片言の祈り-3-

キュアン達がシレジアを出る前に、とエーディンとジャムカの婚礼の準備は慌しく行われていた。
そんなにすぐ発つわけではないのに、とキュアンが言っても、加速がついためでたいことを止める気は誰にもない様子だ。
秋が短いシレジアは、大地が白く覆われるのにそう時間はいらず、年越しについて考えるような時期とは思えないうちから雪景色に覆われ、そして、その雪景色は長く長く続く。
そんな中での明るい話題は限られているわけで、何かひとつ陽気なことがあれば人々がそれに飛びつきたくなるのも当然といえる。
あまり細かい世話を焼けるタイプではないレヴィンではあったが、吟遊詩人であると謳って旅をしてきただけあり、そういう話題が出たときは案外と協力的に動いてくれた。ラーナとの気持ちの隔たりはまだ越えることは出来ない様子だったが、他人のことになれば話は別らしい。
その日、ラケシスは馬屋から部屋に戻る途中、きゃあきゃあと声がする一室からジャムカが所在なさそうに出てくる様子に出会った。正直なところラケシスとジャムカはあまり言葉を交わしたことがなかったけれど、挨拶くらいはしない方がおかしい。
「ジャムカ王子。こんにちは。にぎやかですわね」
「ああ、ラケシス姫。男の自分は追い出されてしまって」
「何をここでなさっていたの?」
「エーディンが、婚礼の衣装を選んでいる。まあ、俺がいてもわからないし、逆に当日まで見ない方が良い、といってティルテュに蹴飛ばされて出てきてしまった」
そう言ってジャムカは小さく微笑んだ。
この男はもともと気取った王族らしいところも傲慢なところもない。ただ、少しだけ言葉が足りない。
多分宮廷でダンスを踊ることも、社交辞令に取り澄まして答えることも、彼は得意とはしないに違いない、とラケシスは思っていた。彼は王族として宮中にいるよりも、弓を引いている方が何倍も似合うように感じる。
たったこれだけが、ラケシスが知っていた、思い描いていたジャムカに対する所見だった。彼女の記憶の中には、今、目の前にいる彼が見せるような笑顔はない。
ラケシスは息を呑んで彼の表情を驚いて見つめる。その様子に気付いて
「?何か気に障ることを言ってしまったかな?」
ジャムカは穏やかに言う。
「あ、いいえ」
慌ててラケシスは軽く首を横にふった。
「ごめんなさい。あなたの笑顔を見たのが、初めてだったと思って」
「・・・そうかな?ああ、そうかもしれない・・・。俺も、あなたの笑顔を見たことはないから」
「・・・そう、かもしれませんわね」
きゃはは、とティルテュの明るい声が室内から聞こえてきた。
声を立てて最後に笑ったのは、いつだったのだろうか、とラケシスはそんなことを考えて眉を潜めた。
「ほら、そういう顔をする」
「あ」
「俺も、自分の国を裏切り、エーディンを守る決意をしてからは、自分が犯した罪の重さに耐えることに精一杯の日々をいくらか送っていた」
そう言ってからジャムカは軽く肩をすくめる。
「でも、今度俺の妻になる女性は、俺が眉間にシワを寄せるたびに、そこを指で弾くんだ。たまったもんじゃなかった。そしてそのうち、そういう顔をしなくなったというわけだ」
ラケシスは数回瞬いてから、控えめな笑顔を作った。
あの清楚で穏やかなエーディンがちょっと背伸びをしながらジャムカの眉間のシワを注意しているなんて、とても可愛らしいと思えたし、何よりジャムカの声音は優しさに溢れているように感じた。
「それは、のろけなのかしら。幸せな花婿さんの」
「あなたへの助言のつもりなんだが」
「わかっていますわ。ありがとう。それから、婚礼が決まって、おめでとうございます。まだ言っていなかったと思うので」
そう答えながらラケシスは、自分の表情は笑顔ではない、ということに気付いた。不快な表情ではないはずだ。ただ、感情があまり出ない、あえて言うならば「普通の表情」といったところなのだろう。
