片言の祈り-4-

開け放った窓から見る外の景色は、相も変わらず一面に広がる銀世界。飽き飽きだ、とベオウルフはうんざり顔になる。
シレジアに滞在するのは、初めてではない。以前も雪の季節だった。ここで冬を越すのは一度きりだとそのときは思っていたものだったけれど。
眉間を寄せてベオウルフは瞼を指で抑えた。
目の奥が痛い。
雪に反射した日光は、まるで眼球に突き刺さるのではないかと思うほど鋭い輝きと変化する。
冬の日光といえば弱々しいものだという感覚は、この光の中では一瞬すら待たずに消し飛んでしまう。
ああ、まぶしいな。
二階の窓から見える、木の枝にこんもりと積もった雪が光達をベオウルフのもとに届ける。
と、雪にも負けない小さな鳥が枝から枝に飛び移る姿が彼の視界に入った。
冬の生き物は人間に比べて余程元気と思える。
僅かな重みに耐えかねて、しなった枝から雪が落ちた。よく見られる冬の光景だ。
「きゃっ・・・!」
どさ、っという音と共に女の声。下を覗くと明るい色のショールをまとったシルヴィアがそこを歩いていたところだった。
「冷たあーい!」
「災難だな」
「わっ!」
声をかけると驚いてシルヴィアは上を見上げる。くっくっ、とベオウルフは笑いを半分だけもらしながらシルヴィアに手をあげてみせた。
「もおー!首筋に落ちてきちゃって、つっめたいったら!見ていたなら助けてくれてもいいのに!」
「無理を言うな」
「でも、晴れている日の雪は光って綺麗ね!」
彼女はすぐに笑顔になって、ベオウルフの窓の下でくるりくるりと二度ほど回ってみせた。
しゃらんしゃらん、と鈴の音が二階にまで聞こえる。
「どこいくんだ」
「もーお、ベオウルフったら野暮ね!」
「野暮、と来たか」
くっくっく、とまたベオウルフは笑いをもらす。
このお嬢ちゃんは子供だけれど、大人だな。踊り子ってのはそういうものだ・・・そんなことを考えながら。
「神父様とデートに決まってんじゃない!まあ、町の教会に行くんだけどさあー」
シルヴィアは誰相手にも屈託なく会話をする。彼女は、首が疲れないのかというくらい、ぐいっと上にあごをあげて笑った。
「はは、それがデートか。ご苦労なこった」
「焼き菓子貰ってきてあげようかあー?」
「いらねーよ。ガキが貰うもんだ」
休日には教会で子供達に焼き菓子を配っている。もちろんシルヴィアだってそれが目当てでいくわけではない。 
シルヴィアは「じゃあね!」と手をふって、突然走り出す。ちらりとその先を見れば、コートで身をおおったクロードが立っている。
それを見てベオウルフは「あの神父さんはオクテだからなあ、いつちゃんとシルヴィアに応えてあげられることやら」なんてことを思いながら窓を閉めた。
突き刺さる雪の光を遮る窓。
部屋に入ってくる陽射しは冬のもので強くは無い。
窓のガラス越しに小さくなってゆく可愛らしい恋人同士を見送って、彼は肩をすくめた。
「いつ手え出せることやら。ああ、それとも神父さんは女とはお付き合い出来ないご身分なのかな」
ベオウルフは聖職者が守るべき細かい規律を知らない。知りたいとも思わない。知識として身につけておくことは悪くないはずなのだが、どうにも神父様という人種が好きになれなくて今に至る。
「ま、いいとこキスどまり、ってとこか、あのおっとりした人ならなあ」
そう独り言を言った途端に無性に笑いがこみあげてきて、ベオウルフはまた笑い声をあげた。
やがて、ひとしきり笑うとその表情がすうっと自嘲気味のそれへと変わる。
どすん、と乱暴な仕草で椅子に座ってベオウルフは呟いた。
「俺も同類だな。まあ・・・」
頭を掠めるのはラケシスとの口付けだ。
その先に進みたい、と思ったことが今までそうそうあったわけではない。あったとしてもそれは、意地の悪い気持ちから出てきた欲望だ。
