冬祭り

次の春にはお弁当をもって、お花畑にいきましょう。
そんな約束を、思い出す。
けれど、自分はもう、それを果たすことが出来ないということを彼女は知っていた。
ああ、力が足りなかったわたし。
何かが。
自分が防ぐ事が出来なかった、その訪問者達がこの村をどうしようとしているのだろうか。
ほどなく、ごごう、という音が彼女の鼓膜を震わせた。
その瞬間、彼女はそのまま、足の力ならず、全身の力を失って地面に倒れた。
どさり、と自分の体が重力に逆らう事が出来ない音が聞こえたけれど、もう、痛覚はなかった。
「お母さん!」
愛する娘の声がうっすらと聞こえた。
押し寄せる後悔の念に苛まされて、遠くなる意識の中、彼女は許の言葉を必死に紡ぎ出す。
「みんな・・・」
掠れた、か細い声。声帯を必死に震わせてようやく出たその声は、ひゅうひゅうと僅かに息が漏れた音を伴っていた。それでも声を出して伝えなければ、と彼女は残った力を振り絞った。
ああ、力が足りなかったわたし。
「ごめんなさ・・・」
後に残るものは、業火に巻かれた村と。愛しい娘と。それから。
それらのものを守り切ることが出来なかった、自らへの叱責の念。
この子との約束を、果たすことが出来ないのね。
それでも、涙を流す力すら、神は彼女には残してはくれなかったのだった。

バロン国王夫妻からの招待状がリディアのもとにやってきたのは、人間界のバロン近辺では「冬」と呼ばれる季節のことだった。
ドワーフのジオット王の厚意で、リディア宛てのそういった書状はジオットの娘ルカの元に届けられる。リディアは時々そこにそれを取りにいくことになっていた。
とはいえ。
幻界と人間界では時間の流れが違うから「久しぶりに」リディアがその書状を取りにいったときは、既にそれは時期を逸していて、残念ながら招待された祭典が終わったほんの数日後になってしまっていた。
「もっと早く取りにくればよかったのに、リディア」
とルカは同情の表情を見せてリディアに言う。リディアは肩をすくめて
「うん・・・でも、こんな風にお手紙もらうことも少ないと思ってたから・・・冬のお祭りってなんだろう」
リディア宛のその招待状は、バロンで冬の祭典があるから、よければ見に来て欲しい、という文面だった。セシルの直筆であることをリディアは知っている。
達筆すぎる文字ではあまり読むことができないリディアでも、セシルが丁寧にわかりやすく書いてくれる文字は読みやすい。バロン国王がこうやって一人の少女に対して直筆で招待状を出す、ということがどういうことなのかをリディアはよくわかってはいないだろうけれど。
「わあ」
招待状に挟まれた小さな紙から、ふわり、と花の香りが立ち込めた。
これは、きっとローザの心遣いだ。
その花の香りが、冬にしか咲かない珍しい花(大輪の白い、木に咲く花なのだが)のもので、バロン付近にしかないものだということすらリディアはわからない。そして、リディアがそれを知らないだろうということをローザもセシルも気付いているだろう。それでもあえてそういった、季節に関するちょっとした心配りをするのは、とてもあの2人らしいことだった。
「冬のお祭りってなんだろう」
リディアはそう言ってちらりとルカを見た。ルカはドワーフの女中が運んできてくれた、リディアの想像を絶するほどの糖度が高い、砂糖がじゃりじゃりと口の中で音をたてるのではないか、と思えるようなドワーフ特製の茶をごくごく飲んでから、
「冬って何?」
逆にリディアに聞き返す。
ドワーフ達には人間界の季節の概念があまりない。ただ、寒くなると人間界は大変らしい、という程度の認識しかないのだろう。
「えーっと・・・寒い季節のこと・・・」
自分の方が説明する立場になることがリディアはとても少ない。ルカにそういいながらも、改めてそう言われると困るなあ、なんて思いながら苦笑を見せる。
2人は曖昧に笑いあってから、平らな焼き菓子を食べて、その二倍は甘い茶を飲むのだった。

リディアが幻界に戻るために城を出ようと、ルカとジオット王に挨拶をして門に向かって歩いている途中、ドワーフ達の声ががやがやと騒がしく聞こえた。
「ラリホー!」
「ラリホー!前くるの、久しぶりー!」
「ラリホー!元気だったかー?」
「ラリホー!また酒飲みくらべするー!」
「ラリホー!新しい武器作った、見ていけー!」
そして、聞いた声が響く。
「あーあーあー、わーったわーった。どれもこれも幻界いってからな。ただ顔見せに寄っただけなんだよ!」
リディアは足をとめて、門の近くにかたまっているドワーフ達の集まりを遠巻きにみつめた。
その声を聞き違うわけが自分にはない。
だってその声は。
あの戦いの中で何度も彼女を励まし、時には少し小馬鹿にした物言いをしながらも守ってくれた男のものではないか。
「な、なんで・・・?」
久しぶりに聞いた、聞き慣れたはずだった彼の声。
それが鼓膜を震わせて、彼女の脳、それどころではなく身体をかけめぐって殊更に心臓を刺激するように思える。
そんなことは今までなかった。
リディアは戦いの最中で生死のぎりぎりの境目で心臓がばくばくと音をたてて、自分はどうなってしまうのだろうか、とわけがわからなくなった経験がある。
それに、ちょっとだけ近い。
ああ、エッジの声、久しぶりに聞く。でも、わたしどうしてこんなにどきどきしているんだろう。
リディアはそっと自分の右手で胸元を抑えた。それから、更にその手に左手を添える。