「ありがとう。本来一国の王族が他国で婚礼というのもおかしい話なのだけれど」
「どうして結婚をすることにお決めになったの?」
「不思議なことかな?」
「こうやっていつも一緒にいるのに、何故夫婦というものになるのかと思って」
「どうして夫婦じゃないのか、の方が不思議に思えてきたからだ」
「?」
「これ以上話すと、その方がのろけになるから、許してもらえないか」
「・・・わかりました。ええ。無粋なことを聞いてしまって、ごめんなさい」
「いや」
少しだけ照れくさそうにジャムカは笑い、じゃ、と軽く言葉を切って歩いていってしまった。
その後ろ姿を見ながら、ジャムカが言う「のろけになる」ということは、真実のすべてではないだろう、とラケシスは思っていた。彼はさらりと「自分が犯した罪の重さに耐えることに精一杯の日々」となんの気負いもない調子で言ったけれど、それは今だから口に出せる話なのだと思える。ラケシスにはジャムカの気持ちやエーディンの気持ちはあまりわからないけれど、彼らは彼らの運命の中で苦しみもがきながらここにいて、生きるためにお互いがお互いの側にいることを婚礼という永遠の約束にするまでに長い時間がかかったのだろうということだけ、形のない想像の末、結論として導けた。
みんな、何かしらの苦しみを持ったまま、この国にいる。
自分もそれに漏れていないと思えるし、今ならば自分一人ではない、と素直に思える。
それから、数歩歩き出してから、ラケシスは立ち止まった。
どうしてなんだろう。
ぼんやりとそう思って、ジャムカが追い出されてしまった、エーディンがいる部屋の扉を少し遠くからみつめる。
あんな風に突っ込んだことを聞いてしまった自分にラケシスは少しだけとまどっていた。
わたし、あんな風に、他の人の気持ちを知りたいと思ったことは、久しぶりかもしれないわ。
また、室内から明るい笑い声が聞こえた。
エーディンはどんな服を着るのだろう。
それは少しだけ楽しみに思えた。
兄エルトシャンの婚礼のときには、兄の衣装だって、義姉になるグラーニェの衣装だって、自分はどうとも思わなかったのに。
ただ、エルトシャンを盗られてしまった気がして。
その気持ちばかりが強くて、おめでとう、ということすら難しくて。
そうか、わたし。
子供だったんだ。ううん、今もそうかも知れない。
突然そんなことに気付いて、ラケシスは早足で歩き出した。
部屋に戻ろう。
わたしは、多分、まだ臆病な子供なのだろう。
そんなことを繰り返し考えながら。

キュアンがベオウルフの部屋に訪れたのは、ここシレジアに来てから初めてのことだった。
不思議な訪問者のためにドアを開けると、キュアンの手には酒瓶が握られており、なんだなんだ、俺と飲もうってのか、とベオウルフは目を丸くする。
「あんたは、酒が飲めたんだっけ」
「どっちかというと甘いものの方が好きなんだけど」
その答えに、くっくっく、と肩を震わせてベオウルフは笑い、
「好きそうですな、キュアン王子様は」
「これは君にあげようと思って。今日、フィンの様子を見たら、かなり上達していた。お礼のつもりなんだけど」
キュアンは明るくそう言って、黒い瓶をベオウルフに差し出す。
「なーんのことやら。あんたは俺の雇い主だっていうのに」
「そうはいっても」
「ま、くれるってんならもらうがね。ありがとうよ。どうしたんだ、これ」
戸口の壁にもたれかかってベオウルフは受け取り、じろじろと酒瓶を眺めた。
見覚えがあるな、と記憶巣を検索してみるけれど、どうもうまくみつからない。
「私は酒は飲まないわけではないが、あまり詳しくなくてね」
そう言ってキュアンは照れ笑いを浮かべる。
「残念ながら俺が詳しいのは、エスリンがいれてくれる茶に垂らすブランデーくらいのもので」
