感じていたのだが。
「あの、ね。これ。ラーナ王妃から。みんなに一枚ずつ、贈られてきたの。ラーナ様はこの色を、ラケシス様に、と選んでくださったみたい」
「まあ」
白いショールを手渡すと、ラケシスはそれをエスリンの前で開いてみせた。
以前ならば、「そうですか」と告げて、またすぐ引きこもっていたのに、大分人間らしさが戻ってきたのだな、とエスリンは安堵の表情を浮かべる。
「ちょうど、いつも使っていたものがかなりよれてしまっていて・・・白いショール。わたしに似合うのかしら」
「身につけてご覧になったら?」
似合うと思う、とエスリンは答えなかった。
それは、実際に似合うかどうかわからないから、とか、お世辞になるから、という意味ではない。心からそう思ったのだ。そして、身につけたラケシスを見てみたい、と。
「あとで、そっと鏡を見させていただきますわ。その、似合わなかったら、恥ずかしいから」
「まあ」
そんな可愛らしい言葉をラケシスから聞けるなんて。
エスリンは笑みを浮かべた。
「みんな、それぞれ色が違うの。ラーナ様がお選びになったんですもの、きっとお似合いになるんでしょうね。もし、お嫌でなければ、後でそれを羽織ったところを見せてください」
「・・・ええ。気に入れば、きっと使わせていただくから」
ラケシスはそう言って、僅かに笑みを返した。それから思い出したようにエスリンに問い掛けた。
「そうそう・・・シグルド公子は、今日はどちらにいらっしゃるかご存知ですか」
「あ、お兄様は・・・」
といいかけて、エスリンは一瞬だけ表情を強張らせる。
しまった。
ついつい、ラケシスがこれだけ打ち解けてくれたことが嬉しくて、口を滑らせてしまった。
その思いが一瞬脳裏によぎったけれど、口を出た言葉を今更飲み込むことは出来ない。
「今日は自室にいると思いますわ。何か用事がおありなら、直接行けば会えると思うのだけど」
「そうですか。ありがとうございます。あとでお伺いすると思いますわ」
ラケシスは丁寧な会釈をエスリンにした。
それじゃあ、わたしはこれで、とその場を立ち去ろうと背を向けたエスリンに向かって、彼女は再度声をかけた。
「エスリン様」
「何かしら?」
振り返ると、ラケシスは、先ほどよりわずかに扉を大きく開けて、まっすぐとエスリンを見つめていた。
その瞳の穏やかさに吸い込まれるように、エスリンは立ち尽くした。
なんて美しいのだろう。このノディオンの姫は。
そのブロンドの色は、光輝くばかりで、エーディンやブリギッドの髪の色とはまた異なる、ノディオンの人間特有の光り方を見せている。時折雪の中で馬に乗りラケシスが稽古をしている姿を見ると、雪に反射した陽の光と異なる、美しいブロンドに太陽が彩りを沿えるその輝きに目を奪われる。
そして、あまりにも整った目鼻立ち。
王族というものは、その風貌ですら人々を圧倒するものなのか、と初めて見たときにエスリンは驚いた。
それをこうして目の前でまじまじと見ると、見慣れているはずなのについつい溜息すら出そうになる。
兄シグルドと夫キュアンの親友であったエルトシャンも、いつ見てもあまりの美貌にエスリンは溜息をついていた。もちろん本人はその美貌を鼻にかけるわけでもなく、誰にもわけ隔てなく優しい、そして自分に厳しい男らしい男性だった。
そして、その妹は。
やはり、あまりの美しさに、わたしはうらやましいと素直に思ってしまう。
我に返ったエスリンはわずかに首をかしげてラケシスを見た。
ラケシスもまた、少し間を置いて、しかしためらうことなくはっきりとエスリンに言い放つ。
「わたし、もう、大丈夫ですから」
「え」
「ですから、エスリン様も、どうか、気になさらないで」
ラケシスは胸元にきちっと今受け取ったばかりの白いショールを抱きしめ、きっぱりとその言葉をエスリンに伝えた。
わたし、もう、大丈夫ですから
一瞬意味がわからない、とエスリンの思考は止まった。
いや、意味を理解することを拒否したのかもしれない。
だって、そんな言葉を今ここで聞けるなんて思っていなかったから。
数回の瞬きの時間を経て、ようやくラケシスの言葉の意味をエスリンは飲み込んだ。
と、次の瞬間、エスリンの両目には、ぶわ、と涙が込み上げてくる。
突然の告白に何の身構えも出来なかった、迂闊な自分に恥じても、こればかりはどうにもならない。
普段明るく勝気で、キュアンやシグルドを手玉に取るように茶目っ気をみせ、はねっかえりとまで言われる彼女は、自分がえらく狼狽していることに気付いた。とても、これは自分らしくない。でも。
でも、わたしは。
「気にしないで、って、何のことなのかしら・・・」
エスリンはラケシスに平静を装って聞いた。しかし、その声は既に震えている。
その問いに答えるラケシスの声は、とても静かで穏やかな響きを持っていた。
「もう、気になさらないで。わたし、大丈夫ですから。どうぞ、わたしの前で・・・」
すっと、ラケシスはエスリンに向かって片手を伸ばした。
エスリンは、上半身を折るようにしながら、まるでそのラケシスの手に包まれるように彼女に一歩近づく。
「シグルド公子を、呼んでも、大丈夫ですから。もう、心は揺れないし、あなたをうらやんだ時間は、終わりましたもの」
「ラケシス様・・・」
「長い間、つらい思いをさせて、遠慮させてしまって、ごめんなさい」
「本当に、大丈夫なの。いいえ、本当に大丈夫、なんてわけがないんですものね。でも、ラケシス様」
ぽたり、と床にエスリンの涙が落ちた。
彼女は気丈にも、泣きながら頭をあげてラケシスを見た。
「そんな風に、わたしを気遣ってくれるほど、ラケシス様が回復なさったことが、どれだけ嬉しいことか、あなたは多分おわかりではないでしょうね」
もう、大丈夫だとラケシスは自ら言った。
お兄様。
その、エルトシャンを彷彿させてしまう言葉を、エスリンの口から聞いても、もう心は揺れない、そしてエスリンをうらやんだりしない、と。
エルトシャン死後から、エスリンがラケシスの前で、決して必要以上にシグルドを呼ぶことがなかったことを、ラケシスはラケシスなりに気付いていたのだ。
ああ、迷い道に入った人間は、もがきながらも出口を探すことが出来るのだ、きっと、誰もが。
エスリンはそんなことを思いながら、差し出したラケシスの手をそっと両手で挟み込み、握り締める。
ラケシスはそんな彼女の様子を見て、もう一度同じ言葉を繰り返した。
もう、わたし、大丈夫ですから。
彼女の、そんな穏やかな声音を聞いたのは、初めてだったかもしれない。

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モドル

久々の続き物ベオラケです。2,3ページでさらりと。測らずも「祈り」という単語がまたやってきてしまいましたが。
ちょうど一年ぶり、前回は年明けにベオラケ更新でしたが、今回は年末年始と年またぎで。前回の「未熟の時」をアップしたとき、日記にもかきましたがユーミンの「春よ、来い」を聞きながら読んで泣けた、という感想メールをいただきました。奇しくもユーミン曲を他アーティストさんが歌っているCDが最近売れていますが、春よ、来いは復帰マキハラ先生が歌っています。
しかもそれに騙されて買ってしまいました。へへ・・・(涙)マキハラのハートフルな声好きなんだよ・・・