遠い春

「ほとんどの鳥が朝になると飛び立って、夕方に戻ってくる。まあ、日中でも残っているやつらもいるけどな」
「ふうん」
池のほとりにしゃがみこんでアイラは珍しそうに水の上をすいすいと動き回る白い鳥をみつめていた。
冬の空気は澄んでいて、アイラは少し冷たくなった耳に自分の髪を押し当てて温めた。凍えるほどの冷気ではないけれど、鳥が飛び立つ前に、と早朝早く起きてきたものだから、日中に比べれば寒くて当然だ。
「どうやって浮かんで泳いでいるんだろうなあ」
まるでその様子は子供のようで、無邪気だ。人間に馴れた鳥達はアイラが近くで覗いても意に介さない様子だ。
嬉しそうなアイラを見て、連れて来てやってよかったな、とレックスは思う。
「シャナンも連れてきてやればよかった。きっと、あの子も見たことがないに違いない」
「そうだな、今度な・・・今日はお前と二人で来たかったから、さ」
「レックス?」
不思議なことを言うやつだな、とアイラは傍らにたつ青い髪の青年を見上げた。彼はまるで世間話でもするように、それでもいつも通りの笑顔を見せて
「お前のことが好きだから、見せてやろうと思ったんだぞ」

アグストリアやグランベルの冬はとても穏やかで、エバンス城からアグスティ城に移っても、そう大した環境の違いがあったわけでもなく彼等は快適に生活をしていた。まあ、もともとアグストリアの王宮だったわけだから、何の不自由があるはずもない。城下町の人々も、シグルド達にそう目くじらを立てずにお互いうまくやっていくことが出来た。アグストリアの人々もシャガールのわがままぶりにはうんざりしていたところもあったし、何分シグルド達のもとにはエルトシャンの妹姫であるラケシスが身を寄せているということを知っては好意的にならざるを得ない。
そんなわけで環境の変化はあったにせよ、彼等は穏やかな春をアグスティで迎えることが出来た。
キュアンやエスリンはレンスターに戻らずにシグルドの元に留まっていた。
理由はとても明確で、シャガールのことがまだ気になる、グランベル側の出方も気になる、そしてエルトシャンとシグルドが交わした約束の行方も気になる。その内容について、もう少し先が見えたらレンスターに戻る、と。親友キュアンがそう言ってくれることは、レンスターの民や王に申し訳ないと思いつつ、シグルドにはとても心強かった。
さて、それ以外にもなんとなくシグルド軍にいついてしまった人間が幾人もいた。
レックスはその一人だ。
彼とアゼルは戻るべき場所があるのだし、当初の目的であるエーディン救出を果たした今、ここにいるべき理由はない。
が、それはあくまでも公のものだ。
「なんだなんだ、すっかり春だな」
アグスティ城の通路を歩いていたレックスは、エスリンとシルヴィアが歩いてくるのに出くわした。
別段この二人が仲がいいというわけではない。エスリンが、誰とでも仲良しなのだ。
「あら、わかってくれて嬉しいわ」
と応えるのはエスリンだ。
「衣替えってわけか・・・まだ肌寒いのに、女性の流行は早いもんだ」
「春はこういう色の服がやっぱりいいよねー」
シルヴィアは薄い黄緑の、やはり丈が短いスカートから、細い足を覗かせて嬉しそうに笑った。
対するエスリンはレモンイエローの色あざやかな、柔らかい素材の普段用のドレスを着ている。
「ラケシス様に教えていただいたのだけれど、この近くに春らしい花畑があるんですって。これから女の子達みんなを誘って見に行こうかと思って」
「春は女性の季節らしい」
レックスは肩をすくめて、それでも笑顔を返した。
冬が厳しくないグランベルやアグストリアでも、春がくれば春の花が咲く。まだ朝晩の冷え込みは感じるけれど、それでもこの時期に咲く花は間違いなく「春」のものだ。
花畑なんてものは確かに見れば綺麗だな、と思うけれど、やっぱりそれを喜ぶのは女性の方だとレックスは思う。どっちかといえばレックスは花を見るより余程、若い茶葉を摘む風景の方が興味があったし、多少は腹の足しになる山菜摘みの方が好きだと思えた。もちろん実際わざわざ見にいくわけでも自分で摘みにいくわけでもないけれど。