「ぶはっ!」
ベオウルフは吹きだして、まじまじとキュアンを見た。当の本人は別に笑わそうと思って言ったわけではないようで、大層真面目な顔つきだ。それから、少しばかり拗ねたような表情を作って
「それでも、なんでもいいや、と選ぶのも悪かったから、一応知る限りの知識で選んできたんだぞ」
「見たことがある。どこでだっけかな」
「アグストリアで有名な酒らしいが」
「・・・あー・・・あー・・・あ?」
コンコン、と黒いガラス瓶を指で弾きながら、ベオウルフは宙を見る。
「あー、エルトの」
そう口に出してから、しまった、とベオウルフは言葉を止めた。
今まで、誰の前でも、そんな風に気安くエルトシャンの名を出したことはなかったのに、ついつい気が緩んでしまった様子だ。
「・・・エルトシャンを、そう呼んでいたのか、君は」
キュアンは目を丸くしてベオウルフを見る。
なんとなく、通路できょろきょろと彼は周囲を見渡した。別にキュアン本人が人に聞かれたくない話題であるはずもないのだが。ベオウルフは平静を装って苦笑した。
「そう呼んでいたことも、あった、ってだけだ。ま、ゆきずりの戦友みたいなもんだった。あんた達みたいな、仲良しこよしとは違うんでね。ま、そんなこたあどうでもいい。エルトシャンが昔、飲んでいた」
「そうだ。決して高い酒じゃあないんだけれど。婚礼に呼ばれたときに、一度だけふるまってもらったことがあって、覚えていた。値段じゃない、作る人間の気持ちだ、と言って。それが印象的で。シレジアで手に入るとは思っていなかったから驚いたよ」
ベオウルフはキュアンを部屋に招いた。
酒は飲まないぞ、と断りながらキュアンはめずらしくその誘いを受け、ベオウルフがあてがわれた部屋に初めて入る。
シレジアに来てかなりの時間がたつというのに、ベオウルフの持ち物はまったく増えていないようで、趣味のよい調度品が、まったく使われることのないままの姿で並んでいるだけだった。
小さいテーブルがあるけれど、どうやらそれは酒を飲む以外に使われていないようだったし、とりたてて衣類の数が増えているようにも思えない。それを口にすると、傭兵というものは、いつでもどこでも、二度と部屋に戻ってこない覚悟をしながら生きているからな、という答えが返ってくる。
「ラケシスのこと、聞いたか」
ベオウルフに薦められる前にさっさと椅子に腰掛けたキュアンに、申し訳程度に暖炉で温めておいた白湯を出す。
茶を自分で淹れる、なんてことをベオウルフがするわけもないし、キュアンも別に要求しない。
「うん?えーと、どのことについてかな」
「・・・ああ、悪い悪い。奥さんの話じゃなくて、あんたのアニキからの話」
兄貴って、と言ってキュアンは笑った。それはシグルドのことだ。
「レンスターにラケシスを、っていう話を、シグルドから聞いたのか?」
「聞いた。まあ、奥さんのことも聞きましたけどね。あんたは、どう考えているのかなってちょいと思って。あんま、通路で話すようなことでもないから」
「ラケシスがレンスターに来るとしたら、ベオウルフはどうする?」
逆にキュアンの方からそんな問いかけをされて、ベオウルフは一瞬言葉を失った。
「俺?俺は別に」
「心配じゃないのか、ラケシスのことが」
「・・・別に。ラケシスのことっつうより、あんた達がラケシスを持て余さないか心配するくらいかな」
「そうなのか。私はてっきり君はラケシスのことを」
そこまで言ってキュアンは苦笑をした。
「俗っぽい人間だと笑わないでくれよ。別に仲が良い男女がみんなそういう間柄だと思っているわけじゃあないし、君とラケシスは、仲良し、とは見えないんだけれど。でも、なんだか君達は、その、恋人同士なんじゃあないのかな、と思っていたんだけれど」
「恋人お?」
嫌そうにベオウルフは声をあげた。キュアンは苦笑いを浮かべたまま、慌ててベオウルフの次の言葉を遮る。
