騎士の驕り-7-

ソニアとランスロットは、有翼人のキャスパーに抱えて飛んでもらい、砦の南方面へと早急に向かった。早急にというのは、アッシュ隊との合流を急いでいるというよりも「勝負が終わってしまうとつまらないから」というソニアのヤジ馬根性のせいだ。
南砦に近づいていくと、まばらな木々の一つの高い位置で、松明の灯りが振られているのが見えた。
そんな合図は普段はないためソニアとランスロットは警戒したが、キャスパーは即座に
「スチーブです」
と把握をしたようだ。なるほど、有翼人同士で決めている合図があるのか、と二人は尋ねもせずに納得をした。
有翼人としてはキャスパーの先輩格にあたるスチーブは、今はアイーダ隊に所属をしているはずだった。であれば、アイーダ隊はアッシュ隊と合流をして、ジェミニ兄弟と戦っているわけではないのか、と眉根を潜めるソニアとランスロット。
その二人の様子に気付いたかどうかはわからないが、まるで彼らからの声なき質問に答えるように、キャスパーが予想を口にする。
「スチーブと俺が行き違いにならないように合図を送ってるってことは、アイーダさんが何かソニア様に用事があるってことじゃないかと思います。よく俺が飛んでいるのがあの位置でわかったなぁ。月の位置見ても、見えづらいはずなのに、目がいいな」
ソニアが出陣することは(興味本位で、砦を出る準備をしている間に)一応先に有翼人の新人を伝令として出していたので、こうやって飛んでくることはアイーダ隊も既にわかっていることだった。明らかに「ソニア達を待っていた」という状態なのだろう。
キャスパーは高度を下げて、合図を灯していた木の近くにゆっくりと降りた。木々がまばらな所とはいえ、地面に近づけば月明かりも遮られて相当暗い。
案の定アイーダ隊がそこには待機しており、明るくなり過ぎないように覆いをしたカンテラを揺らしてソニア達を誘導する。アッシュ隊がジェミニ兄弟と交戦している位置よりは大分離れているように思え、余計ソニアは首をひねるばかりだ。
「ソニア様」
「どうした、アイーダ。何かあったのか」
「一度アッシュ隊と合流したのですが、わけあってここでお待ちしてました」
古参と言える、ソニアよりも大分年が上のアイーダは、落ち着いた声音で報告をする。相当砕けた表現だが、それがソニアには一番わかり易いということを彼女は重々わかってのことで、ランスロットもそれに関しては特に口煩くは言わない。
「先ほどジェミニ兄弟を一度追い払ったのですが、捨て台詞を残していったため、また程なく来るんじゃないかと」
ああ、一度終わったは終わっていたのか、とソニアはちらりとランスロットを見ると、ランスロットは(残念がってるのか)とでも言いたげに、彼もまたソニアにちらりと視線を送っていた。
「それで?」
「アッシュ隊はそのまま休憩をしつつその場で待機しているんですが……さすがに、あの兄弟相手の連戦は厳しいので、ソニア様が間に合わなければ我々ももう一度今から行くつもりでした」
「懲りないな、あの兄弟も……で、あたしが間に合ったら何。あたしが戦ったほうがいいのか?」
「いえ、そうではなく。アッシュ殿より伝言を頂いてます」
「うん?何だろ」
「要約してお伝えすることをお許しくださいね」
それは、ソニアの理解力に合わせてのことではなく、アッシュのような武人の表現を一字一句覚えているのは、平民出のアイーダにはいささか荷が重かったからだ。それをたしなめるものもここにはいないし、古参の気安さからか、ソニアも「うん」とあっさりとした相槌を返す。
「何度もジェミニ兄弟が来るのは、あの兄弟は自分たちが砦を奪われたら、具体的に何をどうすればいいのまったく建設的なことを考えられないからではないかと」
「……ああ……」
ソニアとランスロットの眉が同時に潜められた。
「なので、ソニア様から、彼らがそれなりに納得する身の振りを提案してあげれば、それに従うんじゃないかって」
「……その身の振りを考えるのに一晩待ってもらおうと思ったのに、勝手に脱走したのはどこのどいつだ!!」
呆れたように叫ぶソニア。キャスパー、スチーブといった有翼人コンビが小さく笑い声をあげる。
ランスロットは苦々しい表情で
「やはり、処遇を決めて置かなかったのは失敗だったな」
「第一、あんな潔く負けを認めといて逃げて、何度も何度も砦返せって、ああーーー、うん、いいよ。あたしが悪かった!」
そう言うと、ソニアはこめかみ付近に手をやって、とんとん、と軽く小突いた。
「……ソニア、癖が」
「あっ」
人前ではあまりソニアのそういった癖を指摘しないランスロットが、そっとソニアの腕に触れて小突くのを止めた。
アイーダ隊は古参の兵士が多いからだろうか。それとも、他になにか思うところがあって口に出したのか。
ソニアはそれを若干気にはしたけれど、指摘されたことに素直に恥じ入ってから、怒られた子供のような表情を見せた。
「久しぶりに見たな」
「うー、癇癪起こしそうになったぞ。もー……わかったわかった。ジェミニ兄弟が納得する身の振りを提案して、追い払えばいいんだろう。砦を諦めさせるのに」
「ふむ……成る程、彼らは敗者となった帝国の将達が具体的にどのような行動をとるべきかも、よくわかってないのだろうな」
「そりゃそーだよなあ。将じゃないんだもん。あいつら」
その言い草にアイーダも苦笑いを浮かべた。
「どうします?ソニア様が直接交渉に行かれますか?口伝えでよければ、わたし達がアッシュ隊に合流して、次の襲撃に備えますが」
「じゃ、とりあえず全員でアッシュ隊んとこ行こう」
はい!と元気な返事をアイーダ隊の面々とキャスパーが返す。ソニアは「はあー」と深く息をついて
「とんだ夜のピクニックだ」
と軽く愚痴れば、ランスロットは穏やかに
「お誘い痛み入る」
と珍しく意地の悪いことを言う。
(ランスロットだって、そういうこと言うの、久しぶりだ)
だが、そんなやりとりがまだ自分たちに出来るということがありがたく思え、ソニアの心は少しだけ鎮静した。
どうということではなくても、言葉を交わすということは人と人の繋がりを深くするものだ。ほんの僅かな深度であっても。
それをこんな日に感じるなんて、神様は意地悪だ。そんなことを思いながら、ソニアはキャスパーに「行こう」と合図を送った。