「ラリホー!ちょうど今、リディア来てるー!」
「なにー!?今なんつった!?」
「リディアー」
「来てるー」
「ほら、そこにいるラリ!」
一人のドワーフがそう叫んでリディアの方を見た。
遠く離れているところだったのに、どうやらドワーフ達はやたらと視力がいい様子だ。
そして、その声と共に何故か集っていたドワーフはばっと辺りに散って、エッジをその場に一人で残す。
「お!マ、マジかよ!!」
驚いたようにエッジは声をあげ、そしてドワーフが指差した方向にたっていたリディアを見つける。
彼は旅の間に気に入って着ていた、リディアが見慣れた服に身を包んでそこに立っていた。何もかもリディアが見慣れた彼だ。
旅の終わりからいったいどれくらいの時間がたったのか、正確なところはリディアにはわからない。
けれども彼女から見たエッジは、別れたときよりもほんのわずかに陽に焼けた様子で、けれどももちろんとうの昔に成長期は終わっているから、肌の色以外はほとんど変わりがないように見えていた。彼女が気付かないだけで、彼の後ろ髪は実のところ幾分伸びていたのだけれど・・・
「エ、エッジ、どうしたの・・・?」
「んだ、お前、ここに来てたのかよ。それだったら話ははえー」
とまどうリディアに向かってエッジはどかどかと近づいてきた。
「お前、セシル達の・・・」
リディアはその場を動かずに、エッジが自分の前にくるのに任せていた。そのことに彼はまったく気にせずに彼女の前に来て、そして勝手に話を続けようとした。そして、あまりの自分の性急さに息づいたように、言いかけの言葉を切った。それからほんの数回瞬きをみせてからわざとらしく姿勢を正し、いかにも冗談だ、といいたげに笑う。
その笑顔はよくリディアに「お子様はだまっとけ」なんて風にからかうときに見せていた彼の表情そのままだ。
久しぶりに見たその笑顔が嬉しくなって、リディアは驚きながらも口元に笑みを浮かべた。
「っと、っと、その前に、だ。一応挨拶しとくかな。久しぶりだな」
「う、うん、久しぶり。どうしたの、エッジ」
「どーしたの、はこっちだぜ。お前、なんでセシル達の招待に返事ださなかったんだよ。やつら、心配してるぜ」
「あ」
リディアは軽く声をあげて、それからごそごそとルカから受け取った招待状を取り出した。
「あの、ね、これ受け取ったの今日だったの」
「なんだあ?そうなのかよ」
「うん。それで、ルカに聞いたら人間界はもうこの日は過ぎているっていうから・・・どうしようかと思っていたの」
エッジは上半身を少しかしげて、リディアに目線を合わせて言った。
「じゃあ、しゃあないわな。まあ、セシル達もそんなことだとは思ってたみてえだが、それでも心配はやっぱしてるみたいだったからな。それで俺がわざわざ幻界に行ってお前の様子を見にいこうと思ったってわけだ」
ここじゃあなんだな、とエッジはリディアを誘ってドワーフ達が使っている食堂にと足を運んだ。
いまはちょうど飯時ではないから食堂は静かで、二人は隅っこの席で落ち着いた。
これがまた食事の時間になると戦争が始まったのではないか、と思えるような人数のドワーフ達がひっきりなしにおしよせては、すさまじい健啖家ぶりを見せてすっかり皿の上のものを平らげる様が見られるのだが。
エッジの説明によると、彼もリディアと同じようにセシル達からの招待状をもらい、まあ、国交のために、とかなんとか爺に言い訳をしながら部下も連れずに単身バロンに遊びに行ったらしい。国交のため、なんていいながらも遊びでいったおかげで何ひとつ公的な身分を公開することなく、シドと飲んだくれてバロンの冬の祭りを堪能出来たらしい。
「一人でー?エッジって、国では偉いんでしょ。偉い人は一人でなんてふらふらしないんだ、ってローザが前に言ってたよ」
「俺は強いから、一人でもいーの」
「ふうん。じゃあセシルなんかもっと一人でもいいってことになるわね」
「失礼なやつだな、おめーは」
「あははっ、冗談よ!
飲み物のグラスを両手で持ってリディアはごくごく、と喉を潤す。さきほどルカの部屋でも茶を飲んだけれど、あまりにあれは甘すぎた。以前ここに来た時に彼女の口にあった、果実を絞ったジュースを彼女は頼んでいた。
「大体部下なんて連れてきたらなあー・・・」
「うん」
エッジはまたもいいかけの言葉を切って、手元にあったドワーフ達お気に入りの大ジョッキになみなみと入った茶を果実酒で割ったものをぐい、と口に流し込む。
「なんでもねー!」
幻界に行く、なんていったら止められちまうだろ、という言葉を止めて、エッジはおもしろくもなさそうな表情をリディアにむけた。
そうだ。
そもそもリディアも来るだろう、という不純な動機があって、部下も連れずにバロンに行くなんていう一国の主として無謀な、自覚がないことを無理に押し通したのだ。なのに行けばリディアはいないは、セシル達は心配しているは、というわけだ。
リディアはエッジに、バロンの冬の祭りというものがどういうものだったのかを聞いて来た。
「なんやら、古い書物に書いてあることを参考にしてアレンジして行ったってセシルは言ってたけどな。大きなもみの木をバロン城下町の広場におったてて、そこに色々飾り付けをしていたぜ。あそこらはもみの木なんて生えていねーと思ってよ、シドのじじいに聞いたらやっぱ飛空挺使ってどっかの大陸から運んできたんだってよ。なーにに国税使ってんだ、と思ったけど、やつらにはやつらなりの言い訳とか色々あるみたいだしな」
バロンやミストのあたりは、そう冬は厳しい寒さではない。山越えをすれば砂漠があるような地域だから、冬と一口でいっても冷たい風がよく吹くから寒く感じるというだけで、実際の気温はそんなに低くはならない。
それに、飛空挺によって、冬に不足する食料なんかも他の地域から輸入することが出来るようになり、ますます彼等にとっての冬は過ごしやすいものになった。
しかし、バロンの冬は、薄暗い空に覆われることが多い。
その上、先の戦いでバロン王を知らぬ間に無くし、わずかでも偽者のバロン王にやり方に口を挟んだ者達はセシルとカインのように左遷されたり抹殺されたりと、国の重要な臣下達を欠いた状態の新生バロン王国が初めて越す冬なのだ。
セシルがバロン王になったときは、確かに大きな盛り上がりを見せたものの、こう憂鬱な気候が続けば人々の気持ちは重くなり、更に嫌なことを思い出しがちになる。それを少しでも緩和できたら、とセシルは任務で遠征をしていた新生赤い翼の騎士達に、もしももみの木があったらとって来てくれないか、と声をかけていたのだ。そして、たまたまそれが実現した、それがこの祭りを行った大元の理由だ。
「何を祝うのかどーも俺にはよくわかんなかったけどな、とりあえず酒飲んだりうまいもん食べたりしてたな。ああ、それから、子供達は贈り物をもらってたなあ。赤い袋にいれた何かを王宮騎士達が配ってたぜ。みんな嬉しそうに笑って、自分んちの家族に報告してたっけかな」
「いいなあ。何貰えるんだろうね」
「ま、お前も行けばもらえたんじゃねえの?子供限定らしいからよ」
「それ、どーゆー意味なのー?もおー」
「間違いねえだろ。今だって、いいなあ、なんていってうらやましがってるようじゃあ、な」
「ちぇー。いいもんねーだ・・・でもそっか、よくわからないけど、楽しそうだったのね」
リディアはそういって、ごくん、ともう一口ジュースを飲む。
「お祭りって、話では聞いたことがあるけど、行った事無いから・・・ただ、みんなが楽しそうだってことだけ、知ってるのよ」
「なんだ、それ。祭り、なかったのか」
「ミストの村では、なんにもなかったの。ただ、時々ね、バロンでやっぱり、そういう・・・しゅうかくさい、っていうの?それとか、うーんと、あとはやっぱり王様の誕生日とかにもお祭りしてたみたいね。わたしは子供だったから、村を出て洞窟を越えて行く、なんてこと出来なかったから、近くに住んでいたおばさんとかに聞いただけなんだけど・・・」
エッジはそう言ったリディアをしみじみと見つめた。
そうか。
確かにそれは、そうかもしれない。
リディアはとても幼い頃に幻界にいってしまった。
ミストの村そのもので祭りがなければ、確かに幼少時期に体験出来なかったに違いない。
当然幻界ではなおのことそんなものはないだろうし。
そして大きくなってセシル達のもとに戻って来たとしたって、それどころではなく、あっという間に月と行き来するハードな生活になったのだ。何もかも体験していなくて当然のことだ。
「じゃあさ」
「うん」
「エブラーナ、来るか?」
予想外のその言葉にリディアは目を丸くして、それでも好奇心にかられて身体をすこしばかり乗り出して声を高くあげた。
「なんで?」
「エブラーナの祭りは、今日だぜ?それにさ、俺はおめーと、もちっと一緒にいたいんだ」
今までに何度もいわれ続けたエッジからの聞き慣れた軽い告白。
リディアは「お祭り、見たいなあ」とだけ答えたけれど、エッジは快くそれを引き受けるのだった。

