血の轍-4-

ラケシスが懐妊したってな。
その言葉をレックスの口から出すのがためらわれた。
以前エーディンが懐妊したときにそれをアイラに伝えたことがあった。そのとき彼女は
「子供が欲しいのか」
とストレートな質問をレックスに返してきたのだ。
本当はそういうことではない。確かに二人で寄り添って眠るようになってかなりの時間が経過している。
それでも無理強いしてどうこう、ということをしないのは、何も本気で「アイラがその気にならないなら」なんていう理由ではない。
あえていうならばうしろめたさ。
自分が産まれて育ってきた国というものは、どれだけ個人が関係ないと思っていてもどこかで必ず逃げられないように楔を打ち込む。
それが今の自分達だとレックスはちょっと前にシグルドと話していた。
シグルドは、レックスがとてもアイラを大事にしていることは知っていたし、彼の苦悩もまた知っていた。
彼らとてもう何も知らないでグランベルで動き出した謀略に流されているわけではない。
レックスもティルテュも自分達の父親が謀り事に関わっていることを承知していたし、それを恥じてもいた。
シグルド軍に加わった当初、ティルテュはとても遠慮がちでみなにどう思われているかとても気にしていて、今でこそ明るく振舞えるけれど、当時はもともともっていた奔放で人懐こい気質が影を潜めていた。
それを助けてくれたのは幼馴染のアゼルだ。
けれど、レックスはそうはいかない。レックスが愛しているアイラはイザークの姫で、そしてイザークは言われもなき罪でグランベルからの討伐隊に国を侵攻されてしまった国だ。
それは謀り事で必要だった「クルト王子遠征」先として単にイザークが適していたからだ、と彼らはもう知っている。
更に、そこには自分の父親がかんでいる。
レックスがアイラの体を未だに愛せないのは、このうしろめたさが何よりも理由だった。
アゼル達と別れて部屋に戻ると、愛しい恋人がめずらしく美しい髪を梳いている。
この女剣士はもとが高貴な生まれだと言うのに、普段は身づくろいなども無頓着だ。
確かに一国の姫があれだけの剣士になるという環境は、正直なところグランベルでは考えられない。
けれど、それを野蛮な民族だからだ、と決め付けることはもはや馬鹿馬鹿しい話だ。
彼女は確かに無頓着で、誰に対しても態度を変えることも出来ず、女性らしい仕草や女性らしい物言いはさっぱり出来ないけれども、レックスはもうそれには誤魔化されてはいなかった。
アイラはとても深くレックスを愛してくれている。それだって自惚れと呼ばれても構わないほどにレックスは承知していることだ。
それでも彼女がレックスと体を未だに重ねられないのは、そういう欲がないから、ではない。毎日抱きしめて寝ている女が自分の腕の中でみせる仕草を見ればそれくらいわかる。少なくともレックスは。
「ああ、レックス。遅かったな」
アイラは振り返らずに椅子に座って背をむけたまま声をかけた。
シレジア城の部屋はとても美しい白壁で、調度品もあまり過剰なものもなくて大層趣味がいい、一歩間違うと
素っ気無いぐらいの部屋だった。壁側に置いてあるドレッサーにアイラはむかっていた。
そのめずらしい彼女の身づくろいを見て、なんだかとても愛しい気分がこみ上げてくるのをレックスは感じた。
「悪い」
そういうとレックスはちょっとだけ疲れたように、アイラを背中から抱きしめる。驚いて手をとめてアイラは首を懸命に曲げてレックスを見た。
「いや、全然・・・どうした。なんでそんな泣きそうな顔をしてるんだ」
「俺が?泣きそう?」
「違うか?」
「・・・違うと思うけど」
アイラはとりたててそれ以上何も言わなかったし、面倒くさそうだったけれどレックスを放っておいた。
「ふーん」
それでもレックスが離さないでずっと自分を背中から抱きしめているものだから、アイラはちょっとだけ困ったようだ。
「なんだなんだ。それは新手のいやがらせなのか」
「お前ね。俺がお前に嫌がらせなんかしたことあるのかよ」
「どうだろう?」
「全然会話になってないんだけど」
「仕方ないだろう。私はあまり、お前の気持ちに気づかないようだから。どうしていいか困る」
「いーんだよ、もうちっとじっとしてろよ」
「それだけでいいのか?どうせこれから一緒に寝るのにおかしな奴だ」
不思議そうにアイラは言う。レックスはそれには答えないで黙ってただ抱きしめているだけだ。
アイラの髪に顔をうずめて、それ以上は何もしない。一体何をアゼルと話してきたのだろうといぶかしんだがアイラは黙っていた。