さて、それから半刻以上経過をして。
「……来ないぞ」
「来ないな」
「来ませんな」
「来ないですねぇ……」
ソニアがぽそりと呟けば、ランスロット、アッシュ、アイーダが同時に言葉を返す。
アッシュとアイーダから聞いた話から逆算すれば、ジェミニ兄弟が退散してからとうに一刻半は経過している計算だ。ソニアのもとに最初に報告が来た時に比べれば、大分月が傾いている。
「……もう寝てるんじゃないか」
「まさか」
と反射でランスロットは言ったが、すぐに神妙な表情になり
「いや、それもあるかもしれないな……。明日また来るのではないか」
「そこで待ってろ!と捨て台詞は残していったが、まさか日中夜ここで待たせる気なのか、あの巨人もどき達は」
アッシュは口元をへの字に曲げる。
この老将があからさまに嫌悪の表情を見せるのは珍しい。余程うんざりしながらジェミニ兄弟の相手をしたのだろうことは明白だ。
アッシュ隊の面々も、さすがにソニアやアイーダ達が来てくれたことで少し緊張が緩んだのか、明らかに疲労の色を外に出している。勿論、夜番として見張りに立った以上は、時間きっちりまで何があっても対応すべきことが常なのだが、あのジェミニ兄弟相手では色々な意味で疲れが蓄積するのもわからなくもない、とソニアは思う。
ソニアは一度のびをして
「わかった。アッシュ、他の部隊と交代して今日は休んでくれて構わないぞ」
「だが、もしもう一度来たら。あれに対抗できる部隊で今すぐ交代出来るのは……」
「ああ、いい、対抗できなくても。そしたら、伝言してもらうから」
「?何を?」
「もし、ジェミニ兄弟がやってきたら、後日砦にお招きするからとご招待しよう」
そのソニアの言葉に、部隊長二人とランスロットは目を丸くした。
「もうさあ、いちいち面倒くさいから、体裁整えてトリスタン皇子に相手してもらおうよ。ジェミニ兄弟は頭ちょっと足りないかもしれないけど、なんていうの、会談ってやつ?あんな感じで一席設けて、今後のアラムートについてとかさ、それっぽい話して逆に協力をしてもらおう」
「何を言い出すのかと思えば……」
ランスロットは深い溜息をついた。
「仮にも帝国の者だぞ」
「大分仮だよね。それに、あいつらよくわかってないんじゃないと思って。殺そうと思えばすぐスルスト様がすっとんで来て切ってくれるってこと。こっちも、ほら、なんでもかんでも殺してたら民衆うけが悪くなるから投降兵受け入れとかやってるし、負けを認めたあいつら生かしてたけど、こう何度も害を成すならやっちゃうしかないだろ。こっちのそういう思惑わかってないから、こういう馬鹿なことするんだ。だから、はっきり通達しよう。死ぬのがいいか会談を受け入れてちょっとは反乱軍に協力するか。この先もこのアラムートが重要拠点になることは間違いないから、穏便に済ませたいんだよね、こっちも」
「ううむ」
ランスロットとアッシュは唸り声をあげた。
「それに、悪くないんじゃないか?ジャイアントと人間のハーフなんて珍しい双子が、未来のゼテギネア大陸のため、ゼノビア皇子を認めてアラムートを共に護る、とかそういう触れ込み。どっちにとっても」
ソニアの言葉は、ジェミニ兄弟が、よくわからないことで感動をしたりテンションをあげたりする性癖であることを示唆している。それへは反論をする者はそこにおらず、ただただ「ううむ」とランスロットとアッシュが再度唸り声あげるだけだった。
やがて、笑い声でアイーダが口を開いた。
「わたしは、いいと思いますよ。あの二人、もしかしたら今楽しくて仕方がないんじゃないかって思うんですよね、わたし」
「楽しい?」
それへはソニアが目を丸くする。
「はい。なんか、あの二人、自分達が強い強いって言っても、特にそれを披露する場所がないでしょう。こういう時でもないと。だから、披露出来て、相手をしてくれて、なんだったら日替わりで相手は山ほどいるし、形勢不利になっても逃げることが許されるし、こう、楽しくじゃれてる子供みたいというか」
それへは、何故かスチーブが「あー」と軽く声をあげた。それはきっと、アイーダが言わんとする事を理解して、何か納得したからの声に違いない。
「うわあ、そういう想像はまったくしてなかったけど、言われてみると的を……」
「だから、あんまりね。遊んでる子供の首根っこ掴んで、遊びは終わりだって殺すわけにはいかないかなあと」
「だが、相手は子供ではないぞ」
と言うアッシュの声音は柔らかかった。どうやら、彼もまたなんとなく合点がいく、と感じたようだ。
「子供ではないから、会談のような形で体裁を整えないといけないってことでしょうね。それこそ、どっちにとっても」
「……女性は、強いな。我々は本当に単純で、もう一度来たら切ってもよいかとソニアに聞くぐらいが関の山だ」
そう言ってアッシュが笑うと、ランスロットも同意をする。アイーダ本人もにやにやと笑いながら謙遜をした。
「まあまあ、ソニア様なんて、反乱軍という大きな子供を育てていらしたんだし、わたしが言うことなんて」
「そんな大層なことじゃないぞ、あたしがやってきたことなんて」
「そして、ソニアのお守りをみんながする、と」
アッシュのその言葉にソニアは「むう」と唇を尖らせる。それへは、三人以外、近くで待機をしていた他の兵士達も小さく笑い声をあげた。
それは、ソニアならば笑っても許してくれると、みなが思っている証拠だ。