「気に障ったら、悪かったよ」
やはり、勘繰りすぎだったか、とキュアンは己の短慮さを少しばかり心の中で戒めた。
確かにベオウルフとラケシスが恋人同士、というのはいささか不自然でもあったし、彼の妻エスリンにそれを聞いたときも「ベオウルフさんはラケシス様の稽古をつけてあげただけではないの?」と逆にどうしてキュアンがそんな風に思うのか、と聞き返されてしまった。
あまり自分が勘がいい男ではないことをキュアンは知っている。
けれど、何故だか彼は、ここでベオウルフにそのことを聞かずにはいられなくなってしまったようだ。
「じゃあ、君とラケシスは、その、恋人同士ってわけじゃあないんだな。すまない」
そのとき、最後のキュアンの「すまない」という言葉に、ベオウルフのとんでもない言葉が被さった。
「キスする間柄は、恋人なんですかね」
「・・・え?」
「何度も何度もキスしてるし、これからもあの女が嫌がっても嫌がらなくてもするような気がする。でも多分俺はあの女の恋人じゃないし、あの女だって俺の恋人なんてもんじゃないと思うんですがね」
キュアンは苦虫を潰したような表情でベオウルフを見る。
わずかな沈黙。
一石を投じたベオウルフの方は、飄々といつもと変わらぬ様子でキュアンを見ている。
はあー、と息を吐いて、それから深く息を吸って、それからまた長く息を吐いてからキュアンは
「相手が誰だかわかっているのか」
「ノディオンのラケシス王女」
「その身分の女性にそういう行為をするってのはどうかと思うんだけど」
言いづらそうにそんな言い回しをするキュアンを見て、ベオウルフは少し笑い出したくなったがかろうじてこらえた。まだ、目くじらをたてて怒られないだけありがたいと思わなければいけないということを、呑気な傭兵でもわかっている。
その後の言葉が続かないキュアンに
「ノディオンで、ラケシスがエルトシャンに懸想しているという噂がたっていたと思うが」
と、違う話を持ち出した。
突然の話の展開に驚きつつ、しかし、まだ気持ちが良くない話題が続くのか、とキュアンはあまり嬉しそうな顔を見せない。
「エルトシャンは死んでしまったわけだし、ラケシスはこの先だってその噂について絶対コメントしないと思うから、真実なんざ、誰も知りやしないだろうし、勝手な想像をすることにゃあなんの意味もない」
「そうだな」
「でも、あんたは、どう思う?エルトシャンとラケシスのことを」
キュアンは黙ってベオウルフを見た。
考えてみればこの傭兵と深い話をしたことがほとんどなかった。それが今になって突然こんな重苦しい質問をされようとは。人が良いレンスターの王子は、どう返事をしたものか、と考えあぐねている様子だ。
やがて、キュアンはゆっくりとした口調で、思い出すように一言ずつ答えた。
「エルトシャンの婚礼に呼ばれたときに・・・久しぶりにラケシスに会った。挨拶を交わす程度であまり話をしたことはなかったけれど、さすがにその時は多少なりと話をするべきだと思ってな」
「うん」
「あんなに仲が良かった兄妹だ。エルトシャンの婚礼は嬉しい反面、寂しいのかと思って」
キュアンはまっすぐベオウルフを見る。ベオウルフもまた、まっすぐキュアンを見ていた。
こうやって真正面からこの男と向き合って話をすることが今まであっただろうか、とキュアンは少しだけ気持ちが反れてそんなことを思い浮かべ、それからすぐに自分の意識を今の話題に引き戻す。
「寂しいかって、面と向かって聞いたよ」
ベオウルフは黙っている。
「そうしたら、寂しくない、とはっきり言われた。何も変わらないからって。社交辞令にしては、きつい目つきで言われて、ちょっとどきっとしたものだ。その直後、私はよくは知らないんだが、アグストリアのどこだかの貴族らしい男が我々に近づいてきて、ラケシスに声をかけてね。私も、その、ちょっと若気のいたりというか」