「気をつけていってくるんだな」
「わかってるわよっ」
シルヴィアはそういって嬉しそうに足を軽くうごかした。ただ小走りになっていただけなのだろうが、それですら踊っているように見えるな、とレックスは口元をほころばせた。

「うん?」
エスリン達と別れて半刻ほど過ぎた頃、いい天気だから馬でも洗ってやるか・・・そんなことを思ってアグスティ城の厩に行こうとしたレックスは、城門の近くで黒髪の剣士がふらふらと一人で歩いているのをみつけた。
イザークの王女、アイラだ。
彼女はエスリン達のように春の装い、など関心がないのか、いつもと変わらない黒と紫が基調になっている服を身にまとっていた。
いや、そもそも、この城に腰を落ち着けた彼等は今では城下町の人々ともうまくやっていて買い物も自由に行っているけれど、アイラがどこかで何かを買っている、なんていう姿を見たことがレックスはなかった。
レックスが名を呼ぶと、アイラは振り返って無言でレックスを見る。
「・・・みんなで、花畑にいったんじゃないのか」
「ああ、そのようだ」
「アイラは」
「わたしは、シャナンを迎えに裏の森に行かねばならない」
「シャナンを?」
「ああ。オイフェと一緒に森に出かけていったのだが、帰りが遅い。行き違いになるやもしれないが、様子を見てこようと思う」
「帰りが遅いのか。そりゃちょっと心配だな・・・俺も、お付き合いしても、いいかな?」
レックスがそんな申し出をすると、アイラは不思議そうにわずかに目を見開いて
「別にいいが・・・何故だ?」
眉をひそめる。
「鳥でも見に行こうと思ってたところだった」
それは嘘だったけれど、なんとなく尤もな言葉に聞こえたらしくアイラは納得した。
鳥というのは、アグスティ城裏の森をずっと抜けたところにある小さな池に集る、冬の渡り鳥達のことだ。
アグストリアはそう冬の厳しさはないけれど、それでも確かにグランベルよりは気温は下がる。その気候を丁度よく感じる鳥達が秋から冬の間に滞在しているようだ。
レックスはそれを知って、アイラをその池まで連れて行ってやったことがある。
イザークには渡り鳥がくることもなければ、水鳥もいないという。それを聞いて、アイラがめずらしがって喜ぶのではないかと思ったからだ。彼女は決して自分からレックスを誘うことはしなかったけれど、その後何度か彼女が池に足をはこぶ姿をレックスは見ていた。多分、気に入ってもらえたのだろうと彼は心の中でほっとしたものだ。
「勝手にしろ」
シャナンが心配だからか、アイラの表情は厳しい。わずかに険しい表情で「勝手にしろ」なんていわれては、大抵の人間はしり込みしてしまうだろうが、レックスは違う。
勝手にしろ、か。
レックスはちらりと苦笑をしてみせたけれど、アイラはそれに気付かずに既に城門を出ようと歩き出して歩調を速めた。
彼女を追うようにレックスはついていくけれど、体格差があるから彼の歩調はそんなにせわしくはない。まっすぐに歩いていく後ろ姿をみながら、アイラが歩く姿はいつも見ていて気持ちがいいな、と思う。あまり女性的ではないけれど、彼女らしい歩き方をするのだな、と前々からレックスは気付いていた。そういうことをふと感じるときに、なんだ、俺はこの女剣士のことをよく見ているんだなあ、と自分で感心してしまって妙におかしい気持ちにさせられる。
恋に落ちたのは自分の方からだ・・・とレックスは思っていた。あの日、池のほとりでとてもさらりと、それでも気持ちは真剣に好意を伝えれば、「お前はグランベルの人間で、わたしはイザークの人間だ」そんなつれない答えが返ってきた。その一言を返しただけで、アイラは鳥から視線をそらすことがなかった。・・・間接的な拒絶とレックスはとらえ、あまりしつこいことはしなかったけれど。
「お前はグランベルの人間で、わたしはイザークの人間だ」
それ以外にはレックスの好意を受け入れられない理由は、ないのだろうか?