やがて数分たった頃に名残惜しそうにそっとレックスは体を離したけれど、それでも何も言わないレックスにアイラは何を思ったか
「来い」
「わ、なんだ!馬鹿力!」
ぐい、とレックスの腕をひっぱって無理矢理仰向けでベッドに押し倒した。ちなみにアイラの腕力はレックスとそう大差がない。
(・・・ステータス的に・・・・:笑)
「ま、待て、なんだ、一体」
「黙ってろ」
上半身を起こそうとしたレックスをどん、とまた突き飛ばしてアイラは無造作にレックスの足を掴む。
「こら、アイラ!」
「うるさい」
そう言うとレックスの靴をまったくもって粗雑にアイラは脱がして、しかもぽいぽいと放り投げた。人の物くらいもう少し丁寧に扱え!と言おうとして、けれどそれが問題ではないだろう、と踏みとどまるレックス。
「・・・な、なんだよ・・・」
「いいから」
アイラもぽいぽいと靴を脱ぎ捨ててとっちらかしたままでベッドにあがった。また起き上がろうとするレックスに対してマウントポジションをがっちりとって押さえつける。何度か起き上がろうとしたけれど、その度にアイラに抵抗を封じられる。
畜生、この女喧嘩のやり方も知っていやがる、とレックスは苦々しく思って大人しくなった。するとようやくアイラも体をどけてレックスの頭側にやってきた。
「やっとおとなしくなったな」
「おかげさまでな」
と、今後はぐい、と頭をつかまれる。
「お前、人の体なんだと思って・・・・!」
「吼えるな」
「・・・!」
アイラはレックスの頭を自分のひざの上にのっけて、無理矢理頭をなで始めた。あまりに突拍子がないことだったのでレックスは言葉を失った。
何度も何度もレックスの髪をなでる。普段後ろに流している前髪は、もともとグランベルでよくとれる木の実の油をほんの数滴使って整えているだけのものだ。それだけで崩れない簡単なこの髪型がレックスはずっと気に入っていた。
執拗にアイラの手が往復すると、少しずつそれが崩れてくる。
「・・・で、これ、一体どういうわけなんだ?」
「いや。泣きそうな顔をしていたから」
「・・・よくわからんな」
「以前はよくシャナンをこうしていた」
「俺はガキと同じか」
「そうではない。・・・男だからだろう」
アイラの口から思わぬ言葉が出て、レックスはびっくりする。それから深くため息をついて
「だからって急に押し倒すなよ。突然その気になったのかと思ってあせったぞ。動物か、お前は、ってな」
「・・・その気になる?ああ・・・言葉に出すのは、恥ずかしいから」
「お前、好きな女に突然押し倒された男の気持ちになってみてくれ」
「なれるか、そんなもの」
「言葉にするのが恥ずかしいくせに、上に乗っかるのは恥ずかしくないのか、お前は」
「・・・レックスは?」
「情けないやら、嬉しいやらだ。犯されるかと思った」
「はははは」
「はははじゃない!」
そういってアイラの髪を下からぐいぐいひっぱると、アイラは笑うのをやめてそっとレックスにかぶさるように口付けをした。
「・・・どーした。お前の方が泣きそうな顔じゃないか」
「私が?」
「ああ」
レックスはよいしょ、と軽く体を動かして、アイラの膝の上で、アイラ側に顔をむけた。上になっている腕でアイラの腰に手をまわして
気遣うように見上げる。
「俺には言えないことなのか」
「そうではない。そういうことではない」
アイラにしてはめずらしい微笑を浮かべる。
「髪をとかしながら、お前のことを考えていた」
「・・・」
「私はとてもお前に大事にされていると思った。」
そりゃあ大事にしてるからな、なんて風にいつもなら茶化すところを、なんだかひどい胸騒ぎがしてレックスは何も言えなかった。
アイラは変わらずレックスの髪に指を絡めて、何度も何度も子供をあやすように動かす。
「お前は、命を奪うことが私の役目ではないと教えてくれた」
「ああ」
馬鹿なことを自分の恋人が言ったことをレックスは思い出していた。
命を奪うことが役目なのだろう、と。それは、否定しなければいけない間違った認識だ。
「私は、今だってグランベルが憎い」
「アイラ」
「もう、私の父も兄も生きてはいない。正統なイザークの王位継承者は、シャナンと、そしてシャナンに何かがあれば私しかもはや残っていない」
「そうだな」
「・・・グランベルの人間であるお前がそれを理解して、だから、無理強いをしないことを私は知っていた」
「・・・そうか」
「そう思ったら、たまらなくなってきた」
「どういうことだ?」
「わたしがここにいるのは、シャナンの安全のためでも、お前のためでもない」
そういってアイラはちょっとだけ苦笑した。