それでもベオウルフには、今までの人生の中で気に入らない女と自分から口付けを何度も交わした記憶が無い。
情報料としてしかたがなく「及第点」と判断した女を抱いたこともある。当然、この場合の「抱く」は性行為を行う、という意味だ。
とはいえ、自分からということは御免だったし、心がないそういった行為に自分からの口付けが含まれることはありえなかった。
であればこの関係は一体なんだろう。
通路でラケシスと出会って、別れ際に無理矢理口付けたこともあった。
壁に背をつけながらラケシスはそれを受け止め、終わればわずかに上ずった声で「人に見られたくないわ。通路ではやめて頂戴」と言いながらベオウルフを上目遣いで責める。
じゃあ、あんたの部屋ならいいのか、部屋で二人のときは危険だぞ、と冗談めかしてベオウルフが言えば、ラケシスは一瞬の間をおく。
そのときの強張った表情をベオウルフは覚えている。
「どこまで本気なの」
それが最後だった気がする。
その日以降ベオウルフはラケシスに戯れでも口付けてはいない。
反省した、とかそういった感情ではない。
ただ、思ったのだ。
どこまで俺は本気なんだろうか、と。
この先だってきっと口付ける、とキュアンに言ったけれど、その前に発生した自問が、今はベオウルフの動きを阻む。
たとえば、ラケシスがエルトシャンの妹だと知らなかったら。
たとえば、俺がエルトシャンを知らなかったら。
たとえば、ラケシスがノディオンの王女でなかったら。
たとえば、俺が傭兵でなかったら。
ベオウルフは、考えても何も生み出さないことを思い煩うタイプの人間ではない。
彼は、今自分が考えていることが、とてもとても無意味な仮定に過ぎないと知っていた。
知っていて、なお、それを考えてしまう自分を、初めて知った。
彼の「たとえば」は、その「たとえば」がなければ、この状況は初めからあり得ないのだし。なのに。
柄じゃねえな。
そうつぶやいて彼は、自分の柄とやらは一体どんなものだというんだ、とわずかな自問自答をして、苦笑を見せた。

キュアンのもとにラケシスがやってきたのは、それから数日後だった。
地色と同じ色の花刺繍がふんだんに施されている生成り色の普段着用ドレスに、ラーナから貰ったショールを肩に軽くかけたラケシスは、昼前にキュアンの部屋を訪れた。
たまたまだったけれど、その場にはレンスターからやってきていた三人が勢ぞろいをしていて、エスリンはラケシスを見た瞬間、嬉しそうに笑顔を見せた。
「まあ、よくお似合いだわ!肌の色が負けないほど白いからなのかしら」
同性からそうやって手放しで褒められたことなぞ、ラケシスには久しぶりのことだ。
ありがとう、といいながらもその表情は照れくさそうで、それを見たキュアンはなんだか胸をほっとなでおろす。
「返事をもらえるのかな。シグルドを通さずに?」
「ええ、公子の部屋にいったのですが、いらっしゃらなくて・・・」
こちらにどうぞ、とフィンは自分が座っていたソファから立ち上がって、ラケシスに薦める。
それを快く受けてラケシスはふわりと軽い動きで腰をおろす。フィンは退室を申し出たが、ラケシスはその必要がないことを告げた。キュアンもそれに同意したため、そっと見習い騎士は壁際で三人の様子を伺うようにひっそりと立ち位置を決めたようだ。
「お茶、おいれするわね」
エスリンはそういって、サイドテーブルに置いてある茶器を手にとった。それを見てラケシスは驚いたように
「エスリン様がおいれになるのですか」
と目を丸くした。
レンスターの王子の妻ともなれば、誰であろうとその身分が高いことを理解出来る。
その彼女は手際よく、女中達から借りてきたのであろう茶器を使っていた。
「あら、そうよ。わたし、国ではお料理だってしますもの。ねえ、あなた」