エブラーナの祭りは、バロンの祭りのように、どことなく温かく陽気なもの、というわけではない。
明るく楽しいことばかりをリディアが期待するのであれば、がっかりさせてしまうかもしれない。
そういう気持ちが彼の中にあった。
けれど、リディアが自分と共にエブラーナに来てくれれば、それだけで嬉しい。それもまた間違いがないことだ。
幻獣王にいわなくちゃ、とリディアはエッジを連れて幻界に戻り、エブラーナにいく許可を得た。
どうも幻獣王はあまりそれをよく思っていない様子だったけれど、その傍らにそっと控えていたアスラは逆に、それを歓迎すべきこととして是非行ってくるといい、とこころよく了解してくれた。二人のその違いがなんなのか、エッジにはよくわかってはいない。
「エブラーナも、冬のお祭りするのね」
「ああ、ただなあ。そのお、バロンの祭りみたいに、もー、単純にみんな楽しく、みたいなもんとは違うんだよなあ・・・あ、でもな、マジ、綺麗だぜ」
「きれい。何が?」
「来てからのお楽しみってもんだ」
バロン公国から買い取った小型の飛空挺を操ってエッジはリディアをエブラーナに連れていった。
リディアはエブラーナに遊びに行くのは初めてではない。
先の戦いが終わってから、エッジに誘われてセシルとローザと共にエブラーナに行った事がある。(カインは辞退したが)
あれは、夏の日のことだった、と記憶している。
(そうか、季節が移ったんだなあ)
幻界にいる彼女は、季節の移り変わりが無いその場所に長年住んでいるから、そういったものに関してはかなり鈍い。
ただ、7歳まで過ごしたミストの村で感じていた四季だけが彼女のもつ季節の感覚だ。
そうそう厳しい冬はなく、夏の暑さの方が強いあの村でも、やはり冬は煮込み料理が多かったし、夏になればあまりかまどを使わない料理を作る。そういった断片的なことを覚えているのは、母親と二人暮らしをしていたせいもあるだろう。
昼過ぎにエブラーナにつくと、前に来たときも幾分エブラーナ城は外観が整っていたし、町も活気づいていた。
帰って来てそうそう爺に捕まってエッジは説教をされる羽目になったのだが、客人が来ている、と気付いて爺は多少いつもより甘いお説教に留めたらしい。エッジはリディアにそれを教えて「サンキューな」と都合よく笑っていたものだ。