「は?」
「ラケシスと話をしていたのは私だったから、レンスターの王子とノディオンの王女が話をしているところに割り込んでくるなんて、なんて礼儀知らずだ、と思ってよく覚えているんだ。でも礼儀知らずは私の方で、今思うとあれはシャガール王だったんだな」
そこでベオウルフは豪快に噴出した。確かに礼儀知らずはどちらだ、という話になる。キュアンは一国の王子ではあるが、あくまでもエルトシャンの友人として招待されたに違いない。そうであればレンスターの王子が来ていることを招待客に対してあまりおおっぴらに言うわけでもなかっただろう。が、シャガールはアグストリア王であり、エルトシャンの上司にあたるわけだから、婚礼に際して祝辞などもみなの前でしているに違いない。
ま、要するに眠たい話だけの男だったんだが、とキュアンは言い訳を軽くして、それから
「嫌な印象が強くて、彼らの会話を、よく覚えている」

婚礼の儀自体は昼間のうちに終わっていた。
夜になってから大きな広間で、エルトシャンは妻のお披露目をした。
彼の妻は輝くほどの美貌をもつ、というわけではなかったけれど、穏やかで、人に悪い印象を与えない静かな女性だった。
招待客の多くは今日の主役の二人に目を奪われて、代わる代わるに挨拶に行っては戻り、また挨拶をして、とひっきりなしに盛り上げていた。
会場のセッティングも食事も、何から何まで品が良く、キュアンとシグルドは「やつと俺たちは育ちが違う」と結論づけて笑いあった。レンスター王が聞けばがっかりする会話だろうけれど。
酔いを覚ましに庭にいってくる、というシグルドと別れ、キュアンは壁にもたれかかった。
賑やかな場は嫌いではない。
けれど、親友が主役である賑やかな場は、なんとなく居心地が悪い。
わざわざ挨拶に行く招待客の数割は義理で招待し、義理で招待された者だろうとも知っていたし、そういうことがわかると一気にこの祝いの場は興ざめしてしまう。まあ、当然のことなのだけれど。
自分達に似合いなのは、エルトシャンの部屋で奥さんも同席してもらって、彼の士官学校時代の話を肴に、あまり多くも飲めない酒をちびちびと口にして笑い合う、そういった祝い方だ。
それが叶わないことをお互いが知り、だからこそ短い時間でも、と昨晩のうちにエルトシャンとシグルドそれからキュアンの三人は、翌日に響かない程度にと1,2杯酒を酌み交わした。思えば彼と個人的に話が出来たのはそれが最後だったのではないだろうか。
ふと見ると、少し離れたところに、同じように壁の側で、しかしながら寄りかかることなく背筋をまっすぐに立っている女性がいた。
ラケシスだ。
ラケシスは清楚な薄い水色のドレスを身に纏い、その当時長くのばしていた髪を結い上げて、生花をそっとあしらっていた。
彼女の腕やデコルテの白さは、淡い水色ですら際立ち、わずかに残ったうなじの後れ毛ですら、その色がはっきりとわかるほどだった。
会が始まってから、エルトシャンとその妻グラーニェが姿を現すより先に、親族であるラケシスは会場に入っていた。
まるで人形のよう、とか、兄妹そろってなんと美しい、とかそういった賛辞があちらこちらであがるのをキュアンとシグルドは聞いていた。
けれども、そのいくつかの賛辞は、仲が良いのはいいことだが・・・という懸念に変わってゆくことも。
二人はそれに気付いていたけれど、あえてお互い何も言わなかった。やがてエルトシャン達が会場に現れてからは、誰もそういった口さがない話題に触れなくなる。
エルトシャンが知っているかどうかは、わからない。
だが、そういった噂をされていることを多分ラケシスは知っているのだろう、と立っている彼女を見ながらキュアンは思った。
彼女はそういう噂を口にする人間を敏感に嗅ぎ取る女性特有の嗅覚があるのか、明らかにそういった人間に対しては威嚇のオーラを放っていた。