ランスロットがソニアと共にジェミニ兄弟を追い払うために砦を出たという報告を受け、トリスタンはあてがわれた部屋のソファで深く溜息をつく。
かなり埃をかぶっていた部屋のようだったが、こうやって個室を用意される身分で文句をいうわけにもいかない。けほ、と少し咳き込んで、グラスに入っている水を飲んで喉を湿らせた。
ウォーレンは、ランスロットが戻るまでに色々と手配をすることがあるとかなんとかもごもごと口ごもりつつ、ひとまずトリスタンの前から姿を消した。
本来なら、もう眠っても良い時刻だ。
だが、いくらジェミニ兄弟の件はソニア達に一任したとはいえ、さすがに先に寝るわけにもいかない。
「……ううん」
勿論、寝ない理由はそれだけではない。
突然ソニアから突きつけられた選択肢を、トリスタンだってトリスタンなりに考えないわけにはいかないのだし。
正直なところ、ソニアが言いたいことは半分ぐらいしかトリスタンにはわからない。それは、人が本来持たない力を彼自身が多く体感をしているわけでもないし、ソニアが恐れていることの片鱗しか、彼は想像が出来ないからだ。
が、わかることは。
そういう兵士が、実は多いのではないか。であれば、そういう兵士たちはここでのトリスタンの離脱を殊更に不審に思うに違いない。
トリスタン本人の率直な気持ちとしては、正直ソニアの提案に従いたくない。
ようやくだ。ようやく、いくらかソニアの留守を守る立場を経験して、兵士達の動かし方もわかってきた。その矢先に、ソニアが言い出したあの話はトリスタン離脱というだけではなく、ある意味反乱軍解体と言っても過言ではない。
ソニアはどこまで兵士達に明かすつもりだろうか。ソニアには不思議なカリスマ性があるし、天空の三騎士を従え、天使と契約を結ぶほどの立場だ。しかし、だからといって、反乱軍が倒すべき相手が「帝国」ではなくなる可能性があると言われれば、惑う人々は多いだろうし、トリスタンについてゼノビアに戻ると言い出す者もそれなりにいるはずだ。
どれほどの人数が残ると思っているのか。そして、どれほどの人数を巻き込む覚悟なのか。
ソニアの性格からして、全てを黙って行くとも思えない。
それで、本当に帝国を倒せるつもりなのだろうか。もし、そうソニアが思っていると知ったら、失望する兵士達もいるのではないか。
出来れば穏便に、ソニアの提案は何もなかったことにして処理をしたい。それが、トリスタンの一番の願いだ。
(それに、ねえ。僕だってソニアを)
その肩の荷を重くして、そして、共にその荷を支える人々を減らしたいと思うわけではない。
ウォーレンは間違いなく、トリスタンをこの先連れて行かない方が良いと思っている。それは、不思議と「間違いない」とトリスタンには思えた。
ウォーレンは偉大な魔法使いだ。そして、星占術師であり、人の力及ばぬ星星の力を「詠む」ことが出来る。そういう人物だからこそ、ソニアが懸念している「オウガバトルほどではなくとも、天空の三騎士が今地上にいなければいけない、この前に起こりうる何か」を本当は嗅ぎつけているに違いない。
ソニアは、永久凍土で元天使長ミザールと面談を行って、それによって色々な腹づもりをして帰ってきたらしいことを、トリスタンもぼんやりとは理解をしていた。誰も、ミザールとの面談について事細かにソニアには聞かないが、面談の内容には「この先の行軍に対するソニアの覚悟を促すもの」も含まれていたと聞いている。その「ソニアの覚悟」は要するに、帝国領に踏み入る恐れやらラシュディとの対峙のみならず、どうやら「天空の三騎士が地上にいるのは何故か」「何故天使がソニアと契約をしていたか」などの、人間側ではもともと理屈がよくわからないがゆえに見失いがちな、けれど大事な何かへの覚悟だったのだろう。
それが何だったのかを少しだけ理解させられたかと思えば、この有り様だ。
ソニアは知らないだろうが、トリスタンは知っている。ウォーレンは永久凍土、シャングリラを経て戻ってきたソニアを見て「顔つきが変わった。それが、何を見据えてのことであるかは、我々はまだよくわかっていないような気がしますがな……」とぽつりとトリスタンに漏らしたことがある。きっと、ウォーレンは既に「ソニアが見据えて覚悟を決めた」何かが、単純なゼノビア奪還と結びつくものではないと、おぼろげながらにわかっていたに違いない。
(ウォーレンはどこか、とても冷たい。それは、ゼノビア王国に所属しているがゆえのものだ。そうでなければ、彼は彼でソニアに好意を持っているのが僕にだってわかる。でも、彼はどこまでも)
ゼノビアの人間なのだ。それも、あれほどの老齢までそれを貫いている筋金入りの。
魔法を扱うものは自由を好むきらいがあると聞いたことがある。王国所属の魔法使いといえどそれは例外ではない。けれど、ウォーレンはどこまでもゼノビアのことを考え、それを第一にすることを苦にせず、「そうであることが彼の自由」であるようにすら思える。
そして、残念ながらウォーレンがそういう人物だったからこそ、今の反乱軍はあり、ゼノビアを取り戻すための希望の灯が点ったのだと言えよう。だから、それを否定することはトリスタンには出来るはずがない。
(ここまでお膳立てして、万が一に僕が死んだら、そりゃあ大変なことになる。まさかソニアのような人間にゼノビアの統治を任せるわけにもいかないだろうし、僕が反乱軍と合流してから名乗り出始めた末端の旧貴族たちが揉め出したら目も当てられない。だから、ウォーレンは正しいんだ。わかっている)
トリスタンは溜息をひとつついて立ちあがると、部屋を出た。
彼は彼で、立場を知りつつも譲れないものがあるのだ。しかし、断固としてそれを許されないことがあることも、また。


