血の轍-5-

早朝に目覚めてレックスが体を動かすと、アイラも一緒に目覚めた。
「おはよう」
「ああ、おはよう。まだ早い、寝ているといい」
「うん。レックスは?」
「ちょっと喉が渇いた。水汲んでくる」
「悪いな」
「めずらしいことを言う」
いつもは水差しに水をいれて部屋においているのだが、昨晩は何度か喉が渇いてそれも飲み干してしまった。
レックスはアイラに小さく口付けてベッドから降りて簡単に部屋着に着替える。
昨晩まだ外気が寒いのに体を水で拭いて眠ったせいか、くしゃみをひとつして部屋を出た。
外はまだ暗かったけれど、もうすぐ夜明けがくるのを月も星も知っている様子だ。
シレジア城の客用の別棟から本棟につながる通路は庭に囲まれていてそれを愛でるために大きな窓がついていた。一箇所から外に出られる。
本当ならば女中達が詰めている部屋があるから別棟のそこで頼めばいいのだが、朝も早いとあってレックスは自分で本棟にある水汲み場に水差しを持っていった。
と、帰り際にまだ暗い中庭に出ている人影が見えた。
「シルヴィア」
外はまだ薄ら寒いのに。
あの踊り子は相変わらず薄着で、ショールをかけて空を見ていた。
「おい、どうしたんだ」
「あっ、レックス。レックスこそどおしたのよお」
にこにこ、と陽気な踊り子は中庭の夜露に濡れた春を待っている草の中で振り向いて笑顔を見せた。
「俺は水汲み。お前は?」
「アタシ?神父さま待ってンの。なーんてねっ」
「ばっ・・・お前、そう簡単に子供なんて出てくるもんじゃないし、何時に戻るかわからないんだぞっ」
「うん。多分ね、お昼頃だと思うんだー、まあ、話半分に聞いてよ」
「じゃあ」
「布団の中でイロイロ考えてたらさあ・・・踊りたくなっちゃって。わっかんないだろうなあ、レックスには」
そういうとくるくる、とシルヴィアはショールをもったまま軽く回った。
「わかんないけど・・・うーん、俺以外のヤツでもわかんないだろうな」
「きっとね。ジャムカとエーディンの子供に、一番最初に踊りを見せてあげるのはアタシなんだ。何を踊ってあげようかとそればっかり考えてたんだけどさ、最近」
「お前、結構ロマンチストなんだな」
「でしょ?・・・なんだけど」
シルヴィアはちょっとだけ彼女らしくない笑顔を見せた。
「シレジアの人たちのことはわかんない。きっと、葬式があった夜に踊ってたら不謹慎だと思うんだろうな」
それを言ったら、とレックスは苦笑いを浮かべる。自分とアイラなぞ、更に不謹慎だ。
シルヴィアはもう一度くるりと回って
「だけど、あたしはさ。踊ることしか出来ないから」
そういった彼女の言葉を反すうしてみたら、ちょっとだけ、わかる気がした。
踊りは陽気なものだとレックスも思ってはいたけれど、この不思議な力をもって彼らの力の源を呼び覚ます踊り子はきっと弔いの踊りも踊るのだろう。知らなくても、きっと足は動いて、手も動いて。
すべての人間がもつありとあらゆる思いへの踊りが彼女の体のどこかにはあって、彼女の心の琴線にふれたときに呼び覚まされるような、そんな気がする。
いつも手足につけてある小さな鈴が音を立てるけれど、さすがに夜だからか彼女はつけていなかった。
「だから、踊ってたんだ。で、そろそろ戻ろうかな、と思ったらレックスがきたの」
「そうか。・・・・もう踊らないのか、今日は」
「んー?レックスがどうしても見たいです、お願いしますって言ったら踊らないこともないなア」
いたづらっぽく笑ってシルヴィアは言った。耳飾についている金鎖がしゃら、と小さな音をたてた。
レックスの言葉を待たずにシルヴィアはショールを無造作にレックスにむけて放る。細くてひきしまった美しい足や腕が露になって動き出した。
美しいラインを描いてシルヴィアは踊る。
音楽がいらない踊りを見たのは、シルヴィアの踊りが初めてだった。
彼女の踊りは、人々の脳にそれぞれの音楽を響かせる。
視覚から入った刺激が脳の何を呼んで、どうして音のイメージを鼓膜が震えなくとも伝えてくれるのか、それは誰にもわからないしシルヴィアにもわからない。
レックスの耳には、悲しいけれど激しい音が聞こえてきた。
脳裏を掠めていくイメージは、重なり合って倒れている天馬。
そしてシレジアにいることで遠くなっていきそうだった記憶。
目の前で自分が切り捨てていった数々の敵兵。
忘れてはいけないことが世の中にはある。
自分の犯した罪も、父親の犯した罪も。
「夜があけたら」
シルヴィアはステップを止めて、ちょっとだけ息をきらせてレックスを正面から見た。
「今度は生まれてきた子供のために踊らないといけないからさっ・・・」
「・・・ああ。そうだな」
だから、夜明け前に。
謀略の中で失われていった命や、血に濡れたわたしたちのために。
シルヴィアは、まるでとりつかれたように、踊っていた。