それゆえか、主役の妹、ノディオンの王女だというのに、誰もラケシスの周囲には集まってこない。
挨拶くらいしておくか、とキュアンは声をかけた。
近くで見ると、これまた、綺麗なものだな、なんて思いながら。
ほどなくして、キュアンと言葉を交わすラケシスを見つけたらしい一人の男が取り巻きを二人ほど引き連れて鷹揚な態度で近づいてきた。
「これはこれは、今日もお美しい。ラケシス殿のそのお姿を見るためだけでも来た甲斐があったというものだ」
わざとらしい口ぶりで、キュアンを見事に無視しながら男はラケシスに声をかける。一目で身分が高いとわかる、いや、金を持っている、とわかる装飾品で飾り立てられた上着は、キュアンの右眉をぴくりと動かした。
趣味が悪い男だな、というのが彼の第一印象だ。
ではこれで、と軽くラケシスに頭をさげてその場から離れたものの、キュアンは気になって近くで様子を伺っていた。
「兄君のご婚礼、めでたいことだ」
「はい。ありがとうございます」
「これで、そなたも兄離れが出来るというものだな?うん?」
腹が立つ物言いだな、とキュアンは思うが、ラケシスは冷静だった。
今考えると、多分ラケシスはどういったことをこの場で誰から言われても、そういった態度を貫こう、としていたのだろうとわかる。
「はい。今までのように兄に甘えるわけにはいきません。わたくしももっと自立をしなければいけないと思います」
「ふん」
思ったよりも冷静な回答を男はつまらなそうに鼻で笑う。
「今日の主役の妹ともあろう者が、こんな隅で羨ましそうにみているものではない。もっと祝いの輪に入ればいいものを」
「羨ましそうに?」
そのラケシスの問いに、彼はにやにやと嫌な笑いをうかべた。
「羨ましいんだろう?花嫁が」
「・・・ああ、幸せな結婚は女であれば誰でも夢見ますものね」
「はっはっは、何を言うかと思えば。そうではなかろう」
ラケシスの言葉は棒読みに近い、平坦なものだった。
キュアンは小さく舌打ちをした。彼がそういった音をたてることは滅多にないことで、彼自身が自分のその音に驚いたほどだ。
まるでラケシスを辱めるかのようなその口ぶりは彼の気に障ったし、どんな身分の男だろうが失礼すぎると思えた。
言葉にすれば、下衆な。
一歩キュアンが踏み出してラケシスの側に行こうとしたとき、その男はわずかながら声を潜めながら、しかし、嫌な響きで彼女を嘲る。いっそのこと、誰にも聞こえないほどの声で言えば良いのに、その声は一番近くで様子を伺っていたキュアンに十分すぎるほど聞こえる音量だった。
「羨ましいのだろう?エルトシャンの花嫁が」
「・・・」
ラケシスはその瞬間、男ではなく、一歩踏み出して近寄ろうとしたキュアンに向かって、きっと視線を送り、それから
「エルトシャンはわたくしの自慢の兄ですから。それは、子供の頃から今でも、ずっと」
毅然とそう言い放つ。
「憧れておりましたから、幼い頃は兄のお嫁さんになることを夢見たときもありました。けれど、もうわたくし、子供ではありませんから」
「ほう?子供ではないと?それで?」
「可愛い夢を見ていたものだ、と笑うくらいですわ」
それから「では、失礼」と言葉を添えながらラケシスは優雅な動きで見事な一礼をして見せた。
簡略式ではあったけれど、幼い頃から正しく教育を受けたことがわかる、完璧な形。
すっとあげた白い腕。美しい形をした細い指先がドレスの裾をつまむ。
軽く腰をおとし、頭を下げるその瞬間、驚くほどに彼女は肩を、肘を、手の位置を、きっちりと左右対称の高さにあわせている。
そう、まるでその完璧さを見せつけることで、その突然の退場に誰にも文句を言わせないかのように。
あまりに繊細で華麗な動きに、男も、キュアンも、一瞬言葉を失った。