「ははは、お料理はどうかと思うが、君の焼き菓子は美味いな」
「ラケシス様もなさってみたら?わくわくするわよ。誰かのために何かを作るって、嬉しいことだもの」
かたん、と小さな音をたててエスリンはラケシスの目の前のテーブルにティーカップを置いた。
ありがとう、と小さく礼を言ってから、ラケシスはそれに口をつける。
温かい湯気を顔にうけながら、ラケシスは何かを考えているようにゆっくりとした仕草でカップをソーサーに戻す。
ほんのわずかに首を右側に傾げて、目を伏せがちにラケシスは答えた。
「わたし、小さな頃にエルト兄様にお守りを作って差し上げたくらいしか・・・人に何かを作ってあげたことなんて、ないかもしれませんわ」
「・・・素敵ね」
その場にいた誰もが、ぎくり、と一瞬表情をこわばらせる。
ラケシスの口からエルトシャンの名を聞くことは、未だに彼らにとっても、発する彼女にとっても勇気がいることだ。
その空気を感じ取って、ラケシスは苦笑いを浮かべた。
「本題に入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、うん」
とまどいがちにそう頷くキュアン。
「わたくし、レンスターには行かずに、この軍に残りたいと思うのです」
ラケシスは、三人の顔をぐるりと眺めてから、きっぱりと辞退の言葉を申し出た。

キュアン達はラケシスの辞退を快く受け入れた。以前の自分であればレンスターに逃れ、自分の身を守ることが王族である自分の最良の選択だと考えただろう、と。けれど、どうしても今の自分にはそれが最良とは思うことが出来ない。
では、何が正しいのか、と問われれば自分は答えることは出来ない。けれども、きっとここでレンスターに行けば後悔する。そんな曖昧な自分の感覚を無視することも出来ないのだと。
明確な回答ではなかったけれど、キュアンは多くを追求しなかった。
時間が無いラケシスなりに考えて、理由はどうあれ自分の意志をはっきりと決断したのだ。
そのことが彼女にとってはとても大切なことなのだと、心優しいこのレンスターの王子は充分理解をしていた。
さて、ラケシスは通路を歩きながら、自分が彼らに話した情けない理由で、本当に了解をしてもらえたのだろうか、と不安に苛まされていた。
なんと説得力が無い話だったのだろう、と溜息が出る。
うまく話せない理由はわかっている。
ラケシスは自分でも自分の決断の理由を消化しきれていない。
そして、ようやく見えかけた、自分がこの決断に際して最も重要視していたのではないかと思われる理由。それは、人に言うことがはばかられるものだった。
人に言いたくない。
そう思うことは、そのことを自分で肯定しているからに他ならない。
ラケシスは険しい表情のまま、歩いた。
面倒を押し付けて悪いけれど、了解したことをシグルドに伝えて欲しい・・・キュアンからそう言われて、当然シグルドへの報告義務があるラケシスは二つ返事でそれを受けた。
シグルドは今、オイフェとシャナンに剣の稽古をつけている、とノイッシュが教えてくれた。
兵士用の小さな訓練所に彼らはいるに違いない。
足早に歩いてゆくと、通路の先からフュリーとエーディンが歩いてくる姿が見えた。
二人供外出するための恰好をしている。
「あら、ラケシス様」
「こんにちは」
お互いに軽く挨拶を交わす。ラケシスはあまりエーディンと会話をしたためしがない。
ただ、いつも穏やかで優しい女性なのだろう、と見ているくらいだ。
「今から城下町に出かけますの。ラケシス様もご一緒にいかがですか?」
「城下町のどちらへ?」
「布をね、買ってくるんです。婚礼の儀式のときに使う、指輪台をフュリーに作ってもらおうと思って」
「上手に出来るかどうか、わかりませんが」
フュリーは控えめに笑顔を見せた。
指輪台?ああ、リングピローのことか。
