片言の祈り-6-

「うう、寒いな。今日もまた冷え込むことだ」
見張り台から外を覗きながらホリンは彼にしてはめずらしい愚痴を口にした。
ホリンはシグルド軍の中では寡黙なほうだったし、彼の文句は皆聞きなれていなかった。
それでもそんな彼がわずかな愚痴を言いたくなるほど、ここ数日の冷えは体に染みていた。冬の夜番は、シレジアの兵士でも嫌な物だ、とレヴィンが言っていたが、まさにそのとおりだろう。
自分の身は自分で守る、とはいえ、この広いセイレーン城をシグルド軍の人間だけで守ることは難しい。
結果、天馬騎士達と共に城の護衛にたつことになっているが、夜番はどちらにせよ男達の仕事だ。
明日はジャムカとエーディンの婚礼ということで、そうそう特別なことというわけではないけれどみな「今晩はゆっくり休みたいものだ」と思っていた。それが、婚礼の儀にそなえたことなのか、その後の祝宴で酒盛りをするため体調を整えたいという馬鹿げた理由からなのかは人それぞれに違いないけれど。
「ほらよ」
剥き出しになっている見張り台には、風避け雨避けの小さな詰め所が用意されている。
静かに降り続く雪のせいで、少し外に出て様子を伺うだけでもホリンの髪や肩には雪が積もってしまう。
詰め所に戻ると、ベオウルフが熱い茶が入っているはずの陶器のポットからカップに液体を注いだ。
あまり広い空間ではないけれど一休みするには問題がない。木では湿気を含んでしまうため、石造りのテーブルと椅子が置いてある。それがまた外気のせいで冷えてしまうから性質が悪い。室内用よりはふた周りほど小さい暖炉があるけれど、あまりそれは威力を発揮してはくれないようだ。
「ほらよ・・・って・・・これ、酒が入っているじゃないか」
「温まるだろうが。この程度飲んだだけで酔っ払うほどヤワじゃないだろう」
「それはそうだが」
ホリンとベオウルフは、別段明日の婚礼のためにどうこう、と思うタイプではなかったから、それじゃあ自分達が、と夜番をかって出た。実際正直なところベオウルフにとっては、ジャムカとエーディンの婚礼のために「じゃ、明日に備えて」なんて言う人間の気がしれない。戦のときは「じゃ、明日の戦に備えて」と人々は見張りもたてずに眠るか?そんなわけはない。
「ありゃ」
ベオウルフは妙な声を出した。
カップを受け取って、酒を数滴たらした茶を口にしたホリンは、ベオウルフの手元を見た。
「なんだあ、まいったな」
「割れてるのか」
ベオウルフが手にしたカップはよく見ると底にひびが入っている。
熱い液体がじんわりとしみてテーブルにぽたりぽたりと落ちているのが見える。
「しゃあねえや。代わりのカップをどっかからもってくるか」
「ああ、俺がとってこよう」
ホリンはもう一口茶を口に含んでから立ち上がって詰め所を出た。
「・・・あれ?」
と、その時ホリンの顔つきが変わる。
「んー?なんだ?どうした?」
うろんげな声を聞きつけて、ベオウルフもホリンの後ろから詰め所を出た。
「ベオウルフ、あれを」
「はあ?なんだ?」
「見間違いかな・・・いや、ほら、あそこ」
「・・・んだ、ありゃあ!」
ベオウルフはホリンが指し示した方向を見て声をあげた。
その声は、その対象が何なのかわからなくて発したものではない。
なんでそんなところにいるんだ、という意味合いのものだ。彼らがみつけたものは、見慣れた人影だった。
「なんだ、あんな恰好で外出てたら死んじまうぞ。おい、ホリン、ちょっとこの場は頼んだ」
「あ、ああ・・・おい、戻ってくるか?」
「あたりま・・・」
え、といおうとして、ベオウルフは肩をすくめてみせた。
「嫌な質問だ。保証は出来ん」
「・・・聞かなければよかった」
ホリンは顔をしかめてベオウルフを見る。
彼はベオウルフとラケシスがどういう関係なのかを気にして発言したわけではない。
ただ、夜番を共にしている人間がその場を離れるため、ベオウルフが不在にしている時間はいかほどのものだろう、となんとなく推測をめぐらせた。
めぐらせた結果、思いも寄らない言葉が口から出てきてしまっただけだ。
そして、それに対してベオウルフが笑い飛ばしてくれればまだよかったのに。