夜番の兵士に茶を振舞っていたノルンのもとにトリスタンが訪れたのは、ちょうどソニアがアッシュ達と合流をした頃だった。
砦外の城壁にいる見張り兵のもとへ茶を届けにいくことは出来ないが、外の見張り兵の実働時間は短い。逆に、。砦直近の見張り兵は実働時間が長いけれど、こうやって茶を出してもらえるという特典付きだ。
見張り兵達は、茶を飲むために休憩を一人ずつ交代でとっていた。
「皇子。おやすみではなかったのですか」
運んできたポットを手に柔らかな笑みを向けるノルン。トリスタンが「ちょっと話をいいかな」と声をかけると、周囲の兵士達が驚きの表情を浮かべる。
「なんだい、僕が女性に声をかけるのがそんなに驚くことなのかな」
「うふふ、わたくしが帝国出身だからでしょう」
ノルンは気分を害する事無くそういったが、一人の兵士が慌ててそれを否定した。
「いえ、こうやって夜中トリスタン皇子がお一人で歩いていらっしゃることもお珍しいですし……その上、女性に声をかけるとなると、ええ、ちょっと、その」
「ああ、いつもはね、ウォーレンやら他の騎士たちやらと一緒に歩いているが……僕が知るかぎり、この軍はそういった体裁はいらないんだろう。リーダーがそうであるように。見張りがついてくるってうるさかったけど、僕だってたまには」
そう言うとトリスタンは肩をすくめてみせた。
兵士たちは小さく笑って「トリスタン皇子はソニア様の悪いところを真似なさっている」と苦笑いを浮かべた。別に彼らとて、トリスタンがお高くとまって一人歩きをあまりしないと思っているわけではない。だが、今日のようにソニアが不在の間にトリスタンに何かあったら、と誰もが気遣っているのも事実だ。
「では、お話をお聞きしましょう」
ノルンはにこやかにそう言うと、兵士達がいる場所からいたって自然にゆっくりと離れた。
「ありがとう……デボネア将軍に話を聞きたかったのだけど今日はもうお休みのようだったので、あなたのもとに来たんだ。あなたは、帝国出身の兵士の中で一番最初にこの軍に所属をしたと聞いて」
「はい。そういうことになりますね」
「ディアスポラで?」
「はい」
ノルンが帝国から派遣されていたのはディアスポラ。旧王都ゼノビアに相当近い地域だ。
「では、かなりゼノビア寄りの文化が残る地だったことだろう。どうなんだろう?帝国で育ったあなたから見て、やはり差異は大きいだろうか。帝国中枢からかなり離れたあの場所に着任して、何か思うところはあっただろうか?」
ノルンは、何度かまばたきをして、小さく「ああ」と呟く。
成る程、デボネアに話を聞きたかったというのは、デボネアは以前ゼノビアに着任しており、ノルンがいたディアスポラよりもより一層旧ゼノビア領の中心地だったからか、と合点が行ったようだ。
「皇子。皇子が何のためにどんな答えをお聞きしたいかよくわたくしにはわからないのですが……お恥ずかしいことに、実はわたくしは帝国のことをあまりよく知りません。わたくしは多くの地を巡礼することもなく、日々わたくしに救いを求める人々と共に生きる日々を送っておりました。法皇になってからというもの、それは更にわたくしの生活の多くを占めておりましたし、どこかへ何かの視察に行くということもなかなかままならぬ生活でした。今思えば、人々がそんなにも救いを求め、信仰を求めているということは、帝国の民たちの不安がどれほど増長していたのかということですが……」
「……そうかもしれないね」
「なので、帝国のことも、わたくしは本当はよくわかっていないのです。ええ。こうやって皆様と共におり、そして、各地をお巡りになったアイーシャ様を見て、やはり広い世界を知ることは必要だったと今は痛感しております。なので、このようなわたくしにとっては旧ゼノビア領であろうがどこであろうが「そういうものなのだ」と状況を受け止めるだけで、双方の比較を出来るほどの基盤となるものは……自分の財産として持ちあわせておりませんの」
残念ながら、と小声で添えたノルンは、本当に心底残念そうにトリスタンには見えた。
「そうか……あなたの気持ちは、わからなくもない」
「おこがましいと思われることを知りつつ、言わせていただいてもよろしいでしょうか」
「うん」
「トリスタン皇子はお幸せですね。ご自身がこれから先治めようとしている世界を、こんなに広くご自身の足で地を踏み、その目で確かめられるなんて」
トリスタンは静かに息を詰めて、ノルンの言葉を脳内で反芻した。それから、
「うん。僕もそう思うんだよ。本当に」
と小さく笑みを浮かべる。それへ、おこがましいと非難しないトリスタンへの敬意をはらってか、ノルンは深々とお辞儀をした。
「ノルン、ねえ、ポット持ったままでしょ」
その時、気安く話しかける女性の声が彼らの耳に届いた。
見れば、兵士達から茶器を回収して運んでいるラウニィーの姿が。
「あら、珍しい組み合わせね。ご機嫌よう、トリスタン皇子。どうなさったの?」
ノルンよりも大分砕けた口調でラウニィーはトリスタンに語りかける。それはいつも通りのことなのだが、周囲にあまりたくさん兵士がいないからか、普段より気安い雰囲気をトリスタンは感じる。
帝国出身のノルンやラウニィーからトリスタンに声をかけることをよく思わない者も多いのだ。それは、彼女たちが独身であるから余計に。
ノルンはまだクァス・デボネアと恋仲と知られているからともかく、ラウニィーは完全なる「フリー」だ。それゆえ、周囲の目も普段は厳しい。
「ねえ、ラウニィー。きみは、旧ゼノビア領付近を逃げまわっていたんだろ」
「ええ」
「どう思った?その、帝国領との大きな違いがあるとか、なんか、そういうさ……」
トリスタンもいつもより更に砕けた調子でラウニィーに尋ねる。彼女は「んー」と軽く声をあげてから
「うーん?ゼノビア領がどうとかってよくわかりませんけど……わたしの父のことはご存じです?皇子」
「ヒカシュー将軍。優れた御仁とよく話は伺っている」
「そう。いつでもわたしの親の七光りと呼ばれる所以の。父はわたしが及ばぬ年数を生き、戦だろうが日常だろうがまつりごとだろうがわたしが及ばぬ経験を持つ。その父にわたしが唯一及ぶのは、帝国を飛び出して父が以前戦で訪れた場所の「今」を見聞きしていることぐらいだわ。ゼノビアが滅んだ時、父は前線にいたと聞きましたけど、既に将来を有望視されていてすぐに帝国中枢に戻ったんですって。だから、戦場であるゼノビアしか知らないの。大事なことは、昔のことじゃなくて今でしょう。だから、それをこうやって知ることが出来たことは、きっとわたしの武器になると思うの」
ラウニィーは、その武器を何に向かって振るうのだろう?トリスタンはちらりとそう思ってから、満面の笑みを浮かべた。
「君は凄いね。人々からなんでもかんでも助けを求められるノルン殿はそりゃあ、問答などの受け答えにも長けているだろうが、ラウニィー、君はまたそれとは違う。なのに、いつもすぐにはっきりとした答えを投げつけてくれる」
「投げつける」
ふふっ、とラウニィーは笑い声を漏らした。
「乱暴ですみません」
「いや、その速度と端的さは、好ましいよ……二人ともありがとう。参考になったよ」
トリスタンは二人に丁寧に頭を下げ、すぐにその場を離れた。
どうしてこんな話を、とか、あれこれ聞かれるのも困るし、前述の通りラウニィーやノルンと話をしているのをよく思わない人物に見られるのも嫌だと思ったからだ。
(本当はスルスト様やフェンリル様にも話を聞きたいが)
その二人が自分に腹を割って話をしてくれるかは、実のところトリスタンには自信がない。
(ソニアの言い草は、もう一人の天空の三騎士を助けに行く前には、僕らに離脱しろと言っているような、そういう雰囲気だった。今までならば、シャングリラに行った時のように、僕らが地上で、ソニアが天空にいく。そういう方法をとっていたのに)
歩きながらそんなことを考え、はた、とトリスタンは一瞬足を止めた。
(……ソニアは……まさか、そんなに)
自分の元に残る兵士が少ないと、そう思っているのだろうか。
唇を噛み締め、それからトリスタンは再び歩き出した。
彼は、砂漠を渡る部隊を5部隊程度とソニアが見込んでいることを知らない。だから、一瞬「ソニアは天空に行くことを忘れて」いるのだと思っていた。
しかし、もしも今思いついたことをソニアが考えているとしたら。
(どれほどの覚悟をしたんだ、あの子は)
地上には誰も残さない。
自分の元に残った者全員で天空に行き、その後砂漠越えをする。
既に、ムスペルム、オルガナ、シャングリラと足を運び、ソニアは天空都市の大まかな様子をイメージできている。
だから、例え予定より大人数でも、予定より少人数でも、行けると彼女は思っているのだ。きっと。
(駄目だ、ソニア、そんなことを、あの聖騎士抜きで勝手に決めては。それは、どれほど彼の自尊心を傷つけると思っているんだ)