「遅かったな」
美しい恋人はベッドの上で寝間着をはおっただけの姿でぺたりと膝をついて座っていた。
薄暗い室内で、彼女の白い肌だけがなんだか目にまぶしく見えるのは気のせいだろうか?
「ああ・・・寝なかったのか」
何度も交わした口付けに飽きることなく、今度はただいまのキスをレックスはした。
アイラはどうということない表情でそれをうけると、そっと彼の手にふれた。
「もう、お前が側にいないと眠れない」
「可愛いこというな」
「冗談だ」
小さく笑って手を離すアイラ。きっと本当は冗談などではないとわかっているが、敢えて彼女の言葉に笑顔で返す。
「お前、可愛くないな」
レックスは飲むか?とグラスをアイラにむける。ありがとう、と受け取ってベッドの上でアイラは水を飲んだ。
「そういえば」
忘れないうちに、と思って壁にもたれながら水を飲み、レックスは言う。
「ラケシスが懐妊したと昨日言っていた」
「ああ、知っている」
「・・・またかよ。知ってたのか」
「昨日ベオウルフから聞いた。よかったな」
アイラの声音は静かで、そのよかったな、がどういう気持ちなのか今一歩レックスには掴みきれなかった。
「・・・ああ、めでたいことだ」
「ベオウルフは、本当にラケシスのことがすきなんだな」
「は?何か言っていたのか」
それ以上アイラは何も言わなかった。今のは彼女からすれば独り言なのだろう。
レックスもシルヴィアのことを話そうかと思ったが、やめた。何もかもを相手に言うことは必要はない。
自分の経験も相手の経験もすべてわかって欲しい、とかそんな風に思うことはおかしいことだ。
自分達はこういう付き合い方でいいのだ、と思った。
相手の行動が何を核にして行われたのか、それさえ理解出来ればいい。
「さ、もう一眠りするか」
「ああ」
「きっと・・・」
次に目が覚めたときにはきっと。
エーディンの子供は、このシレジアの大地で命の始まりを迎えることだろう。