なんて思うけれど、今のところレックスはあまりアイラに無理強いをするつもりもない。
(柄でもないな)
自分になびかない女をゆっくり待つ、なんてことは得意ではない。
それでも、こうやって自分がまだシグルドのもとに残っているのは、アイラがここにいる、ということだけが理由なのだろう。
レックスは自嘲気味に笑った。まあ、いいか。おかげでアグストリアの春を体験できるんだもんな、なんて。

「あっ!アイラ!」
「シャナン!どうした。約束の時間は過ぎてるぞ」
森を進んでほどなくすると、シャナンとオイフェがしゃがみこんで何か大きい茶色いものを見ているのに出くわした。草むらの内側でごそごそとやっていたようで、シャナンが見つけてくれなければ簡単には見えないような場所だ。
とりあえず何か彼等に危害が及んでいたわけではない、と知ってアイラの表情がほっとするのをレックスは気付いた。
周囲に弱みを見せないで気をはっている彼女が、ちらりと肩から力を抜くときの顔は、とても愛しい。
がさがさと草むらをかき分けて、二人がいるところに出る。アイラは目を見開いて
「なんだ、それは!?」
「罠にかかっていたんだ。暴れてすごい足が血だらけになっちゃって・・・」
「・・・レックス、これは、なんだ?」
「鹿だな。見たこと、ないのか?」
「イザークにはこの動物はいない」
しゃがみこんでいるオイフェの足元に横たわる、少なくともシャナンよりは大きい動物は、右前足が罠にかかってしまったらしく、がっしりと鉄の金具で動きを封じられている。それをどうにかしようと暴れてもがいているうちに足に金具が食い込み、点々と赤い血を周りの草にまきちらす結果となってしまったらしい。
「シャナンは、助けてあげようっていうんですけれど・・・でも、罠があるっていうことはこの付近の人が生計をたてるために仕掛けておいたのでしょうから、助けるのはよくない、ですよね?」
困ったようにオイフェは二人を見上げた。
鹿は必死に暴れた挙げ句に傷口を広げ、疲れたようにぐったりと横たわっている。
近くに人間が来たけれど、とりあえず今よりひどいことにならないようだ、ということがわかったのか、時折がちゃがちゃと足を動かすが、強い抵抗はやめている。初めあまりにも暴れていたから後ろ足はオイフェが縛り付けたとのことで、布きれで押え込まれている。
「アイラ、かわいそうだよ」
「駄目だ、シャナン」
「だって、こんな可愛いのに」
可愛いか?とアイラは眉をひそめてその動物をじろじろ見た。どうもアイラにはあまり鹿が可愛いと思えない様子だ。
「どっちにしても・・・罠を仕掛けた人間にもそれなりの理由があるのだし、わたし達だって動物の肉を食べて皮を着て生きているんだ。わかるな?シャナン」
「・・・はい・・・でも」
「誰か、本当にこの動物を捕まえないと生活が出来ない人間がいるのかもしれない。ここでこの動物を逃げして、シャナンは責任をとれないだろう?・・・わたしは、意地悪で言っているわけではないぞ」
「お取り込み中悪いが」
シャナンとアイラのやりとりにレックスが口を挟んだ。
「こいつは、離してやっても大丈夫だぞ」
「え?」
レックスはしゃがみこんで鹿の背中をなでた。アイラは、レックスが厩で時折自分の愛馬をなでる仕草を思い出す。
「少し待ってるよ。はずしてやるからな」
「レックスさん、いいのですか」
オイフェが不安そうに聞く。この賢い少年は、とっくにアイラがシャナンに教え諭していたことをわかっていて、けれどそれをシャナンに伝えることが難しくて困っていたのに違いない。
「ああ。こいつ、牝だろ」
「そうですね牡鹿ではありませんね
「?」
シャナンとアイラはきょとんとしている。
「メスってことだ・・・この時期、牝の鹿は捕まえても離してやるのが普通だよ」
「言ってることがわからない」
「オイフェ、背中、なでていてやれ・・・・っと、折角だから、シャナン、なでてるか?」
「えっ、う、うん」