そんなもの、職人に任せれば良いのに。
素人の手作りなんて、そんな、みすぼらしい。
そう言おうとしたけれど、そのときエスリンの言葉が彼女の脳裏をよぎる。
(誰かのために何かを作るって、嬉しいことだもの)
「幼い頃から裁縫だけは好きだったので」
恥ずかしそうにそう答えるフュリー。その様子は「悪くないな」とラケシスには思えた。
なんとなく。
肩にかけたショールにそっと手をふれてラケシスは思う。
以前はわからなかった。もしかしたらノディオンにいたころは、この手編みのショールだっていくらラーナ王妃からの贈り物とはいえ「みすぼらしい」と思っていたかもしれない。
「ラケシス様も、たまにはご一緒にいかがですか?」
「・・・いいえ、遠慮しておくわ。これから公子のところへご報告することがあるから」
「そうですか。残念です。ああ、それじゃあ、何かご入用のものがあれば買ってきます、何かあります?急にそんなことを言われてもお困りかもしれませんけれど」
エーディンの申し出に、いつもならばそっけなく「何もないわ」と答えるところではあったけれど、ラケシスはしばし悩んだ。
そして悩んだ末に
「じゃあ、お願いしても良いかしら」
素直に、人からの申し出を受け入れることが出来た。それはとても久しぶりなことだと思える。
エーディンとフュリーに買ってきて欲しいものをいくつか告げると、二人は「行くところにそれはすべてあるから」と明るく引き受けてくれた。
ふと気付くとフュリーはラケシスと同じ形の、柔らかなクリーム色のショールを肩にかけている。
同じショールなのに、色と、それを身につける人間によってこんなに印象が違うのか、とラケシスはわずかに驚きの表情を見せた。が、二人はそれに気付かないようだ。
なんて優しい、女性らしい色なんだろう。
ありきたりの色だけれど、それはとても彼女に似合うと思える。
ラーナ様はどうしてわたしに白を選んだのかしら。
国にいた頃は、自分が身につけている物が他人とおそろいになるなんてことはあり得なかった。
ここ、シレジアに来て初めて体験するそのことは、自分と他人の、生まれや育ち以外の「違い」をラケシスに気付かせていた。未だにラケシスはそのことが飲み込めていない様子ではあるが。
「ラケシス様?」
「あ、ご、ごめんなさい、少しぼうっとして・・・」
「それじゃあ、買ってきますね。戻ってきたらお部屋に届けますから」
「ありがとう」
では、とエーディンが頭を下げて歩き出す。それにフュリーもならう。城下町までならば天馬で行くこともないからフュリーはショールをかけた普通の恰好をしているのだろう、とそのときやっとラケシスは思いついた。
その思い付きと何かが連動したのか、既に彼女の前から離れて歩いていくエーディンの背中に、慌てて名を呼びかける。
「エーディン!」
「・・・はい?まだ他に何かお使いがありますか?」
足を止め、笑顔を浮かべてエーディンは振り向く。
ラケシスは早足で彼女に近づいて、そして
「ごめんなさい。いいそびれていたわ・・・。おめでとう。ご結婚が決まったのに、お会いしていなかったから」
「まあ、ありがとうございます。ジャムカから聞いておりますわ、ご祝辞をいただいたって」
「あら」
驚いて軽く声をあげると、エーディンは静かに言った。
「ラケシス様は笑っていらっしゃる方がやはりお美しい、ですって」

ラケシスが訓練所に行くと、室内でオイフェがシャナンの練習に付き合っていた。シグルドの姿は見えない。
「こんにちは。シグルド公子はいらっしゃらないのかしら?」
訪問者の存在に先に気付いたシャナンに挨拶をして、ラケシスは室内を見渡した。
「こんにちは、ラケシス様。公子様はついさきほどレヴィン王子に呼ばれてお出かけになられましたよ」
「あら、そうなの」