「イザークの誇りのためだ。生き残っているイザークの民たちに、自分達は何も恥ずかしいことをしたわけではないことを教えてやる義務が私にはある。この大陸で何が起こって、そして自分達が何に巻き込まれたのか、自分達が信じてきたイザーク王家は何も間違ったことをしてはいなかったのだとういこと、何もかも私は私達の民に教えてやらなければいけない。・・・それは、お前達やシグルド公子と共にいなければきっと出来ないことだ」
自分の恋人が自分の国、血統について口に出すことはとてもめずらしいとレックスはわかっていた。
「お前はお前の道理で今ここにいるのだろう。それは私のためだ、なんて思っているわけでもないし、お前は反逆者とされている自分の汚名を晴らすためにここにいるのだろうし。・・・それでも、最終的な目的は一緒で、そのためにここに私はいて、お前がいる。それは間違いないことだ。・・・私が私の民達のために成さなければならないことを実現するためにお前の力もシグルド公子の力も必要だ。そうであれば・・・例えお前がグランベルの人間だとしても、きっと、誰もイザークの民は私を責めないに違いない」
「責める・・・って」
「私が、お前と、体を重ねても」
「・・・アイラ」
アイラは今までレックスが見たことがないような表情を見せた。それはなんだかとてもレックスを不安にさせて、胸がしめつけられるような気すらした。はかなげな。いつだってこの恋人は地に足がついていて裏表がなく、生きることに一所懸命だとレックスは思っていた。そんな彼女がはかなげな表情をすることが意外で、意外だけれど、それが美しいと初めて気づく。
「お前、ずっとそう思っていたのか」
「何が?」
「・・・責められると。お前が、俺に愛されることで、お前がイザークの民に」
わかってはいた。わかっていたけれど、それをアイラ本人の口から聞くことはあまりにも辛くて、残酷なことだ。
「・・・思っていたけれど、後ろめたいとは思わなかった。それは、本当だ」
「・・・」
「私がお前のことを、なんだ、その・・・好きなことは間違いはないし・・・。お前がグランベルの人間だからといって、嫌いになれるわけだってないだろう。けれど、体を重ねることは、別だ。時がたてばたつほど、そう思うようになって・・・だから、お前に抱かれることはできなかった」
誰に許されなくたっていい。
レックスは、昔ならばきっと自分はそう言ったのだろうな、と自嘲した。
もう子供ではないから、そんな無責任な言葉は口に出せない。
「・・・なんで、そんなことを急に言い出すんだ。お前、何かあったのか」
「何があったわけでもない。・・・お前たちが見たことと同じことしか、見てはいない。」
レックスは体を起こそうとした。またアイラに押さえつけられるのではないかとちょっとだけ警戒をしながら。
けれど今度はアイラはそっと自分から膝をひいて、体を起こしたレックスを見つめる。
「・・・忘れていた戦場がまた待っていることを、もう、誰もが感じているだろう。ここでの幸せに慣れてしまった私達の目を覚ますには、あまりにも犠牲が大きい戦いだった」
それは、マーニャが率いていた天馬部隊も、ディートバやパメラが率いていた天馬部隊も。
入り乱れて死んでいった天馬達。
シレジアの白い大地にどんどん、ただの「モノ」になって落下していく天馬騎士。
建国以降中立を保っていたこの国は、それでも国の防衛の必要のために天馬騎士団が作られた。各国にもその名を知られた白い美しい騎士団達は戦を嫌うこの国を心から愛していたに違いないのに。
なのに、彼らはいつしかお互いを殺しあうところまでどうして主君達を止めることが出来なかったのだろう。
「体という器はなんと脆いものなのだろうと思った。久しぶりに人間の体が動かなくなる様子を見て、久しぶりに自分の体を傷つけられて皮が切れて、肉も切れて、赤い血が出てきて。敵兵の返り血を浴びて、自分のものか他人のものかわからなくなって。シレジアの人間のものなのか、自分の・・・イザークの人間のものなのか、まったくそれは見分けもつかなかった。自分の体のものなのか、他人のものなのか。あの大地に染み込んでいった赤い血は、一体どの天馬騎士のものなのかもわからなかった」
「・・・ああ・・・」
レックスはシレジアの大地に血まみれで立っていた自分の恋人を思い出した。
泣きながら、眩暈を起こしながフュリーが仲間達の形見を拾っていたときに、アイラはふと何かに呼ばれたようにその場に立ち尽くし、空を仰ぎ見ていた。あのとき、愛しい恋人は何を思っていたのだろう?