「最初は嫌がるけど、何度かなでてれば危害を加えないってわかるからな」
レックスは罠がどういったつくりになっているのかを調べるためにどっこいしょ、と腰をおろした。出来るだけ鹿が痛がらないような角度で罠をもちあげて自分の膝の上にのせた。
「メスだと、どうして離すんだ?」
アイラは不思議そうにその様子を見ながら聞く。
「オイフェ、腹、触ってみるとわかる」
「・・・ああ・・・身ごもって、ますね」
「だろう?」
尚のことわからない、という顔でアイラはレックスを見た。
レックスは罠をはずす作業を始めていて、アイラを見上げずに説明した。
「鹿は秋冬あたりに交尾するんだ。夏に出産するからな。だからこの時期、牝鹿は身ごもってる確率が高い。今から繁殖してくれるっていう動物を捕まえるより、交尾が終わった牡鹿を捕まえた方がいい。こいつが捕まえられるのは、子供を産んだ後のことだな」
「ふうん」
「春の狩りでは、身ごもった牝は狙わないもんだ・・アイラ、ちょっと剣、貸してくれ」
「うん?あ、ああ」
腰から剣をぬいてレックスに渡す。
レックスは罠の金具に剣の先を差し込んだ。鍵代わりになるようなものがないから、だろう。
アイラはレックスのとなりに座り込んで、彼がそういった細かい作業をしているのをみつめた。
「ふうん・・・こういう仕組みになっているのか」
身を乗り出して罠を見るアイラ。
「・・・あんまり、くっつくなよ」
「興味ある」
アイラの黒髪がさらりと目の前で動く。こういうときでなければ近くにも寄って来てくれないくせに、とレックスは思ったけれど、とりあえず作業に没頭して、ほどなくしてがしゃりと金具を開けることが出来た。
「よっと。これでいいだろう」
「レックス、ありがとう!」
嬉しそうにシャナンが笑った。オイフェは慎重に鹿の傷ついた足を押さえて、傷薬を塗り込んでやった。時折びくんびくんと鹿は痛みのために暴れそうになるけれど、レックスとシャナンが抑えているから逃げることはない。
「アイラも、触ってみたらどうだ」
「・・・ああ」
アイラはそうっと手を伸ばして生まれて初めて鹿に触れた。そのぎこちない動きは、普段のアイラらしくなくて少しだけレックスの笑いを誘った。
「艶々しているな」
「ここいらはなかなか住み良い場所だからな」
やがて治療も終えたところで、そっとレックスはシャナンとオイフェに足を抑えさせたまま鹿の体をたたせてやる。
「いいぞ、手、離して後ろに飛びのけよ」
「はいっ」
手を離した途端に暴れられては困るからだ。
二人は手を離し、すぐに鹿から離れる。案の定鹿は暴れて、やっと自由になった足を思いきりばたつかせた。
「うわっと!!」
鹿はこともあろうに命の恩人であるレックスのすねあたりを蹴って(もちろん狙ったわけではなく、ただ暴れただけなのだが)ぴょんぴょんと走り出した。がさがさと反対側の草むらに軽快に飛び跳ねていった。レックスはその反動でわずかにふっとばされて尻餅をついてしまう。彼のそんな姿は滅多に見られない。
「レックス!」
慌ててアイラは駆け寄ってレックスのとなりに座り込んだ。
「いや、心配ない・・・馬で慣れてる・・・いててててて・・・・」
足をさすってレックスはわずかに涙目になって笑った。
「・・・そうか。ならば、よかった」
「・・・あ」
「うん?」
「・・・いや、なんでもない・・・いてて」
周囲に弱みを見せないで気をはっている彼女が、ちらりと肩から力を抜くときの顔は、とても愛しい。
アイラには申し訳ない、と思いながら、今、自分を心配して隣に来てくれた彼女が、ほっと安心の表情を自分に向けてくれたのがなんだか嬉しくて仕方がない。
と、アイラが思い出したように子供達を見上げて
「オイフェ、シャナン、今日は剣の稽古をする約束をシグルド殿としていたのだろう。早く戻るといい」
「そうですね。ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
「ありがとう、レックス、アイラ!」