「何を想像してんだ。あんな恰好でふらついてたら凍傷でも起こしているかもしれないだろ、そういう意味だ」
ベオウルフはホリンに早口でそう言うが、それだけとは思えないな、とホリンは適当に相槌を打つ。
「まあ、いい。急げ」
「悪いな。戻れたらすぐ戻る」
嫌な返事だ、とホリンは口元をゆがめた。

ベオウルフは雪の中、慌てて外に飛び出た。
夜番のおかげで、彼は彼にしてはめずらしい厚着をしていたから、出て行くためにわざわざコートや何やらを取りに行く必要はなかった。
あれ以上歩いていったら、他の方角を見張っているシレジア兵にみつかってしまう。それは避けたかった。
風もなく雪がまっすぐしんしんと降り積もる中、足をとられながらもベオウルフは先ほどホリンがみつけた人影が歩く方向へ走っていった。
彼は、シレジアの冬は初めてではない。
レヴィンやフュリーには敵うわけはないけれど、シグルド軍の中では比較的雪の中を歩くことが得意だ。
それでも夕方から静かに降り続いている雪は彼の膝下、かなりの深さを覆い尽くしていて、決して身軽に動くことは出来ない。
足跡をおいかけていくことが出来ることだけが、この雪の利点だな、とベオウルフは苦笑した。
「おい!」
しばらく走ると、彼の視界にようやくお目当ての人影が入った。
月は出ていないけれど、こんな雪の夜でも空駆ける天馬のために目印となる灯りがぽつぽつとついているため真っ暗ではない。
「ラケシス、止まれ」
彼のその声に反応して、遠くに見える人影は足をとめて、そして、静かに振り向いた。
ベオウルフは人影−ラケシスなのだが−の足が止まったことを確認して、ゆっくりと近づいてゆく。
「そんな恰好じゃ、死ぬぞ」
どうした、とか何故こんなところに、とか、そんな質問をする気はなかった。
ベオウルフは非常に合理的で、この雪の中、室内着でふらふらしている彼女が正気とも思えていなかったから、ひとまずこの場からラケシスをどうにかして部屋に戻さなければいけないということをわかっていた。
ベオウルフが近づいてゆくと、ラケシスは苛ついた声をあげた。
「どうしてお前が、来るの・・・」
「夜番だったってだけだ」
「来ないで」
「じゃあ、逃げるか」
ラケシスは動かなかった。
更にベオウルフは近づいてゆき、彼女が動かないのではなく、多分、もう動けないのだということに気付いた。
ラケシスの髪や肩を、雪は白く彩り、ほのかについている灯りがその色をわずかに普段と違う色合いに映し出す。それは、美しい、とベオウルフは思った。
けれど、明らかにその唇が色を失って、体中の体温がさがっている様子がわかる。
大方、一度立ち止まってしまった足は、冷えからくる痺れで重く彼女の足をその場に留める足枷をはめられているのだろう。
「早く部屋に戻ってあったまらないと、ヤバイことになる」
「来ないで」
「じゃあ、逃げろって言ってる」
「来ないで」
弱弱しくラケシスは繰り返した。その声は、寒さのせいで歯が噛み合っていないことをベオウルフに伝える。それどころか、舌がうまくまわらないらしく、いつもの彼女にしては驚くほどゆっくりとした発声だ。
「こんなときだけやってきて、優しい振りをするのはもううんざり」
「ひどい言われようだな」
ついにベオウルフはラケシスの前にたどり着いた。
その体に触れようと手を伸ばした瞬間、ぱしん、とラケシスはベオウルフの手を叩いた。
「おいおい」
力はほとんど入っていないが、その手の冷たさに驚いてベオウルフは手を引っ込めた。
「お姫様のわがままに付き合ってやる気はないんだ。いい子だから、城に戻れ。それとも死にに来たのか。死ぬなら、他の方法がいくらでもあるだろうが」
「どうしてわたしが、死ななきゃいけないというの」
震えながらラケシスは言い放つ。説得力が無いな、と思いながら、ベオウルフは答えた。
「その恰好で外に出るなんざ、自殺行為だ」
「生きているじゃない」
そう言ってラケシスはベオウルフを睨む。
ベオウルフは眉間にしわを寄せた。
血の気を失ったラケシスの様子は、ベオウルフが言うように危険な状態を物語っている。