どうやらあの不躾な男でも、美しさに対する意識はあるらしい。
呆気にとられる男達を残して、彼女は背を向けてすたすたと歩いていく。
強い拒絶。
キュアンはその後姿を見ながら、彼女の意思を感じ取った。一筋縄ではいかない妹君らしい・・・彼は肩をすくめながらその高貴な後姿を見送る。
後に残された男は「ふん、つまらん」と呟いて、また取り巻きと共にどこかにいってしまった。

「ふー・・・ん」
キュアンが出て行った部屋でベオウルフはベッドに仰向けになって天井を見ていた。
交換したばかりのリネン類からは、シレジアで好まれる柔らかい花の香りがする。男の部屋までこんな香りにしようってのか、ここの女中は、と心の中でわずかに悪態をついた。
こんな気持ちが良いベッドで眠ることを体が覚える、ということを彼は極端に恐れていた。
それでも、時折、こういう生活しか知らない人間がこの世の中には山ほどいるんだよな、と思いつき、最初に描くのはラケシスの姿だ。
そう思うと、無理矢理彼女をベッドに組み敷いて抱くのも、おもしろいかもしれないな、なんて意地の悪いことを思ってしまう。
悪意とは少し違う。
ただなんとなく。
エルトシャンがいない世界を知ってしまった哀れな彼女に、またひとつ彼女がそれまで知らなかったことを教えたいと思う。
たまたまそれが歪んだ形で思いついただけだ。そしてそれはただの妄想というもので、彼はそれを実行したいと思うほど暇でもなかったし、阿呆でもない。

子供ではありませんから。

あの気のいいレンスターの王子は、婚礼といえば、ジャムカとエーディンの婚礼が、と最後に明るい話題で締めくくってから部屋を出た。まったく、シグルドといいキュアンといい、良い友人をエルトシャンは持ったものだ、と苦々しく笑う。
子供ではないから、わかる。
自分は、エルトシャンと結婚は出来ない。
そういう、意味なのだろうと思う。
キュアンは自分の意見をあまり言うことなくベオウルフの部屋から退出した。
それは、とても彼らしいと思う。
シグルドであればもう少しあけすけな話も出来るかもしれないが、何故だかベオウルフはシグルドの口からエルトシャンの話を聞く気にはならない。いや、キュアンの口からだって、別段聞きたいと思ったわけではない。あくまでも「ラケシスの話」の延長だ。
レンスターにラケシスを連れて行くことについてのキュアンのコメントを結局聞きそびれてしまったな、とベオウルフはごろりと体を横たえた。天井を見ていた視線が動いて、テーブルへと移る。
「そういや、酒は飲むのかな、あの女は」
そう呟いて、テーブルの上に置いたままの、キュアンが持ってきてくれた酒瓶へ視線を送った。
子供ではない、と主張をするのは、子供の証拠かもしれない。
恋人ではない。
ベオウルフは自分とラケシスのおぼつかない関係をキュアンだけに告げたことを突如思い出した。
口付けをしてしまうのは、何の証拠だろう。
恋人ではない、といいながらも、時々欲情して、ラケシスに口付けてしまうのは、そして彼女がそれを受け入れるのは何故だろう。
そんなことに「何故」なんていう疑問符が必要になる、このなんだかわからない関係を、どことなく愛しく思うのは何故だろう。
「俺は、子供だから、まだわからないことだらけだな」
それでも、酒の味がわかるくらいは、大人になったのだと思う。
キュアンが持ってきてくれた酒をベオウルフに教えてくれたのもエルトシャンだった。
この酒を、ラケシスは知っているだろうか?


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モドル

ついにエルトシャン生前のラケシスのエピソードまで出てきました。そしてベオウルフが「エルト」と。
全貌が明らかになるにはまだまだですが、やはり彼等の愛情の接点はエルトシャンなのかもしれません。