アイラにいわれて思い出したように、オイフェとシャナンは慌ててその場を離れた。多少大人びているとはいえやはり子供ならではの現金さだ。
やがて、子供達が歩いてその場を去るのを見届けてから、アイラはレックスを振り返った。
「本当に大丈夫か」
「ああ、大丈夫だ」
レックスはすねを摩って笑顔を見せた。
「・・・レックスに来てもらってよかった。わたし一人ではどうしてよいかわからなかった」
「感謝してる?」
「ああ」
「・・・いいよ、たいしたことじゃあない」
服をめくりあげて蹴られたところを覗き込むと既に大きな痣になっていて、レックスは苦笑した。
「・・・」
「な、なんだ?」
アイラはそれをみてレックスの足にじっと顔を近づけた。驚いてレックスは腰をひいた。と、呑気にアイラは
「お前は、綺麗な足をしているのだな」
「・・・こっ・・・・この、馬鹿!!」
「な、なんだ、褒めているのに!?」
「どーせ俺の足は毛が薄いよ」
レックスは真っ赤になって慌てて足を隠した。まったく、このイザークの皇女はよくもこんなことをけろりと悪気のない顔でいうものだ。
「それはどうあれ、本当にありがとう。レックスがあんなことに詳しいなんて知らなかった」
「アイラは全然俺のことを知らないだろう」
「そうかもしれないな」
「ただ、俺の方がアグストリアやグランベルのことを知っている。それだけだ。俺はイザークのことを知らないけれど、アイラは知っているだろう・・・それだけのことだ」
それだけのことだけれど。
なんて、そのことが自分達の間を隔てているのだろうか?
渡り鳥を知らない、鹿を知らない、そして。
多分アイラはグランベル流の春の装いなんてものもあまりよくわからないのだろう。多分、イザークにはイザークのやり方があるのだろうし。
そう思うと、彼女が本当に、今まで生きていた場所と遠く離れてここにいるのだ、ということがレックスには実感できた。
「どうした?レックス」
レックスがわずかに考え込む表情を見せたことにアイラは気付いたようだ。その問いかけにレックスは我に返る。
「なんでもない」
それから立ち上がるとアイラもそれに合わせてたちあがった。もう、草むらの向こう側に行ってしまった鹿の姿は見えない。
さあ、戻るかな、なんてアイラが呟く。それへ
「アイラ、一緒に鳥を見に行かないか?」
「・・・付き合ってやってもいいが」
「付き合ってください、お願いします」
レックスがわざとそんな風に言うと、めずらしくアイラはくすりと少女っぽい笑顔を見せた。
「じゃあ、付き合ってやろう」

もっと森の奥へ奥へと進まないとその池に辿り着かない。久しぶりにアイラと二人きりで歩く道はなんだか遠く感じるな、とレックスは思った。もしかして、池に鳥を見に行こう、と最初に誘った告白の日以来かもしれない。
「前から聞こうと思っていたのだが」
「なんだ?」
突然アイラが話を始めた。彼女の方から話し掛けてくるのは珍しいことだ。
「お前は、どうしてここにまだいるのだ?お前は別段シグルド公子の軍にいる義務はないのだと聞いたぞ」
「誰に」
「デューだ。正直、わたしはグランベルのことはわからないから誰がどこに領地を持っていてどこの貴族で、という地形的なものや地位については詳しくないが・・・それでも、お前がシグルド公子のもとで、しかもアグストリアにまでくる必要はないということくらい知っているぞ」
「そうか、知っていたか」
それ以外にレックスからの答えはない。
普段はそういう風に会話を切ることがない彼だとアイラも多少なりと知っているようで、わずかに眉間に皺を寄せてレックスを見る。
「それだけか」
「んー・・言うと、アイラが嫌がるからな」
「どういうことだ」
「内緒」
「聞かれたくないことなら、聞かない。かといってそうやって茶化されるのはあまり気分がいいものではない」
「別に茶化してなんか・・・」
いないぜ、とレックスが言おうとした瞬間。
もう夕方になるのか?