シグルドとオイフェはセイレーン城に朝早くむかった。最近よくセリスの面倒をシャナンが見てくれているので自分の息子であるセリスのお守を任せてしまった。
子供に赤ん坊を任せるなんて、ときっと周囲の者は思っただろう。
けれどそれは、以前ディアドラを守りきることが出来なかったという負い目があるシャナンに対して、それでもお前を信頼しているよ、とシグルドが伝えたかったからだ。
そして、イザーク王家直系のシャナンがグラベルの人間である自分の息子を愛してくれていることを、心から正しく信じている、ということも伝えたかった。レックスとアイラのように無数の屍を作り上げてしまった国同士のしがらみを超えてでも人間の愛情は伝わるのだということを、シャナンにも、セリスにも、誰にでもシグルドはわかって欲しいと、生き別れてしまった妻のことを思いながらシレジア城を出た。
馬をずっと走らせていると、オイフェが初めに気づいたらしくて声をあげた。
「シグルドさま、あれ・・・」
「・・・フュリーのペガサスだな」
もう少しでセイレンーン城が視界にわずかに見えるはずだ、という山越えをしているときに、そちらの方向からペガサスが羽ばたいてくるのが暗い空にほんのおぼろげに見えた。
「・・・もう、産まれたのだな」
クロードをのせてシレジアに戻るのだろう。
きっとフュリーもクロードも、そしてペガサスもつかれていてセイレーンで一休みしたいに違いない。
けれど、敢えて帰ってくるのはクロードのわがままだろう。
彼は、シルヴィアを一人にはしたくないのだ。
陽気なあの踊り子が、本当はとてもさびしがりでいつだって強がっているけれど、もうクロードの側から離れたくないことを知っている。