――近しいからこそ言いづらいことがあると知っていても、知らされないことの方がつらい。ウォーレンの雰囲気からすると、ランスロットにもウォーレンの予想を言ってなかったんだろう?―

それは、無論―

それなら、あの生真面目な騎士は落胆するだろう。ソニアの提案にではなくて、今、この場に自分が共にいなかったことをね―


そして、ソニアから相談を受けなかったことも。
(僕は、ランスロットや、それから、ソニア本人ほどは鈍感じゃない)
永久凍土で、ミザールとの面談に立ち会ったランスロットが、どれほど沈痛な面持ちでソニアを抱きかかえて面談の場から戻ったかをトリスタンは知っている。
兜をかぶっていたランスロットは目差し部分を開け、瞳だけは見えていた。そこからでも伝わるソニアへの気遣いの様子、そして、血相を変えてその二人に駆け寄ったギルバルドの様子も知っている。
きっと、あの時共にいたランスロットとギルバルドは、ソニアのとても深い部分を知ったのに違いない。それは、ウォーレンが見ていない場所でのことだ。
いや、見ていたとしても、ウォーレンはきっと知りつつも目を閉じ、己が為そうとする正しいことを推し進めるに違いない。
(ソニアが一人であんな覚悟をしてきたんだ。僕が離脱することでソニアは少し肩の荷が降りるなら、それは受け入れてあげたい気持ちもある。でも)
早足で自室へ向かいながら、トリスタンは難しい顔をしたままだ。
(僕にも譲れぬものがあるし……いや、たとえソニアとウォーレンの顔を立てるとしても、せめてランスロットだけでも置いていってあげたい)
けれども、それは不可能とも思えた。
悲しいことにあの聖騎士は有能だ。しかも、戦だけではなく、いくらか官僚めいた仕事もこなせる数少ない人材であり、復興を始めるゼノビアになくてはならない人物と思える。
言い方は悪いが、最後の戦でソニアが死んでもゼノビアは復興できるが、ランスロットを失うのは大打撃だ。この行軍を共にしたもので、各地を知るもので、それなりに若くて文武両道を讃えられる人物といえば彼を除いて他にはいない。
ソニアの我侭や気持ちを察して、永久凍土もシャングリラもランスロットを派遣したが、だからといってトリスタンからしても、そのままソニアのもとに置ける存在ではないのだ。
(それ以前に、ソニアはやってはいけないことをしてしまった)
失われた信頼は、トリスタンが何を言ってもどうしようもない。
たとえ、トリスタンが無理強いをしてソニアの元にランスロットを残しても、話はこじれるような気がする。
ランスロットもウォーレンも、間違いなくソニアから相談を受けたかったに違いない。トリスタンからしても「せめてあの二人には」と思うほどなのだし。
(だが、それは感情だ。それに……)
ソニアは聡い。
彼女が二人に相談をせずに決めたのは、彼女がそのような態度に出ることで「ゼノビアに戻る選択を躊躇させない」ためだったら。
もしそうなら、聡すぎる。人の心を思いやるがために、人の心を少し傷つけてでも楽な道を進ませようとするその気持は、余計な世話だと思いつつも、彼女らしくもあると思えた。
勿論真実はトリスタンには未だわからないが。
(余程あの子の方が傷ついているだろうに)
トリスタンは自室の前で待機していた見張り兵に声をかけた。
「カノープスをここに呼んできてくれ。ウォーレンには内緒で」
「えっ!?」
頓狂な声をあげる見張り兵。
ウォーレンに内緒、なんてことを自分が頼まれても良いのか、と言いたげにおどおどとした視線をトリスタンに向ける。
「いや、バレてもまあ、いいんだけども。でも、誰だって一緒に住んでる家族に内緒にしたいことはあるだろう?そんなものだよ」
「は、はい。すぐに呼んできます。もし寝ていたらどういたしましょう」
「そしたら、僕の運が悪いだけだな。その時は起こさなくてもいいよ」
「わかりました。失礼いたします」
一礼をして慌てて走って行く兵士を見送って、トリスタンは部屋に入った。
「ふー……」
ウォーレンに怒られるかな、とちらりと思ったが、だからといってソニアを放置するわけにもいかない。
それに。
(このままゼノビアに戻るにしても、なんか、ラウニィーにすごく怒られそうな気がするんだよね)