それでもなお彼女は、ベオウルフの手を払いのけ、つっぱねて、そして無駄な主張をする。
きっと、天地がひっくりかえったってこの女は意地を張りつづけるに違いない・・・それを、勝手にしろ、と思う気持ちもあるけれど、彼女がそうまでして守ろうとするものが一体何なのかベオウルフには興味深く映る。
「でも、もう潮時だ。歩けないならおぶってやる」
「来ないで、って言ってるでしょ・・・。わたし、頭を冷やしに来ただけよ。放っておいて頂戴」
「あのなあ」
それじゃあ、頭が冷える前に死ぬだろうが。
そう言おうとしてベオウルフは口を閉じた。そんなことを言っても、この女は「放っとけ」と繰り返すだけだろう、と心の中で舌打ちする。
「もっと簡単に頭を冷やしてやろうか?」
「え?」
思いも寄らないベオウルフの言葉に、ラケシスは間抜けな声をあげた。
次の瞬間
「なっ・・・!」
突然ベオウルフはラケシスの肩を掴んで、雪の中に押し倒す。降り続く雪のおかげで、柔らかな新雪にラケシスの体はそのままの形で埋まってしまう。ずっぷりと雪に沈む感触に驚いて、ラケシスは声をあげた。
「ベオウルフ、な、に・・・」
組み敷かれながら動かない体で弱弱しい抵抗を見せて体を起こそうとするラケシスに、ベオウルフは面白くもなさそうに言い放つ。
「立ってるだけじゃ、足の方が冷えるに決まってるだろ、ん?」
「ぷあっ・・・!」
ベオウルフはラケシスの腰あたりで上にまたがり、体を起こそうとする彼女の頭を雪に押し付けた。
もともと冷えてはいたけれど、それでも後頭部を覆う雪の冷たさに、ラケシスは眩暈に似た間隔に襲われる。
ベオウルフの体をのけようと腕をつっぱるけれど、冷えた体は言うことを聞かず、ただ伸ばされるだけで何の力もはいっていないように感じる。
「これで頭も冷えただろうよ・・・だろ?」
ラケシスは抵抗を止めて目を見開いてベオウルフを見た。ベオウルフが上から覆い被さるように顔を覗いているから、静かに降り続ける雪は、ラケシスの顔には落ちてこない。
時折彼女の口から出る白い息と、ベオウルフの白い息だけが動くもののように思えるほど、ほんのわずか、二人の動きは止まった。絡む視線がお互いに何を言いたいのか判断も出来ず、ただ見つめるだけだ。
「凍傷になっちまうだろ」
ようやくベオウルフが口を開き、ラケシスを抑えつけたままで、雪にうずもれた彼女の背中に左腕を回した。
ラケシスの体は完全に力が抜けており、それには何の抵抗もない。
そのままぐい、と持ち上げればきっと簡単にラケシスは起き上がったに違いない。
ラケシスは血の気を失った唇をわずかに開いたまま何も言わずにベオウルフを見つめていた。ベオウルフが動いたことで、彼女のまつげに雪が降ってくる。それを不快に思ったのか、そっと数回おおげさに瞬きをした。まつげに降りた雪は、まぶたへちらりと落ちて、ほのかに残っているラケシスの体温で溶けてゆく。
と、突然何を思ったのかベオウルフはそのままラケシスに覆い被さるように体を重ねようとした。
「な、に、するのっ!」
予想外の動きに対して、ひきつれた声をあげてラケシスは抵抗をしようともがいた。
「ベオウルフっ・・・!」
ドレスでなければ足を蹴り上げて、またがっているベオウルフの背中に一撃与えることも出来ただろうか?いや、既に痺れきっている足はラケシスが思うようにうまく動くことが出来なかった。
ベオウルフはラケシスの胸元に自分の体を近づけ、腕を雪に埋もれるほどがっちりと押さえつけながら顔をラケシスの顔に寄せる。
「あっ・・・」
「馬鹿が。こんなところで誘うな」
「何、言ってるの」
「こんな簡単に抵抗を止められたら、ただの誘いに見える。寒さのせいでもな」
ベオウルフはラケシスの頬に口付け、舌で軽くなでた。
雪の中だというのにベオウルフの舌が熱いことにラケシスは驚き、それと共に恥ずかしさがこみ上げてくる。
「離して」
「おとなしく帰るか?」
「離して」
まったく。
ベオウルフは苦笑をして、体を起こしながらラケシスの体を持ち上げた。
ラケシスはうつむきがちに目をそらす。
「ベオウルフ」
震える声。
それは寒さのせいだけだろうか?