「お急ぎでしたら、わたしが追いかけますけれど」
「いいえ、いいの。後でまたお伺いするわ」
シャナンが手にもった剣を行儀悪くぶらぶらと揺らしながら
「今日はせっかくシグルドに剣を教えてもらう約束だったのに、その前はベオウルフ、次はレヴィン、って、みんな邪魔をするんだもん。だったらアイラに習ってた方がよかったよ」
と不満そうに言う。
「ベオウルフ?」
ラケシスがそう聞くと、オイフェはうなずいた。この少年は余計なことは言わないから、いちいちベオウルフがいつ来た、とか、何を話していた、とか、そういったことを自分からべらべら話すわけがない。
が、この聡い少年は、それゆえに時々気を回しすぎてぽろりと口を滑らすことがある。
それは、まだまだ彼が少年の域を出るには早いのだということを、仲間達に知らせるにはとても良いことなのだが。
「もしかしたら、レンスター行きについてのお返事をなされるおつもりだったのですか?差し支えなければわたしから公子様にお伝えいたしましょうか」
オイフェは生真面目そうにラケシスにお伺いをたてた。レンスターのことを口に出したのは、彼なりの気遣い半分、浅はかさ半分といったところだろうか。
ああ、この子にも話が伝わっているのね、とラケシスは内心わずかばかり気持ちがかげったけれど、それを表情に出さないように努めた。いいわ、自分で伝えるから、と、オイフェが言った用事だったのかどうかも曖昧な返事をしようと思った矢先、シャナンがオイフェの後ろから軽く声をかけてきた。
「ベオウルフはレンスターに行くっていってた。ラケシスも行くの?」
「え?」
「こら、シャナン、人の話を勝手に広めてはいけないものだよ!」
「あっ・・・・そ、そっか」
オイフェにそう言われてシャナンはしまった、と少し眉根をよせて肩をすくめる。
シャナンには何の悪気も無い。毎日一緒に暮らしている人間が別れて散り散りになるというのだから、気になるのは当然だ。
そんな二人のやりとりを聞きながら、ラケシスは一瞬大きく目を見開いて、右手をそっと胸元のショールの合わせ目に重ねた。
ベオウルフがレンスターに?
そんな話は何も聞いていない。
その驚きのせいでラケシスは、子供達二人が自分をじっとみつめていることに気付くのが遅れた。
「ラケシス様?」
やがて、オイフェが不安そうにラケシスに声をかけた。
シャナンと自分のおしゃべりの度が過ぎたのか、と、この若い軍師は心配になったらしい。
それにラケシスはようやく気付いて、あまり上手ではない笑顔を二人にむけた。
「・・・いいのよ、きっと、あの人は気にしないと思うわ。でも、気をつけた方がいいことなのかもしれないわね」
「はーい、ごめんなさい」
シャナンはぺこりと頭をさげた。その様子が可愛いらしくてラケシスの口元がわずかながらほころぶ。子供を可愛いと思ったことなぞ、一体どれくらいぶりなのか、彼女本人は気付いてはいないけれど。
オイフェも丁寧に詫びの言葉を述べて頭を下げた。本当にこの少年はシグルドの教育行き届いている。
「こちらこそ、練習のお邪魔をしてしまったわね。公子には後でわたしが自分で言いに行くから、気にしないで頂戴」
「わかりました」
ラケシスはそれだけ告げてから訓練所を出て、今歩いてきた道をまっすぐ戻っていった。
もちろんその心中は、やってきたときほど穏やかではない。

「ああ、シグルド」
翌晩、薪を部屋に運ぶために倉庫に薪を取りに行っていたキュアンは、それと入れ替わりにシグルドが薪を取りに来たのにでくわした。
「君も薪運びかい」
「キュアンか。ああ。ここ連日冷え込みがひどいな。それにしても今日の雪はひどい」
「まったくだ。昼間は晴れていたのに、外を見たか?ものすごい吹雪になってきたな」