ソニアの指示にしたがって、アッシュ隊は他部隊と交代するために砦へと向かった。
アイーダ隊はそのままアッシュ隊がいた場所に待機をして、アイーダ隊が見張りをしていた場所はこれ以上穴を開けるわけもいけないため、そこには、ソニアとランスロットが滞在をすることになった。
キャスパーは先に砦に戻って交代部隊をを確保し、ソニア達を迎えに行く人物――時間も遅いので、出来れば空を飛ぶ魔獣を寄越してくれとソニアが頼んだので、魔獣使いだ――を決める役割がある。
正直なところ、ランスロットと二人で残らないようにとソニアはあれこれ思い巡らせたのだが、もともと不慮の部隊交代
が起きた時に見張り位置に穴を開けないように「二人以上配置が出来るならば優先する」という取り決めがある。無理を言えば、ランスロット一人を置いてキャスパーに砦まで送ってもらうことも出来たのだが、有翼人の斥候役や、ニンジャの斥候役でもない限り、夜の単独行動は歓迎すべきことではない。(ソニアは勝手にふらふら単独行動をする場合があるが、それとこれとは話が違う)
草の上に座って、ソニアは夜空を見上げた。
星が美しい夜。
月明かりがほとんどないのに、よくもあのジェミニ兄弟はやってきたものだ、あいつらカンテラでも持ってきたのだろうか。それも、人間サイズより大きいのだろうか……そんなことを考えていれば、少し離れたところで遠くの様子を確認していたランスロットが声をかけてきた。
「良い風だ」
「うん」
夜風が気持ち良い、と言い出したのはソニアの方だった。が、ランスロットは甲冑に身を包んでいてそれをあまり感じられなかったため、兜を脱いだ。
それを小脇に抱えたまま、ぐるりと周囲を見渡し、もう一度声をかけてくる。
「寒くないか」
「うん。大丈夫だ」
(こうやって一度「いつも通り」のお互いに戻れば、ほんの二刻前に重苦しい会話をしたことが嘘のように感じられるな……)
だが、それは紛れもない事実だ。
そして、蒸し返したくなくても、言わなければいけないこともある。
ソニアは出来る限り平静を装って、ランスロットに軽く言葉をかけた。
「悪いな。軽く誘ってしまったが、戻ったらウォーレン達と話をしなくちゃいけなかったんだよな」
「それは……いや、確かにそうだったのだが、わたしも少し……頭を冷やしてからの方が良いと思ったから……だから、良いんだ」
ソニアとランスロットが砦を出たことは、伝令がトリスタンとウォーレンに伝えてくれているはずだ。それでも、ランスロットを連れ戻す誰もこなかったということは、不承不承ウォーレンもそれを許可したということ。
ランスロットがそういう事後承諾に近いことをするのは珍しい。それでも、以前と同じように、あっさりと着いてきてくれたことが嬉しい、とソニアは思う。
「ジェミニ兄弟の件だけど」
「ああ」
「この先の帝国領で解放していく都市に、ゼノビア側の人間やら反乱軍の人間を配置していくことは難しい。今までのように、人が足りなければゼノビア復興に駆り出されている人間を連れてこようとか、その逆とか、ウォーレンが裏であれこれやっていたようなことが帝国領では難しくなる。帝国領だから、ということもあるが、単純に距離が離れすぎるしね」
「……そうだな。そこは、正直気がかりだ」
「それに、帝国の将たる者達はきっと討ち取ることになると思うんだ。あたしがそうしたくなくても、みながデボネアのように投降してくれるとは思えない。そうなると、やっぱりもともとその地域にいた帝国側の人間にその土地を任せるしか手段がない。解放とは名ばかりの、単なる領主殺しみたいなものになってしまう。それでは、必要以上の反感を買うこともあるだろう。だから、トリスタン皇子がその場にいない方がいい。あたしがやったことにする分には、まだゼノビアの名を汚さずに済むだろう」
「それでは、そなたが」
「その手始めに、ジェミニ兄弟をうまくここで使えれば。そういう前例を作っておけば、投降して協力してくれる者もいるかもしれない。こっちが、是が非でもその地域にゼノビア人間に統治をさせたいわけではないと、その姿勢を見せておけばさ」
「……うん。悪くはない。正直、ここに至るまですでに領主問題はあちこちこじれているしな」
ランスロットは小さくため息をついた。
ソニアの言い分は正しいし、建設的だ。
帝国中枢までに、いくつの地方を回って、何人の将を討って、何人の新領主を掲げなければいけないかは、正直なところ誰にもわからない。ウォーレンですら、帝国にいたデボネアですら。それは、この先の反乱軍がどのようなルートで首都を目指すかがはっきりしていないからだ。
それらは、ウォーレン流に言えば「この先の星の導き」によるのだろうが、サラディンに言わせれば「ラシュディの誘導次第」といったところだろう。
そんなに簡単に領主代理になれる人物をぽいぽい輩出出来るはずもなければ、ゼノビア復興のために後からやってきた旧貴族が積極的に帝国領を己の領地としたいわけがない。そうなると、物理的に「領地は反乱軍のもの、ひいてはゼノビアのものとなるが、継続して帝国の人間に領主を務めてもらう」という形にまとまるのは必然だ。
「でも、前例がないからさ。最初はやっぱり、形整えるために皇子に」
「そなたが言いたいことはよくわかった。本当に、聡いな」
「そうでもないよ……もっと先に気付いておけば、こんなことにならなかった」
「それは確かに」
はは、と小さくランスロットは笑い声を漏らした。が、それがなんだかとても疲れた声音に聞こえ、ソニアは軽く眉根を寄せる。
夜に引っ張り回された体の疲れだけではない。それは、きっと心の疲労からくるものだ。そのことがわからないような付き合いではないのだ。
「ジェミニ兄弟なら、それなりに立てておけば、あまり地上のことを気にせずにシグルドにも行けるしな」
「……フォーゲル殿を助けに行かねばな」
「ああ。スルスト様とフェンリル様がいるから、そう時間はかからないと思うんだ。シャングリラと違ってカオスゲートがあるから、難しい人選も必要がないし。まあ、なんとかなる」
なんとかなる。
ランスロットはそれへ言葉を返さなかった。
ソニアの「なんとかなる」は、フォーゲルを助けるのはなんとかなるだろう、という意味ではない。それは既にスルスト・フェンリル両名をブリュンヒルドの力で救っているのだから、わかっていることだ。
だから、それは。
ゼノビアの者達が離脱をしても、なんとかなるだろう。そういう意味だとランスロットは理解をして口を閉ざした。が、当然ソニアはそこまで彼がはっきりと気付いたは思っていない。
彼女はいつも聡明で言葉を選んでいたけれど、本当にここでその意志をランスロットに告げたかったわけではなかった。
と、突然ランスロットは話を変えた。
「そなたが言っていたように、星に、願い事を、した」
「うん?」
「永久凍土を出た後で、一度、そなたを厨房で」
「あ、うん、会ったな……」
「同じ願いを三回、とそなたに言われていたのに、わたしは、違う願いを3つ願った」
ソニアは驚いてランスロットを見たが、彼は話しながらも遠くへ視線を送り、見張りとしての責務を果たそうとしていた。だが、それが本当にそうしようと思ってのことなのか、ソニアを見て話したくないからなのかは、ソニアにはよくわからない。
だが、彼女はじっとランスロットを見つめる。淡い星灯りの元、カンテラもなく、夜の闇にようやく馴染んだ目を凝らしながら。
「努力だけではどうにもならないことを、願った」
「……そうか」
「だからといって、それへの努力を怠ってはいけないとわかっていた」
そこで、ランスロットの言葉は途切れた。
ソニアは唇を噛み締め、静かにランスロットから視線を逸らす。
星を見ることも最早叶わない。
始まりは、ロスアンヘルスの祭だった、とソニアは思い出したくない記憶を呼び覚まされ、それを必死に脳内から投げ捨てようともがく。
他のことを考えようと思っても、開かれた記憶の扉から溢れ出てくるせつなくも愛しい過去は彼女にそれを許さなかった。