「あいよ」
「足が、動かない」
「そりゃそうだ」
「・・・」
「俺があんたを抱きかかえていっても、文句はないだろう?頭はもう、冷えたよな?」
ベオウルフはラケシスの答えを待たなかった。
上着を脱いでラケシスの上半身を包んでやってから、よいしょ、と抱き上げた。ラケシスは抵抗せずにそれに従う。
「ったく、こんな冷やしやがって。頭冷やしたいなら、水でもかぶってりゃいいんだ」
「・・・悪かったわね」
「憎まれ口利けるなら、大丈夫だな」
ラケシスは体の力を抜いて、ベオウルフがざくざくと雪をかきわけて歩き出す音と振動を感じていた。それと、ベオウルフの上着の内側に残る、彼の体温と。
なんて、ひどい男なの。
それでも、その男の体温は温かく、それをありがたいと思うなんて。
ラケシスは何も言わずに、ただベオウルフの腕の中で瞳を閉じた。

ベオウルフはラケシスの部屋に、彼女を抱えたままたどり着いた。
ベッドではなく暖炉の傍の床にラケシスを降ろすと、手早くブーツを脱がせた。
「何、するの!?」
「馬鹿が。凍傷になってるかもしれないだろうが。足、痛みはないか。感覚はまだあるか」
「・・・少し、痛い」
ベオウルフはラケシスの手に触れた。
もともと白い手は、更に白さを増しているようで、室内に戻ってきたにも関わらず一向に温かみを取り戻さない。
「ちっ、面倒な服だな。かぶってるのか、これは」
「そ、そうよ」
「脱がせるぞ。いいか」
「いいわけ、ない」
「悪かった。あんたから許可をとろうなんて思った俺が間違いだった」
ベオウルフははあ、と溜息をついてから、突然ラケシスのドレスをめくりあげた。
「何っ・・・」
「だから、ヤバイんだっつってるんだ!あんたは凍傷になったらどんな風になるのか知らないのか!?」
めずらしいベオウルフの剣幕にまけて、ラケシスはとまどう。
「ど、どうなるの・・・?」
恐る恐る聞くラケシスの肩からショールを取り去り、ち、面倒だ、ともう一度呟きながら、胸元に並んでいるドレスの前ボタンをベオウルフは外しはじめた。
抵抗をしていいものかどうかようやくラケシスは迷い、静かになった。
「ひどいときゃ、切断だ。切断しなくたって、とんでもないことになる。寒さをなめてんじゃねえぞ」
冷たく言い放たれたその言葉にラケシスはびく、と体をこわばらせた。
「ま、雪に突っ込んだ俺も非礼とやらではあったけどな」
それは、本当につけたしの言葉で、別段ベオウルフがそう思ってはいないことをラケシスはわかっていた。
やがてラケシスのドレスのボタンを外し終え、そっとベオウルフはその服を肩から脱がせた。
もちろんドレスの下には、それなりの肌着を身につけているから、すぐに素肌が露出されるわけではない。
ラケシスは恥ずかしさにうつむいたけれど、今は恥ずかしいとか恥ずかしくない、とか言っている時ではないのだということが、先ほどのベオウルフの言葉でわかった。
「脱がせたくて脱がせたんじゃないからな。手、やばい。脇の下にでもいれて自分の体温であっためていろ。今、湯を持ってくるからな」
そっとラケシスは言われたとおりに自分の手を脇の下にいれた。そうして、あまりの冷たさに体を震わせる。
「足の方が、やばいな」
そう言いながらベオウルフはベッドにきっちり敷かれているシーツを剥ぎ取った。それを適当に折って、ラケシスの体を覆う。
「しばらくくるまっていろ。・・・おいおい、火をつけっぱなしでおでかけかよ。あぶねえな。ま、おかげで助かるが」
ベオウルフは暖炉の脇においてある薪を数本くべた。
「・・・ん?」
その暖炉の手前に、ただあぶられて黒くなっただけの小さな物体を見つけてベオウルフは顔をしかめた。
そっとラケシスの様子を伺うと、彼女はシーツにくるまって小さく震えているだけで、彼の動きなぞ見てはいない様子だった。
(なんだ、ありゃあ・・・)