さあっと一瞬空が暗くなったような気がした。確かに深い森だし、まだぐずぐずしている冬の空の名残があるからさんさんと日差しが射し込んでいたわけではないけれど。
「あっ」
「うん?」
「アイラ、鳥が」
空を見上げると、彼等の頭上をたくさんの白い鳥が羽ばたいていく姿が見えた。
群れのはしっこの鳥達が太陽を遮ぎる角度で飛んでいるから、先ほど一瞬暗くなったように感じたのだろう。
アイラもレックスに習って空を見上げ、目を細める。眩しくないとはいえ、空を見上げるときにはついついそうしてしまうようだ。
「あれは、池にいた鳥ではないか。こんな時間に群れをなしてどうするのだ」
「いつもは、飛び立って夕方池に戻ってくるはずだ・・・ちょっと飛び立つには遅い時間だが・・・多分、北にいくのだろう」
「北?」
「もう、ここには春が来るんだ、な」
「それは」
アイラは少しだけ寂しそうな表情をレックスに向けた。
「もう、あの鳥達は戻ってこないということか」
「そうだよ・・・ああ、いや・・・」
あまり口にしても意味がないのではないか、と思いながらもレックスは答える。
「次の冬になれば、またやってくる・・・でも、そんな頃までここにいられ・・・ない方が、アイラにとってはいいんだろうな」
「・・・」
「やつらはやつらの土地に戻って、また決まった時期にやってくる。それの繰り返しだ」
「そうか・・・うらやましいことだな」
「アイラ?」
何だって?とレックスが聞き返す代わりに名を呼ぶと、アイラはかあっと赤くなって口を引き結んだ。
「・・・っ・・・」
それは、きっとアイラの失言なのだろう。
レックスは自分で自分の気の利かなさに今更ながら溜め息をついた。
今の言葉は、聞き流してやればよかったのだ。このイザークの王女は、自分が弱音を口に出すことを好まない。ましてやそれを人に聞かれるなぞ、もってのほかだと思っているに違いない。
俺には言ってくれてもいいのに、という気持ちがレックスの中にあることは確かだけれど・・・
「悪ぃ、聞かなかったことにしておく」
「いや・・・いい。わたしの心の弱さだ」
「仕方ないだろ」
アイラは困惑の表情を浮かべながら前髪をかきあげた。髪が長い女性の割に、アイラはその髪に触れるような仕草をほとんどしないことをレックスは知っていた。肩にかかる髪を後ろに振り払ったり、前髪をかきあげたり、なんとなく触ったり、といった女性的な動きを見た記憶がほとんどない。
だから、そのアイラの仕草がなんだか新鮮で、レックスはこんな時でも嬉しくなってしまう。それは不謹慎だろうか?
が、とりあえずなんだか気まずくなってしまってお互いをちらりと見る。
レックスは困りながら、言葉を続けた。
「・・・そんなお前からしたら、俺なんか贅沢者なんだろう?」
「え?」
「帰る場所があるのに、好きな女がいるから、なんていう理由でふらふらとこんなところにいる男なんかさ。そりゃあ、なんでここにいるのか追求したくもなるよな」
「・・・レックス、そういう意味で言ったんじゃない」
好きな女がいるから、というくだりでアイラが特に気にした風ではないことにレックスは気付く。
「そうじゃない・・・いつまで、いるのか、知りたかっただけだ」
「何で」
「・・・理由は、ないけど・・・」
その歯切れの悪い答えも珍しい。レックスはアイラを見つめた。その視線に気付いているのか気付いていないのか、アイラはためらいがちにいつもよりも切れ切れに言葉を紡ぎ出す。
「お前は、わたしに色々教えてくれる。だから・・・いつまで、一緒にいられるのかと思っただけだ」
言いづらい告白をしたアイラは困ったように、それでも出来るだけわざとらしくないように体の向きを変えて、レックスの視線がわからないように顔を軽く斜めに動かした。
その様子をじっとみつめて、やがてレックスは「ああ」と何かに納得したような表情を見せた。
「・・・アイラ、今気付いたんだけど」
「なんだ」
レックスの方を向かずにアイラは答えた。
「もしかして、花を見に行くとかいわれても、お前、意味がわからなかったんじゃあないのか」
「・・・あ、ああ・・・さっきのことか・・・そう、だな。何故あんなにみんな、花を見たがっていたんだ?」