薪は麻ひもで束ねられているが、みな量が均等ではない。女性も男性も持ち運ぶから、みなが自分にちょうどいい量を運べるように、いくつかのサイズでより分けられていた。一角にはくくられていない薪も積みあがっている。
シグルドは暗い中、自分が欲しい量の束を探している。
倉庫内は火が厳禁だから二人供灯りをもたない。開け放した扉から漏れる廊下の灯りが頼りだ。
薪が湿気を含まないようにとこの倉庫はかなり頑丈な造りになっており、どこからも外気が入らない。
そのせいか、この暗くて寒い倉庫は、ここセイレーン城の中でも特別に孤立している印象が強い。事実、倉庫にいる間は扉を開け放っている時に廊下の音が聞こえるだけで、強い風の音も雨の音(もちろん、この時期は雪だが)も遮断している。
明るい気性を持つキュアンは、あまりこの倉庫が好きではない。さっさと廊下に出て、シグルドが出てくるのを彼は待っていた。
「そうだ、そういや、ラケシスから話は聞いたかな」
シグルドが出てきた途端、やぶからぼうにキュアンはそう言った。
「何を?」
「レンスター行きの話さ」
「ああ、そのことか。いや、まだ何も聞いていないが。数日前に、もう少し待ってくれって聞いただけだが」
そう言いながらシグルドは倉庫の扉を閉め、外からの閂(かんぬき)をはめた。本当はオイフェからも「ラケシス様がお探しでしたよ」と聞いていたけれど、あえて彼は自分から彼女に声をかけないままでいたのだ。
「なんだ。昨日、昼食前には返事を貰ったんだけど。ああ、でもシグルドは出かけていたんだっけ?」
「そうだが、夕方前には戻ってきたし、今日は一日いたんだが・・・夕食の席でも顔を合わせたな、キュアンだっていただろう?」
「あ、そうだな。でも、まあ、夕食の皆がいる席で言いたくはないのかな」
二人は肩を並べて歩き始めた。
「レンスターには行かないそうだ」
「そうか」
「シグルドには、ラケシスから伝えてくれって言っておいたんだが。忘れているのかな。ふふ」
そう言って小さく笑うキュアンを見てシグルドは、自分の親友の明るくて優しい人柄を改めて好ましく思う。
「・・・あ、なんだ、シグルド、にやにやして!」
「違う違う、なんでもないなんでもない」
「なんでもないわけないだろ。そういう笑いは、なーんか、気になるんだ」
「ははは。違う違う。いい親友を持ったもんだと思って」
「さっぱりわからん」
肘鉄をシグルドのみぞおちにくらわせる真似をするキュアン。それをうけて「うわ!」と冗談めかして声をあげるシグルド。そういったやりとりをしたのは、実に久しぶりのことだ。二人は声を出して笑いあった。
ひとしきり笑いが収まってそのまま少しだけ歩いた後、キュアンは静かな声でシグルドに言った。
「なあ、シグルド」
「うん」
「遠いところに、来てしまったな」
その突然の言葉がどういう意味を含むのか、シグルドは瞬時には量りかねたけれど、あえてその意味を聞きなおすことはしない。
一拍おいて、シグルドはキュアンを見ずに答えた。彼の視線は、絶えず動き続ける自分の靴の爪先にむけられている。
「・・・そうだな。本当に」
キュアンもどう思ってか、シグルドを見ずに淡々と答えるだけだ。
「ああ、本当に」
「でも、一人ではないということが、とても心強い。感謝している」
「今更」
二人はそれから言葉を続けることが出来なくなった。
一人ではない。けれど、少なくともエルトシャンはもういない。その事実が二人の脳裏に一瞬よぎったことは確かだ。
やがて、先にキュアンの部屋にたどり着き、二人はおやすみの挨拶を交わした。
扉が閉まる音を背に聞きながら、シグルドは自分の部屋に向かう。
「・・・ふうーーん」
滅多にはないことだが、彼の口からそんな声が漏れた。
ラケシスは、キュアンに頼まれたことを本当に忘れているのだろうか?
レンスターに行かない、と決めたのはどういう心境だろうか?