「あんまり暖炉により過ぎるな。下手に足をあっためようとするな。こするなよ。手も、こすりあわせたりしないで、そのままあっためておけ。いいな、わかったな」
そう言い放ってベオウルフはラケシスの部屋から飛び出ていった。
「わ、わかったわ・・・」
返事をしても、既にベオウルフはそこにはいない。
ラケシスはシーツにくるまりながら瞳を閉じて、自分の手の冷たさと、じんじんとする足の痛みだけを感じながら息を吐いた。
吐き出した息は、もはや冷たくはなかった。

真鋳の大きなバケツにベオウルフは水を入れて持ってきた。
その次は布と、既に熱い湯がはいったポットを。
「よいしょ、と」
バケツに重ねてもってきた洗面器に水と湯をいれて、ベオウルフは温度を自分の手で計る。
「リライブのひとつやふたつで治ればいいけどな」
リライブはあくまでも細胞が治ろうとする治癒力を高めるものだ。
しかし、凍傷のように細胞自体が死んでいこうとしている状態を簡単にはせきとめることが出来ない。
それが出来ればどんな病気だって医者いらずになってしまうわけだし。
ある程度回復させてからでなければリライブの意味もない。
「手はどうだ」
「温かくなってきた・・・」
「足は」
「痛い」
「痛いだけまだマシだ。痛くなくなってたら、かなりきわどかったけどな・・・」
ベオウルフはブーツを脱いだラケシスの素足に触れた。
「冷たいな」
両足をそっと持ち上げて、ゆっくりと洗面器に足をいれてゆく。
「い、痛ッ・・・」
「我慢しろ。しばらくそのままでいろよ」
ちゃぽん、と音をたててラケシスの白い足先が湯の中へ入っていく。かなりぬるめの温度だけれど、ラケシスの足にはその温度が刺すような刺激を与える。
ベオウルフはもってきた布を暖炉で軽くあぶって、ぽんぽん、と手で叩いて温度を下げた。
「ああ、まだ耳も冷たいな」
ラケシスの髪をかきあげて、布で耳を包む。
「手、片方だせ」
「はい」
おとなしく右手をベオウルフに差し出す。先ほどより幾分は温かみを増して来てはいるようだが、それでも外側だけのことに見える。手の甲は明らかに白く、血行がよくなったとは見えない。
ベオウルフはその手をとって、手首より少し上あたりのマッサージを始めた。
「馬鹿だな、本当に、あんたは」
「・・・そうね」
「でも、情けないことに」
ラケシスを見ずに、ベオウルフは続けた。
「俺は、ちっとは馬鹿な女ってのが、嫌いじゃない」
「・・・そう・・・」
なんと答えて良いのかラケシスにはわからない。
しばらく静かにマッサージをしていると、ラケシスの指先はほのかに温かくなってきた。
「ベオウルフ、指先がじんじんする」
「あったかくなったか」
「そうみたい」
「じゃあ、次はそっちだ。おっと、その前に・・・一応な」
温めた手を布で軽く包んで、もう片方の手を掴むベオウルフ。
「やっぱりこっちもまだ冷たいな。足はどうだ」
「痛い」
「そうか。もう少し我慢しろ・・・ああ、少し温度がさがったか」
湯を足して洗面器のぬるま湯の温度をあげる。そのかいがいしさは、ラケシスが知っているベオウルフとは思えないほどのものだった。
「お前は、いろいろなことを知っているのね・・・」
「自分の命を守るのは、自分だけだ。あんた達のように誰かに守ってもらうような生活とは、とんと無縁だったからな」
「・・・そう」
また、困ったように呟くしか返答が出来ずにラケシスはうつむいた。
「ああ、こっちは思ったより血行がよくなったな。耳はどうだ」
くるくると左手も布に包み、ベオウルフは先ほど包んだ耳をそっと触れた。
それからラケシスの頬、首筋、と指を滑らせる。
その動きに敏感に反応して、ラケシスはかあっと体が熱くなるのを感じた。
「・・・今、あったかくなっただろ?」
「ふざけないで!」
「足は、まだちゃんといれていろ。ほら、こんなぬるま湯にいれても、まだ足の色が戻らない・・・」
それは本当のことだ。
「あのまま放っておいたら、明日の婚礼の儀どころじゃなくなってたぞ」