「・・・うーん、そりゃあ・・・」
イザークの気候のことはレックスもよくわからない。レックスはおそるおそるアイラに聞いてみた。
「イザークじゃあ、春には春の花が咲くんじゃないのか」
「そりゃあ、咲くに決まっているだろう」
「それを見たいと思わないわけか?」
「何故?だって、道を歩けばいやでも春には春の花が咲いているだろう」
「花畑で見るのはまた格別だろう?」
「花は」
そうだ、違うんだ、とアイラは慌てて振り向いて言う。
「夜愛でる。花篝を焚いて花を見るけれど」
「はなかがり?」
「篝火を焚くんだ。花を見るために・・・とはいえ、どっちかというと木に咲く花が大事にされるな」
「・・・そういうことか」
おおよそのことがわかって、レックスはくっ、と笑い声を漏らした。
「夜の花はまたいっそう綺麗だぞ」
「ははは・・・そりゃあ、風習が違うんだな。こっちではそんなことはしないから。夜閉じる花もあるし・・・だから、断ったのか」
「いや、断ったのは・・・・シャナンが心配だったからだ」
「それが、全部の理由じゃないだろう」
「むう・・・レックスはなんだかずるい気がする。どうしてそんなに色々知っているんだ」
「馬鹿だな・・・お前のことを知ってるのと、鹿やら鳥のことを知っているのは、違うだろう」
おかしそうにレックスはアイラの顔を覗き込んだ。アイラは少し頬を赤く染めて
「違うのか」
なんて子供のような質問をレックスに返して来た。
「違うに決まってるだろう?・・・そうか、そうか・・・イザークじゃあ、夜、花を見るのか」
「そうだ。火に照らされて・・・とても綺麗だ。レックスが気に入ってくれるといいのだけれど」
「え」
「・・・だから」
アイラはまたも、ぷい、とレックスから視線をそらして
「いつまで、一緒にいられるのかと、思っただけだ」
「・・・」
レックスは、自分の耳を疑った。これは、もしかして、とんでもない告白なのではないか、と。けれど
ああ、なんだ、不思議だな。
もっと、嬉しくて、舞い上がって、「それは俺のことを好きだっていうことだな!?」なんて念押しをして、それで抱きしめてしまってもおかしくないほど、アイラのことを好きだと自分では思っていたのに、なんだか、アイラからの言葉の何かがひっかかってそれを許さないような気がする・・・レックスはそんなことを思いながらも、沈黙でアイラを不安にさせないように、すぐに答えを返した。
「・・・いつまで、一緒にいていいんだ?」
「妙なことを聞くやつだな。お前はグランベルの人間だろう・・・ならば、お前がここから離れるか、わたしがイザークに帰るまでしか、一緒にいられないではないか・・・」
お前はグランベルの人間で、わたしはイザークの人間だ
その言葉は、どこかで聞いたフレーズだ、とレックスは思い当たり
「アイラ」
ひとまず名前を呼んで、気持ちを落ち着けようとした。
「・・・お・・・まえ、もしかして」
「なんだ」
「・・・お前、俺のことは嫌いじゃないんだな」
「嫌いだと言ったことがあったか・・・?」
「俺が、お前が憎んでいるグランベルの人間だから、俺の好意を受け入れられないっていう・・・そういう意味じゃあなかったのか」
「そんなことを、言った覚えはないが」
「・・・そうか」
レックスは、ふう、と息を吐いた。
そうか、さっき。すぐに手放しで喜べなかったのはこのせいだ、と自分に言い聞かせる。
自分はアイラのことが好きで仕方がないし、彼女があまり言葉が上手な人間ではないことを知っている。どんなに思っていたって、まだレックスはアイラの言葉のすべてを正しい意味で理解してやることは出来ない。さっきの気持ちは「正しい意味を確認した方がいい」というシグナルだったのかもしれない。
アイラは初めから、自分達がいつか別れて、進む道を隔てるようになると思っているのだ。
それはきっと、間違いではない。間違いではないけれど。
「レックス?」
「俺は、お前のことが好きなんだけれどな」
「・・・それは、前にも聞いた」
「お前は」
少なくともいつまで一緒にいられるんだろう、と不安に思う程度には俺のことが好きなのか?