「それを、さっき思い出したら」
あくまでも穏やかに、アイラは続けた。
「そう思ったら・・・なんて、私の体は可哀相なのかと思った」
まっすぐレックスを見る。その視線から目をそらせずに、レックスは何も言わずに彼女をみつめた。アイラが言いたいことがまったく彼には予想もつかなかったのだ。
「こんなに生きるために剣をふるって傷を増やして。目で見たってどこの誰のものかも見分けがつくわけでもない血に・・・イザーク王家の血に縛られて・・・お前に愛してもらえない私の体は、とても可哀相なのだと、そう思った。」
お前に愛してもらえない私の体は、とても可哀相なのだと。
その言葉にレックスは眉を寄せた。せつない。せつないという言葉が何故かレックスの心に浮かんできて、そしてそれは少しづつアイラへの愛しさへと変わっていくような気すらする。
「アイラ」
「そう思ったら、こんな髪でも愛しくなって・・・国にいたときは侍女まかせだったが・・・ほんの少しだけ、慈しもうかと思った」
レックスはそっと手を伸ばしてアイラの髪を触った。
「お前の髪は綺麗だ」
そしてそれに口付ける。
「・・・俺が髪に触れることは、お前を抱いて眠ることは、お前にとってはつらいことだったのか?」
「いいや」
「イザークの民のことを思うときに、俺は、お前にとっては・・・」
「違う。お前がいたから・・・イザークだとか、グランベルだとか、そんなことと関係なくお前が私を愛してくれているから・・・だから私は、こんなに穏やかにここにいられるのではないか」
アイラは前髪と額の間に自分の手をいれて、眉間を抑えるように少しうつむいた。泣いているのか?とレックスは覗き込もうとしたが、彼女は瞳を閉じずに、ただ言葉を探しているようで、まるでシーツのしわを数えるように視線を動かしていただけだった。
「世界のどんな人間からも私という人間の肩にイザークだけが乗っているのだとしたら・・・とっくに、私は・・・イザークであることを捨てるか、逃げ延びることに疲れてシャナンをも殺すか・・・イザークの民に対して誠実でい続けることは出来なかっただろう」
そんなことは言うな。
いつものレックスならばそう言っていただろう。
「私が私であるために、イザークの王女であるために、お前が必要なのに。なのに、そうであるからといって、お前に愛してもらえない私の体は、とても可哀相で・・・」
アイラは顔をあげた。
その表情はもう凛としていて何の曇りもない言葉を口に出した。
「涙が出た。お前と体を重ねたいと思って、鏡を見ながら、私は泣いていた」

神様

もう何を信じることが正しいのかわからないけれど、レックスはそんな言葉を喉元で抑えた。
彼女に触れること、彼女を愛すること、彼女を自分のものにすることを許されたと思ってもいいのだろうか。
今だけでも。
体とか心とか。
どちらを失ったって生きてはいけない。二つがなければそれは意味がないものだ。
けれど、どちらかしか愛されない、愛せないことは、とても寂しくて。

「・・・わあ!?」
レックスの目の前でアイラは突然上着を脱いだ。
「こ、こら!」
慌ててその手を抑えるレックス。
「・・・手間を省こうかと」
「だからどーしてそう動物っぽいんだ、お前は!」
「そうか?面倒じゃなくていいだろう?」
本気でそう思っているらしくアイラは小さく首をかしげた。そういうときはたいてい「おかしな奴だな」とレックスからすると屈辱的なことをアイラは口に出さないけれど思っているのだ。
「いいんだ。脱ぐな」
「・・・レックス」
寂しげな表情をアイラは見せる。
「・・・あー、もう」
それを無理矢理引き寄せて、レックスはアイラを強く抱きしめた。柔らかい動物だな、と嬉しくなって腕に力をいれてしまう。
「レックス?」
「不安そうな顔するな。そういう意味じゃない。すぐにでも抱きたいし、いつだってそう思ってた」
「なら・・・」
「・・・いいの。俺が脱がせたいの。オトコゴコロってやつだ。」
レックスの腕の中でアイラは少しだけ赤くなって、それから苦笑して
「・・・男の気持ちはわからんな」
そういいながら、瞳を閉じて体重を預けた。レックスは、その体重を感じられることがあまりに幸せに思えて、そのままアイラを体にのっけるようにベッドにもう一度仰向けになる。
「重くないのか」
「ああ。気持ちいい・・・アイラ、お前からキスしてくれ」
「仕方ないな。お前、私はイザークの王女だぞ。光栄に思え」
「ははは」
アイラは体を少し上にずらして、レックスの胸元から鎖骨、首、顎の方へとちょっとづつあがっていった。
小さな口付け。それだけで涙が出そうになるのを感じて、ああ、俺は本当にこの女のことが好きなのだとレックスは思った。
そうだ。
朝がきたら、ラケシスの懐妊のことを教えてあげよう。
そんなことを思いながら、そっとアイラの服に手をかけた。


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モドル

つ、ついに・・・。(感涙:おおげさ)超嬉しい!!(超って使うな!)
なんつーか、感無量です。
が、まだ話は続くのでした。次で最終章です。