『好きな相手の名前を書いて、その木に結ぶのさ』


祭りの広場で渡された浅葱色の紙。あの時は、誰の名前も書けなかったけれど、今渡されたら自分はどうするのだろうか。
あの時、ランスロットは奥さんの名前を書いたのだろうか。
慣れない祭を連れて歩いてくれたあの日のランスロットは優しかった。
そうだ、まだあの時は反乱軍が小さくて。
(そうだった。そういえば、あの日、ガストンを起こしたことを怒られて……ああ、ガストン、ベッドで寝てたんだもんなぁ。今ならみんな床でゴロ寝がいいところなのに……まだ旅の始まりじゃないか……)
まだまだ、毎日ランスロットに怒られてばかりいた頃だ、と思えば、それは素直に懐かしいと思えた。それから。祭の後で、初めてランスロットに星祭の話をして。
「ロスアンヘルスではランスロットに怒られないように、色々わかるようになったらいいと願ったが、少しは叶ったのだろうか」
「……ああ。そなたは、とても努力をした」
「そうか」
瞳を閉じて深呼吸をするソニア。
「そなたの、その後……永久凍土の後、星に何を願ったかを、わたしは聞かなかったが……それは、叶いそうなのかな」
「ううん。多分、叶わない」
「……そうか」
「ランスロットのも、叶わないのか?その口ぶりでは」
「半分ぐらい、叶うかな。いや……一つは、わたしが願うようなことでもなく、最初から変わらず叶っていたのだ」
「?」
「おこがましい願いをしたものだと、今は反省をしているよ」
「……なんだか、意味深だな」
「はは……一生、口に出さないと思ったが」
ソニアは、はっとランスロットの方を再び見た。
先ほどまで決してソニアを見なかった彼が、体全体を彼女に向けていたからだ。
「ソニア殿」
「……うん」
「そなたが、いつでも、己を見失わずにいられるよう、願っている」
「ランスロット……?」
「それが、3つのうちの一つだった。きっと、この先も、願い続けるだろう。傲慢な願いであるが、許されるだろうか」
ソニアは、息を止めた。
そうしなければ、泣いてしまいそうだと思ったからだ。
体の中がかあっと熱くなり、それは両目のあたりにせり上がってくる。それを抑えよう抑えようと、少しうつむきがちに顎を引きつつ、息を器用に口端から上へ向けて吐き出した。
僅かに目尻から落ちそうになった液体を乾かすように飛ばすように。
そうして暫くの間、ソニアはランスロットからの問いかけへ、答えを返さなかった。ランスロットは何一つ急かすこともなかったが、次に与えられる言葉を恐れるかのように、両の手の拳を握りしめ、ゆっくりとソニアから視線を逸らす。その様子がランスロット「らしくない」とソニアは思い、彼にそんな態度を取らせてしまっていることを、心底申し訳ないと思った。
やがて、ソニアは声を発する前にのそりと立ち上がった。
「……あたしの右腕が動かなかった時」
「ああ」
「現実と理想は違うとランスロットは言った」
「……そうだな」
「あの時、切り捨てられるのは、あたしの方だと思っていた。いや、今だって、皇子達の離脱を勧めることが、切り捨てるということとは違うと思っているけれど」
「そうだな。そなたは、切り捨てるのではない。そなたの提案を飲んだ時、我々がそなたを切り捨てたようになるのだろう。ただ言われただけのことを、帝国を倒してくることだけを願われ、それをするだけの駒として。それを我らにしろと、そなたは言うのだな」
「それは」
「それを、わたしにしろと」
ソニアは一瞬、言葉を失った。なんという恨み事なのだ、それは。
いつ、どんな形で自分がランスロットと道を違えるのか。いつ、お前はもういらなくなると言われるのか。
その時が来る日がないとは誰も断言出来ず、いつだってソニアにはその覚悟がつきまとっていた。
なのに、まるでランスロットの言葉は。
ソニアはランスロットに近づき、甲冑に包まれた胸を、ドン、と押した。
彼女がそういった直接的な行動に訴えることは珍しい。ランスロットは驚いて、目を見開いてソニアを見下ろした。
「早かれ遅かれ、なったことだろう!?道を違える時期を選んだのはあたしだが、それは好きで今を選んだわけじゃない。あたしが、自分の身勝手だけで、こんなことを言い出したのだとランスロットは……」
「仕方がないだろう。ソニア」
「何がだ」
もう一度、ドン、とソニアはランスロットの甲冑を押した。
アイーダ達の前で、昔の癖が出てきてとんとんと頭を小突いたように。己の感情を持て余して、ソニアは初めてランスロットにそれをぶつけるように向ける。
いつもならば、それを諌めてくれるはずの彼は、苦笑いを浮かべてなされるがままになっていた。
「仕方ないんだ……わたしは知ってしまったではないか。そなたが、どれほどの重荷を背負ってわたし達と出会ったのか」
「!」
そっとランスロットはソニアの左肩に手を添え―右手には兜を抱えていたので―己の甲冑から体を引き離すように軽く押す。
僅かに離れた距離で、ソニアは上目遣いでランスロットを睨んだ。
本当はわかっている。いささかの八つ当たりであることは。自分が選んだことに恐れをいだき、それを簡単に受け入れられることが怖いくせに、だからといって否定をされるのも怖い。どちらに転んでもソニアは傷つく選択をしたのだから、今更何を聞いたって辛くなることは同じだ。
それでも止まらない。
ランスロットから何か言葉を聞きたいけれど、彼の口が開かれるたびに心は傷つき、恐れ、本当はどんな言葉が欲しかったのか、ソニアにもよくわからなくなっている。
行き場のない気持ちは、ランスロットへの腹立ちではない。何を言われても助からないとわかっていながら、何か期待をしてしまっている己への腹立ちだ。
感情を持て余しているソニアへ、ランスロットは言葉を続ける。
「それを知る権利をくれたのは、他ならぬそなただ。わたしは反乱軍の人間である前にゼノビアの騎士だ。それをそなたも知っていて、十分に尊重してくれていることは重々承知していた。だが、ゼノビア騎士である前に、一人の人間だ」
「それは」
「今日一晩、心が揺らぐことを、許してもらうわけにはいかないか。そなたは悩んで悩んで出した結果だろうが、わたしにとっては思い描いていたものとはまったく遠い、考えが足りなかったと反省せざるを得ない、それこそ寝耳に水に近い提案だったのだ。だから、許されたい。ゼノビアの騎士として、そなたの提案を快諾して、主と共にゼノビアに戻ることを心から感謝するべきとわかっている。けれど、わたしはそなたと長く居すぎた。捨てたい感情を見ぬ振りをすることが出来ぬ時もわたしだってあるのだよ」
捨てたい感情。
ソニアは口の中で、小さくもごもごとその言葉を反芻した。
それをランスロットは気づいたようで
「捨てたいと思うのは、そなたがそう望むからだ。大人はずるい。欲張りで、捨てなければいけないものを、捨てた振りをして過ごすことぐらい出来るのだよ。だから、わたしはそなたを無闇に傷つけるためにこんな話をしているわけではない」
「あたしが、望んでいるというのか?」
「そうだ」
「それは」
「……わたしはとても愚鈍で、そなたのことをよく理解出来ていないことも多い。永久凍土でも言っただろうが、そなたが痩せてしまったことすら気づかず、あれだけ近くにいながら、月のものを感じさせることが一度もなかったことにも気づかず、まったく、己に呆れる。そんなわたしでも、わかるんだよ、ソニア」
「何をだ」
「あの時だって、そなたはわたしがゼノビアの騎士たる者としてありえぬ発言をしようとして、それを聞きたくないと言った」
それは。
ああ、なんてそれは、遠い日のことのように思えるのだろうか。
ソニアは、一瞬足元の草に足を絡めとられたような錯覚に陥った。
「いつだって、わたしがゼノビアの騎士であることにわたし自身が重きをおいていることを、そなたはよくわかってくれていた。そして、それゆえに、そなたが欲する言葉をわたしは発してはいけないのだろうということも」