「ちょーどいい時間だな。冬は夜が早い。暗くなるまでにさっさと行かねえとな」
エッジが言うには、今日が祭りのメインの日だということで、だからこそ夕方なんかに帰って来たエッジは爺に怒られたらしい。本来もっと早く帰ってくる予定だったのをリディアに会いに行くと決めたときから、時間はかなり差し迫っていたわけだ。
が、エッジいわく、王族がどうこう、という祭りとは違うし、毎年持ち回りで担当が替わるからいいんだ、とのことだ。
もちろんリディアにはどういうことなのかわからない。
エブラーナの冬は、そうそうひどく冷え込むというわけではないけれど、確かに風は冷たい。今日はエブラーナにしてはかなりの冷え込みらしくて、リディアは女中から白いコートを借りることになった。コートなんていうものを着た事がないリディアは、今更ながらにあまりミストの辺りは冷えなかったのだと理解をした。
「さ、リディア、行くぞ」
「あ、うん。夜にやるお祭りなのね」
「そうそう。夏におめーらが来たときによ、川に連れていっただろ。蛍見に」
「うん。すっごく、綺麗だったー!え、もしかしてまた川に行くのおー?」
「おうよ。今度は蛍じゃねえ灯りなんだけどよ」
エッジはそういって、周囲の人間に、祭りに出かけるという事を告知した。
じゃ、後は適当しといてくれ、と乱暴な物言いでリディアを急かすと、これが一国の主なのか、というほどの不調法さでどかどかとエブラーナ城から出ていってしまう。
王子(未だに即位式も行っていないということを知って、リディアは驚いたが)が出かける、とあっても、忍者達は護衛にわらわらとついてくるわけではない。陰ながら見守る、というのが彼等流のやり方なのだそうだ。
それでも、じゃあ、誰かに見張られているのね?とリディアが問えば、エッジはう、うーん、と微妙な返事をする。
「そういうわけじゃねえんだよ。別に四六時中見てるんじゃなくて・・・用があったら・・・うーん、難しいなあ、おめえに説明すんのは。まあ、見られている気がしてやだ、っつんなら完全に人払いするけどな。やつらにはやつらの立つ瀬、みてえなもんもあるからなあ」
「あ、うん、いいのいいの」
リディアは軽く手をふった。
そういえば、夏も、エッジが呼べば忍者達が現れて。そんなことを思い出す。
エブラーナ城を出て、夏と同じように川岸に向かって二人で歩いていく。
が、夏に生い茂っていた草達はみな茶色く枯れて、あの生き生きとした緑色の、生命力あふれた姿はもう見えない。
そうだった。
あの時、まだわたしはエッジと別々の場所に暮らすということがどういうことなのかよくわかっていなくて。
とても簡単に幻界に帰っていったし、それでいいと思っていた。
会いたくなったら人間界に来ればいい。
それくらいしか、考えていなかった。
なのに、こうやって会ったら・・・ほら、こんなに嬉しいし、もっともっとエッジと会いたいって思っちゃうし。
でも、エッジはきっと忙しいに決まっているし。
リディアがそんな物思いにふけっていると、エッジが声をかけてきた。
「ほら、こっから足元あぶねえぞ」
「うん、ありがとっ!」
エッジは手を差し出す。
その手にそっとリディアは自分の手を重ねた。
どきん。
エッジの手のぬくもりが殊更に優しく感じてリディアは頬を紅潮させた。
「ん、なんだ?」
「エッジ、手、あったかいのね」
「おう。おめーは冷たいなあ。冷え性か?」
「ひえしょー?」
「はは、おめーにはわかんねえか。ほら、そっちの手も貸してみろよ」
「うん」
リディアは言われるがままにエッジに両手を差し出した。
彼は彼女の小さな手をぎゅ、と覆うように上下から挟み込んだ。
リディアの白い手に、エッジの手のぬくもりが移る。
「エッジ、手、冷たくならない?」
「大丈夫、大丈夫。んなやわな手じゃねーよ・・・どだ。ちっとはあったかくなったか?」
「・・・うん」
「なんだ、歯切れ悪ぃな。じゃ、いくぞ」
リディアの片手をひいて、エッジは、いつ雪に降り積もられてもおかしくないほど、秋も過ぎ去ってしまったように見える枯れ草をかき分けて歩いた。
(なんだか・・・)
両手だけ、抱きしめられたみたい。
リディアはそう思いながら、エッジの歩調に必死についていこうと早足で歩いた。
もちろん、それにエッジは途中で気付き、歩みをゆっくりにしてくれるのだけれど。