それは、考えてもしかたがないことだったけれど、なんとなく彼の心の中でとても曖昧なひっかかりを生む。
とはいえ、この件に関しては自分には多分、待つことしか出来ないのだとシグルドには思えていた。
どちらかというと不器用な自分が出来ることはほんの一握りだと彼は判断していたし、だからこそベオウルフにすべてを委ねている。正直にそういうと、どういう意味にとらえてしまうのかベオウルフはにやにやしながら「大将は案外と策士でございますからなあ」なんて冗談ぽく嫌味を投げつけるものだ。
不器用だから尚のこと、自分では処理出来ないことを人に託す。それがシグルドの精一杯だったし、役目だと自負している。誰が何を出来るのか見極めれば、あとは頼むだけだ。
それこそが司令官の器を左右する能力ではあるけれど、シグルドからすれば「戦の方がまだやりやすい」と愚痴のひとつも言いたいものだ。それなのにベオウルフにまで嫌味を言われては、なんだか割があわない。
人に頼んで待つ。そのことはとてもはがゆくて己の力のなさを痛感する。それは、ディアドラのことに関しても言えるのだが・・・。
(それにしても、待ってばかりだな)
そんなに自分は気が長い人間ではなかった気がするのだが、とシグルドは自嘲気味に笑った。
もしも、彼の心のつぶやきが亡きエルトシャンに聞こえていたら「いいや、シグルドは案外気が長い男だよ」と笑いながら言うのかもしれない。
ああ、そういえば。
ベオウルフが、昔エルトシャンと戦場で共に戦ったことがある、と酒を飲みながらほんの少し話してくれたことを不意に思い出す。
あまり多くを語らないあの傭兵は、嫌味を言いながら、でもきっと自分のことは嫌いではないのだろう。
シャガールにうとましがられてほんの一時期「視察」の名目でエルトシャンが国境警備隊のもとへ飛ばされていた頃があったという。
視察であるから、揉め事があってもエルトシャンは動く必要がないはずだ。そこで何があったのかまではベオウルフは言わない。ただ、その時知り合ったのだとだけ教えてくれた。
もっとたくさん聞きたかった話ではあるが、シグルドのちょっとした問いに対する答えがその気持ちを遮ってしまった。
「ラケシスにもその話をしたのかい」
何の気なしの問いかけだった。
「いいや」
「どうしてだい。ラケシスは君とエルトシャンが知り合いだと知っているんだろう?」
「あのお姫様には、エルトシャンの話はしない。俺の口からエルトシャンのことを聞きたくないんだとよ。以前、怒られた」
そんなことを言われては。
エルトシャンの身内であるラケシスですら聞かない話を、なんとなく自分がベオウルフから聞くのが申し訳ないような気持ちになってしまう。
聞きたくない、というのはラケシスの勝手なのだから、シグルドには何の責任もないのだけれど、どうも自分はそういうときについつい遠慮をしてしまうものだ、とあまり長所とはいえない自分が持ち合わせている「らしい」部分をシグルドは知っている。
ベオウルフに聞けばきっと「んなことあんたが気にすることねーもんな」と簡単に笑い飛ばして、「あんたにだったら話してもいいかもなあ」と、エルトシャンとの出会いについて語ってくれるだろう。それはおごりとかそういうものではなく「なんとなく」そう思える。強い根拠があるものではないけれど、正解のはずだ。
そんなことを思い出しているうちにシグルドは自分の部屋に着いた。
部屋に入ると、燃やしっぱなしだった暖炉の火のおかげでわずかに温かい気温が彼の手や顔といった剥き出しの部分を優しく包む。
部屋全体が温かくて快適というまではいかないが、火という存在のありがたさを、厨房に立たない人間が感じるのにシレジアの冬はうってつけだな、なんて思いついてシグルドは小さく笑った。まったく、人は違う環境にならなければ、自分がいかに恵まれていたのかがわからないものだ。
「よいしょ」
暖炉の前にひざをついて、彼は早速持ってきた薪の麻ひもをほどく。
がらがらと音をたてて床に崩れる薪の山を、薪をたてておく専用のかごに少し手荒く捻じ込みながらぼんやりとベオウルフのことを思い出した。
ベオウルフは、ラケシスのことをきっと、愛しているのだろう、と。
手が止まる。がらん、と薪がひとつ床の上に落ちるのも構わず、シグルドは小さく溜息をついた。
それからしばし、動きをとめて、瞳をふせる。
ただ、火の粉がはじける音が、耳の奥に響いた。


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モドル

もっと、こう、簡潔に書けないものなんでしょうかね、あたくしは。
短編のつもりだったんですが・・・。最近こんなんばっかりですね(反省)