アイラはシャナンに剣の稽古をつけにいったのだが、セリスと一緒に昼寝をしていたので戻ってきたところに、部屋に入ろうとしていたラケシスと出くわした。
アイラは決まりきった祝辞を述べずに「ベオウルフはお前のことが本当に好きなようだ」とラケシス言った。それを聞いてラケシスは「知ってる」と答え、部屋に寄ってく?と言葉を返した。
いつもならそういう誘いはあまりのらないのだが、昨日のベオウルフのことを思い出してアイラは部屋に入った。
エルトシャンを失ってからラケシスは、何故彼が自分だけに生きろと大地の剣を渡したのかがうらめしくて仕方がなくて、死ぬことが出来ない自分への怒りでどうにもならなかった。
すべてを知っているわけではないけれど、アイラは多少その頃のラケシスの様子を思い出したりしていた。
「・・・全然愛しくない」
窓辺に座ってラケシスは言った。二階の部屋だから、中庭がよく見える。
アイラは勧められた椅子には座らないで壁にもたれかかってその様子をじっと見ていた。
「今はまだそうだろう」
「愛しいと思うのは、エルトシャンと同じノディオンの血をひいている子供だ、ということくらいね」
「ひどい話だな」
アイラはそれ以上特に何も言わず、ラケシスもしばし黙った。
正直な話、出会った頃はとてもイラついて、アイラは大分このお姫様とは関わりあいたくないと思っていたものだ。
きっと、深窓のご令嬢というのはこういう人間を言うのだと思い、世間知らずさやそのせいですぐに出てくるわがままぶりが大層鼻について言葉を交わすのを避けていた。
アイラはあまり人の優劣を考えるタイプではなかったけれど、明らかに出会った頃のラケシスは周りの誰よりも子供だったように
思える。それはもちろん精神的にだ。彼女のすべてを支配しているのは彼女の心の中で描かれた兄エルトシャンではないか
とすら思っていた。
エルトシャンの死を乗り越えて、マスターナイトになって。
戦場で肩を並べるのにアイラと対等になったときに、初めて彼女の心の成長が追いついたように思える。
ベオウルフに剣の稽古をつけてもらっている姿を見たとき、ちょっと見直したりもした。
人間はここまで気持ちが強くなってゆくものなのだ、とラケシスを見ながらアイラは感心したものだ。
「かといって、ベオウルフだって、子供が出来て簡単に喜ぶ男じゃあないわ」
「そうかもしれない」
「・・・だけど、女は期待するものね」
ラケシスは苦笑したけれど、アイラの方を見てはいない。とんとん、と指で窓枠を軽く叩きながらラケシスは続ける。
「わたしは、きっと、ベオウルフに祝福して欲しかったんだわ。でも、それはエゴだ。自分でだってまだ愛せない命を、彼には
祝福して欲しいなんてことは」
少しだけアイラは、実はラケシスが情緒不安定なのだということに気づき始めた。
「お前が、正しく子供を愛せればいいな、とベオウルフは言っていた。・・・あいつはお前を本当に愛しているようだ。きっと、お前の
体の一部である子供を愛さないわけがないし、祝福しないわけがない。知っているくせに」
「・・・そうね。知ってるわ。知っててもなんだか不安になっただけ。ごめんなさい、アイラ」
少し険しい表情でラケシスは続けた。
「私、子供が出来たと知って・・・。ショックだったわ。このおなかの中の命を、邪魔だと思ってしまったの。だって、まだ続くんじゃない、私達の戦いは。・・・そんなことを思ったら、イラついて、あの人に八つ当たりしてしまったんだわ。私は、まだ子供なんだわ。エルト兄様に守ってもらっていたときから、何一つ変わってない」
「違うだろう。お前は、自分の意志でまだ戦おうとしている。それだけでもえらい進歩だ」
ラケシスは自嘲めいた笑いをもらした。
「ありがとう。ねえ、アイラ、私、もしももっと早く子供が出来てるってわかったら・・・あんな風に剣をふるえたのかしら」
「・・・どうだろうな」
「新しい命を体の中で育てながら、他人の命を奪えたかしらね」
それへアイラは答えない。昨晩までのアイラならば、人事のように聞いていただけのことだけれど。
なんだか身につまされるような話だった。けれど、アイラはレックスと体を重ねたことを後悔はしていなかった。
もしも、自分がレックスとの子供を身ごもったら。きっと自分は剣を置くことは出来ない。
(どこまでも、私はイザークの女なのだな)
イザーク王家は剣士オードの直系で、神剣バルムンクを継承する血筋だ。
体が動かなくなるまでは、きっと自分はレックスが止めても剣を握ってしまうのだろう。それは、子供が愛しいから、とか愛しくないから、
とかそういうことではない。
自分が自分であることを失いたくない。ただそれだけだ。
「でもひとつだけわかっていることがある」
ラケシスは言った。
「大地の剣は、もう振るわない。誰かの命を奪って、新しい命を作っているこの体が再生するなんて。死んだ敵兵の体の一部で、私の子供が作られるような、そんな気がして」
魔剣ミストルティンを継承するヘズルの血筋をもつラケシスは、もうひとつの魔剣、大地の剣を見て言った。
神剣と魔剣。どこかで対になっているようにアイラは感じていたけれど、実際に継承しているのは自分達ではない。
けれど、大地の剣だって明らかに魔剣と呼ばれてもおかしくないものだ。
ラケシスの言葉に賛同するわけでも反論するわけでもなく静かにアイラは言った。
「そう思うことは、お前がもう子供を愛している証拠だ」
ラケシスはアイラをみつめた。
美しい金髪だ、とアイラは思う。明らかに違う人種。(ホリンについてはまた別の話になるのだが・・・)
それでも同じように体を重ねて、そして子供を身ごもるのだな、とそんなろくでもないことを彼女は思っていた。
そのとき
ドンドン
「・・・ベオウルフだわ」
ノックだけで誰なのかわかる。そのことをアイラに知らせてしまった、と思ったらしくラケシスはちょっと照れたような表情を浮かべて視線をそらした。当のアイラはでかいノックだなあ、なんてことしか思っていなかったのだけれど。
「どうぞ」
「よう。・・・ああ、アイラ。昨日はどうもな」
「どうも、といわれる覚えはない」
「挨拶みたいなもんだ。突っ込むな」
笑うベオウルフ。
「シルヴィアが踊るってよ。見にこいよ」
「シルヴィアが?」
「窓から見てみろ」