歩きながらエッジはリディアにエブラーナの祭りについての説明をした。
バロンの祭りのように楽しいわけじゃねえ、と彼がいうのにはそれなりの理由があるようだった。
「昔はよ、冬の祭りなんてもんは、なかったんだ」
「へえ、じゃあ、バロンみたいに最近できたの?」
「俺がガキん頃はもうあったみたいだから、もっと前だろうけどな。昔・・・爺の話が本当なら、60年近く前に、エブラーナで、むちゃくちゃ冬が寒かった年があったんだってよ」
「そうなの」
「それもハンパじゃねえんだ。異常気象ってヤツなんだろうな。あまりの寒さに、ばたばた人がおっちんじまうほどだったんだってよ。雪がごうごうと降ってよ・・・ここじゃあ、そんな風に降った事は俺はみたこたあねえんだが」
「!!」
リディアは驚いて、エッジの手の中にある自分の手をぎゅ、と握り締めた。
「人が、寒さで死んじゃうの」
「おう。食べ物があるなし、とかじゃなくて、純粋に寒くて寒くて仕方がなかったんだろうなあ。いくら暖炉でがんがん部屋を暖めてもさ、足りなくて、毛布やら何やらをさあ、かき集めても、どーにもならない寒さってのが、あるらしい」
「想像できない・・・」
「お前も、そのコート脱いで一時間でも立ってりゃ、そういう気分になると思うけどな。ああ、やめとけよ。おめー、そういうこと言われたらやっちまうタイプだからな・・・風邪ひいて寝込んで俺を困らすのがオチってもんだ」
ざくざくと足元の枯葉が砕け散る音を聞きながら、リディアは悲しそうな表情を見せた。エッジはちらりと振り返ってそれを確認して、苦笑をする。
「隣近所の家族同士で集って、身体をこうさ、寄せ集って・・・くっつけて・・・それで、暖をとったんだってよ。それでも、よぼよぼの老人なんかは体力ないから死んぢまってな。次に、親達は、せめて子供達でも、つって自分達が着ている服で子供達を覆って、抱きしめながら死んじまったらしい」
「ひどい・・・」
「ひでえ話じゃあな、、子供が先におっちんじまって、気が狂った母親が家の外で泣きながらごめんなさい、なんつって泣きながら凍死したとかしないとか・・・」
そのエッジの言葉にリディアは顔をしかめた。

ごめんなさい

それがリディアの母親の最期の言葉だということをエッジは知るはずもない。
あの日、村が業火に襲われ、母親が家の外で倒れたとき、自分は母親に走り寄った。
幼いリディアには母親を抱き上げるような力もなく、ただ跪いて母の名を呼ぶのが精一杯で。
母親が最期の力を振り絞って出した声に安堵した途端、かくん、とまるで人形のようにその身体は動かなくなった。
そして、その言葉は自分に向けられた言葉ではなく、守り切れなかった村人への謝罪だったのだということが、大きくなってからリディアにはようやく理解が出来たのだった。
お母さんは、必死に頑張ったのに。
なのに、謝らなければいけないなんて、おかしい。
リディアはそう思っていたし、エッジの話を聞きながらもそう思っていた。
「・・・」
リディアは泣きそうな顔になって、エッジの手をぎゅっと自分から握った。
それに気付いてエッジは足をとめ、やれやれだ、という表情をみせてリディアを覗き込む。もちろん彼は、リディアがどういう風に気持ちを動かして、何を考えているかなんてわかっていないから、話に同情しただけだ、と思い込んでいる。
「もお、終わっちまった話だ。でもな、そういった風に死んじまった人間は、なんつーかね、昇天出来ねえんだと思うんだよな」
「昇天」
「自然の力に逆らえないこたあわかってるけどよ。どうして、急に、こんなことに、とか。子供が先に死ねば、なんでこの子が、とかさ。正当な事情で死んだようには思えないだろうさ・・・そういったかわいそうな奴等のために、祭りをするんだよ。そうじゃなくても、この前の戦いで、たくさんの人間が死んでいった。そいつらに対しても、国を守ろうとしてくれたことに感謝して、祈ってやらねえといけねえんだ」
エッジはそういって、わずかに握る手に力をいれた。リディアは斜め後ろから彼の表情を伺うけれど、よく見えない。ただわかるのは、エッジはもう大人の男なのだろう、という不思議なことを自分が今感じている、ということだけだ。
「結局俺の親父もお袋もあんなことになっちまった。国王と王妃を守れなかった、っていうそういう自責の気持ちを持ったまま、成仏出来ない奴等もいるってよく聞くんだ。特にさ、冬って太陽が出ている時間が短いだろ。夜が長い。夜ってのは人にとってはおっかない時間でよ・・・夜が長い冬の間に、昇天できない奴等は現れるってよく聞くんだ。成仏できない奴等を成仏させてやって、そんでもって、早く冬があけて、春になりますように、って、祈るのさ」
「春を待って祈る、のね」
魂、とか、成仏とか。そういう話は難しくて、なんとなく、しかわからない。が、春を待つ、という気持ちは、リディアは、それならよくわかる、と思った。
幼い頃に母親がよく、「春になるといいわね」と口癖のように言っていたわずかな記憶が残っている。
「あ」
そのことを思い出して、リディアは小さく声をあげた。
「どうした」
「・・・ううん、なんでもない」
そういえば、母親と小さな約束をしていたのだ、ということも思い出した。もう果たされない約束だけど。