その言葉を遮るようにアイラは、少し気恥ずかしそうな表情で言う。
「お前となら、花畑に行ってもいいと思える」
「・・・・」
「池に鳥を見に連れて行ってくれたように・・・花畑にも、連れて行ってくれる気じゃあないのかと、思っていた」
「アイラ」
そう言い放ってアイラは来た道を戻るように歩き始めた。
「鳥がいなくなったならば、池に行くこともあるまい。戻るぞ」
「・・・ああ」
歩き出す前に声をかけるのすら、恥かしかったののだろうか。
レックスはまたアイラの歩く姿を後ろから見つめた。
なんだかその後ろ姿は、いつもよりも肩肘を張ってぎくしゃくしているように見える。が、きっとそんなことは自分以外の人間は気付かないんじゃないのかな、とレックスは心の中でちょっと笑ってしまう。
「アイラ、明日、花を見に行くか」
「・・・レックスがそういうなら付き合ってやってもいいが」
「付き合ってください、お願いします」
アイラはその言葉でやっとレックスの方を振り向いた。その表情はいつもと変わらないようにも見えるし、そうではなくていつもと変わらない風を装っているようにも見える。そこまでは判断できないな、と思うレックス。
「・・・じゃあ、行こうかな」
「お前のことが、好きだから、花畑を見せてやろうと思えるんだぞ」
「そうか。ありがとう」
また大事な言葉を返してくれない彼女が、いつかくるのではないかという別れを本当はとっくに意識して、だからこそ一歩踏み出せないでいるのだということをレックスは理解した。
国へ帰る渡り鳥達をうらやまなければいけないような、そんな彼女には、今この場で普通の恋愛をするのはとても難しいことなのだろう。
それならば答えはまだいいか、と自分を無理矢理納得させようとレックスは考えていた。そのとき、あっ、とアイラは声を出して空を見上げる。
「レックス、遅れて飛んでいる鳥達もいるぞ」
アイラが指を差した先に、また一塊の鳥達が先ほどの鳥達と同じ方角に向かって飛んでいくのが見えた。
「ああ・・・群れが違ったんだな・・・」
もう一度くらいアイラと鳥を見に行きたかったな、なんて思いながら、レックスは空を見上げ、それからアイラを見る。彼女もまだ空を見上げて小さくなってゆく鳥の姿をじっと目で追っていた。
「まいったな」
そんなアイラの姿を見ながら、柄でもないことをまた考えてしまった、とレックスは苦笑をする。
いつかイザークの春を見ることがあるんだろうか、なんて。


Fin



モドル

キリ番33333のハル猫さまのリク、ほのぼのとまったりと春のラブラブレクアイ・・・のはずだったのですが!!!
なんかちょっぴり悲しい話になってしまいました(汗)
いやー、もう、とにかくアイラのことを大事に大事に思っているレックスが書きたかったのです・・・。
単純にグランベルとイザークの国間のことだけでなく、風習の違いや気候の違い、そしてそれとは関係ない、お互いの決定的な立場の違いを乗り越えて恋愛を成就させるレクアイの(笑)細かい部分を書いてみたいな〜とか・・・。勢いこんで長い話にしちゃいましたが、なんかこう・・・うう・・・ごめんなさい・・・こういうお話、みなさんあまりお好みではないのかなあ、なんて不安に思いながら書いていました。せつなくもない、バカレクアイでもない、シリアスレクアイでもないこのビミョウな加減を必死に量ってみたのですが・・・。
らしくない文章になっちゃってるかもしれませんが、心を込めて書かせていただきましたvv
ハル猫さまに捧げます〜!