喪があけないのに、とかそんなことを口に出すものは誰もいなかった。
その生命力にあふれた踊りを見ようと、中庭に人だかりが集まっている。
ラーナ王妃までもがレヴィンに連れられて護衛もつけずにやってきていた。
アイラは自分の部屋に戻ってレックスがいないことを確認してから中庭に彼がいるのか探した。探している途中で、どうして自分はレックスを探しているのだろう?なんてことを思ったけれど、深くは問い掛けることはなかった。
「おい、アイラ」
「あ」
「どこいってた」
レックスに腕をつかまれてアイラは倒れこむようにレックスの体にぶつかった。
「ラケシスと話をしていた」
「そうか」
昨晩初めて体を重ねた恋人が側にいるのにどうしても「足りない」らしく、レックスは人々がいるのにアイラの手を握った。
「なんだ?」
「なんででも」
「子供か、お前は」
「じゃあ、それでいいや」
アイラは無理矢理それをほどこうとはしないで、中庭の端っこのほうで壁にもたれてレックスと並ぶ。
「見ろよ・・・あの踊り」
「・・・」
人々の目にうつるシルヴィアは。
昨晩レックスが見たのとはまったく違う踊りをみせていた。
とてもしなやかでのびのびとして、ほのかに温かみをやっと感じるシレジアの太陽の下でシルヴィアは踊る。
アイラはどうしてシルヴィアが踊っているのか、なんてことは知らなかったけれど、感じたことをそのまま言葉にした。
「レックス」
「なんだ」
「あれは、祝福だ」
「ああ。そうだ」
「彼らの子供と・・・」
ふと周りを見ると、目頭を熱くしている人々すらいた。シルヴィアの踊りはどちらかといえば明るかったけれど、決して陽気な動きではない。
音が鳴る。
今までシルヴィアの踊りをみたことがない人々はかなりとまどっているだろう。
誰も何も楽器を奏でてはいないのに。
楽器があれば楽器の音色にのって。
何もないときは、自分の踊りから音を作って。
小さな体から汗や息遣いを感じさせないほど、今日のシルヴィアの踊りは神懸っていた。
この運命の踊り子は、今、クロード神父とは違う形で生まれて来た子供に祝福を授けているのだろう。
「アイラ、何が聞こえる」
「・・・」
アイラは答えなかった。
「レックス、何が聞こえる」
「わからない。わからないけど・・・何かなつかしい音だ」
「そうか」
ぎゅ、とアイラがレックスの手を握った。それだけで、多分アイラも同じような音を聞いているのだとレックスには伝わる。
そこにいる誰もがわかった。
シルヴィアの祝福は、ジャムカとエーディンの子供へのものでもなく、ベオウルフとラケシスの子供へのものでもない。
たくさん、たくさん失われていった命。
そして、これからたくさん生まれてくる命。
いまはもうこの大地から存在を消してしまったものにも、今から存在を形成されるものにも、すべて。
シルヴィアのつま先が、指先が、綺麗な軌跡を描いて人々の眼をひきつけた。
まるでシレジアの血が混じっているようにも見える色の髪は、今日はおろしている。
あまり体を覆わない服。
その全てがまるで生まれたままの人間を表しているかのようで、レックスは目を細めた。
彼らはいつだって手を血でそめて、命をかけて戦っている。
それと同じように、この踊り子も命をかけて戦場で踊っているのだ。
まるですべての彼女の生命力を解き放つように。
ラーナ王妃は、泣いていた。
一瞬足りとまばたきをしたくないかのように、瞳をこらして、まっすぐとシルヴィアを見て。
それからその視線をまっすぐに空に向ける。
彼女は国のために散っていった命や、国にまた生まれいづる命のすべてへの感謝を空に向かってつぶやいた。
そっと側にいるレヴィンは、シルヴィアから眼を離さない。不思議な運命との出会いでここに一緒に来ることになっていた踊り子のことを、彼はどう思っているのだろう?
「ラーナさま」
そっと近づいていく人影が見えた。ティルテュだ。
その後ろにアゼルもいたけれど、彼は歩いていくティルテュを見守るように立ち止まって壁際でひっそりとしていた。
「弔いの、儀式のために摘んできたんですけれど・・・可哀相でこれだけ、生けておいたんです。まだつぼみだったのに切ってしまって・・・」
「まあ」
「ラーナ様のお部屋に、飾っていただけませんか」
彼女が手にしていたのは、アイラとレックスが摘みにいった花と同じものだった。多分時間がずれていただけで彼らもザクソン城に花を手折りにいっていたのだろう。
「ありがとう。飾らせていただくわ」
ラーナは笑顔を見せてティルテュから花を受け取った。
小さな狂い咲きの花。弔いの花。季節を違えて咲いてしまった花の驚くべき生命力をそっと胸元で感じながら、シレジアの女帝はもう一度、空を見つめて、柔らかい日差しの中で瞳を閉じた。
「レックス」
アイラはもう一度強くレックスの手を握る。
「レックス」
そしてもう一度名前を呼んで。
「・・・バカだな、なんでだよ」
ぼろぼろと涙をこぼしてレックスの手を握ってただ立ち尽くすだけのアイラを、レックスは荒く胸に抱きしめた。
誰も彼らのことなぞ見てはいない。
(人が死んで、人が生きて、そして、また生まれるのね)
シルヴィアがつぶやいていた言葉をアイラは思い出して、そして泣いていた。どうして自分が泣いているのかアイラはまたわからない。
「レックス、私はどうして泣いているんだろう」
「・・・それはさすがに俺にはわからない」
「レックス」
「わからない」
強く、腕の中の愛しい恋人を抱きしめる。アイラは自分が一体どうして泣いているのかは相変わらずわからなかったけれど、ただ、わたしは殺していった命となんら変わりのない命をきっと産むのだろうか、とぼんやりと思っていた。
グランベルだとかイザークだとかは関係ない、何もしがらみのない、ただの命。
頭のどこかでイメージがいくつもいくつも目まぐるしく変わっていく。
初めて剣を持った日のこと、故郷で幸せな少女でいた自分の姿、シャナンが生まれたときのこと。
何もかもが失われる予感と共にイザークを出たあの夜のこと。
初めて人を斬った手の感覚。返り血を浴びて放心していた記憶。膝をついて吐いて泣いていたこと。
シグルドと出会って、レックスと出会った日のこと。
多くの仲間と出会って多くの敵兵を切って、シレジアに逃れるのが精一杯だった情けなかったあの日々。
夢から覚めるように、目の前で天馬騎士達がきりきりと不思議な動きで落ちていく姿。
そして。
そして、ここで生まれて初めて恋人に抱いてもらうことを、やっと自分へ許してあげることが出来たその思い。