川に出ると、川の両岸に等間隔でかがり火がごうごうと焚かれていた。それを見張る人間が川沿いの草むら(といっても枯れ草だが)にそっと隠れるようにいることをリディアは気付く事はなかったけれど。
冬の寒風に消されない様に、工夫を凝らしたささえ木と風除けには、何か不思議なまじないのような文字が書き込まれている。
川岸についた頃は、夏に比べてまだ早い時間だったにも関わらず、既に月が彼等の頭上に出ており、ぼんやりと辺りの様子を見る事が出来た。
真っ暗なところで火を見る方が綺麗なんだが、あんまり暗すぎると冬の夜は憂鬱だからな、なんてことをエッジは言う。
彼等が歩いていくと、子供達がきゃあきゃあと騒ぎながらその傍らを走り抜けていく。
「こら!あんたたち、もちっと静かにしなさいよ!」
と、女性のしゃがれた声が響いていた。人々はエッジを見つけるとしきりに「若様!」「エドワードさま!」と声をかけてくる。
二人はその喧騒から離れたところに行って、枯れ草の上に腰掛けた。
「火が並んでいるのって、なんだか綺麗ね」
「そうだろ。成仏出来ない魂をさ、あの火で、導いてやるんだよ。それと一緒に、二度とこういう天災が起きませんように、つって祈るんだ。俺はそーゆーのって、あんまり信じる方じゃねえけど、一度この祭りをしなかった年、冬の間に出た死者が、なんだか多かったんだって親父が言ってた」
「そうなの!?」
リディアは驚いて声をあげる。
エッジはそれへは、いつもの彼からも想像が出来ないような真剣な眼差しをむけた。
「ああ。死んじまった奴等が寂しくて、連れて行くんじゃねえか、なんてことを言う人間までいてな。まあ、本当か本当じゃないかはわからないけど、そうやって死んじまった命を疑うなんてのは、すげえ、失礼なことだと思うわけよ、俺は。この祭りをすることで、生きている人間も疑心暗鬼にならなくて、んでもって死んだ人間が侮辱されなくて済むなら、それに越した事はねえんだ・・・生きていても、死んでいても、俺には大事なエブラーナの民だからな・・・」
「エッジ・・・」
「っとお、らしくねえこと、いっちまったな。なんだ、不安そうな顔をして」
そうエッジに言われて、リディアは慌てて首を横にふった。
彼のその表情は紛れもなく一国の主のものだ。
それは、自分と一緒にいた、あの旅の最中には見せなかった大人の表情。
リディアは少しばかりそれにとまどって、けれど、その表情をなんだか好きだな、なんてことを心の中で呟いてから
「エッジは、エブラーナの王様になる人なんだもんね」
「?ああ、そうだぜ。まあ、誰かさんがその気になってくれねえから、エブラーナ王妃はいつ誕生するのかわかんねえけどな」
「誰かさんって?」
「おめーだよ、おめー」
「わたし!?」
リディアが驚いて声を荒げたそのとき、ひときわ大きな声が響き、それと共に耳慣れない楽器演奏の音が聞こえて来た。
「祭りの始まりだ!」
その音に更にびっくりして、本当にリディアは忙しい。声がした方向に向きを変えて、既に今のエッジとのやり取りは彼女の頭の中にはないのだろう。
「エッジ、エッジ、なんか小さな火が動いているよ」
リディアは目を細めてその様子を遠目から見ている。
大きなかがり火が点々と川の両岸に並ぶ姿は美しいと思っていたが、それとは別に、小さなろうそくの火のようなものがちらりちらりと動いているのだ。
やれやれ、話の途中だってのに、とエッジは苦笑を隠さずに、それでも教えてやる。
「俺達も、持って帰るんだからな」
「え?」
「あのかがり火からろうそくに火をわけてもらって、持ち帰るんだ。あの火を一晩家に点してな、魂の成仏と、春の到来ってなやつを祈るらしいぜ」
「火事があったら大変じゃない!」
「お前、そういうとこは無粋だなあ・・・」
それこそやれやれだ、とエッジは肩をすくめた。
「こういう祭りは、嫌かよ?」
「ううん、本当に、火、綺麗ね。ちらちらと揺れて・・・・わたし、火、恐かったけど・・・・今は、嫌いじゃないから」
そうリディアに言われて、初めてエッジはリディアがあまり火が得意ではないことを思い出す。
そもそも彼がリディア達の仲間になった頃は、リディアはイフリートだろうがファイガだろうが、何の恐れもなく使いこなしていたわけで、ちょっとしたはずみにセシル達に彼女の過去を聞いたときに、初めて彼女が火を苦手とすることを知っただけだ。
だからこそ、頭からそのことが抜けていた。
「悪ぃ、お前、苦手だったんだよな」
しまったな、と舌打ちをしてエッジは自分の間抜けさに小さく溜め息をついた。
そんな彼の優しさが、なんだか離れていたせいか今日はやけに心に響くような気がする。
リディアは慌てて軽く手を振って答えた。
「ううん!大丈夫。それにね」
「おう」
彼女は少しばかり考えるように首を軽くかしげて、それからわずかに頬を赤く染めて、恥かしそうに言った。
「あの火は・・・とても優しい火なんだって思えるから。だって、人のことを考えて点す火なんでしょう?」
言ってる事がわかんねえ、とエッジは奇妙な表情でリディアを見る。それでも、そういう「俺にはわからねーけど」ということでも、リディアの感じることが間違っているわけではないことを彼はあの旅の経験でよく知っている。
そのとき、遠くから声が聞こえた。
「王子!祭り、始まってますよー!」
「ちっ、いちいち呼ぶこたあねえのにな。野暮だなあ・・・。行くか」
「うん」
エッジはリディアの手を握って、かがり火が燃え盛る方向へと歩いていった。