そうだ。
ああ、それは、どれほど遠い日のことだ。
ソニアはまるで感情を失ったかのように呆然とランスロットを見て、口を半開きにした。
確かに、あの時自分は口にしたのだ。


ランスロットが、本当に欲しい言葉をくれるなんて、信じられない

――本当は、ずっと欲しかった言葉だった。ただ、その言葉を発するならば・・・それは、あたしが知っているランスロットではない ――


今日だけは何があろうと。ミザールや帝国だけではなく、誰からも守ると、永久凍土でランスロットはソニアに告げた。
それに対してソニアが発した言葉たちの意味を、ランスロットはその場で気付いたのか、それとも後から思い出して考えてくれたのか。そのどちらなのかはわからないけれど、彼の心の中に間違いなくしっかりと残っていたのだと思うと、後悔が押し寄せてきた。
何があろうと。ミザールや帝国だけでもなく、誰からも。それは、ゼノビアの者からも。天の力だろうがなんだろうが、何もかもから守ると。
その発言は、ゼノビアの騎士としてあるまじき発言であり、たとえ何が起きたわけではなくとも、ランスロットはあの時だけはソニアの騎士だったのだ。
そして、それがソニアが求めていたことであり、けれど、ランスロットがそうであることをソニアが許容出来ないということすら、彼は理解をしていた。
ソニアはそれほどに、ランスロットの立場を尊重しているからだ。

と、その時、ランスロットは空を見上げて顔をしかめた。それを見てソニアもその方向へ顎をあげて見る。
砦方面からの迎えが来たようだったが、何故ランスロットが顔をしかめたのかをソニアもすぐさま理解をした。
ぽつりと空に見える近づいてくる「何か」の点。それは、グリフィンの翼の影でも、ワイバーンの影でもない。
おかしい。魔獣をと告げたはずだ。きっとガストンが来るんじゃないか、なんて想像していた二人は、顔を合わせて遠くの空を見続けた。
高度がおかしい。あの高度は。
「有翼人か?」
「ランスロット」
「うん」
「なんか、嫌な予感があたしはするんだ」
「うん?」
星灯だけでは、なかなかシルエットが特定出来ない。
ランスロットがカンテラを持って軽く振れば、その影は何故か速度を増して―高度を下げる時に速度をあげる必要など余程でもない限りはないはずなのだ―二人にめがけて近づいてきた。
そこそこ近づいてきた時点で相手が誰なのかランスロットもソニアも気づいたが、その名を口にする前に「彼」は急降下からの速度を落とさぬまま草地にザザザっと大きな音を立てて着地し、更にその勢いのまま地を蹴って距離を詰めた。
「ちょっ……カノープス!?」
驚いて叫んだソニアは、普段の俊敏な彼女にしては珍しく、妙に腰が引けた体勢のまま動けなくなった。
そこへ迫ってきたのは、カノープスの拳だ。
「……!!!」
避けられない、と見をすくめたソニア―そんなことは普段の彼女では考えられないことなのだが―の前に、ランスロットが割り込んできて、カノープスの拳を己の肘当てで止めた。
「いいいいいってえええぇぇぇ……!お前、せめて手のひらで受けろよ!!」
「お前は、何を突然!」
「うっせえ!おい、ソニア、お前!」
「な、なんだ」
「お前、ふざけんじゃねぇぞ!!俺はなあ、このボンクラ聖騎士が傍にいないお前のお守りがどんだけ大変なのか、誰よりも知ってるんだ。お前が思ってるより、お前は面倒くさいガキなんだよ!!自覚ねぇのかよ!!お前が言わねぇなら、俺が言ってやる!」
「な、何を、だ」
ソニアはどもって、目を見開いてカノープスを見る。
カノープスがこれほど声を荒らげてソニアに怒りを露わにしたのは、初めてのことだ。彼が何を言い出すかよりも、そのことに驚いてしまって、ソニアは無意識にぺたりとその場に尻をついた。
ずい、とランスロットのを睨みつけ、カノープスは早口でまくし立てる。
「てめー、お前一人だけゼノビアの騎士としてああだこうだつって本懐遂げようたってそうはさせないからな。お前とウォーレンのじーさんは、こいつを反乱軍に巻き込んだ責任があんだろ!?なんでもかんでも責任こいつにおっかぶせて、都合いい時だけ勇者様勇者様って仕立てあげといて、本当に勇者じゃなきゃできねーことが現れたらケツまくって逃げるなんて許さねえぞ!?俺は騙されねえからな!どんだけこいつが正論ぶったこと言ってようが、それに同調して許されるような立場じゃねえんだよ。お前らは!」



 

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