生まれて 生きて 死んでいく命
そして、これからまた奪っていく命へ

今まで自分が奪っていった命への祝福と、これから生まれることになるであろう自分の命の分身への祝福と、そしてこんなちっぽけな私達への祝福と。シルヴィアの踊りはそれをアイラ達の心のどこかに植え付けていくようだ。
まるであの花は自分達のようだ、とアイラは思い、レックスの体に自分の体を強く擦り付けた。
レックスは、何もかものしがらみをやっと越えることが出来たように思える愛しい恋人を強く抱いて、いつまでも運命の踊り子の舞いをみつめていたけれど。ふ、と何かに呼ばれた気がして周りを見渡しす。
産声が聞こえたような気がした。
多分、空耳なのだろう。
不思議とその幻聴は、エーディンの子供のイメージでは、なかった。

Fin


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モドル

難産。(4)があまりにワンシーンでがっちり書いてしまったので、この(5)がちょっとエピソード入れ過ぎの散漫な感じになってしまった様子です。でも、最初から決めていたラストなので悔いナシ。
シルヴィアの夜の話は除けないし、情事のあとの二人も様子もちょっと書きたかったし、ラケシスのエピソードはアレス×ナンナにちょっと繋げるのにどうしても書きたかったし・・・。レスターが生まれるときに関しては、きちんとエーディン側のストーリーでいつか書きたいと思っていたので、クロードが戻ってくる=子供が産まれた、という程度で描写をしたかったので、シグルドとオイフェのシーンも抜くわけにはいきませんでした。唯一抜いたのは、ラケシスのシーンで神剣と魔剣に関する話を盛り込んでいたのですが、それをツッコンだエピソード、ラケシスの独白とばさっと切り捨てました。

これまでになく大きな話になって、あたくし、バーハラの話を書く余力が今はないかも。(笑)弱いなあ。(苦)

レックスとアイラですが、5章にこれから話は進んで、ついに現在イザークを任されているのがドズル家だということが判明します。まだ彼らのしがらみは更なる深みに入っていくのです。