それへは何も答えを返せない。ごめんなさい、というのもなんだかおかど違いに思えたからだ。
「どうした?ん?何を頭を冷やす必要があったってんだ」
ようやくラケシスが落ち着いたと判断して、ベオウルフは問い掛けた。
床の上でシーツに包まり、足を洗面器にいれた情けない姿で、ラケシスはベオウルフの問いかけに対して即答できずに口をつぐんだ。
「言いたくないか。まあ、いいけどな」
しばらく二人はそのまま静かに黙り込んでいた。
時々ベオウルフはラケシスの足の様子を見て、ぬるま湯に湯を足す。
ラケシスは下唇を噛み締めて、ぎゅ、と身をちぢこませた。
がら、と薪をもう数本暖炉に足す。よくわからないが、きっといらないものなんだろう、とベオウルフは暖炉の手前に落ちていた小さな何かをぽい、と火の中につまみあげて投げ入れる。
ラケシスが暖炉に放り投げた四つ目のサシェは、ベオウルフの手によって完全に火の中に落とされ、部屋を暖めることに貢献してくれた。それをラケシスは気付きもしないで、ただただうつむいているばかりだ。
「ああ、少しばかり色が戻ったか・・・」
やがてベオウルフはそう言うと、ラケシスの足を洗面器から出して布でゆるく包んだ。
「じっとしてろよ」
美しいラインを描いているラケシスの白い足は、指の形すら整っていた。
常に自分の足の形にぴったりとした靴をはいていたのだろうな、とベオウルフはちらりと思う。
丁寧に丁寧に手入れをされて育った爪の形。
足の裏ですら、まるで絵に描いたように完璧な形をしている、と思える。
ふくらはぎのあたりを、ベオウルフは丁寧にマッサージし始めた。
「ベオウルフ、教えてくれれば、自分でやるわ」
「手はもうちっとそのままの方がいい。こすらないで保温しておけ」
「でも」
「俺に触られるのはそんなに嫌か」
「・・・そういうことじゃないわ」
嫌じゃない、とは言いたくなかった。
ラケシスはまた黙った。
ベオウルフは片足のマッサージを終えて、反対側の足も同じようにさすり始めた。
「俺に触られるのが嫌なら、医者に手当てされているとでも思っておけ。そうすりゃ大丈夫だろう」
「そうね」
「頭を冷やしたかったら、これからは俺のところに来い。いくらでも水くらい、ぶっかけてやる」
「お前は本気でそういうことをしそうね」
「ああ、そうだな」
「でも、お前のところに行きたくなんてなかった」
「・・・もしかして、俺が何かあんたを苛立たせることをしちまったのかな」
「そうよ」
「そうかい」
「でも、違うの。わたし、自分に苛立っているんだわ」
ベオウルフは手をとめた。
ラケシスの足は血行を取り戻してきたらしく、部屋に戻ってきたときのような危ない白さには見えなかった。
桜色にほんのりと色づき始めている。もう、凍傷の心配はないように見えた。
「でも、俺が発端ってわけなんだな?」
「・・・」
それ以上は答えたくない、とラケシスは黙り込んだ。
ベオウルフはラケシスの足をもったまま、シーツに包まったままの彼女を見つめた。
「何を俺がやっちまったのかは、よくわからないが」
それは、もちろんわかるはずもないだろう、とラケシスは思う。
「俺のことで、苛立つ自分のことは、嫌いなんだろうな、あんたは」
「そうよ」
「そうか。そればかりは、俺にもどうにも出来ないな。人間には相性ってもんがある」
しかたない、とばかりにそう呟いて、ベオウルフは自分の手の中のラケシスの足首に、口付けた。


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モドル

毎回毎回ベオラケを書くたびに、「ああ・・・また、世間のベオラケスキーな方にお見せできないものが・・・」とびくびくしていますが、やはり今回も・・・。いえ、この二人は永遠にこんな感じなんですけど。
ある意味ベタな展開ですね。何がベタって、ベオウルフがラケシスをお姫様だっこ・・・!!!お姫様だっこin雪(意味不明)ビビるー!!