リディアが初めて聞く、エブラーナ特有の楽器演奏は、それまで聞いた事がない音色で、聞いた事がないリズムで、耳に馴染みがない曲を奏でていた。どことなく悲しげな曲調は、ギルバートの竪琴を聞いたときにも似ている、穏やかな音で彩られる。
たくさんの人々がやってきて、そして、川に向かって何かお祈りを捧げていた。
バロンの風習と少し似ているのか、子供達はお菓子を受け取って帰る。
それは、子供達に火を扱わせることがあまりよくないから、大人達が心を込めて焼いた焼き菓子を火の代わりに持ちかえる、というすり替えのものだ。エッジは「小さい頃から火遁とかやってんのによ」とその風習をあまりよくは思っていないが、子供達からすれば菓子をもらえるほうが嬉しいに決まっているのだ。
リディアがエッジの連れであることを知って、人々は気安く彼女に声をかける。
「若の彼女かい?べっぴんさんだねえ」
「え、え、あの、知り合いです〜」
「んなこといわれたら俺の立つ瀬ってもんがねえだろ!」
あはは、と人々は笑う。エッジがこの国で人々に慕われていることはよく知っていることだったけれど、こんなにみんなが気軽に声をかけてくるものだとは、とリディアはなんだか嬉しそうに笑顔を見せるばかりだ。
「はい、お嬢ちゃん、これ」
係らしい老婆がリディアにろうそくと、それを立てる燭台というには小柄な、変わった形のものを渡してくれた。
「あ、これに火をもらうんですね」
「そうだよ。お祈りをして、あそこで火をもらったら、この風除けの中にいれて、持ち帰るんだよ」
「わかりました。えーっと、お祈りって、何を祈ったらいいんですか」
「死んだ人々の冥福と、春が早く来るように、ってことだね。お嬢ちゃんはお墓参りなんてすることがあるかい。もしあるなら、そのお墓の人のことを思ってもいいんだよ」
お墓参り、と言われてリディアは一瞬身体をこわばらせた。
そうだ。自分はそういうことがよくわかっていない。
幻界で育ってしまった自分は、実のところ人間界の風習やらなにやらをあまりよく知らないままだ。
どうして考えたこともなかったんだろう。
お墓、というものの存在を自分は知っていたはずなのに。
エッジを振り返ると、彼もまた係の人間からそれらのものを貰っているところだった。リディアは老婆から受け取るとお礼をいって、慌ててエッジの服の裾をひっぱる。
「エッジ」
「んあ?」
「あの、あのね、お墓参りって、普通、するものなの」
「そりゃあ」
するだろ、といおうとして、エッジは言葉を止めた。
しまった、これもヤバイ話なのか、と彼は心の中で舌打ちをする。
多分、リディアの母親の墓は、ない。
いや、そもそもバロンの方の風習がどうなっているものなのか彼は知らない。
「エブラーナじゃあ、するけどな、お前んとこがどーなのかはわからねえよ・・・」
そっか、とリディアは少ししょげた顔をしてみせた。
エッジは肩をすくめて、ああ、やれやれだ、このお嬢さんは、と苦笑を見せる。
「あのさあ」
それから、リディアの頭にそっと片手を乗せて、ぽん、ぽん、と小さく叩く。何を彼女が考えているのかは、今度は彼にもわかる。
リディアは自分の母親のことを考えている。それはもう、間違いがない。
それは悪いことじゃあないけれど、そんなしょげた顔を見たくて彼はここに彼女を連れて来たわけじゃあないのだ。
「うん」
「バロンの風習は、よくわかんねえけど・・・お前は、お前のお母さんのこと、祈ってやれよ。俺も、お前のお母さんのこと、祈るからよ」
エッジはリディアを覗き込んだ。子供をあやすように優しく、けれど、決してそこには「ガキだなあ」なんて彼が憎まれ口を叩くような、見下した態度は含まれていない。
「え?エッジが?」
「俺が、お前を嫁にもらって、絶対幸せにするってよ、お前のお母さんに、報告してやるからさ。だから、無事に眠ってくれってよ」
そんなことを突然言われてリディアは赤くなった。
再三エッジはリディアにそういったことを言い続けて来たけれど、こんな風に優しい声音、優しい視線で語り掛けるように言うことはなかった。だから、彼女は力強くつっぱねることが出来ない。
それに、久々に会った彼のことを、やっぱり好きだ、と思う自分のことも知っているのだ。
リディアはもごもごと困ったように口篭もる。
「・・・それ、早過ぎるよ・・・」
「早過ぎるってことは、お前、俺んとこ来る気があるってわけ?」
エッジはそういって小さく笑った。その声もなんだか優しい響きを持っている。
そして、彼はリディアの返事を待たずに、ぽんぽん、ともう二回彼女の頭を叩いて、かがり火の方にいこう、と促した。
リディアは彼の服の裾を掴んで、それを引き止める。エッジが驚いて彼女を見ると、なんだか少しいいづらそうにもぞもぞと動いてから、彼女は言葉を必死に伝えようとした。
「あのね、あのね、エッジ」
「うん」
「お願いがあるの」
「なんだよ」
「お嫁さんになるなんてのは・・・そのう、早いから」
「・・・・おー」
「春になったら、花畑を見せて。わたし、お母さんと、約束していたの」
エッジはリディアを見つめた。
それから、肩を軽くすくめて、今度はぽんぽん、ではなく、くしゃ、とリディアの髪をなでる。
「じゃ、それでいい。お前のお袋さんによ、春になったら俺が、花畑を見せてやるから、安心してくれって、祈るよ。これはエブラーナの祭りだけど、誰が誰に祈ったってかまわないと俺は思うし。もちろん、俺はエブラーナ王族だから、死んでいったエブラーナの人間に対しても祈るけどな。特別だ」
「ありがとう」
リディアはそう言って、はにかんだ笑みを見せた。
そのとき、ちらちらと空から白い雪が姿を現す。
「やべ、早いとこ、お祈り済ませて帰らねえとな。どーりで冷え込むわけだ」
「雪が降って来たのね!」
リディアは驚いて、ろうそくを持たない片手を空にむけてあげた。手の平に小さな雪がおちて、じゅん、とすぐにそれは水へと姿を変えてしまう。
エッジと並んで川辺に近づく。
そっと跪いて、静かに流れる川に向かって彼等は祈りを捧げた。

「次の春にはお弁当を持ってお花畑にいきましょう」
「嬉しい!ねえねえ、お弁当には何をいれてくれるの?あたし、いっぱい果物がはいったマフィンがいい!」
「そうね、春の果物を焼いたタルトやマフィン、それからオイル漬けにして焼いたお肉とね・・・」
あんな風に、お母さんが重責を負っているなんて、知らなかった。
ただ、村に来る悪いやつらをやっつけて、強くて、優しくて、綺麗で、とっても素敵なお母さんだと思っていた。
だけど。
死ぬ間際にまで、村の人達のことを考えて。
そして謝らなければいけなかったなんて。

「お母さん、静かに、眠ってね。わたし、大丈夫だし、戦争はなくなったし、バロンの王様はとってもいい人なのよ」
他に何を言えばいいのか、リディアはわからなかった。
あれだけの炎にまかれて死んでいったミストの村人のことも思いながら、ただ目をつぶって祈るだけだ。
不思議ね。
あんな風に炎に何もかも焼かれたのに、こうやって炎に導かれて祈りを届けてあげるなんて。
「もう、いいか、リディア。後ろの人が待ってるぞ」
「うん」
エッジに声をかけられて、後ろで順番待ちをしている人と交代してリディアは小さく微笑んだ。
「お前、焼き菓子もらってくか?」
「いいよーだって、子供だけがもらうんでしょ」
「お前、まだコドモだろ」
「いいの!わたしも、エッジと一緒に・・・この火、もらっていきたいんだもん」
「あ、そ」
エッジはにやにやしてリディアをかがり火のところに連れていった。
係りの人間がリディアのろうそくに小さな炎を移して、風除けをきちんとセットして返してくれる。
「気をつけてお帰りください」
「あいよ!」
エッジはあいたもう片方の手で、来るときと同じようにリディアの手を握って、明るく答えた。

夏と同じように、二人は手を握ってエブラーナ城に向かって歩いていた。
雪はちらちらと降り続いていたけれど、そのひとひらは大きくなく、きっと積もらないだろうな、とエッジはいう。
「エッジ、ありがとう」
「ん?」
「連れて来てくれて」
「あんま、おもしろいもんでもなかっただろ。それどころか・・・悪かったな、お袋さんのこと、思い出させちまって」
「ううん、いいの。逆に・・・ここに連れて来てもらわなかったら、きっと、ああいう風に・・・お母さんの、なんていうのかな、その、おかあさんが、静かに眠れますように、とか、そういう、なんか、その、お祈りみたいなものってしなかったと思うから」
リディアはたどたどしくそう言った。
それはエッジにもわかる。幻界ではそういう概念がないと思うし、なんといっても人間界に彼女がいたのは幼い間だけだったのだから。
別段、そういうことをしないというのが悪いわけではないとエッジは思うけれど。
「俺は、嬉しいぜ。だって、また春にはお前と会えるっていう、絶対の約束が初めて出来たからな」
「エッジ」
「お前のお袋さんにも祈ったし、その上。すっげー勢いで、早く春がきますように、って念を込めたんだぜ?」
「でも、あんまり早く春が来ると、冬がかわいそうでしょ」
そんなリディアの言葉にエッジは「たまんねえな」といいたげに、目を細めて笑った。
「そりゃ、そうだな。異常気象にならない限りは、こういう冬も悪くねえもんな」
ぎゅ、とリディアの手を握って、エッジは続ける。
「悪くねえ。お前が、そばにいてくれるんならさ。そしたら冬もいやじゃなくなるな」
「んもう・・・すぐそういうこと言うんだから・・・」

次の春にはお弁当をもって、お花畑にいきましょう。

雪の中でちらちらと揺れる小さな二つの炎を見つめながら、リディアは母親の言葉を思い出していた。
お弁当は、お母さんの分も作ろう。
タルトとマフィンの作り方を、ローザのお母さんに習おう。約束を果たすために。
それから。
エッジにおいしいって言って貰うために。
リディアは自分からエッジの手をぎゅっと握って、もう一度笑顔を見せた。
エッジ、ありがとう。連れて来てくれて。
そう言葉に出す前に、エッジはにやにいやと笑いながら
「どういたしまして」
と言った。
「な、なんでわかったの!?」
「お前が考えていることなんざ、お見通しなんだよ。ほらよ」
「え?」
繋いだ手を離して、エッジは懐から焼き菓子を出してリディアに渡した。
「これも、貰っといてやったから。帰ったら食べろ。俺って、優しいだろ?」
「もお!そんなこと言おうとしたんじゃないのにっ!」
「あ、違うのか?」
「んもう・・・」
それでも、もしかしてエッジはちゃんとわかっていたのかもしれないな、なんてことを思う。
リディアがふてくされた表情を見せると、彼はあまり見せない、優しい笑みを浮かべて
「城についたら、また、頭なでてやる。嫌じゃねーだろう?」
なんてことを言う。
いつものように軽い口調で言われれば「別にそんなのいらないもん!」と突っぱねるところだけれど、リディアは
「・・・うん。エッジに頭なでられるの、好きよ」
と素直に答えることが出来た。
地面にはうっすらと雪が、黒い土の上を白く彩るパウダーのように敷き詰められようとしていた。
城に向かう人間は少ないのか、まだ足跡がない。
二人はかすかな足跡をつけながら、エブラーナ城にむかって歩いていった。



モドル